5.ぼやけた好きを形にしたら
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ある時期から、ホーキンスをぱたりと見かけなくなった。
私たちの関係は友達ではあるけれど、基本的にホーキンス側が用事のあるときにしか会えない。私がいくら村中を、なんなら島中を端から端まで探したとしても、ホーキンスに会う気がなければ会えないのだ。……ということを今さら実感した。実際に歩き回って疲れ果てて、家に帰ってきていた私は、机に突っ伏しながら彼との関係について思い返していた。
こうして考えてみると、彼は私の居場所を占って突き止めてから行動していたんじゃないだろうか。あんなに遭遇率が高かったのはきっとそのおかげだ。てっきり気が合うとばかり思っていた。わざわざ占ってまで会いにきてくれていた事実への喜びと、それが現在止んでいるという意味が同時にやってきて受け止めきれない。いや別にホーキンスにだって都合があるし、そもそも「占いで必要があれば」って話で始まった交流だし。そこまで思いつめなくても、と自分に言い聞かせる。
普通に、家に遊びに行けばいいのかもしれない。
何度かそう思って、直接屋敷に出向いてみたこともあった。その度、窓もカーテンも閉め切られていて中の様子はうかがえず、威厳のありすぎる手入れのされた門が私の勇気をしゅるしゅると奪い取っていった。門を叩こうとした手はどこにも触れず下ろされた。
ホーキンスと仲良くなって何度かお招きいただいたことがあるとはいえ、丘の上の屋敷はいまだに別世界の存在だった。丘を上がることすら、していいのか戸惑うほどに。
でも友達の家に遊びに行くなんてよくあることだし、島内で重要な立ち位置の家相手だとしてもそこは変わらないはずだ。
そうと決まればすぐ動こう。悩みだしたら動けなくなる自覚がある。さっさと行って、忙しいとかなんとか理由を聞けたら聞いて、「またホーキンスと遊びたい」って気持ちだけ伝えて帰ってこよう。門前払いされる可能性も考慮して手紙も書いておこうか? そこまでしたらしつこいかな。
考えながら家のドアを開けると、外から帰ってきたお父さんとぶつかった。
「いてっ」
「うわあ!? あ、エヴィか。すまんすまん、急いでたもんで」
「私こそごめん……どうしたの?」
「エヴィって、ホーキンス様と交流があったよな?」
「え、うん。まさかホーキンスになにかあったの……!?」
「なにかあったといえばそうだが……。いや、落ち着け、ホーキンス様の身には 何もない」
その言い回しに嫌な予感がした。お父さんが口ごもる。私の様子を見ながら、続きを話す。
「……今朝、バジル家の当主様が亡くなられた」
亡くなった。あの、ベッドに横たわっていた女性が。ホーキンスにそっくりな彼女が。
お父さんだって混乱しているだろうに、できるだけ冷静に、簡潔にまとめて話してくれている。わかってる。私も冷静でいなくちゃ。頭では理解してる。
「ホーキンス様の当主教育が終わるまでは、配偶者様が当主代理を務められるそうだ」
理解していたはずなのに。
私はそこまで説明を聞くと、お父さんを押しのけて家を飛び出した。
私はただただ恥ずかしかった。仮にも友達を名乗っているのだ、もっとよく考えれば思いついたはずなのに。ホーキンスのお母さんは体調が悪そうだったから、それ関係でなにかあったのかもしれないって。
私はホーキンスと遊べないことばかりを気にしていて、彼が大変な状況にいるなんて想像もしていなかった。
お父さんの話からすれば、前当主であるホーキンスのお母さんが亡くなってそんなに経っていないことになる。つらい思いをしているホーキンスに何を言えばいいのか、そもそも今会う余裕が向こうにあるのか。
そこに考えが至ったのは、衝動的に走り出してホーキンスの家の近くまでやってきてからだった。バジル家の屋敷の近辺には豊かな自然とやらが育まれていて、よく言えば雰囲気のある、悪く言えば不気味な場所で、近所の家というものはなかった。丘の下から見える屋敷は生い茂る木々より高い上半分だけで、玄関周りなんかはすっかり隠れている。
だからこそ、バジル家の塀を飛び越えようとしている大きな大きな藁人形がいても、どこからも悲鳴があがらずに済んだのだろう。
「あれかぁ……」
目撃者の一人となった私は、悲鳴ではなく納得の声を漏らした。散々耳にした噂話の正体は、なるほど藁人形そのものであった。手足がうねうねと蠢いている様はどう見ても骨が入っている生き物とは思えなかったし、遠目にも口だと判断できる穴ぼこは黒々とした闇のようだった。疑った上に馬鹿にしてごめんね酔っぱらいさん。本当にいたんだね。
そうしてバジル家への道の途中で立ちすくむ私に、藁人形の顔が向けられた。いつの間にか塀を乗り越えた巨大藁人形は、私の姿を確認した瞬間にぴたりと動きを止めた。あまり落ち着いているように見えなかったし止まってくれてよかったなあ、なんて現実逃避をしていると、屋敷の方からわあわあと声が聞こえてきた。少し距離のあるここからでも聞こえるくらいだから、かなりの大声で話しかけているんだろう。
「お止めくださいませホーキンス様、外に出られてはなりません!」
「すでに村で噂が回ってしまっているのですよ!」
聞き慣れた名前が、私の耳に届いた。
はて、今の人は「ホーキンス様」と言ったな。たぶん今声をかけた対象はあの藁人形だよな。ということは。
固まっていた足を前にどうにか進めて、屋敷へと近づいていく。藁人形は私を見たまま微動だにしないし、屋敷から出てきた人たちは私を見て「あっ」と声をあげた。
私は藁人形の目の前に立つ。顔らしき部分を見上げる。大きな大きな藁人形だった。口の部分は穴ぼこだけど、目は生きた人間のように潤んでいた。何度も間近で見つめてきた、真っ赤な瞳だった。
「ホーキンス?」
巨大藁人形改めバジル・ホーキンスは、私の呼びかけでようやく止まった時を動かし始めた。
▲▲▲
どうにかいつもの姿に戻ったホーキンスは、黙りこくって私の手を引いた。周囲の人々は皆顔を見合わせ、せめて屋敷の中へ、と誘導する。すれ違い際、その中の一人が私にささやいた。
「エヴィ様でいらっしゃいますね。現当主……ホーキンス様の父君がお帰りになられるまで、どうかご滞在ください」
言われずともそうするつもりだ。軽く頷いて答える。人々のこわばっていた顔がホッとしたように少し緩む。
どこに行くのかホーキンスに尋ねたが、彼はうつむいて返事もない。足だけが動く。私は彼の意図を読めないままついていく。
肩下まで伸びた金髪は少しだけぱさついていた。かつて会った、彼の母親と同じ長さになるまでにそう時間はかからなそうに見えた。
玄関を通りすぎ、階段を登り、廊下を歩きに歩いて。私は初めて彼の部屋の場所を知った。これまで家に来たときは毎回客室に案内されていたな、と思い出す。ホーキンスは扉を荒々しく開けた。
踏み入ったそこは整然として、それでいて雑多なものに囲まれた空間だった。少年一人には有り余るほどの広さに、山ほどの本といろんな土地の雑貨がきれいに並んでいる。方角によって置く物の色が統一されていたり、植物が飾られていたり、普段のホーキンス相手であればいろんな質問をしてみたくなるような部屋だった。
部屋の主はそれらに目もくれず、部屋の中で一番散らかっている――全体が整理整頓されているから目立つだけだが――ベッドに近寄り、サイドテーブルの蝋燭をつけた。ぽっ、とほのかな灯りがともる。お互いの表情があらわになる。少しやつれているな、と思う。
ホーキンスはベッドに乗り上げ、私にもそうするよう視線だけで命じた。しっかりとした作りのベッドは私たち二人乗っても問題なく支えてくれた。
ホーキンスは埃一つない部屋のすみに目線を落としながら、ぽつぽつと語っていった。脈絡がないようで、全ての情報が繋がっている話を、私は必死に聞き取って繋ぎ合わせた。
この前「悪魔の実」を食べたこと。それはバジル家に代々受け継がれているもので、母親の早すぎる死によって、次期バジル家当主となるホーキンスの番が来たこと。
死にゆく母親が、これまでホーキンスに教育してきた当主としての心構えやら占いへの接し方やらを今一度唱えさせたこと。
絶対的な存在に思えた母親が、目の前で動かなくなったこと。
友達に話すにしてはあまりにも重いものだと感じたが、おおよその事情は把握できた。しかし上手い言葉のかけ方も分からず、脳みそを必死に働かせて出てきたのは「……悪魔の実?」だなんて陳腐な反応で。母親を亡くした友達に向けた第一声がこれじゃダメだろ。取り繕おうと口をもごもごさせる私に、ホーキンスは振り向いてただ頷いた。
そして、彼の顔が、ふっ、とほどけるように崩壊していった。
「わっ!? ホーキンス、顔、え!?」
「これが「ワラワラの実」の能力だ。さっきも見た通り、全身が藁になる。……他にもできることはあるらしいが、おれはまだ使いこなせていない」
「そういうのがあるんだ……じゃあ体は大丈夫なのね?」
世界の広さと悪魔の実のヤバさの一端に触れ、思わず感嘆のため息がもれる。全身が藁状になって顔まで変化してしまったホーキンスを案じつつもまじまじと見やれば、「問題ない」と端的な返事が頭上から落とされた。いつの間にか彼はベッドから離れ、屋敷前で見たときほどの背丈になっていた。体を縮めても子ども部屋を埋め尽くしてしまっていて窮屈そうだった。
「藁ってほんとに藁なの? 触ってみてもいい?」
「……あまり乱暴にするなよ」
藁とはいえ人の体なのだからそんなことするわけがない。おそるおそる目の前の足(体を支えている部位なのでおそらくそう)に触れてみれば、私の指はかさついた藁の感触に包まれた。見た目通りの束ねた藁という感じで、少し力を入れれば藁同士の中に指を突っ込めそうだ。
「おかしなことをしたら吊し上げてやるからな」
「指突っ込むのはおかしなこと判定になる?」
「なる」
「……わかった」
ならば諦めるしかあるまい。名残惜しげに足を一撫でした後、もういいよと声をかけるために顔を上げた。そこでようやく、ホーキンスの顔が間近にあることに気がついた。この部屋に収まりきらない体をどうにかこうにか移動させ、顔が私の側にくるように調整したらしかった。これまで何度も見てきた顔だが、さすがに藁人形モードのホーキンスとなってからこの距離は初めてなので、少し緊張してしまう。
肌だった部分が全て藁になっていて、少し身じろぐだけでざわざわと音が鳴った。口元はハロウィンのカボチャみたいになっていて、どういう仕組みでこうなっているのだろうと不思議に思う。
手足どころかおそらくは服の下の体までもがひょろひょろとした藁になる。そんな変化だらけの体の中でも、目だけはこれまでのホーキンスのままだった。黒目の小さな、決して優しい目元とは言えない目だったけど、私にとって親しみやすい瞳。現在進行形で私に注がれている視線。
「私になにかついてる?」
「お前は変わらないな」
「変わらないって……あ、いや、ごめん。こんなふざけてる場合じゃないよね」
「お前はそれでいい……ここ最近、変わるものばかりで、少し疲れた」
「……そっか」
彼の慰めとなるのなら、なんだって差し出そう。差し出せるものなんて思いつかないけど、「変わらないでいること」はできる。少なくとも今は。
手を伸ばす。彼の顔に当たる。そのまま輪郭をなぞっていく。
「触られてる感じはあるの?」
「五感は普段と同じだ。体が藁状になっているだけで」
藁で出来た頬に肉の柔らかさはない。指を滑らせようとしても、藁の一本一本に引っかかる感覚がある。私側からじゃ彼の体温すら感じられないが、ホーキンスはかすかに目を閉じて気持ちよさそうにしているので、しばらく撫で続けてあげようという気になった。
爪を立てないように、強く擦らないように、壊れ物を扱うかのように、優しく彼の頬に触れる。彼も私の手のひらに頬をこすりつけるようにして近寄ってくる。
次第にホーキンスの体が縮んていく。私と同じくらいの大きさに戻ってもまだ彼の顔に手を添えたままだったと気づき、慌てて手を離そうとした。だが手首を掴まれ、肩あたりに手を移動させられたので、なんとなく意図を理解して彼の体に手を回す。ベッドの上に戻ってきたホーキンスが私を抱きしめ返す。
「エヴィ」
「なあに、ホーキンス」
「お前に、死相は出ていない」
「そりゃそうでしょ。私今元気だもん」
服越しでも互いの体温と鼓動を感じていた。ホーキンスはそうか、そうだなと呟いて、私の肩に顔をうずめた。
「お父様が帰ってきたら、いつも通りにする。だから、それまで……」
「うん」
一言答えた途端、彼は体から力を抜いた。弱っているのは明らかなのに泣く気配がないのが心配で、背中をさすりながら声をかける。
「大丈夫だよ、ホーキンス。大丈夫、大丈夫」
「……なにが大丈夫なものか」
「私がついてるよ。私にできることがあるなら、なんでもやるよ」
「なんでも?」
「なんでも」
「言ったな。忘れるなよ……おれの代となったらこき使ってやるからな」
「私の使い道があるならいくらでも」
耳元でぼそぼそと話していた彼が、一瞬息を止めた。私は気づかないふりをして、ぎゅうぎゅうとホーキンスを抱きしめる。
なんだってあげるよ。彼を励ますつもりでそう続けた。
重大な役目を負うホーキンスの助けとなれるなら。今つらくてしんどくて、これからも大変なことばかりだろうけど、少しでもその負担を分かち合えたらって。そのくらいしかできないけど、私は私なりに頑張りたい。
顔を伏せたホーキンスは何も言わない。だんだんと腕の力が強まっていく。私はその中から逃げ出すこともせずに、彼の気持ちが収まるのをじっと待っていた。
私たちの関係は友達ではあるけれど、基本的にホーキンス側が用事のあるときにしか会えない。私がいくら村中を、なんなら島中を端から端まで探したとしても、ホーキンスに会う気がなければ会えないのだ。……ということを今さら実感した。実際に歩き回って疲れ果てて、家に帰ってきていた私は、机に突っ伏しながら彼との関係について思い返していた。
こうして考えてみると、彼は私の居場所を占って突き止めてから行動していたんじゃないだろうか。あんなに遭遇率が高かったのはきっとそのおかげだ。てっきり気が合うとばかり思っていた。わざわざ占ってまで会いにきてくれていた事実への喜びと、それが現在止んでいるという意味が同時にやってきて受け止めきれない。いや別にホーキンスにだって都合があるし、そもそも「占いで必要があれば」って話で始まった交流だし。そこまで思いつめなくても、と自分に言い聞かせる。
普通に、家に遊びに行けばいいのかもしれない。
何度かそう思って、直接屋敷に出向いてみたこともあった。その度、窓もカーテンも閉め切られていて中の様子はうかがえず、威厳のありすぎる手入れのされた門が私の勇気をしゅるしゅると奪い取っていった。門を叩こうとした手はどこにも触れず下ろされた。
ホーキンスと仲良くなって何度かお招きいただいたことがあるとはいえ、丘の上の屋敷はいまだに別世界の存在だった。丘を上がることすら、していいのか戸惑うほどに。
でも友達の家に遊びに行くなんてよくあることだし、島内で重要な立ち位置の家相手だとしてもそこは変わらないはずだ。
そうと決まればすぐ動こう。悩みだしたら動けなくなる自覚がある。さっさと行って、忙しいとかなんとか理由を聞けたら聞いて、「またホーキンスと遊びたい」って気持ちだけ伝えて帰ってこよう。門前払いされる可能性も考慮して手紙も書いておこうか? そこまでしたらしつこいかな。
考えながら家のドアを開けると、外から帰ってきたお父さんとぶつかった。
「いてっ」
「うわあ!? あ、エヴィか。すまんすまん、急いでたもんで」
「私こそごめん……どうしたの?」
「エヴィって、ホーキンス様と交流があったよな?」
「え、うん。まさかホーキンスになにかあったの……!?」
「なにかあったといえばそうだが……。いや、落ち着け、ホーキンス様の身
その言い回しに嫌な予感がした。お父さんが口ごもる。私の様子を見ながら、続きを話す。
「……今朝、バジル家の当主様が亡くなられた」
亡くなった。あの、ベッドに横たわっていた女性が。ホーキンスにそっくりな彼女が。
お父さんだって混乱しているだろうに、できるだけ冷静に、簡潔にまとめて話してくれている。わかってる。私も冷静でいなくちゃ。頭では理解してる。
「ホーキンス様の当主教育が終わるまでは、配偶者様が当主代理を務められるそうだ」
理解していたはずなのに。
私はそこまで説明を聞くと、お父さんを押しのけて家を飛び出した。
私はただただ恥ずかしかった。仮にも友達を名乗っているのだ、もっとよく考えれば思いついたはずなのに。ホーキンスのお母さんは体調が悪そうだったから、それ関係でなにかあったのかもしれないって。
私はホーキンスと遊べないことばかりを気にしていて、彼が大変な状況にいるなんて想像もしていなかった。
お父さんの話からすれば、前当主であるホーキンスのお母さんが亡くなってそんなに経っていないことになる。つらい思いをしているホーキンスに何を言えばいいのか、そもそも今会う余裕が向こうにあるのか。
そこに考えが至ったのは、衝動的に走り出してホーキンスの家の近くまでやってきてからだった。バジル家の屋敷の近辺には豊かな自然とやらが育まれていて、よく言えば雰囲気のある、悪く言えば不気味な場所で、近所の家というものはなかった。丘の下から見える屋敷は生い茂る木々より高い上半分だけで、玄関周りなんかはすっかり隠れている。
だからこそ、バジル家の塀を飛び越えようとしている大きな大きな藁人形がいても、どこからも悲鳴があがらずに済んだのだろう。
「あれかぁ……」
目撃者の一人となった私は、悲鳴ではなく納得の声を漏らした。散々耳にした噂話の正体は、なるほど藁人形そのものであった。手足がうねうねと蠢いている様はどう見ても骨が入っている生き物とは思えなかったし、遠目にも口だと判断できる穴ぼこは黒々とした闇のようだった。疑った上に馬鹿にしてごめんね酔っぱらいさん。本当にいたんだね。
そうしてバジル家への道の途中で立ちすくむ私に、藁人形の顔が向けられた。いつの間にか塀を乗り越えた巨大藁人形は、私の姿を確認した瞬間にぴたりと動きを止めた。あまり落ち着いているように見えなかったし止まってくれてよかったなあ、なんて現実逃避をしていると、屋敷の方からわあわあと声が聞こえてきた。少し距離のあるここからでも聞こえるくらいだから、かなりの大声で話しかけているんだろう。
「お止めくださいませホーキンス様、外に出られてはなりません!」
「すでに村で噂が回ってしまっているのですよ!」
聞き慣れた名前が、私の耳に届いた。
はて、今の人は「ホーキンス様」と言ったな。たぶん今声をかけた対象はあの藁人形だよな。ということは。
固まっていた足を前にどうにか進めて、屋敷へと近づいていく。藁人形は私を見たまま微動だにしないし、屋敷から出てきた人たちは私を見て「あっ」と声をあげた。
私は藁人形の目の前に立つ。顔らしき部分を見上げる。大きな大きな藁人形だった。口の部分は穴ぼこだけど、目は生きた人間のように潤んでいた。何度も間近で見つめてきた、真っ赤な瞳だった。
「ホーキンス?」
巨大藁人形改めバジル・ホーキンスは、私の呼びかけでようやく止まった時を動かし始めた。
▲▲▲
どうにかいつもの姿に戻ったホーキンスは、黙りこくって私の手を引いた。周囲の人々は皆顔を見合わせ、せめて屋敷の中へ、と誘導する。すれ違い際、その中の一人が私にささやいた。
「エヴィ様でいらっしゃいますね。現当主……ホーキンス様の父君がお帰りになられるまで、どうかご滞在ください」
言われずともそうするつもりだ。軽く頷いて答える。人々のこわばっていた顔がホッとしたように少し緩む。
どこに行くのかホーキンスに尋ねたが、彼はうつむいて返事もない。足だけが動く。私は彼の意図を読めないままついていく。
肩下まで伸びた金髪は少しだけぱさついていた。かつて会った、彼の母親と同じ長さになるまでにそう時間はかからなそうに見えた。
玄関を通りすぎ、階段を登り、廊下を歩きに歩いて。私は初めて彼の部屋の場所を知った。これまで家に来たときは毎回客室に案内されていたな、と思い出す。ホーキンスは扉を荒々しく開けた。
踏み入ったそこは整然として、それでいて雑多なものに囲まれた空間だった。少年一人には有り余るほどの広さに、山ほどの本といろんな土地の雑貨がきれいに並んでいる。方角によって置く物の色が統一されていたり、植物が飾られていたり、普段のホーキンス相手であればいろんな質問をしてみたくなるような部屋だった。
部屋の主はそれらに目もくれず、部屋の中で一番散らかっている――全体が整理整頓されているから目立つだけだが――ベッドに近寄り、サイドテーブルの蝋燭をつけた。ぽっ、とほのかな灯りがともる。お互いの表情があらわになる。少しやつれているな、と思う。
ホーキンスはベッドに乗り上げ、私にもそうするよう視線だけで命じた。しっかりとした作りのベッドは私たち二人乗っても問題なく支えてくれた。
ホーキンスは埃一つない部屋のすみに目線を落としながら、ぽつぽつと語っていった。脈絡がないようで、全ての情報が繋がっている話を、私は必死に聞き取って繋ぎ合わせた。
この前「悪魔の実」を食べたこと。それはバジル家に代々受け継がれているもので、母親の早すぎる死によって、次期バジル家当主となるホーキンスの番が来たこと。
死にゆく母親が、これまでホーキンスに教育してきた当主としての心構えやら占いへの接し方やらを今一度唱えさせたこと。
絶対的な存在に思えた母親が、目の前で動かなくなったこと。
友達に話すにしてはあまりにも重いものだと感じたが、おおよその事情は把握できた。しかし上手い言葉のかけ方も分からず、脳みそを必死に働かせて出てきたのは「……悪魔の実?」だなんて陳腐な反応で。母親を亡くした友達に向けた第一声がこれじゃダメだろ。取り繕おうと口をもごもごさせる私に、ホーキンスは振り向いてただ頷いた。
そして、彼の顔が、ふっ、とほどけるように崩壊していった。
「わっ!? ホーキンス、顔、え!?」
「これが「ワラワラの実」の能力だ。さっきも見た通り、全身が藁になる。……他にもできることはあるらしいが、おれはまだ使いこなせていない」
「そういうのがあるんだ……じゃあ体は大丈夫なのね?」
世界の広さと悪魔の実のヤバさの一端に触れ、思わず感嘆のため息がもれる。全身が藁状になって顔まで変化してしまったホーキンスを案じつつもまじまじと見やれば、「問題ない」と端的な返事が頭上から落とされた。いつの間にか彼はベッドから離れ、屋敷前で見たときほどの背丈になっていた。体を縮めても子ども部屋を埋め尽くしてしまっていて窮屈そうだった。
「藁ってほんとに藁なの? 触ってみてもいい?」
「……あまり乱暴にするなよ」
藁とはいえ人の体なのだからそんなことするわけがない。おそるおそる目の前の足(体を支えている部位なのでおそらくそう)に触れてみれば、私の指はかさついた藁の感触に包まれた。見た目通りの束ねた藁という感じで、少し力を入れれば藁同士の中に指を突っ込めそうだ。
「おかしなことをしたら吊し上げてやるからな」
「指突っ込むのはおかしなこと判定になる?」
「なる」
「……わかった」
ならば諦めるしかあるまい。名残惜しげに足を一撫でした後、もういいよと声をかけるために顔を上げた。そこでようやく、ホーキンスの顔が間近にあることに気がついた。この部屋に収まりきらない体をどうにかこうにか移動させ、顔が私の側にくるように調整したらしかった。これまで何度も見てきた顔だが、さすがに藁人形モードのホーキンスとなってからこの距離は初めてなので、少し緊張してしまう。
肌だった部分が全て藁になっていて、少し身じろぐだけでざわざわと音が鳴った。口元はハロウィンのカボチャみたいになっていて、どういう仕組みでこうなっているのだろうと不思議に思う。
手足どころかおそらくは服の下の体までもがひょろひょろとした藁になる。そんな変化だらけの体の中でも、目だけはこれまでのホーキンスのままだった。黒目の小さな、決して優しい目元とは言えない目だったけど、私にとって親しみやすい瞳。現在進行形で私に注がれている視線。
「私になにかついてる?」
「お前は変わらないな」
「変わらないって……あ、いや、ごめん。こんなふざけてる場合じゃないよね」
「お前はそれでいい……ここ最近、変わるものばかりで、少し疲れた」
「……そっか」
彼の慰めとなるのなら、なんだって差し出そう。差し出せるものなんて思いつかないけど、「変わらないでいること」はできる。少なくとも今は。
手を伸ばす。彼の顔に当たる。そのまま輪郭をなぞっていく。
「触られてる感じはあるの?」
「五感は普段と同じだ。体が藁状になっているだけで」
藁で出来た頬に肉の柔らかさはない。指を滑らせようとしても、藁の一本一本に引っかかる感覚がある。私側からじゃ彼の体温すら感じられないが、ホーキンスはかすかに目を閉じて気持ちよさそうにしているので、しばらく撫で続けてあげようという気になった。
爪を立てないように、強く擦らないように、壊れ物を扱うかのように、優しく彼の頬に触れる。彼も私の手のひらに頬をこすりつけるようにして近寄ってくる。
次第にホーキンスの体が縮んていく。私と同じくらいの大きさに戻ってもまだ彼の顔に手を添えたままだったと気づき、慌てて手を離そうとした。だが手首を掴まれ、肩あたりに手を移動させられたので、なんとなく意図を理解して彼の体に手を回す。ベッドの上に戻ってきたホーキンスが私を抱きしめ返す。
「エヴィ」
「なあに、ホーキンス」
「お前に、死相は出ていない」
「そりゃそうでしょ。私今元気だもん」
服越しでも互いの体温と鼓動を感じていた。ホーキンスはそうか、そうだなと呟いて、私の肩に顔をうずめた。
「お父様が帰ってきたら、いつも通りにする。だから、それまで……」
「うん」
一言答えた途端、彼は体から力を抜いた。弱っているのは明らかなのに泣く気配がないのが心配で、背中をさすりながら声をかける。
「大丈夫だよ、ホーキンス。大丈夫、大丈夫」
「……なにが大丈夫なものか」
「私がついてるよ。私にできることがあるなら、なんでもやるよ」
「なんでも?」
「なんでも」
「言ったな。忘れるなよ……おれの代となったらこき使ってやるからな」
「私の使い道があるならいくらでも」
耳元でぼそぼそと話していた彼が、一瞬息を止めた。私は気づかないふりをして、ぎゅうぎゅうとホーキンスを抱きしめる。
なんだってあげるよ。彼を励ますつもりでそう続けた。
重大な役目を負うホーキンスの助けとなれるなら。今つらくてしんどくて、これからも大変なことばかりだろうけど、少しでもその負担を分かち合えたらって。そのくらいしかできないけど、私は私なりに頑張りたい。
顔を伏せたホーキンスは何も言わない。だんだんと腕の力が強まっていく。私はその中から逃げ出すこともせずに、彼の気持ちが収まるのをじっと待っていた。