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お前を燃やす炎の名は/ヴェルゴ
「見ろ、あそこだ」「ずいぶん派手にやってんなァ」
ヴェルゴが噂を聞きつけて仲間達と共に屋敷へ向かった時点で、もう例の一家は磔にされていた。ごうごうと燃える屋敷には迫力がある。来たかいがあったというものだ。
民衆がギャアギャアわめいて彼らを痛めつけるのを、ヴェルゴ達は静観していた。
迫害には参加しなかったが、厄介者にわざわざ手を差し伸べる気もないのである。今回だって、あまりに街の住民が騒いでいたものだから話の種になるだろうと見物に来ただけだ。
彼らが場所取りにうろちょろしている間も火の手は止まず、人々が思い思いに攻撃しては一家の傷が増えていった。
やつれはてた男が「やめてくれ」と叫ぶ。
前髪で顔の隠れた小さな少年がいたいいたいと泣いている。
短髪の少年に矢が突き刺さり、声変わり前の悲鳴が上がる。
ヴェルゴはそれを見て、天竜人も人間と同じ反応をするのだな、と思った。面白みはない。悲鳴なんて街にいればいくらだって聞けるのだ。
もっとも、こんな感想が出るのは天竜人からの被害を直接受けていないからだろう。
この国の貧困は天竜人の影響が大きいが、そこまで範囲が広いとなるとヴェルゴには実感がない。身近な人間の死にも慣れてしまった。死なないから生きているだけのヴェルゴにとって、近所の喧嘩っ早い暴力親父も天竜人も大して変わらない存在だった。
「何泣いてるんだい、この恩知らずっ……!!」
どこからか鈍い打撃音とうめき声が流れてきた。街中でよく聞く音だし、見なくとも何が起こっているか把握できる。だが、一家の反応に飽きつつあったヴェルゴは何の気なしに目をやった。
屋敷を見上げて罵声を浴びせる民衆の中、一人だけ、地べたにうずくまっているやつがいる。
髪の毛を鷲掴みにされ、顔を上向きに晒されている子供。先程の声はこいつが漏らしたものらしい。
ひどく殴られたのか、元の状態が分からぬほど顔が腫れ上がっている。パッと見て誰だか判断するのは難しかったが、ヴェルゴの頭脳はそう時間をかけずに該当する少女を思い出した。街で花売りをする少女――アルマだ。売り上げは良くも悪くもない。評判だって微妙なもので、死んだところで悲しむやつは少ない。そんなよくいる類の少女だった。
立ち上がろうとする度、彼女の足元がふらついていた。すり切れた服には血が滲み、黒々とした長髪が怒号で揺れる。
少女のことを引きずり回しては小突くあの女は、確か彼女の叔母だったはず。唾を散らしながらまくし立てる剣幕は傍から見ていても恐ろしいものだが、周囲の人間も同じような表情をしているせいで馴染んでしまっていた。
叔母だけではここまでの傷を負わせられないだろうから、天竜人の一家が吊られるまでは彼女が殴られていたのかもしれない。今の状況ではたかが子供一人をなぶるより、矛先を向けるべき相手がいるから放置されているだけで。
「ほんとは悪いと思ってないんだろう!? 見な! あんたが庇った天竜人の末路だ!! あんた一人がだんまり決め込んだところで、意味なんかないんだよっ!!」
言われなくても、そいつは確かに死んだ目で少年達を見ていた。濡れた顔面が炎を反射し、てらてら光る。そして今もぼろぼろと泣き続けている。
周囲が一家に罵声を浴びせる度しゃくりあげているあたり、自分の怪我よりも磔になった元天竜人の方に心を痛めているらしい。
以前彼女の様子に首をかしげたことはあるが、まさか本当にあいつらの味方をしていたとは、とヴェルゴは内心驚いた。彼女の両親の事情もそのせいで起きた出来事も、ヴェルゴ達は把握済みなのだ。恨みこそあれど庇う理由などないはずだが。
怒りに満ちた熱気の中、この少女だけが一家のために涙を流していた。彼女が何を思ってこんなことをしでかしたのか、ヴェルゴの知るところではない。叔母の言う通り、無力な子供が庇ったところで何の足しにもならないと本人だって理解していただろうに。
段々と炎の勢いが増し、一家の衰弱具合も目に見えてひどくなってきた。
しかし人々は激高し続ける。弱った姿を見て、もっと、もっと苦しめと呪詛が飛び交う。積年の恨みを今ここで晴らさんとばかりに痛みにあえぐ一家を責め立てる。
小さい方の少年が何か口にした。内容までは分からないそれを皮切りに、短髪の少年が大声で叫ぶ。これまでの泣き言とは全く違う声色で。
「おまえらを一人残らず殺しにいくからなァ!!!!」
――――その瞬間、全身が震えた。
未体験の昂りが体を駆け巡る。頭がやけに冴えたような感覚。膝をついてしまいそうな、圧倒的な存在感。
相手は矢傷を受けた同年代の少年だというのに、自分との違いをまざまざと見せつけられたような。
縛りつけられて、傷だらけになって、泣きじゃくっている彼が。ここにいる誰よりも上に立つべき者なのだと本能で分かった。
ヴェルゴは口を閉じることも忘れ、少年の宣告に聞き入った。
そして気がつくと、ヴェルゴだけがその場に立っていた。
民衆は武器を持ったまま卒倒。仲間達も倒れこんでいる。今の衝撃を分かち合う相手がいないことに若干の落胆を覚えつつ周囲を確認すれば、地面に赤黒い跡が残っていた。
少女が進んだ道を示す血の跡は、屋敷の入り口に向かって点々と続く。ヴェルゴが呆然としていた間に屋敷へ乗り込んだらしい。よくあの怪我で動けたものだ。執念すら感じる少女の行動に少しだけひやりとした。
なぜか炎の勢いがマシになったとはいえ、依然として一家は宙吊りにされている。仲間達が起きるには時間がかかりそうだと判断し、ヴェルゴは一人、崩壊しかけの屋敷に乗り込んでいく。
あの少年を探すために。
荒らしつくされた部屋を横目に屋敷を探索する。火の手はまだ所々に残っている。さっさと見つけなくては自分までここで焼け死んでしまう。
ようやく見つけた階段の成れ果てを登っていくと、ヴェルゴの耳がかすかな物音を拾い上げた。何か重たいものを引きずっているのか、音の発生源はゆっくりと動いている。そんなスピードでは炎に飲まれるのも時間の問題だ。足早に廊下を駆け抜ける。
あっという間に辿り着いた場所には、血まみれの一家を引きずって歩く、これまた重傷のアルマがいた。
父親を背負い、兄弟を両手に抱えている。どう見ても重量オーバーなそれを保ったまま、目の前に立つヴェルゴすら視界に入れず彼女は歩みを進めていく。
アルマの首にしがみつく父親の口から息が漏れる度に、生命が流れ出ていくかのように見えた。小さい方の子供は死んでいないのが不思議なくらいの深手を負っており、頬に残る涙の跡が乾ききっていた。
目当ての少年はといえば、少女の右腕に掴まったままぼんやりとうつむいている。が、ヴェルゴの存在に気がつくとハッとして顔つきを変えた。
「誰だてめェ……」
「おれはヴェルゴ。お前に会いにきた」
彼の頬にもまた涙の跡が残っていたが、敵意に満ちた表情によってずいぶんと印象が違って見える。この少年ならば、必ずあの叫びを実行するだろう。その時自分を横に置いてほしい、と乞うにはいかんせん信頼が足りない。
まずは挨拶から。人間関係の基本だ。
彼のサングラスには残り火が反射していて、その奥の瞳まで窺うことはできなかった。きっと向こうも同じように思っている。
「……あー、キミ、聞こえてるか? 後はおれに任せてくれ」
ヴェルゴ達が話しているのも気に留めず、少女は一定のペースで歩いていく。二人の声が聞こえていないどころか意識があるかも怪しい。
一家を強く抱きしめ、無心になって出口を求めて彷徨うその姿は、血と炎の赤に染まっているその様は。まるで――――。
ガラガラ、という音が遠くから聞こえるやいなや、ヴェルゴはアルマの返事も待たずに少年を奪い取った。抵抗する力が残っていないのか、たやすく手が離れた。突然重さを失った手のひらが追うような素ぶりをみせ、よろよろとおりていく。指先から滴った血が床に落ちる。
よく見ると、彼女の指は何枚か爪を失っていた。一家を救出する際に剥がれたのか、それ以前に剥がされたのか。本人は気にも留めていなさそうだ。全身が痛むであろう彼女にとって、もはや爪の数枚なんてどうでもいいのだろう。
肌を這う熱気を感じながら、ヴェルゴの目はサングラス越しに、その血の赤さを知る。ただの子供だ。人間だ。恐れる必要はない。
予想通り、屋敷が崩壊し始めている。一刻も早くここから離れなくてはならない。
少年を背負い、来た道はまだ残っているから、とアルマを先導する。彼女の虚ろな視線がヴェルゴに向き、さっきよりはマシな動きでついてくる。言葉が通じる程度には正気らしい。ヴェルゴは背中で暴れようとする少年を窘めつつ、そんな彼女の様子にほっとしていた。
二人がどうにか屋敷から逃れてきても、気絶した人々はまだ起き上がっていなかった。これ以上待つ気のないヴェルゴが仲間を数人蹴り起こす。
幸い、彼らは軽く小突いただけで意識を取り戻した。
「あれ……? なんでおれ寝てたんだ?」
「話はあとだ。手伝ってくれ」
仲間が簡単に起きたということは、民衆が起き上がるのも時間の問題だ。早いところ移動しなくては。詳細を説明せずにさっさと命令を下そうとした、その時。
仲間の一人がアルマの存在に気がついた。ヴェルゴの後方で、男を背負い、少年を抱えた細身の少女。
認識した瞬間、彼は絶叫した。
「ば、化け物っ……!!」
火の弾ける音が聞こえるほどに、場が静まり返った。
言われた本人は何も言い返さない。もしくは、そんな余裕がないのか。
ヴェルゴもまた、フォローする気はなかった。自分だって一度は頭をよぎったのだから。
バサバサと髪をふり乱し、腫れ上がった顔も手足も血みどろで、ゆらゆらと立ちつくしている。
こんな生気の感じられない出で立ちともなれば、なるほど、化け物と呼びたくもなるだろう。
しかし、例の少年はそうは思わなかったらしい。
「お前……!!」と、どこに隠していたのかと思うくらいに強い力でヴェルゴの腕を振り払おうとした。降りてそのまま飛びかかるつもりなのだ、と察したヴェルゴは、それを許さなかった。仲間を庇うのではない。今の彼が吠えたとて、誰相手でも負けることが明白だったからだ。
力で抑えつけて邪魔したヴェルゴを、前のめりになった少年がギリ、と歯ぎしりして睨む。小声で告げる。
「今のお前じゃ負けるぞ。いいのか」
「…………」
舌打ちと共に、彼の体から力が抜けた。もとより立っているのもままならない重傷である。すぐに引いてくれて助かった、と思いつつ、忠告に耳を傾ける冷静さをヴェルゴは高く評価した。
仲間達に向けて、親子を運ぶ役目を引き継げと指示すれば、彼らはおそるおそるアルマに近づいていった。別に襲いかかってきやしないが、近寄りがたい雰囲気であるというのは理解できる。受け渡しが終わるまでの間、ヴェルゴは一息つくことにした。
父親らしき男と小さい子供はいつの間にか気を失っていた。むしろ、温室育ちらしい彼らがあそこまで意識を保っていただけよくやった方だ。
少年はというと、ぽっと出のヴェルゴに背負われているのが不満なのか、依然として口を曲げている。もう暴れそうにはないが、何度もアルマの姿を確認していた。
「彼女はもう限界だ。これ以上任せるのは厳しいぞ」
「……分かってる」
大人しく返事をするも、その声色には不満が滲む。アルマが天竜人に肩入れした事実は何度考えても謎だが、この少年が彼女にとる態度も不思議の一つだ。自身の不安から知人に助けを求めたかったのか、重傷のアルマを見て心配する気持ちがわいたのか。いずれそのあたりを尋ねる機会があるだろう。
たった二人を引き渡すにしてはやけに時間がかかっているな、とヴェルゴが思ったと同時に、指示を下した内の一人が弱った顔でやってきた。
「ヴェルゴさん、あいつ、手ェ離さないんすけど……」
困り果ててそう言った彼の後ろには、殴る蹴るの暴行でどうにか奪い取ろうと苦戦する仲間達が見えた。
複数名からそんなことをされているのに、細い少女は奇妙なまでに動かない。死後硬直しているのだと言われても納得してしまうくらいには微動だにしない。
——ああ、彼女は動けないのだ。
ヴェルゴはそう気づいた。逃げようにも重い荷物を抱えては走れない。かといって、置いて逃げる気もなく、他人に預けられるほど信じていない。
ヴェルゴは少女に近寄っていく。近づくほど彼女の容態が明確になり、背中の少年が息を呑む気配がする。
「おれが見えるか」
歩けないはずの足を動かして、上げるだけで痛みが走るであろう腕にめいっぱい力を込めて、ひゅうひゅうと苦しげに息をして。
それでも少女は立っていた。
彼女の全身は震えていたけれど、腫れぼったいまぶたの隙間から、ぬらりとした瞳が見えた。涙の水分が残る、光のない瞳がヴェルゴを見定めようとしている。ヴェルゴはその値踏みを真っ向から受けて立った。
「おれが、おれ達が、彼らを安全な場所まで運んでやる。手当てもそこでする。絶対危害を加えないと約束しよう」
少女が求めているであろう内容を誓ってみせた。口先だけではなく、ヴェルゴは本気でそうするつもりだ。
時間にすればほんの数秒にも満たない視線の交わりの後、少女が口を開く。
囁きよりも儚い声。
「このひとたちを、たすけて」
ヴェルゴがしっかり頷いてみせると、決して離さないようにと込められていた力が緩んでいく。
無事受け渡され、ヴェルゴらが逃げる準備をしたのを確認した途端、少女がその場で崩れ落ちた。
「こいつも運ぶぞ」
有無を言わせず命じると、仲間達は即座に行動に移す。少し触れるだけで彼女の血がべとりとついた。
ヴェルゴは少年を抱え直しながら、いきなり四人も連れて帰る口実に何を言うべきかを考えていた。
***
「ありがとう」
目覚めてすぐ、アルマはそう口にした。まだ声なんてほとんど出ていなかったが、口の動きから察したヴェルゴは頷きで答えた。
生きてベッドに横たわることができただけで、彼女はヴェルゴが約束を果たしたと分かったのだろう。実際に一家をアジトまで運び、手当てまでしたのだからお礼の言葉くらい受け取ってもバチは当たらないはずだ。
あの日から幾日か経った今、傷の具合を見ながら夕飯について考えていたヴェルゴは、実のところ突如目を開いた――といっても腫れた瞼によって若干の変化しかなかった――アルマに少し驚いた。しかし顔に出さないまま包帯を取り替える。彼女はそれをじっと見つめていた。
連れてきた四人の中で彼女が真っ先に目覚めた。あれだけの傷を負っておいて、と意外に思いつつ、ヴェルゴは軽く現状を説明していく。
一家は重傷ではあるが命は取り留めていること、そこに見える通り――部屋にはアルマだけでなく父親と子供を寝かせていた――彼らはまだ起きそうにないのだということ。
「ドフラミンゴは?」
「サングラスのやつのことか? あいつなら別室にいる。この部屋に入りきらなかったんでな」
「……わざと?」
「まさか」
嘘だと気づいても、彼女はそれ以上踏み込まなかった。
あいつが起きたら教えて、とだけ。
「おれが誰だか知ってるか?」
「……集金の子」
「覚えているなら話が早い。ヴェルゴだ。そういえば名乗っていなかったな」
「名乗ってた、よ」
「そうか、名乗ってたか」
自分としてはどちらでもいいからこその返答だったが、アルマはそう思わなかったのか、ろくに動かない瞼をぴくぴくさせた。
しかしわざわざ言うほどでもないと判断したらしく、口をなにやら動かした後、再度礼を言った。
「ヴェルゴ、ありがとう」
少女は噛みしめるように繰り返した。
窓から差し込む夕焼けが彼女の肌を赤く染める。炎に照らされた姿を思い出す。
「私一人じゃだめだった。助けてくれて、ありがとう」
「そう何度も言わなくてもいい。商売やってるやつを守るのも仕事のうちだ」
今度は明らかに懐疑的な目を向けてきた。はっきりと言わないのは彼女の癖なのか。もしくは、恩ある相手への批判を避けたいとでも言うのか。
おそらくは前者だったのだろう。アルマは言葉を選びながらも、ヴェルゴが明かすつもりのなかった本心を突き止めた。
「……あいつのこと、どうするの」
「どうしたんだ急に」
「なんのメリットもなく助けるタイプじゃないでしょ。あいつを……ドフラミンゴをどうするつもり?」
包帯まみれでベッドに横たわるアルマは、ヴェルゴの手にかかれば簡単に殺せる。抵抗しようにもこの傷では難しいはずだ。
それなのに、この瞬間の返答次第で、彼女がなにかしでかすのではないかと。
なぜか不安がよぎってしまったものだから、そしてわざわざ隠す必要もないとも思ったから、ヴェルゴは話すことにした。
「お前も見たよな。あいつの叫びを」
「……うん」
「ならわかるだろ。おれはあいつに可能性を感じたんだ。他のやつらとはなにかが違う。きっと、でかいことをやってのける」
ヴェルゴの言う「なにか」は血筋の話だけではない。アルマもそれは理解している、と肯定してみせた。「あれ」を受けて意識を保った者同士、共有する感覚があった。ドフラミンゴの持つ素質をその身で体感した者にしか分からない。分かった側である彼女は、机上の空論めいたヴェルゴの語りを馬鹿にしなかった。
そして、誰かに可能性を見出して期待するということは、何もかもを諦めて日々を過ごすのが日常のこの地において、貴重な機会なのだと。
その考えすら無言のうちにくみ取ったアルマが、ぽつりと答える。ヴェルゴから目をそらし、天井を眺めて。
「ひどいことするとかじゃないなら、別に口挟む気ないよ。もうこれ以上、あいつに……」
言葉の最後は聞き取れず、本人も話す気が無さそうだったのでヴェルゴは深追いしなかった。
代わりに、聞きたかった疑問をぶつけた。
「お前こそ、なんでこいつらを助けたんだ」
「かわいそうだと思って」
この問いにはあっさりと返された。思わず質問を重ねる。
「……それ、ドフラミンゴにも言ったのか」
「言ったよ。そしたら殴られた。殴り返したけど」
なんてことないように話す彼女は、本当にただ過去の出来事を述べているだけらしかった。勝ち誇る訳でも、屈辱や心外だと顔をしかめる訳でもなく、淡々とした声色で。
自分の置かれた状況を棚に上げて憐れむ姿は傲慢そのものだ、とヴェルゴは感じていた。
窓の外から鳥の鳴き声がした。
もう日は落ちてきていて、次の仕事に移らなくてはならないと気づく。アルマにもそう言って話を切り上げ、なにかあったらベッドサイドのベルを鳴らせと伝えれば、彼女は素直に頷いた。
親子の様子を再度確認しつつ扉へ向かう。相変わらず彼らはうなされながら眠り続けている。当分はベッドの上だろう。
「ねえ」
寝起きの頃と比べ、元通りとは言わずともずいぶん声が出るようになっている。そんな短い呼び止めの言葉にヴェルゴは振り向いた。
彼女は先程と何ら変わらない姿勢で、視線だけをこちらにくれている。
「ほっぺたに、肉の切れ端ついてるよ」
それだけ言ってアルマは目を閉じた。
話せるくらいになったものの、彼女だってまだ回復する必要がある。ヴェルゴは礼を述べ、口端についていた昼飯の残りを食べながら退室していった。
▽▽▽
以降、多少の前後はあれども一家が意識を取り戻し始めた。
もさもさ頭の子供が起きた瞬間わあわあ泣き出したのには少々困ったが、その泣き声につられて父親が目覚めたのはよかったのかもしれない。自分達と同じくらいぼろぼろなアルマを見て、親子は泣きながら彼女を抱きしめた。少女は行き場のない手をさまよわせた末、そろそろと腕を回す。眉を下げ、しかし安心したような顔が少し笑えた。
アルマと同様、現状を伝えれば感謝の言葉が返ってきた。ある程度回復するまでは世話をすると言うと、年老いた男は深く深く頭を下げた。かつて世界貴族だったとは思えない姿だった。
そして、一番の目的であるドフラミンゴだが。
「嘘だ」
「嘘じゃない。あの時アルマはお前達を見て泣いてたぞ」
「あいつが泣くなんて、あり得ねェだろ……」
矢傷の残る体を折り曲げて頭を抱えているドフラミンゴへ、りんごを剥いて差し出した。彼は端的に礼を言って一切れ口にする。
ここまで親しくなるのにそう時間はかからなかった。
アジトに到着した際、彼が意識を失っていたのをいいことに、ドフラミンゴだけ別室にした。目覚めた彼は当然文句を言ったが、部屋の大きさの関係上誰か一人を別にしなくてはならず、運ぶ流れでこうなったのだと説得した。
なぜ助けたのかと問うた彼に、ヴェルゴはこう答えた。
「お前が上に立つべき存在だからだ」
ドフラミンゴは一瞬ぽかんとした表情を見せた。言葉の意味を飲み込むと、そうか、と呟いた。
かつて奪われたものを取り返した者の眼差しだった。
家族と再会し、互いの無事を確認した後も部屋を移せとは言わなかった。あの部屋にはアルマがいるから大丈夫だろ、との発言の真意は不明だが、ヴェルゴにとっても好都合だったので言う通りにした。
ドフラミンゴは初めこそ敵意をむき出しにしていたものの、同性の同い年というのもあって次第に打ち解けていった。話せば話すほどに息が合い、起き上がれるようになる頃には愛称で呼ぶことを許されていた。
……意識してご機嫌取りをしなかったと言えば噓になる。だが、それが苦痛にならないほどヴェルゴ自身も楽しんでいた。ドフラミンゴが喜ぶのなら多少取り繕っても構わないと思えたし、本心を偽ってまで合わせる必要はほとんどなかった。
出会ったばかりだけれども、一生の相棒を見つけたのだ、と確信していた。
かくして、ドフラミンゴは今日も一人部屋にいた。曲がった口でりんごをしゃくしゃくとかみ砕いている。
「彼女なりに思うところがあったんだろう」
「…………」
「しかし、あのアルマがな……。乗り気じゃないのは分かっていたが、ドフィ達の味方をしていたとは思わなかった」
自分用にともう一つりんごを剥きつつ、世間話のように続ける。ドフラミンゴの視線は、螺旋を描く赤々とした皮に向けられる。
「おれ達だって行動を把握しきれなかったってのに、あいつの家族はよく気がついたな」
「……おれ達が、あいつのブランケットを持ち出したせいだ。寒さなんて我慢すりゃよかった。なのに……」
「……それだけか?」
「それだけで十分だったんだろ。もともと疑われてたのかもしれねェ。とにかく、一目見ただけであいつのだって気がついたやつがいた。おれは盗んだと言ったが、あの女は聞きやしなかった」
人間の直感とは末恐ろしいもので、確たる証拠がなくてもそれをもとに動く者は少なくない。よりによってアルマの叔母がそこに該当したらしい。アルマのはっきり言わない癖、そしてあの罪悪感に満ちた表情から察するに、ろくな言い訳もしなかったのだろうと予想がつく。裏切るのなら最後までやり通せばいいのに。
彼はシーツをぎゅっと握りしめて黙ってしまったので、閉じた口にまた一切れねじ込む。果汁が垂れそうになり、ドフラミンゴが反射的に口に収めたのを見届ける。
「まあ気にしすぎるな。親の仇だってのにお前達を助けようとしたんだ。アルマだって覚悟していたはずさ」
「……?」
「彼女の両親は天竜人の奴隷として連れていかれてな。頭がおかしくなってようやく返されたらしい。最後はアルマがとどめを刺したとか」
「やけに細かいところまで知ってんだな」
「さすがに親殺しとなればな。当時の彼女は君より幼かったはずだ。それもあって一時期街中の噂になったものさ」
ヴェルゴの話を聞くと、ドフラミンゴは何かを考えこむ素ぶりをみせた。時折、ベッドサイドテーブルに置いた皿からりんごをつまんでいくが、咀嚼している間も眉間は寄せられたままだった。
警戒もなくヴェルゴの差し出した食べ物を口にするようになった様子から、ある程度の関係を築けたと考えていいだろう。
引き込むなら今だ。
ドフラミンゴがふと我に返ってこちらを見た。ヴェルゴは笑って提案する。
話は変わるが、と前置きして。
「なあドフィ、うちのボスに会ってみないか?」