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★星に願いを

(悲恋、よろしくない関係、夢主も亜久津も悪い奴、性描写あり、全体的に暗い)


煙草の匂いがする薄暗い部屋、見慣れない天井、二人分のシワが広がったベッドのシーツ。お互い興味のない、距離をはかるためだけのたわいのない会話にもそろそろ飽きてきた。
互いに触れ合いたいのにきっかけが掴めず時間だけが過ぎていく。私達今からセックスするんです、そんな感じの独特の雰囲気。
口数が減った、もう交わす会話は何もない。隣に座る仁とぱちり、遠慮がちに目が合った。なんだよ。彼はそう言って笑い、隣に座る私の肩にそっと触れた。
高鳴る心臓、ほんの少し汗ばむ身体。肩に触れただけの仁の手は、そのまま顎へ、頬へ。私の緊張と期待を煽るようにそっと撫であげていく。
このまま仁に抱かれてもいいのだろうか。そう葛藤しているのには、一つだけ気にしている事があったから。

「仁さ、彼女いたよね」

私の髪と頬を撫であげた、仁の手の動きが一瞬止まった。でもそれも一瞬だけ。
何事もなかったかの様に、暗闇の中で私に視線を落とした彼は、返事もせずに私の顎を持ちあげて唇を落とした。
いいのかな。迷いながらも勢いのまま仁と舌を絡めた私は、背徳感を感じながら仁の広い背中に腕を回した。




仁の彼女は容姿の整った綺麗な女の子だった。
いつでも艶のある髪に優しい笑顔。輝くような大きな目に高い鼻。どこから見ても非の打ち所がないような彼女に、私は嫉妬すら出来ずに憧れに近い感情を抱いていた。大学の中で、そんな彼女が仁と一緒にいるのを度々見かけている。
仲睦まじく二人で歩く姿は絵になるようなものだった。いつも二人で仲良く会話をして、笑いあって、軽くちょっかいを掛け合うようなどこにでもいる仲のいい恋人同士だった。
だから仁が私を家に誘った時、私はひどく驚いた。誘い文句の奥に秘めた意思、いつも見ている彼の知らない部分、ただの好奇心。私は彼女がいることを知っていながらも、仁の魅力に負けて誘いに乗った。罪悪感だとか背徳感、ほんの少しの見知らぬ期待を抱えながら。

仁が彼女といる時、ちらりとこちらを見た仁と一瞬目が合った事がある。けれどすぐに目をそらして隣の彼女と会話を続けた仁を見て、私はこの前の出来事は何かの間違いだったのだと思うようにした。
それでも確かに、あの日仁は私を抱いたのだ。髪を優しく撫で、首筋に舌を這わせ、言葉や態度で身体と反応を褒めながら私の上で顔を歪めて。あの日のことを、私はどうすればいいのか未だに戸惑っている。



今日の夜空いてる。私が学内のコンビニでインク切れしたボールペンを買おうとしていると、背後から寄ってきた仁は小さく呟いた。驚いた、彼がわざわざ校内で私に話しかけるなんて。なんとなく周りを見渡してみる、仁と私の知り合いがいないか確認するために。

「…彼女は」

「今日は会わねえ」

仁は手持ち無沙汰なのか、棚に綺麗にならんだ赤や黒のボールペンを手にとり見ていた。私が購入しようとしていた赤のボールペンを、仁の手から少しだけ力を入れて奪い取った。
指が触れる。この指が、この大きな手があの日私を求めて抱いたのだ。優しくも、荒々しくも。発情した動物みたいな考えしか頭に浮かばない自分が嫌になる。

「彼女が可哀想だよ、私なんかと浮気したら」

仁の返事を聞かずに私はレジへと向かった。けれど後ろから仁もついてくる。この男は周りの人に、今の会話が聞かれたかどうか不安にならないのだろうか。
仁は私と同じレジに並んで、レジ横の揚げ物が並んだホットショーケースを見て「お前なんか食う?」、私に平然と訊いた。
いらない。わざと冷たく答えてボールペンをレジに差し出した。私の横で店員に唐揚げを注文した仁に、お一つですね。そう言って店員は私を一瞬見た。貴女は食べないんだよね?、そうやって確認するように。

「いつも彼女にそうやって訊くんだ」

「嫉妬すんじゃねえ」

なんで嫉妬なんかしなくちゃいけないの。
不機嫌になった私の態度に薄く笑った仁は、財布から千円を出して会計をした。奢られてたまるか、私はボールペンの値段よりも少し高い二百円を、いらねえよと言う仁の財布に無理やり押し込んだ。
仁は店員からおつりを受け取り財布にしまい、唐揚げとテープの貼られたボールペンを持ち先にコンビニを出た。ちょっと待ってよ、私は仁が握ったボールペンを貰おうと、レジから離れて彼に向かって手を伸ばした。

「これ欲しかったら今日取りに来い」

「じゃあいらない。もう一回買う」

「強がんなよ」

またよくしてやるから。
仁は意味深な言葉で誤魔化して、私の伸ばした手を無視して一瞬だけ腰に触れた。過剰に避けた私を仁は鼻で笑い、待ってる。それだけ告げて校内へと去って行った。
悪い事だと理解している。けれど仁の触れた腰だけがひどく熱く、痺れたかのようになっている。気だるく去って行く仁の後ろ姿、キスをする時に合わない高い背、抱き合って繋がった時に頭を預けた広い肩、あの日私を優しく抱きしめた腕。
二百円もしないボールペンを口実にして、きっと私は仁の言う通りまた家に行くだろう。本当はまた仁と繋がりたいのを、正直に言えずにいる。
彼から教えてもらった甘く痺れた欲は、世間体とか、罪悪感も、良心さえも蝕んでいく。私は色んなものを無視をして悪い行いをし、結局自分自身を苦しめているんだろう。自分が快感を得るためだけに。




好きだとか愛してるとか、恋人にかけるような甘い言葉は別に求めていない。
こういう関係の相手が口にするのは、どうせ表面だけの薄っぺらい言葉なんだと私はきちんと理解したつもりでいる。だから私は割り切って今日仁の家に来た。新品の赤のボールペンは、私の鞄の中に入っている。

「何考えてんだよ」

別に何も。わざと冷たく返事をすると、私に覆いかぶさる仁が低い声で笑った。探りをいれるように腰を深く落とした仁に、私はくぐもった声をあげた。その反応に仁は楽しそうに笑い、私はひどく恥ずかしくなる。

「彼女と私、どっちが気持ちいい?」

「くだらねえ事考えんなよ。お前だよお前」

「なんで気持ちいいのか教えてあげる」

「あ?」

「セフレの方が気を使わずに好き勝手動けるからだよ」

「ガタガタ理屈ぬかすな」

彼は本当に面倒くさそうに言い舌打ちをしてから、私の上で大きく腰を揺らした。
あの問いの答えは本心なのか、面倒だから私だと答えたのか、この場を盛り上げる為にそう答えたのか。聞く勇気すらない。嘘でもいいからと、彼女よりも私を選んだ事に喜んでいる自分がひどく嫌な人間だと思った。
繋がっている今、仁に好きだと告げたらどうなるのだろうか。きっと仁は適当にごまかして笑うか、聞こえなかった振りをするか、私を面倒に思いこの関係さえも打ち切るだろう。
別に彼女から仁をとるつもりはない。仲違いさせたいわけでも、仁と付き合いたいわけでもない。この適当な関係を続けるのが簡単であり楽しく、やはり悪い行いは良い行いよりもより多くの快感を得るのだ。
仁には彼女がいて、私は彼女がいるのを知りながら体の関係を持っている。勿論、この甘い蜜をいつまでも吸い続ける事が出来るとは思っていない。
いつかきっと私と仁には天罰が下るだろう。そのいつかがくるまで、私は仁の事が好きだと、繋がっていたいと思い続けるだろうか。痛いめに合わないと、この甘い誘惑からは抜け出せないような気がする。
あの綺麗な彼女に罪悪感を覚えながら、私は仁の熱くて広い背中に腕を回して爪痕を残す。




「クリスマスは彼女と会うの?」

身体に怠さを残したまま、ベッドから離れて煙草を吸う仁に訊いた。
多分。そう無愛想に呟いた彼は下ろした前髪をかきあげて、未だ起き上がることのできない私を見た。なんか飲むか、しゃがんで小さな冷蔵庫の扉を開けた仁の問いに、私は静かに頭を横に振る。

「どっか痛えのか」

「痛くないよ、疲れただけ」

まだ頭もぼぅっとしている。服も着ずに寝転がって呼吸を整えていると、このまま眠ってしまいそうになる程の疲労感。
何も出来ずに天井を見ていると仁は机の上の灰皿で煙草を消し、ベッドに腰をかけてボサボサになった私の髪を撫でた。顔を見られたくなくて仁に背を向けるように寝返りを打った私を、仁は寝転がり背後から腕で引き寄せて脚を絡めた。

「今度、24日じゃなくて23日な」

私にこうやって優しくする時。平然と彼女を思い出すような事を言う仁に、私は何も言えずに静かに頷いた。24日のイブはきっと彼女と会うんだろう。そして彼女とそのままクリスマスを迎える。
仁と私は恋人ではない。仁が好きだと、彼女の所へ行かないでと。そんな事を私は求めていい立場ではないと、理解しているから何も言えない。

「拗ねんなよ」

「拗ねるわけないじゃん」

クリスマスくらい彼女と遊ばないと怒られるよ。わざと明るく返答をした私を、彼は少し力をいれて抱きしめながら「悪い」。仁は謝罪をした。
本心なのか表面上だけの謝罪なのか、私ははっきりと理解していた。この謝罪も、私を優しく抱きしめてくれる腕も、彼女を羨ましいと思い嫉妬する感情も。何もなかったことにした。そうすれば、お互いに都合のいい関係のままだったから。





仁と約束をしていた23日の朝。大学で友達と一緒にいる時、反対側から仲睦まじく歩いてくる仁と彼女とすれ違った。
過剰に反応してはいけないと、私は彼らに目線がいかないように前を向いて歩いた。あと十歩、あと四歩、あと一歩。すれ違う数秒前、仁が私をちらりと見る。けれどまたすぐに目線を戻し、何事も無かったかのように隣にいる彼女と会話を続けた。
すれ違う時、明日楽しみだね。あの綺麗な彼女が可愛らしい声で、それはそれは嬉しそうに仁に話しかけていた。仁も満更ではないように笑って返事をしたのを、私は聞かないつもりだったのに聞いてしまった。
「今夜、私は彼に抱かれるんです」
振り返って幸せそうに歩く二人にそう叫んだらどうなるのかなと、私は色んな感情に心臓を締め付けられながら歩いた。
どうしたの?なんかあった?隣で歩く友達の問いに私は何でもないよと、わざと大きく笑ってごまかした。





「お前、動揺しすぎ」

仁は多分、今日学校ですれ違った時の事を言っているのだろう。だって。反論しようとすると手のひらで口を塞がれた。硬い指の腹が私の唇に触れる、大好きな仁の指が。

「あんなに俺の事意識するほど好きなのかよ」

手のひらをそっと口元から退かす。そのまま顎を伝って首へと、何本かの指でなぞっていった仁に私は否定をした。

「好きじゃない、嫌い」

仁は私の発した酷い言葉を聞いても平然と笑い、手を脚の方へと下げていくのをやめない。
私だったら、仁に冗談でも好きじゃないと言われたら物凄く傷ついて、立ち直れなくなるのに。仁は動じない。私に対して本気じゃないから。

「じゃあ、嫌いな奴に抱かれて喜んでるのかよ」

変な奴だなお前。
耳元で囁いて、耳朶を甘く噛む仁に身体がじわじわと熱く反応していく。仁が私の空いた手に指を絡める、いつもは人前で絶対に繋がない手を。
ここで私が気持ちいいと反応しなければ、絡まれた指を握り返さなければ、本当に仁の事が嫌いだったなら。私は今ここでやめてと、伝えることができたのに。






「明日、彼女とどこ行くの?」

「星を見に行く」

「こんな寒いのに?仁、星とか興味あるんだ」

「ねえよ、あいつが見たいらしい」

「彼女ロマンチックだね」

「星に願掛けすると叶うんだとよ」

「それさ、客寄せの為の嘘だよね」

「だろうな」

明日出ていく時、部屋の暖房消していけよ。
上半身だけ裸の仁は、ベッドの横の机に置いた煙草を一本手に取り火をつけた。
私は未だ裸のまま肩まで布団を被り、怠い身体と呼吸を整えながらただ天井を見ていた。明日は朝から、仁は彼女の願いを叶えるために出かけるのだ。私とは出かけない。出かけることすらできない。

「彼女の願い叶えるなんて、サンタさんみたいだね」

「バカ言え」

そんなもんなってたまるかよ。
仁は小さく笑って煙草の隣に置いてあった携帯に手を伸ばした。きっと彼女に連絡をしている。
仁の右手には携帯、左手には煙草。何も持つものがない空いている私の両手。こういう何気ない時に手を繋ぐことすらできない。それ以上のことは散々しているのに。

ふと、仁の向こう側にある机の上を見る。上品な赤の包装紙、緑と金の色をした華やかなリボン。これはクリスマスプレゼントです!、そう主張するように綺麗にラッピングされた小さな箱が置いてある。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ期待していた。私が仁の部屋に入った時、あのプレゼントが目に入った。もしかしたら、あの仁が私に。一瞬だけ胸が高鳴った。けれどそれを見た仁があっさりと、「それ明日持ってくから触んなよ」。そう言われた瞬間に、私は分かったと笑うしかなかった。悪い、また謝り私の頭を撫でた仁に、私は少しでも期待した自分が滑稽に思えた。
それをこんな行為の後に思い出して、私は勝手に落ち込んでいる。それを察したのか、仁は煙草を灰皿に入れて私の身体を仁の方に向けた。

「お前なんか欲しいもんあるのか」

やれるもんなら買ってやるから。
仁は私が拗ねているのだと思ったのだろうか、機嫌取りに近い事を言った。
ここで仁が私に対して冷たく接したり、私の事を嫌いだとか飽きたとか突き放してくれたなら。私はあっさり仁の事を嫌いになれて、簡単に新しい恋へと進めるのに。
こういう、まれにしかない彼の優しくも甘い毒が、私の身体をどんどん蝕んでいくんだろう。

「…仁が欲しい」

私は天井を見たままぽつりと呟いた。仁は黙ったまま薄く笑って、携帯をベッドに円を描くように放り投げた。そのままいつものように私を腕で引き寄せ、太もも辺りを撫でた。優しく、いやらしく、ゆっくりと。まるで都合の悪い事をごまかすように、私に忘れさせるように優しく。
そんな彼に私はまた何も言えなくなった。真剣に対応しない仁を見て、私は言ってはいけない事を言ってしまったんだと気がついた。
もしかしたら仁は彼女じゃなくて、私を選んでくれるかもしれないと、淡くもあり甘すぎる幻想を抱いてしまった。求めてはいけなかったのだ、だって仁には彼女がいる。私は仁の1番には、彼女にはなれない。
やっぱり嘘、小さく呟いて身体を撫でる仁の手を取り指を絡めた。仁は黙って手を握り返し、そのまま私を抱きしめた。

「もう寝ろ、俺も寝る」

仁の筋肉のついた腕を退かして自身の身体を起こした。ベッドの足元に置かれた、数十分前に脱がされたままの服と下着を手に取った。そのまま静かに下着をつけ始めた私の腕を、仁は手で引き寄せた。

「悪い」

私が欲しているのは甘い誘惑でも謝罪でもない。欲しい言葉は仁の口から、一度も聞いたことがない。
彼女には言うんだろうか。些細な時に、遊んでいる時に、二人で愛し合う時に、今こうやって寝る前に。
私はまた仁に何も言えない。そのままされるがままにベッドに倒れて、服を整えて目を瞑った。




目が覚めると隣に仁はいなかった。二人で眠るには小さくてきつかったシングルベッドがやけに広いことに、私はまた一人滑稽に浸る。
そういえば朝から彼女と出かけると、昨日仁が言っていたのを寝ぼけながらも思い出す。ベッドの枕元に置いた携帯を探し手に取り、ボタンを押すと12月24日。ホーム画面に大きく映し出された今日の日付を表す数字と漢字。

「あぁ最悪、今日イブじゃん」

携帯を再度ベッドに放り投げて、天井を見ながらなげやりに呟いた。返事はもちろんない。私一人だけの部屋。
寝癖だらけのボサボサの髪を、手櫛で適当にといだ。いつもだったら前髪や横髪をまず直して、そのあと横にいる仁におはようと挨拶をする。けど今日はその必要はない。だって一人だから、髪なんてどうでもいい。
またふと、ベッドの横の机に目をやる。昨日まで置いてあったあのクリスマスプレゼントは、仁と一緒に姿を消した。
好きだとか愛してるだとか。恋人にかけるような甘い言葉は、求めてはいけないと理解しているつもりでいた。本当は嘘でもいいから、一度でいいから。仁の口から好きだと聞きたかった。でも彼は言うそぶりすらしなかった。それが全てを物語っている。
私が仁からもらったのは赤のボールペンと寂しさと身体だけ。表面だけの薄っぺらい偽物の愛すら貰えず、彼は今日本当に好きな彼女に本物の愛を伝えに行くのだろう。
暖房消していけよ、昨日眠る前に仁がそう言っていたのを思い出す。
仁がいない仁の部屋で、ひとりぼっちの私はベッドから立ち上がりカーテンを少し開けて窓から外を見た。
仁の家の近くに立ち並ぶお店のイルミネーションは輝いていた。二人で仲良く手を繋いで歩く、幸せそうな恋人達を照らして。ひとりぼっちの私を照らすのは、仁と彼女が今夜見に行く星だろう。
サンタさん、もしいるのなら。子どもでもないし、いい子でもないけれど願いが叶うなら。どうか、今日仁があの綺麗な彼女と喧嘩しますように。この浮気がばれますように。そして仁が、私の事を本気で好いてくれますように。
私は一人静かに、まだ姿さえ見えない星に願いをかけた。
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