▲ 才あるからこそ苦しみ来たる
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どれだけ忙しくても、朝晩は家族揃って食事をとる。それは両親が決めたことだった。
並べられた料理を、母は優雅に口にする。父は料理長を褒め称えながら、家族との会話をも楽しもうとしている。
ホーキンスはというと、どこかそわそわした様子で朝食をたいらげ、両親を交互に見やった。表情自体はいつもと変わりない。スンとした顔で、きちんと椅子に座っている。交流の浅い者であれば彼の期待のこもった眼差しにも気づかないことだろう。
母はホーキンスに負けず劣らずなむすっとした顔のまま、しかし笑いをかみ殺しながら許可を出した。
「遅くなる前に帰ってきなさい」
「はい」
最低限の礼儀作法は抑えつつ、ホーキンスは一目散に自室へと戻っていく。同席者と食べるスピードを合わせなかった点に関してはご愛嬌というものである。
息子の背中を見届けて、父――男はワイングラスを置くと、妻に話を振った。
「いいのかい? 勉強の時間がズレてしまうよ」
「もとより、今日は夜におこなうつもりでしたから」
「あ、そっか。今日仕事詰まってるもんね」
「ええ。それに、あの子があれほど楽しそうにしているのを見ると、嬉しくて」
「いい友達ができたんだねェ……」
二人は顔を見合わせて、ふふ、と笑う。
村では異質な存在とされるバジル家も、内側ではそこらの家庭と似たような会話をしているのだった。
▲▲▲
ホーキンスは毎日エヴィに会いに行けるわけではない。
起きてすぐ一日の運勢を、そして運気を上げるための物事を占う。その際、他者の協力が必要な内容でなければ葛藤の末諦める。
エヴィはホーキンスが不審者に協力を要請するのを危ぶんで、それならば、と名乗り出たのだ。必要がないときに行くのは迷惑かもしれない。命令するのが当たり前の生活を送っているホーキンスにも、そういう配慮をすることはできた。
朝食から戻ってきたホーキンスはさっさと支度を整え、部屋を飛び出す前に一呼吸おいた。
今日は会いに行ってもいい日だ。
エヴィのいそうな場所を片っ端から占っていく。家、空き地、友人宅、森、ありとあらゆる場所を見て、エヴィの一日を予想する。順に当たっていけばどこかで会えるだろう。
今日のエヴィは家付近にいる確率が高い。あくまでも偶然を装わなくてはならない。ホーキンスは言ってしまってもいいと思っているのだが、母はそんな彼を止めた。「見定めてからになさい」との忠告を素直に守っている。
彼女が少しでも長くいっしょにいてくれますように、と願いながら、今日もホーキンスは屋敷を発った。
「ホーキンス! おはよ!」
「おはよう」
ホーキンスと視線が合う。挨拶を返す。それだけでエヴィの顔は輝く。本人はこれっぽっちも気づいていなさそうだが、全身で喜びを表現している。
ただ会ったというだけでこんなにも喜ばれるのはなんだか照れくさくて、他のやつにもこういう態度なのだと思うとほんの少し苛立った。
なぜ自分が気分を害したのか、ホーキンスにもよく分からないが。
「今日はどうするの?」
「島を一周する。案内しろ」
「まーたすごいのが出たねえ」
じゃあ行こっか。そう言ってエヴィは歩き出す。ホーキンスに合わせてとことこ歩く。
エヴィはホーキンスの頼みを断らない。どれだけ手間がかかるような内容でも、「やばいね」の一言で終わらせてしまう。嫌がる顔は一切せず、なんなら笑顔で付き合ってくれる。
あまりにもホーキンスに都合がいいので、たまに自分の頬をつねることがある。痛みを感じて、現実だと再確認する。最近ようやく素直に受け入れられるようになった。
当然のように命じている裏で、ホーキンスはホーキンスなりにいろいろと思うところがあったのだった。
並んで歩きながら、度々エヴィは遠くの村人に挨拶をする。村人たちはホーキンスの姿に首をかしげつつも、エヴィといるのならおかしなやつではないのだろうという顔で作業に戻る。
大声でやり取りを終えたエヴィが、思いついたように振り向いた。
「そういやホーキンスってさ、占い以外で外出ることとかないの?」
「……あまり無い」
「ふーん。それだとなかなか会えないね、残念」
話の流れで口に出したのだろう、軽い言葉。ホーキンスはしばし無言になる。エヴィがどうしたの、と声をかけてくる。
「用事がなくても来ていいのか」
「いいんじゃない? 理由が必要なら私と遊ぶってのを用事にする感じで……や、わざわざ来てとかじゃなくて、たまにでいいからさ」
こわごわと尋ねたホーキンスに対し、エヴィはなんとも思っていなさげな表情で答えを渡す。彼女はさっさと次の話題に移ってしまって、本当にただの質問のつもりだったのだと察した。
来てもいいらしい。
会いたいからというだけで、彼女に時間を割かせても許される。今、本人から許可が出た。
しかしホーキンスにはプライドがあった。会いに来ているとバレるのは恥ずかしいだとか、そんな小さな感情だが、しかし無視できるものでもない。少しの間悩んだ後、当分は占いを理由にしようと現状の継続を選んだ。
「ねえねえ、あの木まで競争しない?」
「あっ、おい待て!」
言うが早いが走り出したエヴィを追うと、彼女の跳ねるような笑い声が耳に届く。昇ってきた太陽が彼女を照らす。その様があまりにも眩しくて、ホーキンスはふっと目を細めた。
▲▲▲
ほくほく顔で帰宅したホーキンスは風呂も夕食も当主教育もしっかりこなし、おやすみなさいの挨拶まで終えて、あとは寝るだけの状態となっていた。半日も外を歩き回っていたから疲れているし眠気もある。でもあとちょっとだけ今日を過ごしたくて、夜ふかしをすることにした。
外出時にも肌見離さず持ち歩いていたカードの束を机に広げ、ホーキンスは精神を集中させる。一本だけ灯した蝋燭が揺らめいている。
かつては「結果に意味などない」と思っていたホーキンスは、幾度もの成功体験によって占いへの信用を深めていた。なにをするにしてもまず占って、確率を出してから行動を決めた。必ずしも失敗を避けられるわけではない。しかし事前に心の準備ができるというのは大きい。
ホーキンスの生活のすべてが占いによって出来上がっていく。回数を重ねるほどに力をつけ、正確な結果が出る。さらに占いに傾倒する。
ホーキンスの生来の才が思う存分発揮されたことで、現当主である母からもこのままいけば歴代随一の占い師になるだろうとの言を得た。自信がついてやる気が出て、頑張るほどにうまくいく。占いは趣味にはならないが楽しかった。
気づくと、ホーキンスの日常は占いに染まっていた。生まれた家がそうなのだから遅かれ早かれこうなっていただろうが、いざ認めると不思議なものである。
心が穏やかになってきたあたりで、ホーキンスは今回占う内容を決めた。
少年の淡い恋心だ。いずれ彫刻めいた男に成長するにしても、今のホーキンスは単なる占いが得意な少年にすぎない。最近ちょっと気になる女の子がいて、自分には未来を占う手段がある。となると、占ってみたくなってしまうもので。
親にバレたら低俗だと叱られるかもしれないが、バレなければいいのだ。エヴィの強かさがうつってきたホーキンスはそう考えてカードを並べていく。本当にささいなことを占う。
例えば。
「エヴィが運命の人である確率……」
いたいけな子どもが花びらを千切って願うような、相手の名前を書いて枕の下に入れるような。
ふわふわした感情の中に、わずかながらの本気を隠した行為。
出来心だったのだ。
彼の占いは確率として現れる。曖昧さを望まなければ、数字としてはっきりと白黒つけられてしまう。
「0%……!?」
お前とあいつの間に赤い糸は結ばれていないのだ、と。簡潔に。期待を持たせる余地もなく。
解釈なんてさせる隙間はなかった。そこにあるのはただの無だ。
ホーキンスだって、100%が出るとは思っていなかった。でも、少しくらいは可能性があると思いたくて。たった数%でいい。それだけでホーキンスの心は浮き立っただろう。
ほんのりとした好意を無惨に踏みにじられた気分になって、今日はもう占わないぞと決心する。そもそもエヴィは友達なのだから、別に運命の人でなくたっていいのだ。ホーキンスは冗談でやったのだし。むしろ運命の人だと言われていたら、今後顔を合わせる際にどぎまぎしてしまうかもしれない。エヴィとの楽しい時間が失われてしまう。そうならなくてよかった。
これでよかったんだ。
ホーキンスは精いっぱいの強がりを脳内に敷きつめて、奥底の気持ちに蓋をした。今なら、気づかないでいられる。
かすかな苦しさを誤魔化すため、ベッドに潜り込む。瞼を伏せてしばらくはぐるぐると回っていた頭の中も、体があたたまっていくうちに眠気でぼやけていく。これ幸いとホーキンスは意識を手放した。
▲▲▲
「ねえホーキンス、お願いがあるんだけど……」
エヴィがおそるおそるといった風に切り出したので、ホーキンスはなんだ、と返す。彼女が頼み事をするのは珍しい。いつもホーキンスの占いに合わせて動いてくれているから、たまには聞いてやるのもいいだろう。その程度の、軽い気持ちで返事をした。
エヴィはパッと笑った。彼女は感情がそのまま顔に出る。本人は隠しきれていると思っているらしいが、大抵の人は彼女の考えを読み取ることができるだろう。とにかく、今の彼女は喜んでいる。ホーキンスに頼みを聞いてもらえそうだから、というだけで。その事実はホーキンスの心をくすぐった。
「えっとね、これ、ホーキンスに言うのが初めてなんだけど」
にへにへとまぬけな擬音が出そうなくらい頬を緩ませて、エヴィは照れながら、大切な宝物を披露するように打ち明けた。
「私ね、好きな人ができたの」
ホーキンスの表情は変わらない。たとえ衝撃で息が止まっても、彼の背筋はピンと伸びたままだった。一瞬目の前が暗くなったとしても、次の瞬間には彼女の顔を見ていた。
目が合う。とろんとした瞳。出会ったときの笑みとは違った種類の、ホーキンスには一度も向けられたことのない甘さ。
「それで、彼との相性をね、占ってほしくて……。頼んでもいい?」
「…………どんなやつなんだ」
「えへへ! よくぞ聞いてくれました!」
聞きたくなんかなかった。この場で彼女の口を塞いでしまいたかった。けれどもホーキンスはエヴィの友人であったから、彼女に信頼されてこんな相談を受けているのだという自覚があったから、話を促してしまった。
知らない男の話がつらつらと並べられていく。一生懸命話してくれているが、あまりにも不愉快で何一つ頭に残らない。彼女の述べる外見的特徴も、たった数回話しただけで判断した性格も、なにもかも消し去りたかった。
偶然の出会いだった。向こうも好意的な反応をしてくれていた気がする。そういった類のことをエヴィは言った。
少し話を聞いただけで分かる。ホーキンスと共に過ごした時間の方がずっとずっと長かったはずなのに、それらすべてを押しのけて、「運命の相手」との出会いが彼女にとって重要なものとなってしまった、と。
もちろん彼女はホーキンスも、他の友人たちのことも大事な存在だと言うだろう。そしてそれは嘘じゃない。ただ、「その相手」は別格なのだ。ホーキンスは友人の枠でしかなくて。せいぜい特別な友人止まりで。それで十分だと言うには、もうホーキンスの気持ちは――――。
気もそぞろになったホーキンスを置いて、エヴィの上気した頬がころころと表情を変える。弾ける声で残酷なことを口にする。
「一目見て気づいたんだ! この人が私の運命の相手 だ!って」
かつての父と同じことを言っている。皆、「運命」に相まみえた者はこう感じるのだろうか。
ほころぶように笑う彼女の視線はホーキンスに向いているけれど、ホーキンスを見ていない。つい先日出会った運命の相手を思い浮かべているのだ。
そいつが、彼女にこれからの人生が幸せに満ちたものだと確信させている。まだ結ばれてもいないのに、ホーキンスではさせられなかった顔を彼女にさせている。
あどけない笑顔だった。こんな幸福に満ちた彼女を泣かせられるわけがない。ホーキンスは顔を伏せた。目の奥が熱くて、嫌な予感がした。
「ホーキンス!」
少し大人びた声が名を呼んだ。思わずそちらを向くと、美しい女が純白のドレスを着て微笑んでいた。
「式に来てくれてありがとう!」
顔のぼやけた男と寄り添って、満面の笑みでホーキンスの手を握った。夫になるであろう男はそれを咎めない。ライバルとすら見なされていないのだと悟った。
「ね、ホーキンス、友人代表の挨拶をしてくれないかな」
「……なぜだ」
「だって、ホーキンスは一番大好きな友達だから!」
その言葉を聞いた瞬間、ホーキンスは心臓を掴まれた感覚に陥って、おそらくは笑みを浮かべていた。
ああ、おれはエヴィに「好き」と言われたかったんだな。
他人事のように、呆然とそう思った。
承諾し、嘘まみれの祝福を贈った。二人が嬉しそうに礼を述べた。やめろ。やめてくれ。
言われたかった言葉を聞きたくないタイミングで耳にしても、ホーキンスは泣かなかった。エヴィの祝いの場だから、と取り繕えるだけの理性があった。ここで泣きわめける男ならば、もっと前の段階で諦められたはずなのに。中途半端なプライドでホーキンスはエヴィを見送った。
色とりどりの花びらが舞う。エヴィが笑う。それでいい。それだけで――――
▲▲▲
ホーキンスはベッドにいた。
真っ暗な部屋に、カーテンの隙間から漏れた光が線となって走る。朝が来たらしい。
心臓が異様な早さで脈打っていた。全身に汗をかいていた。エヴィの笑顔がまだ脳裏に残っている。
さっきの光景は現実? それとも夢? 夢だと思いこみたいだけで、本当はあの瞬間の記憶を思い出したのではないか。
目覚めてしばらくの間、ホーキンスは自分が今どこにいるのかさえ分からなくなっていた。時間の感覚を失って硬直した体がようやくゆるんだのは、扉の外から使用人の声がしてからだった。
「ホーキンス様、ご主人様が食堂でお待ちです」
「……ああ、すぐ準備する」
なんとか絞り出した返事は笑えるほど掠れていた。まだ扉の向こうで使用人がこちらの様子をうかがっていることを感じ取り、ホーキンスは立ち去れと命じた。
一定のリズムで遠ざかっていく足音が、ホーキンスの頭をクリアにしていく。
冷静に考えれば分かる。ホーキンスたちはまだ十歳にも満たない子どもで、結婚なんかできっこない。挨拶を頼むにしたってタイミングが遅すぎる。寝ている間の夢らしく支離滅裂な内容だった。あり得ない。絶対、あんなこと、
「っ…………」
思い出したくもない。けれども、絶対無いとは言い切れない。だってホーキンスたちは運命の相手ではないのだから。今日出会わなくたって明日出会うかもしれず、その次の日、来月、来年、いつ遭遇してもおかしくなくて。
そうなれば、ホーキンスに勝ち目はないのだ。
本能で求めてしまう相手に勝てるわけがない。ホーキンスがずっと好きだったと伝えたところでエヴィは困ったように眉を下げるだけだろう。ホーキンスのことだって好ましく思っているはずだから。恋愛としての好意でないだけで。
もう自分を誤魔化しきれそうになかった。
向き合うときがきた。
そうだ。ホーキンスはエヴィが好きだ。恋愛感情としての好意を抱いている。
自分以外がエヴィに愛されるなんて嫌だ。友達の一人としてその様を見続ける羽目になるのも。
あいつの特別になりたい。誰にでも優しいエヴィが、特別心を砕く相手に。
たとえ、「運命の人」でなくたって。
▲▲▲
ホーキンスが遅れて現れたとき、まだ両親は食べ始めるのを待っていた。謝罪と共に席につく。彼らはそこそこ息子に甘い。嫌味の一つも言わず、爽やかな挨拶で朝食が始まった。
広いテーブルには各自が食べ切ることのできる量の料理が並べられている。無駄なことを好まない母がそうしろと命じたのだ。
食事の場において、父が母とホーキンスに話をふることが常であった。この屋敷で一番おしゃべりなのが父だからである。
そんな状態が共通の認識となっていたため、ホーキンスから話を始めたとき、両親は一瞬目を見開いた。
「お母様たちは運命で結ばれたのですよね」
「そうですが……急にどうしたのです。もしや、お前も占ったのですか」
「……はい」
「どこの誰でしたか」
「…………まだ、そこまで正確には見ていません」
「え、例の子じゃないの?」
「親しい者とは限りませんからね」
そう落ち込むものではないですよ。母が息子を励ますのは珍しいことだった。それだけに、ホーキンスの絶望はより一層増した。
ちまちまと皿の上のスクランブルエッグをつつくホーキンスに、両親は代わる代わる言葉をかけた。例の子――エヴィ以外にも気の合う者がいるはずだとか。時期が来れば「運命」と出会うこともあるだろう、だとか。
彼らは善意で言っている。ホーキンスは上の空になりながらも相づちだけは打っていた。
両親が自分に向ける視線の意味を察することができないほど鈍感であれば、もっと生きやすかっただろうにと思う。
彼らはホーキンスを微笑ましげな目で見ていた。子どもの一時の感情であって、成長すればまた考えも変わると言いたげな、生ぬるい視線。
その予想はきっと正しい。大人になるにつれて出会いも増え、ホーキンスとエヴィはお互い以外の人間を愛することもあるだろう。
でも、ホーキンスは今の話をしているのだ。彼らの言う輝かしい未来は恐怖の対象でしかない。いつか必ず別れが来ると知ってしまったから、目の前の恋が苦しくて仕方がない。
成長すれば変化もある。それが怖い。今ホーキンスが抱いている恋心は、運命の人と出会う前の余興にしかならないのだろうか。
今のホーキンスはエヴィに恋をしていて、実らせたいと思っている。
けれど、もし結ばれたとて、両親の言うように自然と別れが来て、次の出会いに夢中になる。人の気持ちは移ろいゆくものだから。自分もエヴィも、お互いのことをきれいな思い出とするようになる。
ホーキンスはエヴィの思い出になりたくない。エヴィを思い出にもしたくない。
大人になったホーキンスは別の考えに至っているかもしれないが、今この瞬間のホーキンスはそう切望しているのだ。
味のしなくなったパンを飲みこんで、退席する旨をぼそぼそと告げる。父がちょいちょい、と手招きしていたため近寄ると、彼はこっそりとホーキンスに尋ねた。
「例の子にはアタックするの?」
「はい」
「そうか……さっきはあんなこと言ったけどね、ぼくたちはお前の味方だよ。歴代当主にだって例外はいるし、諦めるんじゃないよ」
「言われずとも」
力のこもった返事をすると、父は眉を下げて笑い、ホーキンスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
彼らは根っからの悪人じゃない。だからこそ困るな、と思った。
ホーキンスは占う。一人、カードを睨みつけて。
「エヴィが運命の相手と出会う確率」
「エヴィがおれを好きになる確率」
占い続ける。繰り返し繰り返し、カードを並べてめくる。彼女に関する物事をすべて把握するために。少しでも自分との縁をひきよせるために。
「エヴィがおれを好きな確率……」
一パーセントでも上がっていてくれ、と。毎日懇願するように、ホーキンスは占い続ける。
残酷な事実を示した占いこそが、ホーキンスの望みを叶えてくれる。先を少しでも見通せるという利点を使い倒す。圧倒的な存在に抗うのなら、手段を選んではいられないのだ。
なお「エヴィがホーキンスを好きな確率」はホーキンス自身が困惑するほど日々上昇した。接触した日はもちろん、会ってすらいない日でもなぜか一パーセント上がっていた。
どうやらエヴィは親しい人間すべてを好ましく思う性分らしく、周囲の友人を好きな確率もかなり高かった。ホーキンスもその中の一人にすぎない。それではいけない。
ホーキンスは「恋愛対象として意識される」ための占いをおこなった。
簡単な結果が出た。距離をつめろ。それだけ。
恋人のような距離感で振る舞えばいいと言いたげな確率達を見て、ホーキンスは、自分の欲望が反映されすぎてカードがおかしくなったのではと悩み始めていた。
それらはホーキンスの杞憂に終わった。カードは絶好調だった。
手を繋いだらぐんと伸びたし、目を見て話すのを心がけたら引くほど上がった。友達同士でおこなうようなスキンシップでもこの上がりようである。ホーキンスが意識的に褒めてみただけで、エヴィは真っ赤になってあたふたすることもあった。
占いを口実にするとエヴィはなにも拒まないため、さすがのホーキンスも心配になってきた。
「お前ちょろすぎないか?」
「突然の悪口!? てかそれ皆に言われるんだけどなんなの?」
「みんな」
「うん。変なやつに引っかからないようにねって」
「…………」
「なんで無言になるの?」
その変なやつとは自分なのでは。
一瞬そうよぎったが、ホーキンスは自らをただの恋する少年として認識していたので、知らんぷりをすることにした。
エヴィが不思議そうにこちらを覗き込む。ホーキンスはちらと目をやって、その頬に手を伸ばす。するりと撫でれば彼女はくすぐったそうに笑う。
「なーに、どうしたの」
「別に、触りたかっただけだ」
「なにそれー! 仕返ししちゃお」
彼女はふざけているつもりなのだろう。傷つけないよう配慮をしつつ、ホーキンスの顔をぺたぺた触る。ほっぺたふわふわ〜なんて言っているけれど、おそらくは彼女の方が柔らかい。
相手が悪かった。お前が触れている相手は、お前をどうにかして手に入れたいと望む人間なんだぞ、とホーキンスは言ってやりたい気持ちになって、教えてやる優しさなぞ無いものだから、そのまま口をつぐんでいた。
互いの肌に触れる距離が自然になればいい。ホーキンスたちの間でだけ許されることになってしまえばいい。
その事実さえ作ってしまえば、この焦りだっていつかは消えるはずだから。
並べられた料理を、母は優雅に口にする。父は料理長を褒め称えながら、家族との会話をも楽しもうとしている。
ホーキンスはというと、どこかそわそわした様子で朝食をたいらげ、両親を交互に見やった。表情自体はいつもと変わりない。スンとした顔で、きちんと椅子に座っている。交流の浅い者であれば彼の期待のこもった眼差しにも気づかないことだろう。
母はホーキンスに負けず劣らずなむすっとした顔のまま、しかし笑いをかみ殺しながら許可を出した。
「遅くなる前に帰ってきなさい」
「はい」
最低限の礼儀作法は抑えつつ、ホーキンスは一目散に自室へと戻っていく。同席者と食べるスピードを合わせなかった点に関してはご愛嬌というものである。
息子の背中を見届けて、父――男はワイングラスを置くと、妻に話を振った。
「いいのかい? 勉強の時間がズレてしまうよ」
「もとより、今日は夜におこなうつもりでしたから」
「あ、そっか。今日仕事詰まってるもんね」
「ええ。それに、あの子があれほど楽しそうにしているのを見ると、嬉しくて」
「いい友達ができたんだねェ……」
二人は顔を見合わせて、ふふ、と笑う。
村では異質な存在とされるバジル家も、内側ではそこらの家庭と似たような会話をしているのだった。
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ホーキンスは毎日エヴィに会いに行けるわけではない。
起きてすぐ一日の運勢を、そして運気を上げるための物事を占う。その際、他者の協力が必要な内容でなければ葛藤の末諦める。
エヴィはホーキンスが不審者に協力を要請するのを危ぶんで、それならば、と名乗り出たのだ。必要がないときに行くのは迷惑かもしれない。命令するのが当たり前の生活を送っているホーキンスにも、そういう配慮をすることはできた。
朝食から戻ってきたホーキンスはさっさと支度を整え、部屋を飛び出す前に一呼吸おいた。
今日は会いに行ってもいい日だ。
エヴィのいそうな場所を片っ端から占っていく。家、空き地、友人宅、森、ありとあらゆる場所を見て、エヴィの一日を予想する。順に当たっていけばどこかで会えるだろう。
今日のエヴィは家付近にいる確率が高い。あくまでも偶然を装わなくてはならない。ホーキンスは言ってしまってもいいと思っているのだが、母はそんな彼を止めた。「見定めてからになさい」との忠告を素直に守っている。
彼女が少しでも長くいっしょにいてくれますように、と願いながら、今日もホーキンスは屋敷を発った。
「ホーキンス! おはよ!」
「おはよう」
ホーキンスと視線が合う。挨拶を返す。それだけでエヴィの顔は輝く。本人はこれっぽっちも気づいていなさそうだが、全身で喜びを表現している。
ただ会ったというだけでこんなにも喜ばれるのはなんだか照れくさくて、他のやつにもこういう態度なのだと思うとほんの少し苛立った。
なぜ自分が気分を害したのか、ホーキンスにもよく分からないが。
「今日はどうするの?」
「島を一周する。案内しろ」
「まーたすごいのが出たねえ」
じゃあ行こっか。そう言ってエヴィは歩き出す。ホーキンスに合わせてとことこ歩く。
エヴィはホーキンスの頼みを断らない。どれだけ手間がかかるような内容でも、「やばいね」の一言で終わらせてしまう。嫌がる顔は一切せず、なんなら笑顔で付き合ってくれる。
あまりにもホーキンスに都合がいいので、たまに自分の頬をつねることがある。痛みを感じて、現実だと再確認する。最近ようやく素直に受け入れられるようになった。
当然のように命じている裏で、ホーキンスはホーキンスなりにいろいろと思うところがあったのだった。
並んで歩きながら、度々エヴィは遠くの村人に挨拶をする。村人たちはホーキンスの姿に首をかしげつつも、エヴィといるのならおかしなやつではないのだろうという顔で作業に戻る。
大声でやり取りを終えたエヴィが、思いついたように振り向いた。
「そういやホーキンスってさ、占い以外で外出ることとかないの?」
「……あまり無い」
「ふーん。それだとなかなか会えないね、残念」
話の流れで口に出したのだろう、軽い言葉。ホーキンスはしばし無言になる。エヴィがどうしたの、と声をかけてくる。
「用事がなくても来ていいのか」
「いいんじゃない? 理由が必要なら私と遊ぶってのを用事にする感じで……や、わざわざ来てとかじゃなくて、たまにでいいからさ」
こわごわと尋ねたホーキンスに対し、エヴィはなんとも思っていなさげな表情で答えを渡す。彼女はさっさと次の話題に移ってしまって、本当にただの質問のつもりだったのだと察した。
来てもいいらしい。
会いたいからというだけで、彼女に時間を割かせても許される。今、本人から許可が出た。
しかしホーキンスにはプライドがあった。会いに来ているとバレるのは恥ずかしいだとか、そんな小さな感情だが、しかし無視できるものでもない。少しの間悩んだ後、当分は占いを理由にしようと現状の継続を選んだ。
「ねえねえ、あの木まで競争しない?」
「あっ、おい待て!」
言うが早いが走り出したエヴィを追うと、彼女の跳ねるような笑い声が耳に届く。昇ってきた太陽が彼女を照らす。その様があまりにも眩しくて、ホーキンスはふっと目を細めた。
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ほくほく顔で帰宅したホーキンスは風呂も夕食も当主教育もしっかりこなし、おやすみなさいの挨拶まで終えて、あとは寝るだけの状態となっていた。半日も外を歩き回っていたから疲れているし眠気もある。でもあとちょっとだけ今日を過ごしたくて、夜ふかしをすることにした。
外出時にも肌見離さず持ち歩いていたカードの束を机に広げ、ホーキンスは精神を集中させる。一本だけ灯した蝋燭が揺らめいている。
かつては「結果に意味などない」と思っていたホーキンスは、幾度もの成功体験によって占いへの信用を深めていた。なにをするにしてもまず占って、確率を出してから行動を決めた。必ずしも失敗を避けられるわけではない。しかし事前に心の準備ができるというのは大きい。
ホーキンスの生活のすべてが占いによって出来上がっていく。回数を重ねるほどに力をつけ、正確な結果が出る。さらに占いに傾倒する。
ホーキンスの生来の才が思う存分発揮されたことで、現当主である母からもこのままいけば歴代随一の占い師になるだろうとの言を得た。自信がついてやる気が出て、頑張るほどにうまくいく。占いは趣味にはならないが楽しかった。
気づくと、ホーキンスの日常は占いに染まっていた。生まれた家がそうなのだから遅かれ早かれこうなっていただろうが、いざ認めると不思議なものである。
心が穏やかになってきたあたりで、ホーキンスは今回占う内容を決めた。
少年の淡い恋心だ。いずれ彫刻めいた男に成長するにしても、今のホーキンスは単なる占いが得意な少年にすぎない。最近ちょっと気になる女の子がいて、自分には未来を占う手段がある。となると、占ってみたくなってしまうもので。
親にバレたら低俗だと叱られるかもしれないが、バレなければいいのだ。エヴィの強かさがうつってきたホーキンスはそう考えてカードを並べていく。本当にささいなことを占う。
例えば。
「エヴィが運命の人である確率……」
いたいけな子どもが花びらを千切って願うような、相手の名前を書いて枕の下に入れるような。
ふわふわした感情の中に、わずかながらの本気を隠した行為。
出来心だったのだ。
彼の占いは確率として現れる。曖昧さを望まなければ、数字としてはっきりと白黒つけられてしまう。
「0%……!?」
お前とあいつの間に赤い糸は結ばれていないのだ、と。簡潔に。期待を持たせる余地もなく。
解釈なんてさせる隙間はなかった。そこにあるのはただの無だ。
ホーキンスだって、100%が出るとは思っていなかった。でも、少しくらいは可能性があると思いたくて。たった数%でいい。それだけでホーキンスの心は浮き立っただろう。
ほんのりとした好意を無惨に踏みにじられた気分になって、今日はもう占わないぞと決心する。そもそもエヴィは友達なのだから、別に運命の人でなくたっていいのだ。ホーキンスは冗談でやったのだし。むしろ運命の人だと言われていたら、今後顔を合わせる際にどぎまぎしてしまうかもしれない。エヴィとの楽しい時間が失われてしまう。そうならなくてよかった。
これでよかったんだ。
ホーキンスは精いっぱいの強がりを脳内に敷きつめて、奥底の気持ちに蓋をした。今なら、気づかないでいられる。
かすかな苦しさを誤魔化すため、ベッドに潜り込む。瞼を伏せてしばらくはぐるぐると回っていた頭の中も、体があたたまっていくうちに眠気でぼやけていく。これ幸いとホーキンスは意識を手放した。
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「ねえホーキンス、お願いがあるんだけど……」
エヴィがおそるおそるといった風に切り出したので、ホーキンスはなんだ、と返す。彼女が頼み事をするのは珍しい。いつもホーキンスの占いに合わせて動いてくれているから、たまには聞いてやるのもいいだろう。その程度の、軽い気持ちで返事をした。
エヴィはパッと笑った。彼女は感情がそのまま顔に出る。本人は隠しきれていると思っているらしいが、大抵の人は彼女の考えを読み取ることができるだろう。とにかく、今の彼女は喜んでいる。ホーキンスに頼みを聞いてもらえそうだから、というだけで。その事実はホーキンスの心をくすぐった。
「えっとね、これ、ホーキンスに言うのが初めてなんだけど」
にへにへとまぬけな擬音が出そうなくらい頬を緩ませて、エヴィは照れながら、大切な宝物を披露するように打ち明けた。
「私ね、好きな人ができたの」
ホーキンスの表情は変わらない。たとえ衝撃で息が止まっても、彼の背筋はピンと伸びたままだった。一瞬目の前が暗くなったとしても、次の瞬間には彼女の顔を見ていた。
目が合う。とろんとした瞳。出会ったときの笑みとは違った種類の、ホーキンスには一度も向けられたことのない甘さ。
「それで、彼との相性をね、占ってほしくて……。頼んでもいい?」
「…………どんなやつなんだ」
「えへへ! よくぞ聞いてくれました!」
聞きたくなんかなかった。この場で彼女の口を塞いでしまいたかった。けれどもホーキンスはエヴィの友人であったから、彼女に信頼されてこんな相談を受けているのだという自覚があったから、話を促してしまった。
知らない男の話がつらつらと並べられていく。一生懸命話してくれているが、あまりにも不愉快で何一つ頭に残らない。彼女の述べる外見的特徴も、たった数回話しただけで判断した性格も、なにもかも消し去りたかった。
偶然の出会いだった。向こうも好意的な反応をしてくれていた気がする。そういった類のことをエヴィは言った。
少し話を聞いただけで分かる。ホーキンスと共に過ごした時間の方がずっとずっと長かったはずなのに、それらすべてを押しのけて、「運命の相手」との出会いが彼女にとって重要なものとなってしまった、と。
もちろん彼女はホーキンスも、他の友人たちのことも大事な存在だと言うだろう。そしてそれは嘘じゃない。ただ、「その相手」は別格なのだ。ホーキンスは友人の枠でしかなくて。せいぜい特別な友人止まりで。それで十分だと言うには、もうホーキンスの気持ちは――――。
気もそぞろになったホーキンスを置いて、エヴィの上気した頬がころころと表情を変える。弾ける声で残酷なことを口にする。
「一目見て気づいたんだ! この人が私の
かつての父と同じことを言っている。皆、「運命」に相まみえた者はこう感じるのだろうか。
ほころぶように笑う彼女の視線はホーキンスに向いているけれど、ホーキンスを見ていない。つい先日出会った運命の相手を思い浮かべているのだ。
そいつが、彼女にこれからの人生が幸せに満ちたものだと確信させている。まだ結ばれてもいないのに、ホーキンスではさせられなかった顔を彼女にさせている。
あどけない笑顔だった。こんな幸福に満ちた彼女を泣かせられるわけがない。ホーキンスは顔を伏せた。目の奥が熱くて、嫌な予感がした。
「ホーキンス!」
少し大人びた声が名を呼んだ。思わずそちらを向くと、美しい女が純白のドレスを着て微笑んでいた。
「式に来てくれてありがとう!」
顔のぼやけた男と寄り添って、満面の笑みでホーキンスの手を握った。夫になるであろう男はそれを咎めない。ライバルとすら見なされていないのだと悟った。
「ね、ホーキンス、友人代表の挨拶をしてくれないかな」
「……なぜだ」
「だって、ホーキンスは一番大好きな友達だから!」
その言葉を聞いた瞬間、ホーキンスは心臓を掴まれた感覚に陥って、おそらくは笑みを浮かべていた。
ああ、おれはエヴィに「好き」と言われたかったんだな。
他人事のように、呆然とそう思った。
承諾し、嘘まみれの祝福を贈った。二人が嬉しそうに礼を述べた。やめろ。やめてくれ。
言われたかった言葉を聞きたくないタイミングで耳にしても、ホーキンスは泣かなかった。エヴィの祝いの場だから、と取り繕えるだけの理性があった。ここで泣きわめける男ならば、もっと前の段階で諦められたはずなのに。中途半端なプライドでホーキンスはエヴィを見送った。
色とりどりの花びらが舞う。エヴィが笑う。それでいい。それだけで――――
▲▲▲
ホーキンスはベッドにいた。
真っ暗な部屋に、カーテンの隙間から漏れた光が線となって走る。朝が来たらしい。
心臓が異様な早さで脈打っていた。全身に汗をかいていた。エヴィの笑顔がまだ脳裏に残っている。
さっきの光景は現実? それとも夢? 夢だと思いこみたいだけで、本当はあの瞬間の記憶を思い出したのではないか。
目覚めてしばらくの間、ホーキンスは自分が今どこにいるのかさえ分からなくなっていた。時間の感覚を失って硬直した体がようやくゆるんだのは、扉の外から使用人の声がしてからだった。
「ホーキンス様、ご主人様が食堂でお待ちです」
「……ああ、すぐ準備する」
なんとか絞り出した返事は笑えるほど掠れていた。まだ扉の向こうで使用人がこちらの様子をうかがっていることを感じ取り、ホーキンスは立ち去れと命じた。
一定のリズムで遠ざかっていく足音が、ホーキンスの頭をクリアにしていく。
冷静に考えれば分かる。ホーキンスたちはまだ十歳にも満たない子どもで、結婚なんかできっこない。挨拶を頼むにしたってタイミングが遅すぎる。寝ている間の夢らしく支離滅裂な内容だった。あり得ない。絶対、あんなこと、
「っ…………」
思い出したくもない。けれども、絶対無いとは言い切れない。だってホーキンスたちは運命の相手ではないのだから。今日出会わなくたって明日出会うかもしれず、その次の日、来月、来年、いつ遭遇してもおかしくなくて。
そうなれば、ホーキンスに勝ち目はないのだ。
本能で求めてしまう相手に勝てるわけがない。ホーキンスがずっと好きだったと伝えたところでエヴィは困ったように眉を下げるだけだろう。ホーキンスのことだって好ましく思っているはずだから。恋愛としての好意でないだけで。
もう自分を誤魔化しきれそうになかった。
向き合うときがきた。
そうだ。ホーキンスはエヴィが好きだ。恋愛感情としての好意を抱いている。
自分以外がエヴィに愛されるなんて嫌だ。友達の一人としてその様を見続ける羽目になるのも。
あいつの特別になりたい。誰にでも優しいエヴィが、特別心を砕く相手に。
たとえ、「運命の人」でなくたって。
▲▲▲
ホーキンスが遅れて現れたとき、まだ両親は食べ始めるのを待っていた。謝罪と共に席につく。彼らはそこそこ息子に甘い。嫌味の一つも言わず、爽やかな挨拶で朝食が始まった。
広いテーブルには各自が食べ切ることのできる量の料理が並べられている。無駄なことを好まない母がそうしろと命じたのだ。
食事の場において、父が母とホーキンスに話をふることが常であった。この屋敷で一番おしゃべりなのが父だからである。
そんな状態が共通の認識となっていたため、ホーキンスから話を始めたとき、両親は一瞬目を見開いた。
「お母様たちは運命で結ばれたのですよね」
「そうですが……急にどうしたのです。もしや、お前も占ったのですか」
「……はい」
「どこの誰でしたか」
「…………まだ、そこまで正確には見ていません」
「え、例の子じゃないの?」
「親しい者とは限りませんからね」
そう落ち込むものではないですよ。母が息子を励ますのは珍しいことだった。それだけに、ホーキンスの絶望はより一層増した。
ちまちまと皿の上のスクランブルエッグをつつくホーキンスに、両親は代わる代わる言葉をかけた。例の子――エヴィ以外にも気の合う者がいるはずだとか。時期が来れば「運命」と出会うこともあるだろう、だとか。
彼らは善意で言っている。ホーキンスは上の空になりながらも相づちだけは打っていた。
両親が自分に向ける視線の意味を察することができないほど鈍感であれば、もっと生きやすかっただろうにと思う。
彼らはホーキンスを微笑ましげな目で見ていた。子どもの一時の感情であって、成長すればまた考えも変わると言いたげな、生ぬるい視線。
その予想はきっと正しい。大人になるにつれて出会いも増え、ホーキンスとエヴィはお互い以外の人間を愛することもあるだろう。
でも、ホーキンスは今の話をしているのだ。彼らの言う輝かしい未来は恐怖の対象でしかない。いつか必ず別れが来ると知ってしまったから、目の前の恋が苦しくて仕方がない。
成長すれば変化もある。それが怖い。今ホーキンスが抱いている恋心は、運命の人と出会う前の余興にしかならないのだろうか。
今のホーキンスはエヴィに恋をしていて、実らせたいと思っている。
けれど、もし結ばれたとて、両親の言うように自然と別れが来て、次の出会いに夢中になる。人の気持ちは移ろいゆくものだから。自分もエヴィも、お互いのことをきれいな思い出とするようになる。
ホーキンスはエヴィの思い出になりたくない。エヴィを思い出にもしたくない。
大人になったホーキンスは別の考えに至っているかもしれないが、今この瞬間のホーキンスはそう切望しているのだ。
味のしなくなったパンを飲みこんで、退席する旨をぼそぼそと告げる。父がちょいちょい、と手招きしていたため近寄ると、彼はこっそりとホーキンスに尋ねた。
「例の子にはアタックするの?」
「はい」
「そうか……さっきはあんなこと言ったけどね、ぼくたちはお前の味方だよ。歴代当主にだって例外はいるし、諦めるんじゃないよ」
「言われずとも」
力のこもった返事をすると、父は眉を下げて笑い、ホーキンスの頭をくしゃくしゃと撫でた。
彼らは根っからの悪人じゃない。だからこそ困るな、と思った。
ホーキンスは占う。一人、カードを睨みつけて。
「エヴィが運命の相手と出会う確率」
「エヴィがおれを好きになる確率」
占い続ける。繰り返し繰り返し、カードを並べてめくる。彼女に関する物事をすべて把握するために。少しでも自分との縁をひきよせるために。
「エヴィがおれを好きな確率……」
一パーセントでも上がっていてくれ、と。毎日懇願するように、ホーキンスは占い続ける。
残酷な事実を示した占いこそが、ホーキンスの望みを叶えてくれる。先を少しでも見通せるという利点を使い倒す。圧倒的な存在に抗うのなら、手段を選んではいられないのだ。
なお「エヴィがホーキンスを好きな確率」はホーキンス自身が困惑するほど日々上昇した。接触した日はもちろん、会ってすらいない日でもなぜか一パーセント上がっていた。
どうやらエヴィは親しい人間すべてを好ましく思う性分らしく、周囲の友人を好きな確率もかなり高かった。ホーキンスもその中の一人にすぎない。それではいけない。
ホーキンスは「恋愛対象として意識される」ための占いをおこなった。
簡単な結果が出た。距離をつめろ。それだけ。
恋人のような距離感で振る舞えばいいと言いたげな確率達を見て、ホーキンスは、自分の欲望が反映されすぎてカードがおかしくなったのではと悩み始めていた。
それらはホーキンスの杞憂に終わった。カードは絶好調だった。
手を繋いだらぐんと伸びたし、目を見て話すのを心がけたら引くほど上がった。友達同士でおこなうようなスキンシップでもこの上がりようである。ホーキンスが意識的に褒めてみただけで、エヴィは真っ赤になってあたふたすることもあった。
占いを口実にするとエヴィはなにも拒まないため、さすがのホーキンスも心配になってきた。
「お前ちょろすぎないか?」
「突然の悪口!? てかそれ皆に言われるんだけどなんなの?」
「みんな」
「うん。変なやつに引っかからないようにねって」
「…………」
「なんで無言になるの?」
その変なやつとは自分なのでは。
一瞬そうよぎったが、ホーキンスは自らをただの恋する少年として認識していたので、知らんぷりをすることにした。
エヴィが不思議そうにこちらを覗き込む。ホーキンスはちらと目をやって、その頬に手を伸ばす。するりと撫でれば彼女はくすぐったそうに笑う。
「なーに、どうしたの」
「別に、触りたかっただけだ」
「なにそれー! 仕返ししちゃお」
彼女はふざけているつもりなのだろう。傷つけないよう配慮をしつつ、ホーキンスの顔をぺたぺた触る。ほっぺたふわふわ〜なんて言っているけれど、おそらくは彼女の方が柔らかい。
相手が悪かった。お前が触れている相手は、お前をどうにかして手に入れたいと望む人間なんだぞ、とホーキンスは言ってやりたい気持ちになって、教えてやる優しさなぞ無いものだから、そのまま口をつぐんでいた。
互いの肌に触れる距離が自然になればいい。ホーキンスたちの間でだけ許されることになってしまえばいい。
その事実さえ作ってしまえば、この焦りだっていつかは消えるはずだから。