4.どしゃ降りラッキーデイ
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※ホーキンスの両親(捏造100%)ががっつり出ます。
ホーキンスはなにかと綺麗好きだ。身に着けているものはいつもしわ一つなく清潔で、肌や髪も輝いている。その辺は親の指導が入っていたのかもしれないけれど、遊ぶときにもホーキンスは汚れることを嫌った。地面に座り込むのを嫌がって立ったまま占い続けている姿を幾度となく見てきたし、どうしても地べたに座ることになれば最後の抵抗としてハンカチを敷いていた。私の服よりもよっぽど上等な生地で作られたそれは、洗濯すらせずにゴミ箱行きになったらしい。
「おれと遊ぶなら汚れないやつにしてくれ」
「いつもそうしてるでしょ。激しい運動とかしないし大丈夫だよ。ほら、湖と海岸、どっちがいい?」
ちょっと汗ばむ季節になってきたこの時期には、湖も海岸も毎年子どもたちに人気の遊び場だ。それなのに、他の子は最近あまり寄り付かない。いくつかおかしな噂がたっているのだ。
「そこに行った人が帰ってこなかった」。これはまあ分かる。よくある怪談話だ。おおかた、水辺に子どもを近寄らせないための噂話なのだろう。足を滑らせて事故が起きたというのはよく聞くから、危機感を持って欲しいのかもしれない。
しかし「大きな藁人形が海岸で暴れていた」なんて、絶対酔っ払いの幻覚だ。実際、夜中に涼みに行った酒浸りのおじいさんの証言らしい。誰かと戦っているかのように蠢いていたとか。
ただの化け物じゃなくて大きな藁人形とやけに具体的だが、夢うつつで獣かなにかと見間違えたんじゃないだろうか。子どもだからってなんでもかんでも信じて怖がると思わないでほしい。現に、友達は皆本気で信じているというわけではなさそうだった。親やら近所の人やらにあまりに口うるさく言われるものだから、ほとぼりが冷めるまで海岸だけでなく水辺を避けて遊ぼうということになっている。
もっとも、それを利用してホーキンスと二人きりで遊ぼうとしている私のような悪ガキもいるのだが。だって、近頃ホーキンスと遊んでいると他の友達がうるさくて……。こっそり会っていると知られたらそれこそからかいの的になりそうだが、バレなきゃいいのだ、バレなきゃ。
私の提示した二択を聞いて、ホーキンスは一瞬動きを止めた。でもすぐに何事もなかったかのように動き出し、私の顔を見て、「湖に行きたい」とはっきり告げた。彼の赤々とした瞳が揺らいでいる気がして私は少し首をかしげたが、何をして遊ぶかについて脳内が切り替わるのに時間はかからなかった。
ただ、遊ぶ場所を決めるときに占わないのは珍しいな、と思った。
▲▲▲
『海の戦士ソラ』は北の海どころか世界中で有名な小説だ。かく言う私も読んでいるし、ホーキンスはその倍以上の熱量で読み込んでいる。遊びの度にこっそり持ち出してきたらしい私物の海ソラを開いては私に見所を解説してくるのだ。何度読み返しているのか、ホーキンスの持ち物とは思えないほどぼろぼろで、そのままでいいのかと聞いたことがある。
「保管用は別に確保してあるから問題ない」
保管用ってなんだよ、と思ったし顔に出てしまったのでそれもまたホーキンスに説明を受けた。読んだり持ち出したりしてある程度傷んでしまっても大丈夫な実用に用いるものと、傷一つなく保存しておくためのもの、計二冊を購入しているらしい。本なんて読んでなんぼのものだと思うのだけど、保管するためだけに買うのか。金持ちだからできることだなあと感想を抱く。
確かに海ソラは面白いけど、なにがそこまでホーキンスの心を惹き付けているのか不明である。
「――だからこの場面は必要不可欠なんだ。この一文があることでジェルマの悪としての強みを引き立たせている」
「ほーん」
「おい、なんだその返事は」
だって全然分からないし。私はソラ派……というよりソラ側で登場する準々レギュラーくらいのキャラクターが好きなので、ジェルマレベルのメインキャラクターにはあまり注目していない。ストーリーとして好んではいるけれども、ホーキンスの異様なジェルマ推しにはついていけない。
二人で座るのに十分な広さの布の上、早口でまくしたてるホーキンスに相づちを打ちながら、湖に向けて石を投げる。水面を何度か跳ねて沈んでいく。海ソラ語りをできる相手が身近にいないのか、ここのところ会う度これだ。興奮気味に話すホーキンスは見ていて楽しいがたまには別の話もしてほしいものである。
そんな態度でいたものだから、なんとかして海ソラの魅力を共有しようとしたホーキンスの喋りは熱が増し加速するという進化を遂げ、雨粒が数滴落ちてくるまで止まらなかった。
いつの間にかどす黒い雲が空をうめつくしていて、これはさすがにやばいんじゃないかなという気持ちになる。ホーキンスは本を鞄にしまいこみ、その辺にほっぽっていた二本の傘を掲げてみせた。そういや行きの道ですでに持ってたな。
「安心しろ。降水確率百パーセントと出ていたから傘を持ってきた。もちろんお前の分もある」
「さっすがホーキンス! 頼りになる~!」
ちなみに村に着く頃には本降りどころか嵐になっていて、傘は早々にへし折れた。へし折れた瞬間にびしょ濡れとなったホーキンスは「読みが足りなかったな」とコメントした。その様がちょっと面白かったので、海ソラ語りが長引いたせいでこうなったのでは?と言うのはやめておいた。
向かい風の中を全速力で走った私たちは、村の輪郭が見えてきたあたりでスピードを緩めた。単純に息がきれたってのもある。水を吸った服が重い。靴がグチョグチョしてて気持ち悪い。早く屋根のあるところに行きたい。
私の家よりも先に丘へ続く坂道が出てきたため、そこで別れの挨拶をしようと片手を挙げる。横殴りの雨に打たれる。暴風の中じゃ聞こえないかもしれないけど、ジェスチャーでなんとなく察してくれるだろう。
大事な本が入った鞄を濡れないよう抱えこみ(手遅れな気がするが)、もはや布のついた棒切れと化した傘を引きずっていたホーキンスと目が合った。彼が口を開く。何か言ってるみたい。近寄っても聞き取りにくい。
「なにー!!??」
「こ……おれの……」
「もっかい言ってー!!」
「おれの家に!! 寄っていけ!!」
ホーキンスが大声出してるとこ初めて見たかもしれない……なんて少し感動しつつ、勢いでその提案に乗る。自宅にたどり着くまで頑張る気力が残ってなかったとも言える。
体感的には長い、しかし普段ならたいして時間もかからないはずの丘を登っていくと、自然豊かで趣きのある、率直に言うと恐ろしげな雰囲気の屋敷が現れた。ツタに覆われているとか朽ちているとかではないのに、人を拒絶するような。というか、嵐の時に知らない建物へ突入するのって物語の導入めいている気がする。
ホーキンスにとっては勝手知ったる屋敷なので、ずかずかと歩いていく。彼を追って敷地内に入る。こんな機会でもなければ縁がないであろう場所。大きな門をくぐり、どしゃ降りにさらされている見事な庭園――さぞ手入れがされていただろうに、花や葉っぱが吹き飛ばされそうになっている――を横目に進む。ホーキンスの体が風に煽られ倒れそうになっていたので、慌てて腕を掴む。転ばないように、共に石畳の上を行く。
玄関の軒下まで来て話す余裕が出てきた私は、今さらだけど、とこぼした。
「私、入れてもらえるかな」
「立ち入らせる気がないのなら、とっくに追い返されている。悪天候など関係なくな。母はそういう人間だ」
「ホーキンスのお母さんが当主様なんだっけ」
「ああ。ともかく、ここまでの侵入を許したのなら追い返されることはないだろう。行くぞ」
彼がそう言い切ったと同時に、重たそうな木製の扉がひとりでに開いた。どういう仕組みなのかと首を傾げつつ、私はホーキンスに誘われて一歩踏み出した。
▲▲▲
客室にて。名前の分からないフローラルな香りと肌触りのいい服に包まれた私は、ホーキンスが風呂から上がるのを待っていた。出してもらった紅茶をちびちび飲みながら、十数分前の出来事を、ホーキンスのご両親との会話を思い出していた。
――——ホーキンスの言った通り、私は嵐の中に追い出されたりしなかった。
それどころか、待ってましたと言わんばかりにどこからともなく使用人さんたち(たぶんきちんとした役職名があるのだろうが識別できない)が現れ、「身を清めましょう」と速攻風呂場に連れて行かれた。濡れ鼠のまま出歩いていては屋敷を汚してしまうのが明白だったので、挙動の訳分からなさや全員無表情である違和感に目をつぶって、ご厚意に甘えることにした。
ホーキンスと別れ、さあ入るぞと思った矢先。使用人さんたちは私の体にはりついた服を手早く脱がし、あれよあれと全身を洗っていった。さすがプロである。私が目を白黒させている間に髪を乾かすところまでやってくださった彼女らは、私の服は洗濯済であり乾き次第渡すといった旨を述べた後、ぺこりと一礼して解散していった。嵐と通じるものがある勢いだった。
私の側に一人だけ残った使用人さんが口を開く。出会ったときのホーキンスを思い出す、淡々とした声。
「それでは、ご主人様のお部屋に案内いたします」
そう言って廊下を先導していく彼女。音もなく進む背中を慌てて追いかける。確かに、家にお邪魔しているのだから親に挨拶をしておくべきだろう。どんな人なのかな。
廊下には一定の間隔で小ぶりのシャンデリアがぶら下がっていて、外がどれだけ暗くとも歩くのに支障はない。窓ガラスを叩きつけるように雨が降りしきっている。風の勢いも相当なもので、ガラスが割れてしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。
そんな感じだから、外の様子はあまり見えない。お母さんが心配してるかもな、と思ったと同時に、先を歩く使用人さんが「使いを出しておりますのでご心配なく。エヴィ様がこちらにいらしていることはお伝えしております」と言ってくれた。すごい、よく分かったな。私が分かりやすすぎるだけ?
「何から何までありがとうございます!」
「いえ、私どもはご主人様のご命令に従ったまででございます。お礼でしたら、ご主人様に」
「はい……!」
ご主人様すごい! 占いで未来を予測して指示を出しているんだろうか。どこまで先を読めるのか気になるところだ。
こちらです、と言われた先には細かな彫刻が施された扉があった。使用人さんが来訪を告げ、中から許可らしき返答が聞こえると、彼女は磨き抜かれたドアノブを回してあっという間に開けてしまう。待って私まだ心の準備できてない!
部屋の主の視線がこちらに向いていると感じた瞬間、ええいどうにでもなれ!と踏みこんだ。どうやら部屋の中には二人いたらしく、片方から軽い笑い声が聞こえた。笑ってんじゃねえ!
使用人さんはとっくにどこかに消えていて、挨拶が終わるまで出てこないのだろうと悟った。
室内の一番目につくところに、大人二人が並んで寝られるくらいに大きなベッドがあった。そこに一人で横たわっていた女性が、ベッド脇の男性の手助けのもと起き上がる。ホーキンスと同じ淡い金髪が体に沿って流れている。
彼女がこちらに向き直る。血を思わせる赤い瞳、と、その上に並ぶ三角形。なんだろう。位置的に眉毛なのかな。顔立ちはホーキンスが女性かつ大人になったらこうなりそうだなという感じで、線の細さ、人を惹きつける独特の雰囲気がよく似ていた。ホーキンスは母親似らしい。彼女は起き上がっているだけでしんどそうに見える。体調が悪いのだろうか。
一方、隣で微笑みながら私を観察している男性はホーキンスとあまり似ていなかった。この場にいるということはお父さんじゃないかと思うのだけど、顔立ちから雰囲気まで分かりやすく母親似なものだから、すぐには似ているところを見つけられない。たぶんさっき笑ったのはこの人だな。笑うなよ緊張してんだよこっちは! バカにしてる感じじゃなかったし別にいいけど!
男性の笑みがちょっと深まったのを見てハッとする。ちがうちがう、挨拶しなくちゃ。
「は、はじめまして! エヴィと申します! いつもホーキンス……くんにはお世話になってます!」
「こちらこそ、うちのホーキンスがお世話になっているみたいで助かってるよ。そうかたくならないで。ぼくたちは君に用があってこの場を設けたんだ。ねえ?」
「ええ、こうして巡り合うことは読めていました。お掛けなさい」
頷いて、ベッドの側の椅子に腰かける。私にぴったりの高さで、足もぶらつかない。それより、ホーキンスのお母さんとの距離が縮まったことにビビっている。二人は全く別の表情を浮かべていながらも、私を値踏みしている雰囲気があった。息子の友達にふさわしいか的な審査かもしれない。絶対合格しなくちゃ――――。
「……うん、ぼくは彼女で問題ないと思う。君は?」
「私も構いません。一度会って確認しておきたかっただけです。対面したことで、運命 はより強固なものとなりました」
私が頑張る間もなく審査が終わった。早すぎる。何を見て判断したんだろう。
疑問が顔に出ていたらしく、ホーキンスのお父さんが慌てて付け足した。
「意味の分からない話をしてすまないね。君のことは息子から聞いていたんだ。もちろん、占いでも」
「……どんな結果が出たのか、聞いてもいいですか?」
「そうだな……簡単に言うと、ホーキンスを任せられるか、という話さ。親としては、どうしても心配なものでね」
ちょっと話をそらされたな、と感じつつ、相づちを打つ。やっぱりそういうのだったんだ。
「あとはね、ぼくは顔を見ればその人がどんな人か判断できるんだ。君は信頼できる子だって一目で分かったよ」
「はあ……」
勘とはまた別のなにかがありそうだ。占いの一種なのかも。
とにかく、ご両親公認で友達付き合いをできるならば一安心である。「あんな子と付き合うのはやめなさい」って言われたら泣いてしまう。
私たちの話を聞いていたホーキンスのお母さんが、ふっくらとした唇を開いた。凛としたその声は、日ごろから人に指示を出しているのだろうなとうかがわせるものがあった。
「もう少し、こちらに寄りなさい」
呼ばれるままにベッドへ近づくと、彼女は私の手を握った。細く長いなめらかな手だ。室内でカードをめくるのが似合う手。ホーキンスの指先を思い出す。
見た目のはかなさとは裏腹に、その手は異様なまでに力がこもっていた。
「エヴィさん」
「は、はい!」
「ホーキンスを頼みます」
真剣な眼差しが私に注がれていて、あ、冗談で言ってるんじゃないな、と気づく。まるで結婚するときの挨拶みたいに。人生そのものの話をしているかのように。
ただの息子の友人へ告げるにしてはずいぶん重いその言葉が、私の中でじんわりと響く。自然と頷いていた。茶化す気は毛頭なかった。
私が答えると、彼女は手を放した。一瞬、瞳が潤んでいるように見えた。彼女はバジル家の当主としてさまざまな未来を占っているはずだが、その中に悲惨な未来があったのか。だからこんなことを言ったのか。口に出したら確定してしまいそうで、私は何も聞けなかった。
その後、今日のことについての感謝と少しの世間話をして部屋を出た。去り際にもう一度お辞儀をする。次いつ会えるか分からない人たちだから、これが最後となってもいいようにとの思いを込めて頭を下げた。
顔を上げたとき、二人は遠い未来を見るかのように目を細めていた。
―——―とまあ、挨拶は無事終わったわけで。
あとはホーキンスが帰ってくるのを待つだけだな、なんて思った矢先、ドアが勢いよく開く。ホーキンスがさらさらの髪を振り乱して駆けこんできた。目が合う。表情に乏しい彼がほっとした顔を見せた。
「ホーキンスって走れるんだね」
「……不安だろうと思って来てやったのに」
「そうなる前に来てくれたから」
「…………ならいい」
ふい、と顔を背けた彼は、そのまま私の隣に座る。ふわりとシャンプーの匂いがする。今の私も同じ匂いになっているので、なんだか不思議な気持ちになる。
雨はまだまだ止みそうになくて、無言になると途端に雨音が気になってくる。でも全然怖くない。ホーキンスが私の心情を気遣ってくれた上、珍しく走ってくるところまで見られたのでぽわぽわしてしまう。
ホーキンスとの間にある、ちょっとの距離を詰める。いつもの如くカードの束を取り出していたホーキンスがぴしりと固まって、抵抗にもならないささやかな力で押し返そうとしてくる。
「不安になってきたから近くいくね」
「……離れろ。占いにくい」
「構ってよ~」
腕に抱き着いてふざけてみても、ホーキンスはどこ吹く風という感じ。ちらりとこっちを一瞥して、はぁ、なんてため息すらついているし。なんか馬鹿にされた気がする。同い年のくせに!
「なにがしたいんだ」
「なんでもいいよ。あ、トランプ! トランプがいい!」
「それだとお前ばかりが勝つだろう。チェス盤を持ってくる」
「えー!? 私負けるじゃん……いやいける。今日は勝てる気がする……やっぱだめ!」
「……トランプで勝負してやってもいいぞ。その代わり、」
にやりと笑って自分の頬をとんとんと叩き、彼は言う。
「おれの頬にキスの一つでもしてみろ」
「いいよ」
売り言葉に買い言葉とはまさにこういうことだ。ホーキンスの勝ち誇ったような顔にぐいと顔を寄せる。彼の目が見開かれるのを横目に、そっとキスして、すぐ退いた。した瞬間さすがに恥ずかしくなったので。
信じられないと言わんばかりにこっちを見ているホーキンスに、照れを隠したまま強気で話し続ける。彼の顔色は変わらない。耳で判断しようにも髪で隠れてて見えないし。普通に引かれてるのかこれは。頬にキスなら友達でもする範囲だしいいでしょ。
「したよ。ほら。ねえ聞いてる?」
「……ああ」
そう言ってふらふらと廊下に出ていったホーキンスは数秒で帰ってきた。使用人さんが持ってきてくれたらしい。二人して顔を見合わせ、いつから把握されていたんだ……と気まずい空気が漂う。気を取り直してカードをシャッフルしてみたりもする。
雨がもうしばらく降り続けばいいなと思う。この時間を少しでも長く楽しみたかった。
ホーキンスはなにかと綺麗好きだ。身に着けているものはいつもしわ一つなく清潔で、肌や髪も輝いている。その辺は親の指導が入っていたのかもしれないけれど、遊ぶときにもホーキンスは汚れることを嫌った。地面に座り込むのを嫌がって立ったまま占い続けている姿を幾度となく見てきたし、どうしても地べたに座ることになれば最後の抵抗としてハンカチを敷いていた。私の服よりもよっぽど上等な生地で作られたそれは、洗濯すらせずにゴミ箱行きになったらしい。
「おれと遊ぶなら汚れないやつにしてくれ」
「いつもそうしてるでしょ。激しい運動とかしないし大丈夫だよ。ほら、湖と海岸、どっちがいい?」
ちょっと汗ばむ季節になってきたこの時期には、湖も海岸も毎年子どもたちに人気の遊び場だ。それなのに、他の子は最近あまり寄り付かない。いくつかおかしな噂がたっているのだ。
「そこに行った人が帰ってこなかった」。これはまあ分かる。よくある怪談話だ。おおかた、水辺に子どもを近寄らせないための噂話なのだろう。足を滑らせて事故が起きたというのはよく聞くから、危機感を持って欲しいのかもしれない。
しかし「大きな藁人形が海岸で暴れていた」なんて、絶対酔っ払いの幻覚だ。実際、夜中に涼みに行った酒浸りのおじいさんの証言らしい。誰かと戦っているかのように蠢いていたとか。
ただの化け物じゃなくて大きな藁人形とやけに具体的だが、夢うつつで獣かなにかと見間違えたんじゃないだろうか。子どもだからってなんでもかんでも信じて怖がると思わないでほしい。現に、友達は皆本気で信じているというわけではなさそうだった。親やら近所の人やらにあまりに口うるさく言われるものだから、ほとぼりが冷めるまで海岸だけでなく水辺を避けて遊ぼうということになっている。
もっとも、それを利用してホーキンスと二人きりで遊ぼうとしている私のような悪ガキもいるのだが。だって、近頃ホーキンスと遊んでいると他の友達がうるさくて……。こっそり会っていると知られたらそれこそからかいの的になりそうだが、バレなきゃいいのだ、バレなきゃ。
私の提示した二択を聞いて、ホーキンスは一瞬動きを止めた。でもすぐに何事もなかったかのように動き出し、私の顔を見て、「湖に行きたい」とはっきり告げた。彼の赤々とした瞳が揺らいでいる気がして私は少し首をかしげたが、何をして遊ぶかについて脳内が切り替わるのに時間はかからなかった。
ただ、遊ぶ場所を決めるときに占わないのは珍しいな、と思った。
▲▲▲
『海の戦士ソラ』は北の海どころか世界中で有名な小説だ。かく言う私も読んでいるし、ホーキンスはその倍以上の熱量で読み込んでいる。遊びの度にこっそり持ち出してきたらしい私物の海ソラを開いては私に見所を解説してくるのだ。何度読み返しているのか、ホーキンスの持ち物とは思えないほどぼろぼろで、そのままでいいのかと聞いたことがある。
「保管用は別に確保してあるから問題ない」
保管用ってなんだよ、と思ったし顔に出てしまったのでそれもまたホーキンスに説明を受けた。読んだり持ち出したりしてある程度傷んでしまっても大丈夫な実用に用いるものと、傷一つなく保存しておくためのもの、計二冊を購入しているらしい。本なんて読んでなんぼのものだと思うのだけど、保管するためだけに買うのか。金持ちだからできることだなあと感想を抱く。
確かに海ソラは面白いけど、なにがそこまでホーキンスの心を惹き付けているのか不明である。
「――だからこの場面は必要不可欠なんだ。この一文があることでジェルマの悪としての強みを引き立たせている」
「ほーん」
「おい、なんだその返事は」
だって全然分からないし。私はソラ派……というよりソラ側で登場する準々レギュラーくらいのキャラクターが好きなので、ジェルマレベルのメインキャラクターにはあまり注目していない。ストーリーとして好んではいるけれども、ホーキンスの異様なジェルマ推しにはついていけない。
二人で座るのに十分な広さの布の上、早口でまくしたてるホーキンスに相づちを打ちながら、湖に向けて石を投げる。水面を何度か跳ねて沈んでいく。海ソラ語りをできる相手が身近にいないのか、ここのところ会う度これだ。興奮気味に話すホーキンスは見ていて楽しいがたまには別の話もしてほしいものである。
そんな態度でいたものだから、なんとかして海ソラの魅力を共有しようとしたホーキンスの喋りは熱が増し加速するという進化を遂げ、雨粒が数滴落ちてくるまで止まらなかった。
いつの間にかどす黒い雲が空をうめつくしていて、これはさすがにやばいんじゃないかなという気持ちになる。ホーキンスは本を鞄にしまいこみ、その辺にほっぽっていた二本の傘を掲げてみせた。そういや行きの道ですでに持ってたな。
「安心しろ。降水確率百パーセントと出ていたから傘を持ってきた。もちろんお前の分もある」
「さっすがホーキンス! 頼りになる~!」
ちなみに村に着く頃には本降りどころか嵐になっていて、傘は早々にへし折れた。へし折れた瞬間にびしょ濡れとなったホーキンスは「読みが足りなかったな」とコメントした。その様がちょっと面白かったので、海ソラ語りが長引いたせいでこうなったのでは?と言うのはやめておいた。
向かい風の中を全速力で走った私たちは、村の輪郭が見えてきたあたりでスピードを緩めた。単純に息がきれたってのもある。水を吸った服が重い。靴がグチョグチョしてて気持ち悪い。早く屋根のあるところに行きたい。
私の家よりも先に丘へ続く坂道が出てきたため、そこで別れの挨拶をしようと片手を挙げる。横殴りの雨に打たれる。暴風の中じゃ聞こえないかもしれないけど、ジェスチャーでなんとなく察してくれるだろう。
大事な本が入った鞄を濡れないよう抱えこみ(手遅れな気がするが)、もはや布のついた棒切れと化した傘を引きずっていたホーキンスと目が合った。彼が口を開く。何か言ってるみたい。近寄っても聞き取りにくい。
「なにー!!??」
「こ……おれの……」
「もっかい言ってー!!」
「おれの家に!! 寄っていけ!!」
ホーキンスが大声出してるとこ初めて見たかもしれない……なんて少し感動しつつ、勢いでその提案に乗る。自宅にたどり着くまで頑張る気力が残ってなかったとも言える。
体感的には長い、しかし普段ならたいして時間もかからないはずの丘を登っていくと、自然豊かで趣きのある、率直に言うと恐ろしげな雰囲気の屋敷が現れた。ツタに覆われているとか朽ちているとかではないのに、人を拒絶するような。というか、嵐の時に知らない建物へ突入するのって物語の導入めいている気がする。
ホーキンスにとっては勝手知ったる屋敷なので、ずかずかと歩いていく。彼を追って敷地内に入る。こんな機会でもなければ縁がないであろう場所。大きな門をくぐり、どしゃ降りにさらされている見事な庭園――さぞ手入れがされていただろうに、花や葉っぱが吹き飛ばされそうになっている――を横目に進む。ホーキンスの体が風に煽られ倒れそうになっていたので、慌てて腕を掴む。転ばないように、共に石畳の上を行く。
玄関の軒下まで来て話す余裕が出てきた私は、今さらだけど、とこぼした。
「私、入れてもらえるかな」
「立ち入らせる気がないのなら、とっくに追い返されている。悪天候など関係なくな。母はそういう人間だ」
「ホーキンスのお母さんが当主様なんだっけ」
「ああ。ともかく、ここまでの侵入を許したのなら追い返されることはないだろう。行くぞ」
彼がそう言い切ったと同時に、重たそうな木製の扉がひとりでに開いた。どういう仕組みなのかと首を傾げつつ、私はホーキンスに誘われて一歩踏み出した。
▲▲▲
客室にて。名前の分からないフローラルな香りと肌触りのいい服に包まれた私は、ホーキンスが風呂から上がるのを待っていた。出してもらった紅茶をちびちび飲みながら、十数分前の出来事を、ホーキンスのご両親との会話を思い出していた。
――——ホーキンスの言った通り、私は嵐の中に追い出されたりしなかった。
それどころか、待ってましたと言わんばかりにどこからともなく使用人さんたち(たぶんきちんとした役職名があるのだろうが識別できない)が現れ、「身を清めましょう」と速攻風呂場に連れて行かれた。濡れ鼠のまま出歩いていては屋敷を汚してしまうのが明白だったので、挙動の訳分からなさや全員無表情である違和感に目をつぶって、ご厚意に甘えることにした。
ホーキンスと別れ、さあ入るぞと思った矢先。使用人さんたちは私の体にはりついた服を手早く脱がし、あれよあれと全身を洗っていった。さすがプロである。私が目を白黒させている間に髪を乾かすところまでやってくださった彼女らは、私の服は洗濯済であり乾き次第渡すといった旨を述べた後、ぺこりと一礼して解散していった。嵐と通じるものがある勢いだった。
私の側に一人だけ残った使用人さんが口を開く。出会ったときのホーキンスを思い出す、淡々とした声。
「それでは、ご主人様のお部屋に案内いたします」
そう言って廊下を先導していく彼女。音もなく進む背中を慌てて追いかける。確かに、家にお邪魔しているのだから親に挨拶をしておくべきだろう。どんな人なのかな。
廊下には一定の間隔で小ぶりのシャンデリアがぶら下がっていて、外がどれだけ暗くとも歩くのに支障はない。窓ガラスを叩きつけるように雨が降りしきっている。風の勢いも相当なもので、ガラスが割れてしまうんじゃないかと心配になるくらいだ。
そんな感じだから、外の様子はあまり見えない。お母さんが心配してるかもな、と思ったと同時に、先を歩く使用人さんが「使いを出しておりますのでご心配なく。エヴィ様がこちらにいらしていることはお伝えしております」と言ってくれた。すごい、よく分かったな。私が分かりやすすぎるだけ?
「何から何までありがとうございます!」
「いえ、私どもはご主人様のご命令に従ったまででございます。お礼でしたら、ご主人様に」
「はい……!」
ご主人様すごい! 占いで未来を予測して指示を出しているんだろうか。どこまで先を読めるのか気になるところだ。
こちらです、と言われた先には細かな彫刻が施された扉があった。使用人さんが来訪を告げ、中から許可らしき返答が聞こえると、彼女は磨き抜かれたドアノブを回してあっという間に開けてしまう。待って私まだ心の準備できてない!
部屋の主の視線がこちらに向いていると感じた瞬間、ええいどうにでもなれ!と踏みこんだ。どうやら部屋の中には二人いたらしく、片方から軽い笑い声が聞こえた。笑ってんじゃねえ!
使用人さんはとっくにどこかに消えていて、挨拶が終わるまで出てこないのだろうと悟った。
室内の一番目につくところに、大人二人が並んで寝られるくらいに大きなベッドがあった。そこに一人で横たわっていた女性が、ベッド脇の男性の手助けのもと起き上がる。ホーキンスと同じ淡い金髪が体に沿って流れている。
彼女がこちらに向き直る。血を思わせる赤い瞳、と、その上に並ぶ三角形。なんだろう。位置的に眉毛なのかな。顔立ちはホーキンスが女性かつ大人になったらこうなりそうだなという感じで、線の細さ、人を惹きつける独特の雰囲気がよく似ていた。ホーキンスは母親似らしい。彼女は起き上がっているだけでしんどそうに見える。体調が悪いのだろうか。
一方、隣で微笑みながら私を観察している男性はホーキンスとあまり似ていなかった。この場にいるということはお父さんじゃないかと思うのだけど、顔立ちから雰囲気まで分かりやすく母親似なものだから、すぐには似ているところを見つけられない。たぶんさっき笑ったのはこの人だな。笑うなよ緊張してんだよこっちは! バカにしてる感じじゃなかったし別にいいけど!
男性の笑みがちょっと深まったのを見てハッとする。ちがうちがう、挨拶しなくちゃ。
「は、はじめまして! エヴィと申します! いつもホーキンス……くんにはお世話になってます!」
「こちらこそ、うちのホーキンスがお世話になっているみたいで助かってるよ。そうかたくならないで。ぼくたちは君に用があってこの場を設けたんだ。ねえ?」
「ええ、こうして巡り合うことは読めていました。お掛けなさい」
頷いて、ベッドの側の椅子に腰かける。私にぴったりの高さで、足もぶらつかない。それより、ホーキンスのお母さんとの距離が縮まったことにビビっている。二人は全く別の表情を浮かべていながらも、私を値踏みしている雰囲気があった。息子の友達にふさわしいか的な審査かもしれない。絶対合格しなくちゃ――――。
「……うん、ぼくは彼女で問題ないと思う。君は?」
「私も構いません。一度会って確認しておきたかっただけです。対面したことで、
私が頑張る間もなく審査が終わった。早すぎる。何を見て判断したんだろう。
疑問が顔に出ていたらしく、ホーキンスのお父さんが慌てて付け足した。
「意味の分からない話をしてすまないね。君のことは息子から聞いていたんだ。もちろん、占いでも」
「……どんな結果が出たのか、聞いてもいいですか?」
「そうだな……簡単に言うと、ホーキンスを任せられるか、という話さ。親としては、どうしても心配なものでね」
ちょっと話をそらされたな、と感じつつ、相づちを打つ。やっぱりそういうのだったんだ。
「あとはね、ぼくは顔を見ればその人がどんな人か判断できるんだ。君は信頼できる子だって一目で分かったよ」
「はあ……」
勘とはまた別のなにかがありそうだ。占いの一種なのかも。
とにかく、ご両親公認で友達付き合いをできるならば一安心である。「あんな子と付き合うのはやめなさい」って言われたら泣いてしまう。
私たちの話を聞いていたホーキンスのお母さんが、ふっくらとした唇を開いた。凛としたその声は、日ごろから人に指示を出しているのだろうなとうかがわせるものがあった。
「もう少し、こちらに寄りなさい」
呼ばれるままにベッドへ近づくと、彼女は私の手を握った。細く長いなめらかな手だ。室内でカードをめくるのが似合う手。ホーキンスの指先を思い出す。
見た目のはかなさとは裏腹に、その手は異様なまでに力がこもっていた。
「エヴィさん」
「は、はい!」
「ホーキンスを頼みます」
真剣な眼差しが私に注がれていて、あ、冗談で言ってるんじゃないな、と気づく。まるで結婚するときの挨拶みたいに。人生そのものの話をしているかのように。
ただの息子の友人へ告げるにしてはずいぶん重いその言葉が、私の中でじんわりと響く。自然と頷いていた。茶化す気は毛頭なかった。
私が答えると、彼女は手を放した。一瞬、瞳が潤んでいるように見えた。彼女はバジル家の当主としてさまざまな未来を占っているはずだが、その中に悲惨な未来があったのか。だからこんなことを言ったのか。口に出したら確定してしまいそうで、私は何も聞けなかった。
その後、今日のことについての感謝と少しの世間話をして部屋を出た。去り際にもう一度お辞儀をする。次いつ会えるか分からない人たちだから、これが最後となってもいいようにとの思いを込めて頭を下げた。
顔を上げたとき、二人は遠い未来を見るかのように目を細めていた。
―——―とまあ、挨拶は無事終わったわけで。
あとはホーキンスが帰ってくるのを待つだけだな、なんて思った矢先、ドアが勢いよく開く。ホーキンスがさらさらの髪を振り乱して駆けこんできた。目が合う。表情に乏しい彼がほっとした顔を見せた。
「ホーキンスって走れるんだね」
「……不安だろうと思って来てやったのに」
「そうなる前に来てくれたから」
「…………ならいい」
ふい、と顔を背けた彼は、そのまま私の隣に座る。ふわりとシャンプーの匂いがする。今の私も同じ匂いになっているので、なんだか不思議な気持ちになる。
雨はまだまだ止みそうになくて、無言になると途端に雨音が気になってくる。でも全然怖くない。ホーキンスが私の心情を気遣ってくれた上、珍しく走ってくるところまで見られたのでぽわぽわしてしまう。
ホーキンスとの間にある、ちょっとの距離を詰める。いつもの如くカードの束を取り出していたホーキンスがぴしりと固まって、抵抗にもならないささやかな力で押し返そうとしてくる。
「不安になってきたから近くいくね」
「……離れろ。占いにくい」
「構ってよ~」
腕に抱き着いてふざけてみても、ホーキンスはどこ吹く風という感じ。ちらりとこっちを一瞥して、はぁ、なんてため息すらついているし。なんか馬鹿にされた気がする。同い年のくせに!
「なにがしたいんだ」
「なんでもいいよ。あ、トランプ! トランプがいい!」
「それだとお前ばかりが勝つだろう。チェス盤を持ってくる」
「えー!? 私負けるじゃん……いやいける。今日は勝てる気がする……やっぱだめ!」
「……トランプで勝負してやってもいいぞ。その代わり、」
にやりと笑って自分の頬をとんとんと叩き、彼は言う。
「おれの頬にキスの一つでもしてみろ」
「いいよ」
売り言葉に買い言葉とはまさにこういうことだ。ホーキンスの勝ち誇ったような顔にぐいと顔を寄せる。彼の目が見開かれるのを横目に、そっとキスして、すぐ退いた。した瞬間さすがに恥ずかしくなったので。
信じられないと言わんばかりにこっちを見ているホーキンスに、照れを隠したまま強気で話し続ける。彼の顔色は変わらない。耳で判断しようにも髪で隠れてて見えないし。普通に引かれてるのかこれは。頬にキスなら友達でもする範囲だしいいでしょ。
「したよ。ほら。ねえ聞いてる?」
「……ああ」
そう言ってふらふらと廊下に出ていったホーキンスは数秒で帰ってきた。使用人さんが持ってきてくれたらしい。二人して顔を見合わせ、いつから把握されていたんだ……と気まずい空気が漂う。気を取り直してカードをシャッフルしてみたりもする。
雨がもうしばらく降り続けばいいなと思う。この時間を少しでも長く楽しみたかった。