その花言葉は
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駅前に小さい花屋があるのは知っていた。登下校で通る道だし、店前にワンコインで買える花束なんかを置いていたのをよく見ていたからだ。でも入学と卒業シーズン以外で花を買う機会とか無いし、ガーデニングはゲームの中で十分だし。本当に買う気とかはなかった。無いと言ったら無い。
「バラ一本もらってくれない?」
「えー! いいの?」
「十本あるから……」
「なんで!?」
ただし、高いと思っていたものが安売りしていたら話は別だ。バラである。普段花屋に通いつめている訳じゃないから通常の値段は分からないが、十本三百円、という「もしかして安いのでは?」と思わせる価格設定に私は負けた。いいじゃん、バラ。部活で漫画のネタに出来るし。黄色とか珍しい気がするし。
なーんて思っていつの間にか私の手には十本のバラがあった。家に持ち帰って、母に「自分で世話しなさいよ」と言われてようやく正気に戻った。いやバラがきれいだとしてもこんなにいらなくない? もっともな疑問だった。
自分で世話しきれるのはせいぜい数本。それ以外を私は必死に配っていた。そんなに必死にならなくても放課後になる頃にはまあまあ捌けた。残り一本。誰に押しつけようかと悩んでいたら、ふと不二美の顔が思い浮かんだ。不二美+バラとは。あいつ花とか似合うかなあ。似合わなくても押しつけてこよ。
「ということでバラあげる」
「いらねえ」
不二美はまだ帰っていなくて、いつも通り自分の席にいた。あと知らない金髪の男子もいた。上履きの色的にたぶん後輩だろう。私が不二美の名前を呼びながら近寄ってきたのを見てぽかんとしている。どこかで見た顔だなあと脳内を辿っていくと、嫌な思い出が蘇ってきた。
高く高く積み重ねられた机の上で、思いの丈を叫ぶ二人。
不二美は演奏してるだけだったけど、あれはきっと叫びに違いなかった。こっちを見てくれと。無視しないで聞いてくれ、と。
遠くからでも分かる熱があそこにあったから、私は、あの時――。
やめだ、やめやめ。
それはそうと、即断られるのは分かっていたので返事を無視して不二美にバラを握らせた。トゲがちゃんと処理してあるバラは貧弱な不二美くんにも安心安全なのです。
「まあまあまあまあ、遠慮せずに」
「まーじでいらねえって」
抵抗空しくバラを持たされた不二美。じたばたしても私に負けるような自分の弱さを恥じてほしい。めんどくさそうな顔はしてるが、こいつはガチで嫌だったらもっと本気で抵抗するはずだし大丈夫。うん。
後輩君は硬直がとけたのか、挨拶もなしにずかずか入り込んできた挙げ句先輩に無理強いする女、つまりは私に話しかけてきた。ちょっと嬉しそうな顔をしている。なんでだ。
「あの! アキラさんのお友達ですか」
「通りすがりの者です」
「ええー……」
後輩君は不満げな声をあげる。不二美はバラをくるくると回して遊ぶばかりで、何のフォローも入れやしない。そんなに回していたら花びらが落ちてしまうかもしれないのに。
さすがの私も誤魔化し方が雑だったと反省し、一言加えてみる。
「知人です」
「無理がある……」
無理があろうとなんだろうと、同級生以上の関わりはない。ウキウキしてた後輩君には申し訳ないが、私たちは友達なんかじゃないので否定しておいた。頑なに知人であると言い張る私を、不二美は止めない。私が横目で見ても、不二美はこちらを見ていない。我関せずって感じ。無言は肯定だ。ほらね、友達じゃないんだよ。眉を下げた後輩君が私と不二美を交互に見るが、二人して平然としていたものだからなおさら困惑していた。
「仲悪いとかじゃないよ。ただの知り合いってだけ」
「そう……なんですね……?」
後輩君は不二美に確認するように返事をしたが、当の不二美は素知らぬ顔でバラを眺めている。たかがバラ一本、面白いものでもないだろうに。後輩君のはてなマークが増えているのが分かったが、解説してあげる義理も無いので早々に退散することにした。
「それじゃーね」
「あ! ちょっと!」
引き止める声を無視してクラスへと戻る。友達にどこに行っていたかを聞かれ、ぶらぶらしていたと誤魔化した。その辺のイスに腰かけて話に混ざる。友達の買ってきた雑誌を一緒に読んで笑う。
後輩君は、私を追ってはこなかった。今頃失礼な女を話題にして盛り上がっているかもしれない。不二美にわざわざクラスにまで会いにくる後輩。なんて物好きなんだ。
そういえば、何がきっかけで不二美と出会ったのかも聞かずに逃げてしまった。人好きされるようなまっすぐな目が私にはなんだか苦しくて、耐えられなかった。別に悪いことなんてしていないのに。私はなにも悪くないのに。不二美関係なんだから、ロックとかそういうのが好きなんだろうな。なんちゃら研究会だっけ? わかんないけど新入部員入ったんだ。よかったね。前につるんでた男共はいなくなったのに、不二美は懲りずにロックで人と繋がっていくんだ。好きな音楽について語り合っちゃったりするんでしょ。重たい楽器を抱えて演奏したりさ。知ったこっちゃないけど。
*****
聞くんじゃなかった。おれの顔はその気持ちをそのまま映していたようで、アキラさんに気にすんな、と気遣われてしまった。
「気にすんなって言われても……」
「気難しいとこあんの。お前が何かやらかした訳じゃねえから安心しろ」
「気難しいってそれアキラさんが言います!?」
ツッコミ前提の慰めのおかげで、どうにか気持ちは落ち着いた。それでも、友達なのかと問いかけて、あの人の顔が歪んでいく様が頭の中で繰り返される。当然のようにやってきて、心底楽しそうにアキラさんに接する姿は、友達のそれだと思ったのに。ああなんだ、アキラさん友達いないとか言ってたのに、ふざけあえる人がいるんじゃないか。口では嫌がっているが、アキラさんだって満更でもなさそうだし。そう考えて、話のきっかけとして聞いたのだ。決してからかうつもりなんてなかった。無難だと思ったその話題は、よりによって地雷だったようで。
否定の言葉は食い気味だった。ほんの一瞬眉をひそめ、口を震えさせていたけれど、本当に一瞬だったから、否定するときにはもう笑っていた。でも、顔を歪めていたのは見間違えなんかじゃない。アキラさんはそこを見ていなくて気が付かなかったのか、気にするな、ともう一度言った。くるくるとバラを回し、たまに止めて花びらを一枚一枚観察するアキラさん。
黄色いバラを見るその目は、やっぱりただの他人へのものと思えない。そりゃまあ困惑気味ではあるけども、ほんのちょっと穏やかに見える表情はあの人に貰ったバラのおかげだ。
またあの人に会うことがあったら、なんで友達じゃないのか聞こう。そう思って、おれはアキラさんの言葉に頷いた。
「そういやあの人他人だって言ってましたけど」
「照れてんだよあいつ。年頃の娘って扱いが難しいから」
「何目線ですかそれ!? てかアキラさん友達いるじゃないですか。前いないっつってたのに」
「俺も年頃だから。照れとかあるわけよ」
「もー!! そんなんじゃ友達やめられちゃいますよ!」
アキラさんが口にする言葉に、おれは軽くとがめてみせる。たぶんアキラさんがあの場で友達だと言っていたら、あの人は立ち去らなかったんじゃないか、もっと話してくれたんじゃないか、と思う。でもアキラさんは言わなかった。アキラさんがそれを考えつかないはずがないのに。アキラさんが言わないでおいた方がいいと判断したということは、もしかしたらあの人は俺の想像以上に複雑な性格なのかもしれない。
アキラさん本人も周りにいる人もなんだか癖が強い。おれとかハルカンのメンバーは今後も振り回されていくんだろうとも思うけど、それならどうにか食らいついていけばいい。おれたちはいっしょにやっていくって決めたから、これしきのことで諦めてる訳にはいかないんだ。
*****
あ〜なんかどこかで青春やってる気配がする。新学期だからか? やだやだ、これだから若い子は。新入生ってやる気に満ち溢れててついていけないんだよな。いや去年どころか数ヶ月?だか前まで私も一年生だったけどさ。この自前の性格とテンションじゃ、何をしていても青春らしい青春って感じはない。勉強も部活も、遊びすらほどほどにこなしている。皆そんなもんだと思うし、不二美もこっち側だと思ってたんだけど。
交流深める度に「あっ、こいつ違うな」ってのが分かって、その度にまあ、ムカつく。なんだかんだで人と関わることは嫌いじゃないみたいだし、理解者と出会ってテンション上がる一面もあるし。私の前ではないけど。嫉妬ですか? はい。
自分が嫉妬してるって認める瞬間が一番惨めだ。欲しいものが手に入らなくて駄々をこねる子どもみたいで。私は私なりにあいつのこと理解しようとしたけど、マジで趣味が合わなすぎて異星人みたいに思えてきてしまった。前に会話の流れで互いの好きなものを探りあったことがあったけど、あの気まずさといったらもう、思い出したくもない。新しいクラスの自己紹介でダダ滑りする方がまだマシな気がする。たぶん向こうもそう思ってたんじゃないだろうか。ここも不二美とズレてたらどうしよ。どうにもならないか。あんなやつと同じにならなくてよかった!
……私、なんで不二美アキラをすごいやつだと認めたくないんだろ? 頭じゃ一応分かってんの。同い年のくせして曲をちゃんと完成させて、バンド活動して、たぶんネットとかにもあげてる。面倒くさがって大半はすぐ脱落するであろうそれを何年も続けて、評価もされてるんじゃない? 知らないけど。そこまできたらもう普通にすごいよ。すごい。
でもすごいって、違う存在だって認める行為な気がしてなんだか嫌だ。見上げて手を伸ばすなんてしたくない。私のいる場所まで引きずり落としたい。お前は特別な存在なんかじゃなくて、私と同じ普通の人間だって言ってやりたい。
――だって、人間じゃなきゃ、同じじゃなきゃ、友達になれない。
そこまで考えて、自分で自分の脳みそが信じられなくなってしまった。まだ 友達になりたいのか、私。思わず鼻で笑ってしまって、目の前の高座君がビビっている。ごめんて。
こんな情緒不安定な先輩でいていい時間ではない。私がこうしてアンニュイな気持ちになっている間にも、漫画文芸研究会の部員達はせっせと作品制作に勤しんでいる――半数くらいは漫画や本を読んでるだけだが――んだから。私だってその一人としてネームをきっている訳だけど、あまりにも展開が思いつかなくてどうでもいいことを考えてしまっていた。おかげで机越しに座っている新入部員の高座君(特徴的なコンタクトをつけているのですぐ顔と名前が一致した。先輩思いの後輩である)が、心配そうにこちらをうかがっている。読んでいた本を置いてまで向き直ってくれた。すまん。
「明時先輩、なにかありました……?」
「なんでもないよ〜ごめんね? 考えごとしてた」
「……ならよかったです。ネームの進み具合はどうですか?」
「それ今一番悩んでるやつ〜!」
優しい後輩をこれ以上心配させたくなくて、わざとらしいくらいに明るく返してみる。高座君はそれに気づいているのかいないのか、ふわっと微笑んでくれた。その後も手元でなんとかストーリーを絞り出しながら、かわいい後輩との会話を楽しませてもらう。
そういえば、高座君ってどこかと兼部してるんだっけ。この学校ってあんまり文化系の部活ないから彼が行きそうなところは限られてくるんだけど。いや、やめておこう。自分の地雷を把握している賢いナツメちゃんなので。私の直感が掘り下げるなと囁いている――
「そういえば、僕最近ロッ研にも入部しまして」
地雷原だと知らない高座君は、無邪気に近況を報告してくれた。ほんとにいい笑顔だ。こっちの部活に顔を出す頻度が下がるかもとのこと。そうか……ちゃんと伝えてくれるなんて礼儀正しい子だな……。私が勝手にダメージ受けてるだけだからそんな顔しないでくれ……。薄々そんな感じはしてたし……。
地味めオタクとはちょっと別方向かつゴリゴリのファッションに身を包む高座君は、入部当初部員達からほんの少し遠巻きにされていた。怖がられていた、というのが正しい。この高校には不良らしい不良もゴロゴロいるし、そこそこ治安が悪いときもある。そんな中漫画文芸研究会は地味なオタクのオアシス的な場所になっていたし、そこに派手めの子が来たら、まあビビるわなという感じで。少し話すだけで高座君のいい子っぷりが判明して即馴染んだんだけど。
ともかく、ここでダラダラしてるよりもしっくりくるなあという場所に行くらしい彼は、「あっち側」の人間であった。顔の明るさからして、きっと不二美ともうまくやっていけるタイプだったんだろう。あの後輩君にも言えることだけど、唯一の部員――部活として認められてないとか聞いたけどそれは置いといて――である不二美と馬が合うなら人間関係は問題なさそうだ。安心して高座君を送り出せるというものである。送り出したくねえ〜!
「兼部ってダメでしたか……!?」
「いやいやいや! 大丈夫だよ! なんも問題ないから楽しんでおいで!」
「それにしては、その、様子が変な気が……」
「や、うーん……」
思っていたより踏みこんでくるな君。眉を下げつつも一切引く気配のない高座君にたじたじしつつ、私は頭をフル回転させて無難な返事を探していた。ここまで言わせちゃうほど露骨に顔に出してた私が悪いし。かと言って関係良好っぽい相手の悪口言いたくないな……。
「ロッ研、というかロックがよくわかんなくて。関わり方に、困ってるというか」
ものすごくオブラートに包んだ上、途中で「関わりたくない」と言いそうになったのを飲みこんでまで言い換えた。その甲斐あってか、彼は「なるほど」と頷いた。凪いだ顔をしているあたり、よく言われることなのかもしれない。
そんなことを考えていると、廊下に繋がる引き戸が勢いよく開いた。立てつけが悪いはずの戸がこうもあっさり、その上開けたのが知らないチャラめの金髪少年だったので、数名の部員が悲鳴をあげた。
私は彼を知っている。不二美と仲の良い後輩君。あのめんどくさい不二美アキラを攻略した少年。ロッ研関係で高座君を呼びにきたのかな〜なんてのんきに考えていたら、後輩君はなぜか私の方へと向かってきた。キラキラした青い瞳が私をうつす。やめろ。見るな。近寄るな。
焦った高座君が話しかけるよりも先に、後輩君は私に言った。
「部室来ませんか!?」
は、と息が漏れたのは、聞き返すつもりの声が出なかったからだ。周囲は突然何を、と思っているだろうが、私と高座君はその言葉の意味を知っていた。そんなに大声で話しているつもりはなかったのに、廊下にいたらしい後輩君はきちんと聞き取っていたようで、真剣な顔をした彼はところどころで言葉を選びながらも訴えかけてきた。
「先輩がなんでアキラさんを友達じゃないなんて言ったのか、不思議だったんです。でも、それが理由なら、少しでもロックのこと知ればきっと、」
「知ったら確定しちゃうでしょ」
「え?」
「てか無理に関わろうとする方がしんどいし! 今くらいの距離感が一番だって!」
わははと笑って誤魔化されてくれるほど、この後輩君はやさしくない。わかってる。でも程よい距離保って話してくれないとこっちも「いい先輩」でいられなくなるから、やめてくれないかな。私、君みたいなまっすぐなひと、一番苦手なんだよ。好ましいとは思う。けど、近くにいると光に当てられて消滅しちゃいそうになる。私は消えたくない。私は私を変えられたくない。
心のドアを完全に閉め切られたと分かったのか、後輩君は私に合わせてへらへらと笑った。作り笑顔ですらかわいげがあるんだもんなあ。ずるいよな。
「そ、そうですよね! いきなりすみません」
「いーよいーよ、気持ちは分かるし。これからロッ研?」
「そうです、その前に高座君がどんな活動してるか見たくて寄ったんですけど」
「うちの部活ゆるいからね〜活動らしい活動あんましてなくてすまんね! ま、頑張って〜」
もの言いたげな高座君の背中を押して、さっさと部室から出ていってもらうことにした。二人には何の罪もない。ただ私が勝手にキレてるだけ。当たり散らされて迷惑だろうけど、そこは運が悪かったってことで。
様子のおかしい先輩を何度も振り返りながら、二人の後輩は部室を後にした。意味不明な怒りをチラ見せしてきたやつにも優しくするの、やめた方がいいと思うよ。損するだけでしょ。言わないけどさ。
そうして私は、あの二人なら即退部にはならなそうだな、なんて考えながら、こちらの様子をうかがっていた他の部員達への誤魔化しを口にすることにした。
***
「アキラさん何調べてるんですか?」
明時先輩――道中、高座君が「あの先輩たまに機嫌悪くなるとは聞いてたんだけど、ロッ研が理由とは思わなかったな」って感想と共に名前を教えてくれた――に追い出された(あの空気的にたぶんこれが正しい)おれ達は、リョウマ君と合流しながらもロッ研の部室にたどり着いた。で、スマホ片手にうんうん唸るアキラさんを目撃してしまった。この人がこんなに悩むことなんて限られていそうなものだけど、と失礼だと言われそうなことを思いつつ、軽く聞いてみた。
「ん……ドライフラワーの作り方」
「…………」
「るっっっせ俺だってキャラじゃねえなって思っとるわ!!」
照れ隠しに荒い言葉で返してきたアキラさんは、そう言いつつも机上のペットボトルをおれ達の前までずらす。ラベルの剥がされたそこには、一輪の黄色いバラが差し込まれていた。こうして見ると、ちょっとしんなりしているような。
「ひとまず生けてみたんだけど、どすか」
「なんかしおれてません?」
「貰った時点でちょっとしおれてたから俺は無実」
どうせ乾燥させるんだし問題ねえだろ、とかなんとかぼやきつつ、アキラさんは慣れない分野の知識を得るためにネットサーフィンへ戻っていった。すぐに処分するどころか残すつもりらしい。アキラさんに元々花を愛おしむ気持ちがあったというより、明時先輩からもらったものだからというのが大きいんだろう。
明時先輩がクラスにやってきたと気づいた途端に、アキラさんの表情が少し明るくなったのを思い出す。彼女はその変化を知らない。げえ、という顔を作ったアキラさんしか見ていない。だからなのかな、と思った。友達じゃないって言うのは、そこなのかなって。
彼女なりに、思うところがあるんだろう。それをアキラさんは察していて、お互い傷つかないぎりぎりを見極めているのかもしれない。それなのにおれはそこに踏み入って、もしかしたら二人の関係を……。
「すみません、おれ、お節介しちゃった……」
「どした……あー、明時のこと?」
「さっき、漫画文芸研究会の部室行ったんですけど、そこで口出しちゃって」
「キレてただろ」
「はい……」
「あいつなー、そういうとこ不安定っつーか、慣れれば扱いやすい方なんだけど」
タプタプと、先ほどまでとは違う指の動きになったかと思うと、アキラさんのスマホから通知音が鳴った。確認するや否や、彼はおれ達に画面を見せた。見慣れたメッセージアプリに、アキラさんが送ったふざけたスタンプと、相手からのおちゃらけたスタンプが表示されている。相手の名前欄には「明時」の文字。
「ほれ、いつも通りだし。全然気にしてねえって」
「よ、よかったー!! 信じていいんですね!?」
「明時先輩、切り替え早いんですかね」
「その分キレるタイミングも謎だけど……いや、音楽の話題ふると確定で不機嫌になってたわ。その辺気をつけろよ」
「……アキラさんって音楽以外になに話すんですか?」
「ちくちく言葉やめろ」
最悪の事態は避けられたようで、思わず息を吐く。抱いた疑問をこぼせるくらいには気が緩んでいた。高座君もアキラさんからの忠告に素直に頷いていて、「触れちゃいけないことが事前に分かるなら問題ないな」って顔をしている。なんだかんだで彼はそういうところが強いと思う。一方リョウマ君はげえ、と顔を歪めていた。扱いやすいというのはアキラさん基準の話だし、おれ達には手が余るからだろう。
それにしても、「音楽」の話がダメなのにアキラさんと付き合い続けているというのは、関係性が複雑骨折してる気がする。だってこのアキラさんだよ?
「おれが言うのもなんですけど、やっぱりちゃんと話しあった方がいいですよ……」
「あいつその辺頑なだからな。下手に踏みこんで距離とられても困る」
「困るんですか」
「他のクラスで教科書借りれるのあいつしかいないんだわ」
「うわ」
「照れ隠しでももう少し言い方あると思います」
さすがの高座君にもそうツッコまれるが、アキラさんはしれっとした顔でスマホを置いた。ここまできたらもう言えることはない。どうかこれ以上複雑化しないでくれと祈るばかりだ。
ラベルを奪われたペットボトルが、水をバラに分け与えている。そんななんてことない存在を、彼は間違えて倒してしまわない位置へと移動させた。
その手つきは乱暴なように見えて、やっぱりどこか優しかった。
「バラ一本もらってくれない?」
「えー! いいの?」
「十本あるから……」
「なんで!?」
ただし、高いと思っていたものが安売りしていたら話は別だ。バラである。普段花屋に通いつめている訳じゃないから通常の値段は分からないが、十本三百円、という「もしかして安いのでは?」と思わせる価格設定に私は負けた。いいじゃん、バラ。部活で漫画のネタに出来るし。黄色とか珍しい気がするし。
なーんて思っていつの間にか私の手には十本のバラがあった。家に持ち帰って、母に「自分で世話しなさいよ」と言われてようやく正気に戻った。いやバラがきれいだとしてもこんなにいらなくない? もっともな疑問だった。
自分で世話しきれるのはせいぜい数本。それ以外を私は必死に配っていた。そんなに必死にならなくても放課後になる頃にはまあまあ捌けた。残り一本。誰に押しつけようかと悩んでいたら、ふと不二美の顔が思い浮かんだ。不二美+バラとは。あいつ花とか似合うかなあ。似合わなくても押しつけてこよ。
「ということでバラあげる」
「いらねえ」
不二美はまだ帰っていなくて、いつも通り自分の席にいた。あと知らない金髪の男子もいた。上履きの色的にたぶん後輩だろう。私が不二美の名前を呼びながら近寄ってきたのを見てぽかんとしている。どこかで見た顔だなあと脳内を辿っていくと、嫌な思い出が蘇ってきた。
高く高く積み重ねられた机の上で、思いの丈を叫ぶ二人。
不二美は演奏してるだけだったけど、あれはきっと叫びに違いなかった。こっちを見てくれと。無視しないで聞いてくれ、と。
遠くからでも分かる熱があそこにあったから、私は、あの時――。
やめだ、やめやめ。
それはそうと、即断られるのは分かっていたので返事を無視して不二美にバラを握らせた。トゲがちゃんと処理してあるバラは貧弱な不二美くんにも安心安全なのです。
「まあまあまあまあ、遠慮せずに」
「まーじでいらねえって」
抵抗空しくバラを持たされた不二美。じたばたしても私に負けるような自分の弱さを恥じてほしい。めんどくさそうな顔はしてるが、こいつはガチで嫌だったらもっと本気で抵抗するはずだし大丈夫。うん。
後輩君は硬直がとけたのか、挨拶もなしにずかずか入り込んできた挙げ句先輩に無理強いする女、つまりは私に話しかけてきた。ちょっと嬉しそうな顔をしている。なんでだ。
「あの! アキラさんのお友達ですか」
「通りすがりの者です」
「ええー……」
後輩君は不満げな声をあげる。不二美はバラをくるくると回して遊ぶばかりで、何のフォローも入れやしない。そんなに回していたら花びらが落ちてしまうかもしれないのに。
さすがの私も誤魔化し方が雑だったと反省し、一言加えてみる。
「知人です」
「無理がある……」
無理があろうとなんだろうと、同級生以上の関わりはない。ウキウキしてた後輩君には申し訳ないが、私たちは友達なんかじゃないので否定しておいた。頑なに知人であると言い張る私を、不二美は止めない。私が横目で見ても、不二美はこちらを見ていない。我関せずって感じ。無言は肯定だ。ほらね、友達じゃないんだよ。眉を下げた後輩君が私と不二美を交互に見るが、二人して平然としていたものだからなおさら困惑していた。
「仲悪いとかじゃないよ。ただの知り合いってだけ」
「そう……なんですね……?」
後輩君は不二美に確認するように返事をしたが、当の不二美は素知らぬ顔でバラを眺めている。たかがバラ一本、面白いものでもないだろうに。後輩君のはてなマークが増えているのが分かったが、解説してあげる義理も無いので早々に退散することにした。
「それじゃーね」
「あ! ちょっと!」
引き止める声を無視してクラスへと戻る。友達にどこに行っていたかを聞かれ、ぶらぶらしていたと誤魔化した。その辺のイスに腰かけて話に混ざる。友達の買ってきた雑誌を一緒に読んで笑う。
後輩君は、私を追ってはこなかった。今頃失礼な女を話題にして盛り上がっているかもしれない。不二美にわざわざクラスにまで会いにくる後輩。なんて物好きなんだ。
そういえば、何がきっかけで不二美と出会ったのかも聞かずに逃げてしまった。人好きされるようなまっすぐな目が私にはなんだか苦しくて、耐えられなかった。別に悪いことなんてしていないのに。私はなにも悪くないのに。不二美関係なんだから、ロックとかそういうのが好きなんだろうな。なんちゃら研究会だっけ? わかんないけど新入部員入ったんだ。よかったね。前につるんでた男共はいなくなったのに、不二美は懲りずにロックで人と繋がっていくんだ。好きな音楽について語り合っちゃったりするんでしょ。重たい楽器を抱えて演奏したりさ。知ったこっちゃないけど。
*****
聞くんじゃなかった。おれの顔はその気持ちをそのまま映していたようで、アキラさんに気にすんな、と気遣われてしまった。
「気にすんなって言われても……」
「気難しいとこあんの。お前が何かやらかした訳じゃねえから安心しろ」
「気難しいってそれアキラさんが言います!?」
ツッコミ前提の慰めのおかげで、どうにか気持ちは落ち着いた。それでも、友達なのかと問いかけて、あの人の顔が歪んでいく様が頭の中で繰り返される。当然のようにやってきて、心底楽しそうにアキラさんに接する姿は、友達のそれだと思ったのに。ああなんだ、アキラさん友達いないとか言ってたのに、ふざけあえる人がいるんじゃないか。口では嫌がっているが、アキラさんだって満更でもなさそうだし。そう考えて、話のきっかけとして聞いたのだ。決してからかうつもりなんてなかった。無難だと思ったその話題は、よりによって地雷だったようで。
否定の言葉は食い気味だった。ほんの一瞬眉をひそめ、口を震えさせていたけれど、本当に一瞬だったから、否定するときにはもう笑っていた。でも、顔を歪めていたのは見間違えなんかじゃない。アキラさんはそこを見ていなくて気が付かなかったのか、気にするな、ともう一度言った。くるくるとバラを回し、たまに止めて花びらを一枚一枚観察するアキラさん。
黄色いバラを見るその目は、やっぱりただの他人へのものと思えない。そりゃまあ困惑気味ではあるけども、ほんのちょっと穏やかに見える表情はあの人に貰ったバラのおかげだ。
またあの人に会うことがあったら、なんで友達じゃないのか聞こう。そう思って、おれはアキラさんの言葉に頷いた。
「そういやあの人他人だって言ってましたけど」
「照れてんだよあいつ。年頃の娘って扱いが難しいから」
「何目線ですかそれ!? てかアキラさん友達いるじゃないですか。前いないっつってたのに」
「俺も年頃だから。照れとかあるわけよ」
「もー!! そんなんじゃ友達やめられちゃいますよ!」
アキラさんが口にする言葉に、おれは軽くとがめてみせる。たぶんアキラさんがあの場で友達だと言っていたら、あの人は立ち去らなかったんじゃないか、もっと話してくれたんじゃないか、と思う。でもアキラさんは言わなかった。アキラさんがそれを考えつかないはずがないのに。アキラさんが言わないでおいた方がいいと判断したということは、もしかしたらあの人は俺の想像以上に複雑な性格なのかもしれない。
アキラさん本人も周りにいる人もなんだか癖が強い。おれとかハルカンのメンバーは今後も振り回されていくんだろうとも思うけど、それならどうにか食らいついていけばいい。おれたちはいっしょにやっていくって決めたから、これしきのことで諦めてる訳にはいかないんだ。
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あ〜なんかどこかで青春やってる気配がする。新学期だからか? やだやだ、これだから若い子は。新入生ってやる気に満ち溢れててついていけないんだよな。いや去年どころか数ヶ月?だか前まで私も一年生だったけどさ。この自前の性格とテンションじゃ、何をしていても青春らしい青春って感じはない。勉強も部活も、遊びすらほどほどにこなしている。皆そんなもんだと思うし、不二美もこっち側だと思ってたんだけど。
交流深める度に「あっ、こいつ違うな」ってのが分かって、その度にまあ、ムカつく。なんだかんだで人と関わることは嫌いじゃないみたいだし、理解者と出会ってテンション上がる一面もあるし。私の前ではないけど。嫉妬ですか? はい。
自分が嫉妬してるって認める瞬間が一番惨めだ。欲しいものが手に入らなくて駄々をこねる子どもみたいで。私は私なりにあいつのこと理解しようとしたけど、マジで趣味が合わなすぎて異星人みたいに思えてきてしまった。前に会話の流れで互いの好きなものを探りあったことがあったけど、あの気まずさといったらもう、思い出したくもない。新しいクラスの自己紹介でダダ滑りする方がまだマシな気がする。たぶん向こうもそう思ってたんじゃないだろうか。ここも不二美とズレてたらどうしよ。どうにもならないか。あんなやつと同じにならなくてよかった!
……私、なんで不二美アキラをすごいやつだと認めたくないんだろ? 頭じゃ一応分かってんの。同い年のくせして曲をちゃんと完成させて、バンド活動して、たぶんネットとかにもあげてる。面倒くさがって大半はすぐ脱落するであろうそれを何年も続けて、評価もされてるんじゃない? 知らないけど。そこまできたらもう普通にすごいよ。すごい。
でもすごいって、違う存在だって認める行為な気がしてなんだか嫌だ。見上げて手を伸ばすなんてしたくない。私のいる場所まで引きずり落としたい。お前は特別な存在なんかじゃなくて、私と同じ普通の人間だって言ってやりたい。
――だって、人間じゃなきゃ、同じじゃなきゃ、友達になれない。
そこまで考えて、自分で自分の脳みそが信じられなくなってしまった。
こんな情緒不安定な先輩でいていい時間ではない。私がこうしてアンニュイな気持ちになっている間にも、漫画文芸研究会の部員達はせっせと作品制作に勤しんでいる――半数くらいは漫画や本を読んでるだけだが――んだから。私だってその一人としてネームをきっている訳だけど、あまりにも展開が思いつかなくてどうでもいいことを考えてしまっていた。おかげで机越しに座っている新入部員の高座君(特徴的なコンタクトをつけているのですぐ顔と名前が一致した。先輩思いの後輩である)が、心配そうにこちらをうかがっている。読んでいた本を置いてまで向き直ってくれた。すまん。
「明時先輩、なにかありました……?」
「なんでもないよ〜ごめんね? 考えごとしてた」
「……ならよかったです。ネームの進み具合はどうですか?」
「それ今一番悩んでるやつ〜!」
優しい後輩をこれ以上心配させたくなくて、わざとらしいくらいに明るく返してみる。高座君はそれに気づいているのかいないのか、ふわっと微笑んでくれた。その後も手元でなんとかストーリーを絞り出しながら、かわいい後輩との会話を楽しませてもらう。
そういえば、高座君ってどこかと兼部してるんだっけ。この学校ってあんまり文化系の部活ないから彼が行きそうなところは限られてくるんだけど。いや、やめておこう。自分の地雷を把握している賢いナツメちゃんなので。私の直感が掘り下げるなと囁いている――
「そういえば、僕最近ロッ研にも入部しまして」
地雷原だと知らない高座君は、無邪気に近況を報告してくれた。ほんとにいい笑顔だ。こっちの部活に顔を出す頻度が下がるかもとのこと。そうか……ちゃんと伝えてくれるなんて礼儀正しい子だな……。私が勝手にダメージ受けてるだけだからそんな顔しないでくれ……。薄々そんな感じはしてたし……。
地味めオタクとはちょっと別方向かつゴリゴリのファッションに身を包む高座君は、入部当初部員達からほんの少し遠巻きにされていた。怖がられていた、というのが正しい。この高校には不良らしい不良もゴロゴロいるし、そこそこ治安が悪いときもある。そんな中漫画文芸研究会は地味なオタクのオアシス的な場所になっていたし、そこに派手めの子が来たら、まあビビるわなという感じで。少し話すだけで高座君のいい子っぷりが判明して即馴染んだんだけど。
ともかく、ここでダラダラしてるよりもしっくりくるなあという場所に行くらしい彼は、「あっち側」の人間であった。顔の明るさからして、きっと不二美ともうまくやっていけるタイプだったんだろう。あの後輩君にも言えることだけど、唯一の部員――部活として認められてないとか聞いたけどそれは置いといて――である不二美と馬が合うなら人間関係は問題なさそうだ。安心して高座君を送り出せるというものである。送り出したくねえ〜!
「兼部ってダメでしたか……!?」
「いやいやいや! 大丈夫だよ! なんも問題ないから楽しんでおいで!」
「それにしては、その、様子が変な気が……」
「や、うーん……」
思っていたより踏みこんでくるな君。眉を下げつつも一切引く気配のない高座君にたじたじしつつ、私は頭をフル回転させて無難な返事を探していた。ここまで言わせちゃうほど露骨に顔に出してた私が悪いし。かと言って関係良好っぽい相手の悪口言いたくないな……。
「ロッ研、というかロックがよくわかんなくて。関わり方に、困ってるというか」
ものすごくオブラートに包んだ上、途中で「関わりたくない」と言いそうになったのを飲みこんでまで言い換えた。その甲斐あってか、彼は「なるほど」と頷いた。凪いだ顔をしているあたり、よく言われることなのかもしれない。
そんなことを考えていると、廊下に繋がる引き戸が勢いよく開いた。立てつけが悪いはずの戸がこうもあっさり、その上開けたのが知らないチャラめの金髪少年だったので、数名の部員が悲鳴をあげた。
私は彼を知っている。不二美と仲の良い後輩君。あのめんどくさい不二美アキラを攻略した少年。ロッ研関係で高座君を呼びにきたのかな〜なんてのんきに考えていたら、後輩君はなぜか私の方へと向かってきた。キラキラした青い瞳が私をうつす。やめろ。見るな。近寄るな。
焦った高座君が話しかけるよりも先に、後輩君は私に言った。
「部室来ませんか!?」
は、と息が漏れたのは、聞き返すつもりの声が出なかったからだ。周囲は突然何を、と思っているだろうが、私と高座君はその言葉の意味を知っていた。そんなに大声で話しているつもりはなかったのに、廊下にいたらしい後輩君はきちんと聞き取っていたようで、真剣な顔をした彼はところどころで言葉を選びながらも訴えかけてきた。
「先輩がなんでアキラさんを友達じゃないなんて言ったのか、不思議だったんです。でも、それが理由なら、少しでもロックのこと知ればきっと、」
「知ったら確定しちゃうでしょ」
「え?」
「てか無理に関わろうとする方がしんどいし! 今くらいの距離感が一番だって!」
わははと笑って誤魔化されてくれるほど、この後輩君はやさしくない。わかってる。でも程よい距離保って話してくれないとこっちも「いい先輩」でいられなくなるから、やめてくれないかな。私、君みたいなまっすぐなひと、一番苦手なんだよ。好ましいとは思う。けど、近くにいると光に当てられて消滅しちゃいそうになる。私は消えたくない。私は私を変えられたくない。
心のドアを完全に閉め切られたと分かったのか、後輩君は私に合わせてへらへらと笑った。作り笑顔ですらかわいげがあるんだもんなあ。ずるいよな。
「そ、そうですよね! いきなりすみません」
「いーよいーよ、気持ちは分かるし。これからロッ研?」
「そうです、その前に高座君がどんな活動してるか見たくて寄ったんですけど」
「うちの部活ゆるいからね〜活動らしい活動あんましてなくてすまんね! ま、頑張って〜」
もの言いたげな高座君の背中を押して、さっさと部室から出ていってもらうことにした。二人には何の罪もない。ただ私が勝手にキレてるだけ。当たり散らされて迷惑だろうけど、そこは運が悪かったってことで。
様子のおかしい先輩を何度も振り返りながら、二人の後輩は部室を後にした。意味不明な怒りをチラ見せしてきたやつにも優しくするの、やめた方がいいと思うよ。損するだけでしょ。言わないけどさ。
そうして私は、あの二人なら即退部にはならなそうだな、なんて考えながら、こちらの様子をうかがっていた他の部員達への誤魔化しを口にすることにした。
***
「アキラさん何調べてるんですか?」
明時先輩――道中、高座君が「あの先輩たまに機嫌悪くなるとは聞いてたんだけど、ロッ研が理由とは思わなかったな」って感想と共に名前を教えてくれた――に追い出された(あの空気的にたぶんこれが正しい)おれ達は、リョウマ君と合流しながらもロッ研の部室にたどり着いた。で、スマホ片手にうんうん唸るアキラさんを目撃してしまった。この人がこんなに悩むことなんて限られていそうなものだけど、と失礼だと言われそうなことを思いつつ、軽く聞いてみた。
「ん……ドライフラワーの作り方」
「…………」
「るっっっせ俺だってキャラじゃねえなって思っとるわ!!」
照れ隠しに荒い言葉で返してきたアキラさんは、そう言いつつも机上のペットボトルをおれ達の前までずらす。ラベルの剥がされたそこには、一輪の黄色いバラが差し込まれていた。こうして見ると、ちょっとしんなりしているような。
「ひとまず生けてみたんだけど、どすか」
「なんかしおれてません?」
「貰った時点でちょっとしおれてたから俺は無実」
どうせ乾燥させるんだし問題ねえだろ、とかなんとかぼやきつつ、アキラさんは慣れない分野の知識を得るためにネットサーフィンへ戻っていった。すぐに処分するどころか残すつもりらしい。アキラさんに元々花を愛おしむ気持ちがあったというより、明時先輩からもらったものだからというのが大きいんだろう。
明時先輩がクラスにやってきたと気づいた途端に、アキラさんの表情が少し明るくなったのを思い出す。彼女はその変化を知らない。げえ、という顔を作ったアキラさんしか見ていない。だからなのかな、と思った。友達じゃないって言うのは、そこなのかなって。
彼女なりに、思うところがあるんだろう。それをアキラさんは察していて、お互い傷つかないぎりぎりを見極めているのかもしれない。それなのにおれはそこに踏み入って、もしかしたら二人の関係を……。
「すみません、おれ、お節介しちゃった……」
「どした……あー、明時のこと?」
「さっき、漫画文芸研究会の部室行ったんですけど、そこで口出しちゃって」
「キレてただろ」
「はい……」
「あいつなー、そういうとこ不安定っつーか、慣れれば扱いやすい方なんだけど」
タプタプと、先ほどまでとは違う指の動きになったかと思うと、アキラさんのスマホから通知音が鳴った。確認するや否や、彼はおれ達に画面を見せた。見慣れたメッセージアプリに、アキラさんが送ったふざけたスタンプと、相手からのおちゃらけたスタンプが表示されている。相手の名前欄には「明時」の文字。
「ほれ、いつも通りだし。全然気にしてねえって」
「よ、よかったー!! 信じていいんですね!?」
「明時先輩、切り替え早いんですかね」
「その分キレるタイミングも謎だけど……いや、音楽の話題ふると確定で不機嫌になってたわ。その辺気をつけろよ」
「……アキラさんって音楽以外になに話すんですか?」
「ちくちく言葉やめろ」
最悪の事態は避けられたようで、思わず息を吐く。抱いた疑問をこぼせるくらいには気が緩んでいた。高座君もアキラさんからの忠告に素直に頷いていて、「触れちゃいけないことが事前に分かるなら問題ないな」って顔をしている。なんだかんだで彼はそういうところが強いと思う。一方リョウマ君はげえ、と顔を歪めていた。扱いやすいというのはアキラさん基準の話だし、おれ達には手が余るからだろう。
それにしても、「音楽」の話がダメなのにアキラさんと付き合い続けているというのは、関係性が複雑骨折してる気がする。だってこのアキラさんだよ?
「おれが言うのもなんですけど、やっぱりちゃんと話しあった方がいいですよ……」
「あいつその辺頑なだからな。下手に踏みこんで距離とられても困る」
「困るんですか」
「他のクラスで教科書借りれるのあいつしかいないんだわ」
「うわ」
「照れ隠しでももう少し言い方あると思います」
さすがの高座君にもそうツッコまれるが、アキラさんはしれっとした顔でスマホを置いた。ここまできたらもう言えることはない。どうかこれ以上複雑化しないでくれと祈るばかりだ。
ラベルを奪われたペットボトルが、水をバラに分け与えている。そんななんてことない存在を、彼は間違えて倒してしまわない位置へと移動させた。
その手つきは乱暴なように見えて、やっぱりどこか優しかった。
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