ペリドットとアンバー短編集
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「あ、これ……さくらさんに似合いそう」
東都デパートに小五郎とコナンと3人で来ていた蘭がボソリとつぶやいた。
「蘭姉ちゃん、どうしたの?」
とあるショップで歩みを止めた蘭に、コナンは不思議そうに声をかける。
「あ、うん。これさくらさんに似合いそうだな~と思って。何度か宿題を教えてもらってるし、何かお返しをしたいな~と思ってたんだけど」
気になった商品を手に取り、蘭は「うーん」と考え込んだ。
「これを……さくらさんに?」
「うん。ダメかなぁ。さくらさんも大人だし、これで……」
「?」
大人? 蘭が何を考え込んでいるのか分からず、コナンは商品棚を見上げた。
「!?」
書かれていたキャッチフレーズを読んで思わず赤面してしまう。
「い、良いんじゃないかな。さくらさんに似合いそうだし」
蘭が何を思ってこれを選んだのか。何となく察しは付いたが、コナンは気付かぬふりをしてそう答えた。
「そうよね! じゃあこれにしよっと」
わずかに頬を赤くして、蘭は商品を手に会計へと駆けて行った。
木曜日夕方。
蘭は高校を出るとすぐ、東都大へと向かう。さくらの住むアパートから大学方面へ向かえば、どこかで会えるはずだ。
(どうか、すれ違いませんように)
そう願いながら歩道を歩いていると、大きな公園付近でさくらがこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
「さくらさ~ん!」
思わず名を呼べば、さくらがキョロキョロと周りを見回している。蘭が大きく手を振るとそれに気付いたさくらは「蘭ちゃん!」と言って笑顔で手を振り返してくれた。
「どうしたの? 蘭ちゃん。家とは方向がちがうのに」
さくらの元まで走ってきた蘭はハァハァと息を整えると、小首を傾げるさくらを見てニッコリ微笑んだ。
「実はさくらさんに渡したいものがあって」
そう言うと、蘭は肩にかけていたスクールバッグに手を入れて、ごそごそと中を探る。
「渡したいもの?」
頭に「?」を浮かべたまま、さくらは蘭を見つめた。
「え~…っと……あった! これ、さくらさんにお礼をと思って。何度か宿題教えてもらっているし、夏休みの時は……大勢で押しかけて…その…迷惑かけたし……」
最後の方はゴニョゴニョと声が小さくなった。
蘭が言う『夏休みの時』とは——
園子、真純、蘭が「夏休みの宿題を教えてもらう」という名目で工藤邸に押しかけ、宿題そっちのけで昴とさくらの馴れ初めを根掘り葉掘り訊ねた挙句、真純が二人の関係と自身の兄との事を追及するなど、やりたい放題だった例の件である。
【短編集『恋バナ』より】
蘭の言わんとすることがすぐに分かったさくらは、その時のことを思い出し、ボッと顔を赤くした。
「べ、別に気にしなくて良いのに……。宿題だって教えたってほどじゃなかったし……」
お礼なんて受け取れないよ、とさくらは両手を小さく振った。
「いえ、そんなことないです! 受け取ってください。宿題は本当に分からなくて困っていたし、教えてもらってすごく助かったんです。夏休みの件は……あのあと、きっと昴さんとはギクシャクしただろうし……。私の気持ちが収まらないんで」
蘭はそう言うと、申し訳なさそうに小さな包みをさくらの前へ差し出した。
「そ、そんな。気にしなくていいのに……わ、分かったわ。じゃあ、今回はありがたくいただくね。でも、蘭ちゃんと宿題するの私も勉強になるし楽しいから気を使わないでね」
優しい蘭の気遣いに、今回は甘えることにした。
「何だろう? 開けても良い?」
「ええ。ぜひ見てください」
嬉しそうな蘭の前で、さくらはそっと包みを開けた。
「口紅?」
中にはピンクゴールドのメタリックなフォルムをした口紅が入っていた。
「これ、最近人気の口紅なんです。さくらさん肌も白くて美人だからこの色きっと似合うだろうな~って思って」
ニコニコ顔の蘭とは対照的に、さくらは驚いたように真顔になる。
「ちょ、蘭ちゃん! 口紅って高いんじゃないの? こんな高価な物、やっぱり受け取れな……」
さくらが言いかけたところで、蘭が「大丈夫ですよ」とウィンクした。
「これ、高校生の私でも買えるくらいプチプラなのに、発色が良いって人気なんですよ。しかも今回はお父さんが珍しく競馬が当たったとかで、私にも臨時収入があったので」
それでコナンくんと3人でデパートにいったんですよ、と嬉しそうに話す。
「そうなんだ…。そういう事なら。大事に使わせてもらうね!」
さくらは安心したように胸を撫で下ろす。
「そういえば……もう何年も口紅って変えてないなぁ」
「さくらさん、いつも薄メイクですものね。美人だからそんなに色々こだわらなくてもキレイだし。でも、この口紅付けただけでいつもと印象が変わって、余計にモテちゃうかもしれませんよ~」
「やだな~。おだてたってなにも出ないわよ」
照れくさそうに言うさくらに対して、今度は蘭が真顔になる。
「いいえ! もっと自信持って良いと思います! この口紅で……えっと………頑張ってください!」
「え?」
最後の頑張っての意味が分からず、さくらは聞き返そうとしたが、そのスキを与えず蘭はくるりと体の向きを変えた。
「じゃ、じゃあ私、夕食の買い物があるから、これで!」
と言うや否や、足早に去って行ってしまった。一人取り残されたさくらは再び頭に「?」を浮かべたまま、蘭が走り去るのを見つめていた。
翌日金曜日の朝——
大学への出勤のため、メイクをしていたさくらは、いつもの口紅を手に取ったところで動きを止めた。昨日蘭からもらった口紅に視線を送りながら「う~ん……」と思わずうなる。
「頑張れってどういう事だったんだろう。今日からこの口紅をつけて、仕事頑張れって事なのかな?」
どうにも最後の言葉が理解できず、さらに頭を抱えて考え込む。
「まあ、せっかくもらったし……今日はこれ、つけていこうかな」
これ以上考えても分からなそうだったので、いつもの口紅をメイク入れに戻し、蘭からもらった口紅を手に取った。
キャップを外して下の部分をくるりと回すと、やや赤みがかったピンク系の口紅が顔を出す。
「ちょ、ちょっと赤すぎないかな……」
自分が今まで使っていた物より、赤みが強い。心配になったが意を決して唇にひと塗りしてみた。
「あれ?」
思ったより薄づきで自然な感じ。違和感はない。ぷるんとした潤いがあり、いつもより赤みがあるせいか顔色が良く見えた。
「あ、これなら私にも使えそう」
良い口紅を教えてもらった、と思わず笑みがこぼれた。
口紅を塗り終え鏡を見る。グロスを乗せた様にぷるるんとした唇。それでいて落ちにくく、発色も自然で程よい赤みが顔を明るく見せる。
「よし!」 と気合を入れると、さくらはイスから立ち上がり、仕事用のバッグを肩に下げて家を出た。
午前の講義を終え、研究室にある談話スペースで教授とお昼を食べている時だった。
森教授はニヤニヤしながらさくらを見ている。
「?」
作ってきたお弁当から卵焼きをつまみ、口に入れようとしていたさくらは、そのまま卵焼きを元に戻すと弁当箱をテーブルに置く。
「教授。何です? さっきから人の顔を見てニヤニヤと。私の顔に何か付いていますか?」
この雰囲気にいたたまれなくなったさくらは、ため息交じりに教授に訊ねた。
今日は珍しく愛妻弁当を食べていた教授は、さくらの抗議の言葉を聞いて慌てて目を逸らす。唇を尖らせて口笛を吹く真似をしているが、音は出ていない。そもそも教授は口笛が吹けなかったはず。こういうところ、ちょっとお茶目な人だ。
いや、今はそういう話ではない。
「教授! ごまかさないでください」
さくらはお茶の入ったペットボトルを手に取り、それを飲みながらジロリと教授を睨んだ。
「ああ、いや、気にしないでくれ。今日君に何があるかなんて訊くほど、私は野暮じゃないつもりだぞ」
「え? なんのことですか?」
長い沈黙の後、やっと返ってきた教授からの言葉はさくらの想像の斜め上をいっていて、まったく理解できない。
「君、メイク替えただろう? 今日は朝から男子学生の視線に気付かなかったかい? 女性がメイクに力を入れるというのは、恋人ができてデートの予定があるからだろう?
君に好意を持っている男子学生も多い。みんな今日は私の講義どころじゃなかったかもしれんなぁ……」
いや~若いって良いね! と親指を立てた教授に、さくらは返す言葉が見つからない。
「いや…あの…口紅を……」
しどろもどろで貰った口紅を付けただけだと説明しようとしたが、当の教授は聞いている様子はない。
「今日は花の金曜日! 資料は良く出来上がっているし、午後は早く帰っていいよ。彼氏くんが待っているんだろう?」
ニコニコの笑顔を向けて言われれば、もう言い訳するのも面倒になった。
「……ハイ……」
さくらは小さく返事をして、再びお弁当箱を手に取ると無言で残りを食べた。
昼食後、資料作りの為に借りていた本を返しに図書館へ向かった。
顔見知りの司書と少しおしゃべりをして、本を元あった場所に戻す。そこでようやく教授が言っていることが分かった気がした。
(なんか…見られてる?)
入り口から本棚の方へ移動すると、男子学生がパッとこちらに視線を向けた。なんだか居心地が悪い。
公安という仕事柄、殺気には敏感だ。だが、こういう惚けた視線や好意には気付かない。むしろ鈍い方かもしれない。教授に言われるまで本当に分からなかった。
(いやいや。気にしすぎかも。教授がヘンなこと言うから……)
悪口を言われているのかもしれないし、気のせい気のせい、と小さく呟きながら本棚に本を戻していく。
「あ……踏み台を持ってこないと届かないわ」
自分の身長よりだいぶ高い所の本が入れられない。仕方なく壁際にある踏み台を持ってこようと本を抱え直すと、「手伝いましょうか?」という声が頭の上から聞こえた。
さくらより20㎝ほど背が高い男子学生が、ニコニコしながらさくらを見ている。
「え?」
「本。戻したくても届かないんですよね? 僕が入れますよ」
ほら、といわれて抱えていた本をスッと手元から抜き取られる。学生はササッと定位置に本を戻してくれた。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。これくらいお安い御用です。それより……今日はこの後ご予定でもあるのですか?」
学生は本棚に手を掛け、顔をさくらに近づけた。本棚にはさまれた狭い通路。さくらと学生の距離はかなり近い。
やがてスルリと手を腰に回してきた。
「……何故そんなことを?」
学生の態度がやや強引な気がして、少しお灸でも据えてやろうかと、あえて挑発的にさくらは訊ねる。
「あなたはいつもキレイですが、今日は特段キレイな気がして……良かったら僕とデートしませんか?」
周りに聞こえないようにするためか、さくらの耳元でささやくようにデートの誘いをしてきた。明らかに初対面の女性との距離ではない。
致命的な間違いをしている学生に、さくらはため息をついた。
「そういう事は……もう少し離れて、誠意があるように見せた方が良いわ。いきなりパーソナルスペースに踏み込んでボディタッチをする男は信用できないもの」
フッと学生に微笑みかけると、スルリと距離を取る。あまりに速い身のこなしに、学生は一瞬さくらが消えたように感じた。
「ッ!?」
「もう少しスマートにエスコート出来るようになったら、考えてあげるわ。ボウヤ」
いつのまにかずいぶんと距離を取られ、ほんの少し意地の悪い、大人な笑みを浮かべたさくらが颯爽とその場を立ち去る。
後に残された学生はというと——
「め、めちゃくちゃ…かっけぇ…」
完膚なきまでにフラれたというのに、さくらの立ち居振る舞いにすっかり腑抜けにされ、呆けた顔でさくらを見送っていた。
「い、一体どうなってるの? 口紅替えただけで?普段の私…そんなに顔色悪いかしら…」
図書館を出て、さくらは近くにあったベンチに腰を下ろす。上を向いて「はぁ~」と大きなため息をついた。
「ッ!?」
一息ついたのもつかの間。植え込みの陰に誰かいる気配を感じた。
人数は1,2,3……——
だが殺気は無いし、隠れているわりにはバレバレだ。たぶん学生だろう。
「教授、今日は早く帰っていいって言ってたし、また絡まれてもイヤだし……今日はもう昴さんの所へ帰ろっかな」
さくらはボソッと呟くとゆっくり立ち上がる。
「ふう」
再び小さなため息をついて正門へ向かって歩き出した。
さくらが立ち去った後、ベンチ近くの植え込みに隠れていた男子学生が、ガサガサと音を立てて出てきた。
「お、おい! 《昴》って誰だよ!?」
「し、知らねーよッ!」
「あ、俺聞いたことあるぞ。星川さん、ココの院生と付き合ってるって」
「マジか!?」
「あんな美人射止めるなんて……ってオイッ! 院生って事は年下彼氏かよ!? それならワンチャン俺だって……」
「今日の彼女の唇見たか? ぷるっぷるだったよな? あの唇にキスしたいって思わなかった?」
「あ~~! 俺も思った。吸い付きてぇって。その昴ってヤツとキスするんかな?」
「するんじゃね?」
「するんだろーな……」
3人は思わず想像した。
「「「(その男)いいなぁぁぁぁ~~~~!!!」」」
「へっくしょ~ん!」
工藤邸のリビングで本を読んでいた昴は盛大にくしゃみをした。
「ん~~。誰か噂してるな」
鼻を擦り、本を閉じると立ち上がった。
「14時か……。今日はりおが帰ってくる日だ。夕飯は何にしようかな」
う~~ん……と伸びをして、昴はキッチンに向かう。
「ニンニクが効いたカレーにしたら、りおのヤツ絶対キスしてくれなそうだな」
フム…と考えて、昴はニンニクには手を付けず、その他の野菜をいくつか調理台に並べると、ご機嫌で調理を始めたのだった。
東都デパートに小五郎とコナンと3人で来ていた蘭がボソリとつぶやいた。
「蘭姉ちゃん、どうしたの?」
とあるショップで歩みを止めた蘭に、コナンは不思議そうに声をかける。
「あ、うん。これさくらさんに似合いそうだな~と思って。何度か宿題を教えてもらってるし、何かお返しをしたいな~と思ってたんだけど」
気になった商品を手に取り、蘭は「うーん」と考え込んだ。
「これを……さくらさんに?」
「うん。ダメかなぁ。さくらさんも大人だし、これで……」
「?」
大人? 蘭が何を考え込んでいるのか分からず、コナンは商品棚を見上げた。
「!?」
書かれていたキャッチフレーズを読んで思わず赤面してしまう。
「い、良いんじゃないかな。さくらさんに似合いそうだし」
蘭が何を思ってこれを選んだのか。何となく察しは付いたが、コナンは気付かぬふりをしてそう答えた。
「そうよね! じゃあこれにしよっと」
わずかに頬を赤くして、蘭は商品を手に会計へと駆けて行った。
木曜日夕方。
蘭は高校を出るとすぐ、東都大へと向かう。さくらの住むアパートから大学方面へ向かえば、どこかで会えるはずだ。
(どうか、すれ違いませんように)
そう願いながら歩道を歩いていると、大きな公園付近でさくらがこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
「さくらさ~ん!」
思わず名を呼べば、さくらがキョロキョロと周りを見回している。蘭が大きく手を振るとそれに気付いたさくらは「蘭ちゃん!」と言って笑顔で手を振り返してくれた。
「どうしたの? 蘭ちゃん。家とは方向がちがうのに」
さくらの元まで走ってきた蘭はハァハァと息を整えると、小首を傾げるさくらを見てニッコリ微笑んだ。
「実はさくらさんに渡したいものがあって」
そう言うと、蘭は肩にかけていたスクールバッグに手を入れて、ごそごそと中を探る。
「渡したいもの?」
頭に「?」を浮かべたまま、さくらは蘭を見つめた。
「え~…っと……あった! これ、さくらさんにお礼をと思って。何度か宿題教えてもらっているし、夏休みの時は……大勢で押しかけて…その…迷惑かけたし……」
最後の方はゴニョゴニョと声が小さくなった。
蘭が言う『夏休みの時』とは——
園子、真純、蘭が「夏休みの宿題を教えてもらう」という名目で工藤邸に押しかけ、宿題そっちのけで昴とさくらの馴れ初めを根掘り葉掘り訊ねた挙句、真純が二人の関係と自身の兄との事を追及するなど、やりたい放題だった例の件である。
【短編集『恋バナ』より】
蘭の言わんとすることがすぐに分かったさくらは、その時のことを思い出し、ボッと顔を赤くした。
「べ、別に気にしなくて良いのに……。宿題だって教えたってほどじゃなかったし……」
お礼なんて受け取れないよ、とさくらは両手を小さく振った。
「いえ、そんなことないです! 受け取ってください。宿題は本当に分からなくて困っていたし、教えてもらってすごく助かったんです。夏休みの件は……あのあと、きっと昴さんとはギクシャクしただろうし……。私の気持ちが収まらないんで」
蘭はそう言うと、申し訳なさそうに小さな包みをさくらの前へ差し出した。
「そ、そんな。気にしなくていいのに……わ、分かったわ。じゃあ、今回はありがたくいただくね。でも、蘭ちゃんと宿題するの私も勉強になるし楽しいから気を使わないでね」
優しい蘭の気遣いに、今回は甘えることにした。
「何だろう? 開けても良い?」
「ええ。ぜひ見てください」
嬉しそうな蘭の前で、さくらはそっと包みを開けた。
「口紅?」
中にはピンクゴールドのメタリックなフォルムをした口紅が入っていた。
「これ、最近人気の口紅なんです。さくらさん肌も白くて美人だからこの色きっと似合うだろうな~って思って」
ニコニコ顔の蘭とは対照的に、さくらは驚いたように真顔になる。
「ちょ、蘭ちゃん! 口紅って高いんじゃないの? こんな高価な物、やっぱり受け取れな……」
さくらが言いかけたところで、蘭が「大丈夫ですよ」とウィンクした。
「これ、高校生の私でも買えるくらいプチプラなのに、発色が良いって人気なんですよ。しかも今回はお父さんが珍しく競馬が当たったとかで、私にも臨時収入があったので」
それでコナンくんと3人でデパートにいったんですよ、と嬉しそうに話す。
「そうなんだ…。そういう事なら。大事に使わせてもらうね!」
さくらは安心したように胸を撫で下ろす。
「そういえば……もう何年も口紅って変えてないなぁ」
「さくらさん、いつも薄メイクですものね。美人だからそんなに色々こだわらなくてもキレイだし。でも、この口紅付けただけでいつもと印象が変わって、余計にモテちゃうかもしれませんよ~」
「やだな~。おだてたってなにも出ないわよ」
照れくさそうに言うさくらに対して、今度は蘭が真顔になる。
「いいえ! もっと自信持って良いと思います! この口紅で……えっと………頑張ってください!」
「え?」
最後の頑張っての意味が分からず、さくらは聞き返そうとしたが、そのスキを与えず蘭はくるりと体の向きを変えた。
「じゃ、じゃあ私、夕食の買い物があるから、これで!」
と言うや否や、足早に去って行ってしまった。一人取り残されたさくらは再び頭に「?」を浮かべたまま、蘭が走り去るのを見つめていた。
翌日金曜日の朝——
大学への出勤のため、メイクをしていたさくらは、いつもの口紅を手に取ったところで動きを止めた。昨日蘭からもらった口紅に視線を送りながら「う~ん……」と思わずうなる。
「頑張れってどういう事だったんだろう。今日からこの口紅をつけて、仕事頑張れって事なのかな?」
どうにも最後の言葉が理解できず、さらに頭を抱えて考え込む。
「まあ、せっかくもらったし……今日はこれ、つけていこうかな」
これ以上考えても分からなそうだったので、いつもの口紅をメイク入れに戻し、蘭からもらった口紅を手に取った。
キャップを外して下の部分をくるりと回すと、やや赤みがかったピンク系の口紅が顔を出す。
「ちょ、ちょっと赤すぎないかな……」
自分が今まで使っていた物より、赤みが強い。心配になったが意を決して唇にひと塗りしてみた。
「あれ?」
思ったより薄づきで自然な感じ。違和感はない。ぷるんとした潤いがあり、いつもより赤みがあるせいか顔色が良く見えた。
「あ、これなら私にも使えそう」
良い口紅を教えてもらった、と思わず笑みがこぼれた。
口紅を塗り終え鏡を見る。グロスを乗せた様にぷるるんとした唇。それでいて落ちにくく、発色も自然で程よい赤みが顔を明るく見せる。
「よし!」 と気合を入れると、さくらはイスから立ち上がり、仕事用のバッグを肩に下げて家を出た。
午前の講義を終え、研究室にある談話スペースで教授とお昼を食べている時だった。
森教授はニヤニヤしながらさくらを見ている。
「?」
作ってきたお弁当から卵焼きをつまみ、口に入れようとしていたさくらは、そのまま卵焼きを元に戻すと弁当箱をテーブルに置く。
「教授。何です? さっきから人の顔を見てニヤニヤと。私の顔に何か付いていますか?」
この雰囲気にいたたまれなくなったさくらは、ため息交じりに教授に訊ねた。
今日は珍しく愛妻弁当を食べていた教授は、さくらの抗議の言葉を聞いて慌てて目を逸らす。唇を尖らせて口笛を吹く真似をしているが、音は出ていない。そもそも教授は口笛が吹けなかったはず。こういうところ、ちょっとお茶目な人だ。
いや、今はそういう話ではない。
「教授! ごまかさないでください」
さくらはお茶の入ったペットボトルを手に取り、それを飲みながらジロリと教授を睨んだ。
「ああ、いや、気にしないでくれ。今日君に何があるかなんて訊くほど、私は野暮じゃないつもりだぞ」
「え? なんのことですか?」
長い沈黙の後、やっと返ってきた教授からの言葉はさくらの想像の斜め上をいっていて、まったく理解できない。
「君、メイク替えただろう? 今日は朝から男子学生の視線に気付かなかったかい? 女性がメイクに力を入れるというのは、恋人ができてデートの予定があるからだろう?
君に好意を持っている男子学生も多い。みんな今日は私の講義どころじゃなかったかもしれんなぁ……」
いや~若いって良いね! と親指を立てた教授に、さくらは返す言葉が見つからない。
「いや…あの…口紅を……」
しどろもどろで貰った口紅を付けただけだと説明しようとしたが、当の教授は聞いている様子はない。
「今日は花の金曜日! 資料は良く出来上がっているし、午後は早く帰っていいよ。彼氏くんが待っているんだろう?」
ニコニコの笑顔を向けて言われれば、もう言い訳するのも面倒になった。
「……ハイ……」
さくらは小さく返事をして、再びお弁当箱を手に取ると無言で残りを食べた。
昼食後、資料作りの為に借りていた本を返しに図書館へ向かった。
顔見知りの司書と少しおしゃべりをして、本を元あった場所に戻す。そこでようやく教授が言っていることが分かった気がした。
(なんか…見られてる?)
入り口から本棚の方へ移動すると、男子学生がパッとこちらに視線を向けた。なんだか居心地が悪い。
公安という仕事柄、殺気には敏感だ。だが、こういう惚けた視線や好意には気付かない。むしろ鈍い方かもしれない。教授に言われるまで本当に分からなかった。
(いやいや。気にしすぎかも。教授がヘンなこと言うから……)
悪口を言われているのかもしれないし、気のせい気のせい、と小さく呟きながら本棚に本を戻していく。
「あ……踏み台を持ってこないと届かないわ」
自分の身長よりだいぶ高い所の本が入れられない。仕方なく壁際にある踏み台を持ってこようと本を抱え直すと、「手伝いましょうか?」という声が頭の上から聞こえた。
さくらより20㎝ほど背が高い男子学生が、ニコニコしながらさくらを見ている。
「え?」
「本。戻したくても届かないんですよね? 僕が入れますよ」
ほら、といわれて抱えていた本をスッと手元から抜き取られる。学生はササッと定位置に本を戻してくれた。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。これくらいお安い御用です。それより……今日はこの後ご予定でもあるのですか?」
学生は本棚に手を掛け、顔をさくらに近づけた。本棚にはさまれた狭い通路。さくらと学生の距離はかなり近い。
やがてスルリと手を腰に回してきた。
「……何故そんなことを?」
学生の態度がやや強引な気がして、少しお灸でも据えてやろうかと、あえて挑発的にさくらは訊ねる。
「あなたはいつもキレイですが、今日は特段キレイな気がして……良かったら僕とデートしませんか?」
周りに聞こえないようにするためか、さくらの耳元でささやくようにデートの誘いをしてきた。明らかに初対面の女性との距離ではない。
致命的な間違いをしている学生に、さくらはため息をついた。
「そういう事は……もう少し離れて、誠意があるように見せた方が良いわ。いきなりパーソナルスペースに踏み込んでボディタッチをする男は信用できないもの」
フッと学生に微笑みかけると、スルリと距離を取る。あまりに速い身のこなしに、学生は一瞬さくらが消えたように感じた。
「ッ!?」
「もう少しスマートにエスコート出来るようになったら、考えてあげるわ。ボウヤ」
いつのまにかずいぶんと距離を取られ、ほんの少し意地の悪い、大人な笑みを浮かべたさくらが颯爽とその場を立ち去る。
後に残された学生はというと——
「め、めちゃくちゃ…かっけぇ…」
完膚なきまでにフラれたというのに、さくらの立ち居振る舞いにすっかり腑抜けにされ、呆けた顔でさくらを見送っていた。
「い、一体どうなってるの? 口紅替えただけで?普段の私…そんなに顔色悪いかしら…」
図書館を出て、さくらは近くにあったベンチに腰を下ろす。上を向いて「はぁ~」と大きなため息をついた。
「ッ!?」
一息ついたのもつかの間。植え込みの陰に誰かいる気配を感じた。
人数は1,2,3……——
だが殺気は無いし、隠れているわりにはバレバレだ。たぶん学生だろう。
「教授、今日は早く帰っていいって言ってたし、また絡まれてもイヤだし……今日はもう昴さんの所へ帰ろっかな」
さくらはボソッと呟くとゆっくり立ち上がる。
「ふう」
再び小さなため息をついて正門へ向かって歩き出した。
さくらが立ち去った後、ベンチ近くの植え込みに隠れていた男子学生が、ガサガサと音を立てて出てきた。
「お、おい! 《昴》って誰だよ!?」
「し、知らねーよッ!」
「あ、俺聞いたことあるぞ。星川さん、ココの院生と付き合ってるって」
「マジか!?」
「あんな美人射止めるなんて……ってオイッ! 院生って事は年下彼氏かよ!? それならワンチャン俺だって……」
「今日の彼女の唇見たか? ぷるっぷるだったよな? あの唇にキスしたいって思わなかった?」
「あ~~! 俺も思った。吸い付きてぇって。その昴ってヤツとキスするんかな?」
「するんじゃね?」
「するんだろーな……」
3人は思わず想像した。
「「「(その男)いいなぁぁぁぁ~~~~!!!」」」
「へっくしょ~ん!」
工藤邸のリビングで本を読んでいた昴は盛大にくしゃみをした。
「ん~~。誰か噂してるな」
鼻を擦り、本を閉じると立ち上がった。
「14時か……。今日はりおが帰ってくる日だ。夕飯は何にしようかな」
う~~ん……と伸びをして、昴はキッチンに向かう。
「ニンニクが効いたカレーにしたら、りおのヤツ絶対キスしてくれなそうだな」
フム…と考えて、昴はニンニクには手を付けず、その他の野菜をいくつか調理台に並べると、ご機嫌で調理を始めたのだった。