ペリドットとアンバー短編集
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
チョキチョキチョキチョキ…
「あ!」
赤井の髪を切っているまさにその時、りおが声を上げた。思わず赤井の肩が跳ねる。
「おい……どうした?」
頭は動かさず、視線だけりおの方へ動かすと、赤井は恐る恐る訊ねた。
「え? あ、ううん。失敗したわけではないわよ。ちょっと思い出しただけ」
軽く答えて、りおは再びハサミを動かす。
「ふーん」
「なによ、ハゲにしたと思った?」
「さすがにハサミでハゲは作れないだろう。
てっきり切り過ぎたのかと思っただけさ」
「ちょっとくらい切りすぎたって、どうせウィッグ被るし、秀一さんの時はニット帽被っているし。問題ないでしょ」
手を動かしたまま、りおはクスッと笑う。
「まあ、確かにそうだが……。夜、お前の前ではどっちもかぶっていないだろう?」
「一部だけ短くなった髪を笑うのは、私だけって事ね」
「ひどいな。失敗したのはりおなのに」
「だから……まだ失敗していませんって」
お互いに憎まれ口を叩き合うのは、最近のお決まりだ。日常の何でもないやり取り。それすらも二人にとって心地良い。
「はい! 出来ましたよ。鏡で確認してください」
りおが手鏡を渡すと、赤井は鏡に自分の姿を映しながら、開いた方の手で髪を整え確認している。
「ん。今回も上出来だ。ありがとう」
「どういたしまして」
満足げな赤井の表情を見て、りおも嬉しそうに返事をした。
「で、今回の報酬は何が良いんだい?」
片付けをしているりおを見ながら、ニヤニヤと嬉しそうに赤井が訊ねた。
いつからだったか。赤井の専属ヘアメイク係となったりおに、[報酬]と称してお願いを聞いてあげることが二人の決まり事となった。
さて、今回はどんなおねだりをされるのだろう。
赤井は興味津々といった顔で、りおを見つめる。
「えっとね……。さっき思い出したんだけど…今回はね……」
「え?」
りおからのおねだりに、赤井は目を丸くした。
***
翌日、昴とさくらは東都水族館に来ていた。目の前には大きな観覧車がゆっくり回っている。二人は太陽の光を遮るように目元に手を当て、観覧車を見上げた。
赤井とりおが再会する少し前——。
NOCリストを巡り首都高でのカーチェイスが繰り広げられ、その後はバーボンとキールのNOC疑惑、そして東都水族館での観覧車爆破未遂など大きな事件があった。
特に水族館では、ジンが戦闘機で銃を乱射。観覧車の車軸が外れ、あわや大惨事となるところを安室・コナン・赤井の連係プレーと、キュラソーの命がけの突撃で難を逃れた。
あれだけの物的被害があったにも関わらず、死者はキュラソーただ一人だったことはあまり知られていない。彼女が組織の構成員だったことを鑑み、公安がもみ消したからだ。
その東都水族館が長い修復工事を終え、先週からリニューアルオープンしている。
水族館に到着したさくらの手には、白いユリの花束が海風に吹かれて揺れていた。
観覧車が転がり、キュラソーが重機で突っ込んだところは広場の中央付近だったため、さくらは観覧車の下にそっと花束を置く。
鉄筋の大きな柱を支える無機質なコンクリート部分に、優しい香りを湛えるユリの花。
そのコントラストが余計に悲しみを深くした。
さくらはゆっくりしゃがみ込んで手を合わせると、長い時間故人の冥福を祈る。
昴もさくらの後ろに立ったまま、頭を軽く下げた。
祈りを捧げ、ようやく立ち上がったさくらに向かって、昴が静かに声をかける。
「組織がNOCリストを狙っていると理事官にリークしたのはあなたですね?」
昴の問いに、さくらは静かにうなずいた。
「ええ。組織内でもトップシークレットだったこともあって、私がその計画を知ったのは実行の当日だった。すでにキュラソーは警察庁に潜入していたわ。
『ゼロ』を通していたのでは間に合わない。
危険を承知で直接理事官に知らせたの」
さくらはユリの花束をジッと見つめたまま答えた。
「組織に情報のリークがバレないよう手を打たなければならない。私はキュラソーが使った潜入用のIDカードに、不備があったよう細工を施したの。ちょうどその時に、首都高でのカーチェイスの事を知ったわ。
キュラソーがラムに送ったメールの事もハッキングで分かっていたから、メールの内容を書き換えようとしたんだけど……タイミング悪くキャンティが私の部屋にやって来てしまって。結局一部を消すことしか出来なかった」
当時を思い出し、さくらは苦しい表情を見せる。
「バーボンとキールが拘束された時、あなたはどこにいたのですか?」
「私はアジトに居たわ。ジンは二人を始末するつもりだったから、私には内緒にしていたみたい。
皆が水族館に集まっている頃、私はアジトで航空自衛隊の動きを見張るように指示されていたし。キュラソーの事は、後になってベルモットから聞いたの」
「そうだったんですか……」
昴は小さく息を吐いた。
キュラソーが乗った重機が観覧車の重みで潰れ、爆発炎上する様をさくらが目の当たりにしていたら——。
考えただけでもゾッとする。その時、自分は彼女のそばに居なかったのだから……。
「戦闘機を撃ち落としたのって、昴さんでしょう?」
「え? ああ。そうです」
やっぱりね、とさくらは笑った。
「あの時、『赤井秀一』以外に戦闘機をライフルで撃ち落とす人がいるなんてって驚いたのよ」
フフッと微笑んだものの、その笑顔はすぐに消えた。
「あなたの動画を見て、まだ間もなかったからヘンに期待しちゃって。でもライなわけないでしょ、ってベルモットにも言われて……。ショックだったことを覚えているわ」
「……」
昴はそれを聞いて黙り込む。
あの動画を見たラスティーの動揺は大きかった。発作的に自身の喉を貫こうとしたほどだ。
それから間もなくキュラソーの死。
彼女にとっては本当に苦しい時期だったに違いない。
「故人に何を祈ったのですか?」
気を取り直し、昴は再びさくらに問いかけた。
「子どもたちを守ってくれてありがとうと、出来れば死なないで欲しかったって事と…どうか安らかに…って」
花束を見つめるさくらの瞳は悲しみに揺れる。昴はそれを黙って見つめた。
「そういえば……カルバドスが死んだ場所に花を手向けたのも、あなたですか?」
「……ええ」
ベルモットが灰原哀を亡き者にしようとした一件。赤井は物陰に潜んで狙撃をしようとしていたカルバドスの両足を折り、動けなくして武器を奪っていた。『もはやこれまで』と悟ったカルバドスは、隠し持っていた拳銃で自決していた。
そのカルバドスが自決した場所に小さな花束が手向けられていた、と以前ジェームズから聞いたことがあった。
「そうでしたか」
昴は再びため息をついた。
「あなたはどこまでも優しいですね。でも、その優しさが時にあなた自身を傷つける……」
そんなお前を見るのは辛い。
最後の言葉は飲み込んだ。
「良いのよ、傷ついても。生きていればその傷はいつか癒えるわ。私は生きている。
その傷の痛みを知っているから、また誰かを守ろうと思えるの。それで良いのよ」
さくらの言葉に思わず昴は目を開けた。
『そうやって何度も傷ついてきたんだな……お前は』
人を助けるという事は、口で言うほど簡単ではない。多数を救う為に少数を切り捨てなければならないこともある。
そんな修羅場を自分たちはいくつも越えてきた。正に苦渋の決断。その度に心が悲鳴を上げる。自分の判断が本当に正しかったのか。
それはおそらく自分が死ぬまで続く問いだ。
それでも尚、守り続けるのは……受ける傷以上に大切なものを、人々から得られるからかもしれない。
さくらの顔を見ていると、そんな気がした。
「ねえ、昴さん。せっかく来たんだし観覧車乗らない?」
少しだけ晴れやかな表情になったさくらは、昴に笑顔を見せる。それを見て昴の表情も緩んだ。
「良いですね。乗りましょうか」
気持ちを切り替え、二人は腕を組んで観覧車乗り場へと移動した。
数十分ほど待つと二人はゴンドラに乗り込み、移り行く外の景色を楽しむ。見えるものは少しずつ変化していった。
見下ろすと、人影はどんどん小さくなっていく。視線を上げれば広い水族館の敷地と、さらにその向こうには海が広がっていた。
ちょうどてっぺん近くまで来た時だった。
「ああ、ここだ。ここで安室さんとやり合ったんですよ」
昴が窓越しに指さした。
「え? ここで? ここって観覧車のてっぺんだよ?」
「はい」
「一応聞くけど……昴さんの、姿で?」
「いいえ……赤井の姿で、ですけど」
「はぁ!?」
赤井の姿と聞いて、さくらは目を丸くした。
「よくジンに見つからなかったわね。彼ら戦闘機から観覧車を見ていたんでしょう?
しかもあの戦闘機には赤外線カメラがついていたのよ。 顔までは分からなくても、動きや体つきで気付かれる可能性だって……」
「今思えば軽率でした。まあ、結果オーライですかね」
観覧車の整備用に設けられた足場を見ながら、他人事のように昴は答えた。
「結果オーライって……。秀一さんの言葉とは思えないわ」
「今は昴ですから」
「あ~……はいはい」
もぅ~面倒くさいなぁ、とさくらは呟きながら、観覧車の足場に視線を移す。
足場といってもそこはハシゴ状だ。相手の動きを見ながら、自分の足元にも気を配らなければならない。ちょっとでも踏み外せば落下するか、相手の攻撃を受けてしまう。正に極限状態での戦いだ。
「よくこんな足元の悪い所で……」
「初めてでしたよ。彼と真正面からぶつかり合ったのは。彼のパンチはなかなかでした。顔に食らった時はさすがに効きましたね」
「降谷さんのパンチ食らって立っていられた人、そうそういないわよ。でももう……二人がやり合うのは、これっきりにして欲しいものね」
さくらは昴の顔をジッと見つめた。
キールの撮影した映像で、赤井が頭を撃たれた直後の事を思い出す。
彼の顔にはたくさんの血が飛び散っていた。
さくらは思わず目を閉じ、下を向く。
「あなたが傷だらけになるのを見たくないから」
苦し気に表情を歪ませたさくらは、昴の手を握る。そんなさくらの手に、昴の大きな手が重なった。
「大丈夫ですよ。傷の一つや二つ。それこそ生きていればすぐに治ります。でも、あなたが悲しむなら、もうしませんよ」
昴はさくらと目を合わせ微笑んだ。
そのまま、二人の視線は外へと向けられた。真っ青な空がどこまでも続く。遠くに水平線も見えた。
『どうか……このままずっと《りおと》《秀一さんと》一緒にいられますように』
繋いだ手に力がこもる。
今日も明日もその次も——
危険と隣り合わせの二人には、今この瞬間の保証すらない。
それでも。昴もさくらも、そう祈らずにはいられなかった。
大切な人を失う悲しみ。
もう二度と味わいたくはないから。
祈りをささげる二人を乗せ、ゴンドラは静かに地上へと戻っていった。
「さてと…ランチの時間ですね。さくら、何食べたいですか?」
「う~~ん。久しぶりにラーメン食べたい」
「あ、良いですね。そのジャンキーな感じ。」
「じゃあ決まり~! ラーメン屋さん行こ!」
先ほどとは打って変わって、楽し気にランチの相談をした二人は手を繋いで歩き出す。
ふと、さくらは観覧車の方を振り返った。
先ほど手向けたユリの花が風に揺れている。
『キュラソー。また来るね。今度は子どもたちも連れてくるわ』
さくらはそう心の中で呟くと、笑顔で水族館を後にした。
「あ!」
赤井の髪を切っているまさにその時、りおが声を上げた。思わず赤井の肩が跳ねる。
「おい……どうした?」
頭は動かさず、視線だけりおの方へ動かすと、赤井は恐る恐る訊ねた。
「え? あ、ううん。失敗したわけではないわよ。ちょっと思い出しただけ」
軽く答えて、りおは再びハサミを動かす。
「ふーん」
「なによ、ハゲにしたと思った?」
「さすがにハサミでハゲは作れないだろう。
てっきり切り過ぎたのかと思っただけさ」
「ちょっとくらい切りすぎたって、どうせウィッグ被るし、秀一さんの時はニット帽被っているし。問題ないでしょ」
手を動かしたまま、りおはクスッと笑う。
「まあ、確かにそうだが……。夜、お前の前ではどっちもかぶっていないだろう?」
「一部だけ短くなった髪を笑うのは、私だけって事ね」
「ひどいな。失敗したのはりおなのに」
「だから……まだ失敗していませんって」
お互いに憎まれ口を叩き合うのは、最近のお決まりだ。日常の何でもないやり取り。それすらも二人にとって心地良い。
「はい! 出来ましたよ。鏡で確認してください」
りおが手鏡を渡すと、赤井は鏡に自分の姿を映しながら、開いた方の手で髪を整え確認している。
「ん。今回も上出来だ。ありがとう」
「どういたしまして」
満足げな赤井の表情を見て、りおも嬉しそうに返事をした。
「で、今回の報酬は何が良いんだい?」
片付けをしているりおを見ながら、ニヤニヤと嬉しそうに赤井が訊ねた。
いつからだったか。赤井の専属ヘアメイク係となったりおに、[報酬]と称してお願いを聞いてあげることが二人の決まり事となった。
さて、今回はどんなおねだりをされるのだろう。
赤井は興味津々といった顔で、りおを見つめる。
「えっとね……。さっき思い出したんだけど…今回はね……」
「え?」
りおからのおねだりに、赤井は目を丸くした。
***
翌日、昴とさくらは東都水族館に来ていた。目の前には大きな観覧車がゆっくり回っている。二人は太陽の光を遮るように目元に手を当て、観覧車を見上げた。
赤井とりおが再会する少し前——。
NOCリストを巡り首都高でのカーチェイスが繰り広げられ、その後はバーボンとキールのNOC疑惑、そして東都水族館での観覧車爆破未遂など大きな事件があった。
特に水族館では、ジンが戦闘機で銃を乱射。観覧車の車軸が外れ、あわや大惨事となるところを安室・コナン・赤井の連係プレーと、キュラソーの命がけの突撃で難を逃れた。
あれだけの物的被害があったにも関わらず、死者はキュラソーただ一人だったことはあまり知られていない。彼女が組織の構成員だったことを鑑み、公安がもみ消したからだ。
その東都水族館が長い修復工事を終え、先週からリニューアルオープンしている。
水族館に到着したさくらの手には、白いユリの花束が海風に吹かれて揺れていた。
観覧車が転がり、キュラソーが重機で突っ込んだところは広場の中央付近だったため、さくらは観覧車の下にそっと花束を置く。
鉄筋の大きな柱を支える無機質なコンクリート部分に、優しい香りを湛えるユリの花。
そのコントラストが余計に悲しみを深くした。
さくらはゆっくりしゃがみ込んで手を合わせると、長い時間故人の冥福を祈る。
昴もさくらの後ろに立ったまま、頭を軽く下げた。
祈りを捧げ、ようやく立ち上がったさくらに向かって、昴が静かに声をかける。
「組織がNOCリストを狙っていると理事官にリークしたのはあなたですね?」
昴の問いに、さくらは静かにうなずいた。
「ええ。組織内でもトップシークレットだったこともあって、私がその計画を知ったのは実行の当日だった。すでにキュラソーは警察庁に潜入していたわ。
『ゼロ』を通していたのでは間に合わない。
危険を承知で直接理事官に知らせたの」
さくらはユリの花束をジッと見つめたまま答えた。
「組織に情報のリークがバレないよう手を打たなければならない。私はキュラソーが使った潜入用のIDカードに、不備があったよう細工を施したの。ちょうどその時に、首都高でのカーチェイスの事を知ったわ。
キュラソーがラムに送ったメールの事もハッキングで分かっていたから、メールの内容を書き換えようとしたんだけど……タイミング悪くキャンティが私の部屋にやって来てしまって。結局一部を消すことしか出来なかった」
当時を思い出し、さくらは苦しい表情を見せる。
「バーボンとキールが拘束された時、あなたはどこにいたのですか?」
「私はアジトに居たわ。ジンは二人を始末するつもりだったから、私には内緒にしていたみたい。
皆が水族館に集まっている頃、私はアジトで航空自衛隊の動きを見張るように指示されていたし。キュラソーの事は、後になってベルモットから聞いたの」
「そうだったんですか……」
昴は小さく息を吐いた。
キュラソーが乗った重機が観覧車の重みで潰れ、爆発炎上する様をさくらが目の当たりにしていたら——。
考えただけでもゾッとする。その時、自分は彼女のそばに居なかったのだから……。
「戦闘機を撃ち落としたのって、昴さんでしょう?」
「え? ああ。そうです」
やっぱりね、とさくらは笑った。
「あの時、『赤井秀一』以外に戦闘機をライフルで撃ち落とす人がいるなんてって驚いたのよ」
フフッと微笑んだものの、その笑顔はすぐに消えた。
「あなたの動画を見て、まだ間もなかったからヘンに期待しちゃって。でもライなわけないでしょ、ってベルモットにも言われて……。ショックだったことを覚えているわ」
「……」
昴はそれを聞いて黙り込む。
あの動画を見たラスティーの動揺は大きかった。発作的に自身の喉を貫こうとしたほどだ。
それから間もなくキュラソーの死。
彼女にとっては本当に苦しい時期だったに違いない。
「故人に何を祈ったのですか?」
気を取り直し、昴は再びさくらに問いかけた。
「子どもたちを守ってくれてありがとうと、出来れば死なないで欲しかったって事と…どうか安らかに…って」
花束を見つめるさくらの瞳は悲しみに揺れる。昴はそれを黙って見つめた。
「そういえば……カルバドスが死んだ場所に花を手向けたのも、あなたですか?」
「……ええ」
ベルモットが灰原哀を亡き者にしようとした一件。赤井は物陰に潜んで狙撃をしようとしていたカルバドスの両足を折り、動けなくして武器を奪っていた。『もはやこれまで』と悟ったカルバドスは、隠し持っていた拳銃で自決していた。
そのカルバドスが自決した場所に小さな花束が手向けられていた、と以前ジェームズから聞いたことがあった。
「そうでしたか」
昴は再びため息をついた。
「あなたはどこまでも優しいですね。でも、その優しさが時にあなた自身を傷つける……」
そんなお前を見るのは辛い。
最後の言葉は飲み込んだ。
「良いのよ、傷ついても。生きていればその傷はいつか癒えるわ。私は生きている。
その傷の痛みを知っているから、また誰かを守ろうと思えるの。それで良いのよ」
さくらの言葉に思わず昴は目を開けた。
『そうやって何度も傷ついてきたんだな……お前は』
人を助けるという事は、口で言うほど簡単ではない。多数を救う為に少数を切り捨てなければならないこともある。
そんな修羅場を自分たちはいくつも越えてきた。正に苦渋の決断。その度に心が悲鳴を上げる。自分の判断が本当に正しかったのか。
それはおそらく自分が死ぬまで続く問いだ。
それでも尚、守り続けるのは……受ける傷以上に大切なものを、人々から得られるからかもしれない。
さくらの顔を見ていると、そんな気がした。
「ねえ、昴さん。せっかく来たんだし観覧車乗らない?」
少しだけ晴れやかな表情になったさくらは、昴に笑顔を見せる。それを見て昴の表情も緩んだ。
「良いですね。乗りましょうか」
気持ちを切り替え、二人は腕を組んで観覧車乗り場へと移動した。
数十分ほど待つと二人はゴンドラに乗り込み、移り行く外の景色を楽しむ。見えるものは少しずつ変化していった。
見下ろすと、人影はどんどん小さくなっていく。視線を上げれば広い水族館の敷地と、さらにその向こうには海が広がっていた。
ちょうどてっぺん近くまで来た時だった。
「ああ、ここだ。ここで安室さんとやり合ったんですよ」
昴が窓越しに指さした。
「え? ここで? ここって観覧車のてっぺんだよ?」
「はい」
「一応聞くけど……昴さんの、姿で?」
「いいえ……赤井の姿で、ですけど」
「はぁ!?」
赤井の姿と聞いて、さくらは目を丸くした。
「よくジンに見つからなかったわね。彼ら戦闘機から観覧車を見ていたんでしょう?
しかもあの戦闘機には赤外線カメラがついていたのよ。 顔までは分からなくても、動きや体つきで気付かれる可能性だって……」
「今思えば軽率でした。まあ、結果オーライですかね」
観覧車の整備用に設けられた足場を見ながら、他人事のように昴は答えた。
「結果オーライって……。秀一さんの言葉とは思えないわ」
「今は昴ですから」
「あ~……はいはい」
もぅ~面倒くさいなぁ、とさくらは呟きながら、観覧車の足場に視線を移す。
足場といってもそこはハシゴ状だ。相手の動きを見ながら、自分の足元にも気を配らなければならない。ちょっとでも踏み外せば落下するか、相手の攻撃を受けてしまう。正に極限状態での戦いだ。
「よくこんな足元の悪い所で……」
「初めてでしたよ。彼と真正面からぶつかり合ったのは。彼のパンチはなかなかでした。顔に食らった時はさすがに効きましたね」
「降谷さんのパンチ食らって立っていられた人、そうそういないわよ。でももう……二人がやり合うのは、これっきりにして欲しいものね」
さくらは昴の顔をジッと見つめた。
キールの撮影した映像で、赤井が頭を撃たれた直後の事を思い出す。
彼の顔にはたくさんの血が飛び散っていた。
さくらは思わず目を閉じ、下を向く。
「あなたが傷だらけになるのを見たくないから」
苦し気に表情を歪ませたさくらは、昴の手を握る。そんなさくらの手に、昴の大きな手が重なった。
「大丈夫ですよ。傷の一つや二つ。それこそ生きていればすぐに治ります。でも、あなたが悲しむなら、もうしませんよ」
昴はさくらと目を合わせ微笑んだ。
そのまま、二人の視線は外へと向けられた。真っ青な空がどこまでも続く。遠くに水平線も見えた。
『どうか……このままずっと《りおと》《秀一さんと》一緒にいられますように』
繋いだ手に力がこもる。
今日も明日もその次も——
危険と隣り合わせの二人には、今この瞬間の保証すらない。
それでも。昴もさくらも、そう祈らずにはいられなかった。
大切な人を失う悲しみ。
もう二度と味わいたくはないから。
祈りをささげる二人を乗せ、ゴンドラは静かに地上へと戻っていった。
「さてと…ランチの時間ですね。さくら、何食べたいですか?」
「う~~ん。久しぶりにラーメン食べたい」
「あ、良いですね。そのジャンキーな感じ。」
「じゃあ決まり~! ラーメン屋さん行こ!」
先ほどとは打って変わって、楽し気にランチの相談をした二人は手を繋いで歩き出す。
ふと、さくらは観覧車の方を振り返った。
先ほど手向けたユリの花が風に揺れている。
『キュラソー。また来るね。今度は子どもたちも連れてくるわ』
さくらはそう心の中で呟くと、笑顔で水族館を後にした。