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救いの手ではないけれど/ドフィ
部屋の隅に追いやられるなんて、これまで生きてきて一度もなかったのに。ドフラミンゴは憎たらしい少女――アルマをサングラス越しに睨みつける。アルマはその視線に気づいているにもかかわらず、素知らぬふりをしてロシナンテを肩に乗せていた。無論アルマとて積極的に肩車をしている訳ではない。街の外をうろついていた彼女を、ロシナンテがねだりにねだって小屋まで連れてきた(先日の件で恐怖の対象になっているはずだが、なぜか親しげであった)挙げ句、歓迎ムードの両親と共に戯れだしたのである。
困惑したのはドフラミンゴだけではなかった。連れてこられた当の本人も意味不明だという思考を隠さず顔に出していたし、居心地悪そうにあちこち見回していた。先ほどから数分おきに「私帰る」と言っては「まあまあまあ!」と押しとどめられるというのを繰り返している。
おかしい。息子と殴り合いの大喧嘩をした相手への態度にしてはあまりに友好的すぎる。いくら能天気な両親だからといって、あの騒動からそう日にちも経っていないのにこれほど歓迎できるものなのか。
頭を悩ませるドフラミンゴと同じくらいしかめっ面のアルマは、頭上できゃあきゃあ喜ぶロシナンテに声をかけていた。
「ねえもういいでしょ? 降りなよ」
「もうちょっと!」
「……おい」
「遊び相手を欲しがっていたんだ、付き合ってやっておくれ」
「はあ……」
ドフラミンゴへの態度とは打って変わって、弟や両親の押しにはずいぶんと弱い。もしねだったのがドフラミンゴであれば、彼女は舌打ちと同時に蔑みの目を向けるか、あるいは怒りを煽るための言葉をあげ連ねることだろう。それなのにロシナンテがアルマの顔をペタペタ触ってもはねのけないし、父にだって恨みがましい目を向けるだけにとどめている。クスクス笑う母の様子を横目に伺う余裕すらあるようだった。
「あんた、ずっと寝てるけど体調悪いの? 咳もひどいし」
「ええ、でも心配いらないわ。うつさないようにするから、気にせず遊んでいてね」
「……うん」
母の弱々しい声を聞き、少女は静かに頷いた。言葉の合間に咳込んでは苦しそうに微笑む母を、アルマの静まりかえった瞳がうつしていた。
母の体調はあれ以降も酷くなる一方だった。アルマとの大喧嘩以前はまだ出歩くこともできたのに、今ではベッドから降りることもままならなくなっている。原因なんていくらでも思いついてしまう環境だからこそ、母は決して誰も責めなかった。自分の体の弱さを申し訳無さそうに謝っていた。母は何も悪くないのに。こんな目に合わせる人間共が悪いのに。
一番の元凶である父は今さら聖地の住民に助けを求めたが、すげなく断られている。通話相手の冷ややかな声からして、救援なんてこないのだろうとドフラミンゴは察していた。――どうして。人間になるというのはそれほどに罪深いことなのか。だから母は死の淵にいるのか。
汚れた場所で助けもなく弱っていく。母はそんな罰を受けるような存在ではない。何もかも満ち足りた場所で、傷つけるものなんて一つもない世界で、穏やかに微笑むのが似合う女性が今、刻々と命をすり減らしている。幼いドフラミンゴだって、母親の死が目前に迫っているのだと勘づいていた。それが、自分達にはどうしようもないということも。
母を見つめるアルマの心境なぞ、ドフラミンゴには見当もつかない。少なくとも今は大人しくしているように見えるが、いつ弱りきった母を平手打ちするか分かったものではない。ドフラミンゴは空間の気まずさにじっと耐えながら、何が起きてもすぐ取り押さえられるようにと目を光らせていた。
アルマはロシナンテを宥めすかし、両親と一言二言交わした後にようやく解放された。彼女は去り際にドフラミンゴを睨むことを忘れなかった。バチバチと音が聞こえそうなほどの鋭い視線を、互いに投げあう一瞬。決着がつかないまま終わったあの喧嘩は、二人の間でまだ続いていた。
***
少女がいなくなったのを見計らって、ドフラミンゴはようやく口を開いた。
「なんでそこまであいつに優しくするんだえ?」
「そりゃあ、彼女が優しい人だからだ。私達も同じくらい優しさを返したいんだよ」
「はあ!? おれを殴ったんだぞ!?」
「……アルマはな、あの後私達に謝りにきたんだ。怖がらせてごめんなさい、とね」
おれには!? 思わず叫んだドフラミンゴを、父はたしなめるように抱きしめた。子供扱いするなと暴れる息子を撫でながら、「喧嘩をしているから嫌だ、と言われてしまったんだ」と呟く。ひどく残念そうなその発言から、きっとあの少女に食い下がったのだろうと想像がついた。
ドフラミンゴとて、本気で少女からの謝罪が欲しかった訳ではない。いや、土下座させたい気持ちは山々だが、するはずがないと知っている。殺意を滲ませた視線が、煽るような小馬鹿にした笑みが、アルマの心情の全てを物語っているのだから。
それらを直接受けたことのない家族は、ドフラミンゴの態度こそが不思議でならないようだった。彼らにとってあの少女は、つんけんしてはいるものの親しみやすい相手として見えているらしい。
「ドフィ、仲直りをする気は――」
「ない!!」
「そうか……」
息子の絶対引かない姿勢を見て、父は予想がついていたとでも言うように微笑む。子供同士の喧嘩だから、とでも思っているのだろう。あの日のアルマの叫びを聞いていたはずなのに、父はこうして笑っている。自分達が命がけで殴り合ったのを見ていたのに、ただの子供の喧嘩として認識している。こういう時、ドフラミンゴはどうしても父との断絶を感じずにはいられなかった。
***
ロシナンテを置いて食料調達に出かけた日、ドフラミンゴは運悪く人間達に見つかり、また傷を増やした。それでも軽傷で済んだから、と立ち上がって路地裏の探索を続ける彼を、いつもの如く少女が眺めていた。動き出したのを見届けて、立ち去ろうとするところまでがパターン化している。けれど今回は彼女が去るよりも先に、ドフラミンゴは苛立ち故に問いかけた。
「暇なのかえ?」
彼が話しかけてくると思っていなかったのか、アルマはぽかんと口を開けた。街のざわめきが遠く聞こえる。大通りの明るさに対して、二人のいるここは薄暗さに包まれていた。
気を取り直したアルマの顔はたちまち引きつり――笑顔に見えなくもない――めいっぱい嘲りをこめた答えが返された。
「そんな訳ないじゃん」
「じゃあさっさとどっか行け。邪魔だえ」
「あんたさあ……そんだけボコボコにされて、よく偉そうなままでいられるね」
もはや感心するわ。本気でそう思っていないのが丸分かりの声色で少女が言う。周囲に聞かれたくないのかその声はひそめられているが、ドフラミンゴの耳にはしっかり届いていた。
絶え間なく与えられる暴力により完治することのない傷が、彼の意識を苛んでいる。アルマとの会話による煩わしさと、一歩進むごとに痛む体は、ドフラミンゴの表情を険しくした。彼女はそれを見て、冗談めいた口ぶりで唆してくる。
「助けてって言えば考えてあげなくもないけど?」
「死んでも言わねェ……!」
「じゃあ死んだら教えて。助けて
意地悪く口角を上げるアルマは今日も今日とて忌々しい。ドフラミンゴが強く反発する度、アルマはきゃらきゃら笑うか、乾ききった笑みのどちらかを示した。他の家族には見せない本性を、ドフラミンゴの前でだけ晒しているかのようだった。なぜ態度が違うのかいまだに理由を知らないが、どうせたいしたことではない。脳内の容量を割くだけ無駄だ。
威嚇のための舌打ちすら、彼女をさらに喜ばせる。ドフラミンゴがもう一度「どっか行け」と唸ったことで、ようやくアルマは目を細めて消えた。
不愉快な少女が去った跡に、見慣れない紙袋が落ちていた。恐る恐る近づいて確認すると、中には薬らしきものがそのまま入れられている。何かを破ったような紙きれに、「飲ませろ」と乱雑な文字。あいつは読み書きができたのか、という驚きと、アルマの意図を察したことによる困惑がドフラミンゴを襲った。
薬と共に、薄汚れた小瓶も入っていた。透明な水が注がれたそれは、まるで薬を飲むときに使ってくださいとでも言うかのように添えられていた。ここに来てから透明な水にありつけたことはほとんどない。かき集めた雨水だって透き通っているとは言えないこの土地で、これほど純粋な水を手に入れるためにどれだけの手間がかけられたのだろうか。かつて当たり前のように浪費していた安全な水の価値を、この地獄に来てから、ドフラミンゴは嫌というほど理解してしまっていた。
そして、食料のみならず少量でもこんなものを自分達に譲る少女のことは、一切理解できなかった。
あの時、「憐れんでいる」のだと彼女は言った。だからといって、自分だって貧しい暮らしをしているアルマがそう簡単に用意できるものではない。当然薬だってここでは貴重なはずだ。母の体調を万全にするには足りずとも、今の自分達には喉から手が出るほどに欲しかったもの。金を失い、拙い盗みの技術ではどうあがいても手に入らなかったもの。
度重なる民衆からの暴力を受け、さすがのドフラミンゴも自分達が崇められる存在でなくなったと承知していた。天竜人であることがここでは罪となる。たとえ天竜人を降りたとて、天竜人として生まれた事実は消えず、何もしていないはずの自分達に全ての罪が背負わされ、身を守る術だけが失われる。少女だって、ドフラミンゴ達に罪を背負わせる側なのだ。あの憎しみに満ちた顔と攻撃的な態度からして一目瞭然。それなのに、なぜ。
考えても仕方のないことだ、とドフラミンゴは頭をふった。あの少女の言動は「憐れみ」からきている。本人がそう言っていたのだから、それ以外ないだろう。真相究明が面倒な動機に頭を悩ますよりも、この薬を母に渡すのが先だ。
そうして小屋に戻ろうとして、ふと彼の脳内に最悪の事態がよぎる。この薬は、いや、そもそもこの水だって安全なものなのか? もしアルマのこれまでの態度が演技だったのなら、親切のふりで毒を混ぜることだってあり得るのではないか。体力の落ちた母に毒なんて飲ませたら、彼女はいよいよ死んでしまう。
でも、この水が本当に安全なものならば。病床の母にせめて飲ませてやりたい。そんな二つの可能性の間で揺れ動き、ドフラミンゴは決意したようにごくりと唾を飲み込んだ。
小瓶を開け、ほんの少し、口を湿らす程度に水を含む。ドフラミンゴの小さな口は数滴の水分でも喜んで受け入れ、口内をささやかながら潤わせた。飲み干してしまいたい、と思った。天竜人であった頃ならば、コップ一杯どころか体の何倍もある風呂すら満たせたというのに、今のドフラミンゴにその自由は無い。生命の維持に必要なそれすら取り上げられたこの身は、ひと思いにこの小瓶の水を飲んでしまって、少しでも乾きを癒やしたいと願っていた。その欲求から必死に目を逸らし、すぐに口から小瓶を離す。
「……毒は、入ってないみたいだえ」
自分に言い聞かせる。これは毒味なのだと。奴隷にさせていたことを自分がやる羽目になっているのは屈辱的だったが、少女からの施しをそのまま信用するよりはマシに思えた。施しではなく、尊いこの身への献上品だと思えばいい。自分達にはそれを受ける価値がある。毎日誰かに痛めつけられ、ゴミを漁って生きていくことになった現状から目を背け、ドフラミンゴはそう考えることにした。そして、効くかどうかも分からない薬を片手に病床の母の元へと急いだのである。