ペリドットとアンバー短編集
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土曜の朝。
一週間ぶりに二人で過ごす週末は、決まって少し寝坊をして朝食を食べる。
その後、ひと通りの洗濯や掃除を終え、赤井はコーヒーを淹れ始めた。
コーヒーをドリップしている間にミルクを温め、砂糖抜きのカフェオレを作る。頭を空っぽにして愛する人の為だけにドリップする時間は、赤井にとって至極幸せな時間だ。
ペアカップに出来立てのコーヒーを注ぎ入れれば、二人のティータイムが始まる。
いつもと変わらない朝。いつもと変わらない幸せな週末が始まろうとしていた———はずなのだが。
今日は朝からりおの表情がすぐれない。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
淹れたばかりのコーヒーを一口飲み、赤井はりおに声をかけた。
「え? あ、ううん。何でもないわ」
りおはわずかに微笑み、カフェオレを一口飲む。だが誰がどう見ても『何でもない』顔ではない。
金曜夕方に帰って来た時には変わった様子は無かった。夕食を食べ、遅くまでおしゃべりをして入浴し、夜は1週間ぶりにりおを抱いた。その後は一緒のベッドでくっついて眠った。それまで何も変わったことはない。
朝になって赤井が目を覚ました時には、りおはシャワーを浴びに行っていた。交代で自分がシャワーを浴び、朝食を作っていたりおと合流した時には、何となく彼女の表情が暗かった。
コーヒーを飲みながらチラリとりおの顔を覗き見る。
りおはカフェオレの湯気をぼんやり眺め、心ここにあらず……という顔をしていた。
(一体どうしたというんだ? 夜、寒かったか……?)
昨夜はムリをさせた自覚はある。二人で抱き合っていたとはいえ、その後は裸で寝てしまった。風邪を引かせてしまったのかもしれない。元気のない様子に、赤井はりおの体が心配になった。
「りお」
「……」
声をかけるが返事がない。相変わらず焦点が定まらず、ぼんやりとしている。
「りお?」
「……」
「おい、りお。聞いてるか?」
「えっ! あ、ハイ!」
「ハイじゃないだろう……。ココは警視庁じゃないぞ」
3度目でようやく返事をしたが、ぼんやりしていたせいか、まるで上司に名を呼ばれた時の様な返事をした。
「どうした? ぼんやりして。らしくないな。体調が悪いようなら、この後部屋に行って休むといい」
自分の前で無防備なのは嬉しいが、元気が無いのは心配だ。
「……なんでもない…ただ…無性に…」
「無性に? 無性にどうしたんだ?」
「…無性に…自分に腹が立つだけ!」
ガタンと大きな音を立ててりお立ち上がる。
「おい、りお。それはいったい……」
そこまで言いかけたところで、りおは泣きそうな顔で赤井を睨んだ。
「秀一さんには関係ない!!」
突然そう叫ぶと、クルリと体の向きを変え部屋を出ていく。
「りおっ! おい、どこへ行く気だ!?」
赤井の質問には答えず、りおはそのまま工藤邸を飛び出して行った。
いったいりおに何があったのか。昨日までとあまりに違う様子に赤井は戸惑う。
なんだか分からないが、取りあえず後を追わねば! そう思って赤井もリビングを飛び出したものの、よく考えれば今日は休日。まだ変装をしていない。
「くそっ!」
慌てて帽子とサングラスを手に取ると、りおからだいぶ遅れて工藤邸を出た。
門扉を開けてすぐ、左右を見回す。通りにはすでにりおの姿はない。
「どっちに行った? 一体どうしたというんだ!」
苛立ちと心配とで赤井は奥歯を噛みしめる。
「とりあえずアパート……いや、カギを持って出なかった。頼るところは……ボウヤの所かポアロか」
ポアロには居て欲しくないと思いながら、赤井は毛利探偵事務所に向かって走り出す。
その赤井の後姿を、りおは外壁の陰からコッソリ見送っていた。
赤井が行った方向と逆の方向へと歩き出したりおは、特に行く当てもなく、ゆっくりと歩き続けた。
30分程歩いて河川敷までたどり着く頃、ポツポツと雨が降り出す。
「あ~あ……。ついてないなぁ。さすがに傘持ってないや……」
感情的になって家を飛び出した。赤井が追ってくると踏んで一度は物陰に隠れたものの、さすがに傘を持って出るほど冷静ではなかったようだ。りおは恨めしそうに空を見上げる。
渦を巻くように鉛色の雨雲が空を覆い尽くす。冷たい雨が髪も服も濡らし、湿った重い空気が街を飲み込んでいく。それがまるで自分の心を映しているようで切なくなる。
雨脚が強くなるのを感じながら、りおは夕べの事を思い出した。
真夜中、ふと目が覚めた。
1週間ぶりに赤井と会って夕食を共にして、会えなかった時間を埋めるように抱き合った。まだ体にはその時の余韻が残っている。
隣に視線を移すと、赤井は無防備によく眠っていた。自分しか知らないこの姿。そう思うだけでとても幸せな気持ちになった。
しばらく眺めて「もうひと眠りしよう」と目を閉じた時、赤井が何か言ったのが聞こえた。
「寝言?」
何だろうと思い、再び彼の顔を覗き込む。その時はっきり聞こえた。
「あ…け……み…」
(明美? 宮野明美さんの事?)
赤井が組織潜入の為に利用した女性。FBIを引き入れたことで目を付けられ、ジンに殺された。そして——かつて赤井が愛した女性でもある。
途端に、胸の奥に自分でも驚くような嫉妬心が膨れ上がる。
(秀一さんの口から……聞きたくない!)
そう思いながら、自分にだって忘れられない人がいる事を思い出す。赤井がそれをとやかく言ったことは無い。
むしろスコッチを想う心も含めて、自分を愛してくれている。それなのに自分は——‼
自分の心の狭さに、醜さに腹が立った。しかし溢れる嫉妬心を押さえることが出来ず、りおは涙を流す。
(ごめん。秀一さん…ごめんね。私…酷い女よね……)
赤井の顔を直視できず、クルリと体の向きを変える。赤井に背を向け布団をかぶり、静かに泣き続けた。
ザザザ——
雨は先ほどより激しくなる。りおは土手の上で身じろぎ一つせず、ただ空を見つめ立ち尽くしていた。
りおが家を出て20分後。赤井はポアロの前まで来ていた。
さすがにこの姿ではポアロも探偵事務所も入れない。とりあえずコナンに電話を入れようと、ポケットからスマホを取り出した。すると——
「あ、あなた! 何やってるんですか!」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
振り向きざまに「ああ、あむ…」と、その人物の名を呼ぼうとしたが、そのまま腕を引っ張られて建物と建物の間に引きずり込まれた。
せまい路地でようやくその人物と顔を合わせる。
「やあ、安室君。こんな所で奇遇だな」
「奇遇も何も、ポアロの前ですよ。僕は仕事をしてたんです。あなたこそ、その姿で何やってるんですか! 組織にバレたらどうするんです!?」
安室は手に掃除道具を持ち、目を吊り上げている。
「す、すまん。さくらが……その、突然家を飛び出したものだから」
「え? さくらさんが? ケンカでもしたのですか?」
「それが……ケンカらしい事もしていないんだが、突然『自分に腹が立つ』と言い出して——」
赤井はそれまでの経緯を安室に話した。
「なるほど。それでコナンくんの所か、ポアロに来ているかもしれないと思って、ここに来たわけですね」
安室は納得したように腕を組んだ。
「残念ながらココには来ていません。今日は朝から蘭さんとコナンくんは園子さんと出かけましたし」
「そうか……」
当てが外れた赤井は肩を落とす。
「原因が分からないから、どうしたら良いのか見当もつかなくてね」
小さくため息をついた赤井を、安室はジッと見つめた。
夜寝るまで変わったところが無かった。朝起きたら様子がおかしかった。だったら、夜寝ている時に何かあったと考えるべきでは?
そう思った安室は、赤井に訊ねた。
「赤井。あなた……寝言を言う癖はありますか?」
「寝言? さあ……そんな事言われたことも無いが」
「そうですか……。まあ、自分が寝言を言うかなんて、本人が分かるわけないですしね」
う~ん……と言いながら、安室はアゴに手を当てる。
赤井もまた、何か考えているようだった。
「俺が夜中に、何かさくらの気に障る事を言ったのだろうか……」
まったく記憶がない赤井は、自分は何を口走ったのだろうと頭を抱える。
「『自分に腹が立つ』、とさくらさんは言ったんですね?」
「ああ」
「ッ! もしかして!」
何か思いついたのか、安室は目を見開き赤井の顔を見た。
「あくまで僕の想像ですが、あなた……別の女性の名前でも口走ったのではないですか? それに嫉妬してしまう自分に『腹が立つ』と……さくらさんは言ったのではないでしょうか?」
「ッ!?」
赤井は安室の言葉に酷く動揺した様子を見せる。
「そう……例えば、かつてあなたが利用した女性。《シェリー》の姉『宮野明美』。その名を口にしたのではないですか?」
「俺が……明美の名、を?」
「まだ憶測の域を出ませんが可能性はあります」
確かに時々明美の事を夢に見る。
妹と離れ離れにしてしまった事を詫びる自分。そして、あなたと本当の恋人になりたかったと微笑む彼女に、今の俺には心から大事にしたい女性がいると伝える夢だ。
夢の中でいつも自分がつぶやく言葉。その一部を実際に口走っていたとしたら——。
赤井は突然踵を返す。
「安室君、手間を取らせてすまなかった」
振り向いて礼を言うと、路地から通りへと飛び出し、そのまま風のようにどこかへ行ってしまった。
「まったく……。あの赤井が僕に恋愛相談とはね。人の気も知らないで……」
安室は大きなため息をつきながら路地を出ると、中断していた掃除を再開させた。
河川敷の土手で立ち尽くしていたりおは、ハッと我に返ると周りを見回した。幸い雨のせいで人影はない。
それでも傘も差さずにびしょ濡れの姿は、人目を引くだろう。どこか雨宿りできそうなところは無いかと周囲に注意を払う。
夕べ密かに泣いたせいなのか、それとも雨に濡れたせいなのか、頭が痛い。これはまずいな、と思いながら片方のこめかみを押さえてフラフラと歩き出すと、突然反対の手首を掴まれた。
「やっと見つけた!!」
りおは驚いて振り返る。
そこにはりおの手を掴み、もう片方は自身の膝に手をついてはぁはぁと息を切らした赤井がいた。
「しゅ、秀一さん!」
りおは目を見開き、赤井の名を叫んだ。なおも肩で息をしている赤井は体を起こし、そのままりおを抱きしめる。
「俺にはお前だけなんだ! 夜中に……俺が何…口走ったか知らない……が、それは…信じてくれ!」
息を切らして赤井は必死に気持ちを伝える。抱きしめる腕にも力が入った。
「秀一さん…ありがとう。でも違うの。あなたの事は信じてる。私は……自分が許せないのよ。あなたは私がスコッチの事を昇華しきれない時にも、そのままの私を愛してくれたわ。なのに私は……あなたの口から明美さんの名を聞いただけで、どうしようもなく嫉妬してしまったの。明美さんがあなたの心の中にいる。そう思うと、湧き上がるドロドロしたものを押さえられないの」
「!!」
りおの言葉を聞き、赤井はさらに強くりおを抱きしめた。
「りお…すまない…」
強く抱きしめたまま赤井は謝罪の言葉をつぶやく。
「悪いがお前のその言葉…すごく嬉しい……」
「え?」
嬉しい? 言葉の真意が分からず、りおは抱きしめられたまま赤井の顔を見上げる。
「お前が嫉妬するほど俺を愛してくれることが、嬉しくてたまらない!」
赤井は表情を歪ませ、りおの頬をそっと撫でると噛みつくようにキスを仕掛けた。
「ぅ、ん……」
「…は、……りお…」
雨が降りしきる中、誰もいない土手で二人は何度も角度を変えて口づける。
雨水を吸ってぐっしょりと濡れた赤井の服を、りおはぎゅっと掴んだ。
気温が低いせいか、キスの合間に漏れる息は白い。
体は体温を奪われて寒いのに、お互いが触れ合う場所だけが燃えるように熱く感じた。
やがて唇が離れると、赤井はりおの頬に触れるだけのキスを数回落とす。何回目かのキスの後、りおと目を合わせると微笑んだ。
「俺は聖人君子ではないぞ。スコッチを好きだというお前を丸ごと愛した? そんなおキレイなものじゃないんだよ。
『スコッチを忘れるくらい、俺に夢中にさせてやる』って思っていたんだ。いつか全部俺の物にする……ずっとそう思っていたんだよ。俺だって嫉妬深いんだ」
赤井はりおの濡れた髪を、そっと手でかき上げた。愛おしそうに親指でりおの顔に触れる。
「ずっと俺だけが嫉妬に狂っているんじゃないかと思っていた。この気持ちをお前に知られないように。良い男のフリをしていたんだ。それが、お前も嫉妬していると知って……叫びだしたいほど嬉しいよ」
「…こんな私でもいいの?」
りおは赤井を見上げる。濡れた顔に涙が一筋流れた。
「ああ。そんなお前が好きなんだ。だから、夢の中で明美に謝罪したんだよ」
「え?」
「俺が愛しているのはお前だ。だから明美には『すまない』と伝えた。俺が時々見る夢の中で……」
「え? じゃ、じゃあ、寝言で『明美』って呼んだのは……」
「『明美、すまない』その言葉の最初だけ声に出ていたのかもしれない」
誤解をさせて悪かった、と赤井はりおに謝った。
「私こそごめんなさい!」
りおは赤井が明美の名を呼んだ真相を知り、赤井の胸にしがみ付いた。そんなりおを赤井は嬉しそうに抱きしめる。
「さあ、風邪を引く前に帰ろう。一緒にシャワーを浴びて、一緒に温かい毛布に包まりたい。今日はもうお前を放してやれんかもしれん。この週末は俺と自堕落に過ごさないか?」
「うん。賛成…私もそうしたい」
「じゃあ決まりだな」
二人は体を離し、手を繋ぐと帰路についた。
==おまけ==
「こんにちは~」
「おや、コナンくん。いらっしゃい」
昴は驚くほど笑顔でコナンを出迎えた。いつもニコニコしているが、今日は2割増しくらいだろうか。
「昴さん月曜なのに機嫌良いね。いつもはさくらさんが帰った次の日って高確率で元気ないのに」
「え? そうですか? そんなつもりは無いのですが……」
コナンの言葉に昴は小首を傾げるが、そんな姿からも機嫌のよさがにじみ出ている。
「なんか良い事でもあったの?」
何となく想像は付くが、コナンはあえて訊ねてみた。
「まあ、無かったと言えば無かったですし、あったといえばありましたね」
(それは【あった】っていうんだよ!)
絶対さくらさんと良いことがあっただろうと、コナンはジロリと昴を見上げる。そんなことはお構いなしに、昴は相変わらずニコニコだ。
(やれやれ……つまり、ラブラブってやつですね)
ハハハと乾いた笑いを浮かべるコナンをよそに、この週はハチャメチャに機嫌の良い昴だった。
一週間ぶりに二人で過ごす週末は、決まって少し寝坊をして朝食を食べる。
その後、ひと通りの洗濯や掃除を終え、赤井はコーヒーを淹れ始めた。
コーヒーをドリップしている間にミルクを温め、砂糖抜きのカフェオレを作る。頭を空っぽにして愛する人の為だけにドリップする時間は、赤井にとって至極幸せな時間だ。
ペアカップに出来立てのコーヒーを注ぎ入れれば、二人のティータイムが始まる。
いつもと変わらない朝。いつもと変わらない幸せな週末が始まろうとしていた———はずなのだが。
今日は朝からりおの表情がすぐれない。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
淹れたばかりのコーヒーを一口飲み、赤井はりおに声をかけた。
「え? あ、ううん。何でもないわ」
りおはわずかに微笑み、カフェオレを一口飲む。だが誰がどう見ても『何でもない』顔ではない。
金曜夕方に帰って来た時には変わった様子は無かった。夕食を食べ、遅くまでおしゃべりをして入浴し、夜は1週間ぶりにりおを抱いた。その後は一緒のベッドでくっついて眠った。それまで何も変わったことはない。
朝になって赤井が目を覚ました時には、りおはシャワーを浴びに行っていた。交代で自分がシャワーを浴び、朝食を作っていたりおと合流した時には、何となく彼女の表情が暗かった。
コーヒーを飲みながらチラリとりおの顔を覗き見る。
りおはカフェオレの湯気をぼんやり眺め、心ここにあらず……という顔をしていた。
(一体どうしたというんだ? 夜、寒かったか……?)
昨夜はムリをさせた自覚はある。二人で抱き合っていたとはいえ、その後は裸で寝てしまった。風邪を引かせてしまったのかもしれない。元気のない様子に、赤井はりおの体が心配になった。
「りお」
「……」
声をかけるが返事がない。相変わらず焦点が定まらず、ぼんやりとしている。
「りお?」
「……」
「おい、りお。聞いてるか?」
「えっ! あ、ハイ!」
「ハイじゃないだろう……。ココは警視庁じゃないぞ」
3度目でようやく返事をしたが、ぼんやりしていたせいか、まるで上司に名を呼ばれた時の様な返事をした。
「どうした? ぼんやりして。らしくないな。体調が悪いようなら、この後部屋に行って休むといい」
自分の前で無防備なのは嬉しいが、元気が無いのは心配だ。
「……なんでもない…ただ…無性に…」
「無性に? 無性にどうしたんだ?」
「…無性に…自分に腹が立つだけ!」
ガタンと大きな音を立ててりお立ち上がる。
「おい、りお。それはいったい……」
そこまで言いかけたところで、りおは泣きそうな顔で赤井を睨んだ。
「秀一さんには関係ない!!」
突然そう叫ぶと、クルリと体の向きを変え部屋を出ていく。
「りおっ! おい、どこへ行く気だ!?」
赤井の質問には答えず、りおはそのまま工藤邸を飛び出して行った。
いったいりおに何があったのか。昨日までとあまりに違う様子に赤井は戸惑う。
なんだか分からないが、取りあえず後を追わねば! そう思って赤井もリビングを飛び出したものの、よく考えれば今日は休日。まだ変装をしていない。
「くそっ!」
慌てて帽子とサングラスを手に取ると、りおからだいぶ遅れて工藤邸を出た。
門扉を開けてすぐ、左右を見回す。通りにはすでにりおの姿はない。
「どっちに行った? 一体どうしたというんだ!」
苛立ちと心配とで赤井は奥歯を噛みしめる。
「とりあえずアパート……いや、カギを持って出なかった。頼るところは……ボウヤの所かポアロか」
ポアロには居て欲しくないと思いながら、赤井は毛利探偵事務所に向かって走り出す。
その赤井の後姿を、りおは外壁の陰からコッソリ見送っていた。
赤井が行った方向と逆の方向へと歩き出したりおは、特に行く当てもなく、ゆっくりと歩き続けた。
30分程歩いて河川敷までたどり着く頃、ポツポツと雨が降り出す。
「あ~あ……。ついてないなぁ。さすがに傘持ってないや……」
感情的になって家を飛び出した。赤井が追ってくると踏んで一度は物陰に隠れたものの、さすがに傘を持って出るほど冷静ではなかったようだ。りおは恨めしそうに空を見上げる。
渦を巻くように鉛色の雨雲が空を覆い尽くす。冷たい雨が髪も服も濡らし、湿った重い空気が街を飲み込んでいく。それがまるで自分の心を映しているようで切なくなる。
雨脚が強くなるのを感じながら、りおは夕べの事を思い出した。
真夜中、ふと目が覚めた。
1週間ぶりに赤井と会って夕食を共にして、会えなかった時間を埋めるように抱き合った。まだ体にはその時の余韻が残っている。
隣に視線を移すと、赤井は無防備によく眠っていた。自分しか知らないこの姿。そう思うだけでとても幸せな気持ちになった。
しばらく眺めて「もうひと眠りしよう」と目を閉じた時、赤井が何か言ったのが聞こえた。
「寝言?」
何だろうと思い、再び彼の顔を覗き込む。その時はっきり聞こえた。
「あ…け……み…」
(明美? 宮野明美さんの事?)
赤井が組織潜入の為に利用した女性。FBIを引き入れたことで目を付けられ、ジンに殺された。そして——かつて赤井が愛した女性でもある。
途端に、胸の奥に自分でも驚くような嫉妬心が膨れ上がる。
(秀一さんの口から……聞きたくない!)
そう思いながら、自分にだって忘れられない人がいる事を思い出す。赤井がそれをとやかく言ったことは無い。
むしろスコッチを想う心も含めて、自分を愛してくれている。それなのに自分は——‼
自分の心の狭さに、醜さに腹が立った。しかし溢れる嫉妬心を押さえることが出来ず、りおは涙を流す。
(ごめん。秀一さん…ごめんね。私…酷い女よね……)
赤井の顔を直視できず、クルリと体の向きを変える。赤井に背を向け布団をかぶり、静かに泣き続けた。
ザザザ——
雨は先ほどより激しくなる。りおは土手の上で身じろぎ一つせず、ただ空を見つめ立ち尽くしていた。
りおが家を出て20分後。赤井はポアロの前まで来ていた。
さすがにこの姿ではポアロも探偵事務所も入れない。とりあえずコナンに電話を入れようと、ポケットからスマホを取り出した。すると——
「あ、あなた! 何やってるんですか!」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
振り向きざまに「ああ、あむ…」と、その人物の名を呼ぼうとしたが、そのまま腕を引っ張られて建物と建物の間に引きずり込まれた。
せまい路地でようやくその人物と顔を合わせる。
「やあ、安室君。こんな所で奇遇だな」
「奇遇も何も、ポアロの前ですよ。僕は仕事をしてたんです。あなたこそ、その姿で何やってるんですか! 組織にバレたらどうするんです!?」
安室は手に掃除道具を持ち、目を吊り上げている。
「す、すまん。さくらが……その、突然家を飛び出したものだから」
「え? さくらさんが? ケンカでもしたのですか?」
「それが……ケンカらしい事もしていないんだが、突然『自分に腹が立つ』と言い出して——」
赤井はそれまでの経緯を安室に話した。
「なるほど。それでコナンくんの所か、ポアロに来ているかもしれないと思って、ここに来たわけですね」
安室は納得したように腕を組んだ。
「残念ながらココには来ていません。今日は朝から蘭さんとコナンくんは園子さんと出かけましたし」
「そうか……」
当てが外れた赤井は肩を落とす。
「原因が分からないから、どうしたら良いのか見当もつかなくてね」
小さくため息をついた赤井を、安室はジッと見つめた。
夜寝るまで変わったところが無かった。朝起きたら様子がおかしかった。だったら、夜寝ている時に何かあったと考えるべきでは?
そう思った安室は、赤井に訊ねた。
「赤井。あなた……寝言を言う癖はありますか?」
「寝言? さあ……そんな事言われたことも無いが」
「そうですか……。まあ、自分が寝言を言うかなんて、本人が分かるわけないですしね」
う~ん……と言いながら、安室はアゴに手を当てる。
赤井もまた、何か考えているようだった。
「俺が夜中に、何かさくらの気に障る事を言ったのだろうか……」
まったく記憶がない赤井は、自分は何を口走ったのだろうと頭を抱える。
「『自分に腹が立つ』、とさくらさんは言ったんですね?」
「ああ」
「ッ! もしかして!」
何か思いついたのか、安室は目を見開き赤井の顔を見た。
「あくまで僕の想像ですが、あなた……別の女性の名前でも口走ったのではないですか? それに嫉妬してしまう自分に『腹が立つ』と……さくらさんは言ったのではないでしょうか?」
「ッ!?」
赤井は安室の言葉に酷く動揺した様子を見せる。
「そう……例えば、かつてあなたが利用した女性。《シェリー》の姉『宮野明美』。その名を口にしたのではないですか?」
「俺が……明美の名、を?」
「まだ憶測の域を出ませんが可能性はあります」
確かに時々明美の事を夢に見る。
妹と離れ離れにしてしまった事を詫びる自分。そして、あなたと本当の恋人になりたかったと微笑む彼女に、今の俺には心から大事にしたい女性がいると伝える夢だ。
夢の中でいつも自分がつぶやく言葉。その一部を実際に口走っていたとしたら——。
赤井は突然踵を返す。
「安室君、手間を取らせてすまなかった」
振り向いて礼を言うと、路地から通りへと飛び出し、そのまま風のようにどこかへ行ってしまった。
「まったく……。あの赤井が僕に恋愛相談とはね。人の気も知らないで……」
安室は大きなため息をつきながら路地を出ると、中断していた掃除を再開させた。
河川敷の土手で立ち尽くしていたりおは、ハッと我に返ると周りを見回した。幸い雨のせいで人影はない。
それでも傘も差さずにびしょ濡れの姿は、人目を引くだろう。どこか雨宿りできそうなところは無いかと周囲に注意を払う。
夕べ密かに泣いたせいなのか、それとも雨に濡れたせいなのか、頭が痛い。これはまずいな、と思いながら片方のこめかみを押さえてフラフラと歩き出すと、突然反対の手首を掴まれた。
「やっと見つけた!!」
りおは驚いて振り返る。
そこにはりおの手を掴み、もう片方は自身の膝に手をついてはぁはぁと息を切らした赤井がいた。
「しゅ、秀一さん!」
りおは目を見開き、赤井の名を叫んだ。なおも肩で息をしている赤井は体を起こし、そのままりおを抱きしめる。
「俺にはお前だけなんだ! 夜中に……俺が何…口走ったか知らない……が、それは…信じてくれ!」
息を切らして赤井は必死に気持ちを伝える。抱きしめる腕にも力が入った。
「秀一さん…ありがとう。でも違うの。あなたの事は信じてる。私は……自分が許せないのよ。あなたは私がスコッチの事を昇華しきれない時にも、そのままの私を愛してくれたわ。なのに私は……あなたの口から明美さんの名を聞いただけで、どうしようもなく嫉妬してしまったの。明美さんがあなたの心の中にいる。そう思うと、湧き上がるドロドロしたものを押さえられないの」
「!!」
りおの言葉を聞き、赤井はさらに強くりおを抱きしめた。
「りお…すまない…」
強く抱きしめたまま赤井は謝罪の言葉をつぶやく。
「悪いがお前のその言葉…すごく嬉しい……」
「え?」
嬉しい? 言葉の真意が分からず、りおは抱きしめられたまま赤井の顔を見上げる。
「お前が嫉妬するほど俺を愛してくれることが、嬉しくてたまらない!」
赤井は表情を歪ませ、りおの頬をそっと撫でると噛みつくようにキスを仕掛けた。
「ぅ、ん……」
「…は、……りお…」
雨が降りしきる中、誰もいない土手で二人は何度も角度を変えて口づける。
雨水を吸ってぐっしょりと濡れた赤井の服を、りおはぎゅっと掴んだ。
気温が低いせいか、キスの合間に漏れる息は白い。
体は体温を奪われて寒いのに、お互いが触れ合う場所だけが燃えるように熱く感じた。
やがて唇が離れると、赤井はりおの頬に触れるだけのキスを数回落とす。何回目かのキスの後、りおと目を合わせると微笑んだ。
「俺は聖人君子ではないぞ。スコッチを好きだというお前を丸ごと愛した? そんなおキレイなものじゃないんだよ。
『スコッチを忘れるくらい、俺に夢中にさせてやる』って思っていたんだ。いつか全部俺の物にする……ずっとそう思っていたんだよ。俺だって嫉妬深いんだ」
赤井はりおの濡れた髪を、そっと手でかき上げた。愛おしそうに親指でりおの顔に触れる。
「ずっと俺だけが嫉妬に狂っているんじゃないかと思っていた。この気持ちをお前に知られないように。良い男のフリをしていたんだ。それが、お前も嫉妬していると知って……叫びだしたいほど嬉しいよ」
「…こんな私でもいいの?」
りおは赤井を見上げる。濡れた顔に涙が一筋流れた。
「ああ。そんなお前が好きなんだ。だから、夢の中で明美に謝罪したんだよ」
「え?」
「俺が愛しているのはお前だ。だから明美には『すまない』と伝えた。俺が時々見る夢の中で……」
「え? じゃ、じゃあ、寝言で『明美』って呼んだのは……」
「『明美、すまない』その言葉の最初だけ声に出ていたのかもしれない」
誤解をさせて悪かった、と赤井はりおに謝った。
「私こそごめんなさい!」
りおは赤井が明美の名を呼んだ真相を知り、赤井の胸にしがみ付いた。そんなりおを赤井は嬉しそうに抱きしめる。
「さあ、風邪を引く前に帰ろう。一緒にシャワーを浴びて、一緒に温かい毛布に包まりたい。今日はもうお前を放してやれんかもしれん。この週末は俺と自堕落に過ごさないか?」
「うん。賛成…私もそうしたい」
「じゃあ決まりだな」
二人は体を離し、手を繋ぐと帰路についた。
==おまけ==
「こんにちは~」
「おや、コナンくん。いらっしゃい」
昴は驚くほど笑顔でコナンを出迎えた。いつもニコニコしているが、今日は2割増しくらいだろうか。
「昴さん月曜なのに機嫌良いね。いつもはさくらさんが帰った次の日って高確率で元気ないのに」
「え? そうですか? そんなつもりは無いのですが……」
コナンの言葉に昴は小首を傾げるが、そんな姿からも機嫌のよさがにじみ出ている。
「なんか良い事でもあったの?」
何となく想像は付くが、コナンはあえて訊ねてみた。
「まあ、無かったと言えば無かったですし、あったといえばありましたね」
(それは【あった】っていうんだよ!)
絶対さくらさんと良いことがあっただろうと、コナンはジロリと昴を見上げる。そんなことはお構いなしに、昴は相変わらずニコニコだ。
(やれやれ……つまり、ラブラブってやつですね)
ハハハと乾いた笑いを浮かべるコナンをよそに、この週はハチャメチャに機嫌の良い昴だった。