▲ チャイルドフッド・カウントダウン
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※捏造100%の両親がめちゃくちゃ喋ります。
※夢主が出ません(話題に上るくらい)
ホーキンスが十二歳の誕生日を迎えた日、いつもより豪勢な夕食が並ぶ中。祝福の言葉を述べたのと同じ口で母は言った。
「私は今年中にこの世を去ります。よって、当主教育のスピードを速める必要があります。心して臨みなさい」
彼女は血も涙もない無機質な声色で、自身の生が終わるのだと断言した。ホーキンスは礼を言おうとしていた口を閉じた。流れるような発言の意味を飲みこめない。痛いくらいの沈黙が落ちる。冗談を言う人ではない。ましてや、息子の誕生を祝う場で。
父は黙っている。こんな時ですら彼は薄い笑みをやめられないらしい。それとも、子どもの前だからと平気なふりをしているだけなのか。
血の気が引いて指先の感覚がなくなっているが、気づいているのは自分だけだ。表面上はホーキンスも母と同様、冷静に振る舞えているのだろう。そういった性質を持ち、そのように動けと教育を受けてきたから。
詳細を聞くために声を出す。第一声がぶれる。
「そ、れは……もう決まったことなのでしょうか」
「あらゆる手を尽くしても、持って一年だと。私の占いがそう伝えています。主治医も同意しました」
「そんなにも重い病を患われていたとは知りませんでした」
「死が確定したのは昨日のことです。いたずらに動揺させるのは私の望むことではありませんから」
自分が死ぬことで息子が動揺するというのは理解しているんだな、と安心していいのかも分からないことに意識が向く。眼前の問題から目を背けようとしている自分がいた。
実際、近頃母は体調を崩しがちではあった。先日エヴィを屋敷に招いた際も、元々線の細い彼女はベッドの上から挨拶をしたと聞いていた。だからといって急にこんなことを言われても現実味がない。まだ彼女はピンと背筋を伸ばして席についている。ハキハキとした物言いで他者に指示を出す自信に満ちたその様は、ホーキンスが生まれたときから不変のものだ。死の空気などこれっぽっちも漂っていない。
「質問は終わりましたか? それでは食事をいただきましょう。今日はお前の好物を作らせたのですよ」
明日の予定を説明し終えた程度の軽さで、母は話題を変えた。止まっていた時が流れ始めたように父がペラペラと話し出す。使用人たちはテキパキと残りの配膳を済ませていく。さっきまでの会話がなかったかのような、日常に戻ったことが不自然であるという状況。
ホーキンスは彼らの意図に乗った。反抗したところで自分にできることはないからだ。両親は息子の知らないところで何度も話し合ったのだろうし、出た答えがこれならばどうしようもない。それに、ホーキンスはもう十二歳になったのだ。聞き分けのいい息子をやってやろうと思った。
注がれた紅茶を飲みながら、プレゼント選びの際の出来事について語る両親に目をやった。父がおどけて見せる。母が相づちを打つ。意地悪な見方をすれば空元気にも思える光景だ。
しなやかな手でカトラリーを扱い、サラダやスープを味わって、肉料理を少しばかり多めに食べ、お気に入りの紅茶で終える。そのルーティンは変わらない。母はきっと明日も明後日も同じような食べ方をする。
そして、それができなくなる日は必ず来る。
朝晩の食事は家族揃ってとる。ホーキンスが物心ついてから繰り返されてきた日常が一年以内に終わる。始まってしまったカウントダウンを止める術を、ホーキンスは持っていない。
誰だってずっと子どもではいられない。けれども、失うのはもっと先の話だと思っていた。
皿にはホーキンスの好物ばかり乗せられているが、壁一枚隔てたかのように色と香りを失っていく。表に出さずとも確かにあった浮き立つ心が、もはや跡形もない。
ホーキンスはスプーンを手に取って、野菜スープを口に含む。何も感じない。液体が喉を通って胃に落ちる。繰り返す。スープの具材、焼き立てのパン、ホーキンスのためだけに用意された魚料理、デザートのケーキ。それらはホーキンスの体を作る。ホーキンスは成長期であり、未来ある若者だから、どんなに心乱れていても食を怠ってはならない、と。母が以前言っていたことだ。その時のホーキンスは、大人になってしまえば食を疎かにしても怒られないのか、と考えた。違う。大人になる頃には、怒ってくれる人がいないというだけだ。
母が亡くなったとしてもホーキンスは生き続ける。生きて、彼女の立場を継がなくては。島を導き、平和を保ち、日々を過ごしていずれ死ぬ。世界はその繰り返しでできている。ホーキンスも両親も世界の仕組みの一つである。受け入れなくてはならない。
母の教えはあらゆる場所に存在する。まだ本人が生きているというのにこれなのだ。いなくなってしまった後、ホーキンスの周囲は母の残したもので埋め尽くされることだろう。
視線を上げ、両親の方を向く。今度は彼らもホーキンスを見つめていた。無表情の母も、笑顔の父も、瞳だけは息子の様子を伺っている。
「この場を設けていただき、ありがとうございます」
ホーキンスが堂々と感謝を伝えると、二人の肩から力が抜けたのが分かった。息子の反応が気になるのなら言い方を変えればよかったのにと思わないでもない。けれどホーキンスは素知らぬふりをして、例年よりも長く言葉を紡いでいく。思い残しが無いように。両親が揃った場で口にすることは二度とないのだろうと、心のどこかで感じていたから。
▲▲▲
当主は島の行く末を占う。だが、それ以外の仕事も当然ながら存在する。屋敷の切り盛りは配偶者に任せることができるが、自分でもある程度把握しておけと当主である母は言う。
「とはいえ、私もあの人に任せきりなのですけれど」
「お父様は張り切ってこなしていましたよ」
「有り難い話です。この立場である以上、やらねばいけないことは尽きませんから」
今日の占い指導を終えたホーキンスたちは、休憩を挟んだ後、屋敷内部の把握をする流れとなった。把握といっても仰々しいものではなく、隠し部屋やら抜け道やらを再確認する時間を設けるとの意味である。
母は机上のカードを整える傍ら、数本の藁を自在に操って背後の本棚から屋敷の全体図を取り出した。机の端にそれを置くと、今度はカードの束を藁で掴んで移動させている。そんな扱いでいいのですか、と聞くも、彼女はにやりと笑うだけだった。
両手の空いた母は手ずからティーポットを傾け、一滴も零さずカップへ注いでみせた。母が好んで飲む茶葉の香りが広がる。母に促され、一口飲む。花のような甘やかさを持つ香りと同様、味もほんのり甘い。疲れた体に染み込んでいく。
藁の一本がどこからか砂時計を持ってきてひっくり返す。砂が落ちきるまでが休憩の時間である。学びと息抜きのどちらも疎かにしないのが母だった。先日貰ったお菓子も食べてしまいましょうか、と席を立った彼女は、室内に事情を知る息子しかいないのをいいことに、足を藁へと変化させ、本棚の一番上に届くよう背を伸ばした。
「部分的に変化させることもできるのですね」
「ええ。なった当初は大変でしたが、慣れれば便利なものですよ」
しれっとした顔で席についた彼女の足はもうドレスに隠れていて、ほんの少し見える肌も白くなめらかなものに戻っている。
菓子の詰まった箱を開け、先にホーキンスに選ばせている間。母の視線は息子の顔に向けられていた。
母が悪魔の実の能力者だと明かされたのは数年前の話だ。図鑑でしか見たことのなかったそれに自分の母も該当すると知ったときの衝撃は記憶に新しい。
――――当時、いつもの部屋でバジル家に代々受け継がれる悪魔の実に関する説明をした母は、す、と右腕を掲げてみせた。
次の瞬間、右腕がほどけた。
腕があった場所に乾燥した草の束が生えていた。黄金色のそれは、村に降りた際見た覚えがある――――藁だ。体が藁と化している。
「お前も知っての通り、北の海には争いが絶えません。この島にも海賊の手は及んでいます」
シンプルなドレスから見えていた母の肌が次々に藁へと変わっていく。ざわざわと音を立てながら、見慣れた顔に線が走る。陶器のような肌がガサついた草の束になる。
「島の人々では対処しきれない強さの者が襲って来たとき、対抗し得るのは私たちです」
同じ高さの椅子に座っていた母は瞬く間に巨大化し、決して低くはない天井に届くほどの姿となった。淡々とした彼女の声につられてホーキンスも冷静さを保つ。目だけはいつもの母であったから、懸命に視線を合わせようとする。
ホーキンスが見上げていると、指のような藁の束が数本伸ばされた。避ける間もなく胴体を掴まれて、母の――藁人形となっても顔立ちは母であった――顔が視界いっぱいに広がる。
「ホーキンス。お前ならここからどう反撃しますか」
「……ひとまず、武器を使って腕を切ります」
「そうでしょうとも。海賊たちも同じことを考えます。もっと惨たらしい発想をするかもしれません」
我々はその上をいかなくてはならないのです。たとえ人々に恐れられたとしても。
母はそう続けると、藁の擦れる音を部屋中に響かせ、人の形へと戻った。ホーキンスは母の腕の中にいた。母にこうして抱きしめられたのはいつぶりだろうか、と記憶を探るも、なかなか出てこない。頭を撫でられたことすらずいぶん昔のように思える。父はよくホーキンスに触れるけれども、母はそういう人ではなかった。いつだって一定の距離を保っていた。
目の前にあった母の右肩が藁になり、そこから小さな藁人形がバリバリと音を立てて現れた。ここまで来るとホーキンスも驚かなくなっていた。落ちそうになったそれを受け止め、母に渡す。彼女は藁人形をそっと受け取ると、しばらく目を閉じていた。一呼吸おいた後、薄くまぶたを開けてこちらを見た。
「ワラワラの実の能力は、呪いとさえ呼べるものです。人を傷つける覚悟はありますか。周囲の人間が全滅しても自分だけが生き残る、そんな状況に耐えられますか」
「おれに拒否権などあるのですか」
「……愚問でしたね。忘れなさい。お前は何があろうと生き残らなくてはなりません。この能力はその役に立つでしょう」
問いに問いを返したホーキンスを咎めず、母は自嘲するように笑った。
説明に必要だからと言われ、別室へ移動することになった。無言の母の後を追う。窓の外はまだまだ明るい。早く終わればエヴィに会いに行くことも可能だろう。
彼女は廊下に出てすぐ遭遇した使用人に声をかけ、着いてくるよう命じた。呼びとめられた使用人は母に負けず劣らず無表情であるけれど、その言葉を聞いた瞬間、心なしか誇らしげな顔をしたように見えた。
母を先頭にした奇妙な歩みは屋敷のいくつもの扉を通り過ぎ、とある部屋に入るまで続いた。中は他の部屋と変わらない内装が広がっている。強いて言うならば、壁や床の装飾が少ないことくらいか。分厚いカーテンは長い間開かれていないようだが、絨毯や家具は小綺麗だ。定期的に掃除はされているらしかった。
物置き部屋にしては物が少なすぎるこの場所で、母は簡潔な命令を下した。
「あちらに立っていなさい」
「はい」
明かりを灯していた使用人は歯向かうことなく従い、まるで表彰台に向かうかのような足取りで指定された位置に立った。部屋の中央。絨毯も何もない、床の真上。
足音で気づく。この部屋は床板の種類が違う。何か細工が施されているのだろうか。
「そう複雑な仕掛けはありません。単なる防水加工です」
「……なぜ」
「汚れてしまいますから。今ではこういう時にしか使いませんが」
ホーキンスが使用人に気を取られている間に、母の左手には小さなナイフが握られていた。
冷たい光を湛えたそれが、白く細い腕へと突き立てられる。人の肉を容易く切り裂いた刃を、当の本人たる母はなんの躊躇いもなく手前に引いた。深い傷口が広がる。
……いや、傷がない 。血が滴るどころか、そもそも刃が刺さっていない。さっきの光景は幻覚だったのか。手品でも見せられているのか。
呆然とする息子に対して、母は連れてきた者のいる方角を指さした。
使用人は命じられた通り、一歩も動いていなかった。体温を感じられない眼差しでホーキンスを見返した。
右腕から流れ落ちる鮮血だけが生を証明していた。深く広い傷。母の右腕に刻まれたはずのそれが、寸分違わず、全く同じ位置にできている。母の動きに合わせて傷をつけたのか、それとも、まさか――――
「私と見比べてごらんなさい」
母が指先を切れば使用人の指先が傷ついた。母の手のひらを刃がなぞれば使用人の手から血が溢れ出した。
彼女の体には一切の損傷がない。使用人だけが血を流している。当の本人は苦しい顔一つ見せず、次の命令を待っている。痛みに呻くどころか、刻まれる傷の全てが勲章のような。
異様な光景に圧倒されているホーキンスへ、母が問いかける。
「理解できましたか?」
「……傷を、相手に移すことができるのですか」
「簡単に言えばそうなります。敵がお前に切りかかったならば、切り裂かれるのはその者となるでしょう」
「使用人は全てこれ で身代わりに?」
「ええ。最終手段ですが。敵に用いた方が有効ですもの」
残りの説明は後でいいでしょう、との言葉と共に、母はナイフを置いた。
「ご苦労でしたね」
「このような場にわたくしめをお選びいただき、誠に光栄でございます」
「後ほど手当てをする者が来ます。それまで耐えなさい」
「承知いたしました。ご配慮痛み入ります」
腕が真っ赤に染まっているにもかかわらず、使用人は平常時と変わらない態度でうやうやしく母に頭を下げた。声の震えすらなかった。何の変哲もないこの部屋で、こいつは戦場から帰ってきたかのようなぼろぼろの様に成り果てた。
悪魔の実とは、そういった現象を可能にするものなのだ。ホーキンスはそれを使いこなさなくてはならない。恐れていないと言えば嘘になるが、やがて慣れるのだろう。
母に連れられ、例の部屋に戻る。まだ鼻の奥に血の匂いが残っている。思わず顔をしかめると、不快感を洗い流す爽やかな香りが部屋に漂い始めた。母が香を焚いたのだ。
「少しくらい泣くかと思っていたのですが」
「おれが泣いたことがありましたか」
「赤ん坊の時ですら必要以上に泣かなかったお前だものねェ……。まあ、心配していたようなことにならなくて済んだのは喜ばしいですけれど」
今しがた使用人の身をもって実演してみせた母は、能力の詳細をホーキンスに語り始めた。歴代の当主から受け継がれた知識に加え、彼女の経験から得た情報も上乗せされている。何代にも渡って同じ悪魔の実が受け継がれていることで、能力の使い方やコツも引き継ぎやすくなっているらしかった。
一通り説明し終えると、母は能力者であること自体を村人たちに伏せているのだと言って話を締めた。村長らには伝えてあるけれども、全員に教えた場合の混乱を考えると難しい、と。ホーキンスもそれに同意した。
村人たちとの適切な距離を保てなければ誰かが勘づくことだろう。巨大な藁人形と化す。ここまでならば、悪魔の実の能力だから、と許容される範囲になり得る。しかし身代わりとなれば話は別だ。自分たちが使われるかもしれないと思ったが最後、信頼どころではなくなってしまう。熱心な信者揃いだったという過去の村ならいざ知らず、今のバジル家の立場で公表していいとは思えない。
「自ら命を差し出してくる者など、うちの使用人くらいなものです」
彼らの命を使わなくてはならない状況であるならば、それは戦況の不利を表す。少しでも村の、島の勝利に繋がるのなら自分の命など惜しくないというのは美談だが、そもそもそんな状況にしてはならない。そのためにバジル家の占いがあるのだ、と。
彼女はホーキンスの母であり父の妻だが、何よりもまず、島の平穏を守る役目を担ったこの家の当主なのだ。それを痛感する言葉だった。
――――しかし今は、今だけは。砂時計が落ちきるまでのこの時間は、ただの母親でいた。
クッキーをかじる息子の姿などそう面白いものでもないだろうに、彼女はなんてことないような顔をしてじっと見つめている。何を考えているか分からないというのは案外困るな、と自分を棚に上げつつホーキンスは思った。
▲▲▲
ある日、食堂に母が来なかった。
こういうことはたまにある。大量の仕事を切り上げられず、それでもどうにか早足でやってきて、腹を満たすためだけに食事を流し込み、さっさと部屋に戻る。子どもの教育に悪い姿だが、ホーキンスは母の忙しさに理解があったので真似をしようとはしなかった。むしろそんなにも忙しいのに時間を作ろうとした彼女を尊敬してすらいた。
今回もそれだと思った。思おうとした。
父と二人――背後に配膳のための者たちが並んでいる――でテーブルを挟み、向かい合わせに座る。上座の席はぽつんと空いたまま。あまりに遅いようなら誰かに呼びに行かせようか、なんて話をしながら待っていた。
食堂の扉が些か荒っぽい動きで開かれる。母付きの使用人だ。足音をたてずに父へ近づき、密かな声で数回のやり取りをして去っていく。
ホーキンスが父に問いたげな視線を向けると、彼は優しく微笑んだ。
「母さんは体調が悪くて来られないらしいから、ぼくたちだけで食べようか」
ホーキンスは賢い子どもだった。何一つ変化を見せなかった父が、自分に何を隠そうとしたか悟った。どうせすぐバレることなのに。
追求せず頷くと、彼の瞳が一瞬泳いだ。
「すまないね」
彼は本当に笑顔を作るのが上手い。長年息子を務めているホーキンスでなければ、なぜ謝られたかも分からなかっただろう。
父はホーキンスを子どもとして扱う。事実、子どもである。彼はホーキンスの前だからこそ気を張っている。親として頼れる存在であろうとすることで、自身の精神を保っている。ならば素直に従おう。たとえそれが意味のないものだったとしても。
部屋から出ることが難しくなった母は、顔色が悪いものの凛とした様子でホーキンスと相対した。
「状況はどうなっていますか」
「今のところ、戦争に巻き込まれる確率は低いかと。ただ、一部の村人の動きに怪しい点が……」
島の平和を保つには、あらゆる情報が生命線となる。近隣の国はもちろん、北の海、ひいては世界中の動きを知っておかなくてはならない。もし争いが避けられないとしても、事前に準備をすることができるのだから。
戦争がどこで起こっていて、影響がどこまで及んでいるのか。どちらが勝ちそうか。海賊たちはそれぞれどんな行動に出るのだろうか。
それらの情報を手繰り寄せ、予測し、島の人々に提供するのがホーキンスたちの役目である。新聞では得られない視点からの予想を行い、少しでもマシな選択肢を提示する。昔は最終判断も任されていたそうだが、時代が変わるにつれそれもなくなった。構わない。ホーキンスたちは仕事を全うするまでだ。
ホーキンスの占いがどれだけ卓越したものとなっても、母は自身の占いと照らし合わせる作業をやめなかった。占い結果に基づく息子の考えを聞き、自分の意見を述べる彼女はなぜだか楽しそうに見えた。遊び相手ができた子どものようだった。
母はホーキンスの話に耳を傾けた後、思いついたように問いを重ねた。
「……お前とエヴィさんが結婚した場合の、島内が安定する確率は?」
「……彼女はただの村人ですよ」
「だからこそ人は彼女を信頼するのでしょう。自分と近い存在が選んだ相手。見知った娘がお前を褒め称えているのを聞けば、お前の評価にも多少は影響します」
「そう簡単にいくとは……」
「お前が行動で示さなければ、逆に反感を買うでしょうね。しかし試してみる価値はあります。ささやかでも信頼を積み重ねていくべきです」
「……エヴィを利用するようなことを仰らないでくださいますか。そもそも、おれたちはまだそういった関係ではありません」
自らが口にした内容に苛立ちを覚える。まだその時ではないだけだ。エヴィから好意を抱かれているのは確実。「ホーキンスのことを好きな確率」は100%、恋愛感情さえ自覚させてしまえばこちらのもの。……そこに苦戦しているのだが。
ホーキンスが不貞腐れて返すと、母はゆっくりと瞬いた。そして、久方ぶりの笑みを浮かべた。絵本に登場する魔女のような顔だった。
「口説き落とす自信がなくなりましたか」
ホーキンスはギョッとして母を見た。彼女の口から「口説く」なんて言葉が出てくると思わなかったからである。彼女は息子のそんな反応に苦笑し、「お前は私を買いかぶり過ぎているところがありますね」と続けた。
「前にお前たちの未来を占ったことがあるのですよ」
母の目が細まる。遠くを見るような、眩しい光を前に目を伏せるような。
「お前の恋は必ず成就します。この母が言うのですから、安心なさい」
なぜ人々が母を頼るのかを理解した。この人がこうも言い切るのならと思わせる、心地よい語り口。相手が最も求める言葉を適切に与えることができる彼女は経験も貫禄もホーキンスとまるで違う。
そんなことを考えていたら、「真面目に話を聞きなさい」と額を指で弾かれた。
▲▲▲
カラン、と音がした。
振り向くと、ベッドに横たわる母の手からティースプーンが落ちてソーサーにぶつかっていた。サイドテーブルに置いたその二つが音の発生源だとすぐ分かる。それ自体は問題ではない。取り落とすことくらい誰だってある。
母はスプーンを再度掴もうとして、カップにぶつかった。反動で中身が揺らめいた。スプーンの端を掴んだと思ったらまた落ちた。ふざけているのかと思った。世にも珍しい、母なりの冗談なのかと。
彼女は呆然と自分の指先を見つめていた。数回手指を開け閉めして、ホーキンスに医者を呼ぶよう言いつけた。
もうカードを広げることも億劫なのだと言いながら、彼女は時間をかけて一枚ずつカードをベッドに並べていく。世界が滅びる日も彼女は占い続けるだろう。ホーキンスもまた、その一人である。
「何を占っていらっしゃるんですか」
「私の運命を。面白いですよ。死しか出ません」
ホーキンスが顔をしかめたのを見て母は笑った。死を目前にしているとは思えない、恐れ知らずの笑みだった。
「よく観察なさい。死相が出ている人間の消えゆく様を」
観察対象が自分だからか、彼女はここぞとばかりに勉強材料にした。どんなに表情豊かになったところで母の体は死に向かっている。無視できないくらいに死相が現れているため、視界に入れることすら苦痛だった。母はそんなホーキンスの弱さを咎め、目を逸らすことを禁じた。
「ホーキンス」
「なんです」
「エヴィさんと、最近会っていますか」
「……いえ。忙しくて」
「それもそうですね……。支え合っていくのですよ。彼女と結ばれることが、お前の運命を切り開く鍵となります」
未来のおれに何が起きるのですか。
ホーキンスは訊ねようとして、やめた。それは自ら占わなくてはならないことだ。たとえ外れても母を恨まずにいるために。
白いシーツとそう変わらない顔色をした母がホーキンスを呼び寄せた。近づいた息子の顔をぺたぺたと触り、目の上をなぞる。もうハキハキと物を言えなくなってしまった彼女が、吐息のような声で呟く。
「眉毛はまだ生えてこないのですね」
「おれもお母様のような眉になるのですか」
「ええ。当主として十分な力が身についた時、全て生え揃うのです。お前もすぐこうなります」
お前は私とそっくりですからね、とこぼした母の声に、ホーキンスは愛おしげな色を聞いた。
※夢主が出ません(話題に上るくらい)
ホーキンスが十二歳の誕生日を迎えた日、いつもより豪勢な夕食が並ぶ中。祝福の言葉を述べたのと同じ口で母は言った。
「私は今年中にこの世を去ります。よって、当主教育のスピードを速める必要があります。心して臨みなさい」
彼女は血も涙もない無機質な声色で、自身の生が終わるのだと断言した。ホーキンスは礼を言おうとしていた口を閉じた。流れるような発言の意味を飲みこめない。痛いくらいの沈黙が落ちる。冗談を言う人ではない。ましてや、息子の誕生を祝う場で。
父は黙っている。こんな時ですら彼は薄い笑みをやめられないらしい。それとも、子どもの前だからと平気なふりをしているだけなのか。
血の気が引いて指先の感覚がなくなっているが、気づいているのは自分だけだ。表面上はホーキンスも母と同様、冷静に振る舞えているのだろう。そういった性質を持ち、そのように動けと教育を受けてきたから。
詳細を聞くために声を出す。第一声がぶれる。
「そ、れは……もう決まったことなのでしょうか」
「あらゆる手を尽くしても、持って一年だと。私の占いがそう伝えています。主治医も同意しました」
「そんなにも重い病を患われていたとは知りませんでした」
「死が確定したのは昨日のことです。いたずらに動揺させるのは私の望むことではありませんから」
自分が死ぬことで息子が動揺するというのは理解しているんだな、と安心していいのかも分からないことに意識が向く。眼前の問題から目を背けようとしている自分がいた。
実際、近頃母は体調を崩しがちではあった。先日エヴィを屋敷に招いた際も、元々線の細い彼女はベッドの上から挨拶をしたと聞いていた。だからといって急にこんなことを言われても現実味がない。まだ彼女はピンと背筋を伸ばして席についている。ハキハキとした物言いで他者に指示を出す自信に満ちたその様は、ホーキンスが生まれたときから不変のものだ。死の空気などこれっぽっちも漂っていない。
「質問は終わりましたか? それでは食事をいただきましょう。今日はお前の好物を作らせたのですよ」
明日の予定を説明し終えた程度の軽さで、母は話題を変えた。止まっていた時が流れ始めたように父がペラペラと話し出す。使用人たちはテキパキと残りの配膳を済ませていく。さっきまでの会話がなかったかのような、日常に戻ったことが不自然であるという状況。
ホーキンスは彼らの意図に乗った。反抗したところで自分にできることはないからだ。両親は息子の知らないところで何度も話し合ったのだろうし、出た答えがこれならばどうしようもない。それに、ホーキンスはもう十二歳になったのだ。聞き分けのいい息子をやってやろうと思った。
注がれた紅茶を飲みながら、プレゼント選びの際の出来事について語る両親に目をやった。父がおどけて見せる。母が相づちを打つ。意地悪な見方をすれば空元気にも思える光景だ。
しなやかな手でカトラリーを扱い、サラダやスープを味わって、肉料理を少しばかり多めに食べ、お気に入りの紅茶で終える。そのルーティンは変わらない。母はきっと明日も明後日も同じような食べ方をする。
そして、それができなくなる日は必ず来る。
朝晩の食事は家族揃ってとる。ホーキンスが物心ついてから繰り返されてきた日常が一年以内に終わる。始まってしまったカウントダウンを止める術を、ホーキンスは持っていない。
誰だってずっと子どもではいられない。けれども、失うのはもっと先の話だと思っていた。
皿にはホーキンスの好物ばかり乗せられているが、壁一枚隔てたかのように色と香りを失っていく。表に出さずとも確かにあった浮き立つ心が、もはや跡形もない。
ホーキンスはスプーンを手に取って、野菜スープを口に含む。何も感じない。液体が喉を通って胃に落ちる。繰り返す。スープの具材、焼き立てのパン、ホーキンスのためだけに用意された魚料理、デザートのケーキ。それらはホーキンスの体を作る。ホーキンスは成長期であり、未来ある若者だから、どんなに心乱れていても食を怠ってはならない、と。母が以前言っていたことだ。その時のホーキンスは、大人になってしまえば食を疎かにしても怒られないのか、と考えた。違う。大人になる頃には、怒ってくれる人がいないというだけだ。
母が亡くなったとしてもホーキンスは生き続ける。生きて、彼女の立場を継がなくては。島を導き、平和を保ち、日々を過ごしていずれ死ぬ。世界はその繰り返しでできている。ホーキンスも両親も世界の仕組みの一つである。受け入れなくてはならない。
母の教えはあらゆる場所に存在する。まだ本人が生きているというのにこれなのだ。いなくなってしまった後、ホーキンスの周囲は母の残したもので埋め尽くされることだろう。
視線を上げ、両親の方を向く。今度は彼らもホーキンスを見つめていた。無表情の母も、笑顔の父も、瞳だけは息子の様子を伺っている。
「この場を設けていただき、ありがとうございます」
ホーキンスが堂々と感謝を伝えると、二人の肩から力が抜けたのが分かった。息子の反応が気になるのなら言い方を変えればよかったのにと思わないでもない。けれどホーキンスは素知らぬふりをして、例年よりも長く言葉を紡いでいく。思い残しが無いように。両親が揃った場で口にすることは二度とないのだろうと、心のどこかで感じていたから。
▲▲▲
当主は島の行く末を占う。だが、それ以外の仕事も当然ながら存在する。屋敷の切り盛りは配偶者に任せることができるが、自分でもある程度把握しておけと当主である母は言う。
「とはいえ、私もあの人に任せきりなのですけれど」
「お父様は張り切ってこなしていましたよ」
「有り難い話です。この立場である以上、やらねばいけないことは尽きませんから」
今日の占い指導を終えたホーキンスたちは、休憩を挟んだ後、屋敷内部の把握をする流れとなった。把握といっても仰々しいものではなく、隠し部屋やら抜け道やらを再確認する時間を設けるとの意味である。
母は机上のカードを整える傍ら、数本の藁を自在に操って背後の本棚から屋敷の全体図を取り出した。机の端にそれを置くと、今度はカードの束を藁で掴んで移動させている。そんな扱いでいいのですか、と聞くも、彼女はにやりと笑うだけだった。
両手の空いた母は手ずからティーポットを傾け、一滴も零さずカップへ注いでみせた。母が好んで飲む茶葉の香りが広がる。母に促され、一口飲む。花のような甘やかさを持つ香りと同様、味もほんのり甘い。疲れた体に染み込んでいく。
藁の一本がどこからか砂時計を持ってきてひっくり返す。砂が落ちきるまでが休憩の時間である。学びと息抜きのどちらも疎かにしないのが母だった。先日貰ったお菓子も食べてしまいましょうか、と席を立った彼女は、室内に事情を知る息子しかいないのをいいことに、足を藁へと変化させ、本棚の一番上に届くよう背を伸ばした。
「部分的に変化させることもできるのですね」
「ええ。なった当初は大変でしたが、慣れれば便利なものですよ」
しれっとした顔で席についた彼女の足はもうドレスに隠れていて、ほんの少し見える肌も白くなめらかなものに戻っている。
菓子の詰まった箱を開け、先にホーキンスに選ばせている間。母の視線は息子の顔に向けられていた。
母が悪魔の実の能力者だと明かされたのは数年前の話だ。図鑑でしか見たことのなかったそれに自分の母も該当すると知ったときの衝撃は記憶に新しい。
――――当時、いつもの部屋でバジル家に代々受け継がれる悪魔の実に関する説明をした母は、す、と右腕を掲げてみせた。
次の瞬間、右腕がほどけた。
腕があった場所に乾燥した草の束が生えていた。黄金色のそれは、村に降りた際見た覚えがある――――藁だ。体が藁と化している。
「お前も知っての通り、北の海には争いが絶えません。この島にも海賊の手は及んでいます」
シンプルなドレスから見えていた母の肌が次々に藁へと変わっていく。ざわざわと音を立てながら、見慣れた顔に線が走る。陶器のような肌がガサついた草の束になる。
「島の人々では対処しきれない強さの者が襲って来たとき、対抗し得るのは私たちです」
同じ高さの椅子に座っていた母は瞬く間に巨大化し、決して低くはない天井に届くほどの姿となった。淡々とした彼女の声につられてホーキンスも冷静さを保つ。目だけはいつもの母であったから、懸命に視線を合わせようとする。
ホーキンスが見上げていると、指のような藁の束が数本伸ばされた。避ける間もなく胴体を掴まれて、母の――藁人形となっても顔立ちは母であった――顔が視界いっぱいに広がる。
「ホーキンス。お前ならここからどう反撃しますか」
「……ひとまず、武器を使って腕を切ります」
「そうでしょうとも。海賊たちも同じことを考えます。もっと惨たらしい発想をするかもしれません」
我々はその上をいかなくてはならないのです。たとえ人々に恐れられたとしても。
母はそう続けると、藁の擦れる音を部屋中に響かせ、人の形へと戻った。ホーキンスは母の腕の中にいた。母にこうして抱きしめられたのはいつぶりだろうか、と記憶を探るも、なかなか出てこない。頭を撫でられたことすらずいぶん昔のように思える。父はよくホーキンスに触れるけれども、母はそういう人ではなかった。いつだって一定の距離を保っていた。
目の前にあった母の右肩が藁になり、そこから小さな藁人形がバリバリと音を立てて現れた。ここまで来るとホーキンスも驚かなくなっていた。落ちそうになったそれを受け止め、母に渡す。彼女は藁人形をそっと受け取ると、しばらく目を閉じていた。一呼吸おいた後、薄くまぶたを開けてこちらを見た。
「ワラワラの実の能力は、呪いとさえ呼べるものです。人を傷つける覚悟はありますか。周囲の人間が全滅しても自分だけが生き残る、そんな状況に耐えられますか」
「おれに拒否権などあるのですか」
「……愚問でしたね。忘れなさい。お前は何があろうと生き残らなくてはなりません。この能力はその役に立つでしょう」
問いに問いを返したホーキンスを咎めず、母は自嘲するように笑った。
説明に必要だからと言われ、別室へ移動することになった。無言の母の後を追う。窓の外はまだまだ明るい。早く終わればエヴィに会いに行くことも可能だろう。
彼女は廊下に出てすぐ遭遇した使用人に声をかけ、着いてくるよう命じた。呼びとめられた使用人は母に負けず劣らず無表情であるけれど、その言葉を聞いた瞬間、心なしか誇らしげな顔をしたように見えた。
母を先頭にした奇妙な歩みは屋敷のいくつもの扉を通り過ぎ、とある部屋に入るまで続いた。中は他の部屋と変わらない内装が広がっている。強いて言うならば、壁や床の装飾が少ないことくらいか。分厚いカーテンは長い間開かれていないようだが、絨毯や家具は小綺麗だ。定期的に掃除はされているらしかった。
物置き部屋にしては物が少なすぎるこの場所で、母は簡潔な命令を下した。
「あちらに立っていなさい」
「はい」
明かりを灯していた使用人は歯向かうことなく従い、まるで表彰台に向かうかのような足取りで指定された位置に立った。部屋の中央。絨毯も何もない、床の真上。
足音で気づく。この部屋は床板の種類が違う。何か細工が施されているのだろうか。
「そう複雑な仕掛けはありません。単なる防水加工です」
「……なぜ」
「汚れてしまいますから。今ではこういう時にしか使いませんが」
ホーキンスが使用人に気を取られている間に、母の左手には小さなナイフが握られていた。
冷たい光を湛えたそれが、白く細い腕へと突き立てられる。人の肉を容易く切り裂いた刃を、当の本人たる母はなんの躊躇いもなく手前に引いた。深い傷口が広がる。
……いや、
呆然とする息子に対して、母は連れてきた者のいる方角を指さした。
使用人は命じられた通り、一歩も動いていなかった。体温を感じられない眼差しでホーキンスを見返した。
右腕から流れ落ちる鮮血だけが生を証明していた。深く広い傷。母の右腕に刻まれたはずのそれが、寸分違わず、全く同じ位置にできている。母の動きに合わせて傷をつけたのか、それとも、まさか――――
「私と見比べてごらんなさい」
母が指先を切れば使用人の指先が傷ついた。母の手のひらを刃がなぞれば使用人の手から血が溢れ出した。
彼女の体には一切の損傷がない。使用人だけが血を流している。当の本人は苦しい顔一つ見せず、次の命令を待っている。痛みに呻くどころか、刻まれる傷の全てが勲章のような。
異様な光景に圧倒されているホーキンスへ、母が問いかける。
「理解できましたか?」
「……傷を、相手に移すことができるのですか」
「簡単に言えばそうなります。敵がお前に切りかかったならば、切り裂かれるのはその者となるでしょう」
「使用人は全て
「ええ。最終手段ですが。敵に用いた方が有効ですもの」
残りの説明は後でいいでしょう、との言葉と共に、母はナイフを置いた。
「ご苦労でしたね」
「このような場にわたくしめをお選びいただき、誠に光栄でございます」
「後ほど手当てをする者が来ます。それまで耐えなさい」
「承知いたしました。ご配慮痛み入ります」
腕が真っ赤に染まっているにもかかわらず、使用人は平常時と変わらない態度でうやうやしく母に頭を下げた。声の震えすらなかった。何の変哲もないこの部屋で、こいつは戦場から帰ってきたかのようなぼろぼろの様に成り果てた。
悪魔の実とは、そういった現象を可能にするものなのだ。ホーキンスはそれを使いこなさなくてはならない。恐れていないと言えば嘘になるが、やがて慣れるのだろう。
母に連れられ、例の部屋に戻る。まだ鼻の奥に血の匂いが残っている。思わず顔をしかめると、不快感を洗い流す爽やかな香りが部屋に漂い始めた。母が香を焚いたのだ。
「少しくらい泣くかと思っていたのですが」
「おれが泣いたことがありましたか」
「赤ん坊の時ですら必要以上に泣かなかったお前だものねェ……。まあ、心配していたようなことにならなくて済んだのは喜ばしいですけれど」
今しがた使用人の身をもって実演してみせた母は、能力の詳細をホーキンスに語り始めた。歴代の当主から受け継がれた知識に加え、彼女の経験から得た情報も上乗せされている。何代にも渡って同じ悪魔の実が受け継がれていることで、能力の使い方やコツも引き継ぎやすくなっているらしかった。
一通り説明し終えると、母は能力者であること自体を村人たちに伏せているのだと言って話を締めた。村長らには伝えてあるけれども、全員に教えた場合の混乱を考えると難しい、と。ホーキンスもそれに同意した。
村人たちとの適切な距離を保てなければ誰かが勘づくことだろう。巨大な藁人形と化す。ここまでならば、悪魔の実の能力だから、と許容される範囲になり得る。しかし身代わりとなれば話は別だ。自分たちが使われるかもしれないと思ったが最後、信頼どころではなくなってしまう。熱心な信者揃いだったという過去の村ならいざ知らず、今のバジル家の立場で公表していいとは思えない。
「自ら命を差し出してくる者など、うちの使用人くらいなものです」
彼らの命を使わなくてはならない状況であるならば、それは戦況の不利を表す。少しでも村の、島の勝利に繋がるのなら自分の命など惜しくないというのは美談だが、そもそもそんな状況にしてはならない。そのためにバジル家の占いがあるのだ、と。
彼女はホーキンスの母であり父の妻だが、何よりもまず、島の平穏を守る役目を担ったこの家の当主なのだ。それを痛感する言葉だった。
――――しかし今は、今だけは。砂時計が落ちきるまでのこの時間は、ただの母親でいた。
クッキーをかじる息子の姿などそう面白いものでもないだろうに、彼女はなんてことないような顔をしてじっと見つめている。何を考えているか分からないというのは案外困るな、と自分を棚に上げつつホーキンスは思った。
▲▲▲
ある日、食堂に母が来なかった。
こういうことはたまにある。大量の仕事を切り上げられず、それでもどうにか早足でやってきて、腹を満たすためだけに食事を流し込み、さっさと部屋に戻る。子どもの教育に悪い姿だが、ホーキンスは母の忙しさに理解があったので真似をしようとはしなかった。むしろそんなにも忙しいのに時間を作ろうとした彼女を尊敬してすらいた。
今回もそれだと思った。思おうとした。
父と二人――背後に配膳のための者たちが並んでいる――でテーブルを挟み、向かい合わせに座る。上座の席はぽつんと空いたまま。あまりに遅いようなら誰かに呼びに行かせようか、なんて話をしながら待っていた。
食堂の扉が些か荒っぽい動きで開かれる。母付きの使用人だ。足音をたてずに父へ近づき、密かな声で数回のやり取りをして去っていく。
ホーキンスが父に問いたげな視線を向けると、彼は優しく微笑んだ。
「母さんは体調が悪くて来られないらしいから、ぼくたちだけで食べようか」
ホーキンスは賢い子どもだった。何一つ変化を見せなかった父が、自分に何を隠そうとしたか悟った。どうせすぐバレることなのに。
追求せず頷くと、彼の瞳が一瞬泳いだ。
「すまないね」
彼は本当に笑顔を作るのが上手い。長年息子を務めているホーキンスでなければ、なぜ謝られたかも分からなかっただろう。
父はホーキンスを子どもとして扱う。事実、子どもである。彼はホーキンスの前だからこそ気を張っている。親として頼れる存在であろうとすることで、自身の精神を保っている。ならば素直に従おう。たとえそれが意味のないものだったとしても。
部屋から出ることが難しくなった母は、顔色が悪いものの凛とした様子でホーキンスと相対した。
「状況はどうなっていますか」
「今のところ、戦争に巻き込まれる確率は低いかと。ただ、一部の村人の動きに怪しい点が……」
島の平和を保つには、あらゆる情報が生命線となる。近隣の国はもちろん、北の海、ひいては世界中の動きを知っておかなくてはならない。もし争いが避けられないとしても、事前に準備をすることができるのだから。
戦争がどこで起こっていて、影響がどこまで及んでいるのか。どちらが勝ちそうか。海賊たちはそれぞれどんな行動に出るのだろうか。
それらの情報を手繰り寄せ、予測し、島の人々に提供するのがホーキンスたちの役目である。新聞では得られない視点からの予想を行い、少しでもマシな選択肢を提示する。昔は最終判断も任されていたそうだが、時代が変わるにつれそれもなくなった。構わない。ホーキンスたちは仕事を全うするまでだ。
ホーキンスの占いがどれだけ卓越したものとなっても、母は自身の占いと照らし合わせる作業をやめなかった。占い結果に基づく息子の考えを聞き、自分の意見を述べる彼女はなぜだか楽しそうに見えた。遊び相手ができた子どものようだった。
母はホーキンスの話に耳を傾けた後、思いついたように問いを重ねた。
「……お前とエヴィさんが結婚した場合の、島内が安定する確率は?」
「……彼女はただの村人ですよ」
「だからこそ人は彼女を信頼するのでしょう。自分と近い存在が選んだ相手。見知った娘がお前を褒め称えているのを聞けば、お前の評価にも多少は影響します」
「そう簡単にいくとは……」
「お前が行動で示さなければ、逆に反感を買うでしょうね。しかし試してみる価値はあります。ささやかでも信頼を積み重ねていくべきです」
「……エヴィを利用するようなことを仰らないでくださいますか。そもそも、おれたちはまだそういった関係ではありません」
自らが口にした内容に苛立ちを覚える。まだその時ではないだけだ。エヴィから好意を抱かれているのは確実。「ホーキンスのことを好きな確率」は100%、恋愛感情さえ自覚させてしまえばこちらのもの。……そこに苦戦しているのだが。
ホーキンスが不貞腐れて返すと、母はゆっくりと瞬いた。そして、久方ぶりの笑みを浮かべた。絵本に登場する魔女のような顔だった。
「口説き落とす自信がなくなりましたか」
ホーキンスはギョッとして母を見た。彼女の口から「口説く」なんて言葉が出てくると思わなかったからである。彼女は息子のそんな反応に苦笑し、「お前は私を買いかぶり過ぎているところがありますね」と続けた。
「前にお前たちの未来を占ったことがあるのですよ」
母の目が細まる。遠くを見るような、眩しい光を前に目を伏せるような。
「お前の恋は必ず成就します。この母が言うのですから、安心なさい」
なぜ人々が母を頼るのかを理解した。この人がこうも言い切るのならと思わせる、心地よい語り口。相手が最も求める言葉を適切に与えることができる彼女は経験も貫禄もホーキンスとまるで違う。
そんなことを考えていたら、「真面目に話を聞きなさい」と額を指で弾かれた。
▲▲▲
カラン、と音がした。
振り向くと、ベッドに横たわる母の手からティースプーンが落ちてソーサーにぶつかっていた。サイドテーブルに置いたその二つが音の発生源だとすぐ分かる。それ自体は問題ではない。取り落とすことくらい誰だってある。
母はスプーンを再度掴もうとして、カップにぶつかった。反動で中身が揺らめいた。スプーンの端を掴んだと思ったらまた落ちた。ふざけているのかと思った。世にも珍しい、母なりの冗談なのかと。
彼女は呆然と自分の指先を見つめていた。数回手指を開け閉めして、ホーキンスに医者を呼ぶよう言いつけた。
もうカードを広げることも億劫なのだと言いながら、彼女は時間をかけて一枚ずつカードをベッドに並べていく。世界が滅びる日も彼女は占い続けるだろう。ホーキンスもまた、その一人である。
「何を占っていらっしゃるんですか」
「私の運命を。面白いですよ。死しか出ません」
ホーキンスが顔をしかめたのを見て母は笑った。死を目前にしているとは思えない、恐れ知らずの笑みだった。
「よく観察なさい。死相が出ている人間の消えゆく様を」
観察対象が自分だからか、彼女はここぞとばかりに勉強材料にした。どんなに表情豊かになったところで母の体は死に向かっている。無視できないくらいに死相が現れているため、視界に入れることすら苦痛だった。母はそんなホーキンスの弱さを咎め、目を逸らすことを禁じた。
「ホーキンス」
「なんです」
「エヴィさんと、最近会っていますか」
「……いえ。忙しくて」
「それもそうですね……。支え合っていくのですよ。彼女と結ばれることが、お前の運命を切り開く鍵となります」
未来のおれに何が起きるのですか。
ホーキンスは訊ねようとして、やめた。それは自ら占わなくてはならないことだ。たとえ外れても母を恨まずにいるために。
白いシーツとそう変わらない顔色をした母がホーキンスを呼び寄せた。近づいた息子の顔をぺたぺたと触り、目の上をなぞる。もうハキハキと物を言えなくなってしまった彼女が、吐息のような声で呟く。
「眉毛はまだ生えてこないのですね」
「おれもお母様のような眉になるのですか」
「ええ。当主として十分な力が身についた時、全て生え揃うのです。お前もすぐこうなります」
お前は私とそっくりですからね、とこぼした母の声に、ホーキンスは愛おしげな色を聞いた。