このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

特等席

金曜日の放課後を迎えた教室は賑わっていた。
机の上に置かれた鞄を持って席を立ち、少し離れた席の友達の元へと向かう。今日の放課後は何をして遊ぼうかと話しながら教室を出ようとした時、担任の先生が私の名を呼んだ。
何だろう、呼び出される様な事をした心当たりはない。ちょっと待ってねと友達に告げて先生の元へ行くと、安っぽい印刷が施された紙を渡された。
これ月曜からだから遅れないように。内容を詳しく説明することもなく、先生はあっさりと私の前から去っていった。
何の紙?一緒に帰宅する友達が私の元に駆け寄って来て、何だろうと二人で手元のプリントの文字を見た。
「補習のお知らせ」。そう大きく書かれていたプリントを見た私は、思わず小さな悲鳴をあげた。




「ねぇ聞いた?今日からの補習、学年で二人だけらしいよ」

お弁当の時間に友達が笑いながら頑張れと応援してくれた。彼女は気楽だ、補習を受けなくてもいいんだから。私はこの土日、補習の事で頭がいっぱいで全く楽しむことが出来なかった。
たしかにこの前の私のテストの順位はあまり良くなかった。苦手な数学で学年順位をかなり落とした上に、提出物の期限を忘れて提出し忘れるという失態まで起こした。
たしかに私が悪い、悪いのだけど。まさか学年で二人だけしかいない補習に呼ばれるとは思いもしなかった。しかも期間はたっぷり五日間もある、時間はたったの一日一時間だけど。毎日密かに楽しみにしていた、夕方のドラマの再放送が見れないことが確定して落ち込んだ。
学年で二人だけの補習なんて、相手も私と同じくらいの学力なのか、課題を提出し忘れた子なんだろう。相手が女の子だったら気が合って友達になれるかも。
憂鬱な気持ちを少しでも晴らすために、明るい妄想をしながら私は補習の教室に向かう。補習中、と書かれた紙が貼ってある教室の扉を開けた。仲良くなれそうな女の子がいますように。


扉を開けた私は驚いて固まってしまった。絶対に仲良くなれない。絶対に!!!どうしよう。窓際の席に着席しているのは、よく廊下で見かける背の高い銀髪の何とか君。あの人隣のクラスのヤンキーだ、名前は忘れてしまったけど。椅子にもたれかかる彼は扉を開けたまま立ち止まる私を見て、鬱陶しそうな顔をしてすぐに窓の外に顔を向いた。
二人だけってまさかこの人と二人きりって事?本当に?こんな怖い人と?
一日一時間だけとはいえ大変な事になってしまったと、ショックを受けた私はいまだに扉の前で棒立ちしている。

「何してんだ、早く席について」

突然後ろから聞こえた先生の声に私は驚き、すいませんと一言謝りながら急いで教室に入った。彼と少しでも離れて座りたい。その一心で、窓側とは正反対の廊下側の後ろの席に着いた。先生は教卓に教科書だとかプリント類を置き、窓際の席の彼に声をかけた。

「亜久津が一番乗りなんて意外だったな」

そうだ、彼の名前は亜久津だ。誰かの会話で聞いた事がある、気がする。
先生がそう言って彼に笑いかけたのに、彼は舌打ちをして無視をした。怖い、怖すぎる。何で今舌打ちしたの?
先生はそんな亜久津君を叱る様子もなく無視をして、二人ともそんな後ろに座らなくてもいいぞ。そう言って笑った。先生のその言葉に対して私は、かなり顔を引きつらせた愛想笑いをした。



やっと1日目の補習が終わった。早く地獄の一時間が終わりますように…と祈り続けたけれど、時計の針の進みはいつもより遅かった気がする。
先生から発せられるxとyだとか、公式を当てはめて答えを出せ、などの謎の言葉は何となく理解できた。本当に何となくだけど。
私はよく分からない補習の問題よりも、離れた席に座る怖い亜久津君が気になって仕方がなかった。彼も私と同じでやる気などないのだろう。ぼーっと教科書を見ていたり、肘をついて外をひたすら見ていた。
先生は何故かほぼ亜久津君には触れず。私にばかり質問してくれたおかげで、久しぶりに頭を使った気がする。わざわざありがとう先生。かなり疲れました。
もし私が「亜久津君も補習なんだし、一緒に先生の問いに答えようよ」なんて彼に馴れ馴れしく話しかけていたら、舌打ちされるどころか殴られてしまうかもしれない。私は空気、気にしないでください、貴方の邪魔は絶対にしません。そんな気持ちで亜久津君に関わらないように必死に補習を受けていた。
早くここから抜け出そう。先生がまた明日と告げた瞬間に私は席から立ち上がり、先生さようなら!挨拶をすると急ぎ足で教室を出た。
はいさようなら、と背後で先生の声がした。亜久津君の声はもちろん聞こえない。初めての地獄の時間を、なんとか無事に終えることが出来た。


二日目の補習日は、約束された時間に少しだけ遅刻してしまった。こういう遅刻をする性格のせいで課題も出し忘れてしまったんだと、つまらないところで自分の反省点を学ぶ。
遅れましたと小声で謝りながら教室の扉をそっと開ければ、亜久津君も先生も誰もいなかった。これは!不良の亜久津君は補習という面倒なものは受けないよ、と神様が与えてくれた私に対する配慮なのかもしれない。私はまた下らないことを考えて安堵する。
何はともあれ、今日は恐怖の亜久津君がいないのだ。私はウキウキしながら昨日とは違い前でも後ろでもない、ど真ん中の席に座った。どうせ先生と二人きりだし、どこに座っても変わらない。
友達に昨日の事を話すと爆笑していた。亜久津と二人きりとか拷問じゃん。そう言って私を笑いながら慰めてくれた。亜久津に殴られそうだったら助けに行くわ、適当な事を言って再度笑っていた。大丈夫、今日は亜久津君サボるみたいだから。謎の自信が私にはあった。
少し時間が経ち、廊下からこちらに近づいてくる足音が聞こえた。先生遅かったな、早く補習を終えて帰宅したいと思いながら先生を待った。けれどその足音は先生ではなかった。先生の代わりに教室の扉を開けたのはあの恐怖の亜久津君で、私は思わず彼の顔を見て固まってしまった。

「何だよ」

「え、いや、」

「…なんか文句あんのか」

も、もも、文句!?そんなのあるわけない、あったとしても言えるわけがない。強いて言えば、私と一切関わらないでほしいという希望だけ。
ごめん、先生かと思ってたから驚いちゃって。そう返すのが精一杯だった。怖い、怖すぎる。絶対に関わりたくない。
亜久津君は私を睨んで、昨日と同じく窓側の席に着席した。しまった失敗した、私も昨日と同じ席に座ればよかった。よりにもよってこんな真ん中の席に座ってしまった。後ろに座る亜久津君の視界に私が入るではないか。
何か目立つような事をして彼の逆鱗に触れてはいけない。今日の補習も、ただ空気と化す事だけに集中することにした。運動場からは楽しそうな笑い声が聞こえる。でも補習中のこの教室は、誰もいないかのように無音だった。お願い早く来て先生。気まずくて倒れそう。
祈り続けて少し経った頃、やっと先生は教室にやって来た。遅れて悪いと謝る気のない謝罪をして黒板の前に立った先生は、私達を見て今日は一人だけ真ん中にいるな、と笑っていた。



今日も地獄の一時間が早く終わりますようにと死ぬ気で祈ったけれど、時間が経つのはやはり遅かった。そして無事に空気になる事に専念できた私は、すぐに帰宅する為に机の上の筆箱に手を伸ばした。
あれ、いつも机の上に出しておくお気に入りのペンがない。座っている椅子を引いて机の周りを確認する。どこにも落ちていない、見当たらない。私は椅子に座りながらしゃがみ、先生に問いかけた。

「先生、ペンそっちに落ちてないですよね?」

「ん?ないなぁ、こっちには落ちてないぞ」

そうですよね、ないよね。まあ明日になったら出てくるかな。諦めて体勢を元に戻そうとしたその時。亜久津君が座っていた窓側の方から椅子を引く音が聞こえて、その後に彼が立ち上がる音もした。
しまった、私はまだまだ空気として徹するべきだった。私がうるさくて彼の怒りに触れたのかもしれない。早く教室から出ていってくれと、私はまだしゃがみ続けてペンを探すフリをした。
亜久津君は何故か通らなくてもいい私の席の横を通り、そのまま教室から出て行った。
よかった生き残れた。私は意味のわからない安堵をし、体勢を戻し何気なく机の上を見た。そこには、さっきから必死に探していた私のお気に入りのペンが置いてあった。なんで!?さっき見たときはなかったのに。良かったと私は喜び、ペンを手に取った。

「亜久津も以外と優しい所あるんだな」

先生は亜久津君が出て行った廊下を見て呟いた。
亜久津君?なんでですか?私も先生につられて廊下を見ながら呟く。もう亜久津君の姿は見えない、誰もいない廊下を。

「そのペン、亜久津が拾って机に置いてったぞ」

「え、嘘!?」

「本当だから今度亜久津にお礼言っとけよ、はいさようなら」

先生は最終下校を知らせる音楽が鳴り始めたスピーカーを指で刺し、教室から去って行った。
私は亜久津君が拾ってくれたというペンを数秒見つめて、少しドキドキしながら鞄にしまい込み帰路についた。
ちゃんとお礼言えるかな、様子を見ていつか彼に話しかける事を決意した。


三日目の補習日、扉を開けると何故だか亜久津君と同じクラスだという男の子が教室にいた。亜久津君のいつもの席の隣に座っている彼は千石君と言うらしい。ご丁寧に自己紹介してくれた。

「よかったね亜久津、女の子と二人きりなんて羨ましいよ」

千石君は亜久津君にうるせえとキレられて蹴られていたけれど、平然と笑っている。強い、亜久津君に絡んでも死なない人間がいるのか。でも私は絡む勇気はない。
千石君が何故補習にいるのか分からないけれど、彼の存在は正直嬉しかった。これで少しは教室の雰囲気も明るくなるだろう。地獄の一時間が、苦痛の一時間にランクダウンするかもしれない。
私はいつも通り亜久津君と離れる為に廊下側の後ろの席に座る。こんなに沢山机があるのに後ろの方だけ変に人口密度が高い。

「君もこっちの席おいでよ!亜久津はちょっと怖いけど、俺なら怖くないでしょ?」

ほらこっちこっち!、千石君は屈託のない笑顔を私に向けて、手招きをしている。亜久津君も怖いけど、初対面の女子に対してここまでにこやかに話す事ができる千石君も少し怖いよ、そう思い私は苦笑いをする。

「私はいいよ、ここで。二人の邪魔しちゃ悪いし」

「邪魔じゃないよ!いい子だからこっちおいで」

楽しいよ、一緒に喋ろうよ、そんな離れた所に座ってたら勿体ないよ!
彼からどんどん発せられる巧みな言葉を断りきれずに、千石君の手招きに導かれるまま彼らの席に少し近づいた。千石君がいれば少しは亜久津君が怖くなくなるかもしれない。そう期待も抱いて。

「隣はあれだから、私はここでいいよ」

左から窓、亜久津君、千石君、机でできた細い通路、誰も座らない空いた机、それから私。側からみたら仲良し三人組みたい。
俺が君の隣行っちゃおうかなぁ、千石君が下心丸出しで喋り始めた頃、先生は教室にやってきた。
先生は千石君を見て、補習に呼ばれていない部外者は帰りなさいと叱った。千石君はそれに対してすみませんと素直に頷き、私達に挨拶をしてそそくさと笑顔で退散していった。
いやいや帰らないでよ千石君。どうするのこの雰囲気。私には手に負えないよ。
ちらりと横を見る。二つ横の席には、いつもの不機嫌そうな怖い顔の亜久津君が座っている。怖すぎる、今日も話しかけるなオーラが出ている。私は時間が一刻も早く過ぎるのを祈り続け、いつもより真剣に空気と化す事に決めた。
教卓に教科書を置いた先生は、今日は二人とも距離が近いなぁ。私と亜久津君が気まずくなるような余計な台詞を吐いて、地獄の一時間を開始した。
1/2ページ