ペリドットとアンバー短編集
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(好きな人に忘れられるって、こんなに苦しいんだ。私が秀一さんの事を忘れた時、きっと彼もツラかったんだろうな……)
前に、ジョディからその時のことを聞かされたことがある。「あの時のシュウはね、」と聞くたびに切なくて、申し訳なくて。話を聞いただけで、彼の悲しみや苦しみを分かった気になっていた。
しかし、実際体験してみて初めて理解した。
『 好きな人の記憶の中に自分が居ない』
その悲しみや苦しみ以上に襲ってくる絶望感。スッと血の気が引いて暗闇の中へ叩き落とされたような——世界が真っ暗になってしまったような感覚。
今頃こんな形で知ることになるなんて、思いもしなかった。
(秀一さんに会いたい……。会って、あの大きな手で抱きしめて欲しい……)
隣にいる『赤井』は、赤井の姿をして赤井の声を発しているけれど、まったくの別人。
愛し、愛してくれる『赤井』ではない。
やがて目の前に電車が到着した。誰も乗っていない1両だけの電車。
『赤井』とさくらは黙ってその電車を見つめていた。
ジリリリリリリ~
出発を知らせるベルが鳴り響く。
ファァァン…
ゴトン………ゴトン……ゴトン…ゴトン、ゴトン、ゴトン…
電車はゆっくり動き出し、走り去ってしまった。再び駅の待合は静かになる。
「恋人さん……まだ来ないんですね」
「ああ。次の電車は1時間後。それには一緒に乗れるかな……」
言葉とは裏腹に、『赤井』の顔はほんの少し寂しそうだった。
それから何本も電車が通り過ぎて行った。日は傾き、辺りは一面オレンジ色に染まる。
『赤井』とさくらは黙ったまま、ベンチに座り続けていた。
すでに何時間も過ぎたが、『赤井』の恋人が来る気配は無い。さくら自身もどこに行けばいいのか分からないので、駅から動けない。
ただただ、時間だけが過ぎていった。
太陽が傾き、待合室の窓からも見える。茜色の光が駅に差し込んだ。山の稜線に太陽の一部がかかると、見る見るうちに光が吸い込まれていく。
あと少しで、太陽が完全に沈む——その様子を見ていたさくらは、途端に寂しくなった。
「秀一さん……会いたいよ……」
あまりにも切なくて、心の声が漏れ出てしまった。我慢していた涙がぽろぽろと零れ落ちる。きっと隣の『赤井』は、さくらの涙の理由なんて分からない。
泣いていることに気付けば、驚かせてしまうだろう。
「まだ…気付かないか?」
ふいに声をかけられた。
「え?」
さくらは驚いて『赤井』の方を見た。ペリドットの瞳と目が合う。その目は真っすぐさくらを見ていた。
優しい眼差し。愛おしそうに微笑む笑顔。
「りお」
名を呼ばれてようやく気付いた。隣に居るのは、自分の愛する『赤井』だと。
「秀一さんッ‼」
そのままさくらは赤井に抱きついた。その首元に腕を回し唇を重ねる。そのまま深く口付けた。
そんなさくらの体を、赤井は優しく抱き留める。
体温。息遣い。そしてキス。
全てが自分の知っている赤井だった。
息が苦しくなって唇を離すと、そのまま赤井の首にすり寄る。ちゅっちゅっとリップ音を鳴らしてその首筋に痕をつけた。
「……」
赤井が何か言っているようだが、さくらはまったく言葉が聞き取れない。
「え? なあに? 何て言ったの?」
「…!」
「え?」
「……‼」
「ねえ! 今なんて?」
何度目か聞き返した時だった。
「さくらっ‼ ストップ! ストップッ‼」
「え?」
パチリ
何かを制止する昴の声でさくらの目が開いた。
「ん…?」
周りを見回す。古びた建物は消え、小ぎれいな部屋に居る。
白い壁、レモンイエローのカーテン、そしてピッピッと小さな機械音を鳴らす医療機器。
看護師さんとドクター、そしておでこに絆創膏を貼った哀と博士もいる。
4人とも真っ赤な顔で目をまん丸くして、こちらを凝視していた。
「ん??」
次に、さくらは自分の姿に目を向ける。
病院着を着ている。そして横たわっている……わけではない。絶賛、誰かに抱きついている。
「んん???」
状況が飲み込めず、腕を緩めて抱きついている相手の顔を見た。
「す、昴さん!?」
そこには顔を赤くした昴がいた。
どうやら階段から落ちて脳震盪を起こし、意識を失ったらしい。
救急車で運ばれたがすぐには目を覚まさず、時々ドクターが様子を見に来ていた。
ちょうどドクターが来たタイミングで、突然うわ言を言いだしたという。
何だろうと思って近づいた昴に突然抱きつき、キスしてきた、と説明された。
「ええ!? 本当に?」
「まさかドクターたちの前で、あんな濃厚なキスをされるなんて思ってもいませんでした」
診察を終え、ドクターと博士たちはお大事に、と言って出て行った。今、病室には昴とさくらしかいない。
よく見ると、昴の首筋には赤いキスマークがいくつか付いている。しかも夢の中で自分が付けたところと同じ。
覚醒直前に夢の中でやっていた事が、現実でも行われていたらしい。
「ええ~っ!? 私……もうあのドクターたちと顔合わせられないよ……」
さくらは真っ赤になったまま、毛布をかぶって貝のようになっている。
「もし、近づいたのが私じゃなかったら、ドクターとキスしてるところでしたよ」
「私だったから良かったですけど…」と昴はため息交じりにつぶやいた。
「だ、だって…夢の中の秀一さん…私の事を忘れちゃってたんだもん。すごく寂しかったの。それがようやく思い出してくれたから……」
ちらりと布団から顔を出し、さくらは口をとがらせた。
「おや、『赤井』とキスをする夢だったのですか? それは怒って良いのか喜んで良いのか…迷いますね」
さくらの説明を聞いて、昴の口角が嬉しそうに上がる。
「でも現実の世界で、私は秀一さんに同じことをしたんだよね……。ホントに…ごめんなさい」
夢の中での絶望感を思い出し、さくらは泣き出しそうな顔で謝罪した。
「良いんですよ。あなたはちゃんと思い出してくれましたから。夢の中の私も、ちゃんとあなたを思い出したでしょ?」
「うん。思い出したというか、騙してたって感じだったけど」
「フフフ。それは可哀そうなことをしました。きっと好きな子に意地悪したくなったんですね」
昴は嬉しそうにさくらの顔を見る。フッと安堵したように微笑んだ。
「頭を打っていたので、ずいぶん心配したんですよ。なかなか目を覚まさなかったですし。家に帰ったら『赤井』の姿でたくさんハグもキスもしてあげます。もちろんそれ以上も。覚悟しておいてくださいね」
さっきのキスのお返しです、と『赤井』は昴の顔で静かに微笑んだ。
「ッ!? えっ、あ…いや…あの……」
こういう時の『赤井』は、こちらが根を上げるまで放してくれない事を、さくらはよく知っている。
「お、オテヤワラカニ……オネガイ…シマス」
さくらは顔を真っ赤にして答えた。
雷雨はとっくに止み、病室の窓にはさくらの顔に負けないくらい、真っ赤な夕日が差し込んでいた。
===おまけ===
工藤邸に帰ると、博士と哀が夕食を持ってお見舞に来てくれた。
「すまんかったのう。わしの不注意で……」
「い、いいえ。ケガもほとんど無かったし…二人は大丈夫でした?」
「私はあなたが守ってくれたおかげで、おでこの擦り傷だけ。博士も腰を打ったけど大したことなかったわ。それより……」
そこまで言って、哀がジト目になる。
「あなた達! あんな濃厚なキス、いつもしてるの?」
「え…」
「さくらさんが意外と積極的で驚いたわ…」
「え、いや…その…いつもじゃ…」
「おや、いつもあんな感じじゃないですか」
「ふ~~ん。やっぱそうなんだ」
「昴さんっ!」
顔を真っ赤にしたさくらが、昴の顔を睨みつける。そんなことはお構いなしに、昴はさくらの耳元でささやいた。
(いつもは俺からのキスだけどな)
(昴さんのせいで誤解されちゃったじゃないの!)
(世間的にキス止まりだし、良いじゃないか)
(良くな~~~い!!)
「あ~、はいはい。仲が良いのは分かったから。イチャイチャは私が帰ってからにして。まったく…最近の大人ときたら……」
「「…は、ハイ…スミマセン」」
哀のクールな返しに、もうどちらが大人か分からないわ……と、さくらは盛大にため息をついた。