ペリドットとアンバー短編集
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空はどんよりとした厚い雲が広がり、低い雲は強風に煽られてかなりのスピードで流されていた。
今日は朝からほとんど気温が上がらず、東都大の学生たちはみんな肩をすくめて建物間を移動している。
時々吹き付ける突風で、理学部の窓もガタガタと音を立てる。
未明から発達した低気圧が関東に近づいていた。
やがてポツポツと大きな雨粒がアスファルトに丸い跡を付け、ザーッと強く降り出した。
「あ~…降ってきましたね」
研究生の一人が顔を上げ、窓の外を見た。
「今夜は嵐になると天気予報で言ってたね。
実験もひと段落したし、電車が止まる前に帰った方が良さそうだ」
森教授はチェックしていたレポートを置くと、その場にいる全員に声をかけた。
それから30分後——
実験室の片付けを終えた研究生と教授、そしてさくらは各自のロッカーの前で手早く帰宅の準備を進める。
いつもならおしゃべりをしながらなので、ゆうに10分はかかる準備も今日は5分とかからず身支度を整える。
「お疲れ、気を付けて」とお互い声を掛け合い、皆足早に研究室を出た。
ザーザーと激しく降る雨を、さくらは理学部の玄関で恨めしそうに見上げた。
今朝出勤する時、「夕方は雨がひどいだろうから迎えに行く」と赤井から言われていた。しかし思ったよりも雨が早く降り出したことから、教授が気を利かせたため帰宅が早まり、今の時刻は夕方4時。
「今日はこの時間、哀ちゃんの警護で出るって言ってたわね。その足で大学に迎えに来るって言ってたけど……。予定よりだいぶ早くなっちゃったから、連絡して歩いて帰ろ」
さくらはスマホを取り出し、昴にメールを送った。
『送信完了』の文字を見て、スマホをバッグに仕舞う。
「さてと。気合いを入れて帰りますか」
さくらは傘を広げ、雨の中を歩き出した。
雨のせいか人通りもまばらな通りを歩く。
激しい雨は強風で横殴り状態。右に左に容赦なく雨粒が降りつけ、さくらの体を濡らす。傘など何の役にも立たない。
(今日の雨は台風並みね)
さくらは傘が飛んで行ってしまわないように強く柄を握りしめた。
カンカンカンカン…
前方で踏切警報器の音が鳴り響いた。
雨で白く煙る中、ボンヤリと赤いランプが明滅している。
(あ~あ、ついてないなぁ……)
こんな嵐の中、足止めを食らうとは……。
冷たい風雨をまともに受けながら、さくらはがっかりしたように白い息を吐く。
黄色い遮断機が降りるのが見えた時、ふと踏切内に何か動く影を見つけた。
「?」
イヤな予感がして踏切に駆け寄る。
「え? 誰か……いる?!」
よく見ると一人のおばあさんが傘をさし、踏切内で立ち往生しているではないか。
どうやら押していたシルバーカーの車輪が線路の隙間に挟まってしまったらしい。
ファン……
遠くから電車の音が聞こえた。
「ま、マズイわ……もう電車が来る!!」
さくらは傘を放り投げ、すぐに踏切の脇にある緊急ボタンを押した。
そのまま踏切内に侵入し、おばあさんの元へと駆け寄る。
(雨で電車はスリップする可能性が高い! この距離で急ブレーキをかけても間に合うか……)
さくらはおばあさんに声をかける。が、返事を待つ時間は無い。
小柄なおばあさんの肩を抱き、半ば強制的に線路の向こう側へと走った。
キキキキキ———ッ!!!
電車の急ブレーキ音が鳴り響く。
二人が踏切を渡り終えた直後、電車はレールの上をスリップしながら通り過ぎた。
グワシャッ!!
シルバーカーは無残にも、電車の下敷きになり大きくひしゃげた。
「お怪我はありませんかッ!」
ようやく止まった電車から運転手が慌てて飛び降り、二人に駆け寄った。
おばあさんはさくらにしがみ付き、シルバーカーを見つめて震えている。
「私は大丈夫です。おばあさんもケガはありませんが、無理やり引っ張って来てしまったので一応検査を……」
「分かりました。すぐ手配します」
運転手はスマホを取り出し、会社に連絡を入れる。職員がすぐに駆けつけた。
さくらは雨の中、白い息を吐きながら状況を職員たちに説明をする。
その間も、激しい雨は容赦なくさくらの体を濡らしていた。
***
さくらのメールを読んだ昴は、車の中でため息をついた。
こんな雨の日に限ってタイミングが悪い。
すぐに迎えに行ってやりたいが、今日は博士と哀が連れ立って発明品の修理に出掛けている。
二人が阿笠邸に戻るまで、持ち場を離れるわけにはいかない。
酷くなる一方の雨を、昴はフロントガラス越しに見上げた。
ようやく発明品の修理が終わり、阿笠博士と哀が帰宅したのが夕方5時半。
二人が家の中に入ったのを確認して、昴は車を敷地内へ駐車した。
この時間であれば、りおはもう帰ってきているだろう。
昴は車から降り、傘を広げる。強風で傘は今にも飛んでいきそうだ。
「?」
なんとか玄関にたどり着き、傘をたたむが工藤邸には明かりがついていない。
「おかしいな。りおはまだ帰ってないのか。こんな嵐なのに……買い物でもしてくるのか?」
昴はポケットからカギを取り出すと鍵穴に差し込んだ。
「ッ?!」
玄関のカギが開いている事に気付き、昴の表情がサッと変わった。
家を出る時、確かに施錠した。
傘立てに傘はない。つまり、りおが帰宅したわけでもない。
とすれば……可能性は一つ。
(誰かが侵入したか?)
昴はそっとドアノブに手を伸ばし、静かにドアを開けた。
ギィ……
ドアが開いた瞬間———
「りおッ!!」
目に飛び込んできた光景に、昴は思わず叫んだ。
そこにはびしょ濡れのりおが靴を履いたまま倒れていたからだ。
「りお! こ、これはいったい……」
昴は慌ててりおを抱き起す。
「!」
ガタガタと震えるりおの顔は真っ青だった。
どこかケガでもしているのかと思ったが、そうではないらしい。ただ、異様なほど体が冷たい。
「りおッ! 私が分かりますか?」
昴はりおの頬を軽く叩いた。
「…す…ば…」
りおはわずかに目を開け、昴の名を呼んだ。
「りお、いったい何があったんです?」
昴は問いかけながら、ほかに異常はないか確認した。
「踏切で…動けなく…なって…る…おばあさ…助け…」
りおは途切れ途切れに、踏切での事を話した。
「ッ! それでびしょ濡れのまま帰って来たのか!?」
今日は気温も低い上に激しい雨と強風。濡れた体は風に煽られ、急激に体温を奪われたのだろう。
「低体温症だ。とにかく服を脱いで。このままではさらに体温を奪われる」
昴はりおを抱き上げ、玄関を上がるとそのまま洗面所へと急ぐ。
洗面所の床にりおを寝かせるとタオルを引っ掴んだ。
「りお、服脱げますか?」
「う…ん…は、…はぁ…はぁ…」
りおはジャケットのボタンを外し腕を抜こうとするが、濡れているせいでなかなか脱げない。昴も手を貸し、なんとかジャケットを脱ぐ事ができた。
「次はシャツだ。りお、もうちょっと頑張れるか?」
昴はシャツのボタンを外しながら声をかける。すでに昴を演じる余裕はない。
「おい、りお! 大丈夫か?!」
りおの体を起こし腕を抜こうとするが、先程とは違ってりおは全く動こうとしない。
「ッ! 意識がない……しかも震えが止まってる。マズイな」
昴は眉根を寄せた。
通常低体温症になると初期は体が震え、呼吸数や心拍数が上がる。
体が体温をあげようとするからだ。
しかし症状が進むと震えは止まり、呼吸数も心拍数も下がって意識混濁が始まる。
さらに重症化すれば心臓が止まってしまう。
低体温症は決して侮(あなど)ってはいけないのだ。
昴はりおのシャツに手を掛ける。
意識のない人間の服を脱がせることは、昴であっても容易ではない。
しかも時間をかけるわけにもいかない。
昴はりおの体の向きを何度か変えてシャツを脱がせ、スカートも下着も、濡れているものは全て取り除いた。
白い肌が低体温のせいで余計に白い。
乾いたタオルで水分をふき取り、バスタオルでりおを包むと昴は急いで寝室へ運んだ。
寝室に入ってすぐ、ベッドにある毛布を引っ張り出し、りおの体をすっぽり包んだ。
りおを抱いたまま昴はベッドに腰かけ、さらに布団をりおの体に掛けて体をさする。
時折毛布の中に手を入れ、体温が上がってきているか確かめた。
「くそ…ダメだ。体温が上がってこない。ここまで体温が下がってしまうと、急激に温めるのも危険だ」
昴は奥歯を噛みしめる。
「あとで…怒るなよ…」
意識のないりおに声をかけ、昴はりおをベッドに寝かせた。
さらにメガネを外し、ウィッグとチョーカーをサイドテーブルに置くと、自身の服を脱ぐ。
上半身裸になったところで、赤井はりおの隣に寝ころび、布団を上からかけた。
布団の中で赤井はりおを包んでいる毛布とタオルを広げると、冷たいりおの体を抱きしめた。
出来るだけ肌と肌を密着させ、背中側は毛布をかけた状態で何度もさする。
「りお…死ぬなよ…」
赤井はりおを抱きしめたまま、何度もそうつぶやいた。
ふと、戸隠の崖の下で抱き合ったことを思い出す。
「あの時はお前が温めてくれたな…」
崖下でお互いを温め合いながらキスをした。
周りは凍えるほど寒かったのに、心は満たされていた。
あの日りおと触れ合う肌だけはとても温かかったのに……。
今、密着するりおの肌は何処もかしこも冷たい。まるで死んでしまったかのような冷たさに赤井の心が凍る。
「りお……りお……」
祈るように名を呼ぶ。
赤井の大きな手が、りおの背中を何度も往復した。
時間が経つにつれ、布団の中は赤井の体温で温かくなる。
触れ合う肌も熱を移し、冷たかったりおの体も徐々に温まってきていた。
一度下がってしまった体温を元に戻すのは容易ではないが、それでも一応の危機は脱したかのように見えた。
赤井は自分の胸元にりおを抱えたまま、もう一度名を呼んだ。
「りお…?」
「…ん…」
赤井の声にりおの体がピクリと反応し、わずかだが声を発した。
「りお…俺が分かるか?」
さらに声をかけると再びりおは反応を見せ、ゆっくりと目を開けた。
「しゅ…ち……さ」
掠れた声で、りおは赤井の名を呼んだ。
「…良かった…! 意識が…」
赤井がそうつぶやいた時、零れ落ちたのは安堵の言葉だけではなかった。
ポトッ…
ペリドットの目から涙が一筋頬を伝って落ちた。
りおは驚き、目を見開く。
「しゅ…ちさ…なん…で…泣い…て…」
「お前の…せい…だよ」
赤井はりおの肩に額を付け、震える声でそう答えた。
翌日———
意識がハッキリしたりおは、散々赤井に説教され、雨の日は外出禁止令が出された。
りおはニコニコしながら赤井の提案を受け入れた。
(そうは言っても、子どもじゃないんだから……雨の日に外出禁止だなんて実質無理でしょ!)
りおの事になると時々赤井の思考はバグる。
もちろんりおを心配しての事なのだが。
りおは笑顔のまま、心の中でツッコミを入れた。
だが、今口答えをすれば間違いなく説教が伸びる。それは絶対に避けたい。
「良い笑顔過ぎて、逆に疑いたくなるな」
赤井はジロリとりおの顔を見る。
「そんな、滅相もございません」
「その言い方…絶対納得してないだろ」
大人二人の(子どものような)攻防戦が繰り広げられる中、窓の外では太陽が顔を出す。
物干しには鉄道会社から届けられたりおの傘と、赤井の傘が仲良く揺れていた。
今日は朝からほとんど気温が上がらず、東都大の学生たちはみんな肩をすくめて建物間を移動している。
時々吹き付ける突風で、理学部の窓もガタガタと音を立てる。
未明から発達した低気圧が関東に近づいていた。
やがてポツポツと大きな雨粒がアスファルトに丸い跡を付け、ザーッと強く降り出した。
「あ~…降ってきましたね」
研究生の一人が顔を上げ、窓の外を見た。
「今夜は嵐になると天気予報で言ってたね。
実験もひと段落したし、電車が止まる前に帰った方が良さそうだ」
森教授はチェックしていたレポートを置くと、その場にいる全員に声をかけた。
それから30分後——
実験室の片付けを終えた研究生と教授、そしてさくらは各自のロッカーの前で手早く帰宅の準備を進める。
いつもならおしゃべりをしながらなので、ゆうに10分はかかる準備も今日は5分とかからず身支度を整える。
「お疲れ、気を付けて」とお互い声を掛け合い、皆足早に研究室を出た。
ザーザーと激しく降る雨を、さくらは理学部の玄関で恨めしそうに見上げた。
今朝出勤する時、「夕方は雨がひどいだろうから迎えに行く」と赤井から言われていた。しかし思ったよりも雨が早く降り出したことから、教授が気を利かせたため帰宅が早まり、今の時刻は夕方4時。
「今日はこの時間、哀ちゃんの警護で出るって言ってたわね。その足で大学に迎えに来るって言ってたけど……。予定よりだいぶ早くなっちゃったから、連絡して歩いて帰ろ」
さくらはスマホを取り出し、昴にメールを送った。
『送信完了』の文字を見て、スマホをバッグに仕舞う。
「さてと。気合いを入れて帰りますか」
さくらは傘を広げ、雨の中を歩き出した。
雨のせいか人通りもまばらな通りを歩く。
激しい雨は強風で横殴り状態。右に左に容赦なく雨粒が降りつけ、さくらの体を濡らす。傘など何の役にも立たない。
(今日の雨は台風並みね)
さくらは傘が飛んで行ってしまわないように強く柄を握りしめた。
カンカンカンカン…
前方で踏切警報器の音が鳴り響いた。
雨で白く煙る中、ボンヤリと赤いランプが明滅している。
(あ~あ、ついてないなぁ……)
こんな嵐の中、足止めを食らうとは……。
冷たい風雨をまともに受けながら、さくらはがっかりしたように白い息を吐く。
黄色い遮断機が降りるのが見えた時、ふと踏切内に何か動く影を見つけた。
「?」
イヤな予感がして踏切に駆け寄る。
「え? 誰か……いる?!」
よく見ると一人のおばあさんが傘をさし、踏切内で立ち往生しているではないか。
どうやら押していたシルバーカーの車輪が線路の隙間に挟まってしまったらしい。
ファン……
遠くから電車の音が聞こえた。
「ま、マズイわ……もう電車が来る!!」
さくらは傘を放り投げ、すぐに踏切の脇にある緊急ボタンを押した。
そのまま踏切内に侵入し、おばあさんの元へと駆け寄る。
(雨で電車はスリップする可能性が高い! この距離で急ブレーキをかけても間に合うか……)
さくらはおばあさんに声をかける。が、返事を待つ時間は無い。
小柄なおばあさんの肩を抱き、半ば強制的に線路の向こう側へと走った。
キキキキキ———ッ!!!
電車の急ブレーキ音が鳴り響く。
二人が踏切を渡り終えた直後、電車はレールの上をスリップしながら通り過ぎた。
グワシャッ!!
シルバーカーは無残にも、電車の下敷きになり大きくひしゃげた。
「お怪我はありませんかッ!」
ようやく止まった電車から運転手が慌てて飛び降り、二人に駆け寄った。
おばあさんはさくらにしがみ付き、シルバーカーを見つめて震えている。
「私は大丈夫です。おばあさんもケガはありませんが、無理やり引っ張って来てしまったので一応検査を……」
「分かりました。すぐ手配します」
運転手はスマホを取り出し、会社に連絡を入れる。職員がすぐに駆けつけた。
さくらは雨の中、白い息を吐きながら状況を職員たちに説明をする。
その間も、激しい雨は容赦なくさくらの体を濡らしていた。
***
さくらのメールを読んだ昴は、車の中でため息をついた。
こんな雨の日に限ってタイミングが悪い。
すぐに迎えに行ってやりたいが、今日は博士と哀が連れ立って発明品の修理に出掛けている。
二人が阿笠邸に戻るまで、持ち場を離れるわけにはいかない。
酷くなる一方の雨を、昴はフロントガラス越しに見上げた。
ようやく発明品の修理が終わり、阿笠博士と哀が帰宅したのが夕方5時半。
二人が家の中に入ったのを確認して、昴は車を敷地内へ駐車した。
この時間であれば、りおはもう帰ってきているだろう。
昴は車から降り、傘を広げる。強風で傘は今にも飛んでいきそうだ。
「?」
なんとか玄関にたどり着き、傘をたたむが工藤邸には明かりがついていない。
「おかしいな。りおはまだ帰ってないのか。こんな嵐なのに……買い物でもしてくるのか?」
昴はポケットからカギを取り出すと鍵穴に差し込んだ。
「ッ?!」
玄関のカギが開いている事に気付き、昴の表情がサッと変わった。
家を出る時、確かに施錠した。
傘立てに傘はない。つまり、りおが帰宅したわけでもない。
とすれば……可能性は一つ。
(誰かが侵入したか?)
昴はそっとドアノブに手を伸ばし、静かにドアを開けた。
ギィ……
ドアが開いた瞬間———
「りおッ!!」
目に飛び込んできた光景に、昴は思わず叫んだ。
そこにはびしょ濡れのりおが靴を履いたまま倒れていたからだ。
「りお! こ、これはいったい……」
昴は慌ててりおを抱き起す。
「!」
ガタガタと震えるりおの顔は真っ青だった。
どこかケガでもしているのかと思ったが、そうではないらしい。ただ、異様なほど体が冷たい。
「りおッ! 私が分かりますか?」
昴はりおの頬を軽く叩いた。
「…す…ば…」
りおはわずかに目を開け、昴の名を呼んだ。
「りお、いったい何があったんです?」
昴は問いかけながら、ほかに異常はないか確認した。
「踏切で…動けなく…なって…る…おばあさ…助け…」
りおは途切れ途切れに、踏切での事を話した。
「ッ! それでびしょ濡れのまま帰って来たのか!?」
今日は気温も低い上に激しい雨と強風。濡れた体は風に煽られ、急激に体温を奪われたのだろう。
「低体温症だ。とにかく服を脱いで。このままではさらに体温を奪われる」
昴はりおを抱き上げ、玄関を上がるとそのまま洗面所へと急ぐ。
洗面所の床にりおを寝かせるとタオルを引っ掴んだ。
「りお、服脱げますか?」
「う…ん…は、…はぁ…はぁ…」
りおはジャケットのボタンを外し腕を抜こうとするが、濡れているせいでなかなか脱げない。昴も手を貸し、なんとかジャケットを脱ぐ事ができた。
「次はシャツだ。りお、もうちょっと頑張れるか?」
昴はシャツのボタンを外しながら声をかける。すでに昴を演じる余裕はない。
「おい、りお! 大丈夫か?!」
りおの体を起こし腕を抜こうとするが、先程とは違ってりおは全く動こうとしない。
「ッ! 意識がない……しかも震えが止まってる。マズイな」
昴は眉根を寄せた。
通常低体温症になると初期は体が震え、呼吸数や心拍数が上がる。
体が体温をあげようとするからだ。
しかし症状が進むと震えは止まり、呼吸数も心拍数も下がって意識混濁が始まる。
さらに重症化すれば心臓が止まってしまう。
低体温症は決して侮(あなど)ってはいけないのだ。
昴はりおのシャツに手を掛ける。
意識のない人間の服を脱がせることは、昴であっても容易ではない。
しかも時間をかけるわけにもいかない。
昴はりおの体の向きを何度か変えてシャツを脱がせ、スカートも下着も、濡れているものは全て取り除いた。
白い肌が低体温のせいで余計に白い。
乾いたタオルで水分をふき取り、バスタオルでりおを包むと昴は急いで寝室へ運んだ。
寝室に入ってすぐ、ベッドにある毛布を引っ張り出し、りおの体をすっぽり包んだ。
りおを抱いたまま昴はベッドに腰かけ、さらに布団をりおの体に掛けて体をさする。
時折毛布の中に手を入れ、体温が上がってきているか確かめた。
「くそ…ダメだ。体温が上がってこない。ここまで体温が下がってしまうと、急激に温めるのも危険だ」
昴は奥歯を噛みしめる。
「あとで…怒るなよ…」
意識のないりおに声をかけ、昴はりおをベッドに寝かせた。
さらにメガネを外し、ウィッグとチョーカーをサイドテーブルに置くと、自身の服を脱ぐ。
上半身裸になったところで、赤井はりおの隣に寝ころび、布団を上からかけた。
布団の中で赤井はりおを包んでいる毛布とタオルを広げると、冷たいりおの体を抱きしめた。
出来るだけ肌と肌を密着させ、背中側は毛布をかけた状態で何度もさする。
「りお…死ぬなよ…」
赤井はりおを抱きしめたまま、何度もそうつぶやいた。
ふと、戸隠の崖の下で抱き合ったことを思い出す。
「あの時はお前が温めてくれたな…」
崖下でお互いを温め合いながらキスをした。
周りは凍えるほど寒かったのに、心は満たされていた。
あの日りおと触れ合う肌だけはとても温かかったのに……。
今、密着するりおの肌は何処もかしこも冷たい。まるで死んでしまったかのような冷たさに赤井の心が凍る。
「りお……りお……」
祈るように名を呼ぶ。
赤井の大きな手が、りおの背中を何度も往復した。
時間が経つにつれ、布団の中は赤井の体温で温かくなる。
触れ合う肌も熱を移し、冷たかったりおの体も徐々に温まってきていた。
一度下がってしまった体温を元に戻すのは容易ではないが、それでも一応の危機は脱したかのように見えた。
赤井は自分の胸元にりおを抱えたまま、もう一度名を呼んだ。
「りお…?」
「…ん…」
赤井の声にりおの体がピクリと反応し、わずかだが声を発した。
「りお…俺が分かるか?」
さらに声をかけると再びりおは反応を見せ、ゆっくりと目を開けた。
「しゅ…ち……さ」
掠れた声で、りおは赤井の名を呼んだ。
「…良かった…! 意識が…」
赤井がそうつぶやいた時、零れ落ちたのは安堵の言葉だけではなかった。
ポトッ…
ペリドットの目から涙が一筋頬を伝って落ちた。
りおは驚き、目を見開く。
「しゅ…ちさ…なん…で…泣い…て…」
「お前の…せい…だよ」
赤井はりおの肩に額を付け、震える声でそう答えた。
翌日———
意識がハッキリしたりおは、散々赤井に説教され、雨の日は外出禁止令が出された。
りおはニコニコしながら赤井の提案を受け入れた。
(そうは言っても、子どもじゃないんだから……雨の日に外出禁止だなんて実質無理でしょ!)
りおの事になると時々赤井の思考はバグる。
もちろんりおを心配しての事なのだが。
りおは笑顔のまま、心の中でツッコミを入れた。
だが、今口答えをすれば間違いなく説教が伸びる。それは絶対に避けたい。
「良い笑顔過ぎて、逆に疑いたくなるな」
赤井はジロリとりおの顔を見る。
「そんな、滅相もございません」
「その言い方…絶対納得してないだろ」
大人二人の(子どものような)攻防戦が繰り広げられる中、窓の外では太陽が顔を出す。
物干しには鉄道会社から届けられたりおの傘と、赤井の傘が仲良く揺れていた。