雨音
(ほんの少しだけ下ネタがありますので、苦手な方ご注意下さい)
「午後から強い雨が降るでしょう」
朝、ニュースの天気予報のコーナー。天気予報士がテレビの向こう側で傘マークを指差し微笑んでいた。その言葉通り学校から帰宅する今。夕方を迎えた空からは大粒の雨が降っている。
天気予報なんてどうせ当たらないでしょ!揚々と傘も持たずに家を出た私は、どこまでも続く黒い雲と遠くに落ちた雷を見上げてため息をついた。
大体急に降る雨が悪いのだ。傘を持ってこなかった私が悪いんじゃない。私は自分勝手な責任転嫁をしながら雨でひどく濡れてしまった全身と、水を吸い重たくなった鞄を気持ち悪く思っている。
トタン屋根の寂れたバス停は所々塗装が剥がれて錆びている。屋根に落ちる雨粒は未だに激しく音を奏でていて、ぽたぽたと雨漏りしている所もあった。
寂れたボロいバス停なのだから勿論ベンチも寂れている。これもまた塗装が剥がれているどころか、木が所々腐っているような物だった。でも座る所がそこしかないのだから私は憂鬱になりながらもそれに腰かけた。ギシリ、木のベンチが音を立てて軋む。
水をたっぷり含んだ靴下の感覚が不快だった。少しでも足を動かすと靴の中に水が溢れて、もうとっくに歩く気も失せてしまった。
このままバスに乗って帰宅しようかと時刻表を見たのだけれど、残念な事に私が雨宿りする少し前に出発してしまったらしい。次のバスが来るのは20分後。土砂降りがやむのはまだ未定。私はベンチの背もたれに体重をかけて深く座った。
私はぼーっとしながらバス停前の道を見ていた。
かっぱを着て自転車を漕ぐサラリーマン、私と同じく傘を忘れたのか濡れながら走っていく男子高校生、いかにもどこかで盗んできたようなボロボロのビニール傘をさす山吹生。
私はそのビニール傘の下の見慣れた銀髪を見て、水浸しになった重い鞄をベンチの上から取り肩に背負った。勢いよく立ち上がるとベンチは再度ギシリと音を立てた。
走ると地面から水しぶきが上がり、靴下が更に濡れていく。私は急いでボロボロのビニール傘に向かって走った。土砂降りの痛いくらいの強い雨を直に受けている私は、寂れたバス停のトタン屋根でさえ有難い存在だったのだと認識する。
ばしゃばしゃと私の足音が聞こえたのか彼は後ろを向き、私の顔を見て眉間にしわを寄せて怪訝な顔をした。
「亜久津、傘入れてよ」
彼の制服の裾を掴み、前髪と呼吸を整えた私を彼は呆れて見ていた。
「この傘さ、どこで盗んできたの?」
「ふざけた事言うなら濡れて帰れ」
「嘘だって、ねぇ傘入れてよー」
傘をずらして私を雨にさらそうとした亜久津の手首を、無理やり私の方へと引き寄せた。透明のビニール傘の上に落ちた水滴が、振動で揺れて端へと滴っていく。
触んな濡れる、亜久津は少し力を入れて私の手を振り払った。傘を持つ手が揺れた。水滴が傘からぽたぽたと落ちて、それが私の肩を少し濡らした。
「亜久津のせいでちょっと濡れた」
「お前が来たせいで俺はもっと濡れてんだよ」
背伸びをし覗き込んで確認すると、確かに亜久津の肩は雨に打たれた私と同じくらい濡れていた。亜久津は私が濡れない為に傘を寄せてくれていたんだと気づき、お礼を言うと亜久津は黙って舌打ちをした。
「私が傘持とうか」
「馬鹿言うな」
お前ずっと腕伸ばしたまま傘さすのか。
馬鹿にするように隣で笑う亜久津に、うるさいな。私は笑って濡れたアスファルトの地面を蹴った。
ポツポツと傘に当たる雨音、地面を蹴ると鳴る水音。
隣同士で歩く恋人でもなんでもない私達には会話なんてなくて、ただひたすら歩き続けた。
それでも気まずくならないのは何故だか私が亜久津と仲が良いからだし、この距離感が好きだから。
でも何か会話が欲しい。だって私の家まであと10分は軽くかかるし、極悪非道だと言われている亜久津だって人間なのだから暇を持て余すだろう。だから私は脈略もない質問を、突然亜久津にぶつけた。
「そういえばさ、亜久津前に好きな子がいるって言ってたじゃん」
「あ?言ってねえよ」
亜久津が眉を曲げた。あ、今なんでそんな話するんだって顔してる。だって会話なんてないし、亜久津から話題なんて出さないだろう。
だから私は再度、口を開いた。
「言ってたよ、嫌いじゃない奴はいるって。この前、教室で千石と話してるの聞こえてた」
4日前くらいに確かに聞いた。あれは三時限目が始まる前の、短い休み時間の時。
千石が好きな女の子がどうだの、付き合いたい子が何だとか。机で寝ていた亜久津にだらだらと絡んでいたのを、私は教室内で友達数人と喋りながらも見ていた。
大きい声で一人で騒いでいた千石の声は、嫌々起きた亜久津と言葉を交わすにつれ段々と小さくなっていった。
こそこそ、ひそひそ。楽しそうに笑う千石と鬱陶しそうに対応する亜久津を、教室にいるクラスメイト達は気にしていなかった、私以外は。
亜久津は千石の内緒話より小さい声で「嫌いじゃねえ奴ならいる」。
めんどくさそうにそう呟いたのを、私は近くの壁にもたれながら密かに聞いていた。そのうちに千石の声は元通り大きくなり、亜久津がうるさいと千石の肩を軽く小突いたのを覚えている。
さっきから何見てるの?、友達にそう聞かれて急いで彼らから視線をそらしたのも、ついでに。
「勝手に聞いてんじゃねえ」
「ごめん、でも聞こえたから」
亜久津に好きな人がいるって、なんか意外だね。
勝手に感想を述べ、透明のビニール傘の中から空を見上げた。先ほどよりも落ち着いた雨にこれ以上濡れることはないと私は少し安堵した。
隣の亜久津からは返事はない、特に変わる事なく歩き続けている。
話題を間違えたかも。心の中で小さく呟いて、私は雨で濡れた手を振り払った。
家まであと五分。
仲良さげに会話をする同じ山吹の制服を着た女の子と男の子が、私達の後ろを歩いていた。
横並びだった二つの傘が私達の斜め後ろで一列になり、女の子がちらり。私達を一瞬見て、一列のまま追い抜かし再度私達の前で横並びに広がった。
その子たちは一人につき一本。亜久津のどこかで盗んできたようなボロボロのビニール傘とは違う、上等な傘をさしていた。
あの人が亜久津さんの彼女なんだね。女の子がこそこそと彼氏に耳打ちした喋り声が、雨音の中でも私達の耳にまで届いた。
亜久津さんと言うくらいなのだから、きっと彼女達は下級生なんだろう。あの山吹では有名な亜久津が女の子と相合傘をしている。それだけで山吹の生徒達は興味を持ち、誰が亜久津の隣を歩いているのか、どんな顔でどんな人間なのだろうときっと確認をしたがるだろう。
そんな一般的な山吹の生徒の彼女達は私達の歩く速度が遅かったのか、それともわざと足早に歩いているのか。私達との距離をどんどんと離していった。
「私、いつのまにか亜久津の彼女になったんだね」
くだらねえ。その言葉の通りに心底くだらなさそうに呟いた彼は深くため息をついた。
みんな亜久津が怖くて有名だから気になるんだよ、そう言って彼の背中を軽く何度か叩くと亜久津は肩と背中を捻り私の手を振り払った。
なんだよつまんない奴、私が呟き前を向いて歩き出すとそれを見た隣の亜久津は馬鹿にしたように笑った。
なに?、別に、今私の事馬鹿にしたでしょ、してねえよ。
「亜久津、むかつくー」
「だったら濡れて帰るんだな」
「そういう意地悪言うと、『嫌いじゃねえ奴』に嫌われるよ」
うるせえ。
薄く笑ってわざと傘をずらし、私を雨にさらした亜久津に対して私は悲鳴に近い声をあげて笑った。
傘に入れてもらおうと亜久津の手首を掴もうとした、けれど亜久津はわざと高く腕をあげている。手の届かない私は、水浸しの靴下も気にせずにつま先を伸ばして背伸びをし、亜久津の手首を掴もうとした。
でも無駄だった。なんとか掴んだ腕を下に降ろそうとしても亜久津はびくともせずに、相変わらず頭上から私を見て笑っていた。
もう降る雨は小雨だった、けれど濡れるものはやはり濡れる。髪と制服が少しずつ、先ほどひどく濡れたのにまた水を吸っていくのが分かった。
亜久津はようやく高くあげた腕を下げて傘の中に私を招き入れた。
「すっごい濡れた」
「いれてほしいって言え」
「傘にね、亜久津最低ー」
ケタケタと笑いながら濡れてしまった髪を整えると手に水滴がついた。亜久津は鼻を鳴らして笑い、再度傘を私の方に寄せた。
いつのまにか私の家に近づいてきていた。
もうこんなに歩いたのか。私はバス停で休憩していた時よりも重く感じる鞄を持ちながら、無言のまま亜久津と隣同士で歩いている。
すぐに私の家が見えた。なんだかんだ楽しかった、亜久津との仲良しこよしのこの二人旅はもう終わるのだ。朝の天気予報を信じなかった私に、今は少し感謝している。
「ありがとう、もうここで大丈夫」
私のお礼の返事もせずに亜久津は私の家の前で足を止めた。
本当に助かったよ、また明日学校でね。傘の中で亜久津に小さく手を振った。彼は含み笑いをし濡れるなよ、傘を私の方に傾けて一言だけ呟いた。
もう雨は殆ど降っていなかった。このくらいの雨なんて余裕だ、そう思って傘から出ようとした時。亜久津は突然私の名前を呼んだ。
「なに?」
「さっき嫌いじゃねえ奴がいるって言っただろ」
また亜久津も私みたいな脈略のないことを突然言うのだ。なんなの急に、私は家に向けた体の向きを、亜久津の方に変えて笑う。
「お前いつ気づくんだよ」
「え、どういうこと?」
顔になんかついてる?、それともなんかイタズラされてる?
私は自分の腕や脚を見たり、顔を手のひらで触りどうかなっているのかと確認をした。
けれど何もなかった、ただ全身がひどく雨に濡れているだけだった。亜久津はそんな私を見て何してんだ、再度薄く笑って馬鹿にした。
「あれ、お前の話」
固まる私に、傘を傾けさしながらただ立ち続ける亜久津。雨に濡れて冷えたはずだった身体の体温が上がって、耳まで赤くなっていくのが自分でも分かった。
気がつくの遅えよ。目の前にいる、さっきまで普通に会話をしていた亜久津の顔が見れない。私が水浸しになったコンクリートの地面に視線を落とすと、頭上からは彼の小さな笑い声が聞こえた。
雨は静かにやんでいった。
雨音のしない傘の下は今、亜久津と私の声しか聞こえない。
「午後から強い雨が降るでしょう」
朝、ニュースの天気予報のコーナー。天気予報士がテレビの向こう側で傘マークを指差し微笑んでいた。その言葉通り学校から帰宅する今。夕方を迎えた空からは大粒の雨が降っている。
天気予報なんてどうせ当たらないでしょ!揚々と傘も持たずに家を出た私は、どこまでも続く黒い雲と遠くに落ちた雷を見上げてため息をついた。
大体急に降る雨が悪いのだ。傘を持ってこなかった私が悪いんじゃない。私は自分勝手な責任転嫁をしながら雨でひどく濡れてしまった全身と、水を吸い重たくなった鞄を気持ち悪く思っている。
トタン屋根の寂れたバス停は所々塗装が剥がれて錆びている。屋根に落ちる雨粒は未だに激しく音を奏でていて、ぽたぽたと雨漏りしている所もあった。
寂れたボロいバス停なのだから勿論ベンチも寂れている。これもまた塗装が剥がれているどころか、木が所々腐っているような物だった。でも座る所がそこしかないのだから私は憂鬱になりながらもそれに腰かけた。ギシリ、木のベンチが音を立てて軋む。
水をたっぷり含んだ靴下の感覚が不快だった。少しでも足を動かすと靴の中に水が溢れて、もうとっくに歩く気も失せてしまった。
このままバスに乗って帰宅しようかと時刻表を見たのだけれど、残念な事に私が雨宿りする少し前に出発してしまったらしい。次のバスが来るのは20分後。土砂降りがやむのはまだ未定。私はベンチの背もたれに体重をかけて深く座った。
私はぼーっとしながらバス停前の道を見ていた。
かっぱを着て自転車を漕ぐサラリーマン、私と同じく傘を忘れたのか濡れながら走っていく男子高校生、いかにもどこかで盗んできたようなボロボロのビニール傘をさす山吹生。
私はそのビニール傘の下の見慣れた銀髪を見て、水浸しになった重い鞄をベンチの上から取り肩に背負った。勢いよく立ち上がるとベンチは再度ギシリと音を立てた。
走ると地面から水しぶきが上がり、靴下が更に濡れていく。私は急いでボロボロのビニール傘に向かって走った。土砂降りの痛いくらいの強い雨を直に受けている私は、寂れたバス停のトタン屋根でさえ有難い存在だったのだと認識する。
ばしゃばしゃと私の足音が聞こえたのか彼は後ろを向き、私の顔を見て眉間にしわを寄せて怪訝な顔をした。
「亜久津、傘入れてよ」
彼の制服の裾を掴み、前髪と呼吸を整えた私を彼は呆れて見ていた。
「この傘さ、どこで盗んできたの?」
「ふざけた事言うなら濡れて帰れ」
「嘘だって、ねぇ傘入れてよー」
傘をずらして私を雨にさらそうとした亜久津の手首を、無理やり私の方へと引き寄せた。透明のビニール傘の上に落ちた水滴が、振動で揺れて端へと滴っていく。
触んな濡れる、亜久津は少し力を入れて私の手を振り払った。傘を持つ手が揺れた。水滴が傘からぽたぽたと落ちて、それが私の肩を少し濡らした。
「亜久津のせいでちょっと濡れた」
「お前が来たせいで俺はもっと濡れてんだよ」
背伸びをし覗き込んで確認すると、確かに亜久津の肩は雨に打たれた私と同じくらい濡れていた。亜久津は私が濡れない為に傘を寄せてくれていたんだと気づき、お礼を言うと亜久津は黙って舌打ちをした。
「私が傘持とうか」
「馬鹿言うな」
お前ずっと腕伸ばしたまま傘さすのか。
馬鹿にするように隣で笑う亜久津に、うるさいな。私は笑って濡れたアスファルトの地面を蹴った。
ポツポツと傘に当たる雨音、地面を蹴ると鳴る水音。
隣同士で歩く恋人でもなんでもない私達には会話なんてなくて、ただひたすら歩き続けた。
それでも気まずくならないのは何故だか私が亜久津と仲が良いからだし、この距離感が好きだから。
でも何か会話が欲しい。だって私の家まであと10分は軽くかかるし、極悪非道だと言われている亜久津だって人間なのだから暇を持て余すだろう。だから私は脈略もない質問を、突然亜久津にぶつけた。
「そういえばさ、亜久津前に好きな子がいるって言ってたじゃん」
「あ?言ってねえよ」
亜久津が眉を曲げた。あ、今なんでそんな話するんだって顔してる。だって会話なんてないし、亜久津から話題なんて出さないだろう。
だから私は再度、口を開いた。
「言ってたよ、嫌いじゃない奴はいるって。この前、教室で千石と話してるの聞こえてた」
4日前くらいに確かに聞いた。あれは三時限目が始まる前の、短い休み時間の時。
千石が好きな女の子がどうだの、付き合いたい子が何だとか。机で寝ていた亜久津にだらだらと絡んでいたのを、私は教室内で友達数人と喋りながらも見ていた。
大きい声で一人で騒いでいた千石の声は、嫌々起きた亜久津と言葉を交わすにつれ段々と小さくなっていった。
こそこそ、ひそひそ。楽しそうに笑う千石と鬱陶しそうに対応する亜久津を、教室にいるクラスメイト達は気にしていなかった、私以外は。
亜久津は千石の内緒話より小さい声で「嫌いじゃねえ奴ならいる」。
めんどくさそうにそう呟いたのを、私は近くの壁にもたれながら密かに聞いていた。そのうちに千石の声は元通り大きくなり、亜久津がうるさいと千石の肩を軽く小突いたのを覚えている。
さっきから何見てるの?、友達にそう聞かれて急いで彼らから視線をそらしたのも、ついでに。
「勝手に聞いてんじゃねえ」
「ごめん、でも聞こえたから」
亜久津に好きな人がいるって、なんか意外だね。
勝手に感想を述べ、透明のビニール傘の中から空を見上げた。先ほどよりも落ち着いた雨にこれ以上濡れることはないと私は少し安堵した。
隣の亜久津からは返事はない、特に変わる事なく歩き続けている。
話題を間違えたかも。心の中で小さく呟いて、私は雨で濡れた手を振り払った。
家まであと五分。
仲良さげに会話をする同じ山吹の制服を着た女の子と男の子が、私達の後ろを歩いていた。
横並びだった二つの傘が私達の斜め後ろで一列になり、女の子がちらり。私達を一瞬見て、一列のまま追い抜かし再度私達の前で横並びに広がった。
その子たちは一人につき一本。亜久津のどこかで盗んできたようなボロボロのビニール傘とは違う、上等な傘をさしていた。
あの人が亜久津さんの彼女なんだね。女の子がこそこそと彼氏に耳打ちした喋り声が、雨音の中でも私達の耳にまで届いた。
亜久津さんと言うくらいなのだから、きっと彼女達は下級生なんだろう。あの山吹では有名な亜久津が女の子と相合傘をしている。それだけで山吹の生徒達は興味を持ち、誰が亜久津の隣を歩いているのか、どんな顔でどんな人間なのだろうときっと確認をしたがるだろう。
そんな一般的な山吹の生徒の彼女達は私達の歩く速度が遅かったのか、それともわざと足早に歩いているのか。私達との距離をどんどんと離していった。
「私、いつのまにか亜久津の彼女になったんだね」
くだらねえ。その言葉の通りに心底くだらなさそうに呟いた彼は深くため息をついた。
みんな亜久津が怖くて有名だから気になるんだよ、そう言って彼の背中を軽く何度か叩くと亜久津は肩と背中を捻り私の手を振り払った。
なんだよつまんない奴、私が呟き前を向いて歩き出すとそれを見た隣の亜久津は馬鹿にしたように笑った。
なに?、別に、今私の事馬鹿にしたでしょ、してねえよ。
「亜久津、むかつくー」
「だったら濡れて帰るんだな」
「そういう意地悪言うと、『嫌いじゃねえ奴』に嫌われるよ」
うるせえ。
薄く笑ってわざと傘をずらし、私を雨にさらした亜久津に対して私は悲鳴に近い声をあげて笑った。
傘に入れてもらおうと亜久津の手首を掴もうとした、けれど亜久津はわざと高く腕をあげている。手の届かない私は、水浸しの靴下も気にせずにつま先を伸ばして背伸びをし、亜久津の手首を掴もうとした。
でも無駄だった。なんとか掴んだ腕を下に降ろそうとしても亜久津はびくともせずに、相変わらず頭上から私を見て笑っていた。
もう降る雨は小雨だった、けれど濡れるものはやはり濡れる。髪と制服が少しずつ、先ほどひどく濡れたのにまた水を吸っていくのが分かった。
亜久津はようやく高くあげた腕を下げて傘の中に私を招き入れた。
「すっごい濡れた」
「いれてほしいって言え」
「傘にね、亜久津最低ー」
ケタケタと笑いながら濡れてしまった髪を整えると手に水滴がついた。亜久津は鼻を鳴らして笑い、再度傘を私の方に寄せた。
いつのまにか私の家に近づいてきていた。
もうこんなに歩いたのか。私はバス停で休憩していた時よりも重く感じる鞄を持ちながら、無言のまま亜久津と隣同士で歩いている。
すぐに私の家が見えた。なんだかんだ楽しかった、亜久津との仲良しこよしのこの二人旅はもう終わるのだ。朝の天気予報を信じなかった私に、今は少し感謝している。
「ありがとう、もうここで大丈夫」
私のお礼の返事もせずに亜久津は私の家の前で足を止めた。
本当に助かったよ、また明日学校でね。傘の中で亜久津に小さく手を振った。彼は含み笑いをし濡れるなよ、傘を私の方に傾けて一言だけ呟いた。
もう雨は殆ど降っていなかった。このくらいの雨なんて余裕だ、そう思って傘から出ようとした時。亜久津は突然私の名前を呼んだ。
「なに?」
「さっき嫌いじゃねえ奴がいるって言っただろ」
また亜久津も私みたいな脈略のないことを突然言うのだ。なんなの急に、私は家に向けた体の向きを、亜久津の方に変えて笑う。
「お前いつ気づくんだよ」
「え、どういうこと?」
顔になんかついてる?、それともなんかイタズラされてる?
私は自分の腕や脚を見たり、顔を手のひらで触りどうかなっているのかと確認をした。
けれど何もなかった、ただ全身がひどく雨に濡れているだけだった。亜久津はそんな私を見て何してんだ、再度薄く笑って馬鹿にした。
「あれ、お前の話」
固まる私に、傘を傾けさしながらただ立ち続ける亜久津。雨に濡れて冷えたはずだった身体の体温が上がって、耳まで赤くなっていくのが自分でも分かった。
気がつくの遅えよ。目の前にいる、さっきまで普通に会話をしていた亜久津の顔が見れない。私が水浸しになったコンクリートの地面に視線を落とすと、頭上からは彼の小さな笑い声が聞こえた。
雨は静かにやんでいった。
雨音のしない傘の下は今、亜久津と私の声しか聞こえない。
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