▲ そこからぼくは見えますか
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机を挟んで座っている女性はホーキンスから目を離し、すらりと伸びた指でカードに触れた。指先の艶めいた黒が、机上の灯りを反射する。
視線を上げる。輝く金髪に彫りの深い顔立ち、お世辞にも良いとは言えない目つき。見れば見るほど鏡に写る自分とそっくりで、確かに自分はこの人の息子なのだと思う。
「集中しなさい」
「申し訳ありません」
島の行く末を占う母にとって、我が子の気がそれていると察するのは息をするより簡単だったのだろう。ぴしゃりと注意しても、息子は気のない返事のみ。彼女はため息をつく。元々深い眉間がさらに寄せられているのを見ても、ホーキンスは何の感慨もなかった。
ホーキンスはバジル家の一人息子として生まれた。バジル家は代々この島の未来を占う家業についており、良いことも悪いことも見通して島に貢献するのだという。時には海賊の撃退も行うのだと聞いたが、どうやって戦うのかまではまだ教えてもらえなかった。
ともかく、いずれホーキンスにもそういった役目が回ってくる。代替わりまでに当主としての教育を終えなくてはならない。
中でも正確な占いの腕を身につけることは最優先事項であった。何種類もの占いに触れさせ、ホーキンスにはタロットカードが適していると判断した母は嬉々として上等なカードを用意した。彼女は当主としての仕事の間隙を縫って指導にあたっていた。
問題は、指導を受けるホーキンスにやる気がないというその一点にあった。
「占いの才はあるというのに、なぜこんなにも意欲に欠けているのかしら……」
ホーキンスがカードの読み取りに失敗する度、母は失望を隠さなかった。当のホーキンスといえば、また機嫌が悪くなってめんどうだ、くらいにしか捉えていない。占いもカードも嫌いではないが、それだけだった。
使用人を立ち入らせない専用の部屋。カードを広げるのに十分な広さのテーブルと二脚の椅子を並べた場所。占いに気持ちを向けるための香など、さまざまな工夫が凝らされた中で毎日この時間を過ごしてきた。
母は根気強く指導をおこなった。ホーキンスが何度間違えても、同じ説明を繰り返す羽目になっても。
バジル家の当主教育は、現当主と次期当主、つまりは親子間で同じ内容を占わせる。子どもの占った結果が、親のものと一致するか否かから始まるのである。しかし一致せずとも、親を納得させられる解釈を述べれば合格となる。正確性はもとより、「自分の占いに誇りを持てるか」が重要とされた。
発言一つに責任を持たなくてはならない。出した答えを自ら信用できなくては、占いの意味が無い。
ホーキンスは耳にタコができるほど聞いた。いくら言われたとて、ホーキンスには雲をつかむのと同じくらい実感のわかない話だった。
最初はぼんやりとしか読み取れない子どもも、指導回数を重ねていくうちにコツを掴み、はっきりとした答えを出せるようになっていく。ある程度仕上がってきたら屋敷の者、村の者と段階を踏みつつ悩み相談を受けさせる。些細なものだ。明日の天気から人生についてまで、幅広く占い、相手に合わせたアドバイスをできるようにする。
そういう流れになるはずだった。ホーキンスがなかなか成功しないため、一向に次の段階へ進めないのである。
単なる占い師としての役割だけではないのだ、と母は言う。
「私たちバジル家は、時に島の命運を握ります。私たちが読み間違えたとなれば、その選択は島中の人間の命に関わるのです。自分の占いに責任を持ちなさい」
「わかっております」
「分かっていないのです、お前は」
首をかしげるホーキンスに、母は冷徹な眼差しを向ける。ばっさりと切り捨てる。
「ホーキンス、お前、どうせ外したって構わないと思っているでしょう」
母は突きつけるように言った。ホーキンスは幾度か瞬いて、あっさりと肯定する。何が悪いのか、幼いホーキンスには理解できない。
「結果に意味などないのでは。当たり外れに関係なく、行動を決めるのは聞いた側なのですから」
「ええ。ですが、人は占いを完全に無視することはできないのですよ。当たるかどうかにかかわらず、一度聞いたらその可能性を意識してしまう。そうして、運命が引き寄せられていく」
「誘導しているということですか?」
「そうすることもできるでしょう。できてしまう立場なのです」
そこまで話すと、母は一旦口を閉じた。ホーキンスの様子をうかがい、次に切り出す内容を考えているようだった。時計の針の音が部屋に響く。二人は無言の間も見つめ合っていた。そらす必要がないから、と。両者ともそっくりな赤い瞳を向けあった。
母は息子に届くよう、一言一言丁寧に紡ぎ出した。
「確かに、信じるかどうかは本人次第です。そこからどう動くかも。けれどもそれは真剣に占わない理由にはなりません。なにより、この島にはまだ私たちの占いを求める者がいる。私たちの言葉を信じる者がいる。さすれば私たちはそれに答えなくてはならない」
「なぜです」
「力を持つ者の定めですよ、ホーキンス」
さあ、今日の復習をしてきなさい。
これがその日の指導を終える合図だった。ホーキンスは机上のカードをまとめていく。与えられてしばらく経つそれは、まだ新品同様で傷もない。
「ホーキンス。今日も部屋から出てはいけませんよ。私の指摘を踏まえて、なぜ自分が失敗したか、次どうすれば改善するのか、よく考えてきなさい」
ホーキンスはこくりと頷いて自室に戻る。母親からの叱責も失望も、一切堪えていないのだと分かる動き。部屋から出る直前、背後の母がまた嘆いているのが耳に入る。ホーキンスの心は依然として凪いだままだった。
道中、廊下で父と遭遇した。愛想のいい男だ。ホーキンスと比べ物にならないくらい柔軟な表情筋が、ぱっと笑顔を作る。ホーキンスは彼のことも悪く思っていない。こうして会話に応じるくらいには。
ホーキンスは彼の外見的要素を何一つ受け継がなかったが、母は時折「親子ですね」とこぼすことがあった。どこにそれを見出しているかは不明である。
父はホーキンスの目線に合わせてしゃがみ込み、挨拶と共にハグをした。ホーキンスはされるがままになって挨拶だけを返した。
「ホーキンス! その顔は……またお仕置きかい?」
「ええ。今日は『海の戦士ソラ』をさいしょから読み返します」
「お仕置きって言葉の意味わかってる?」
困るんだよなァ……と頭をかく父を見ても、やはりホーキンスの心は痛まなかった。親に良く思われたいという気持ちが全くないと言えば嘘になる。しかし占いに対する興味が続かないのも事実であった。
母もそのまた先代も、指導中失敗すると罰を受けたのだという。それが屋敷への軟禁だったわけだが、ホーキンスにとってこれは罰にはならなかった。屋内は安全で清潔で、自分の好きなものを並べられる。わざわざ外に出ようとも思わない。だから毎日自室に籠もらされたとて、ホーキンスは両親を恨む気はなかった。
両親は息子のその気質を察してはいて、他の手段を検討すべきか、と悩んでいるらしい。自分が原因だと把握していてもホーキンスにとっては他人事である。
「罰し方を変えるおつもりですか」
「罰されるようなことにならないでほしいんだけどねェ。まあ、今のままでいいって出た そうだから。当分は変わらないと思うよ」
「出た」というのは母の占いの話だ。大方、両親の間で占い込みの相談をしていたのだろう。父は母の占いを信じていた。信仰と呼べるほどに。
父もかつては流浪の占い師だったらしい。年頃になった母が運命の相手を占ったとき、父もまた運命の相手を探し求めて島にたどり着いた。巡り合う日も全て占っていた母は父と無事出会い、その場でプロポーズしたのだという。以前、夕食の場で酔った父が話していた。
「ぼくも彼女を一目見て、この人だ!って思ったとこだったから。同じ気持ちだって知ったあの瞬間、本当に嬉しかったんだ」
いつも以上に腑抜けた笑顔で心底幸せそうに語る姿が、幼いホーキンスの記憶に焼きついている。自分もいつかは巡り合うのだろう、とまだ見ぬ相手を思い浮かべるきっかけにもなった。
――――バジル家において、当主の相手に求められるのは血統でも地位でもない。「運命」かどうかであった。
もちろん運命の相手が島内にいるとは限らないし、島外の者ばかり選んでいてはこの地との繋がりが薄れてしまうから、極稀に別の――島の有力者がほとんどだ――人と縁を結ぶこともある。しかし、どの代の当主も真っ先に確認するのは「運命の相手」だった。
別の者を選んだところで運命からは逃れられない。巡り合った瞬間から惹かれ合う。だからこそ運命の相手と呼ぶのだ。歴代のバジル家当主はそれを理解していた。
一般人であれば一生巡り合わず終わることもあるだろうが、当主は自分自身について幾度も占っている。あらゆる物事を繰り返し占い、可能性を明らかにしていく。占いとは未来の予測にすぎない。しかし未来の可能性を、それこそ自分に利益をもたらすであろう運命の相手の存在を知ったとき、人はそれを求めてしまう。無意識でも動いてしまう。
ならば抵抗せず、よりよい運命を選んだ方がいい。そう考えた。故に、歴代のバジル家当主の多くは運命の相手と巡り合うことに力を入れた。結ばれて幸せな人生を送ったと記録された代もあった。母はその中の一人となるのだろう。
ホーキンスはそこまで夢見がちな少年ではない。少なくとも本人はそう認識していた。だから自分も運命の相手と結ばれるのだと疑わないのだって、これまでの前例から推測したにすぎない。そういうものだと思っている。出会えないようであれば、他の相手を見繕えばいい、と。その程度の軽い気持ちでいた。
――――ホーキンスが別のことを考えていると気づいた父は、少し苦笑して息子の頭を撫でた。
「まあ、お前はまだ小さいからな。そのうち占いの大切さがわかるようになるよ」
「……そうでしょうか」
「そうだとも。さ、部屋に戻りなさい。今から本を開けば、日が落ちる前には読み終わるだろ」
そう言う父に背中を押され、再び自室へと向かう。
廊下の窓から差しこむ光がやけに物寂しく映る。丘の上に建つこの屋敷には、周囲の木々のざわめきと小鳥の鳴き声しか届かない。使用人は必要以上に騒がず、屋敷内で最も活発な父ですら口をつぐんで考えごとをする。耳を澄ませたところで噂話一つ聞こえない。
自分の足音だけを耳にしながら部屋に着く。扉を開いた先も、当然静まり返っている。
きっとこの場所は、世界から隔離されているのだ。
ホーキンスはその考えを、声に出さない。だから誰かに訂正されることもなく、そっと扉を閉じた。
▲▲▲
当初の予定通り『海の戦士ソラ』を読みきったホーキンスは、部屋の中を見回して、最近関心を持つようになった「窓の外」に目を向けた。レースのカーテン越しに空を流れる雲が見える。今のホーキンスの背丈ではきちんと覗きこむことはできない。机に本を置き、座っていた椅子に手をかけた。
窓の近くにまで椅子を引きずって、バランスを崩さないよう上に立つ。
外に出てはいけないと言われたけれど、カーテンを開けてはいけないとまでは言われていない。ホーキンスは軟禁自体に不満はないが、外への興味も多少は持ち合わせていた。
気分転換に窓から空を眺めていたら、次第に「別の角度からも見てみたい」という欲求が生まれた。幼いホーキンスにも椅子の移動は可能だ。椅子の高さがあれば、窓から身を乗り出すことはできずとも、ある程度遠くまで見渡せる。そう考えたホーキンスは実行に移した。
そして満足した。ホーキンスは他の子どもと比べ、外部への探究心が控えめだったので、この程度のことで十分好奇心を満たせてしまっていたのである。
指紋一つない窓ガラスの向こうには、丘の下の村の景色がある。小さな家々から煙が立っていたり、人々が忙しなく動き回っていたり。単なる人間の生活だが、見ているだけで十分面白かった。
薄く透明な板一枚隔てて、ホーキンスと関わりのない別世界が広がっている。それらは観察するものであり、自らが入る場所はない。幼いホーキンスはぼんやりとそう捉えていた。
外部との接触は客と商人、あとは数名の島民くらいなもので、彼らだって用事を済ませたら元の世界に帰っていく。住む世界が違うのだから当然だ。そんな認識の中でホーキンスは生きていた。
近頃は同年代らしき子どもたちが空き地で遊ぶことが増えた。ホーキンスの部屋の窓からよく見えるその場所で、彼らは毎日いろんな遊びをして楽しんでいる。ホーキンスが無遠慮に見つめても気づかれないから、思う存分眺めていられる。
村の大人は毎日似たような動きをするが、子どもたちはその日の気分で遊びを変える。その変化が面白い。今日は追いかけっこをしているようだった。大小さまざまな彼らがあちこちに散らばって、互いを追いかけ回す。言葉にしてしまえばそれだけだが、ホーキンスには目新しく映る。
しばらく眺めて満足すると、一旦窓から離れてまた本を読む。母に叱られすぎないように、少し占いの復習もしておく。
カードの示す意味も、読み取り方も、教わった通りにきちんと吸収した。だから今のホーキンスにだって簡単なことくらいは占える。しかしそれだけではいけないのだという。ただ意味を当てはめるだけでは足りないのだと。
読み違えたときの恐ろしさを、ホーキンスはまだ知らないから。
手元の暗さから日が落ちてきたと見て取って、カーテンを閉めようと窓に近寄った。元の位置に戻し忘れていた椅子がまだあったので、ふと思い立って上る。視界が一気に広がる。
夕飯の支度をしているらしい煙が、家路を急ぐ人々が、昼間とは違った様子を見せる。橙色に染まった風景が美しくて、またしばらくホーキンスは窓越しの世界を楽しんだ。
空き地に目をやると、子どもが一人だけ残っていた。もう家に帰らないといけない時間じゃないのかと疑問を抱く。そして気づく。
あの子ども、こっちを見上げて立っている。
ホーキンスが察知したと同時に、そいつは腕を上げた。夕日に照らされ、足元に色濃い影を落としながら。
「あ……」
ホーキンスは自分の口から漏れた声に気づかなかった。
丘の下の誰かが見ている。ホーキンスを認識して、見上げて、手を振っている。ホーキンスへ「見えているよ」と伝えるかのように。顔すら分からないその子どもの動きがホーキンスを惹きつける。
細い腕が空中をたった数往復しただけなのに。こちらを見ていると錯覚しただけなのに。
手を振り返すか迷っている間に、そいつは手を下げ、空き地から立ち去ってしまった。あっけないと思ってしまうくらい、ほんの束の間の出来事だった。
少しの間待ってみても、当然ながら戻ってはこなくて。ホーキンスは椅子を降り、カーテンを閉めた。脳内でいろいろと考えていながらも、体が自動的に椅子を本来の場所に戻した。
ホーキンスはホーキンス以外の人間から認識されているのだ。
この屋敷の外にも世界があって、繋がっていて、そこに誰かがいる。会いに行ける場所に。
村に降りたことは何度かあったはずだった。そのときですら、ホーキンスは世界の繋がりを感じられなかった。なぜ今になって、と疑問に思う。
あの子どもはまた明日も空き地で遊ぶのだろう。注意深く眺めれば、子どもたちの中から見つけ出せるはずだ。少し気にかけてみよう、とホーキンスは考え出していた。
興味がわいたのだ。
けれども、そのうち空き地で遊ぶのに飽きて、別の場所へ行ってしまうかもしれない。ホーキンスの部屋の窓から見えない場所へ。そうなったらあの子どもが誰かも分からずに、今日の出来事はただの思い出となって終わる。
そんなのどうだっていいじゃないかとホーキンスの冷静な部分が言う。気分を高揚させるなにかが、それはいやだ、と抵抗する。
大人になれば遊ばなくなるが、そうしたら村のどこかで働いているところを見られるだろうか。この屋敷に客として足を運ぶことはあるだろうか。その確率は?
会ってみたい。名前が知りたい。
ホーキンスは生まれてはじめてそう思った。
▲▲▲
例の子どもが屋敷にやってくるのを待つよりも、村へ行って探した方が早い。そのためにはまず外出許可をもらわなくてはならない。
ホーキンスはとうとう占いに真面目に向き合い始めた。
隠そうともしていなかったし、六歳の子どもが親に隠し事などできるものでもなく。両親はすぐホーキンスの異変に気がついた。
「心境の変化ですか?」
指導中にそう問いかけてきた母の声色は、安堵半分、不安半分といったところで。子どもがそう簡単にいい子になるわけがないという顔をしていた。
事情を説明すると、母は「私の言いつけを何一つ守っていなかったのですね…………」とだいぶ怒気を含んだ声で呻きつつ、人探しの占い方を教えてくれた。息子がやる気を出し始めた事実に違いはないので、とりあえずそれを活かしていこうとの判断だった。
これまでの占いはなんだったのかと思うほど、あらゆるものがクリアに見えた。答えがはっきり出る。それこそ、AとB、それぞれの選択で成功する確率まで。カードをめくる度、その意味が、未来の欠片が見えた。
数字として現れる結果――ホーキンスがそう読み取っているとも言える――を母に伝えると、表情の乏しい彼女がわずかに目を見開いた。
「……いいでしょう。その子どもと遭遇する確率を調べなさい。今日だけでなく、明日、明後日と、少し先まで見てみなさい」
「外に出ていいのですか」
「この調子で励むことができるのなら。遊び呆けてはいけませんよ。それで、結果はどうなりました」
「……すぐには会えないようです」
「では、その日が来るまで占いの精度を高めておくことです。お前の助けとなるでしょう」
母の助言を聞き入れ、ホーキンスは毎日毎日、いろいろなことを占った。依頼を受けているわけでもないため、自然と内容は自分に関することとなる。今日身につける服の色から食べる物まで、日常生活のささいな選択を占いに従った。そうすれば運気が上がると出たから。運気を上げ続けていれば、例の子どもと巡り合う日も近づくだろうと信じて。
その願いは案外早く聞き届けられた。あくる日、もはやルーティンとなった自室での朝の占いで。
「今日あの子どもに出会う確率、100%」
結果を口に出しながら、ホーキンスは笑っていた。興奮しているのだ、と自覚する。
うっすらとした光が窓から差し込み、カードを照らしていく。窓は開けられないけれど、きっと外は澄みきった空気で満ちている。新しい出会いに適した、まっさらな気配がする。
▲▲▲
幼い息子がいつぶりかも分からない外出をするというのに、両親はついて行く気はさらさらないらしかった。門の前まで見送りにきた二人を訝しんで見上げると、父はもとより母まで若干笑っている。あの母が。
「お前のよい出会いのためには一人で行かせるのが最善と出たのですよ」
「そういうわけだからさ、そりゃ心配なんだけど……」
「問題ありません。何事もなく帰ってこられます」
「母さんもこう言ってることだし、安心して行っておいで」
迷子になったら近くの人を頼るんだよ。
占えば帰り道くらいはわかるでしょう。
両親がそれぞれ別の解決策を提示するのを聞きつつ、ホーキンスは敷地の外へと踏み出した。
門という境界線がある。世界と屋敷を区切る存在。
そこは、通り抜けてしまえばなんてことないものだった。
いつも上から眺めていた場所を実際に歩くと、全く違う景色に映る。きょろきょろと見回しながら道にそって進む。丘を下れば人の通りもあるだろう。ホーキンスはてくてく進む。
歩けば歩くほど、家並みが近づいてくる。農作業をしている村人らしき影もあちらこちらに見えている。道端の木すら物珍しく思えて、時たま足を止める。思いきり息を吸い込めば、草花の香りが鼻をくすぐった。
もちろんホーキンスは道草ばかりを食っていたわけではない。「家を出て最初に会った人と話す」ことで運気が上がると知っていたため、誰かに話しかけられるのを、もしくは話しかけるタイミングを待っていた。待ちの姿勢のまま時間が過ぎていく。
村の近くまで来てもなかなか出くわさないものだから、ようやく一人の男に話しかけられたとき、その顔に悪い意味で見覚えがあったとしても逃げ出さなかった。
そして。
「うわーー!!」
絶叫と共に飛び込んで来た少女がいた。
顔が真っ青で、けれども体は攻撃に移っていて。男を伸した側から、ホーキンスの手を取り走り出す。
その手はずっと震えていた。ホーキンスを置いていけばもっと早く走れるだろうに、絶対離してやらないとばかりに握りしめられていた。ホーキンスとそう変わらない年頃の少女だ。大柄な男なんて恐怖の対象だったはずなのに、彼女はホーキンスを助けるためにやってきた。
大通りで助けを呼んだ後も、彼女の震えは止まらなかった。ぎゅっと繋がれた手から、その動揺が伝わってくるようだった。
ホーキンスが声をかけると彼女はハッとして、すぐにこちらの身を案じた。さっき会ったばかりだというのに、少女はやけに心を砕いている。彼女の潤んだ瞳には自分の無愛想な顔が映っていて、感情の差が浮き彫りになる。
おかしなやつだ。初めて会ったやつのことをここまで気にかけるなんて。この世に悪人しかいないとまでは言わないが、お人好しに遭遇する確率だってそう高くはないだろう。
でも、今日は「あの子どもに会える確率」が100%の日で。ホーキンスはずっと運気を高め続けてきた。会ってみたいだなんて小さな望みのためだけに。
もしかしたら、と期待してしまった。
あまりにもホーキンスに都合が良すぎたものだから、つい尋ねてしまった。
彼女は笑った。
「見えてたんだ」
へにゃ、ととろけるような笑みと共に、さらりと肯定されて。彼女もあの日のことを覚えているのだと知って。
ホーキンスは世界が広がることの意味を理解した。
ああ、会いにきてよかった、と思ったのだ。
視線を上げる。輝く金髪に彫りの深い顔立ち、お世辞にも良いとは言えない目つき。見れば見るほど鏡に写る自分とそっくりで、確かに自分はこの人の息子なのだと思う。
「集中しなさい」
「申し訳ありません」
島の行く末を占う母にとって、我が子の気がそれていると察するのは息をするより簡単だったのだろう。ぴしゃりと注意しても、息子は気のない返事のみ。彼女はため息をつく。元々深い眉間がさらに寄せられているのを見ても、ホーキンスは何の感慨もなかった。
ホーキンスはバジル家の一人息子として生まれた。バジル家は代々この島の未来を占う家業についており、良いことも悪いことも見通して島に貢献するのだという。時には海賊の撃退も行うのだと聞いたが、どうやって戦うのかまではまだ教えてもらえなかった。
ともかく、いずれホーキンスにもそういった役目が回ってくる。代替わりまでに当主としての教育を終えなくてはならない。
中でも正確な占いの腕を身につけることは最優先事項であった。何種類もの占いに触れさせ、ホーキンスにはタロットカードが適していると判断した母は嬉々として上等なカードを用意した。彼女は当主としての仕事の間隙を縫って指導にあたっていた。
問題は、指導を受けるホーキンスにやる気がないというその一点にあった。
「占いの才はあるというのに、なぜこんなにも意欲に欠けているのかしら……」
ホーキンスがカードの読み取りに失敗する度、母は失望を隠さなかった。当のホーキンスといえば、また機嫌が悪くなってめんどうだ、くらいにしか捉えていない。占いもカードも嫌いではないが、それだけだった。
使用人を立ち入らせない専用の部屋。カードを広げるのに十分な広さのテーブルと二脚の椅子を並べた場所。占いに気持ちを向けるための香など、さまざまな工夫が凝らされた中で毎日この時間を過ごしてきた。
母は根気強く指導をおこなった。ホーキンスが何度間違えても、同じ説明を繰り返す羽目になっても。
バジル家の当主教育は、現当主と次期当主、つまりは親子間で同じ内容を占わせる。子どもの占った結果が、親のものと一致するか否かから始まるのである。しかし一致せずとも、親を納得させられる解釈を述べれば合格となる。正確性はもとより、「自分の占いに誇りを持てるか」が重要とされた。
発言一つに責任を持たなくてはならない。出した答えを自ら信用できなくては、占いの意味が無い。
ホーキンスは耳にタコができるほど聞いた。いくら言われたとて、ホーキンスには雲をつかむのと同じくらい実感のわかない話だった。
最初はぼんやりとしか読み取れない子どもも、指導回数を重ねていくうちにコツを掴み、はっきりとした答えを出せるようになっていく。ある程度仕上がってきたら屋敷の者、村の者と段階を踏みつつ悩み相談を受けさせる。些細なものだ。明日の天気から人生についてまで、幅広く占い、相手に合わせたアドバイスをできるようにする。
そういう流れになるはずだった。ホーキンスがなかなか成功しないため、一向に次の段階へ進めないのである。
単なる占い師としての役割だけではないのだ、と母は言う。
「私たちバジル家は、時に島の命運を握ります。私たちが読み間違えたとなれば、その選択は島中の人間の命に関わるのです。自分の占いに責任を持ちなさい」
「わかっております」
「分かっていないのです、お前は」
首をかしげるホーキンスに、母は冷徹な眼差しを向ける。ばっさりと切り捨てる。
「ホーキンス、お前、どうせ外したって構わないと思っているでしょう」
母は突きつけるように言った。ホーキンスは幾度か瞬いて、あっさりと肯定する。何が悪いのか、幼いホーキンスには理解できない。
「結果に意味などないのでは。当たり外れに関係なく、行動を決めるのは聞いた側なのですから」
「ええ。ですが、人は占いを完全に無視することはできないのですよ。当たるかどうかにかかわらず、一度聞いたらその可能性を意識してしまう。そうして、運命が引き寄せられていく」
「誘導しているということですか?」
「そうすることもできるでしょう。できてしまう立場なのです」
そこまで話すと、母は一旦口を閉じた。ホーキンスの様子をうかがい、次に切り出す内容を考えているようだった。時計の針の音が部屋に響く。二人は無言の間も見つめ合っていた。そらす必要がないから、と。両者ともそっくりな赤い瞳を向けあった。
母は息子に届くよう、一言一言丁寧に紡ぎ出した。
「確かに、信じるかどうかは本人次第です。そこからどう動くかも。けれどもそれは真剣に占わない理由にはなりません。なにより、この島にはまだ私たちの占いを求める者がいる。私たちの言葉を信じる者がいる。さすれば私たちはそれに答えなくてはならない」
「なぜです」
「力を持つ者の定めですよ、ホーキンス」
さあ、今日の復習をしてきなさい。
これがその日の指導を終える合図だった。ホーキンスは机上のカードをまとめていく。与えられてしばらく経つそれは、まだ新品同様で傷もない。
「ホーキンス。今日も部屋から出てはいけませんよ。私の指摘を踏まえて、なぜ自分が失敗したか、次どうすれば改善するのか、よく考えてきなさい」
ホーキンスはこくりと頷いて自室に戻る。母親からの叱責も失望も、一切堪えていないのだと分かる動き。部屋から出る直前、背後の母がまた嘆いているのが耳に入る。ホーキンスの心は依然として凪いだままだった。
道中、廊下で父と遭遇した。愛想のいい男だ。ホーキンスと比べ物にならないくらい柔軟な表情筋が、ぱっと笑顔を作る。ホーキンスは彼のことも悪く思っていない。こうして会話に応じるくらいには。
ホーキンスは彼の外見的要素を何一つ受け継がなかったが、母は時折「親子ですね」とこぼすことがあった。どこにそれを見出しているかは不明である。
父はホーキンスの目線に合わせてしゃがみ込み、挨拶と共にハグをした。ホーキンスはされるがままになって挨拶だけを返した。
「ホーキンス! その顔は……またお仕置きかい?」
「ええ。今日は『海の戦士ソラ』をさいしょから読み返します」
「お仕置きって言葉の意味わかってる?」
困るんだよなァ……と頭をかく父を見ても、やはりホーキンスの心は痛まなかった。親に良く思われたいという気持ちが全くないと言えば嘘になる。しかし占いに対する興味が続かないのも事実であった。
母もそのまた先代も、指導中失敗すると罰を受けたのだという。それが屋敷への軟禁だったわけだが、ホーキンスにとってこれは罰にはならなかった。屋内は安全で清潔で、自分の好きなものを並べられる。わざわざ外に出ようとも思わない。だから毎日自室に籠もらされたとて、ホーキンスは両親を恨む気はなかった。
両親は息子のその気質を察してはいて、他の手段を検討すべきか、と悩んでいるらしい。自分が原因だと把握していてもホーキンスにとっては他人事である。
「罰し方を変えるおつもりですか」
「罰されるようなことにならないでほしいんだけどねェ。まあ、今のままでいいって
「出た」というのは母の占いの話だ。大方、両親の間で占い込みの相談をしていたのだろう。父は母の占いを信じていた。信仰と呼べるほどに。
父もかつては流浪の占い師だったらしい。年頃になった母が運命の相手を占ったとき、父もまた運命の相手を探し求めて島にたどり着いた。巡り合う日も全て占っていた母は父と無事出会い、その場でプロポーズしたのだという。以前、夕食の場で酔った父が話していた。
「ぼくも彼女を一目見て、この人だ!って思ったとこだったから。同じ気持ちだって知ったあの瞬間、本当に嬉しかったんだ」
いつも以上に腑抜けた笑顔で心底幸せそうに語る姿が、幼いホーキンスの記憶に焼きついている。自分もいつかは巡り合うのだろう、とまだ見ぬ相手を思い浮かべるきっかけにもなった。
――――バジル家において、当主の相手に求められるのは血統でも地位でもない。「運命」かどうかであった。
もちろん運命の相手が島内にいるとは限らないし、島外の者ばかり選んでいてはこの地との繋がりが薄れてしまうから、極稀に別の――島の有力者がほとんどだ――人と縁を結ぶこともある。しかし、どの代の当主も真っ先に確認するのは「運命の相手」だった。
別の者を選んだところで運命からは逃れられない。巡り合った瞬間から惹かれ合う。だからこそ運命の相手と呼ぶのだ。歴代のバジル家当主はそれを理解していた。
一般人であれば一生巡り合わず終わることもあるだろうが、当主は自分自身について幾度も占っている。あらゆる物事を繰り返し占い、可能性を明らかにしていく。占いとは未来の予測にすぎない。しかし未来の可能性を、それこそ自分に利益をもたらすであろう運命の相手の存在を知ったとき、人はそれを求めてしまう。無意識でも動いてしまう。
ならば抵抗せず、よりよい運命を選んだ方がいい。そう考えた。故に、歴代のバジル家当主の多くは運命の相手と巡り合うことに力を入れた。結ばれて幸せな人生を送ったと記録された代もあった。母はその中の一人となるのだろう。
ホーキンスはそこまで夢見がちな少年ではない。少なくとも本人はそう認識していた。だから自分も運命の相手と結ばれるのだと疑わないのだって、これまでの前例から推測したにすぎない。そういうものだと思っている。出会えないようであれば、他の相手を見繕えばいい、と。その程度の軽い気持ちでいた。
――――ホーキンスが別のことを考えていると気づいた父は、少し苦笑して息子の頭を撫でた。
「まあ、お前はまだ小さいからな。そのうち占いの大切さがわかるようになるよ」
「……そうでしょうか」
「そうだとも。さ、部屋に戻りなさい。今から本を開けば、日が落ちる前には読み終わるだろ」
そう言う父に背中を押され、再び自室へと向かう。
廊下の窓から差しこむ光がやけに物寂しく映る。丘の上に建つこの屋敷には、周囲の木々のざわめきと小鳥の鳴き声しか届かない。使用人は必要以上に騒がず、屋敷内で最も活発な父ですら口をつぐんで考えごとをする。耳を澄ませたところで噂話一つ聞こえない。
自分の足音だけを耳にしながら部屋に着く。扉を開いた先も、当然静まり返っている。
きっとこの場所は、世界から隔離されているのだ。
ホーキンスはその考えを、声に出さない。だから誰かに訂正されることもなく、そっと扉を閉じた。
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当初の予定通り『海の戦士ソラ』を読みきったホーキンスは、部屋の中を見回して、最近関心を持つようになった「窓の外」に目を向けた。レースのカーテン越しに空を流れる雲が見える。今のホーキンスの背丈ではきちんと覗きこむことはできない。机に本を置き、座っていた椅子に手をかけた。
窓の近くにまで椅子を引きずって、バランスを崩さないよう上に立つ。
外に出てはいけないと言われたけれど、カーテンを開けてはいけないとまでは言われていない。ホーキンスは軟禁自体に不満はないが、外への興味も多少は持ち合わせていた。
気分転換に窓から空を眺めていたら、次第に「別の角度からも見てみたい」という欲求が生まれた。幼いホーキンスにも椅子の移動は可能だ。椅子の高さがあれば、窓から身を乗り出すことはできずとも、ある程度遠くまで見渡せる。そう考えたホーキンスは実行に移した。
そして満足した。ホーキンスは他の子どもと比べ、外部への探究心が控えめだったので、この程度のことで十分好奇心を満たせてしまっていたのである。
指紋一つない窓ガラスの向こうには、丘の下の村の景色がある。小さな家々から煙が立っていたり、人々が忙しなく動き回っていたり。単なる人間の生活だが、見ているだけで十分面白かった。
薄く透明な板一枚隔てて、ホーキンスと関わりのない別世界が広がっている。それらは観察するものであり、自らが入る場所はない。幼いホーキンスはぼんやりとそう捉えていた。
外部との接触は客と商人、あとは数名の島民くらいなもので、彼らだって用事を済ませたら元の世界に帰っていく。住む世界が違うのだから当然だ。そんな認識の中でホーキンスは生きていた。
近頃は同年代らしき子どもたちが空き地で遊ぶことが増えた。ホーキンスの部屋の窓からよく見えるその場所で、彼らは毎日いろんな遊びをして楽しんでいる。ホーキンスが無遠慮に見つめても気づかれないから、思う存分眺めていられる。
村の大人は毎日似たような動きをするが、子どもたちはその日の気分で遊びを変える。その変化が面白い。今日は追いかけっこをしているようだった。大小さまざまな彼らがあちこちに散らばって、互いを追いかけ回す。言葉にしてしまえばそれだけだが、ホーキンスには目新しく映る。
しばらく眺めて満足すると、一旦窓から離れてまた本を読む。母に叱られすぎないように、少し占いの復習もしておく。
カードの示す意味も、読み取り方も、教わった通りにきちんと吸収した。だから今のホーキンスにだって簡単なことくらいは占える。しかしそれだけではいけないのだという。ただ意味を当てはめるだけでは足りないのだと。
読み違えたときの恐ろしさを、ホーキンスはまだ知らないから。
手元の暗さから日が落ちてきたと見て取って、カーテンを閉めようと窓に近寄った。元の位置に戻し忘れていた椅子がまだあったので、ふと思い立って上る。視界が一気に広がる。
夕飯の支度をしているらしい煙が、家路を急ぐ人々が、昼間とは違った様子を見せる。橙色に染まった風景が美しくて、またしばらくホーキンスは窓越しの世界を楽しんだ。
空き地に目をやると、子どもが一人だけ残っていた。もう家に帰らないといけない時間じゃないのかと疑問を抱く。そして気づく。
あの子ども、こっちを見上げて立っている。
ホーキンスが察知したと同時に、そいつは腕を上げた。夕日に照らされ、足元に色濃い影を落としながら。
「あ……」
ホーキンスは自分の口から漏れた声に気づかなかった。
丘の下の誰かが見ている。ホーキンスを認識して、見上げて、手を振っている。ホーキンスへ「見えているよ」と伝えるかのように。顔すら分からないその子どもの動きがホーキンスを惹きつける。
細い腕が空中をたった数往復しただけなのに。こちらを見ていると錯覚しただけなのに。
手を振り返すか迷っている間に、そいつは手を下げ、空き地から立ち去ってしまった。あっけないと思ってしまうくらい、ほんの束の間の出来事だった。
少しの間待ってみても、当然ながら戻ってはこなくて。ホーキンスは椅子を降り、カーテンを閉めた。脳内でいろいろと考えていながらも、体が自動的に椅子を本来の場所に戻した。
ホーキンスはホーキンス以外の人間から認識されているのだ。
この屋敷の外にも世界があって、繋がっていて、そこに誰かがいる。会いに行ける場所に。
村に降りたことは何度かあったはずだった。そのときですら、ホーキンスは世界の繋がりを感じられなかった。なぜ今になって、と疑問に思う。
あの子どもはまた明日も空き地で遊ぶのだろう。注意深く眺めれば、子どもたちの中から見つけ出せるはずだ。少し気にかけてみよう、とホーキンスは考え出していた。
興味がわいたのだ。
けれども、そのうち空き地で遊ぶのに飽きて、別の場所へ行ってしまうかもしれない。ホーキンスの部屋の窓から見えない場所へ。そうなったらあの子どもが誰かも分からずに、今日の出来事はただの思い出となって終わる。
そんなのどうだっていいじゃないかとホーキンスの冷静な部分が言う。気分を高揚させるなにかが、それはいやだ、と抵抗する。
大人になれば遊ばなくなるが、そうしたら村のどこかで働いているところを見られるだろうか。この屋敷に客として足を運ぶことはあるだろうか。その確率は?
会ってみたい。名前が知りたい。
ホーキンスは生まれてはじめてそう思った。
▲▲▲
例の子どもが屋敷にやってくるのを待つよりも、村へ行って探した方が早い。そのためにはまず外出許可をもらわなくてはならない。
ホーキンスはとうとう占いに真面目に向き合い始めた。
隠そうともしていなかったし、六歳の子どもが親に隠し事などできるものでもなく。両親はすぐホーキンスの異変に気がついた。
「心境の変化ですか?」
指導中にそう問いかけてきた母の声色は、安堵半分、不安半分といったところで。子どもがそう簡単にいい子になるわけがないという顔をしていた。
事情を説明すると、母は「私の言いつけを何一つ守っていなかったのですね…………」とだいぶ怒気を含んだ声で呻きつつ、人探しの占い方を教えてくれた。息子がやる気を出し始めた事実に違いはないので、とりあえずそれを活かしていこうとの判断だった。
これまでの占いはなんだったのかと思うほど、あらゆるものがクリアに見えた。答えがはっきり出る。それこそ、AとB、それぞれの選択で成功する確率まで。カードをめくる度、その意味が、未来の欠片が見えた。
数字として現れる結果――ホーキンスがそう読み取っているとも言える――を母に伝えると、表情の乏しい彼女がわずかに目を見開いた。
「……いいでしょう。その子どもと遭遇する確率を調べなさい。今日だけでなく、明日、明後日と、少し先まで見てみなさい」
「外に出ていいのですか」
「この調子で励むことができるのなら。遊び呆けてはいけませんよ。それで、結果はどうなりました」
「……すぐには会えないようです」
「では、その日が来るまで占いの精度を高めておくことです。お前の助けとなるでしょう」
母の助言を聞き入れ、ホーキンスは毎日毎日、いろいろなことを占った。依頼を受けているわけでもないため、自然と内容は自分に関することとなる。今日身につける服の色から食べる物まで、日常生活のささいな選択を占いに従った。そうすれば運気が上がると出たから。運気を上げ続けていれば、例の子どもと巡り合う日も近づくだろうと信じて。
その願いは案外早く聞き届けられた。あくる日、もはやルーティンとなった自室での朝の占いで。
「今日あの子どもに出会う確率、100%」
結果を口に出しながら、ホーキンスは笑っていた。興奮しているのだ、と自覚する。
うっすらとした光が窓から差し込み、カードを照らしていく。窓は開けられないけれど、きっと外は澄みきった空気で満ちている。新しい出会いに適した、まっさらな気配がする。
▲▲▲
幼い息子がいつぶりかも分からない外出をするというのに、両親はついて行く気はさらさらないらしかった。門の前まで見送りにきた二人を訝しんで見上げると、父はもとより母まで若干笑っている。あの母が。
「お前のよい出会いのためには一人で行かせるのが最善と出たのですよ」
「そういうわけだからさ、そりゃ心配なんだけど……」
「問題ありません。何事もなく帰ってこられます」
「母さんもこう言ってることだし、安心して行っておいで」
迷子になったら近くの人を頼るんだよ。
占えば帰り道くらいはわかるでしょう。
両親がそれぞれ別の解決策を提示するのを聞きつつ、ホーキンスは敷地の外へと踏み出した。
門という境界線がある。世界と屋敷を区切る存在。
そこは、通り抜けてしまえばなんてことないものだった。
いつも上から眺めていた場所を実際に歩くと、全く違う景色に映る。きょろきょろと見回しながら道にそって進む。丘を下れば人の通りもあるだろう。ホーキンスはてくてく進む。
歩けば歩くほど、家並みが近づいてくる。農作業をしている村人らしき影もあちらこちらに見えている。道端の木すら物珍しく思えて、時たま足を止める。思いきり息を吸い込めば、草花の香りが鼻をくすぐった。
もちろんホーキンスは道草ばかりを食っていたわけではない。「家を出て最初に会った人と話す」ことで運気が上がると知っていたため、誰かに話しかけられるのを、もしくは話しかけるタイミングを待っていた。待ちの姿勢のまま時間が過ぎていく。
村の近くまで来てもなかなか出くわさないものだから、ようやく一人の男に話しかけられたとき、その顔に悪い意味で見覚えがあったとしても逃げ出さなかった。
そして。
「うわーー!!」
絶叫と共に飛び込んで来た少女がいた。
顔が真っ青で、けれども体は攻撃に移っていて。男を伸した側から、ホーキンスの手を取り走り出す。
その手はずっと震えていた。ホーキンスを置いていけばもっと早く走れるだろうに、絶対離してやらないとばかりに握りしめられていた。ホーキンスとそう変わらない年頃の少女だ。大柄な男なんて恐怖の対象だったはずなのに、彼女はホーキンスを助けるためにやってきた。
大通りで助けを呼んだ後も、彼女の震えは止まらなかった。ぎゅっと繋がれた手から、その動揺が伝わってくるようだった。
ホーキンスが声をかけると彼女はハッとして、すぐにこちらの身を案じた。さっき会ったばかりだというのに、少女はやけに心を砕いている。彼女の潤んだ瞳には自分の無愛想な顔が映っていて、感情の差が浮き彫りになる。
おかしなやつだ。初めて会ったやつのことをここまで気にかけるなんて。この世に悪人しかいないとまでは言わないが、お人好しに遭遇する確率だってそう高くはないだろう。
でも、今日は「あの子どもに会える確率」が100%の日で。ホーキンスはずっと運気を高め続けてきた。会ってみたいだなんて小さな望みのためだけに。
もしかしたら、と期待してしまった。
あまりにもホーキンスに都合が良すぎたものだから、つい尋ねてしまった。
彼女は笑った。
「見えてたんだ」
へにゃ、ととろけるような笑みと共に、さらりと肯定されて。彼女もあの日のことを覚えているのだと知って。
ホーキンスは世界が広がることの意味を理解した。
ああ、会いにきてよかった、と思ったのだ。