ペリドットとアンバー短編集
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オドゥムの刺客による報復対策で、りおはまだ工藤邸で過ごしている。
今日は自分のアパートにいったん戻り、着替えを取りに来ていた。
工藤邸へ向かう道すがら、見慣れた人影がこちらに歩いてくるのが見えた。
「あれ? さくらさんじゃないか!」
「あら、世良さん。こんにちは、久しぶりね」
世良真純に会うのは本当に久しぶり。夏休みに恋バナをして以来だ。
「どうしたんだ? 今日は土曜日。昴さんの所じゃないのか?」
屈託のない笑顔を向け、世良はさくらに問いかけた。
「ええ。この後行く予定なの」
「ふ~ん。その荷物の量…さてはお泊り?」
「ッ! ま、まあ…。ちょっと体調も悪くて、ここしばらく工藤邸にお世話になってるのよ」
さすがに刺客を警戒して工藤邸にいる…とは言えなかった。
「ええっ! そうなのか? なのに一人で出歩いてて大丈夫なのか? ボクが荷物持ってやるよ」
世良はさくらの荷物をヒョイと持つと、そのまま工藤邸へと歩き始めた。
「え? 私なら大丈夫よ。あなたも用事があってここにいたんでしょう?」
やんわりとお断りをしたつもりだったが、その言葉はどうやら聞こえなかったようだ。
さくらはため息をついて、そのまま世良の背中を追いかけた。
二人で肩を並べ、他愛もないおしゃべりで時々笑い合いながら住宅街を歩く。
工藤邸の門扉まであと少しというところで、
「夏の推理の件だけど……」と、突然世良がさくらに声をかけた。
「あれからずっと考えてたんだけど、やっぱり駅で会ったのはさくらさんだと思うんだ。瞳だけじゃなくて声も似ているんだよね」
世良の言葉にさくらはドキリとするが、一切態度には出さない。
「そうなの? 私は駅であなたと会った記憶は無いけど……」
あくまでシラを切り通す。
「じゃあさ、ボクのことは覚えていなくても、秀兄の事は知ってる?」
世良はさくらの表情を伺いながら、尚もしつこく探りを入れてきた。
「秀兄という人に会ったことも無いし、分からないわ。それよりも――」
話題を変えようと世良の方へ顔を向けた時、さくらは思わず目を見張る。
世良の顔は先ほどまでの穏やかな表情とは打って変わって真剣そのもので、なんとしても兄の事を知りたいという強い意志が垣間見えた。
「ッ!」
思わず目をそらしてしまった。
「じゃ、じゃあ、100歩譲って私がその《秀兄》を知っていたとしたらどうするの?
そのお兄さんはすでに亡くなっているんでしょう?」
世良が兄の事を知ってどうしたいのか。
まずはそれを知ってから対策を考えるべきだ。さくらは世良に向かって単刀直入に問いかけた。
「ボクね、秀兄とは兄妹といっても一緒に暮らしたことがほとんど無いんだ。
どんな食べ物が好きかとか、どんな生活をしていたのかとか、好きな女性のタイプも知らない。
すぐ上の兄や母親は、秀兄のこと良く分かってるのに。ボクだけ知らないんだ……」
そう話す世良の顔は寂しそうだった。
「ボクが唯一知ってる秀兄は、とても強くて頭が良くて、クールだけど優しくて……。
だから、死んだなんて嘘だ。秀兄が死ぬはずがない!絶対に‼」
今にも泣き出しそうな顔で、思いを噛みしめるように言葉を紡ぐ。
兄への強い『愛情』と『悲しみ』を感じてさくらは心が痛んだ。
「だから、ボクの知らない秀兄をもっと知って、今一体何をしているのか、どこにいるのか探し当てるんだ。
秀兄は死んでない……必ずどこかで生きているって信じてる」
世良の言葉は、彼女の意志の強さを物語っていた。
(強い子ね……)
さくらは目を閉じた。かつて自分も赤井秀一の死に衝撃を受けた一人だ。世良の気持ちは痛いほどわかる。
だが、『秀兄を探し出す』という彼女の思いを知れば知るほど、彼が生きていることを知らせるわけにはいかない。
そうしなければならないほど、組織の闇は深い。
(いつかその思いは報われるわ……それまで…ごめんね)
さくらはそっと心の中で謝った。
「だから! もし秀兄のこと知ってるんだったら…ッ!」
「ごめんなさい」
さくらはうつむいたまま謝罪する。
「残念だけど……本当に知らないの。力になれなくて…ごめんなさいね」
「そ、そんなはずないッ!!」
世良はさくらの両肩に掴みかかった。
ドンッ!
その勢いでさくらは外壁に背中を打ち付けた。
「ッ!」
「お願いだ!! 本当の事を話して! さくらさん! あなたは秀兄を知ってるはずだ!」
世良の手に力が入る。
さくらの肩と背中にジワジワと痛みが走った。
「その根拠は何ですか?」
突然世良の背後から声が聞こえた。
「ッ! 昴さん!」
「二人とも。家の前で何をやっているんです?」
ニコニコ笑顔を向けているが、その笑顔の下はかなりの怒りを秘めていると世良はすぐに分かった。
「ああ。ごめんね、昴さん。あなたの大切な人に手を上げて。ボクの知りたいことをなかなか教えてくれないから、つい…ね」
鋭い眼差しを昴に向けながら、世良は謝罪した。
口では謝ってはいるものの、その手は一向に離さない。それを見て昴が再び口を開く。
「あなたも格闘術を習得していると以前、蘭さんから聞きました。
その格闘術というものは人を《守る》為にあるのであって、《傷つける》ためのものではない。そう教わりませんでしたか?」
「ッ!」
昴の指摘に思わず世良は下を向く。
確かにそう教わった。尊敬する《秀兄》に。
「分かったならその手を離してあげてください」
昴は表情を緩め、優しく諭すように声をかける。
「い、イヤだ! 絶対さくらさんは知ってるはずなんだ! 駅で会ったのは間違いなくさくらさんなんだからッ!」
世良の手はさらに力が入る。
「ッ!」
痛みにさくらの表情が歪んだ。
ガシッ!
「ッ!?」
世良の右手首を昴が左手で掴む。
強い力に思わず世良は怯んだ。
「だから、その根拠は何ですか? さくらがその駅で会った女性だと言い切る根拠は」
ようやくさくらの肩から手を離したので、昴も世良の手を離した。
下を向いたまま、世良はしばらく黙っていた。
やがて視線を上げるとさくらをジッと見つめる。
「その瞳も、声も、表情も…全部……あの時の女性と同じなんだ。証明するものは何もないけどね…」
世良は悲しそうにつぶやいた。
「証拠が無ければ、相手を追い詰める事は出来ませんね」
昴は毅然と答えた。
「ああそうさ。だから、これはボクの暴走以外の何物でもない。それくらいには…秀兄の事が大切で……大好きなんだ」
「……」
世良の言葉に昴は何も言わなかった。
「ごめんね、さくらさん。次会う時はちゃんと証拠を揃えて聞きに来るから」
それだけ言うと、世良は走って行ってしまった。
その目には涙が溜まっていたことに、昴もさくらも気付いていた。
「大丈夫ですか?」
昴はさくらに近づいた。
「ええ……」
さくらはそれ以上何も言えず押し黙る。
「家に入って見せてください。ケガをしているかもしれませんから」
昴は世良が落としていったさくらの荷物を拾い上げ、そっとさくらの肩を抱く。家へ入るよう促した。
「アザになっていますね」
世良に掴まれた肩と、外壁に押し付けられた背中は薄っすらと青くアザになっていた。
「私、すぐ内出血しちゃうからね……大したことないのに」
「真純の握力をなめない方が良い。アイツは根っからの格闘技バカだから、かなり鍛えている」
湿布を貼りながら昴はため息交じりにつぶやいた。
「まあ……確かに。『これは振りほどけないな』とは思ったわ」
真剣な目をした世良を思い出し、りおもまたため息をついた。
「すまなかったな。真純が暴走するなんて思ってもみなかった」
救急箱を片付けながら、昴は赤井の口調で謝罪した。
「私は……彼女の気持ちがすごく分かるわ。
信じたくないもの。それは私も同じだった」
ジンに渡された動画を見た時の、激しい動悸を思い出す。
思わず胸元に手をおいた。
彼女自身の『自分だけが秀兄の事を良く知らない』という、家族に対して抱えている劣等感も、りおの心に重くのしかかった。
「真純のヤツ、お前に何か言ったのか?」
りおの暗い表情を見て、昴は心配そうに訊ねた。
「ううん。何も」
世良の気持ちを知れば、赤井も辛くなるだろう。今は伝える必要も無いと思った。
「そうか……」
納得しているようではなかったが、昴はそれ以上聞いてはこなかった。
***
工藤邸から逃げるように走り去り、世良は河川敷に居た。
頭を冷やそうと土手に腰を下ろし、川を眺める。
「あ~あ…失敗したな~。あんなつもり無かったのに…」
力に物を言わせ、事実を聞き出そうとするなど探偵失格だ。
「さくらさん大丈夫だったかな…。悪い事しちゃったな」
そうつぶやきながら、自分の右手首を見つめる。
昴に掴まれた時、その力の強さに驚いた。
若い男性の手だ。そこそこ力はあるだろう。
だがそれにしたってあの握力。
鍛えているとしか考えられない。
「しかもあの時、『あなたも格闘術を習得している』と言っていた。あなた《も》って…蘭ちゃんのことを言ってるのか? それとも自分のこと?」
昴の発言に疑問を抱く。
論文執筆に追われる大学院生が、そこまで鍛える必要があるだろうか?
だがそれより気になったのは—―
「昴さんの左手……なんか違和感があったんだよね。なんかタコみたいに固い部分があったような……」
それが何なのか、今はまだ分からない。
「さくらさんのこと、絶対以前から知っているようだし……あの《沖矢昴》を調べた方が良いかもしれない」
世良はペロリと唇をなめた。
***
夕方———
昴はソファーに腰かけ本を読んでいた。
向かいではりおも同じく本を読んでいる。
りおは何も言わなかったが、おそらく真純は自分《秀一》の事で何か思いをぶつけたのだろう。
そうでなければ、彼女があそこまで暴走するとは考えにくい。
(俺は知らない方が良いと……そういう事か)
何事もなかったように穏やかな表情で本を読むりおを見て昴は小さく息を吐いた。
真純には不憫な思いをさせているとは思っている。
彼女は一家そろって過ごした経験が無い。
父も長兄も、生まれた時にはすでにそばに居なかった。まして3兄弟すべて苗字が違う。
それだけでも十分特殊な家庭だ。寂しくないと言ったら嘘だろう。
(いつか今日の事も、笑い話となる日が来るさ。家族みんなが揃う日が……必ず来る)
昴は自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。
今日は自分のアパートにいったん戻り、着替えを取りに来ていた。
工藤邸へ向かう道すがら、見慣れた人影がこちらに歩いてくるのが見えた。
「あれ? さくらさんじゃないか!」
「あら、世良さん。こんにちは、久しぶりね」
世良真純に会うのは本当に久しぶり。夏休みに恋バナをして以来だ。
「どうしたんだ? 今日は土曜日。昴さんの所じゃないのか?」
屈託のない笑顔を向け、世良はさくらに問いかけた。
「ええ。この後行く予定なの」
「ふ~ん。その荷物の量…さてはお泊り?」
「ッ! ま、まあ…。ちょっと体調も悪くて、ここしばらく工藤邸にお世話になってるのよ」
さすがに刺客を警戒して工藤邸にいる…とは言えなかった。
「ええっ! そうなのか? なのに一人で出歩いてて大丈夫なのか? ボクが荷物持ってやるよ」
世良はさくらの荷物をヒョイと持つと、そのまま工藤邸へと歩き始めた。
「え? 私なら大丈夫よ。あなたも用事があってここにいたんでしょう?」
やんわりとお断りをしたつもりだったが、その言葉はどうやら聞こえなかったようだ。
さくらはため息をついて、そのまま世良の背中を追いかけた。
二人で肩を並べ、他愛もないおしゃべりで時々笑い合いながら住宅街を歩く。
工藤邸の門扉まであと少しというところで、
「夏の推理の件だけど……」と、突然世良がさくらに声をかけた。
「あれからずっと考えてたんだけど、やっぱり駅で会ったのはさくらさんだと思うんだ。瞳だけじゃなくて声も似ているんだよね」
世良の言葉にさくらはドキリとするが、一切態度には出さない。
「そうなの? 私は駅であなたと会った記憶は無いけど……」
あくまでシラを切り通す。
「じゃあさ、ボクのことは覚えていなくても、秀兄の事は知ってる?」
世良はさくらの表情を伺いながら、尚もしつこく探りを入れてきた。
「秀兄という人に会ったことも無いし、分からないわ。それよりも――」
話題を変えようと世良の方へ顔を向けた時、さくらは思わず目を見張る。
世良の顔は先ほどまでの穏やかな表情とは打って変わって真剣そのもので、なんとしても兄の事を知りたいという強い意志が垣間見えた。
「ッ!」
思わず目をそらしてしまった。
「じゃ、じゃあ、100歩譲って私がその《秀兄》を知っていたとしたらどうするの?
そのお兄さんはすでに亡くなっているんでしょう?」
世良が兄の事を知ってどうしたいのか。
まずはそれを知ってから対策を考えるべきだ。さくらは世良に向かって単刀直入に問いかけた。
「ボクね、秀兄とは兄妹といっても一緒に暮らしたことがほとんど無いんだ。
どんな食べ物が好きかとか、どんな生活をしていたのかとか、好きな女性のタイプも知らない。
すぐ上の兄や母親は、秀兄のこと良く分かってるのに。ボクだけ知らないんだ……」
そう話す世良の顔は寂しそうだった。
「ボクが唯一知ってる秀兄は、とても強くて頭が良くて、クールだけど優しくて……。
だから、死んだなんて嘘だ。秀兄が死ぬはずがない!絶対に‼」
今にも泣き出しそうな顔で、思いを噛みしめるように言葉を紡ぐ。
兄への強い『愛情』と『悲しみ』を感じてさくらは心が痛んだ。
「だから、ボクの知らない秀兄をもっと知って、今一体何をしているのか、どこにいるのか探し当てるんだ。
秀兄は死んでない……必ずどこかで生きているって信じてる」
世良の言葉は、彼女の意志の強さを物語っていた。
(強い子ね……)
さくらは目を閉じた。かつて自分も赤井秀一の死に衝撃を受けた一人だ。世良の気持ちは痛いほどわかる。
だが、『秀兄を探し出す』という彼女の思いを知れば知るほど、彼が生きていることを知らせるわけにはいかない。
そうしなければならないほど、組織の闇は深い。
(いつかその思いは報われるわ……それまで…ごめんね)
さくらはそっと心の中で謝った。
「だから! もし秀兄のこと知ってるんだったら…ッ!」
「ごめんなさい」
さくらはうつむいたまま謝罪する。
「残念だけど……本当に知らないの。力になれなくて…ごめんなさいね」
「そ、そんなはずないッ!!」
世良はさくらの両肩に掴みかかった。
ドンッ!
その勢いでさくらは外壁に背中を打ち付けた。
「ッ!」
「お願いだ!! 本当の事を話して! さくらさん! あなたは秀兄を知ってるはずだ!」
世良の手に力が入る。
さくらの肩と背中にジワジワと痛みが走った。
「その根拠は何ですか?」
突然世良の背後から声が聞こえた。
「ッ! 昴さん!」
「二人とも。家の前で何をやっているんです?」
ニコニコ笑顔を向けているが、その笑顔の下はかなりの怒りを秘めていると世良はすぐに分かった。
「ああ。ごめんね、昴さん。あなたの大切な人に手を上げて。ボクの知りたいことをなかなか教えてくれないから、つい…ね」
鋭い眼差しを昴に向けながら、世良は謝罪した。
口では謝ってはいるものの、その手は一向に離さない。それを見て昴が再び口を開く。
「あなたも格闘術を習得していると以前、蘭さんから聞きました。
その格闘術というものは人を《守る》為にあるのであって、《傷つける》ためのものではない。そう教わりませんでしたか?」
「ッ!」
昴の指摘に思わず世良は下を向く。
確かにそう教わった。尊敬する《秀兄》に。
「分かったならその手を離してあげてください」
昴は表情を緩め、優しく諭すように声をかける。
「い、イヤだ! 絶対さくらさんは知ってるはずなんだ! 駅で会ったのは間違いなくさくらさんなんだからッ!」
世良の手はさらに力が入る。
「ッ!」
痛みにさくらの表情が歪んだ。
ガシッ!
「ッ!?」
世良の右手首を昴が左手で掴む。
強い力に思わず世良は怯んだ。
「だから、その根拠は何ですか? さくらがその駅で会った女性だと言い切る根拠は」
ようやくさくらの肩から手を離したので、昴も世良の手を離した。
下を向いたまま、世良はしばらく黙っていた。
やがて視線を上げるとさくらをジッと見つめる。
「その瞳も、声も、表情も…全部……あの時の女性と同じなんだ。証明するものは何もないけどね…」
世良は悲しそうにつぶやいた。
「証拠が無ければ、相手を追い詰める事は出来ませんね」
昴は毅然と答えた。
「ああそうさ。だから、これはボクの暴走以外の何物でもない。それくらいには…秀兄の事が大切で……大好きなんだ」
「……」
世良の言葉に昴は何も言わなかった。
「ごめんね、さくらさん。次会う時はちゃんと証拠を揃えて聞きに来るから」
それだけ言うと、世良は走って行ってしまった。
その目には涙が溜まっていたことに、昴もさくらも気付いていた。
「大丈夫ですか?」
昴はさくらに近づいた。
「ええ……」
さくらはそれ以上何も言えず押し黙る。
「家に入って見せてください。ケガをしているかもしれませんから」
昴は世良が落としていったさくらの荷物を拾い上げ、そっとさくらの肩を抱く。家へ入るよう促した。
「アザになっていますね」
世良に掴まれた肩と、外壁に押し付けられた背中は薄っすらと青くアザになっていた。
「私、すぐ内出血しちゃうからね……大したことないのに」
「真純の握力をなめない方が良い。アイツは根っからの格闘技バカだから、かなり鍛えている」
湿布を貼りながら昴はため息交じりにつぶやいた。
「まあ……確かに。『これは振りほどけないな』とは思ったわ」
真剣な目をした世良を思い出し、りおもまたため息をついた。
「すまなかったな。真純が暴走するなんて思ってもみなかった」
救急箱を片付けながら、昴は赤井の口調で謝罪した。
「私は……彼女の気持ちがすごく分かるわ。
信じたくないもの。それは私も同じだった」
ジンに渡された動画を見た時の、激しい動悸を思い出す。
思わず胸元に手をおいた。
彼女自身の『自分だけが秀兄の事を良く知らない』という、家族に対して抱えている劣等感も、りおの心に重くのしかかった。
「真純のヤツ、お前に何か言ったのか?」
りおの暗い表情を見て、昴は心配そうに訊ねた。
「ううん。何も」
世良の気持ちを知れば、赤井も辛くなるだろう。今は伝える必要も無いと思った。
「そうか……」
納得しているようではなかったが、昴はそれ以上聞いてはこなかった。
***
工藤邸から逃げるように走り去り、世良は河川敷に居た。
頭を冷やそうと土手に腰を下ろし、川を眺める。
「あ~あ…失敗したな~。あんなつもり無かったのに…」
力に物を言わせ、事実を聞き出そうとするなど探偵失格だ。
「さくらさん大丈夫だったかな…。悪い事しちゃったな」
そうつぶやきながら、自分の右手首を見つめる。
昴に掴まれた時、その力の強さに驚いた。
若い男性の手だ。そこそこ力はあるだろう。
だがそれにしたってあの握力。
鍛えているとしか考えられない。
「しかもあの時、『あなたも格闘術を習得している』と言っていた。あなた《も》って…蘭ちゃんのことを言ってるのか? それとも自分のこと?」
昴の発言に疑問を抱く。
論文執筆に追われる大学院生が、そこまで鍛える必要があるだろうか?
だがそれより気になったのは—―
「昴さんの左手……なんか違和感があったんだよね。なんかタコみたいに固い部分があったような……」
それが何なのか、今はまだ分からない。
「さくらさんのこと、絶対以前から知っているようだし……あの《沖矢昴》を調べた方が良いかもしれない」
世良はペロリと唇をなめた。
***
夕方———
昴はソファーに腰かけ本を読んでいた。
向かいではりおも同じく本を読んでいる。
りおは何も言わなかったが、おそらく真純は自分《秀一》の事で何か思いをぶつけたのだろう。
そうでなければ、彼女があそこまで暴走するとは考えにくい。
(俺は知らない方が良いと……そういう事か)
何事もなかったように穏やかな表情で本を読むりおを見て昴は小さく息を吐いた。
真純には不憫な思いをさせているとは思っている。
彼女は一家そろって過ごした経験が無い。
父も長兄も、生まれた時にはすでにそばに居なかった。まして3兄弟すべて苗字が違う。
それだけでも十分特殊な家庭だ。寂しくないと言ったら嘘だろう。
(いつか今日の事も、笑い話となる日が来るさ。家族みんなが揃う日が……必ず来る)
昴は自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。