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短文集



 満月の夜は嫌いだ。
 特殊戦闘部隊、『玄鳥』の宿舎は辺鄙な土地にポツンと建っている。そのおかげで夜の帳が一度降りてしまえば戦闘時以外は死のような静謐さで満ちるのだ。
 総司令官用の一人部屋、義肢の機械油の匂いがする室内。雪花は本を読むでもなくただぼうっと夜空を見上げていた。
 今日は満月。美しく蒼い月が紺青の夜空を煌々と照らしている。
 夏の夜はじっとり湿って吐く息さえ濡れているような不快感がある。夏も、冬も嫌いだ。こんなに素晴らしい満月も、大嫌いだった。
 目を閉じれば蘇るものがある。かつての『友』と呼んだ男の声だ。雪花の理解者。滑稽なことにそう思っていたのは雪花だけだったが。
 彼と決別したのは満月の夜だった。綺麗なものを見に行こうと声をかけたのはどちらからだったか。綺麗な夜。美しい景色の中、雪花は決して消えない深い傷を与えられた。空には愚か者を嗤うように満月がぽっかりと浮かんでいた。
 思考がどんどん過去の闇へと潜っていく。こんなことはただの自傷行為だ。わかっていても止められるほど強くもなければ大人でもない。
 ──ノイズのような声が、雪花をひたすらに嘲笑している。
 耳障りの良いと、美しい声だと、そう思っていたはずの声は異音のように煩わしくおぞましく、嘲笑だけを雪花に浴びせている。理解者に裏切られることはもう二度と。理解者などいらない。
「……雪花さん」
「っ、あ」
 深く、深くへ潜っていた思考は硬く低い声によって引き上げられた。
「……シロ。どうしたんだい、こんな夜更けに。というかまた勝手に入ってきたな?何度言えばわかるんだい。いくら僕と君の仲だとしてもノックという礼儀ぐらいは通しなさい」
 お小言を言っても眞白は気にも止めていないらしい。我が物顔で部屋のソファのすぐ近くに腰を下ろす。
 この子は決まって雪花と同じ場所に座らないし、いつだって周囲を警戒している。
 同じ場所で同じ景色を見れないのは悲しいのだろう。理解を求めるのであれば同じものを見せればいい。わかっていた。でも、もう二度と理解者を求めるなんてことはできないから。
「はあ……シロ」
 静かな金の瞳が雪花を映す。とん、と喉を叩けば理解したらしく彼は立ち上がりティーセットの方へ向かった。茶を淹れる後ろ姿をぼんやりと見つめて雪花は頬杖をつく。
 シロ、と呼べばそれだけで僕が何をしたいか汲んでくれる。僕の兵器。僕だけの忠実なしもべ。
 頑強で、真っ直ぐで、従順だ。犬として完璧すぎるほど忠誠心の強く、飼い主へ健気な愛を注げる男。
 ふわりと茶の香りが静かな室内にただよう。ゴチャゴチャとした部屋には不似合いな清廉な香り。
 ふっと息をついて雪花は視線を落とす。……満月の夜にはおかしなことを考えてしまう。だから嫌いだった。センチメンタルな自分なんて、気味が悪くて仕方ないから。
 ああ、シロ。僕の忠実な狂犬。どうか、君の存在で僕の暗い過去に蓋をして。僕の目を塞いで、僕の手足になって、僕が君なしではいられないほど、僕を理解して。
 バカバカしいな。自嘲してしまう。ただ義足を与えただけの相手に懐かれたからと言って、こんなにもたれ掛かるほど自分は弱くもないし情けなくもない。
 一人で立てる。一人で生きれる。
 だって独りじゃないと、『人間と変わらないアンドロイドの作成』という狂気の悲願は叶えられなくなるのだから。……でも、ほんの少し。シロが同じところに居てくれたらと。同じものを見てくれたらと。思わずにはいられない。ああ、馬鹿げてる。
 雪花が立ち上がると丁度シロが茶を持ってくる。
「机の上に置いておいてくれるかな」
 相変わらず寡黙な男だ。その静けさが心地好いのだけど。シロの気配があるだけで、どうしてだか少し心は穏やかに変わる。
 さて。機械義肢の構築のために動くとしよう。雪花は紙とペンを持ち出したのだった。
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