7
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
真綿の呪い/ドフィ
肌に触れる風で痛みを感じる季節になった頃、ドフラミンゴは薄汚れた少女と向き合っていた。街からも小屋からも離れた木陰で、幾度目かの密会。下界に来てからろくに着替えなど用意する余裕のなかった自分と違い、少女――アルマは多少なりとも布の面積が増えており、少しだけ羨望の念を抱く。その服が雑巾になる前のぼろ切れだったとしても、肌を覆える分、凍てつく寒さだってマシになるだろう。憎たらしい顔も、何度か会えば馴染み深くなってくるものである。少女が眉間にしわを寄せ、静かに木の下へ紙袋を置いた。ドフラミンゴは一連の動作をなかったことにして近づき、ひったくるように回収する。彼女はもの言いたげな視線をやると、ため息一つでその場を流した。
母の体の弱さを知ってから、何を考えたのか、アルマは時たま薬を融通するようになった。薬といっても単なる熱冷ましで、焼け石に水のようなものだ。それでも縋りたくなってしまうほどに母の体調は悪化していた。咳一つ止められないのに、「少女がくれた薬」と知って顔をほころばせる母を見ると、ドフラミンゴはなんともやりきれない気持ちになった。
以前ドフラミンゴは「お前には頼らない」と宣言した。彼女もそれを聞いていた。けれど薬のやり取りをする時だけは、二人ともその話を持ち出さなかった。母と弟――彼女は父のことも気にかけていたが――を理由に協力するというのは、互いの間で暗黙の了解となっていた。「アルマが捨てたものを偶然ドフラミンゴが拾った」体をとる、茶番めいた受け渡し。それがドフラミンゴのプライドを守るための、少女なりの譲歩なのだと気がついていた。
とはいえ、病を治す見込みのない薬を母に飲ませ続ける日々では、ドフラミンゴ自身の限界がくる。やり場のない怒りは目の前の少女に向けられ、少年は声を荒らげた。
「もっと効く薬はないのかえ!?」
「あったら私達だって使ってるよ」
ドフラミンゴの激情を見てもアルマは平然としていた。非加盟国にやってくる貨物船の品揃えの悪さ、希少性による価格高騰によって薬自体が手に入らないことが多いのだと少女は言う。ドフラミンゴもそれくらい分かっている。しかしそうも言っていられない状況になっていた。
近頃小屋に顔を出さなくなった――来訪自体がおかしかったのだが――アルマは、ドフラミンゴの異変に気づいて怪訝な表情を浮かべる。
「そんなに危ないの?」
「……最近、起きる時間が少なくなってきたんだえ」
「…………」
苦しげに咳き込むだけでなく、母は意識を朦朧とさせていることが増えた。ドフラミンゴ達を認識しているし、話しかければ応じてくれる。けれどもその受け答えは弱々しく、今にも命の灯がかき消えそうで。
父も兄弟も毎日懸命に呼びかけている。一瞬でも視線を外したら息が止まっていそうで怖い、と弟は母から離れない。ドフラミンゴだってそばにいたかったが、食料調達のためには割り切るしかなかった。父は母がこうなってからいよいよ意気消沈していて、頼りにはならない。共に死んでしまいそうな様子でひたすら母の手を握り、ずっと謝罪の言葉を口にしている。何を今さら、と叫んだドフラミンゴを、弟が必死にとどめた。母に家族が争うところなど見せてはいけない、とロシナンテの震える体が訴えかけていた。父はうつむいたまま何も言い返さない。それがドフラミンゴの怒りをいっそう煽った。
一家の生活は今、ドフラミンゴの肩にかかっている。母は病に倒れ、弟は弱く、父はうろたえるばかり。自分がやらなくては家族を守れない。家族のためならば、おれはやれる。胸の内で自らをそう鼓舞して、ドフラミンゴは立っている。
「医者の伝手はないのかえ」
「前にも言ったけど、あんたらを診てくれるような人は相当金を積まないときてくれないから」
「なんで……おれ達が、母上が何をしたっていうんだえ!」
「そういう土地なんだよ、ここは。あんた達が私達を「人間」としてしか見ないように、私達もあんた達を「天竜人」として見てんの。あんたが何をしたかじゃない。連帯責任ってやつだ」
少女の口調はどこか他人事のように淡々としている。世界の理を教えるのに自身の感情は必要ない。「私達」と言っておきながら、そんなことを考えていそうな声色だった。どれだけ理由を訊ねたところで、この答えだけは変わらないのだろうと悟った。
アルマは顔を合わせる度、「いつ出ていくの」とドフラミンゴを急かした。出ていけるものならとっくにやっている。行くあてがないからこうしてお前と会う羽目になっているというのに。
毎回その問いを無視しては、険悪な雰囲気で別れる。薬の入手のために、結局また接触する。その繰り返し。彼女はドフラミンゴ達との交流を人に知られたくないらしかった。そこを逆手にとって脅そうかとも思ったが、今こいつとの繋がりを断てば苦しむのは自分達だ、とやめた。
いくら信用できずも、彼女以外に頼る相手がいないのだって事実なのだ。だから仕方がない。頼らないと決めたはずの相手に力を借りている現状を、ドフラミンゴはそう理由付けた。
いつもならすぐ立ち去る少女は、なぜか佇んだままだった。よく見ると謎の袋を小脇に抱えている。受け渡し用の紙袋とは別に、何か持ってきていたらしい。訝しげに見やるドフラミンゴへ、アルマは無関係に思えることを口にした。
「あんたらさァ、寝るときどうしてんの」
「どうって……ロシーと並んで寝てるえ」
「布団は」
「…………」
「だと思った。あのちびに使ってやんなよ」
袋から取り出してひょいと投げて寄こしたのは、使い古しの薄っぺらいブランケットだった。薄いといえど、これまでかき集めてきた防寒具よりもしっかりとした生地でできている。広げて確認すると流行遅れの花柄が現れ、ところどころに繕われた跡が見えた。
「まあ高貴なお方は嫌かもしれませんけど? ないよりはマシでしょ」
「ロシーには大きすぎるえ」
「知らねェよそんなの」
ロシナンテ一人のためにしてはやけに大きな布である。そう思って疑問を口に出すと、アルマはげえ、と顔を歪めた。下々民らしく品のない反応にドフラミンゴも不快になって眉をつり上げる。応戦したアルマと自分との殺気がぶわりと広がって、両者共に正気に戻る。避けられる諍いは避けねばならない。しょうもない理由で体力を消費したくはない。少女も同じ結論に至ったのか、揃って舌打ちをし、どうにか怒りを収めてみせた。
とにかく、このブランケットならば弟と二人でくるまるには十分な大きさだ。日に日に厳しさを増す冬を越すにはまだまだ足りないが、こいつの言う通りマシにはなるだろう。
口をへの字に曲げてこちらを睨みつけてくるアルマは、ドフラミンゴが何か言うのを待っていた。ドフラミンゴも、彼女が何を待っているのか理解していた。その上でべえ、と舌を出し、薬とブランケットを抱えて踵を返す。
「礼くらい言えよ!」
背後からの声は聞こえないふりをした。あいつにだけは頭を下げたくない、その一心で。
***
受け取った物を落とさないようにしつつ小屋の扉を開けると、アルマがいた。ロシナンテを抱き上げ、至近距離でぽつぽつと話しかけている。
思わず怒鳴ったドフラミンゴに、アルマは鬱陶しげな目を向けた。
「なんでお前がここにいるんだえ!?」
「あんた足遅いね」
「そういう問題じゃないえ! 勝手に入るな! ロシーから離れろ!!」
「許可はもらってるし。あんたと話にきた訳じゃないから」
近くにいた父を顎で指して彼女がそう述べたので、ドフラミンゴは彼に標的を変えた。久しぶりに真正面から見た父はずいぶんと老いたように感じ、ふと心の奥が苦しくなる。聖地にいた頃よりも増えたしわがくしゃりと歪められる。ここのところ耳にしていなかった、弾んだ父の声。
「彼女が会いにきてくれたのは久しぶりじゃないか。少しくらい歓迎したって構わないだろう?」
「少し? 父上達の少しは信じられないえ! あいつをここに入れるなんて――」
「ドフィ、どうしたの」
父に詰め寄っている声が母の耳に届いてしまったらしい。ハッとしてそちらを見ると、母は咳き込みながら体を起こそうとしていた。
「なんでもないえ! 母上は心配しないでいいんだえ!」
「そ、そうだよ! ゆっくり寝てて!」
ロシナンテと揃って誤魔化せば、母は不思議そうにしながら頷いた。兄弟はそれぞれ息をつく。母が心を痛めるようなことは避けたかった。
小屋の中で一等存在感のあるベッドには、儚げな笑みを湛えた母が横たわる。呼吸はかすかなものではあったが、確かに母がまだ生きているのだと証明していた。屋根の隙間から差し込む白い光が、長い金髪を輝かせる。こんな場所でもその輝きは失われていない。
ふと、かつての母の姿が蘇った。ベッドで寝物語を読み聞かせもらった日々。弟と共にはしゃいで、母に窘められた聖地での夜。ベッドサイドのランプに照らされた母の髪は、今のようにきらめいていた。……そんなわけがない、毎日全身を磨き上げていたあの頃と違って、この不潔な場所ではどうしたってくすんでいく。手櫛でとく以上の手入れをできないのだから、母だって汚れているはずなのだ。
それでもドフラミンゴの目には、母がうつくしくうつった。下界に来て唯一残る、栄光の名残のように思えた。
この騒動の原因たるアルマはしれっとした顔で一連の流れを見届けていた。話が終わったとみるや否や、彼女はロシナンテを床に下ろす。お前のせいだぞと口の動きだけで伝えれば、肩をすくめての返事。ぎり、と自身の歯が鳴った。
少女はふらりと歩き出す。その体はベッドに向いていた。
母に近寄ろうとしているのだと勘づいて、ドフラミンゴはなりふり構わず妨害しようとした。しかし、放り出そうとした荷物ごとドフラミンゴの体が包み込まれる。ふわふわの金髪が眼前に現れる。
口をぎゅっと引き結んだロシナンテが行く手を阻んでいた。腕の力が緩んだ拍子に荷物を奪われ、弟が首を振る。大丈夫だよ、と根拠のない擁護を聞き、咎める言葉が口をついて出た。
「あいつの味方するのかえ!?」
「アルマさんはなにもしないよ、兄上……」
「ロシーはあいつの本性を知らないからそう言えるんだえ……!」
兄弟が声をひそめて問答している間に、少女はたいして広くもない小屋をひっそりと進む。気がつくと、彼女はすでに母の視界に入っていた。
ベッド脇に立つと、アルマはほんのわずかに目を細めた。睨んでいるようにも泣くのをこらえているようにも見え、ドフラミンゴはどこかひっかかりを覚える。けれどもロシナンテによって止められた手前口を出す訳にはいかず、少女が母と会話するのを見届けるほかなかった。
壊れたベッドに広がる髪を、アルマは割れ物を扱うように整えていく。焦点の合わない目を、痛ましげに見やる。
「……こんにちは」
肝を冷やしながら見つめるドフラミンゴの前で、アルマはただの挨拶をした。それだけで母の顔は喜色に満ちた。
「アルマ……? 来てくれたのね……! いつも、ありがとう」
「別に、私はなんにもしてない」
「ふふっ、息子達から聞いてるわ。薬をくれたのはあなたでしょう……?」
じろ、と目線で非難されたが、ドフラミンゴの知ったことではない。母に訊ねられて嘘をつく訳にもいかなかったのである。
しばらく口をもごもごとさせた後、少女はぽつりと言った。
「……なんも、意味なかったじゃん。あんた全然治らないし。こんなへろへろになっちゃってさ」
「そんなことないわ……私、嬉しいの。あなたみたいな人に出会えた。今もこうして、私達を気にかけてくれている」
言い訳じみた返答をあっさり否定し、母は一つ一つ感謝を重ねていく。それを向けられているアルマは居心地が悪そうに体を揺らす。嫌味でも思いついたのか、彼女が母の言葉を遮ろうとした、その時。
「アルマ、あなたは優しい子よ」
真綿みたいにやわらかな声がそう告げた。世界の真実を教えるかの如き断言だった。
ドフラミンゴはすぐに反論しようとして、アルマを見て、やめた。ああ、本人が一番分かっているんだな、と察して。母もむごいことをするものだと思った。
こんな言葉をかけられていい存在じゃないのだと、少女の真っ青な顔が言う。口からは断続的な息がもれるばかりだったが、見開いた目と顔色だけで彼女の思考が分かる。
それなのに、母は少女に手を伸ばした。たおやかな手。いつもドフラミンゴとロシナンテを抱きしめてくれるその手が、汚らわしい子供の頬に触れる。アルマは母を拒まなかった。それどころではないのかもしれなかった。力ない指先が彼女を撫で、ふらりと腕が落ちていく。少女は母の細い腕を支えて、そっとベッドに下ろした。
母が寝つくまでの間、アルマは途切れ途切れの会話を続けた。最近の街の様子、彼女の親類の話、隣町の話。なんでもないような日常を脈絡なく話す少女を、母は目に涙を浮かべて見つめていた。なぜ泣いているのか聞きたかった。けれど、うとうとしてきた母を起こすのは気が引けて、ドフラミンゴは父と弟が話に混ざるのを眺めていた。
ついにはあのアルマが今日の天気の話を持ち出してきたあたりで、ようやく母の瞼が降りた。胸元がかすかに上下する。呼吸をしているのだ。そんな些細なことでも、ドフラミンゴ達にとっては重要な事実だった。
もうこれで彼女の用事は終わっただろう、と一息つくと、今度は弟達が少女に群がっていた。母の病状が悪化して以来ドフラミンゴ以外の家族と接触してこなかったからか、どうにかして引き留めたいようである。アルマ本人も眉を下げるばかりで無理に振り切ろうとしない。いつまでたっても小屋を出ていかないアルマにしびれを切らし、ドフラミンゴは彼女の腕を掴んだ。
「ああもう! さっさと帰るえ!!」
「なに、送ってくれんの?」
「見張りだえ勘違いするな!!」
冗談を強く否定しつつ、引きずるように外へ出る。慌ただしく去るはめになった少女は、ドフラミンゴの家族へひらひらと手を振っていた。
***
「ねえ」
勢いのままにゴミ山の間を二人並んで歩いていると、ふいに少女が口を開いた。
「最近、街でいろんなもの盗んでるでしょ」
「……盗まれる方がバカなんだえ」
「へたくそ」
もっとうまくやんなよ、やりすぎるとほんとに殺されちゃうよ。そう言って横目をくれるアルマに舌打ちで返す。ドフラミンゴの苦労など知らないくせに。
単独で街に忍び込む機会が増え、ドフラミンゴはとうとう盗みに手を染めた。ロシナンテがいたら両親に報告されてしまうような悪事も今ならできてしまう、と気づいてからは早かった。人間のくせに。おれ達天竜人に献上すべきものを持っていって何が悪いんだ。ドフラミンゴの思考の根本は聖地の時から変わっていない。初めて屋台に並ぶパンをくすねる際もためらわなかった。薬屋は守りが厳重で入り込めたためしがないが、成功するのも時間の問題だ。
とはいえ、盗みの技術だって拙くて、逃げ方も隙だらけ。何度も捕まっては甚振られた。アルマは「殺される」なんて言ったがそれはあり得ない。度重なる暴行を受け、やつらはドフラミンゴが苦しみ続けるのが望みなのだと身をもって知っている。死ぬ寸前まで追いやられてもとどめは刺されないだろう。
ボコボコにされてでも守りきった、カビのないパンを手にして感じたのは、はじめからこうすればよかったという後悔だけ。どうせ見つかったら殴られる。少しでもまともな食料にありつきたかった。
ただ殴られていたのだって、別に考えを改めた訳ではない。下手に煽れば長引くと分かっていた故の行動だ。癪に障りはするが、今のドフラミンゴは弱い。たかだか人間相手でも重傷を負ってしまう。愛する家族のためなら地を這ってでも、それこそ人間ごときに足蹴りにされたとて耐えきってみせる。
ドフラミンゴの思考なぞ読めないはずなのに、アルマは「あんた偉そうなこと考えてるでしょ」などと不満げな声をあげた。
「偉そうじゃなくて偉いんだえ」
「まだそういう感じなの? 現実見な――いってェなおい!!」
「うるさいえ。下々民はこれだから嫌だえ」
どさくさに紛れて向こう脛を蹴っ飛ばすと、アルマは面白みのない顔を歪めてぎゃあぎゃあわめきだす。少女からも蹴りが返ってくるがかわしてみせる。と思ったら一発くらう。
散々小競り合いをした後、よく分からないジェスチャーをこちらに向けて彼女は立ち去った。街への道を行くその後ろ姿はいつだって軽やかだ。石の一つくらい投げてやりたかったが、今日は見逃してやることにした。
家族に見せられない類の怒りをアルマにぶつければ、彼女はしれっとした顔で受け止め、ほどほどの悪意を投げ返してくる。それがドフラミンゴにとっては忌々しく、同時に息抜きでもあった。こいつになら感情的になっても問題ない。そんな相手のいることがドフラミンゴの気持ちをほんの少しだけ軽くしていた。