6.わたしの鼓動の真上のいつか
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
※セリフありのモブが大量に出ます。
「いつもは気味の悪いやつらも、宴会じゃ良く見えてくるもんだな! 毎日やりゃあいいのに」
「ギャハハ! 言えてらァ」
「はあーっ……人様を敬う気持ちを失いおって……祝いの場をしらけさせることしか言えんのかねェお前さんたちは」
帰りたい。本気で帰りたい。
夕暮れ時、両親の後ろを歩きながら私は心底そう思った。
今日はバジル家当主の代替わりを祝して、島中の人を集めた大規模な宴会が行われていた。祝してといってもほとんどの人にとっては騒げる場ってくらいの認識で、たくさんの大きなテーブルに大量の酒と料理が並ぶ日だと思われている。先日の葬式はさすがにしめやかに行われたが、その分あり余っていた元気が今あちこちで爆発している。具体的に言うと、歌詞も音程もぐちゃぐちゃな大合唱をしている集団から、勢いで始まった乱闘まで。日も沈みきってないうちから泥酔した人もいる。普段平和に過ごしているからか、騒げるときに騒いでおけといった雰囲気だ。
この辺はいい。どこの島でもよくあることだろうし。
……問題は、バジル家を軽んじる姿勢を隠さない人がいるってことだ。会場に入った瞬間、それを明確にしたようなギッスギスの会話を耳にする羽目となった。きつい。
個別で会えば気のいい人々なのだが、こういう場になると途端に攻撃的になる。酒が入るのもあってか、普段なら言わないようなことも嘲りまじりに口にする。本気でそう思っていなかったとしても、バジル家の人がいる場所でそういう発言をしてもいいのだと、率直に言えばなめられているのだと分かる言動は、見ているだけでもかなりつらい。
宴会の場全体を見渡すと、あちこちに友達がいた。私のように気まずそうにしている子や、会話ガン無視で食べることに集中している子がいるが、悪口メインで盛り上がっているわけではなさそうなのが救いだ。私の同年代はあまり占いを信じてないってくらいで、あからさまにバジル家を馬鹿にする子はいない。だからこそ私は彼らともホーキンスとも友人関係を続けられている。
宴会のどこに行っても嫌な空気はあるだろうが、挨拶が終わったらせめて友達のいるところに行こう。そう思って両親の方へ向き直る。
二人は無言だった。道中はどんな言葉でお祝いしようか、なんて和気あいあいと話していたのに、会場についた途端無の表情になったため、恐怖のあまり並んで歩けなくなったわけである。
なにが理由かまでは知らないが、両親はバジル家支持者だった。嘲笑を浮かべる人たちに食ってかかったりしないのでそこは安心しているし、なによりホーキンスとの仲を批判されないのが助かっている。
すれ違う人々と挨拶を交わし、ぶつからないように隙間をすり抜けて、一番人が集まっている場所に行く。すぐ分かる。村長を含めた年配層がいるテーブルこそが目的地だ。
真っ先に私はホーキンスを探した。ばちりと目が合う。鎖骨あたりまで伸びた金髪がいつものように輝いている。宴会といえど一応公的な場だからか、いつもよりピシッとした服を身にまとっていた。何を着ても似合うな。
彼は上座も上座、村長と現当主の次に偉い席についていた。向こうも私を認識してくれたらしく、視線が私の動きに合わせて揺れる。お母さんを亡くした悲しみがある程度癒えたのか、今日の彼は比較的元気そうに見えた。
「ほら、ぼーっとしない!」
「あ、ごめんなさい」
お母さんに小声で咎められ、慌てて目の前の新当主――ホーキンスのお父さんに顔を向ける。柔らかくうねった髪を揺らしつつ、彼は面白そうに目を細めていた。しかし、何もかもを見通しているかのような瞳は笑っておらず、この人の本心は分からないなあ、なんて感想を抱く。
両親につられて挨拶をつつがなく終え、ホーキンスにも声をかけようとしたところ、彼のお父さんに呼び止められた。
「久しぶりだね、エヴィ」
「お久しぶりです、当主様」
「そんな他人行儀なのはやめてくれよ。息子とこんなに仲がいいんだ、君はそのうち……ああ! ぼくが口出ししていいものじゃなかったね。とにかく、ホーキンスをこれからもよろしく頼むよ」
彼の大げさな態度から、言いたいことを察してはいた。私に分かるレベルならば周囲の両親や村長たちにも伝わるってことで、一気に場がひやかしムードとなる。両親はすぐにでも詳細を聞きたいって顔だし、村長なんかはわざわざホーキンスに話しかけている。四方八方から野次が飛ぶ。
「なんだなんだお前ら、そういう仲だったのか!」
「あはは……当主様の御冗談ですよ」
「そう思うかい? ぼくは冗談のつもりはなかったんだけどな」
勘弁して!と叫びそうになった。ホーキンスのお父さんの考えていることが本当に分からない。こちとら思春期だぞ! 下手にからかわれたら気まずくなって疎遠になるかもしれないのに。大人たちはその辺の繊細な心を失ってしまったんだろうか。いや普通に遊ばれてるだけだな。人の恋バナほど面白いものはないもんな。私たちで遊ばないでくれ。
ホーキンスが席を立ち、こちらに歩いてくる。だが、勝手に盛り上がった村長やらなにやらにもみくちゃにされ、すぐそこにいるってのに足止めをくらっている。相手が相手だからか雑にあしらえないホーキンスは眉間にしわを寄せ、されるがままになっていた。
というか、彼はさっきの会話をどう思っているんだ? この距離で聞こえなかったなんてことはないだろうし、自分の父親が友達との仲をひやかしているというのは気分がいいもんじゃない気がする。
……友達。私たちの関係は、友達だ。
心を開いてくれているからといって勘違いしてはならない。彼は占いに従っているだけなんだから。ホーキンスなりの、私とのコミュニケーションなんだろう。冗談が嫌いな彼がそんなことをするのかは不明だが。
これまでノリで抱きついたりしてきたけれど、ホーキンスはどう思っていたのかな、と。この年になってようやく私はそのことに思い至った。近すぎる距離に意味がある、そんな年齢になってしまった。同時に、私って他の友達よりもホーキンスとの距離の方が近いかもしれない、と気づく。彼が許し、私が許しているから成立してきたそれは「友達」なのか、「そういう仲」のものなのか。今さら離れられそうになくて、でもそう思ってるのは自分だけかもという不安もあって。
そもそも私は彼とどうなりたいんだろう。彼のことをどう思っているんだろう。
ごちゃごちゃした脳内を隠してへらへら笑っている間に両親が「あとは若い二人で」と離れていってしまったので、ホーキンスが解放されるまでの間、権力者テーブル(言い方が最悪だが実際そう)の近くで食べ物をつまむ。うまい。やっぱりこのテーブルの料理は他より力が入ってるな。
もぐもぐと食べ続ける私の側に、まだホーキンスのお父さんが残っていた。にこやかに料理の感想を尋ねられ、おいしいです、と答える。彼の目が弧を描く。
「ホーキンスのことが好きかい」
「はい」
「なら、なぜそんな顔をしているんだい」
「こうしてからかわれるのが不愉快だからです」
「……はっきり言うねェ」
「はっきり言いますよ、そりゃ」
私としては直球で尋ねられてビビっていたが、向こうは向こうで私が下手に出なかったことに驚いていた。ちょっと怒っていたのもあって敬意が足りなかったかもしれない。無礼講の場なので多少は許してほしい。
ホーキンスを好きだと言うのにためらいはなかった。でも口にした瞬間、なんだか違和感というか、照れみたいなものがあった。さっきひやかされたのが影響してるんだろうか。……それとも、私の中で何か変わった?
ホーキンスのお父さん――当主様は、無言になった私に微笑みかけた。どこかで見たような顔。あ、そうだ。からかうときのホーキンスに似てるんだ。
「ホーキンスはね、君が思うよりずっと君のことを気に入っているよ」
「……本人から言われなきゃ、信じられません」
嘘である。普通に舞い上がりそうになってる心を必死に押しとどめている。先走って傷つくのはこっちなんだからな。予防線はいくら張っても足りないくらいだ。
彼は小娘の嘘なんかお見通しだとでも言うように吹き出した。もしかしたら、私が顔に出してしまっていたのかもしれない。ご機嫌取りめいた一言二言をかけられ、私が取り繕いながらも返事をした後、当主様はそっと耳打ちした。
「君に頼みたいことがあるんだ。後で手紙を送るから、また家に来てくれ」
「……わかりました」
私が了承したと同時に、誰かに腕を引かれて後ろへとよろけてしまう。地面に倒れ込む前に、腕を引いた張本人――ホーキンスの胸の中に収まった。ホーキンスはむすっとした顔で自分の父親を睨んでいる。
「おや、早かったね」
「あまり近寄らないでいただきたい」
「怖い怖い。父親にまで嫉妬しなくたっていいだろうに。それじゃあね、エヴィ」
「あ、はい、また今度」
にこやかに去っていく当主様に手を振ったところ、ホーキンスにその手を掴まれ止められた。強制的に降ろされた私の手に、ホーキンスの手が重ねられる。流れで指まで絡めてきた。いや振り払わなかったのは私なんだけども。今の私にこういう接触は重すぎるというか。どうしても意識しちゃうというか。
私の隣に来た彼は、「少し移動するぞ」と告げ、宴会の中心部から離れた場所まで歩いていく。すれ違う人々はホーキンスの姿を見て挨拶なり侮蔑的な表情を浮かべるなりしたが、彼が私と手を繋いでいると察するや否や、皆半笑いになった。口笛吹くのやめてくれ。
▲▲▲
宴は海岸近くの空き地で開かれていたから、会場の端っこまで行くと夕焼けに染まった海が見えてくる。水平線の向こうに太陽が沈む。全ての明かりをつけるにはまだ早い、でもちょっと視界が悪くなる、そんな時間だ。
皆の会話が聞き取りにくい程度の距離を稼いだところで、彼は声を落として訊ねた。
「父となにか話していたな」
「んー、なんかね、頼みたいことがあるんだって。よくわかんないけど」
「……おかしなことをさせられそうになったらすぐに言え」
「そんな心配しなくても大丈夫でしょ」
返事が上の空になっている自覚がある。彼の方を向けない。遠くの喧騒が気にならないくらいに心臓の音がうるさい。血の巡りがいいんですね〜ってふざけている場合じゃない。原因はすぐ判明したし、自分の影響されやすさに呆れてしまう。ちょっとからかわれたくらいで、こんな……。
「さっきから様子がおかしいがどうした」
「……あのね、今ホーキンスに触られるとドキドキして冷静な判断できなくなるから、ちょっと離れててほしい」
下手に誤魔化したところでバレるだろうと、前を向いたまま早口でそう答えた。一応手をほどこうとはしたが、予想通りほどけない。言うんじゃなかった。力強く握りしめられて、さっきよりも手のひらが密着してる。無理やりほどけなくもないけど、意識してしまうとどうにも弱い。力が入らない。あつい。
「ほう? 聞こえないな」
「うううう……面白がってるだろ……」
気持ち悪がられるよりは面白いと思われる方がマシか? なんかご機嫌になったみたいだし、わざとらしく顔を近づけられても嫌じゃないし……。うわなんかいい匂いする。覗き込もうとするな! 真っ赤なのは横から見ても分かるだろ!
「周りに言われたことを気にしているのか」
「気にしてるといえばそうだけど……言われてみると、確かに友達の距離じゃないなって」
ホーキンスははたと動きを止めた。不思議に思って彼の方を見ると、真紅の瞳がすっと細められる。穴が空くほど私を見つめた後、こらえきれなくなったように彼は高笑いをあげた。
一瞬宴の方からの注目が集まった気配がした。「あの息子も笑うんだな」と言い交わされていそうな予感。誰も寄ってはこない。
余所事を考えていたのがバレたのか、ホーキンスは「おれに集中しろ」と低い声でこぼす。その一言ですらも体に響く。
「やっとか」
「な、なにその反応」
「お前が気づくのをずっと待っていた」
ずっと。すぐには理解できず、ホーキンスの言ったことを繰り返す。
そうしている間も彼は手を離そうとしなかった。熱が伝わってくる。真正面に立って、まつ毛の一本一本が見えてしまいそうな距離で私を見る。私の一挙一動を見逃さないとでも言いたげに。
緊張で声が震えた。
「わざとだったの?」
「ああ」
「いつから?」
「出会って間もない頃から」
私たちが出会ったのはもうずいぶん前の話なのに。私が恋なんて言葉も知らないときから彼はそのつもりで接していたのだと言う。決定的な言葉はくれない。私が踏み出すのを待ち構えているかのように、口角を上げただけ。きっと彼には、自分でも分かっていない私の気持ちが筒抜けになっているんだろう。
友達だと思っていた相手が、なんて状況で混乱しているけれど、不快感はなかった。そんなに長い時間よく隠しきれたなと思ってしまうくらい、鈍感な私に呆れないでいてくれたことへの喜びが大きかった。
聞いてみたくなった。「私のこと好き?」だなんて、間違えていたら傷ついてしまいそうなことを。今向けられている、痛いくらいに真っ直ぐな視線の答え合わせをしたかった。きっと勘違いじゃない。たぶん、この「好き」は――――
遠くでドッと笑いが起きた。途端に耳からの情報量が増えて、村の人たちの騒ぐ声が聞こえてくる。
そうだ、人気が少ないといえどここは宴会場。こうしている間にも誰かが見ているのだ。流されそうになる心を押し留め、至近距離のホーキンスを引っ剥がす。彼はしかめっ面で無言の抵抗を続けたが、私が頑なだと察してようやく離れた。
「……私ちょっと友達のとこに挨拶してくるから!」
「おれも行こう」
「来ないで!」
「さっきの続きは後でやるぞ」
「あとっ……後とかないですー!」
「今逃がしてやるのはおれの温情だというのを忘れるなよ」
「なんでそんな強気なんだよ!」
早足で人混みをかき分ける私を、ホーキンスが悠々と追いかける。その様子を見た村の人たちがそれぞれ違った反応を見せる。ニヤニヤする人、ホーキンスを睨む人、不安そうに私に目をやる人。後日全員から話を聞かれそうだ、と憂鬱になる。
向こうも私を探していたのか、そう歩かないうちに友達グループと巡り会った。私を見て「あ!」と手を振り、隣に立つホーキンスを見て「あ!?」と驚きの声を上げている。
「お前、ホーキンスだろ!」
以前ホーキンスを紹介した男友達の一人が声を上げた。私にも軽く挨拶をしつつ、名前を覚えているぞとアピールしている。
「おれ、会ったことあるんだけど覚えてるか?」
「覚えている。薬屋の倅だろう」
「そうそう! なんだ、ちゃんと認識されてんだなァ」
それを皮切りに友人たちは我も我もと名前当てクイズを始め、ホーキンスはその全てに正解してみせた。途中、私の知らない話題もあって、どうやら私抜きで会ったやつもいるみたいだぞ?と勘づく。嫉妬とかではな……嫉妬です。彼の交友関係が広がるのはいいことだが、それとこれとは別なのだ。私もいっしょに遊びたかった。
いつの間に会ってたの?と耳打ちすると、「お前がいないときに話しかけられたことがある」と端的な返事があった。今の反応からして、悪い意味で絡まれたとかはなさそうでちょっと安心した。
「改めて名乗ろう。バジル・ホーキンスだ。よろしく頼む」
「エヴィから話は聞いてるぜ! よろしく!」
「前に紹介されてからなかなか会えなかったもんね」
「同じ島にいるはずなのになんでこんな遭遇しないんだ?ってよく話してたんだよ」
「さてはお前、おれたちそっちのけでエヴィにばっか会いに来てただろ~! おれたちとも遊べよな~!」
友達がわちゃわちゃとホーキンスを取り囲む。次々と質問を投げかけられ、彼はその全てにきちんと答えていった。
ホーキンスに関しては、彼の立場と近寄りがたい雰囲気もあって当初は皆一線をひいていた。でも私といっしょにいるのが目撃されるようになってから「あれ、意外と普通に話せるっぽい?」と気づき、私を通じて会ってみたいと望む子が増えた。ホーキンス側があまり乗り気じゃないのもあって会わせるのを避けていた時期があったのだけど、ある日彼が「今日は対人運が上がっている」と申し出たのを境に紹介した、というわけで。
気が合う方の確率を引き当てられたのか、想像以上のスムーズさで馴染んでいる。好きな人が好きな人たちと仲良くしているのは見ていて楽しい。
ホーキンスは話している間もずっと私の腰を抱いたままでいた。そろーっと手を剥がそうとするも、すぐ元通りになってしまう。なんなら回数を重ねるごとに力が増している。真顔で受け答えをしながらこんな力比べまでする余裕があるのはおかしいだろ。
「そうだ、せっかくだしあたしのことも占ってよ!」
「あ、おれもおれも!」
「ふむ……いいだろう。誰から占うか決めておけ」
質問攻めが一旦終わり、女友達の一言をきっかけに占いタイムに入った。ホーキンスはちょっと思案した後、するりと私の腰から手を離し、近くの椅子とテーブルの一部分を陣取った。いつものカードを取り出す。その場がわっと沸く。中には占いを一切信じていない子も含まれるけれど、余興だと見なしているのか混ざって楽しんでいる。
あからさまに馬鹿にする気配はないので、私は安心して後方に移動……できなかった。周囲はもうホーキンスと私をセットで扱うつもりのようで、側にいろと引き止められてしまった。あとホーキンス本人が私の袖を引いた。負けた。
することも特にないので、人の占いを眺めてみる。何を占うかの聞き取りを終えたホーキンスが、息をするようにカードを操っていく。何度見てもこの瞬間は魔法みたいだ。
ホーキンスの落ち着いた声で結果を淡々と伝えられると、どんな内容でも納得してしまいそうになる。落ち込むような結果でも、彼は運気を上げるための行動まで付け加えてフォローしていた。今日はどうやらかなり機嫌がいいらしく、サービス精神旺盛になっているようだった。
占ってもらった友人達はホーキンスの説明に感心して、より一層盛り上がっている。占い師の才能って語り口まで含めるんだろうか。もしそうならホーキンスは相当な天才だ。場の空気をあっという間にものにしてしまうんだから。
そんな中、自分の番を終えた一人の女友達がすすすと寄ってきて、こっそり私に訊ねた。言うほどこっそりでもない。側にいるホーキンスには聞こえていそうだ。
「さっき会場の端でキスしてたってほんと?」
「な、なにそれ!?」
「もっと人のいないとこでやりなよねー。この村じゃ即噂回るよ? それが狙い?」
最後の問いかけはホーキンスに向けられたものだった。次の占いに向けてカードを整えながら、彼は流し目だけ寄こした。
「さあな」
「エヴィ本当にこいつでいいの? 牽制やばいよ」
「牽制?」
「……まあ分からない方がいいこともあるか!」
あたしらはあんたが幸せならそれでいいし!と話を締めて彼女が笑う。なんか諦められた気がする。あのホーキンスが周りの反応を意識して行動するか? ……するかもしれない。彼は案外人の様子を見ているから。
複雑な面持ちでジュースを飲む私に、彼女はもう一度「あんたが幸せなら誰だって構わないさ。あんたが選んだ相手なんだから、いいやつに決まってるよ」と言った。違ったらいつでも殴り込みに行くから。そう付け加えられたとき、ホーキンスの肩がちょっと揺れた。
占いが一通り終わると、友達が一人、また一人と別の知り合いのもとへ散っていってしまった。ホーキンスにこれからどうしようか、と言おうとしたところ、さっきまでの会話を聞いていたのか、べろんべろんに酔っ払った近所のおじさん達が勢いよく首を突っ込んできた。
「エヴィ! お前バジル家のガキに惑わされてんじゃねェだろうな!?」
「変な魔術とか使われたんじゃねェのか!?」
「使われてないよ! そっとしといてくれる!?」
「村中駆け回ってた娘っ子が色気づきやがってよォ」
「こんな男に持ってかれるなんざ、村の男共は何してんだ!!」
「貶すのやめて! あとそういうのダルい! いつも思ってたけど飲みすぎだよ、ほら水飲んで! おばさんも心配してたよ」
「いいんだよ今日は!」
いい訳がないのでおばさん達が回収しにきたし、おじさん達はキツめにシバかれていた。その彼女達ですら、ホーキンスとの仲について「あたしゃヒョロヒョロした男は嫌いだよ」と一言述べて去っていった。これはもうガチで村中に話が広まっている。家に帰れば両親からもいろいろ聞かれるだろう。聞かれたところで何を話せというのか。
噂の張本人は悪びれもせずサラダを突っついていた。野菜をむしゃむしゃ食べる彼を半目で見るも、その辺の皿に取り分けたものを差し出されて終わった。食べるけども。
サラダを食べ進めていくうちに、じわじわと黒い感情が湧き上がる。百歩譲って関係をああだこうだと言われるのはいいとしても、ホーキンスが悪く言われるのは嫌だ。ひどいことを言わないでほしかった。私は彼が好きなのに、手放しで祝福してくれる人ばかりではない。
咀嚼のスピードが落ちた私を見て、ホーキンスは何も気にしていないような口ぶりで話し出す。私の考えていることはバレバレらしい。
「仕方のないことだ。バジル家はあまり表で交流をしてこなかった。島全体のことはともかく、知人の相手として好ましく思われないのも無理はない」
「もっと屋敷から出て村に遊びに来ればよかったのに。ホーキンスも、ご両親も」
「俗世に長居すると影響も大きいからな。最低限しか関わってこなかったが、今後はそのあたりも考え直さなくては……」
そう言うホーキンスは、小さい頃とは違う、次の世代を担う者としての顔つきをしていて。彼なりに島や家のことを考えてるんだって分かる。なんだか私だけが取り残されたような気になった。
こんなんじゃだめだ。私も彼を支えられるようにならなくては。でも取り立てて得意なものがない私に、一体何ができるんだろう。
▲▲▲
会場の片付けが終わったのは、空が真っ暗になってからだった。残りは明日やるぞ、と号令がかかって解散する。あれだけ活気に満ちていたこの場所も、終わってみればがらんとしている。
両親と連れ立って帰ろうとしていた矢先、一人の青年――主役たちと共に帰ったはずのホーキンスが行く手を遮った。
「エヴィを借りていくぞ」
「どうぞどうぞ!」
「私の意思は!?」
「嫌なのか?」
「そうじゃないけど……」
満面の笑みで私を差し出した両親に対し、ホーキンスは「案ずるな。きちんと家に送り届ける」と言い残した。その時の両親の反応からして朝帰りでも許されそうな感じだった。恥ずかしさでいたたまれなくなる。
もはや何の確認もなく手を取られ、そのまま別の道に行く。方角的に家まで遠回りになる人気のない道。親公認の下、私は彼と二人で帰路につくことになったのだった。
宴会中の出来事をうやむやにして後日に持っていけないかなと思っていた。甘かった。彼は宣言通り「続き」をするつもりでいるらしい。いつ切り出されてもおかしくない雰囲気だ。やめろ、流されるな、まだ「好き」とか一言も言われてないんだぞ。
「き、今日の宴会盛り上がってたね!」
「後半はおれ達のことで持ち切りだったな」
「うん……そうだね……」
話題を逸らそうと苦し紛れに話してみるが、何を言っても墓穴を掘っている感じがする。彼と目が合う度妖しげに微笑まれるものだから変な空気が一向になくならない。なにより――――
「そこ、足元に気をつけろ」
「あ、ありがと」
近い。とにかく近い。
引き寄せるためだけに肩を抱き、私の話を聞くために顔を近づける。そういや宴会中も腰を抱かれてたな。
「今日のホーキンス、なんかいつもよりべたべたしてくる……」
「いつもこんなものだぞ。気づかなかったのか?」
「うそでしょ!? さすがにそれは、いやでも……ええ……?」
頬へのキスとか、他の友達とはしないこともそりゃしてきたけど。でも頻繁じゃなかったし、運気アップのためにしたことも含まれてるし。そもそも人前ではやらなかった。
ただ歩くだけでこんなにべったりしてたことなんて、一回、いや月に何回かはあったかもしれない。……つまりホーキンスの言う通りなのか? 知らぬ間に彼との接触が当たり前になってたってわけ?
困惑しつつ彼を見る。月明かりによって彼のはっきりとした顔立ちが浮き上がっている。くらりときてしまうような目つきも、かすかに上がった口角も。
話している間にだいぶ歩いていたようで、私の家を含んだいくつかの民家の明かりがぽつぽつと見えてきた。家々に面する通りを進んでいけば、あと少しで我が家の敷地内に差しかかる。窓から漏れた光で、家の近くにそびえ立つ大木がほんのりと照らし出されていた。
無意識に歩みが早まりそうになった私を、ホーキンスが引き止める。反射的に振り向いてしまって、自然と彼と向き合う形になる。彼の背後で、広い星空を覆うように広がった葉っぱがざわざわと揺れる。
「距離が近くとも問題ないだろう?」
気づいたときにはもう彼は目と鼻の先にいた。繋いでいたはずの手は私の腰に、もう片方の手は顔に添えられた。思わず顔の方の手に触れたが、なぜか引き離す気になれず、自ら手を重ねたみたいになってしまう。
「なんたって、「全部あげる」と言ったのはお前なんだからな」
熱を帯びた瞳が私を貫いている。視線をそらせない。
もしかしてあの時の私、とんでもないことを口にしてしまったのでは?と思うには十分すぎる眼差しで。
「嫌ならおれを突き飛ばせ。お前の力ならできるだろう」
「……突き飛ばさなかったら?」
彼の指を撫でながら、なんてことないように聞いてみる。人を弄ぶような振る舞い。それが私の精一杯の強がりだと知っているから彼は怒らない。にたりと笑みを深めて囁く。
「おれは自分に都合よく解釈するぞ。これ以上待ってやるつもりはない」
ホーキンスの骨ばった指が私の顔の輪郭をゆっくりとなぞる。真っ赤になっているであろう耳を戯れに触って、そのまま後頭部を固定される。避けられないようにしたんだ、と悟る。
彼の瞳に映る自分がどんな顔をしてるかまで見えてしまう。
やろうと思えば、彼のしようとしていることをやめさせることもできる。
でも今は二人っきりだから。
それにホーキンスにされて嫌なことじゃなかったから、私は大人しく目をつむった。
「いつもは気味の悪いやつらも、宴会じゃ良く見えてくるもんだな! 毎日やりゃあいいのに」
「ギャハハ! 言えてらァ」
「はあーっ……人様を敬う気持ちを失いおって……祝いの場をしらけさせることしか言えんのかねェお前さんたちは」
帰りたい。本気で帰りたい。
夕暮れ時、両親の後ろを歩きながら私は心底そう思った。
今日はバジル家当主の代替わりを祝して、島中の人を集めた大規模な宴会が行われていた。祝してといってもほとんどの人にとっては騒げる場ってくらいの認識で、たくさんの大きなテーブルに大量の酒と料理が並ぶ日だと思われている。先日の葬式はさすがにしめやかに行われたが、その分あり余っていた元気が今あちこちで爆発している。具体的に言うと、歌詞も音程もぐちゃぐちゃな大合唱をしている集団から、勢いで始まった乱闘まで。日も沈みきってないうちから泥酔した人もいる。普段平和に過ごしているからか、騒げるときに騒いでおけといった雰囲気だ。
この辺はいい。どこの島でもよくあることだろうし。
……問題は、バジル家を軽んじる姿勢を隠さない人がいるってことだ。会場に入った瞬間、それを明確にしたようなギッスギスの会話を耳にする羽目となった。きつい。
個別で会えば気のいい人々なのだが、こういう場になると途端に攻撃的になる。酒が入るのもあってか、普段なら言わないようなことも嘲りまじりに口にする。本気でそう思っていなかったとしても、バジル家の人がいる場所でそういう発言をしてもいいのだと、率直に言えばなめられているのだと分かる言動は、見ているだけでもかなりつらい。
宴会の場全体を見渡すと、あちこちに友達がいた。私のように気まずそうにしている子や、会話ガン無視で食べることに集中している子がいるが、悪口メインで盛り上がっているわけではなさそうなのが救いだ。私の同年代はあまり占いを信じてないってくらいで、あからさまにバジル家を馬鹿にする子はいない。だからこそ私は彼らともホーキンスとも友人関係を続けられている。
宴会のどこに行っても嫌な空気はあるだろうが、挨拶が終わったらせめて友達のいるところに行こう。そう思って両親の方へ向き直る。
二人は無言だった。道中はどんな言葉でお祝いしようか、なんて和気あいあいと話していたのに、会場についた途端無の表情になったため、恐怖のあまり並んで歩けなくなったわけである。
なにが理由かまでは知らないが、両親はバジル家支持者だった。嘲笑を浮かべる人たちに食ってかかったりしないのでそこは安心しているし、なによりホーキンスとの仲を批判されないのが助かっている。
すれ違う人々と挨拶を交わし、ぶつからないように隙間をすり抜けて、一番人が集まっている場所に行く。すぐ分かる。村長を含めた年配層がいるテーブルこそが目的地だ。
真っ先に私はホーキンスを探した。ばちりと目が合う。鎖骨あたりまで伸びた金髪がいつものように輝いている。宴会といえど一応公的な場だからか、いつもよりピシッとした服を身にまとっていた。何を着ても似合うな。
彼は上座も上座、村長と現当主の次に偉い席についていた。向こうも私を認識してくれたらしく、視線が私の動きに合わせて揺れる。お母さんを亡くした悲しみがある程度癒えたのか、今日の彼は比較的元気そうに見えた。
「ほら、ぼーっとしない!」
「あ、ごめんなさい」
お母さんに小声で咎められ、慌てて目の前の新当主――ホーキンスのお父さんに顔を向ける。柔らかくうねった髪を揺らしつつ、彼は面白そうに目を細めていた。しかし、何もかもを見通しているかのような瞳は笑っておらず、この人の本心は分からないなあ、なんて感想を抱く。
両親につられて挨拶をつつがなく終え、ホーキンスにも声をかけようとしたところ、彼のお父さんに呼び止められた。
「久しぶりだね、エヴィ」
「お久しぶりです、当主様」
「そんな他人行儀なのはやめてくれよ。息子とこんなに仲がいいんだ、君はそのうち……ああ! ぼくが口出ししていいものじゃなかったね。とにかく、ホーキンスをこれからもよろしく頼むよ」
彼の大げさな態度から、言いたいことを察してはいた。私に分かるレベルならば周囲の両親や村長たちにも伝わるってことで、一気に場がひやかしムードとなる。両親はすぐにでも詳細を聞きたいって顔だし、村長なんかはわざわざホーキンスに話しかけている。四方八方から野次が飛ぶ。
「なんだなんだお前ら、そういう仲だったのか!」
「あはは……当主様の御冗談ですよ」
「そう思うかい? ぼくは冗談のつもりはなかったんだけどな」
勘弁して!と叫びそうになった。ホーキンスのお父さんの考えていることが本当に分からない。こちとら思春期だぞ! 下手にからかわれたら気まずくなって疎遠になるかもしれないのに。大人たちはその辺の繊細な心を失ってしまったんだろうか。いや普通に遊ばれてるだけだな。人の恋バナほど面白いものはないもんな。私たちで遊ばないでくれ。
ホーキンスが席を立ち、こちらに歩いてくる。だが、勝手に盛り上がった村長やらなにやらにもみくちゃにされ、すぐそこにいるってのに足止めをくらっている。相手が相手だからか雑にあしらえないホーキンスは眉間にしわを寄せ、されるがままになっていた。
というか、彼はさっきの会話をどう思っているんだ? この距離で聞こえなかったなんてことはないだろうし、自分の父親が友達との仲をひやかしているというのは気分がいいもんじゃない気がする。
……友達。私たちの関係は、友達だ。
心を開いてくれているからといって勘違いしてはならない。彼は占いに従っているだけなんだから。ホーキンスなりの、私とのコミュニケーションなんだろう。冗談が嫌いな彼がそんなことをするのかは不明だが。
これまでノリで抱きついたりしてきたけれど、ホーキンスはどう思っていたのかな、と。この年になってようやく私はそのことに思い至った。近すぎる距離に意味がある、そんな年齢になってしまった。同時に、私って他の友達よりもホーキンスとの距離の方が近いかもしれない、と気づく。彼が許し、私が許しているから成立してきたそれは「友達」なのか、「そういう仲」のものなのか。今さら離れられそうになくて、でもそう思ってるのは自分だけかもという不安もあって。
そもそも私は彼とどうなりたいんだろう。彼のことをどう思っているんだろう。
ごちゃごちゃした脳内を隠してへらへら笑っている間に両親が「あとは若い二人で」と離れていってしまったので、ホーキンスが解放されるまでの間、権力者テーブル(言い方が最悪だが実際そう)の近くで食べ物をつまむ。うまい。やっぱりこのテーブルの料理は他より力が入ってるな。
もぐもぐと食べ続ける私の側に、まだホーキンスのお父さんが残っていた。にこやかに料理の感想を尋ねられ、おいしいです、と答える。彼の目が弧を描く。
「ホーキンスのことが好きかい」
「はい」
「なら、なぜそんな顔をしているんだい」
「こうしてからかわれるのが不愉快だからです」
「……はっきり言うねェ」
「はっきり言いますよ、そりゃ」
私としては直球で尋ねられてビビっていたが、向こうは向こうで私が下手に出なかったことに驚いていた。ちょっと怒っていたのもあって敬意が足りなかったかもしれない。無礼講の場なので多少は許してほしい。
ホーキンスを好きだと言うのにためらいはなかった。でも口にした瞬間、なんだか違和感というか、照れみたいなものがあった。さっきひやかされたのが影響してるんだろうか。……それとも、私の中で何か変わった?
ホーキンスのお父さん――当主様は、無言になった私に微笑みかけた。どこかで見たような顔。あ、そうだ。からかうときのホーキンスに似てるんだ。
「ホーキンスはね、君が思うよりずっと君のことを気に入っているよ」
「……本人から言われなきゃ、信じられません」
嘘である。普通に舞い上がりそうになってる心を必死に押しとどめている。先走って傷つくのはこっちなんだからな。予防線はいくら張っても足りないくらいだ。
彼は小娘の嘘なんかお見通しだとでも言うように吹き出した。もしかしたら、私が顔に出してしまっていたのかもしれない。ご機嫌取りめいた一言二言をかけられ、私が取り繕いながらも返事をした後、当主様はそっと耳打ちした。
「君に頼みたいことがあるんだ。後で手紙を送るから、また家に来てくれ」
「……わかりました」
私が了承したと同時に、誰かに腕を引かれて後ろへとよろけてしまう。地面に倒れ込む前に、腕を引いた張本人――ホーキンスの胸の中に収まった。ホーキンスはむすっとした顔で自分の父親を睨んでいる。
「おや、早かったね」
「あまり近寄らないでいただきたい」
「怖い怖い。父親にまで嫉妬しなくたっていいだろうに。それじゃあね、エヴィ」
「あ、はい、また今度」
にこやかに去っていく当主様に手を振ったところ、ホーキンスにその手を掴まれ止められた。強制的に降ろされた私の手に、ホーキンスの手が重ねられる。流れで指まで絡めてきた。いや振り払わなかったのは私なんだけども。今の私にこういう接触は重すぎるというか。どうしても意識しちゃうというか。
私の隣に来た彼は、「少し移動するぞ」と告げ、宴会の中心部から離れた場所まで歩いていく。すれ違う人々はホーキンスの姿を見て挨拶なり侮蔑的な表情を浮かべるなりしたが、彼が私と手を繋いでいると察するや否や、皆半笑いになった。口笛吹くのやめてくれ。
▲▲▲
宴は海岸近くの空き地で開かれていたから、会場の端っこまで行くと夕焼けに染まった海が見えてくる。水平線の向こうに太陽が沈む。全ての明かりをつけるにはまだ早い、でもちょっと視界が悪くなる、そんな時間だ。
皆の会話が聞き取りにくい程度の距離を稼いだところで、彼は声を落として訊ねた。
「父となにか話していたな」
「んー、なんかね、頼みたいことがあるんだって。よくわかんないけど」
「……おかしなことをさせられそうになったらすぐに言え」
「そんな心配しなくても大丈夫でしょ」
返事が上の空になっている自覚がある。彼の方を向けない。遠くの喧騒が気にならないくらいに心臓の音がうるさい。血の巡りがいいんですね〜ってふざけている場合じゃない。原因はすぐ判明したし、自分の影響されやすさに呆れてしまう。ちょっとからかわれたくらいで、こんな……。
「さっきから様子がおかしいがどうした」
「……あのね、今ホーキンスに触られるとドキドキして冷静な判断できなくなるから、ちょっと離れててほしい」
下手に誤魔化したところでバレるだろうと、前を向いたまま早口でそう答えた。一応手をほどこうとはしたが、予想通りほどけない。言うんじゃなかった。力強く握りしめられて、さっきよりも手のひらが密着してる。無理やりほどけなくもないけど、意識してしまうとどうにも弱い。力が入らない。あつい。
「ほう? 聞こえないな」
「うううう……面白がってるだろ……」
気持ち悪がられるよりは面白いと思われる方がマシか? なんかご機嫌になったみたいだし、わざとらしく顔を近づけられても嫌じゃないし……。うわなんかいい匂いする。覗き込もうとするな! 真っ赤なのは横から見ても分かるだろ!
「周りに言われたことを気にしているのか」
「気にしてるといえばそうだけど……言われてみると、確かに友達の距離じゃないなって」
ホーキンスははたと動きを止めた。不思議に思って彼の方を見ると、真紅の瞳がすっと細められる。穴が空くほど私を見つめた後、こらえきれなくなったように彼は高笑いをあげた。
一瞬宴の方からの注目が集まった気配がした。「あの息子も笑うんだな」と言い交わされていそうな予感。誰も寄ってはこない。
余所事を考えていたのがバレたのか、ホーキンスは「おれに集中しろ」と低い声でこぼす。その一言ですらも体に響く。
「やっとか」
「な、なにその反応」
「お前が気づくのをずっと待っていた」
ずっと。すぐには理解できず、ホーキンスの言ったことを繰り返す。
そうしている間も彼は手を離そうとしなかった。熱が伝わってくる。真正面に立って、まつ毛の一本一本が見えてしまいそうな距離で私を見る。私の一挙一動を見逃さないとでも言いたげに。
緊張で声が震えた。
「わざとだったの?」
「ああ」
「いつから?」
「出会って間もない頃から」
私たちが出会ったのはもうずいぶん前の話なのに。私が恋なんて言葉も知らないときから彼はそのつもりで接していたのだと言う。決定的な言葉はくれない。私が踏み出すのを待ち構えているかのように、口角を上げただけ。きっと彼には、自分でも分かっていない私の気持ちが筒抜けになっているんだろう。
友達だと思っていた相手が、なんて状況で混乱しているけれど、不快感はなかった。そんなに長い時間よく隠しきれたなと思ってしまうくらい、鈍感な私に呆れないでいてくれたことへの喜びが大きかった。
聞いてみたくなった。「私のこと好き?」だなんて、間違えていたら傷ついてしまいそうなことを。今向けられている、痛いくらいに真っ直ぐな視線の答え合わせをしたかった。きっと勘違いじゃない。たぶん、この「好き」は――――
遠くでドッと笑いが起きた。途端に耳からの情報量が増えて、村の人たちの騒ぐ声が聞こえてくる。
そうだ、人気が少ないといえどここは宴会場。こうしている間にも誰かが見ているのだ。流されそうになる心を押し留め、至近距離のホーキンスを引っ剥がす。彼はしかめっ面で無言の抵抗を続けたが、私が頑なだと察してようやく離れた。
「……私ちょっと友達のとこに挨拶してくるから!」
「おれも行こう」
「来ないで!」
「さっきの続きは後でやるぞ」
「あとっ……後とかないですー!」
「今逃がしてやるのはおれの温情だというのを忘れるなよ」
「なんでそんな強気なんだよ!」
早足で人混みをかき分ける私を、ホーキンスが悠々と追いかける。その様子を見た村の人たちがそれぞれ違った反応を見せる。ニヤニヤする人、ホーキンスを睨む人、不安そうに私に目をやる人。後日全員から話を聞かれそうだ、と憂鬱になる。
向こうも私を探していたのか、そう歩かないうちに友達グループと巡り会った。私を見て「あ!」と手を振り、隣に立つホーキンスを見て「あ!?」と驚きの声を上げている。
「お前、ホーキンスだろ!」
以前ホーキンスを紹介した男友達の一人が声を上げた。私にも軽く挨拶をしつつ、名前を覚えているぞとアピールしている。
「おれ、会ったことあるんだけど覚えてるか?」
「覚えている。薬屋の倅だろう」
「そうそう! なんだ、ちゃんと認識されてんだなァ」
それを皮切りに友人たちは我も我もと名前当てクイズを始め、ホーキンスはその全てに正解してみせた。途中、私の知らない話題もあって、どうやら私抜きで会ったやつもいるみたいだぞ?と勘づく。嫉妬とかではな……嫉妬です。彼の交友関係が広がるのはいいことだが、それとこれとは別なのだ。私もいっしょに遊びたかった。
いつの間に会ってたの?と耳打ちすると、「お前がいないときに話しかけられたことがある」と端的な返事があった。今の反応からして、悪い意味で絡まれたとかはなさそうでちょっと安心した。
「改めて名乗ろう。バジル・ホーキンスだ。よろしく頼む」
「エヴィから話は聞いてるぜ! よろしく!」
「前に紹介されてからなかなか会えなかったもんね」
「同じ島にいるはずなのになんでこんな遭遇しないんだ?ってよく話してたんだよ」
「さてはお前、おれたちそっちのけでエヴィにばっか会いに来てただろ~! おれたちとも遊べよな~!」
友達がわちゃわちゃとホーキンスを取り囲む。次々と質問を投げかけられ、彼はその全てにきちんと答えていった。
ホーキンスに関しては、彼の立場と近寄りがたい雰囲気もあって当初は皆一線をひいていた。でも私といっしょにいるのが目撃されるようになってから「あれ、意外と普通に話せるっぽい?」と気づき、私を通じて会ってみたいと望む子が増えた。ホーキンス側があまり乗り気じゃないのもあって会わせるのを避けていた時期があったのだけど、ある日彼が「今日は対人運が上がっている」と申し出たのを境に紹介した、というわけで。
気が合う方の確率を引き当てられたのか、想像以上のスムーズさで馴染んでいる。好きな人が好きな人たちと仲良くしているのは見ていて楽しい。
ホーキンスは話している間もずっと私の腰を抱いたままでいた。そろーっと手を剥がそうとするも、すぐ元通りになってしまう。なんなら回数を重ねるごとに力が増している。真顔で受け答えをしながらこんな力比べまでする余裕があるのはおかしいだろ。
「そうだ、せっかくだしあたしのことも占ってよ!」
「あ、おれもおれも!」
「ふむ……いいだろう。誰から占うか決めておけ」
質問攻めが一旦終わり、女友達の一言をきっかけに占いタイムに入った。ホーキンスはちょっと思案した後、するりと私の腰から手を離し、近くの椅子とテーブルの一部分を陣取った。いつものカードを取り出す。その場がわっと沸く。中には占いを一切信じていない子も含まれるけれど、余興だと見なしているのか混ざって楽しんでいる。
あからさまに馬鹿にする気配はないので、私は安心して後方に移動……できなかった。周囲はもうホーキンスと私をセットで扱うつもりのようで、側にいろと引き止められてしまった。あとホーキンス本人が私の袖を引いた。負けた。
することも特にないので、人の占いを眺めてみる。何を占うかの聞き取りを終えたホーキンスが、息をするようにカードを操っていく。何度見てもこの瞬間は魔法みたいだ。
ホーキンスの落ち着いた声で結果を淡々と伝えられると、どんな内容でも納得してしまいそうになる。落ち込むような結果でも、彼は運気を上げるための行動まで付け加えてフォローしていた。今日はどうやらかなり機嫌がいいらしく、サービス精神旺盛になっているようだった。
占ってもらった友人達はホーキンスの説明に感心して、より一層盛り上がっている。占い師の才能って語り口まで含めるんだろうか。もしそうならホーキンスは相当な天才だ。場の空気をあっという間にものにしてしまうんだから。
そんな中、自分の番を終えた一人の女友達がすすすと寄ってきて、こっそり私に訊ねた。言うほどこっそりでもない。側にいるホーキンスには聞こえていそうだ。
「さっき会場の端でキスしてたってほんと?」
「な、なにそれ!?」
「もっと人のいないとこでやりなよねー。この村じゃ即噂回るよ? それが狙い?」
最後の問いかけはホーキンスに向けられたものだった。次の占いに向けてカードを整えながら、彼は流し目だけ寄こした。
「さあな」
「エヴィ本当にこいつでいいの? 牽制やばいよ」
「牽制?」
「……まあ分からない方がいいこともあるか!」
あたしらはあんたが幸せならそれでいいし!と話を締めて彼女が笑う。なんか諦められた気がする。あのホーキンスが周りの反応を意識して行動するか? ……するかもしれない。彼は案外人の様子を見ているから。
複雑な面持ちでジュースを飲む私に、彼女はもう一度「あんたが幸せなら誰だって構わないさ。あんたが選んだ相手なんだから、いいやつに決まってるよ」と言った。違ったらいつでも殴り込みに行くから。そう付け加えられたとき、ホーキンスの肩がちょっと揺れた。
占いが一通り終わると、友達が一人、また一人と別の知り合いのもとへ散っていってしまった。ホーキンスにこれからどうしようか、と言おうとしたところ、さっきまでの会話を聞いていたのか、べろんべろんに酔っ払った近所のおじさん達が勢いよく首を突っ込んできた。
「エヴィ! お前バジル家のガキに惑わされてんじゃねェだろうな!?」
「変な魔術とか使われたんじゃねェのか!?」
「使われてないよ! そっとしといてくれる!?」
「村中駆け回ってた娘っ子が色気づきやがってよォ」
「こんな男に持ってかれるなんざ、村の男共は何してんだ!!」
「貶すのやめて! あとそういうのダルい! いつも思ってたけど飲みすぎだよ、ほら水飲んで! おばさんも心配してたよ」
「いいんだよ今日は!」
いい訳がないのでおばさん達が回収しにきたし、おじさん達はキツめにシバかれていた。その彼女達ですら、ホーキンスとの仲について「あたしゃヒョロヒョロした男は嫌いだよ」と一言述べて去っていった。これはもうガチで村中に話が広まっている。家に帰れば両親からもいろいろ聞かれるだろう。聞かれたところで何を話せというのか。
噂の張本人は悪びれもせずサラダを突っついていた。野菜をむしゃむしゃ食べる彼を半目で見るも、その辺の皿に取り分けたものを差し出されて終わった。食べるけども。
サラダを食べ進めていくうちに、じわじわと黒い感情が湧き上がる。百歩譲って関係をああだこうだと言われるのはいいとしても、ホーキンスが悪く言われるのは嫌だ。ひどいことを言わないでほしかった。私は彼が好きなのに、手放しで祝福してくれる人ばかりではない。
咀嚼のスピードが落ちた私を見て、ホーキンスは何も気にしていないような口ぶりで話し出す。私の考えていることはバレバレらしい。
「仕方のないことだ。バジル家はあまり表で交流をしてこなかった。島全体のことはともかく、知人の相手として好ましく思われないのも無理はない」
「もっと屋敷から出て村に遊びに来ればよかったのに。ホーキンスも、ご両親も」
「俗世に長居すると影響も大きいからな。最低限しか関わってこなかったが、今後はそのあたりも考え直さなくては……」
そう言うホーキンスは、小さい頃とは違う、次の世代を担う者としての顔つきをしていて。彼なりに島や家のことを考えてるんだって分かる。なんだか私だけが取り残されたような気になった。
こんなんじゃだめだ。私も彼を支えられるようにならなくては。でも取り立てて得意なものがない私に、一体何ができるんだろう。
▲▲▲
会場の片付けが終わったのは、空が真っ暗になってからだった。残りは明日やるぞ、と号令がかかって解散する。あれだけ活気に満ちていたこの場所も、終わってみればがらんとしている。
両親と連れ立って帰ろうとしていた矢先、一人の青年――主役たちと共に帰ったはずのホーキンスが行く手を遮った。
「エヴィを借りていくぞ」
「どうぞどうぞ!」
「私の意思は!?」
「嫌なのか?」
「そうじゃないけど……」
満面の笑みで私を差し出した両親に対し、ホーキンスは「案ずるな。きちんと家に送り届ける」と言い残した。その時の両親の反応からして朝帰りでも許されそうな感じだった。恥ずかしさでいたたまれなくなる。
もはや何の確認もなく手を取られ、そのまま別の道に行く。方角的に家まで遠回りになる人気のない道。親公認の下、私は彼と二人で帰路につくことになったのだった。
宴会中の出来事をうやむやにして後日に持っていけないかなと思っていた。甘かった。彼は宣言通り「続き」をするつもりでいるらしい。いつ切り出されてもおかしくない雰囲気だ。やめろ、流されるな、まだ「好き」とか一言も言われてないんだぞ。
「き、今日の宴会盛り上がってたね!」
「後半はおれ達のことで持ち切りだったな」
「うん……そうだね……」
話題を逸らそうと苦し紛れに話してみるが、何を言っても墓穴を掘っている感じがする。彼と目が合う度妖しげに微笑まれるものだから変な空気が一向になくならない。なにより――――
「そこ、足元に気をつけろ」
「あ、ありがと」
近い。とにかく近い。
引き寄せるためだけに肩を抱き、私の話を聞くために顔を近づける。そういや宴会中も腰を抱かれてたな。
「今日のホーキンス、なんかいつもよりべたべたしてくる……」
「いつもこんなものだぞ。気づかなかったのか?」
「うそでしょ!? さすがにそれは、いやでも……ええ……?」
頬へのキスとか、他の友達とはしないこともそりゃしてきたけど。でも頻繁じゃなかったし、運気アップのためにしたことも含まれてるし。そもそも人前ではやらなかった。
ただ歩くだけでこんなにべったりしてたことなんて、一回、いや月に何回かはあったかもしれない。……つまりホーキンスの言う通りなのか? 知らぬ間に彼との接触が当たり前になってたってわけ?
困惑しつつ彼を見る。月明かりによって彼のはっきりとした顔立ちが浮き上がっている。くらりときてしまうような目つきも、かすかに上がった口角も。
話している間にだいぶ歩いていたようで、私の家を含んだいくつかの民家の明かりがぽつぽつと見えてきた。家々に面する通りを進んでいけば、あと少しで我が家の敷地内に差しかかる。窓から漏れた光で、家の近くにそびえ立つ大木がほんのりと照らし出されていた。
無意識に歩みが早まりそうになった私を、ホーキンスが引き止める。反射的に振り向いてしまって、自然と彼と向き合う形になる。彼の背後で、広い星空を覆うように広がった葉っぱがざわざわと揺れる。
「距離が近くとも問題ないだろう?」
気づいたときにはもう彼は目と鼻の先にいた。繋いでいたはずの手は私の腰に、もう片方の手は顔に添えられた。思わず顔の方の手に触れたが、なぜか引き離す気になれず、自ら手を重ねたみたいになってしまう。
「なんたって、「全部あげる」と言ったのはお前なんだからな」
熱を帯びた瞳が私を貫いている。視線をそらせない。
もしかしてあの時の私、とんでもないことを口にしてしまったのでは?と思うには十分すぎる眼差しで。
「嫌ならおれを突き飛ばせ。お前の力ならできるだろう」
「……突き飛ばさなかったら?」
彼の指を撫でながら、なんてことないように聞いてみる。人を弄ぶような振る舞い。それが私の精一杯の強がりだと知っているから彼は怒らない。にたりと笑みを深めて囁く。
「おれは自分に都合よく解釈するぞ。これ以上待ってやるつもりはない」
ホーキンスの骨ばった指が私の顔の輪郭をゆっくりとなぞる。真っ赤になっているであろう耳を戯れに触って、そのまま後頭部を固定される。避けられないようにしたんだ、と悟る。
彼の瞳に映る自分がどんな顔をしてるかまで見えてしまう。
やろうと思えば、彼のしようとしていることをやめさせることもできる。
でも今は二人っきりだから。
それにホーキンスにされて嫌なことじゃなかったから、私は大人しく目をつむった。