憧憬
清純と亜久津は3日目の夕方、私の屋台に約束通りやってきた。清純はいつもの笑顔で、亜久津はいつもの無愛想な顔でダラダラと歩いて。
清純に昨日の分の売れ残りの林檎飴を2人分渡せば喜び、それを亜久津は少し馬鹿にしたように見ていた。亜久津は何しにきたんだよ、少しは清純みたいに楽しんだらいいのに。私はそう思って2人を見ている。
「お姉さんもさ、俺みたいに笑顔で楽しみなよ。せっかくのお祭りなんだからさぁ」
そう言った清純は相変わらず整った顔の笑顔だった。私は亜久津みたいに無愛想な顔をしているのか。頑張って無理にでも笑う努力をしなければならない、目の前の亜久津を見ているとそう思えた。
亜久津は火のついていない煙草を咥えたまま、ズボンのポケットを静かに叩いている。それを見た清純がビスケット増やしてるの?童謡の歌詞と同じ行動に笑顔でつっこみをいれて、亜久津に軽く殴られていた。うぜぇ、亜久津は満更でもないように薄く笑って。
「ライターあげるよ」
私はコンロの火で吸うからいい。亜久津にガスボンベの上に置いた安っぽいライターを差し出す。どうせ4本で108円の使い捨てライターなのだ、一本くらい何ともない。
亜久津はお礼も言わずに私の手のひらからライターを取り、夜に返しに来る。そう言って煙草に火をつけた。お礼くらい言えよ、私一応あんたより年上なんだから。私は彼が、自分に少し似ている亜久津が何故だか癪に触る。
「こらこら亜久津、お礼くらい言わないと!ありがとねお姉さん!」
にこにこにこ。顔をそらしてそっぽを向く亜久津に代わり、清純は私にお礼を言う。清純は亜久津と違って素直でかわいい。私も亜久津も清純くらい明るくなれたらいいのに。
そのうちに地味ーずの話や部活のテニスの話、その他の話をほぼ一人で気が済むまで私に語った清純は、じゃあまた明日、と既に2本目の煙草に手をつけた亜久津を連れて去っていった。
彼らの後ろ姿はどこか浮かれていて楽しそう。それはそれはキラキラと輝いていて、確実に青春を謳歌しているように見えた。
私はそんな彼らが屋台のライトよりも眩しく見えて、思わず地面に視線を落とした。彼らの様に素直に人生を楽しむことができない私は、また憂鬱になり嫌々鍋に火をかけた。
「暇してんな」
「わ、マジでライター返しに来たの?」
そんなの貰っとけばいいのに。20時を過ぎて辺りが暗くなった頃、亜久津は約束通り一人で屋台にやってきた。まだ水滴がついている冷えたジュースと、しなしなになったまずそうなポテトと、私の安っぽいライターと共に。返さねえと後味悪いだろ、彼は低い声で呟いた。
「清純いないんだ」
「悪かったな俺で」
別に悪くはないけど。私の返答に亜久津は小さく笑った。私の許可を取るわけでもなく彼は横の隙間から屋台の中に入り、手に持ったジュースだとかを私に差し出した。ライターの礼、そう呟いて。
「亜久津やるじゃん」
「別に」
「ジュースじゃなくてお酒だったら最高」
「そろそろ警察が見回りにくるだろ」
だからやめといた。そういう彼は周りも気にせずに私の横で煙草を吸い始めた。喫煙も飲酒も警察にバレたら駄目じゃん、私は彼に対して今日初めて笑顔を向けた。
「あんた笑えるんだな」
「一応笑えるよ人間だもん」
亜久津は座る私を見下ろして、紫煙を吐く。背高いな亜久津、最近の中学生の成長の良さは凄い。
そこに椅子あるから使っていいよ。私は道路に立てかけてある畳まれた簡易椅子を指差す。亜久津は黙ってそれを取ってきて、私と少し離れた後ろの方に椅子を置いて腰をかけた。
私も亜久津もお互いに特に話す事はなかった。黙ってポテトを食べて、ジュースを飲んで、たまに客が来て私だけが働き動いた。
上の人が来て亜久津を見たらなんて言うだろうか。友達だと言えば屋台の中に入れるくらい大目に見てくれるだろう。ただ喋っていただけです、手伝ってもらってません、こう言おう。流石に亜久津が中学生とバレたら叱られそうだけど。
「あんた高校行かねえの?」
亜久津はついに暇になったのか、並んでいた客が途切れたタイミングで私に話しかけた。恐らく清純から休学している事を聞いたのだろう、そこまで興味なさそうに私に聞いた。
「うん、面倒だからもうやめたいんだけど」
親がごちゃごちゃ言うんだよね、飴がこびりついた鍋を片付けながら返事をする。勉強も、友達と絡むのも、男関係も私には全てが面倒だった。ここまできて今更、努力する気にもなれない。
本当は清純と亜久津みたいに仲のいい友達が羨ましい。私もキラキラとした青春を送りたいのだけれど、それができない。
仲のいい友達を作って沢山遊んだり、テストが嫌だと憂鬱になってみたり、好きな男の子と恋に落ちたかった。でも私は変な意地を張りカッコつけて、そんな当たり前の事すら努力せずに自分の人生を自分で台無しにしている。
中々とれない焦げ付いた鍋の内側部分をナイフで削る私の返事を聞いて、亜久津は再度興味なさそうに適当な肯定をする。
「あんた見てると前の俺を思い出す」
「前?」
「努力もせずに意地だけ張ってた」
亜久津は気だるげに座っていた椅子から身体を起こして、私に呟いた。後ろで動いた亜久津から煙草の匂いがする。手の中の鍋の中からは甘い匂いがするのに。
「別に意地なんて張ってない」
私は咄嗟に嘘を吐いた。亜久津に私の事を簡単に理解されてたまるか。
私は学校だとか世間とかに縛られずに自由に生きていきたいからいい。今はしたいことだけをして、大人になっても好きな事をして。でも若い頃にやる好き勝手が、大人になってから自分の首を締めるのを私は16才ながらに理解している。周りの大人がそうだった。みんな過去に犯した過ちのせいで苦しんでいる。
歳下の中学生に自分を見透かされたのが不快、私は思わず怒りの感情を顔に出す。笑顔は中々出ない癖に、こういう怖い顔は直ぐに出来る。けれとそれをびくともしない亜久津がまた私に話しかける。
「俺とよく似てる」
「似てないよ」
「認めたくねえんだろ」
「別に」
「俺も認めたくねえから一緒」
清純が散々言っていた「亜久津に似てる」を、確かに私は認めたくなかった。私の事を理解しているのは私だけでいい。またつまらない意地を張る。けれど亜久津も同じ想いだったのか。
亜久津が嫌いな訳ではないけれど、また心底不快になる。特に私を理解したつもりでいられるのが不快。私は、彼の言葉を無視して片付けをする。
「仕事が落ち着いたら学校行くだろ」
「行かないし、てか亜久津に指図される筋合いないんだけど」
「だろうな」
帰る。亜久津は私に上から目線で自分の言いたい事を言い、そのまま立ち上がり屋台から出て行った。彼は何事もなかったかのようにふらりと人混みの中へ消えて行く。
誰に命令してんだよ、私だってそう出来るならとっくにしてるよ。
居場所もないし、学校なんて楽しくない。でも今の仕事はもっと楽しくない。屋台の前を通り過ぎる私と同世代の子達は、友達と楽しそうに喋り笑顔で歩いている。羨ましい、素直にそう思って悲しくなった。
私は再度下を向き、焦げの取れない鍋の片付けをする。なんとも言えない気持ちになりながら。
その夜、帰宅すると親が怒っていた。机の上に置かれた、私が休学している学校からの手紙を見て。
出席日数不足で進級できないと書かれた手紙がついに届いたらしい。親は留年しろ、もしくは学校を変えろ、私に対して厳しく叱った。もう私には後がない、今になってやっと実感させられた。「学校にお前の居場所はない」、そう送られてきた手紙に言われた気がした。
「努力もせずに意地だけ張ってた」。数時間前に亜久津に言われた言葉が頭を過る。今更何を頑張ればいいのかわからない。清純みたいな明るい友達を作ること?進級できない事が決まっているのに勉強?本気で好きになれる人がいないのに恋?
私は既に自分で自分の首を絞めている事に気がついて、憂鬱になった。それでもこの状況は変わらない、私が何も努力しないから。
「お姉さんっ」
語尾にハートマークがついていただろう、そんな聞き覚えのある声がした。コンロから顔を上げれば、相変わらず整った笑顔の清純。もう4日連続会ってるね、お邪魔しまーす!そう言って彼は私の許可も取らずに屋台の中に入り込んだ。
「勝手に入らないでよ」
「あれ、亜久津は入れてあげたのに?」
はいこれお土産、清純はコンビニで買ったジュースと適当なお菓子を私に手渡した。ありがとう、私はお礼を言う。亜久津とは違うから。
「今日亜久津はいないんだ」
「後から行くかもって言ってたよ」
お姉さん亜久津の事が好きなの?、清純は私に近づき、笑顔で私の顔を覗き込む。
好きじゃないしむしろ嫌いに近い。清純の身体を押して顔を遠ざける。それを聞いた清純は声を上げて笑い、本当亜久津にそっくり、また不快な言葉を口にした。
「素直じゃない所とか、何だかんだツンデレな所とかそっくり」
「やめてよ、私昨日亜久津に学校行けとか説教されたし」
あの亜久津が?清純はまた笑う。何がおかしいのか。話を聞けば亜久津も遅刻常習犯で、学校はサボりがちらしい。人の事言えないじゃん、私は少し亜久津に勝った気がして小さく笑った。
そのうちにお客さんが来て、対応しようとすれば私より先に清純が笑顔で対応した。手際よく、相手を不快にさせず、最後まで笑顔で。
やるじゃん清純、亜久津は手伝いもしなかったよ。素直に褒めれば清純は照れたように笑い、可愛い。私は彼に愛しささえ覚えた。
「私、清純だったら付き合えるわ」
「え、マジ?」
「可愛いし気がきくし。別に好きじゃないけど」
清純は好きじゃないならダメじゃん!と、私の横で掌を軽く振り突っ込みをいれた。こういう明るくて面白い反応がきっとモテるんだよね。大半の女の子は恐らくこういう男が好きだろう。よく笑って、優しくて、不真面目そうだけど、ふとした時に男を感じさせる清純みたいな男が。
「清純は素直で可愛い」
どっかの無愛想でお礼も言わなくて年下のくせに説教してくる男とは違う。それを聞いた清純はあははと明るく声を上げて笑い、じゃあ一つだけ俺の素直な気持ちを伝えてもいい?、私の顔をまた覗き込んで清純は言った。
「いいよ、何?」
「お姉さんにキスしていい?」
俺、お姉さんの事好きになったかも。ガヤガヤと人混みでうるさい中、清純の言葉だけはハッキリと私の耳で聞き取れた。再度顔をあげた清純は、屋台の前を通る人達を見て「いや〜凄い人の量だね」と一言呟きにこにこにこ。いつもの笑顔を通行人に見せつけた。
「馬鹿じゃないの」
「俺は本気だよ」
お姉さんいつも意地張ってるし、人生つまんないって顔しててかわいそう。清純は整った笑顔を辞めて、少し眉を下げて真面目な顔をした。私はそんな彼に思わず圧倒されて、林檎飴を作る手を止める。
意識してなのか、無意識なのか分からないけれど今回は「亜久津と似てる」と不快な言葉を清純は発しなかった。
清純はきっと本気でキスしたいと言っているのだろう、私の事が好きだというのは本気かどうか分からないけれど。
だが生憎私は適当な恋しかしない。今まで本気で好きになった人もいなかった。別に嫌いな人でなければ、キスしたって寿命が減るわけでもどうなるわけでもない。
「したければすれば」
私はきっと惨めに笑っていただろう。清純の言う、人生つまんないという顔で。本当につまらないから仕方がない。みんなの様にいい大学に行っていい会社に就職したいとか、彼氏と結婚したいとか、そういう生きる目標がないのだから。
清純は少し困ったような、悲壮を感じさせるような顔をして笑い、身長の合わない私に合わせて背を屈めた。
「お姉さん寂しそう」、そう小さく呟いた清純の指が私の顎に触れた時には、素直に目を瞑った。こういう都合のいい時だけ私は素直になれる。それを見た清純が声を殺して笑ったような気がして、そのまま私の唇と清純の唇が触れた。やっぱり、キスなんてただのなんて事のない行為だった。他人と唇が触れただけ、ただそれだけ。
屋台の前を通るまだ小学生だろう男の子達があの人達チューしてる!大声で囃 し立てているのが聞こえた。私達は小学生の彼らから見てカップルに見えるのだろうか、私は早々と清純から離れて目を開ける。
何気なく移した目線の先には、屋台の前に立つ亜久津がいた。いつもと変わらない無愛想な顔で、対して興味も無さそうに私と清純を見ている。
「お前ら仲良いんだな」
亜久津はポケットから取り出した煙草に火をつけて吸い、清純によかったな、そう笑って声をかけた。亜久津は屋台の中には入らず、人混みに紛れて屋台の外に立っている。清純は、私の横で頭をかいて照れ笑いしている。
よくないよ、清純とはそんな仲じゃない。その一言が口から出れば良かった、でも出なかった。
私は何故か、今まで滅多に味わうことのなかった背徳感と、喪失感を胸に覚えた。なんて事ない清純とのキスを亜久津に見られた、ただそれだけなのに。
清純に昨日の分の売れ残りの林檎飴を2人分渡せば喜び、それを亜久津は少し馬鹿にしたように見ていた。亜久津は何しにきたんだよ、少しは清純みたいに楽しんだらいいのに。私はそう思って2人を見ている。
「お姉さんもさ、俺みたいに笑顔で楽しみなよ。せっかくのお祭りなんだからさぁ」
そう言った清純は相変わらず整った顔の笑顔だった。私は亜久津みたいに無愛想な顔をしているのか。頑張って無理にでも笑う努力をしなければならない、目の前の亜久津を見ているとそう思えた。
亜久津は火のついていない煙草を咥えたまま、ズボンのポケットを静かに叩いている。それを見た清純がビスケット増やしてるの?童謡の歌詞と同じ行動に笑顔でつっこみをいれて、亜久津に軽く殴られていた。うぜぇ、亜久津は満更でもないように薄く笑って。
「ライターあげるよ」
私はコンロの火で吸うからいい。亜久津にガスボンベの上に置いた安っぽいライターを差し出す。どうせ4本で108円の使い捨てライターなのだ、一本くらい何ともない。
亜久津はお礼も言わずに私の手のひらからライターを取り、夜に返しに来る。そう言って煙草に火をつけた。お礼くらい言えよ、私一応あんたより年上なんだから。私は彼が、自分に少し似ている亜久津が何故だか癪に触る。
「こらこら亜久津、お礼くらい言わないと!ありがとねお姉さん!」
にこにこにこ。顔をそらしてそっぽを向く亜久津に代わり、清純は私にお礼を言う。清純は亜久津と違って素直でかわいい。私も亜久津も清純くらい明るくなれたらいいのに。
そのうちに地味ーずの話や部活のテニスの話、その他の話をほぼ一人で気が済むまで私に語った清純は、じゃあまた明日、と既に2本目の煙草に手をつけた亜久津を連れて去っていった。
彼らの後ろ姿はどこか浮かれていて楽しそう。それはそれはキラキラと輝いていて、確実に青春を謳歌しているように見えた。
私はそんな彼らが屋台のライトよりも眩しく見えて、思わず地面に視線を落とした。彼らの様に素直に人生を楽しむことができない私は、また憂鬱になり嫌々鍋に火をかけた。
「暇してんな」
「わ、マジでライター返しに来たの?」
そんなの貰っとけばいいのに。20時を過ぎて辺りが暗くなった頃、亜久津は約束通り一人で屋台にやってきた。まだ水滴がついている冷えたジュースと、しなしなになったまずそうなポテトと、私の安っぽいライターと共に。返さねえと後味悪いだろ、彼は低い声で呟いた。
「清純いないんだ」
「悪かったな俺で」
別に悪くはないけど。私の返答に亜久津は小さく笑った。私の許可を取るわけでもなく彼は横の隙間から屋台の中に入り、手に持ったジュースだとかを私に差し出した。ライターの礼、そう呟いて。
「亜久津やるじゃん」
「別に」
「ジュースじゃなくてお酒だったら最高」
「そろそろ警察が見回りにくるだろ」
だからやめといた。そういう彼は周りも気にせずに私の横で煙草を吸い始めた。喫煙も飲酒も警察にバレたら駄目じゃん、私は彼に対して今日初めて笑顔を向けた。
「あんた笑えるんだな」
「一応笑えるよ人間だもん」
亜久津は座る私を見下ろして、紫煙を吐く。背高いな亜久津、最近の中学生の成長の良さは凄い。
そこに椅子あるから使っていいよ。私は道路に立てかけてある畳まれた簡易椅子を指差す。亜久津は黙ってそれを取ってきて、私と少し離れた後ろの方に椅子を置いて腰をかけた。
私も亜久津もお互いに特に話す事はなかった。黙ってポテトを食べて、ジュースを飲んで、たまに客が来て私だけが働き動いた。
上の人が来て亜久津を見たらなんて言うだろうか。友達だと言えば屋台の中に入れるくらい大目に見てくれるだろう。ただ喋っていただけです、手伝ってもらってません、こう言おう。流石に亜久津が中学生とバレたら叱られそうだけど。
「あんた高校行かねえの?」
亜久津はついに暇になったのか、並んでいた客が途切れたタイミングで私に話しかけた。恐らく清純から休学している事を聞いたのだろう、そこまで興味なさそうに私に聞いた。
「うん、面倒だからもうやめたいんだけど」
親がごちゃごちゃ言うんだよね、飴がこびりついた鍋を片付けながら返事をする。勉強も、友達と絡むのも、男関係も私には全てが面倒だった。ここまできて今更、努力する気にもなれない。
本当は清純と亜久津みたいに仲のいい友達が羨ましい。私もキラキラとした青春を送りたいのだけれど、それができない。
仲のいい友達を作って沢山遊んだり、テストが嫌だと憂鬱になってみたり、好きな男の子と恋に落ちたかった。でも私は変な意地を張りカッコつけて、そんな当たり前の事すら努力せずに自分の人生を自分で台無しにしている。
中々とれない焦げ付いた鍋の内側部分をナイフで削る私の返事を聞いて、亜久津は再度興味なさそうに適当な肯定をする。
「あんた見てると前の俺を思い出す」
「前?」
「努力もせずに意地だけ張ってた」
亜久津は気だるげに座っていた椅子から身体を起こして、私に呟いた。後ろで動いた亜久津から煙草の匂いがする。手の中の鍋の中からは甘い匂いがするのに。
「別に意地なんて張ってない」
私は咄嗟に嘘を吐いた。亜久津に私の事を簡単に理解されてたまるか。
私は学校だとか世間とかに縛られずに自由に生きていきたいからいい。今はしたいことだけをして、大人になっても好きな事をして。でも若い頃にやる好き勝手が、大人になってから自分の首を締めるのを私は16才ながらに理解している。周りの大人がそうだった。みんな過去に犯した過ちのせいで苦しんでいる。
歳下の中学生に自分を見透かされたのが不快、私は思わず怒りの感情を顔に出す。笑顔は中々出ない癖に、こういう怖い顔は直ぐに出来る。けれとそれをびくともしない亜久津がまた私に話しかける。
「俺とよく似てる」
「似てないよ」
「認めたくねえんだろ」
「別に」
「俺も認めたくねえから一緒」
清純が散々言っていた「亜久津に似てる」を、確かに私は認めたくなかった。私の事を理解しているのは私だけでいい。またつまらない意地を張る。けれど亜久津も同じ想いだったのか。
亜久津が嫌いな訳ではないけれど、また心底不快になる。特に私を理解したつもりでいられるのが不快。私は、彼の言葉を無視して片付けをする。
「仕事が落ち着いたら学校行くだろ」
「行かないし、てか亜久津に指図される筋合いないんだけど」
「だろうな」
帰る。亜久津は私に上から目線で自分の言いたい事を言い、そのまま立ち上がり屋台から出て行った。彼は何事もなかったかのようにふらりと人混みの中へ消えて行く。
誰に命令してんだよ、私だってそう出来るならとっくにしてるよ。
居場所もないし、学校なんて楽しくない。でも今の仕事はもっと楽しくない。屋台の前を通り過ぎる私と同世代の子達は、友達と楽しそうに喋り笑顔で歩いている。羨ましい、素直にそう思って悲しくなった。
私は再度下を向き、焦げの取れない鍋の片付けをする。なんとも言えない気持ちになりながら。
その夜、帰宅すると親が怒っていた。机の上に置かれた、私が休学している学校からの手紙を見て。
出席日数不足で進級できないと書かれた手紙がついに届いたらしい。親は留年しろ、もしくは学校を変えろ、私に対して厳しく叱った。もう私には後がない、今になってやっと実感させられた。「学校にお前の居場所はない」、そう送られてきた手紙に言われた気がした。
「努力もせずに意地だけ張ってた」。数時間前に亜久津に言われた言葉が頭を過る。今更何を頑張ればいいのかわからない。清純みたいな明るい友達を作ること?進級できない事が決まっているのに勉強?本気で好きになれる人がいないのに恋?
私は既に自分で自分の首を絞めている事に気がついて、憂鬱になった。それでもこの状況は変わらない、私が何も努力しないから。
「お姉さんっ」
語尾にハートマークがついていただろう、そんな聞き覚えのある声がした。コンロから顔を上げれば、相変わらず整った笑顔の清純。もう4日連続会ってるね、お邪魔しまーす!そう言って彼は私の許可も取らずに屋台の中に入り込んだ。
「勝手に入らないでよ」
「あれ、亜久津は入れてあげたのに?」
はいこれお土産、清純はコンビニで買ったジュースと適当なお菓子を私に手渡した。ありがとう、私はお礼を言う。亜久津とは違うから。
「今日亜久津はいないんだ」
「後から行くかもって言ってたよ」
お姉さん亜久津の事が好きなの?、清純は私に近づき、笑顔で私の顔を覗き込む。
好きじゃないしむしろ嫌いに近い。清純の身体を押して顔を遠ざける。それを聞いた清純は声を上げて笑い、本当亜久津にそっくり、また不快な言葉を口にした。
「素直じゃない所とか、何だかんだツンデレな所とかそっくり」
「やめてよ、私昨日亜久津に学校行けとか説教されたし」
あの亜久津が?清純はまた笑う。何がおかしいのか。話を聞けば亜久津も遅刻常習犯で、学校はサボりがちらしい。人の事言えないじゃん、私は少し亜久津に勝った気がして小さく笑った。
そのうちにお客さんが来て、対応しようとすれば私より先に清純が笑顔で対応した。手際よく、相手を不快にさせず、最後まで笑顔で。
やるじゃん清純、亜久津は手伝いもしなかったよ。素直に褒めれば清純は照れたように笑い、可愛い。私は彼に愛しささえ覚えた。
「私、清純だったら付き合えるわ」
「え、マジ?」
「可愛いし気がきくし。別に好きじゃないけど」
清純は好きじゃないならダメじゃん!と、私の横で掌を軽く振り突っ込みをいれた。こういう明るくて面白い反応がきっとモテるんだよね。大半の女の子は恐らくこういう男が好きだろう。よく笑って、優しくて、不真面目そうだけど、ふとした時に男を感じさせる清純みたいな男が。
「清純は素直で可愛い」
どっかの無愛想でお礼も言わなくて年下のくせに説教してくる男とは違う。それを聞いた清純はあははと明るく声を上げて笑い、じゃあ一つだけ俺の素直な気持ちを伝えてもいい?、私の顔をまた覗き込んで清純は言った。
「いいよ、何?」
「お姉さんにキスしていい?」
俺、お姉さんの事好きになったかも。ガヤガヤと人混みでうるさい中、清純の言葉だけはハッキリと私の耳で聞き取れた。再度顔をあげた清純は、屋台の前を通る人達を見て「いや〜凄い人の量だね」と一言呟きにこにこにこ。いつもの笑顔を通行人に見せつけた。
「馬鹿じゃないの」
「俺は本気だよ」
お姉さんいつも意地張ってるし、人生つまんないって顔しててかわいそう。清純は整った笑顔を辞めて、少し眉を下げて真面目な顔をした。私はそんな彼に思わず圧倒されて、林檎飴を作る手を止める。
意識してなのか、無意識なのか分からないけれど今回は「亜久津と似てる」と不快な言葉を清純は発しなかった。
清純はきっと本気でキスしたいと言っているのだろう、私の事が好きだというのは本気かどうか分からないけれど。
だが生憎私は適当な恋しかしない。今まで本気で好きになった人もいなかった。別に嫌いな人でなければ、キスしたって寿命が減るわけでもどうなるわけでもない。
「したければすれば」
私はきっと惨めに笑っていただろう。清純の言う、人生つまんないという顔で。本当につまらないから仕方がない。みんなの様にいい大学に行っていい会社に就職したいとか、彼氏と結婚したいとか、そういう生きる目標がないのだから。
清純は少し困ったような、悲壮を感じさせるような顔をして笑い、身長の合わない私に合わせて背を屈めた。
「お姉さん寂しそう」、そう小さく呟いた清純の指が私の顎に触れた時には、素直に目を瞑った。こういう都合のいい時だけ私は素直になれる。それを見た清純が声を殺して笑ったような気がして、そのまま私の唇と清純の唇が触れた。やっぱり、キスなんてただのなんて事のない行為だった。他人と唇が触れただけ、ただそれだけ。
屋台の前を通るまだ小学生だろう男の子達があの人達チューしてる!大声で
何気なく移した目線の先には、屋台の前に立つ亜久津がいた。いつもと変わらない無愛想な顔で、対して興味も無さそうに私と清純を見ている。
「お前ら仲良いんだな」
亜久津はポケットから取り出した煙草に火をつけて吸い、清純によかったな、そう笑って声をかけた。亜久津は屋台の中には入らず、人混みに紛れて屋台の外に立っている。清純は、私の横で頭をかいて照れ笑いしている。
よくないよ、清純とはそんな仲じゃない。その一言が口から出れば良かった、でも出なかった。
私は何故か、今まで滅多に味わうことのなかった背徳感と、喪失感を胸に覚えた。なんて事ない清純とのキスを亜久津に見られた、ただそれだけなのに。