夏陰
(夢主が男慣れしてる、未成年なのに喫煙者、恋は報われません。モブの女の子がでます)
男の落とし方なんて、そう大して難しくないと思っていた。
他の女の子から批判されるであろう、男に対するずるい甘え方も熟知していたし、相手の反応を見て引き算だって足し算だって自由自在に出来た。欲しい物は可愛くねだれば買ってもらえたし、喧嘩をして嫌になったら別れて次の人にいけばいいし。大体の男は狙えばあっさりと私との恋に落ちてくれた。
友達が私と似たような、男を便利な物だと知り使い捨てる様な子達ばかりになっていた頃。学校で変に浮き始めた私とは、全く正反対の女の子が話しかけてきてくれた。純情で、優しくて、おっとりしていて。見た目だけでなく性格や声さえも綺麗な彼女は、周りの人の目も気にせずにいつも私の隣で笑っていた。私といたら嫌われるよ、嫌われてもいいよ仲良くしたい。そう言ってくれた彼女はいつからか、私の親友となった。
「あーくーつー、火ー」
真夏の放課後、歩道橋の下、向こう側を歩く彼。日陰になっている場所から私は走って抜け出した。その後ろで友人達がまたかよ、呆れたように私を見て呟いている。大きな声を出したからか、冷たいジュースで潤したばかりの喉が乾いた。
うんざりするくらいに暑すぎるこの季節の放課後を、路線の違う駅と駅を繋ぐ歩道橋の下に私は数人の女友達といた。あまり陽が当たらずほぼ一日中影になり誰もいない、地べたに座り込んでもかまわない、学生だからたまっていられる。そんなよこしまな秘密基地のような場所だった。
駅のロータリーには大型バスが二台停まっていた。鬱陶しいくらいに伸びきった葉をつけた木、そこにくっついて大声で鳴く何匹かの蝉、その向こうに見えた銀髪。私は走ってそこに駆け寄った。
自分の名前を呼び走ってくる私を見て、歩いていた亜久津は眉間にしわを寄せて足を止めた。彼はいつも不機嫌そうだ、知ったことないけど。
暑くない?今帰り?この後暇?私の質問攻めに、うるせえな。亜久津は心底鬱陶しそうな反応をした。でも彼は私の前から去らなかった。これが答えだと思っている私は、甘えるのをやめなかった。
「ねえ、火ちょうだい」
「お前な、いい加減ライター持てよ」
亜久津は夏だっていうのに相変わらず白い肌をした男だった。そして私の顔を見てひどく面倒くさそうにため息をついた。私はじわじわと汗をかいた体を休めることなく、ねぇ早く。空に浮かぶ太陽の光にも負けずに、私は彼の顔を見上げて甘え、ライターをねだった。
亜久津は返事もせずに、歩道橋の下にいる私の友人達に視線を移した。彼女達の手元には火のついた煙の上がる煙草、人から人へと手渡しされるライター。私の丈を折り込んだ制服のスカートのポケットにも、彼女達が持つ物と同じ物が入っている。
「連れ、ライター持ってんだろ」
「やだ、亜久津から欲しいの」
こう言えば男は喜ぶか嫌な顔をしない、私は経験と本能ながらになんとなく理解していた。亜久津は眉間にしわを寄せたまま、自身の制服のポケットに手を入れてごそごそと探った。引き上げられた白い手の中に握られたライターは、私の希望通りに今目の前に現れた。
「ありがとう、お礼に私のと交換してあげる」
「交換?」
「私のライターあげるから、亜久津のちょうだい」
「お前な、あるなら最初から自分の使えよ」
そう言った亜久津は渋々といった感じであの白い掌を出した。亜久津のライターを受け取った私は、折り曲げたスカートのウエストを何度か直した。やっとの思いで取り出したライターを亜久津の掌の上に乗せる。コンビニだとか百均にでもある、どこにでも売ってる色のついたクリアのライターだった。
「物を交換するとか、付き合ってるみたいじゃない?」
「俺はお前みたいな奴とは付き合わねえよ」
「うわ、亜久津にふられるとか最悪」
勝手に言ってろ、そう言って亜久津が笑うものだから私もつられて笑った。じゃあな、亜久津は私に挨拶をした。うんまたね、私も亜久津に背を向けた。後ろ髪が引かれる思いには、ならない。
今度は歩いて歩道橋の下に戻る。太陽のせいで頭と背中が焦げそうだった。日陰の中にいる暇を持て余した友人達が戻ってきた私に、ねぇ。そう言って亜久津に聞こえないように小さめの声で訊いてきた。
「あの人の事好きなの? 」
「好きじゃないよ。昔からの知り合いなだけ」
「足か財布になる? 」
使えるかどうかの判断を煽ってきた友人に、ならない。私はあっさりと笑って亜久津の事を諦めさせた。ふーん、訊いてきた友人はすでに興味を失ったようで、適当な返事をし手元のスマホに目線を戻した。
優しくて、綺麗で、汚れていない。親友と呼べる彼女の姿はこの歩道橋の下にはない。彼女と私は、別の世界の住民なのだ。
「恋をした」。一人で机に顔を突っ伏していた私の元に来た彼女は、小さな声で教えてくれた。プールの授業を終えたばかりの休み時間、睡魔に負けそうになっていた私は突然の事に目を覚ました。マジで?私はすぐさま顔を上げて濡れたままの髪を整え、同じく髪を濡らした彼女の微笑む顔を見た。
「好きな奴が悪い男だったら大反対するからね」
「本当?私、見る目ないかもしれないから宜しくね」
くすくすと静かに笑う彼女は素直で可愛かった。こんな子に好かれる男はなんて幸運な男なんだろう。きっと彼女みたいに優しくて、温厚で、美しいと思える人間なんだろう。
同じ学校?、どこで出会ったの?、どんな人?心躍らせながら訊くと、彼女は頬と耳を赤く染めて恥ずかしがり教えなかった。私には出来ないような可愛らしい反応をしてみせたのを、親友の私は尊敬しつつもなんだか嬉しく思った。
彼女は頬を赤らめたまま、また色々相談させてね。教室に鳴り響いたチャイムの音と共に、自分の席へと戻っていった。先生が教室に入ってくる、クラスメイト達は教科書を準備する。日直の号令の掛け声に、私も嫌々立ちあがり頭を下げた。
私も彼女みたいに純粋に恋をした事があっただろうか。私は椅子に着席しながら、過去に遊んだ男の顔と名前を思い出していた。あの男の名前が思い出せない、あいつの事は好きだったっけ、あの人とはどんな別れ方をしたのか。そんな事をぼんやりと考えながら、私は机に身を伏せ再度襲ってきた眠気に身を任せた。
「友達がさぁ、恋しててすっごい可愛いんだよ」
今日も蝉は大きな声で鳴いている。夕方だというのに未だに照りつける太陽、コンクリートの熱気。私は夏のそれらにうんざりとしながら、帰り道に見かけた亜久津に声をかけた。彼はお前かよ、そういって少し嫌そうな顔をしたけれど、一緒に帰ろうと誘っても断りはしなかった。
「なんかもうキラキラしちゃってさ、女の子!って感じ」
「お前とは大違いじゃねえか」
「亜久津、マジで一言余計だよね」
そういうのがなければ良い奴なのにさぁ。私は口ずさみ、汗ばんだ体を鬱陶しく思いながら家へと向かっていた。亜久津は返事もしなければ反応もしなかった。暑いから対応するのを面倒に思ったのか、それとも私に興味がないのか。別に好かれなくてもいいけど。男はこうすれば喜ぶ。そう分かりきっていたつもりの私は何だか負けた気分になり、小さな溜息をついた。
「私も好きな人ができたらかわいくなれるかなぁ」
「お前はそのままでいい」
「マジ?じゃあ亜久津は私と付き合える?」
「くだらねえこと言うな」
「ほら、やっぱりおしとやかな子の方が好きなんでしょ」
「アホか、うるせえのがお前のいい所だろ」
「亜久津は好きな子いるの?」
「本当にうるせえな」
「えー、いるんだ」
私の事は好きじゃないの?笑いながら亜久津の背中を撫でるように軽く叩いた。男にこう言って甘えれば外れはない。そう考えてまたハッとさせられる。亜久津にこの考えは通用しないんだった。
私は亜久津の反応を見ようと顔を覗き込んだ。いつもは鬱陶しそうな顔をしたり、大袈裟に私をよけたり。けれど今日はそんな素振りをすることなく、彼の背中はただ私の手のひらを黙って受け止めていた。
「いたとしてもお前には教えねえ」
じゃあな。やはりあっさりと別れの挨拶を告げた亜久津。私もまたね、平然を装い挨拶をした。もう少し話したかったな、私は振り返り亜久津を見た。けれど亜久津は私の方に振り返ることはない。
なんで私には教えてくれないんだろう。私は亜久津の好きな人が知りたかった。私の事を好きになる素振りがないのも、何度話しかけても本気で取り合ってくれないのも。何故だか私は気にしていた。財布にも足にも彼氏にもならない、亜久津は一つも私の思い通りには動いてくれなかった。
そして私は一つの事実に気がついた。認めたくないけれど、きっとこれは。馬鹿らしくなって思わず笑いたくなった。
私は恐らく、亜久津に恋をしている。
海行こうよ。そう言いだしたのは私か彼女のどちらだっただろう。思い出せないくらいに楽しみにしていた日の前日は、年相応に胸が踊り満足に眠れなかった。
照らす太陽に負けじと私達ははしゃぎ、海に入ると海水の冷たさとしょっぱさに驚き、時折近づいてくるナンパを私が断った。少し疲れると決して綺麗とは言い難い海の家のような所でアイスを買い、日陰になっている場所に私達は腰を下ろした。
硬いコンクリートの上に散らばるジャリジャリとした砂が、太ももにまとわりついた。そしてふと、亜久津の事を思い出した。隣に座っている恋をする美しい彼女を横目で見る、私にはあまりにも眩しく見えて前を向いた。白い波は砂浜に何度も何度も打ち上がる。それに遊び騒ぐカップル、夏の日差しを浴びた恋をする親友、その親友とアイスを頬張るうっかり恋をしてしまった私。
「あのさ、私恋してるかもしれない」
私が波打ち際を見ながらぽつりと呟くと、彼女は驚いた様子で隣に座る私の顔を見た。私がこんなこと言うの変だよね?笑いながらごまかすと、彼女はそんなことないよ!目尻を下げて笑った。
「恥ずかしいから相手が誰とか言えないんだけどさ」
「私も、恥ずかしくて言えないよ」
「じゃあさ、お互い付き合えるまで好きな相手は内緒にしようよ」
付き合えたらすぐに紹介するから。美しい彼女は頷き、仲良しの私達はクスクスと笑い合い、いつのまにか溶けてきたアイスにきゃあきゃあと笑いながら騒いだ。
もし付き合えたら、付き合えなかったら。そんな女の子らしい恋の話をして、私達はもう二度と戻ってこない貴重な夏の時間を過ごした。日焼け止めを塗り忘れて肌が真っ赤になった部分を発見したり、砂まみれになった顔に騒いだり、私達は何度もくだらない事でお腹を抱えて笑った。
ナンパされた時にあっさりと断りをいれ無視できる私と、焦り立ちすくんでしまった彼女。そんな純情な彼女の恋を応援していきたい。純粋で、綺麗で、優しくて。こんな女の子と付き合える男はなんて幸せなんだろうと、私は親友の恋愛が上手くいくのを心から願った。
その日が来るのはあっという間だった。
付き合えたから紹介したい。朝登校してきた彼女が、机に伏して寝ようとしていた私にこっそりと呟いた。その言葉を聞いて襲いかかってきていた眠気は何処かへと飛んでいった。私は驚いて椅子から立ち上がり、謙虚に笑った彼女に抱きつき喜んだ。
よかったね、そう言って心から祝った。頷いた彼女はやはり綺麗で美しかった。今日の夕方はどう?クラスメイトに聞かれないようにか、私の耳元でこそこそと囁かれた言葉に私は首を縦に振った。
教室にチャイムが鳴り響いた。また後でね、私と彼女は目で笑い合いお互いに席に着く。
あー、どんな人なのかな。きっと彼女のように優しくて、美しいと思える人なんだろう。私は幸せそうな親友の姿を想像をした。早く夕方にならないかな。待ちきれない想いを馳せながら、私はまだまだ明るい空を教室の中から見上げた。
あれだけ長く感じた学校は久しぶりだった。私は教室の時計を見て時間が早く進むのを願い、彼女の幸せそうな姿が見れるのを望んだ。
そして待ち望んだ放課後。今日も蝉は大きな声で鳴いている。いい加減鳴き止めばいいのにね。そんな会話を彼女としながら、親友の恋人となった男と待ち合わせている駅に向かっていた。
胸が踊るとは、こういう気持ちの事を言うんだろう。平凡な学校で一人浮く私に、彼女は態度を変えずにずっと仲良くしてくれた。他人の目も気にせず、私と一緒にいる事で嫌われても構わない。そう言って本気で接してくれた彼女に尊敬すら抱き、今は何だか大事な親友を男にとられた気にまでなっている。
「いい人だといいなぁ、楽しみ」
「いい人だと思うよ。あ、でも…」
「え、なに?」
「煙草を吸うの。…あまりいい人じゃないかもね」
「私達と同い年なのに?悪い奴じゃん」
私は自分の事は棚に上げて眉をひそめた。私が喫煙する事に怒りも追及もしない彼女は、少し困った様に笑っていた。でもたかが煙草くらい、いやいや簡単なルールさえ守れない奴に彼女は勿体ない。頭の中で色々な意見が駆け巡った。いい人かなぁ。そう呟き変に考え始めた私に質問をしたのは、横を歩く彼女だった。
「そういえば、前持ってたライターってどこで買えるの?」
「私の?あんなのどこにでも売ってるよ」
「そうなんだ、彼も同じ物持ってたから」
少し前の事を思い出し、私は上の空で返事をした。私の前使ってたライター、亜久津にあげたんだよね。そんな今は関係のないことに、私は何だか嫌な予感みたいなものを感じている。
駅に近づいていくと私がいつもたまっている歩道橋が見えた。今日も歩道橋の下に集まる数人の友人を見て、彼女と別れた後はあそこに行こうとぼんやりと考えた。
そしてその時はやってきた。彼だ。そう呟くと彼女は、私から離れて足早に走って行った。向かった先は白い制服、銀色の髪、夏だというのに白い肌。彼は私を見て少し驚いた顔をしていた。彼女は私には見せない、恋をしたかわいい女の子の顔をしていた。私は今、どんな顔をしているだろう。
「あの、紹介するね。私の彼氏の亜久津君」
私の方に振り向いた彼女は幸せそうに笑っていた。いつもこそこそと私に教えてくれた、恋の話をする時と同じ顔だった。その向こうに立ちすくむ亜久津は、いつもと大差ないように思えた。
私は愛することさえできなかった。純粋な心なんて遥か昔に捨てたはずの私が、ある時突然恋に落ちた。今まで本気で恋をしてこなかった罰なのか、なんなのか。
純粋で、綺麗で、優しくて。こんな女の子と付き合える男はなんて幸せなんだろう。でもまさかそれが亜久津だなんて。きっと彼は彼女を大事にするだろうし、彼女も亜久津だけを見続けるだろう。
二人の顔が上手く見れなかった。苦笑いをして目を泳がせた後、私は言葉に詰まった。どうかしたの?笑顔が消え、心配そうに私に問いかけた彼女はやはり綺麗で優しかった。なんでもない、私は震えそうな声を振り絞って笑ってみせた。
「きっといい人だよ」
私の言葉を聞いて嬉しそうに微笑む親友。その後ろには私が恋に落ちた人。暑さからか、失恋からか、あまりにも嬉しそうな彼女を見た嬉しさからか。私は軽い目眩を覚えた。
すると向こう側にある、歩道橋の下にたまる友人達が私に気づいて大きく名を呼びそこに招いた。何してんのー?そう言って笑う良くも悪くも楽観的な友人達に今は救われ、私は恋人同士となった彼らに、呼ばれたから行かなきゃ。また苦笑いしながら告げた。
不思議そうな顔をした親友と、いつもと変わらない顔をした亜久津。早くこの場から去ろうと後退りをすると、数日前に海で日焼けした肌が衣服に擦れてやけに痛く感じた。私は返事も聞かずに亜久津達に背を向け、小走りで歩道橋の下へと向かった。
喜ばなくちゃ、でも亜久津が、彼女は何も悪くない、だから亜久津は私に見向きもしなかったんだ。頭の中がごちゃごちゃとしていくたび、目頭が熱くなるのを私は必死に誤魔化していた。
歩道橋の下に着く頃には私の息はあがっていた。泣きそうなのが友人達にバレない様に、いつもと同じ顔で笑い挨拶をした。注意する大人や警官も恐れずに堂々と喫煙をする友人達に、親友の面影がない事を悟る。やっぱり私もこちら側の人間なのだろう。
「てかさ、さっき一緒にいた人。いつもよく喋ってた人だよね?」
「…うん、私の友達と付き合ってんの」
「そりゃあ、あの人は足にも財布にもならないよね」
この前、亜久津の事を足か財布になるか訊いてきた友人は、遠くに見える亜久津をぼんやりと見ていた。私は何も気にしていないフリをし、自身の鞄の中から煙草のパッケージを取り出した。本当は今吸いたくもなんともない、頭の中は幸せそうな親友と亜久津の顔でいっぱいだった。
「なんでそう思うの?」
「だって、あの二人お似合いじゃん」
他の女にはなびかないよ。
何気なく呟かれた友人の言葉は、私の胸を突き刺していった。指が震えてうまく煙草が取り出せない。私は友人達に変なのと笑われながらやっとの思いで煙草を取り出し、咥えて火をつけようとした。折り曲げたスカートのポケットから出てきたライターは、前に交換した亜久津のだった。
私は耐えきれなくなり咥えた煙草とライターを手にとって泣き出した。それを見て慌てだした友人達が私を慰め、どうしたの?泣いた訳を聞き出そうとする。でも言えない。何故だか惨めに思えて恥ずかしかった。
太陽は夕方だというのに眩しく、蝉はいつもと同じく大きな声で鳴いていた。太陽の届かない歩道橋の下から聞こえる私の泣き声は、夏のそれらに遮られた。
男の落とし方なんて、そう大して難しくないと思っていた。
他の女の子から批判されるであろう、男に対するずるい甘え方も熟知していたし、相手の反応を見て引き算だって足し算だって自由自在に出来た。欲しい物は可愛くねだれば買ってもらえたし、喧嘩をして嫌になったら別れて次の人にいけばいいし。大体の男は狙えばあっさりと私との恋に落ちてくれた。
友達が私と似たような、男を便利な物だと知り使い捨てる様な子達ばかりになっていた頃。学校で変に浮き始めた私とは、全く正反対の女の子が話しかけてきてくれた。純情で、優しくて、おっとりしていて。見た目だけでなく性格や声さえも綺麗な彼女は、周りの人の目も気にせずにいつも私の隣で笑っていた。私といたら嫌われるよ、嫌われてもいいよ仲良くしたい。そう言ってくれた彼女はいつからか、私の親友となった。
「あーくーつー、火ー」
真夏の放課後、歩道橋の下、向こう側を歩く彼。日陰になっている場所から私は走って抜け出した。その後ろで友人達がまたかよ、呆れたように私を見て呟いている。大きな声を出したからか、冷たいジュースで潤したばかりの喉が乾いた。
うんざりするくらいに暑すぎるこの季節の放課後を、路線の違う駅と駅を繋ぐ歩道橋の下に私は数人の女友達といた。あまり陽が当たらずほぼ一日中影になり誰もいない、地べたに座り込んでもかまわない、学生だからたまっていられる。そんなよこしまな秘密基地のような場所だった。
駅のロータリーには大型バスが二台停まっていた。鬱陶しいくらいに伸びきった葉をつけた木、そこにくっついて大声で鳴く何匹かの蝉、その向こうに見えた銀髪。私は走ってそこに駆け寄った。
自分の名前を呼び走ってくる私を見て、歩いていた亜久津は眉間にしわを寄せて足を止めた。彼はいつも不機嫌そうだ、知ったことないけど。
暑くない?今帰り?この後暇?私の質問攻めに、うるせえな。亜久津は心底鬱陶しそうな反応をした。でも彼は私の前から去らなかった。これが答えだと思っている私は、甘えるのをやめなかった。
「ねえ、火ちょうだい」
「お前な、いい加減ライター持てよ」
亜久津は夏だっていうのに相変わらず白い肌をした男だった。そして私の顔を見てひどく面倒くさそうにため息をついた。私はじわじわと汗をかいた体を休めることなく、ねぇ早く。空に浮かぶ太陽の光にも負けずに、私は彼の顔を見上げて甘え、ライターをねだった。
亜久津は返事もせずに、歩道橋の下にいる私の友人達に視線を移した。彼女達の手元には火のついた煙の上がる煙草、人から人へと手渡しされるライター。私の丈を折り込んだ制服のスカートのポケットにも、彼女達が持つ物と同じ物が入っている。
「連れ、ライター持ってんだろ」
「やだ、亜久津から欲しいの」
こう言えば男は喜ぶか嫌な顔をしない、私は経験と本能ながらになんとなく理解していた。亜久津は眉間にしわを寄せたまま、自身の制服のポケットに手を入れてごそごそと探った。引き上げられた白い手の中に握られたライターは、私の希望通りに今目の前に現れた。
「ありがとう、お礼に私のと交換してあげる」
「交換?」
「私のライターあげるから、亜久津のちょうだい」
「お前な、あるなら最初から自分の使えよ」
そう言った亜久津は渋々といった感じであの白い掌を出した。亜久津のライターを受け取った私は、折り曲げたスカートのウエストを何度か直した。やっとの思いで取り出したライターを亜久津の掌の上に乗せる。コンビニだとか百均にでもある、どこにでも売ってる色のついたクリアのライターだった。
「物を交換するとか、付き合ってるみたいじゃない?」
「俺はお前みたいな奴とは付き合わねえよ」
「うわ、亜久津にふられるとか最悪」
勝手に言ってろ、そう言って亜久津が笑うものだから私もつられて笑った。じゃあな、亜久津は私に挨拶をした。うんまたね、私も亜久津に背を向けた。後ろ髪が引かれる思いには、ならない。
今度は歩いて歩道橋の下に戻る。太陽のせいで頭と背中が焦げそうだった。日陰の中にいる暇を持て余した友人達が戻ってきた私に、ねぇ。そう言って亜久津に聞こえないように小さめの声で訊いてきた。
「あの人の事好きなの? 」
「好きじゃないよ。昔からの知り合いなだけ」
「足か財布になる? 」
使えるかどうかの判断を煽ってきた友人に、ならない。私はあっさりと笑って亜久津の事を諦めさせた。ふーん、訊いてきた友人はすでに興味を失ったようで、適当な返事をし手元のスマホに目線を戻した。
優しくて、綺麗で、汚れていない。親友と呼べる彼女の姿はこの歩道橋の下にはない。彼女と私は、別の世界の住民なのだ。
「恋をした」。一人で机に顔を突っ伏していた私の元に来た彼女は、小さな声で教えてくれた。プールの授業を終えたばかりの休み時間、睡魔に負けそうになっていた私は突然の事に目を覚ました。マジで?私はすぐさま顔を上げて濡れたままの髪を整え、同じく髪を濡らした彼女の微笑む顔を見た。
「好きな奴が悪い男だったら大反対するからね」
「本当?私、見る目ないかもしれないから宜しくね」
くすくすと静かに笑う彼女は素直で可愛かった。こんな子に好かれる男はなんて幸運な男なんだろう。きっと彼女みたいに優しくて、温厚で、美しいと思える人間なんだろう。
同じ学校?、どこで出会ったの?、どんな人?心躍らせながら訊くと、彼女は頬と耳を赤く染めて恥ずかしがり教えなかった。私には出来ないような可愛らしい反応をしてみせたのを、親友の私は尊敬しつつもなんだか嬉しく思った。
彼女は頬を赤らめたまま、また色々相談させてね。教室に鳴り響いたチャイムの音と共に、自分の席へと戻っていった。先生が教室に入ってくる、クラスメイト達は教科書を準備する。日直の号令の掛け声に、私も嫌々立ちあがり頭を下げた。
私も彼女みたいに純粋に恋をした事があっただろうか。私は椅子に着席しながら、過去に遊んだ男の顔と名前を思い出していた。あの男の名前が思い出せない、あいつの事は好きだったっけ、あの人とはどんな別れ方をしたのか。そんな事をぼんやりと考えながら、私は机に身を伏せ再度襲ってきた眠気に身を任せた。
「友達がさぁ、恋しててすっごい可愛いんだよ」
今日も蝉は大きな声で鳴いている。夕方だというのに未だに照りつける太陽、コンクリートの熱気。私は夏のそれらにうんざりとしながら、帰り道に見かけた亜久津に声をかけた。彼はお前かよ、そういって少し嫌そうな顔をしたけれど、一緒に帰ろうと誘っても断りはしなかった。
「なんかもうキラキラしちゃってさ、女の子!って感じ」
「お前とは大違いじゃねえか」
「亜久津、マジで一言余計だよね」
そういうのがなければ良い奴なのにさぁ。私は口ずさみ、汗ばんだ体を鬱陶しく思いながら家へと向かっていた。亜久津は返事もしなければ反応もしなかった。暑いから対応するのを面倒に思ったのか、それとも私に興味がないのか。別に好かれなくてもいいけど。男はこうすれば喜ぶ。そう分かりきっていたつもりの私は何だか負けた気分になり、小さな溜息をついた。
「私も好きな人ができたらかわいくなれるかなぁ」
「お前はそのままでいい」
「マジ?じゃあ亜久津は私と付き合える?」
「くだらねえこと言うな」
「ほら、やっぱりおしとやかな子の方が好きなんでしょ」
「アホか、うるせえのがお前のいい所だろ」
「亜久津は好きな子いるの?」
「本当にうるせえな」
「えー、いるんだ」
私の事は好きじゃないの?笑いながら亜久津の背中を撫でるように軽く叩いた。男にこう言って甘えれば外れはない。そう考えてまたハッとさせられる。亜久津にこの考えは通用しないんだった。
私は亜久津の反応を見ようと顔を覗き込んだ。いつもは鬱陶しそうな顔をしたり、大袈裟に私をよけたり。けれど今日はそんな素振りをすることなく、彼の背中はただ私の手のひらを黙って受け止めていた。
「いたとしてもお前には教えねえ」
じゃあな。やはりあっさりと別れの挨拶を告げた亜久津。私もまたね、平然を装い挨拶をした。もう少し話したかったな、私は振り返り亜久津を見た。けれど亜久津は私の方に振り返ることはない。
なんで私には教えてくれないんだろう。私は亜久津の好きな人が知りたかった。私の事を好きになる素振りがないのも、何度話しかけても本気で取り合ってくれないのも。何故だか私は気にしていた。財布にも足にも彼氏にもならない、亜久津は一つも私の思い通りには動いてくれなかった。
そして私は一つの事実に気がついた。認めたくないけれど、きっとこれは。馬鹿らしくなって思わず笑いたくなった。
私は恐らく、亜久津に恋をしている。
海行こうよ。そう言いだしたのは私か彼女のどちらだっただろう。思い出せないくらいに楽しみにしていた日の前日は、年相応に胸が踊り満足に眠れなかった。
照らす太陽に負けじと私達ははしゃぎ、海に入ると海水の冷たさとしょっぱさに驚き、時折近づいてくるナンパを私が断った。少し疲れると決して綺麗とは言い難い海の家のような所でアイスを買い、日陰になっている場所に私達は腰を下ろした。
硬いコンクリートの上に散らばるジャリジャリとした砂が、太ももにまとわりついた。そしてふと、亜久津の事を思い出した。隣に座っている恋をする美しい彼女を横目で見る、私にはあまりにも眩しく見えて前を向いた。白い波は砂浜に何度も何度も打ち上がる。それに遊び騒ぐカップル、夏の日差しを浴びた恋をする親友、その親友とアイスを頬張るうっかり恋をしてしまった私。
「あのさ、私恋してるかもしれない」
私が波打ち際を見ながらぽつりと呟くと、彼女は驚いた様子で隣に座る私の顔を見た。私がこんなこと言うの変だよね?笑いながらごまかすと、彼女はそんなことないよ!目尻を下げて笑った。
「恥ずかしいから相手が誰とか言えないんだけどさ」
「私も、恥ずかしくて言えないよ」
「じゃあさ、お互い付き合えるまで好きな相手は内緒にしようよ」
付き合えたらすぐに紹介するから。美しい彼女は頷き、仲良しの私達はクスクスと笑い合い、いつのまにか溶けてきたアイスにきゃあきゃあと笑いながら騒いだ。
もし付き合えたら、付き合えなかったら。そんな女の子らしい恋の話をして、私達はもう二度と戻ってこない貴重な夏の時間を過ごした。日焼け止めを塗り忘れて肌が真っ赤になった部分を発見したり、砂まみれになった顔に騒いだり、私達は何度もくだらない事でお腹を抱えて笑った。
ナンパされた時にあっさりと断りをいれ無視できる私と、焦り立ちすくんでしまった彼女。そんな純情な彼女の恋を応援していきたい。純粋で、綺麗で、優しくて。こんな女の子と付き合える男はなんて幸せなんだろうと、私は親友の恋愛が上手くいくのを心から願った。
その日が来るのはあっという間だった。
付き合えたから紹介したい。朝登校してきた彼女が、机に伏して寝ようとしていた私にこっそりと呟いた。その言葉を聞いて襲いかかってきていた眠気は何処かへと飛んでいった。私は驚いて椅子から立ち上がり、謙虚に笑った彼女に抱きつき喜んだ。
よかったね、そう言って心から祝った。頷いた彼女はやはり綺麗で美しかった。今日の夕方はどう?クラスメイトに聞かれないようにか、私の耳元でこそこそと囁かれた言葉に私は首を縦に振った。
教室にチャイムが鳴り響いた。また後でね、私と彼女は目で笑い合いお互いに席に着く。
あー、どんな人なのかな。きっと彼女のように優しくて、美しいと思える人なんだろう。私は幸せそうな親友の姿を想像をした。早く夕方にならないかな。待ちきれない想いを馳せながら、私はまだまだ明るい空を教室の中から見上げた。
あれだけ長く感じた学校は久しぶりだった。私は教室の時計を見て時間が早く進むのを願い、彼女の幸せそうな姿が見れるのを望んだ。
そして待ち望んだ放課後。今日も蝉は大きな声で鳴いている。いい加減鳴き止めばいいのにね。そんな会話を彼女としながら、親友の恋人となった男と待ち合わせている駅に向かっていた。
胸が踊るとは、こういう気持ちの事を言うんだろう。平凡な学校で一人浮く私に、彼女は態度を変えずにずっと仲良くしてくれた。他人の目も気にせず、私と一緒にいる事で嫌われても構わない。そう言って本気で接してくれた彼女に尊敬すら抱き、今は何だか大事な親友を男にとられた気にまでなっている。
「いい人だといいなぁ、楽しみ」
「いい人だと思うよ。あ、でも…」
「え、なに?」
「煙草を吸うの。…あまりいい人じゃないかもね」
「私達と同い年なのに?悪い奴じゃん」
私は自分の事は棚に上げて眉をひそめた。私が喫煙する事に怒りも追及もしない彼女は、少し困った様に笑っていた。でもたかが煙草くらい、いやいや簡単なルールさえ守れない奴に彼女は勿体ない。頭の中で色々な意見が駆け巡った。いい人かなぁ。そう呟き変に考え始めた私に質問をしたのは、横を歩く彼女だった。
「そういえば、前持ってたライターってどこで買えるの?」
「私の?あんなのどこにでも売ってるよ」
「そうなんだ、彼も同じ物持ってたから」
少し前の事を思い出し、私は上の空で返事をした。私の前使ってたライター、亜久津にあげたんだよね。そんな今は関係のないことに、私は何だか嫌な予感みたいなものを感じている。
駅に近づいていくと私がいつもたまっている歩道橋が見えた。今日も歩道橋の下に集まる数人の友人を見て、彼女と別れた後はあそこに行こうとぼんやりと考えた。
そしてその時はやってきた。彼だ。そう呟くと彼女は、私から離れて足早に走って行った。向かった先は白い制服、銀色の髪、夏だというのに白い肌。彼は私を見て少し驚いた顔をしていた。彼女は私には見せない、恋をしたかわいい女の子の顔をしていた。私は今、どんな顔をしているだろう。
「あの、紹介するね。私の彼氏の亜久津君」
私の方に振り向いた彼女は幸せそうに笑っていた。いつもこそこそと私に教えてくれた、恋の話をする時と同じ顔だった。その向こうに立ちすくむ亜久津は、いつもと大差ないように思えた。
私は愛することさえできなかった。純粋な心なんて遥か昔に捨てたはずの私が、ある時突然恋に落ちた。今まで本気で恋をしてこなかった罰なのか、なんなのか。
純粋で、綺麗で、優しくて。こんな女の子と付き合える男はなんて幸せなんだろう。でもまさかそれが亜久津だなんて。きっと彼は彼女を大事にするだろうし、彼女も亜久津だけを見続けるだろう。
二人の顔が上手く見れなかった。苦笑いをして目を泳がせた後、私は言葉に詰まった。どうかしたの?笑顔が消え、心配そうに私に問いかけた彼女はやはり綺麗で優しかった。なんでもない、私は震えそうな声を振り絞って笑ってみせた。
「きっといい人だよ」
私の言葉を聞いて嬉しそうに微笑む親友。その後ろには私が恋に落ちた人。暑さからか、失恋からか、あまりにも嬉しそうな彼女を見た嬉しさからか。私は軽い目眩を覚えた。
すると向こう側にある、歩道橋の下にたまる友人達が私に気づいて大きく名を呼びそこに招いた。何してんのー?そう言って笑う良くも悪くも楽観的な友人達に今は救われ、私は恋人同士となった彼らに、呼ばれたから行かなきゃ。また苦笑いしながら告げた。
不思議そうな顔をした親友と、いつもと変わらない顔をした亜久津。早くこの場から去ろうと後退りをすると、数日前に海で日焼けした肌が衣服に擦れてやけに痛く感じた。私は返事も聞かずに亜久津達に背を向け、小走りで歩道橋の下へと向かった。
喜ばなくちゃ、でも亜久津が、彼女は何も悪くない、だから亜久津は私に見向きもしなかったんだ。頭の中がごちゃごちゃとしていくたび、目頭が熱くなるのを私は必死に誤魔化していた。
歩道橋の下に着く頃には私の息はあがっていた。泣きそうなのが友人達にバレない様に、いつもと同じ顔で笑い挨拶をした。注意する大人や警官も恐れずに堂々と喫煙をする友人達に、親友の面影がない事を悟る。やっぱり私もこちら側の人間なのだろう。
「てかさ、さっき一緒にいた人。いつもよく喋ってた人だよね?」
「…うん、私の友達と付き合ってんの」
「そりゃあ、あの人は足にも財布にもならないよね」
この前、亜久津の事を足か財布になるか訊いてきた友人は、遠くに見える亜久津をぼんやりと見ていた。私は何も気にしていないフリをし、自身の鞄の中から煙草のパッケージを取り出した。本当は今吸いたくもなんともない、頭の中は幸せそうな親友と亜久津の顔でいっぱいだった。
「なんでそう思うの?」
「だって、あの二人お似合いじゃん」
他の女にはなびかないよ。
何気なく呟かれた友人の言葉は、私の胸を突き刺していった。指が震えてうまく煙草が取り出せない。私は友人達に変なのと笑われながらやっとの思いで煙草を取り出し、咥えて火をつけようとした。折り曲げたスカートのポケットから出てきたライターは、前に交換した亜久津のだった。
私は耐えきれなくなり咥えた煙草とライターを手にとって泣き出した。それを見て慌てだした友人達が私を慰め、どうしたの?泣いた訳を聞き出そうとする。でも言えない。何故だか惨めに思えて恥ずかしかった。
太陽は夕方だというのに眩しく、蝉はいつもと同じく大きな声で鳴いていた。太陽の届かない歩道橋の下から聞こえる私の泣き声は、夏のそれらに遮られた。
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