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Young

教えてもらった場所は、普段から人通りの多い道の近くにあった。
大通りの横にある細い道を進むとあるそこは、不良やホームレス達の溜まり場と化しているような殺伐とした所だった。人通りの多い道の真ん中で殴り合いの喧嘩なんてするわけないだろうし、きっとその辺りで喧嘩しているんだろう。そう考えた私は細道を走っていった。
一本道がずれ、高いビルを隔てただけて一気に人通りの少なくなる。ゴミや壁の落書きは放置され、コンクリートの地面なんて大きなひびが入って割れていた。もう何年も整備されていないであろう、そんな路地裏だった。
近づいて行くと怒鳴るような、叫んでいるのか分からない若い男の声が聞こえた。乱れた髪なんか直している暇はない、私は走り続けて痛くなった横腹を抑えて声のする方へと向かう。
恐らく道のショートカットをする為であろう、路地裏から抜けてきた通行人とぶつかりそうになった。わざわざ細い道を通って路地裏へと向かう私を見て怪訝な顔をし、すぐに顔をそらした。
通行人の「あいつらの仲間か」、そんな馬鹿にされたような態度を感じ取った私は確信をした。亜久津君かどうかは見当がつかないけれど、私と同じくらいの若い奴らが喧嘩しているはずだ。私は走るのをやめて歩きだし、息のあがりきった呼吸を整えた。男の荒々しい声が近づいてくる。私は恐る恐る、物陰からそっと覗いて見た。
亜久津君と同い年くらいだろうか。見たことのない金髪の細身の若い男が一人、ビルの壁にもたれている。その奥には亜久津君と原付を盗んだ先輩。二人は想像通り殴り合いの喧嘩をしていた。
きっと金髪の男は先輩の連れかなんかだろう。茶化すように先輩の名前を呼び適当な応援をし、後は興味なさそうにぼんやりと二人の喧嘩を眺めていた。私は少し離れた所から、彼らにバレないように喧嘩を見守ることにした。
殴り、殴り返される亜久津君は私の知らない亜久津君だった。いつもセットされている髪はボサボサに乱れ、余裕そうに笑っていた口の端からは切れて血が垂れている。けれども彼はこんな状況で、どこか楽しそうにも見えた。
顔を真っ赤に腫らしながら、亜久津君は先輩の胸倉を掴み遠慮なく拳で殴った。聞き慣れない、人を殴る鈍い音がした。金髪の男はケラケラと笑い、何してんだよ。大声で先輩にヤジを飛ばした。
亜久津君の拳を直に受けて倒れ込んだ先輩はすぐに体勢を持ち直した。先輩もいつもと違って随分と弱っているように思えた。きっと笑う余裕も、連れであろう金髪の男に返事をする元気もない。前のめりのまま膝に手をつき、呼吸をするのが精一杯のように見えた。
もう長い時間殴り合いをしているのか、まだ始まったばかりなのか。私には見当もつかず、声をかけることも出来ずに静かに息を飲んだ。怒号を浴びせながら立ち上がって向かってくる先輩に、亜久津君は口の中に溜まった少量の血を地面に吐いて笑っていた。
先輩が亜久津君のお腹に蹴りを入れ、亜久津君は苦しみながらも無理やりに先輩の足を取って転ばし地面に追い込んだ。先輩の頭と体がコンクリートに落ちた時にはやはり鈍い音がした。

「分かった悪かった!自首すればいいんだろ!」

先輩が頭を抱えてうずくまり、叫びながら謝った。けれど亜久津君はそれを無視して、倒れたままの先輩の顔に思いっきり拳を叩き込んだ。亜久津君が勝った!そう心の中で彼の勝利を確信し、重い石のようにごろんと横に向いた先輩の頭が動かなくなった時。見ていた二人の喧嘩が終わったからなのか、壁にもたれていた金髪の男が私の存在に気がついた。

「なに?亜久津の連れ?」

随分と不機嫌そうな声で男は私に問いかけた。
あいつに捕まったらどうなるのか分からない、私は今更になって底無しの恐怖を感じ、思わず後ずさりをした。
男は御構い無しにずかずかと大股で私の方に向かってくる。私はひどく焦り、困惑しながら亜久津君の方を見た。彼は背中まで大きく揺らして息継ぎをしていた。さっきの男の言葉を不審に思ったのか振り返り、私と目が合うと一瞬驚いた顔をした。
助けて、声も出さずに彼に向かって口を動かした。亜久津君とアイコンタクトをするのを見た男は私達を知り合いだと認識し、更に不機嫌になり私の手首を掴み強く握った。
無理やりに引っ張られて体勢を崩される。離してよ、思いっきり腕を引いても叫んでも男の手は離れなかった。相手が女だったらまだしも、体力が有り余っている若い男に力で勝てるはずがないのを私は悟っていた。男が突然私の手首を強く引っ張り、私は前のめりに体勢を崩して地面に軽く打ち付けられた。
地面に顔がつく時には思わず目を瞑った。打ち付けられた鈍い痛みが、肌が擦れた鋭い痛みが体に走る。私は地面に這いつくばったまま男を睨んだ。それを男は腹立たしそうに見下げ、掴んだままの手首を持ち私を無理やり立ち上がらせた。
負けてばかりでいられない。ふらつき、全身に痛みを感じながらも、私は掴まれていない方の手で拳を作り、思いっきり金髪の男の顔を殴った。けれど思ったように殴れない、私は人の頭の硬さと頑丈さに驚いた。音も何もせずに当たった拳に男は痛がる様子はなく、当たる一瞬に目を瞑っただけだった。男を殴った方の手はじんじんと痺れて痛い、そして目の前の男は逆上していた。本気で殴られるか蹴られる、私は頭を下げて腕で体を守ろうとした。
それは、突然だった。後ろからお腹に回された手に体を引っ張られたと思ったら、私の頭の上で鈍い音と小さな風が吹いた。恐る恐る顔をあげると、私の手首を掴んでいた金髪の男はいつのまにか仰向けに倒れていた。乾いて赤黒くなった血のついた、私のお腹に回された白い手を見て安心感を覚えた。

「亜久津君!」

「黙ってろ」

金髪の男がふらつきながらも急いで立ち上がろうとした時。亜久津君は私を後ろへと少し乱暴においやり、男の頭を勢いつけて蹴り上げた。頭を蹴られた男はうめき声すらあげずに、地面に勢いよく横たわった。私は地面に打ち付けられた体を手でおさえ、痛みをごまかしながら亜久津君を見た。彼は荒げた呼吸をし、振り返って私を見た。

「お前何しに来たんだよ、危ねえだろうが!」

いつも悟らせるように私に言い聞かせた亜久津君が、今は私に対して憤怒している。やはり彼は私よりもひどい怪我をしていた。殴られた所は遠くで見るよりも真っ赤に腫れていたし、切れた唇の傷はかなり深かった。私は人ごとながらにその痛みを想像し、思わず顔を歪めた。

「ごめん、上手く逃げれなくて」

「俺がいなかったらどうすんだよ、散々殴られて終いだぞ」

「亜久津君がいなかったら、喧嘩に気づいた時点ですぐ逃げてるよ」

「あ?」

「亜久津君、強いから何かあっても助けてくれるかと思って」

「お前な…」

亜久津君は何かを言い出そうとして辞め、周りの状況を見てバツが悪そうに頭をかいた。そんな彼の様子を見て私は安堵をし、自然と口角が上がった。
お前ら何してる!路地裏の向こう、大通りの方から叫んで走ってくる一人の警官が見えた。きっとさっきの路地裏を通っていった通行人か、大通りからこの騒ぎを見た人が通報か何かしたんだろう。私は困惑しながら亜久津君を見る、彼はまだ荒い呼吸をしながら走ってくる警官を見ていた。

「早く行け」

亜久津君は私の腰辺りを強く押して、路地裏の向こう側へと抜けるように指示をした。突然押されて転びそうになった私は、すぐに亜久津君の方を振り返った。警察の姿はどんどんと近づいてくる。彼は急げ、そう声を荒げて怒り私を焦らせた。

「でも亜久津君は」

「いいから行け、補導されたら本当に山吹行けなくなるぞ」

また今度な。亜久津君はそういって笑い、唇の端から垂れた血を服の袖で拭った。
私は頷き、その場を後ろ髪を引かれる思いで走って立ち去った。背後からは逃げるな、警官であろう大人の叫び声が聞こえた。走ったまま少し振り返ってみる、亜久津君は警官に反抗もせずに勢いよく捕らえられていた。警官が無線で応援を呼んでいる中、彼は私を見て静かに笑っていた。
早く行け。遠くから声も出さずに呟いた亜久津君を置いて、私は横腹と未だに痺れた手に痛みを感じながら路地裏を抜けた。


その後私は自宅ではなく、友達のいる公園へと向かった。
公園の時計を見ると時間は既に次の日を迎えようとしていた。ご丁寧に待ってくれていた彼女達はふらつきながら帰ってきた私に驚き、怪我の心配をしながら事の経緯を訊いた。先輩が警察に捕まった、喧嘩してたのは私の知り合いだった、もしかしたら高校に行けるかもしれない。
私が焦りながら話した一時間足らずの出来事に、彼女達は一喜一憂した。警察があの盗みの事件を追求してくれたら。けれど知り合いの銀髪の男によって、私達が復讐を依頼したのだと思われたら。どちらにも転がるような現状に、私達は焦り戸惑いながらも僅かな希望を抱いた。
きっと亜久津君なら大丈夫。私がついうっかり彼の名前を彼女達の前で呟くと、あんたあの噂のアクツと知り合いなの!?彼女達はそう驚き、いつものように根掘り葉掘り聞き出そうとした。すっかり元気を取り戻した気のおけない友人達に私は安堵をし、笑いながら今日は帰宅することを促した。

家に帰って自室に入り、砂と埃と少量の血がついた服を脱いだ後。私は怪我の様子を見ようと全身鏡の前に立った。
腕のひどい擦り傷と、手首の内出血して赤黒くなった部分。それと殴った方の手が腫れているのを確認した私はまた一歩、自分が亜久津君に近づいたような気になり小さく笑った。
彼は今警察署か交番にいるのだろうか。あの先輩と連れの金髪の男はあれだけ殴られて無事に生きているのか。全く見当がつかなかった。私だけ逃げてしまったことに、憂いを感じで少し自己嫌悪に陥った。
私が助けを求めずに早く逃げていたら、彼はもっとスムーズに喧嘩をしていただろう。大丈夫だよね亜久津君、だってあの時笑ってたもんね。
「また今度な」亜久津君が去り際に言ったあの言葉がぐるぐると頭を駆け巡り、気が気でない私に淡い期待を抱かせた。





亜久津君はあの夜とその次の日、二日間連絡がとれなかった。メールをしても返信がない、電話をかけても彼は出ない、コンビニなんか1時間も待っていたけれどこなかった。
あの夜から三日たった今日。私は結局捻挫だと医者に診断された手を抱えながら、夜にいつものコンビニに向かった。今日も会えないのかなぁ、亜久津君が問題視されて退学だとか休学になってないよね。悪い妄想だけは寝ても覚めても止まらずに、溢れかえるかのように頭の中に浮かんでいた。
暗い住宅街に光が見えてくる。私はいつものようにコンビニの入り口に目線を向けた。入り口近くの灰皿には、一人見慣れた男の人が立っていた。唇の端に大きなかさぶたを作り、顔に紫色の痣がある彼を見た時には胸が踊った。
会ってないのはたった数日なのに、もうかなりの日にちがたったかのように思えた。連絡さえ返さなかったのに、亜久津君はいつも通りにこの場所に来て煙草を吸っている。
やっぱりどんな時でも彼は彼でぶれないんだと嬉しく思い、私は手櫛で前髪を整えて小走りで彼の元へと向かう。煙草の煙を吐いた彼は私の足音に気がつき、分からないくらいに小さく私の名前を呼んだ。

「お前よく喧嘩できたな。慣れてんのか」

亜久津君の第一声はそれだった。喧嘩?慣れてる?突然の事に私は疑問を浮かべた。
殴っただろ金髪の事。亜久津君は笑いながら煙草を口にした。私は数日前の突発的にした自分の行動を思い出し、慌てながら訂正をし言い繕おうとした。

「慣れてないよ、初めて人殴っちゃった」

「初めてで男に向かって殴れるもんかよ」

「本当だよ、だって必死だったもん」

ほら見て、手捻挫しちゃった。私は湿布と網状の包帯を巻いた手のひらを亜久津君に見せびらかした。彼はじっと手のひらを見つめて、だせえな。馬鹿にしたように笑った。
えー頑張ったのに。私はなんだか網の包帯に包まれた手が急に恥ずかしくなり、引っ込めて隠した。コンビニの壁に背を向けて体を預けると、服に擦れる腕の擦り傷がやけに痛く感じた。

「わりといい筋いってたな」

「何が?パンチ?」

「おう、捻挫したくらいだもんな」

「ねえ、やっぱり馬鹿にしてるでしょ」

別にしてねえよ。そっぽを向いて笑い、また煙草を吸った亜久津君にいつもの日常を感じた。
あの後どうやって帰ったの?、心配していた問題を問うと、あれから朝まで警察署。彼は気だるそうに私の隣に来て壁に背中を預けた。先輩達は?生きてる?傷害罪とかで亜久津君逮捕されない?次から次へと質問をしながら、私は落ち着くために自分の煙草を一本取り出して口に咥えた。

「あんなもんじゃ逮捕されねえし、あれで人が死ぬかよ」

恐ろしい事を呟いた隣の亜久津君を思わず見上げる。彼は私の咥えた煙草を見て、何も言わずに指に挟んだ火のついた煙草を私の方に差し出してくれた。私は煙草の先端同士をくっつけてほんの数秒息を吸い込む、すぐに煙は立ち上がった。暗闇の中で光る煙草の真っ赤な光、私から離れていく亜久津君の傷まみれの指。どれもこれも、私の日常になっているのを嬉しく思った。

「よく先輩の事探しだせたね」

「だから最近忙しいって言っただろ」

「うん、言ってた」

「あいつ、自分が原付盗んだってちゃんと認めてたぞ」

「本当!?亜久津君、先輩に自白するようになんか言ったの?」

「言わなかったら殴り合いなんてしてねえよ」

そっかそうだよね。変に納得してしまった私に、亜久津君は鼻で笑っていた。

「四月から楽しみにしとけよ」

亜久津君はいつものように短くなった煙草を灰皿へと投げ捨てた。音も無く消えていった火と煙。若くて、世間なんて何も知らない。怖いものなんか何一つない私達の世界で、私は小さく頷いた。
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