10.満ちなければ欠けもしないのだと
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最初に村の真ん中にあった大木が消えた。正確には、夕飯を作っている最中の民家を狙ったであろう砲撃が少し逸れた。
真っ赤な夕焼けが地平線の彼方に沈みかけ、あたりが薄暗くなってからの出来事だった。
今日の朝、屋敷まで会いに来た私に対してホーキンスは「来る」と断言した。纏う空気は重く、カードに落とす視線はいつになく暗い。広げたカードは彼の心情を表すように乱れている。
朝食を済ませたばかりなのか、食堂には後片付けをする使用人さんがちらほらいたが、その場の全員がホーキンスを見た。次いで、私以外の全員が一斉に動きを変えた。何人かは村へ伝達に向かったのだろう。
ホーキンスのお父さん――お義父さんもその中の一人だった。息子の肩を抱き、「ぼくらはお前を信じてる」と静かに言った。彼は私に目配せすると屋敷の外へ出ていってしまい、部屋にいるのは私達だけ。ホーキンスはまだカードと向き合っていた。
「勝率、1%……待て、服従した場合の生存確率が変化している……なぜだ」
「どちらにしろ、誰も降伏する気ないと思うよ」
「……だろうな」
彼はカードから手を離すと指輪を撫でた。傷がつかない程度の力で刻印をなぞっている。指輪をつけるようになってまだそんなに経っていないけれど、その仕草が彼の不安の表れだと知っていた。席についたままの彼を後ろから抱きしめる。肩に顎を乗せ、「私の運勢占ってよ」と頼んだ。
「今?」
「今。いつもやってることやれば、少しは落ち着くでしょ」
「……悪い結果が出たらどうする」
カードをまとめ、シャッフルをしながら呟く声は冷静そのものだったが、答え次第で彼の精神状態も変わってしまうのだろうな、と勘づく。
「どうもしない。占ってもらえてよかったなって思うだけ」
「それでは意味がない」
「ホーキンスが私のことを考えて何かしてくれたのが嬉しいの。結果は……そりゃ、大事だけど。何が出ても君を恨んだりしないよ」
「そんなことは昔から知っている」
十三枚のタロットカードが並び、捲られ、絵柄が明らかになる。魔法使いみたいに神聖な指が未来を垣間見せてくれる。
「運気は最悪……だが、明日まで生きている確率は90%だ」
「最高じゃん」
「前半を聞き逃したようだな。運気は最悪。怪我をする恐れあり。いつも以上に周囲に気を配れ」
「私はいいとこだけつまみ食いしたいの! でも、ありがと」
お礼として頬にキスしてもホーキンスは白けた顔をするばかり。けれども何の足しにもならないはずのその行為は、ホーキンスの顔色を幾ばくかマシなものにした。
食堂の扉が開き、お義父さんが帰ってきた。戯れを終え、気持ちを切り替える。
今日、全てが決まる。生まれ育ったこの島が戦場となって。
▲▲▲
密やかに伝達されたおかげで、村は表面上いつもと変わらない日々を過ごしていた。
村人は皆戦闘準備を終えていた。各々武器を携え、作戦を確認し、異変を察知した時点で動き出す手はずになっている。構えていることを悟られないように普段の生活を送っているように見せかけた。敵襲の時刻は確定しなかったとのことで、今日一日は気を張り詰めたままだ。
ホーキンスは彼のお父さんや村長と共に丘の上にいる。島で最も高いその場所から「外」の異変を監視しているのだ。悪魔の実の能力者だからこそ、最前線で戦うつもりのようだった。
私も屋敷に留まろうとしたけれど、ホーキンスのお父さんに「村の様子を確認してきてくれ」と頼まれた……そう、頼まれたから。店で買い物をして、知り合いに挨拶をして、友達に会いに行って。なんでもないように笑っている。
今こそ最愛の人の側にいなくてはならないと思うのに、他の人と村全体を見て回っている。必要な仕事だ。ホーキンスだって私を引き留めようとしなかった。側にいさせて、と懇願する前に、彼本人が「頼む」と告げた。村の中でも特に力自慢の何人かの名を挙げ連ね、奴らと合流しておけ、と。
「ここはおれ達が防衛にあたる。エヴィ、お前は戦えない者達を守れ」
私は頷いた。必要な役目だと分かっているから。お義父さんはホーキンスに何か言いたげな視線をやったけれど、ホーキンスは何も答えず私にキスをして去っていった。別れはあっさりしすぎているくらいがちょうどいいのかもしれない。最期の言葉なんて残されてしまえば、私は全てを差し置いて彼に追いすがってしまう。
屋敷に戦力を集中させていてはいけないし、村の皆の緊張をほぐしておいた方がいい。私は私にできる仕事をする。わがままを言うものじゃない。
言われた通り、村の戦力となる人々と合流して連携のやり方を話しあっておく。そのうちの一人――友達のお父さんだ――が、逞しい腕で力強く私の背中を叩いた。気合い入れとけよ、と言ってガハハと笑う。不安なはずなのに励まそうとしてくれている。私も笑い返す。
薬指のルビーが太陽の光を浴びて輝いた。大丈夫。離れていたって、いざという時は助けに行く。大丈夫、大丈夫……。
店が立ち並ぶ場所を通り抜け、多くの家が集まったエリアに入る。子ども達が私の横を走り去っていく。怯えた顔はしていない。状況説明は受けたのだろうが、きっと勝てると信じているのだ。
すれ違う人は皆、笑い合いながら虫一匹逃さないとでも言いたげな目をしている。状況を理解していない幼い子どもだけが不思議そうに親を見上げてはあやされていた。
誰かが――誰が言ったかなんて声で分かるけれど――ぽつりと言った。
「当たらないでほしいな」
ホーキンスの占いが外れたら。嘘つきと詰る人はいるだろうが、それよりずっと大きな安心を得る。嫌な予想は当たってほしくないものだ。永遠に「その日」が来ないでいてくれたらと願う。いつ来るかを予想した上で、来ないでくれと思う。
でもこの世界で生きていく以上戦いは避けられない。占いが私達の手助けをしてくれるのなら、その手を取るべきなのだ。この日を迎えた皆はそれを理解していた。
戦争なんて言葉が似合わない穏やかな空も、やがて太陽が傾く。視界が悪くなる。夜になればなおさら危険だ。緊張が走る。
何度目かの配置確認の時、怪訝な声があがった。
「あいつ、どこ行った?」
「便所じゃねェのか?」
「いないんだ。家にも店にも。今勝手なことされちゃ困るってのによ……」
青果店のおじさんの姿が見えないのだという。確かに私も彼と会った覚えがない。
茶化すように口にしているが、本人も周りも、そして私も嫌な予感がした。人で賑わっているはずのこの場所がやけに静かに感じて、空を仰ぐ。オレンジ色が混ざりだしたそこに、いつもなら日暮れ時に鳴く鳥がいない。どこに行った?
遠くで爆音がした。空を切り裂くように線が走った。
咄嗟に身構えた瞬間、私達は爆風に呑まれた。
▲▲▲
この島が平和を保てていたのはバジル家の占いによる影響が大きいけれど、住民の強さも理由の一つだった。治安が良いとは言えない北の海で生き残ってこれたのは、海賊達を撃退するだけの力を持っていたからだ。日常的に戦闘訓練が行われ、ほんの小さな子どもでも最低限の立ち回りはできる。老人と呼ばれる年にもなれば痛む腰を叩きながら敵を倒す。そんな島。
だから、決定的な敗北は今日が初めてだったのだと思う。少なくとも、バジル家の書斎にはそういった記録は残っていなかった。
強敵が来ると聞いていた。勝率1%。ホーキンスの青ざめた顔を思い出す。私達は彼の懸念を完全には理解できていなかったのだ。
それを本当に理解したのは、共に戦うはずだった強者達がゴミのように吹き飛ばされてからだった。倒木に巻き込まれた人の救助を試みた私とは別に、海岸から押し寄せる海賊達へ立ち向かった彼らが一瞬で無力化された。奴らに傷をつければ倍にして返され、武装した海賊が腕を一振りしただけで数名が軽く弾ける。
あ、と思った。
これまでと違う、知らない強さを持つ奴らが今、この島に上陸している。
相当力に自信があるのだろう、海賊達は身を隠すこと無く船着き場から乗り込んできたようだった。身なりからして船長らしき者はいない。まだ船にいるのか、それとも――
海賊達がやってくる方角に目を向けた。
日が沈み切った海、海賊船らしきものの近くに影が見えた。人型のようで人ではない、かつて見せてもらったあの姿。
——戦っている。
ならば被害を減らすことに専念しよう。すぐにでもホーキンスの下に駆け付けたい気持ちを抑え、救助した子どもを他の人に託して逃がす。今私にできるのは、一人でも多くの人を助けることだ。
倒木で崩れた建物の下敷きになった人々を助け終えた頃には、海賊達は村の中心にまで踏み込んで来ていた。家や店に押し入り金目の物を漁る。抵抗した人が組み敷かれる。武器すら意味がないほどの戦力差を思い知らされる。
勝てるのか、と。村にいるどれだけの人がそう思ってしまったことだろう。一瞬でも硬直すれば海賊達は下劣な笑い声と共に叩き殺しに来る。海賊を一人倒す間に、村人は十人死ぬ。それほどのスピードで命が消えていく。元々こちらの方が少数なのだ。劣勢が確定するのにそう時間はかからなかった。
海賊達は略奪と同じくらい殺人を好んだ。甚振ろうとして力加減を間違え、「おいまた死んだぞ」と吐き捨てているのが聞こえた。地面に投げ捨てられたのは、昼間一緒にご飯を食べた友達だった。
友達に駆け寄ろうとしていた私に、一人の海賊が目をつけた。携えていた剣を構えて交戦するも、相手の一撃一撃が重く、攻撃をいなすのが精一杯で。手の震えはいなしきれなかった衝撃の名残りではなく、恐怖から来るものなのかもしれなかった。
幸運なことに、私はこれまで一度も人を殺したことがなかった。そうなる前に誰かに助けられてきた。武器の扱いや身のこなしを学んでも、平和が続いた私達の世代で「殺し方」まで教わった者はそういない。
こんな状況だというのに、私はまだ人を殺す覚悟ができていなかった。
敵を撒くために一軒の店に転がり込む。すでに略奪が行われた後らしく、店内は何から何まで荒らされていた。奥に進みながらようやく気付く。
ここ、お父さんの店だ。
店と言っても小さな仕事場程度のもので、ろくに金目のものがないと知った海賊はさっさと引き上げたようだった。両親は別々の場所に配置されている。ここにいても巻き込まないで済む。
せめて手の震えが収まるまで、と隠れられる場所を探し、店の奥にある大きな棚の中に潜むことにした。戸を閉めながら小さく呟く。
「大丈夫、大丈夫……」
口に出して自分に言い聞かせなければ、恐怖で足が竦んでしまいそうだった。
扉が蹴破られる音がした。続く破壊音。人が隠れられそうな場所を片っ端から壊しているようだ。逃げ場がない中息を潜める。すぐに棚から出て戦えるように、剣を握りしめておく。
「どこだァ~? ヒヒッ」
それが嘲笑だと――隠れている場所なんざ初めから分かっていて、この時間はお遊びでしかないのだと察した時点で飛び出した。
相手の方が一歩早かった。剣を振る前に海賊の蹴りが顎に当たり、受け流しきれなかった衝撃で体が吹き飛ぶ。剣を取り落とす。私の体はすぐには動いてくれず、無様に這いつくばっている。海賊が破裂音のような笑い声をあげる。
動かなきゃ、手が伸びてくる、笑ってる、笑うな、触るな!!
私はよろめきながらも上半身を起こし、床を後退っていく。剣は遠くに落ちてしまったが、後ろ手に床を探り続けていることはバレていないらしい。奴は弱者を甚振るためにゆっくりと距離をつめてくる。
床の上に固い感触がある。それだけで何か分かった。荒らされた時に箱から出てしまったのだろうか。お父さんには後で謝ろう。
柄を握る。
首を掴まれそうになった瞬間、私は勢いよく金槌を振り抜いた。
人間の頭に金槌を叩きつける。私はそれができてしまうのだと、今知った。
何度も何度も殴りつけた。当然相手も反撃してきたが、先手をとった私が死物狂いで顔面を、頭を狙い続けているうちに、奴は動かなくなっていた。本当に動かないことを確かめるために剣を拾い上げ、その首を突いた。
手元に血が垂れ、私もどこかを怪我していると気づく。体が痛んでいるけれど、今は戦場に戻るのが先だ。なぜか剣が重く感じ、しばらくは金槌を使おう、と決めて外に出る。
外は店内に負けず劣らずめちゃくちゃで、あちこちから火の手があがり、家屋が崩れ、形を保っている場所からは悲鳴や怒号が響いていた。運良く店の周辺には誰もいなかったため、慎重に歩いていく。逃げ遅れた人や襲われている人がいるなら助けなくてはならない。
かつて私が買い物をした店は空っぽに。用済みになった陳列棚がなぎ倒されて、お会計をする場所から金目のものを漁ろうとした痕跡が残っている。どの店も荒らされきっているのを確認する度、腹の底からどす黒いものが湧き上がる。どうにか抑えつけながら一軒ずつ見て回っていると、比較的形を保ったままのとある店の片隅に、うずくまっている子どもがいた。倒木に巻き込まれたところを助けた内の一人だ。
私、エヴィだよ、ここに隠れてたんだね、と、できる限り優しい声を出しながら彼に近づいた。怯えてそれどころではないのか、彼は顔を上げない。
「助けにきたよ――」
肩に触れると、彼はずるりと店の床に倒れた。
かくん、と首がおかしな方向に曲がり、頬には涙の跡があった。
私は浮かべた笑顔を引きつらせたまま、恐る恐る小さな体を抱き寄せた。つらくないように横たわらせ、苦痛で見開かれた目を閉じさせる。
——殺した後、わざわざこの体勢をとらせたということは。
即座に金槌を掴み直して横に転がった。さっきまでいた場所を剣撃が走り、空振りに終わったことに気づいた敵が不可解そうな声をあげる。
怒りに支配されないように堪えながら、私は奴に足払いをかけた。
最初 よりも少ない手数で殺し終えた後、荒い息を整えてから店内を探索する。罪の意識に苛まれている余裕はなかった。
あの時少年を託した村人の死体が落ちていた。出血量や服の様子からして、必要以上に全身を切りつけられたようだった。あいつらにとってこれは生業であり娯楽なのだろう。私が一人殺している間に、守りたかったはずの人達が死んだ。何度も一緒に遊んだ子だった。よく世話を焼いてくれた人だった。それなのに私は、彼らに報いることができなかった。
「ごめん、なさい……」
私がもっと早く海賊を殺していれば、彼らと共に行動していたのなら、助けられたかもしれない。たらればが頭の中をぐるぐると回る。躊躇った分だけ仲間が死ぬ。知り合いが、友達が、家族が、蹂躙され、燃やされていく。
動揺で呆然としていたのは数秒のようにも数時間のようにも思えた。ふと気づく。
まだ生きている人がいる 。
なぜそう思ったのだろう。でも私の何かが他の皆の命を感じ取っていた。罪悪感で頭がおかしくなってしまったのだとしても、今の私はそれを道しるべにするほかない。そうでもないと立ち上がれそうになかったのだ。
遺体を見つかりにくい場所に隠しておく。終わった後、きちんと弔うことができるように。少年の体の小ささと軽さに胸が冷たくなる。世話になった人が苦しみ抜いて息絶えた事実が何よりも痛む。
泣く権利なんてない。私が弱かったからこうなった。見つけるのが遅れたせいで被害が出た。
ごめんなさい。誰にも届かない謝罪を繰り返す。あなた達を残していくことを許してください。
▲▲▲
燃える村を駆け回った。走れば走るほど皆の声が聞こえる気がした。
――「どうする、このままじゃ……」
――「あたしがこんなんで終わるとおもってんの?」
――「い゛ってェなこのクソったれ!!」
聞き覚えのある声が断末魔に、悲鳴に変わっていく。誰も命乞いをしない。しても意味がないと知っているからこそ、最後まで戦おうとしている。せっかく見つけた希望が一つ、また一つと消えていくのを感じながら、残る声めがけて走り続ける。間に合ってくれと祈りながら、道中にいる海賊へと挑む。お前達に関わってる暇なんか無い。早く皆のところに行かなくちゃ。焦りに任せて腕を振る。
今の血にまみれた私を見たら、皆なんて言うだろう。
反応が知りたいものだ。誰にも会えていないから、勝手に想像してみる。驚くかな、悲しむかな。戦い方が下手だって言われるかもしれない。
足元に転がる死体から目を背けていた。誰の死体かなんて一目で分かる。友達、知人、お世話になった人、近所の人——知った顔ばかりだ。死んだふりをしているだけで、生き返るかも、なんて。変な感覚が芽生えてしまったせいでそんな期待すらできない。
間に合わなかった。駆けつけた時には全てが終わっていて、海賊だけが立っている。怒りのまま殴りかかり、敵は連戦のダメージもあって私に押し負ける。その繰り返し。
私が強いわけじゃないけれど、でも、これなら、間に合っていたなら勝てたんじゃないか。なんで私はこんなに走るのが遅いんだろう。なんで、道中の敵をすぐに倒せなかったんだろう。
ホーキンスは今どこにいるの。お父さんは、お母さんは? いつの間にか、聞こえる声は味方だけではなくなっていた。敵の多さに集中が途切れそうになる。意識を逸らせば次死体になるのは私だ。村が燃える。ジリジリと焼けていく。悪魔のような熱が私の思考を妨げる。
混乱の中、誰かの足音がして咄嗟に物陰へ隠れた。
すぐ目の前を知らない奴らが我が物顔で村の道を歩いている。奴らの中でも特に大柄で人目を引く男が、地面に伏せた死体を蹴飛ばしながら宣言した。
「生かしときゃ使えるかと思ってたが、やめだ。この様子じゃいつ逆らうか分かったもんじゃねェ。今のうちに潰すぞ」
男はそう言い切った。心底面倒だと思っているのを隠しもしない声色だった。そこに冗談の気配は無い。私の心臓は止まりそうになっているというのに、度胸があるのか慣れなのか、部下らしき男達が騒ぐ。
「だと思いましたよ船長!」
「何匹か連れていきませんか? 良さげなのを見つけたんですよ。躾けりゃいい値で売れるはずです」
「オレが決めたんだ! 能力者以外全員殺せ!! 扱いにくい奴なんざいらねェんだよ!!」
「あのバケモンですよね? 殺しておくべきでは?」
提案をした部下はその場で殴りつけられ、私の前に転がった。見つかる、と金槌を構えたものの、そいつはすでに事切れていた。見開かれた目に、額を伝った血が流れ込む。たった一発殴られただけで、弱くもない成人男性が死んだ。金槌を握る手が震え続けている。こんなんじゃ力を込めて殴れない。止まれ。止まって、早く!
「殺せるもんなら殺してる!! 変な能力で攻撃が通らねェ……だがいずれ限界が来るはずだ。生きたまま持ってこい。見世物くらいにゃなるだろ」
ホーキンスのことだ。この村の能力者は彼しかいない。奴らの言い方からして、まだ捕まってはいないようだ。少なくとも彼は死なないという事実にほっとしてしまう。しかし捕まった先にあるのは悲惨な未来だ。海賊達より先に合流して、どうにか彼を助けなきゃ。
――助けるって、どうやって? 今日私は何回「助ける」と意気込んで失敗したと思ってるの?
脳内の囁き声を振り払い、奴らが通り過ぎるのを待つ。生きた心地がしないまま、崩壊した家屋の影に身を隠す。
呼吸を整えて、味方を探すことに集中した。両手で数えられるほどだけれど、まだ生きている人がいる。一番近くにいるのは、待って、これは――
「エヴィ! いるなら返事して……!」
お母さんが小さく叫びながら道を歩いていた。そのまま進んでしまうと海賊達とかち合ってしまう。慌てて彼女に駆け寄った。
私がお母さんに呼びかけるより早くお母さんは私を見つけ、転がるように抱きしめた。お母さん、とこぼれた声はぐしゃぐしゃだった。自分が泣いているのだと気づき、急いで涙を拭く。互いの顔を確認し、無事を喜び合う。
「生きててよかった……! ずっと探してたんだよ……!」
「お母さんこそ、無事でよかった……お父さんは?」
「あの人は、そうね……心配しなくていい。私が後でまた会いに行くから。あんたはやるべきことをしなさい」
「……うん。私、まだ戦える」
頷きながら、心の不安に蓋をした。お母さんが心配しなくていいと言うのなら私はその言葉を信じるまでだ。お父さんの声 がしないことなんかより、お母さんの発言の方が信頼できる。戦いが終わってから会えばいい。仕事道具で人を殺してしまったこと、ちゃんと謝らなくちゃ。
お母さんは目を閉じ、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……ホーキンス様があんたを呼んでたって」
「ホーキンスが!? どこで会ったの!? 無事なの!?」
「落ち着きなさい。ホーキンス様は生きてらっしゃるよ。ただ、今動けない状況のようだから、あんたが会いに行くんだ。できるね?」
「動けないって何が……」
「見れば分かる。いきなさい。ホーキンス様のためならなんだってできる、そうだろう?」
二人で生きていくと誓ったんだから、手を取り合って進みなさい。
お母さんはホーキンスがいるという場所を教えてくれた後、「愛してるよ」と告げて離れていった。
早足で去っていく背中に「私も! 私も、愛してるよ!」と叫び返したけれど、伝わったかどうか。ホーキンスの手助けが終わったらまたこっちに戻って来るというのに、こんな、最後の別れみたいなことを言わなくたっていいじゃない。そんな動揺で声が震えていたから、お母さんの耳にまで届かなかったのかもしれない。きっとそうだ。また生きて会うと心に決めて、彼女に教えてもらった方角へ歩き出す。
敵の目を掻い潜りながら村を駆け抜ける。なぜか彼の声 は聞こえないが生きていることを感じている。恐れから目を逸らして足を動かす。
走りながら、自分の手が視界に入った。敵か自分か分からない血でまみれている。乾く前に拭おうとして、指輪の溝にまで入り込んでいることに気づく。血を浴びたルビーは異様なまでに美しく、これが正しい姿なのではと思うほど艶めいていた。村を燃やす炎がそれをより激しく輝かせた。
対の指輪は今どこにいるのだろう。私の大好きな彼は。
助けに行くなんて思っていたくせに、私、何もできなかった。
真っ赤な夕焼けが地平線の彼方に沈みかけ、あたりが薄暗くなってからの出来事だった。
今日の朝、屋敷まで会いに来た私に対してホーキンスは「来る」と断言した。纏う空気は重く、カードに落とす視線はいつになく暗い。広げたカードは彼の心情を表すように乱れている。
朝食を済ませたばかりなのか、食堂には後片付けをする使用人さんがちらほらいたが、その場の全員がホーキンスを見た。次いで、私以外の全員が一斉に動きを変えた。何人かは村へ伝達に向かったのだろう。
ホーキンスのお父さん――お義父さんもその中の一人だった。息子の肩を抱き、「ぼくらはお前を信じてる」と静かに言った。彼は私に目配せすると屋敷の外へ出ていってしまい、部屋にいるのは私達だけ。ホーキンスはまだカードと向き合っていた。
「勝率、1%……待て、服従した場合の生存確率が変化している……なぜだ」
「どちらにしろ、誰も降伏する気ないと思うよ」
「……だろうな」
彼はカードから手を離すと指輪を撫でた。傷がつかない程度の力で刻印をなぞっている。指輪をつけるようになってまだそんなに経っていないけれど、その仕草が彼の不安の表れだと知っていた。席についたままの彼を後ろから抱きしめる。肩に顎を乗せ、「私の運勢占ってよ」と頼んだ。
「今?」
「今。いつもやってることやれば、少しは落ち着くでしょ」
「……悪い結果が出たらどうする」
カードをまとめ、シャッフルをしながら呟く声は冷静そのものだったが、答え次第で彼の精神状態も変わってしまうのだろうな、と勘づく。
「どうもしない。占ってもらえてよかったなって思うだけ」
「それでは意味がない」
「ホーキンスが私のことを考えて何かしてくれたのが嬉しいの。結果は……そりゃ、大事だけど。何が出ても君を恨んだりしないよ」
「そんなことは昔から知っている」
十三枚のタロットカードが並び、捲られ、絵柄が明らかになる。魔法使いみたいに神聖な指が未来を垣間見せてくれる。
「運気は最悪……だが、明日まで生きている確率は90%だ」
「最高じゃん」
「前半を聞き逃したようだな。運気は最悪。怪我をする恐れあり。いつも以上に周囲に気を配れ」
「私はいいとこだけつまみ食いしたいの! でも、ありがと」
お礼として頬にキスしてもホーキンスは白けた顔をするばかり。けれども何の足しにもならないはずのその行為は、ホーキンスの顔色を幾ばくかマシなものにした。
食堂の扉が開き、お義父さんが帰ってきた。戯れを終え、気持ちを切り替える。
今日、全てが決まる。生まれ育ったこの島が戦場となって。
▲▲▲
密やかに伝達されたおかげで、村は表面上いつもと変わらない日々を過ごしていた。
村人は皆戦闘準備を終えていた。各々武器を携え、作戦を確認し、異変を察知した時点で動き出す手はずになっている。構えていることを悟られないように普段の生活を送っているように見せかけた。敵襲の時刻は確定しなかったとのことで、今日一日は気を張り詰めたままだ。
ホーキンスは彼のお父さんや村長と共に丘の上にいる。島で最も高いその場所から「外」の異変を監視しているのだ。悪魔の実の能力者だからこそ、最前線で戦うつもりのようだった。
私も屋敷に留まろうとしたけれど、ホーキンスのお父さんに「村の様子を確認してきてくれ」と頼まれた……そう、頼まれたから。店で買い物をして、知り合いに挨拶をして、友達に会いに行って。なんでもないように笑っている。
今こそ最愛の人の側にいなくてはならないと思うのに、他の人と村全体を見て回っている。必要な仕事だ。ホーキンスだって私を引き留めようとしなかった。側にいさせて、と懇願する前に、彼本人が「頼む」と告げた。村の中でも特に力自慢の何人かの名を挙げ連ね、奴らと合流しておけ、と。
「ここはおれ達が防衛にあたる。エヴィ、お前は戦えない者達を守れ」
私は頷いた。必要な役目だと分かっているから。お義父さんはホーキンスに何か言いたげな視線をやったけれど、ホーキンスは何も答えず私にキスをして去っていった。別れはあっさりしすぎているくらいがちょうどいいのかもしれない。最期の言葉なんて残されてしまえば、私は全てを差し置いて彼に追いすがってしまう。
屋敷に戦力を集中させていてはいけないし、村の皆の緊張をほぐしておいた方がいい。私は私にできる仕事をする。わがままを言うものじゃない。
言われた通り、村の戦力となる人々と合流して連携のやり方を話しあっておく。そのうちの一人――友達のお父さんだ――が、逞しい腕で力強く私の背中を叩いた。気合い入れとけよ、と言ってガハハと笑う。不安なはずなのに励まそうとしてくれている。私も笑い返す。
薬指のルビーが太陽の光を浴びて輝いた。大丈夫。離れていたって、いざという時は助けに行く。大丈夫、大丈夫……。
店が立ち並ぶ場所を通り抜け、多くの家が集まったエリアに入る。子ども達が私の横を走り去っていく。怯えた顔はしていない。状況説明は受けたのだろうが、きっと勝てると信じているのだ。
すれ違う人は皆、笑い合いながら虫一匹逃さないとでも言いたげな目をしている。状況を理解していない幼い子どもだけが不思議そうに親を見上げてはあやされていた。
誰かが――誰が言ったかなんて声で分かるけれど――ぽつりと言った。
「当たらないでほしいな」
ホーキンスの占いが外れたら。嘘つきと詰る人はいるだろうが、それよりずっと大きな安心を得る。嫌な予想は当たってほしくないものだ。永遠に「その日」が来ないでいてくれたらと願う。いつ来るかを予想した上で、来ないでくれと思う。
でもこの世界で生きていく以上戦いは避けられない。占いが私達の手助けをしてくれるのなら、その手を取るべきなのだ。この日を迎えた皆はそれを理解していた。
戦争なんて言葉が似合わない穏やかな空も、やがて太陽が傾く。視界が悪くなる。夜になればなおさら危険だ。緊張が走る。
何度目かの配置確認の時、怪訝な声があがった。
「あいつ、どこ行った?」
「便所じゃねェのか?」
「いないんだ。家にも店にも。今勝手なことされちゃ困るってのによ……」
青果店のおじさんの姿が見えないのだという。確かに私も彼と会った覚えがない。
茶化すように口にしているが、本人も周りも、そして私も嫌な予感がした。人で賑わっているはずのこの場所がやけに静かに感じて、空を仰ぐ。オレンジ色が混ざりだしたそこに、いつもなら日暮れ時に鳴く鳥がいない。どこに行った?
遠くで爆音がした。空を切り裂くように線が走った。
咄嗟に身構えた瞬間、私達は爆風に呑まれた。
▲▲▲
この島が平和を保てていたのはバジル家の占いによる影響が大きいけれど、住民の強さも理由の一つだった。治安が良いとは言えない北の海で生き残ってこれたのは、海賊達を撃退するだけの力を持っていたからだ。日常的に戦闘訓練が行われ、ほんの小さな子どもでも最低限の立ち回りはできる。老人と呼ばれる年にもなれば痛む腰を叩きながら敵を倒す。そんな島。
だから、決定的な敗北は今日が初めてだったのだと思う。少なくとも、バジル家の書斎にはそういった記録は残っていなかった。
強敵が来ると聞いていた。勝率1%。ホーキンスの青ざめた顔を思い出す。私達は彼の懸念を完全には理解できていなかったのだ。
それを本当に理解したのは、共に戦うはずだった強者達がゴミのように吹き飛ばされてからだった。倒木に巻き込まれた人の救助を試みた私とは別に、海岸から押し寄せる海賊達へ立ち向かった彼らが一瞬で無力化された。奴らに傷をつければ倍にして返され、武装した海賊が腕を一振りしただけで数名が軽く弾ける。
あ、と思った。
これまでと違う、知らない強さを持つ奴らが今、この島に上陸している。
相当力に自信があるのだろう、海賊達は身を隠すこと無く船着き場から乗り込んできたようだった。身なりからして船長らしき者はいない。まだ船にいるのか、それとも――
海賊達がやってくる方角に目を向けた。
日が沈み切った海、海賊船らしきものの近くに影が見えた。人型のようで人ではない、かつて見せてもらったあの姿。
——戦っている。
ならば被害を減らすことに専念しよう。すぐにでもホーキンスの下に駆け付けたい気持ちを抑え、救助した子どもを他の人に託して逃がす。今私にできるのは、一人でも多くの人を助けることだ。
倒木で崩れた建物の下敷きになった人々を助け終えた頃には、海賊達は村の中心にまで踏み込んで来ていた。家や店に押し入り金目の物を漁る。抵抗した人が組み敷かれる。武器すら意味がないほどの戦力差を思い知らされる。
勝てるのか、と。村にいるどれだけの人がそう思ってしまったことだろう。一瞬でも硬直すれば海賊達は下劣な笑い声と共に叩き殺しに来る。海賊を一人倒す間に、村人は十人死ぬ。それほどのスピードで命が消えていく。元々こちらの方が少数なのだ。劣勢が確定するのにそう時間はかからなかった。
海賊達は略奪と同じくらい殺人を好んだ。甚振ろうとして力加減を間違え、「おいまた死んだぞ」と吐き捨てているのが聞こえた。地面に投げ捨てられたのは、昼間一緒にご飯を食べた友達だった。
友達に駆け寄ろうとしていた私に、一人の海賊が目をつけた。携えていた剣を構えて交戦するも、相手の一撃一撃が重く、攻撃をいなすのが精一杯で。手の震えはいなしきれなかった衝撃の名残りではなく、恐怖から来るものなのかもしれなかった。
幸運なことに、私はこれまで一度も人を殺したことがなかった。そうなる前に誰かに助けられてきた。武器の扱いや身のこなしを学んでも、平和が続いた私達の世代で「殺し方」まで教わった者はそういない。
こんな状況だというのに、私はまだ人を殺す覚悟ができていなかった。
敵を撒くために一軒の店に転がり込む。すでに略奪が行われた後らしく、店内は何から何まで荒らされていた。奥に進みながらようやく気付く。
ここ、お父さんの店だ。
店と言っても小さな仕事場程度のもので、ろくに金目のものがないと知った海賊はさっさと引き上げたようだった。両親は別々の場所に配置されている。ここにいても巻き込まないで済む。
せめて手の震えが収まるまで、と隠れられる場所を探し、店の奥にある大きな棚の中に潜むことにした。戸を閉めながら小さく呟く。
「大丈夫、大丈夫……」
口に出して自分に言い聞かせなければ、恐怖で足が竦んでしまいそうだった。
扉が蹴破られる音がした。続く破壊音。人が隠れられそうな場所を片っ端から壊しているようだ。逃げ場がない中息を潜める。すぐに棚から出て戦えるように、剣を握りしめておく。
「どこだァ~? ヒヒッ」
それが嘲笑だと――隠れている場所なんざ初めから分かっていて、この時間はお遊びでしかないのだと察した時点で飛び出した。
相手の方が一歩早かった。剣を振る前に海賊の蹴りが顎に当たり、受け流しきれなかった衝撃で体が吹き飛ぶ。剣を取り落とす。私の体はすぐには動いてくれず、無様に這いつくばっている。海賊が破裂音のような笑い声をあげる。
動かなきゃ、手が伸びてくる、笑ってる、笑うな、触るな!!
私はよろめきながらも上半身を起こし、床を後退っていく。剣は遠くに落ちてしまったが、後ろ手に床を探り続けていることはバレていないらしい。奴は弱者を甚振るためにゆっくりと距離をつめてくる。
床の上に固い感触がある。それだけで何か分かった。荒らされた時に箱から出てしまったのだろうか。お父さんには後で謝ろう。
柄を握る。
首を掴まれそうになった瞬間、私は勢いよく金槌を振り抜いた。
人間の頭に金槌を叩きつける。私はそれができてしまうのだと、今知った。
何度も何度も殴りつけた。当然相手も反撃してきたが、先手をとった私が死物狂いで顔面を、頭を狙い続けているうちに、奴は動かなくなっていた。本当に動かないことを確かめるために剣を拾い上げ、その首を突いた。
手元に血が垂れ、私もどこかを怪我していると気づく。体が痛んでいるけれど、今は戦場に戻るのが先だ。なぜか剣が重く感じ、しばらくは金槌を使おう、と決めて外に出る。
外は店内に負けず劣らずめちゃくちゃで、あちこちから火の手があがり、家屋が崩れ、形を保っている場所からは悲鳴や怒号が響いていた。運良く店の周辺には誰もいなかったため、慎重に歩いていく。逃げ遅れた人や襲われている人がいるなら助けなくてはならない。
かつて私が買い物をした店は空っぽに。用済みになった陳列棚がなぎ倒されて、お会計をする場所から金目のものを漁ろうとした痕跡が残っている。どの店も荒らされきっているのを確認する度、腹の底からどす黒いものが湧き上がる。どうにか抑えつけながら一軒ずつ見て回っていると、比較的形を保ったままのとある店の片隅に、うずくまっている子どもがいた。倒木に巻き込まれたところを助けた内の一人だ。
私、エヴィだよ、ここに隠れてたんだね、と、できる限り優しい声を出しながら彼に近づいた。怯えてそれどころではないのか、彼は顔を上げない。
「助けにきたよ――」
肩に触れると、彼はずるりと店の床に倒れた。
かくん、と首がおかしな方向に曲がり、頬には涙の跡があった。
私は浮かべた笑顔を引きつらせたまま、恐る恐る小さな体を抱き寄せた。つらくないように横たわらせ、苦痛で見開かれた目を閉じさせる。
——殺した後、わざわざこの体勢をとらせたということは。
即座に金槌を掴み直して横に転がった。さっきまでいた場所を剣撃が走り、空振りに終わったことに気づいた敵が不可解そうな声をあげる。
怒りに支配されないように堪えながら、私は奴に足払いをかけた。
あの時少年を託した村人の死体が落ちていた。出血量や服の様子からして、必要以上に全身を切りつけられたようだった。あいつらにとってこれは生業であり娯楽なのだろう。私が一人殺している間に、守りたかったはずの人達が死んだ。何度も一緒に遊んだ子だった。よく世話を焼いてくれた人だった。それなのに私は、彼らに報いることができなかった。
「ごめん、なさい……」
私がもっと早く海賊を殺していれば、彼らと共に行動していたのなら、助けられたかもしれない。たらればが頭の中をぐるぐると回る。躊躇った分だけ仲間が死ぬ。知り合いが、友達が、家族が、蹂躙され、燃やされていく。
動揺で呆然としていたのは数秒のようにも数時間のようにも思えた。ふと気づく。
なぜそう思ったのだろう。でも私の何かが他の皆の命を感じ取っていた。罪悪感で頭がおかしくなってしまったのだとしても、今の私はそれを道しるべにするほかない。そうでもないと立ち上がれそうになかったのだ。
遺体を見つかりにくい場所に隠しておく。終わった後、きちんと弔うことができるように。少年の体の小ささと軽さに胸が冷たくなる。世話になった人が苦しみ抜いて息絶えた事実が何よりも痛む。
泣く権利なんてない。私が弱かったからこうなった。見つけるのが遅れたせいで被害が出た。
ごめんなさい。誰にも届かない謝罪を繰り返す。あなた達を残していくことを許してください。
▲▲▲
燃える村を駆け回った。走れば走るほど皆の声が聞こえる気がした。
――「どうする、このままじゃ……」
――「あたしがこんなんで終わるとおもってんの?」
――「い゛ってェなこのクソったれ!!」
聞き覚えのある声が断末魔に、悲鳴に変わっていく。誰も命乞いをしない。しても意味がないと知っているからこそ、最後まで戦おうとしている。せっかく見つけた希望が一つ、また一つと消えていくのを感じながら、残る声めがけて走り続ける。間に合ってくれと祈りながら、道中にいる海賊へと挑む。お前達に関わってる暇なんか無い。早く皆のところに行かなくちゃ。焦りに任せて腕を振る。
今の血にまみれた私を見たら、皆なんて言うだろう。
反応が知りたいものだ。誰にも会えていないから、勝手に想像してみる。驚くかな、悲しむかな。戦い方が下手だって言われるかもしれない。
足元に転がる死体から目を背けていた。誰の死体かなんて一目で分かる。友達、知人、お世話になった人、近所の人——知った顔ばかりだ。死んだふりをしているだけで、生き返るかも、なんて。変な感覚が芽生えてしまったせいでそんな期待すらできない。
間に合わなかった。駆けつけた時には全てが終わっていて、海賊だけが立っている。怒りのまま殴りかかり、敵は連戦のダメージもあって私に押し負ける。その繰り返し。
私が強いわけじゃないけれど、でも、これなら、間に合っていたなら勝てたんじゃないか。なんで私はこんなに走るのが遅いんだろう。なんで、道中の敵をすぐに倒せなかったんだろう。
ホーキンスは今どこにいるの。お父さんは、お母さんは? いつの間にか、聞こえる声は味方だけではなくなっていた。敵の多さに集中が途切れそうになる。意識を逸らせば次死体になるのは私だ。村が燃える。ジリジリと焼けていく。悪魔のような熱が私の思考を妨げる。
混乱の中、誰かの足音がして咄嗟に物陰へ隠れた。
すぐ目の前を知らない奴らが我が物顔で村の道を歩いている。奴らの中でも特に大柄で人目を引く男が、地面に伏せた死体を蹴飛ばしながら宣言した。
「生かしときゃ使えるかと思ってたが、やめだ。この様子じゃいつ逆らうか分かったもんじゃねェ。今のうちに潰すぞ」
男はそう言い切った。心底面倒だと思っているのを隠しもしない声色だった。そこに冗談の気配は無い。私の心臓は止まりそうになっているというのに、度胸があるのか慣れなのか、部下らしき男達が騒ぐ。
「だと思いましたよ船長!」
「何匹か連れていきませんか? 良さげなのを見つけたんですよ。躾けりゃいい値で売れるはずです」
「オレが決めたんだ! 能力者以外全員殺せ!! 扱いにくい奴なんざいらねェんだよ!!」
「あのバケモンですよね? 殺しておくべきでは?」
提案をした部下はその場で殴りつけられ、私の前に転がった。見つかる、と金槌を構えたものの、そいつはすでに事切れていた。見開かれた目に、額を伝った血が流れ込む。たった一発殴られただけで、弱くもない成人男性が死んだ。金槌を握る手が震え続けている。こんなんじゃ力を込めて殴れない。止まれ。止まって、早く!
「殺せるもんなら殺してる!! 変な能力で攻撃が通らねェ……だがいずれ限界が来るはずだ。生きたまま持ってこい。見世物くらいにゃなるだろ」
ホーキンスのことだ。この村の能力者は彼しかいない。奴らの言い方からして、まだ捕まってはいないようだ。少なくとも彼は死なないという事実にほっとしてしまう。しかし捕まった先にあるのは悲惨な未来だ。海賊達より先に合流して、どうにか彼を助けなきゃ。
――助けるって、どうやって? 今日私は何回「助ける」と意気込んで失敗したと思ってるの?
脳内の囁き声を振り払い、奴らが通り過ぎるのを待つ。生きた心地がしないまま、崩壊した家屋の影に身を隠す。
呼吸を整えて、味方を探すことに集中した。両手で数えられるほどだけれど、まだ生きている人がいる。一番近くにいるのは、待って、これは――
「エヴィ! いるなら返事して……!」
お母さんが小さく叫びながら道を歩いていた。そのまま進んでしまうと海賊達とかち合ってしまう。慌てて彼女に駆け寄った。
私がお母さんに呼びかけるより早くお母さんは私を見つけ、転がるように抱きしめた。お母さん、とこぼれた声はぐしゃぐしゃだった。自分が泣いているのだと気づき、急いで涙を拭く。互いの顔を確認し、無事を喜び合う。
「生きててよかった……! ずっと探してたんだよ……!」
「お母さんこそ、無事でよかった……お父さんは?」
「あの人は、そうね……心配しなくていい。私が後でまた会いに行くから。あんたはやるべきことをしなさい」
「……うん。私、まだ戦える」
頷きながら、心の不安に蓋をした。お母さんが心配しなくていいと言うのなら私はその言葉を信じるまでだ。お父さんの
お母さんは目を閉じ、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「……ホーキンス様があんたを呼んでたって」
「ホーキンスが!? どこで会ったの!? 無事なの!?」
「落ち着きなさい。ホーキンス様は生きてらっしゃるよ。ただ、今動けない状況のようだから、あんたが会いに行くんだ。できるね?」
「動けないって何が……」
「見れば分かる。いきなさい。ホーキンス様のためならなんだってできる、そうだろう?」
二人で生きていくと誓ったんだから、手を取り合って進みなさい。
お母さんはホーキンスがいるという場所を教えてくれた後、「愛してるよ」と告げて離れていった。
早足で去っていく背中に「私も! 私も、愛してるよ!」と叫び返したけれど、伝わったかどうか。ホーキンスの手助けが終わったらまたこっちに戻って来るというのに、こんな、最後の別れみたいなことを言わなくたっていいじゃない。そんな動揺で声が震えていたから、お母さんの耳にまで届かなかったのかもしれない。きっとそうだ。また生きて会うと心に決めて、彼女に教えてもらった方角へ歩き出す。
敵の目を掻い潜りながら村を駆け抜ける。なぜか彼の
走りながら、自分の手が視界に入った。敵か自分か分からない血でまみれている。乾く前に拭おうとして、指輪の溝にまで入り込んでいることに気づく。血を浴びたルビーは異様なまでに美しく、これが正しい姿なのではと思うほど艶めいていた。村を燃やす炎がそれをより激しく輝かせた。
対の指輪は今どこにいるのだろう。私の大好きな彼は。
助けに行くなんて思っていたくせに、私、何もできなかった。