5
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
のみこめないわたしのいびつ/夢主
あの日幼いドフラミンゴが自ら元天竜人だったと明かしたとき、少女――アルマもその場に居合わせていた。ちょうど客を取り終えたところで、数日ぶりのまとまった金を手に帰路を急ぐアルマは、聞き覚えのない子供の声に足を止めた。知らない子供が増えているなどそう珍しくもない。孤児がどこかから流れ着いていたり、食うに困った大人が子供を捨てたり、花売りが密かに産んだ子供が置き去りにされるなど、非加盟国のここではいくらでも理由が見つかった。それなのにアルマが立ち止まったのは、子供の発言内容があまりに衝撃的なものだったからだ。
「おれは天竜人だぞ!」
天竜人。この国において、海賊よりも憎まれている絶対的な存在が「それ」である。その者達が望むのなら全てを捧げなくてはならないし、何をされても抵抗してはならない。政府加盟国ですらそうなのだ、人権が無いとされる非加盟国の人々の扱いなどたかが知れていた。
この国に生まれた子供なら、反抗的な態度をとった者が見せしめに合うのを一度は見ているはずだ。単なる銃殺ならまだマシで、人としての形を保てない状態にされうめき声をあげるだけの存在になり果てる、というのは幼いアルマを縛りつけるのに十分だった。
アルマが見た「うめき声をあげるだけの存在」とは、かつて彼女の両親だった人達だ。といっても、両親は誰かに反抗した訳ではない。ただ単に目をつけられたのだ。天竜人が「夫婦の奴隷が欲しい」と望んだ時、ちょうど近くに両親がいた。それだけで両親の人生は終わった。アルマの存在は周囲の人々が隠し通し、両親は静かにうなだれて従った。震えて歩くこともままならない、そんな背中が正気を保った両親の最後の姿だった。
幼いアルマは親戚の提案を断ってまで一人家に残り、ずっとずっと両親の帰りを待っていた。数少ない聖地からの帰還者がいると知っていたから諦めきれなかったのだ。そして、望み通り両親は帰ってきた。かろうじて人と呼べる状態で。
アルマの頭を優しく撫でてくれた母親は手足を奪われ地べたで蠢くだけ。アルマを抱きしめてくれた父親は人間だったとは思えない姿にまで「遊ばれた」末に戻ってきた。運んできた人は言う。「帰ってきてよかったね」と。きっと帰らぬ人になった奴隷を山ほど見てきた上での発言だったのだろう。両親はもうアルマのことを覚えていなかった。自我すらなくなり、排泄物を垂れ流して、時たまかすかな声をあげていた。いつか正気を取り戻してくれるかもしれない。その日を信じて世話をし続けたい。アルマはそう思っていた。けれどもアルマにも親戚にも、働けない大人二人を世話をしながら生きていけるほど生活に余裕はなかった。両親の正気を失った瞳がアルマを貫いた。
アルマはその日、初めて人を殺した。
両親は天竜人に連れて行かれた時と同じように一切抵抗しなかった。アルマが突き立てたナイフはあっさりと両親の喉を裂いた。幾度か痙攣した後、二人は動かなくなった。
かつて貧しいながらに確かに幸福のあった家で、アルマは血の海にひとり座り込んでいた。
殺人を犯したアルマを、近隣の住民は責めなかった。皆泣いていた。枯れたはずの涙を溢れさせて、共に両親の墓を作ってくれた。皆天竜人に何かしらの被害を受けていて、今回はアルマ達の番だった、それだけ。
すでに似たようなことをしていた住民が、共感のこもった目でアルマを見た。アルマを気にかけてくれる近所の人は「楽にしてあげたんだよ。アルマは何も悪くないよ」と、彼女に労る声をかけてくれた。
でもアルマはそうは思えない。殺人は殺人なのだ。私はどうあがいても親殺しを犯した人間なのだ。愛情を注いでくれた両親に恩返しどころかこんな末路を与えるなんて、きっと死後には地獄に落ちる。地獄には誰がいるんだろうか。両親は天国にいるはずだから、死後も謝罪一つできないだろうな。アルマはそう考えていた。
ずっと手のひらが赤いのだ。閉じても開いても、こびりついた赤が取れない。海辺で繰り返し手のひらを擦り合わせ、水が一切汚れていないのを確認したところでアルマは諦めた。両親の肉の弾力が、刃を突き立てた時の感触が、忘れられそうになかった。
天竜人は、そんな人間達を知っているんだろうか。知らないのだろう。知ったところで何が悪いのかと開き直るのだろう。アルマは天竜人という存在に期待していない。自分達の苦痛が彼らの行動を止めるに至らないと知っていたから。むしろ苦しむ姿を見て笑う奴らだと理解していたから。
そんなことを考えていたアルマは、ようやく自称天竜人のことを思い出した。いつの間にかその子供は消えていて、ざわめく街だけが後に残っていた。家までの道を辿りながら周囲の話に耳をすませば、今一番の話題としてその子供のことが飛び交っている。曰く、天竜人は天竜人でも、下界に降りてきた「元」天竜人だとか。もう天竜人ではないから、何をしても海軍が動くことはない、だとか。
そう言い交わす人々の顔は醜悪に歪んでいる。アルマを慰めてくれたときの優しい表情はそこにない。皆恨みを抱き続けてきたのだ。反抗が許されないから耐えてみせただけで、決して許した訳ではなかった。耐えられない人が死んで、耐えられてしまった者が生き残った。残された人々は亡くなった人の分まで怒りを背負い、いつの日にか救われることを夢に見ていた。
皆、今がその時だと思ったようだった。現状の根本的解決にはならなくとも、せめて、今抱いている怨念を晴らせる機会が巡ってきたのだと、薄暗い喜びが街中に広がっていた。
両親を亡くし、この国ではそう珍しくない孤児となったアルマを母方の叔母が引き取ってくれた。帰ってきたのも叔母の家で、彼女自身の家族もいるのに引き取ってくれたという恩に報いたくて今日の稼ぎを手渡した。
「叔母さん、今日はお客さんとれたから、これ」
「おや、いつもありがとうね……」
叔母は毎回申し訳なさそうに金を受け取る。本心は知らない。アルマにはどうでもよかった。表面上だけでも感謝してくれているのだから、自分の身がどうなろうと構わなかった。多少なりとも彼女の足しになっているといい。そう思ってアルマは微笑んだ。
「そういえば、街で変な噂聞いたんだけど」
「天竜人のことかい」
アルマが軽い気持ちで投げた話題に、叔母は前のめりに食いついた。少しぎょっとしながらも頷いて、叔母に話を促した。
「叔母さん、何か知ってるの?」
「私もさっき聞いたばっかりなんだけどね、北の方の海沿いに開けた土地があるだろう? そこに最近屋敷が建てられたらしくてね。天竜人が来るとするなら、きっとあそこだって話してたのさ」
「へえ……変なことされないといいけど……」
「出来やしないよ! もう天竜人じゃない奴らなんだから、言うことを聞く必要はないんだよ」
「もう」天竜人でないけれど「まだ」天竜人である存在。そんな矛盾を嬉しそうにまくし立てた叔母は、街で見かけた人々と同じく淀んだ笑みを浮かべていた。アルマはそれを見て「よかった」とだけ返す。天竜人の被害に合った子供としての態度はこれでいいのだろうか。もっと憎らしげに吐き捨てるべきだったか。
周囲との温度差に嫌な予感がしていた。アルマとて天竜人は死ぬほど憎い。殺せるなら殺してやりたい。でもそれは、「両親を虐げた」天竜人へ向ける恨みだ。手当たり次第に怒りをぶつけたい訳ではなかった。天竜人全体を嫌ってはいるものの、両親の仇以外とは関わりたくないという気持ちの方が強い。だが、周囲の人々はどうやら違うようだった。叔母が声を潜めてアルマへと話しかけた。
「今度、あの屋敷ごと焼いてやろうって話が出てるんだ」
「え!? それって大丈夫なの?」
「言ったろ、もうあいつらは私達と同じ立場なんだ。人間が人間を焼いたところで、今さら海軍なんかやってこないよ」
これまで私達がされてきたことに比べたらささやかなもんだろ。そう続ける叔母をアルマは否定できない。生きたまま焼かれるだけで済むのならそれを選ぶ奴隷は山ほどいるだろう。奴隷とはそういうものだった。奴隷の烙印は地獄の入口でしかないのだと、背中に天竜人の紋章を背負った「生存者」が語っていたのを聞いたことがある。その人は数日後に自殺した。
この国で街の次に有名なのは死体処理場、といえば聞こえはいいが、墓すら作れない者達の掃き溜めだ。貧しさ故に死んだ者と同じくらい、天竜人の仕打ちに耐えきれず命を絶った人が多い。皆苦しめられ続けてきた。涙を飲んで生きてきた。
なぜ元天竜人の一家はこの国を選んで下りてきたのだろう。よりにもよってここに来なくてもよかったはずなのに。どうなるかくらい、アルマのような子供でも分かることなのに。
アルマは元天竜人達よりも、優しい皆が怖い顔で笑っていることの方が恐ろしかった。そして、鏡の中の自分も同じ顔をしていることが、心底嫌だった。
***
叔母の言っていた通り、人々は本当に屋敷へ火を放った。アルマがついた時にはもう火の海と化していて、中に人がいたのなら確実に死んでいるだろう、と熱気を浴びながら思う。アルマにはとうてい手の届かないきらびやかな屋敷全てが、暴力的な光に包まれている。時折何かが崩れる音がした。殺気立つ人々とは別の空気を漂わせている者もいた。ここまで火が大きくなる前に屋敷に侵入した何人かが、金銀財宝を上手いことかっぱらったらしい。
周囲の話によれば、屋敷から逃げ出す影を見た者がいるとのことだった。あちこちを捜索してもなかなか見つからないのだと、苛立たしげな声が飛び交っている。アルマの名前を呼んでくれる時の温かさは跡形もなくて、人が変わったかのようで。なにより、彼らと同じ気持ちになれない自分が間違っているんじゃないかと、今にも糾弾されるのではという恐れに息が浅くなる。
天竜人の一家はもうここにいないというのに、依然としてピリピリとした殺気が立ち込めている。逃げてはいけない、私も何かしなくては。そう思うものの、何一つ案は浮かばず、誰にも話しかけられなかったのをいいことにアルマはその場から抜け出した。
子供だって嫌なことがあれば一人になりたくて、行ってはいけないと言いつけられている場所にまで足を運ぶこともある。今日のアルマはそんな子供だった。
街から離れたゴミ山は、海の側とは思えないくらいにどんよりとした空気で満ちている。ここまで来れば人どころか生き物すらほとんどいないだろう。かつては頻繁にゴミ捨てに利用されていた――どちらかというと海から流れ着いたゴミの方が多かったが――ここも、今では人の立ち入らない空間となってしまった。いつか再開発されて活気溢れた場所に、などと考えて、アルマは一人で笑った。そんな物好き、いるはずがない。捨てられたのはこの場所だけではなく、この国全てがそうなのだから。助けなんて求められず、希望は持つだけ無駄だ。
正直なところ、アルマにはこんな風に遊んでいる暇はなかった。屋敷の行く末を見届けたらすぐにでも街に戻って金策に励むつもりであったし、そうでなくてはアルマ達の生活がさらに厳しいものになってしまう。頭ではそう分かっていてもまだ皆に会う心の準備ができていなくて、彼女は足場の悪い海岸をとぼとぼ歩いていた。
腐臭と潮の匂いが混ざりあった風は、アルマの顔を等しく撫でた。そして遠くにいる「誰か」の声すらも運んできた。どこかで聞いた、いや、まさか。
動揺から近くのゴミに体をぶつけてしまい、バランスを崩した山が雪崩を起こす。巻き込まれないよう場所を移動したアルマの視界に、動く物体がうつる。アルマと同じくらいの子供達。柔らかそうな金髪。あの時の、自称天竜人。
心臓がバクバクと嫌な音を立てている。全身の血が顔に集まっている気がする。世界と自分との間に薄い膜がはられているような感覚に陥って、それを破るためにアルマは一歩踏み出した。子供達の顔色が変わる。何をするかも決めずに進み出したというのに、アルマの足は止まってくれない。
たいして遠くもなかった距離があっという間に縮まって、彼女の眼下にあの少年が這いずっていた。街での偉そうな振る舞いはどこへやら、怯えすらにじませて、転んだちびを庇っている。庇われているそいつもこちらを見上げてぷるぷる震えるばかりで、少年の振る舞いと合わせて、なんだかアルマが悪者のような気分になった。
なんでそんな目で見るの。
悪いのは、私じゃない。散々虐げてきたのに、それすら分からずのこのこやってきたお前らが悪い。そう、私達は悪くないんだから――――!
「早く出ていけ!!」
そこから先に口走ったことを、アルマはよく覚えていない。自分の口からは、誰にも言えないでずっと思っていたことと、「皆」と同じになるための敵意がごちゃまぜになって飛び出したのだと、それだけは感覚として残っていた。
呆気にとられた一家の顔、そして背中に投げかけられた怒声が、アルマの思惑通りにいったと示している。人生で初めてここまで声を荒げたものだから、逃げ出す間にも彼女の心は混乱を極めていた。
言ってやった、言ってやった、言ってやった!
――なにが?
あいつらが一番理解しておくべきこと。お前達が受ける仕打ちはお前達自身のせいだってこと。
――ほんとうに?
だってそうじゃなきゃ、皆が悪い人になってしまう。本当はこんなことしたくないはずなのに。憎しみの対象が目の前にきたら誰だって殴るよ、ねえ? あいつらがわざわざやってきたからこんな事態を引き起こしてるんだって、そう思わなくちゃ。私は皆側だから。
――ほんとうに、そうおもってる?
ようやくアルマが立ち止まったのは、小屋からも海岸からも遠く離れた木陰だった。誰にも見られていないのを確認しながら、汗を拭って深呼吸をする。息を整えるために足を止めたのに、脳内の自問自答まで止まってしまった。最悪の問いを投げかけたまま。
アルマは天竜人が憎い。「皆」と同じように殺したいほど憎んでいる。だからあの一家にひどいことだって言うし、睨みつけたって心は痛まない。本当だ。本当でなくてはならない。アルマは皆を裏切らない。
これで私も皆と同じだ。そのはずなのに、アルマの心は淀んでいる。何が正しいのか、どうすれば楽になれるのか。
それを教えてくれる人はどこにもいない。