ペリドットとアンバー短編集
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ダンッ!
赤井は空になったウィスキーグラスを乱暴に置いた。
カラ…ン…
中の氷が割れ、グラスを鳴らす。
「くそっ!」
口汚く漏れる言葉を、赤井は押さえることが出来ない。
K国から帰国したりおが、安室とホテルの屋上で夜遅くまで過ごしたと聞いて逆上し、思わずりおを押し倒した。
『男はその気になれば、あなたを自分の物に出来るんですよ』
そう彼女の耳元でささやいた。
その言葉は、『お前の気持ちなどお構いなしに男はいつでもお前を抱けるんだ。お前の《信じて》など意味が無いんだ』と言っている事と同じだ。
『信じて待つ』と言っておきながら、彼女の言い分も聞かず、酷い言葉を浴びせてしまった。
【後悔先に立たず】とはよく言ったものだ。
りおが工藤邸を飛び出す直前の、あの悲しい顔が頭から離れない。
赤井は左手で自身の腹部に触れる。
押し倒した際にりおから食らった膝蹴りの痛みが、まだじんわりと残っていた。
「こんな痛み…りおが感じた心の痛みに比べれば大したことではない。俺はあいつにもっと酷い事を……」
腹部に当てていた左手は、いつの間にか着ていたシャツを強く握りしめていた。
赤井はふらりと立ち上がると書斎を出る。
気が付くとりおの部屋の前だった。
ガチャ
そっと部屋のドアを開ける。当然部屋の主はいない。
真っ暗な部屋に入って電気をつけた。
キレイに整えられた部屋。
僅かばかりの私物。
ヒンヤリとした部屋の空気を感じて、改めてここにりおが居ないと突きつけられた気がした。
「ッ!」
グッと胸の奥が痛んで赤井は踵を返す。そのまま部屋を出ると、電気を消してドアを閉めた。
自室へ行き、ベッドに倒れるようにダイブした。
ポケットからスマホを取り出してメールアプリを起動するが、返信は無い。既読すら付いていなかった。
スマホを枕元に放り投げ、赤井は目を閉じた。
(謝らせてもくれないのか…)
胸の痛みは未だ治まらず、ただただ…辛かった。
(明日はどこを探そう……)
目を閉じたまま思考を巡らす。
今日はりおをすぐに追いかけ、阿笠邸やりおのアパート、公安のアパートや大学、新出医院、毛利探偵事務所にも行ってみた。だがどこにもりおの姿は無い。
(どこにいる? お前は今、どこで何を考えているんだ?)
ごろりと寝返りを打つ。
(俺は…お前に会いたいよ…)
アルコールの力も手伝って、赤井の意識はそこで途絶えた。
朝——。
カーテンの隙間から漏れる光で、赤井は目を覚ます。
「うっ…ん…」
重いまぶたを無理やり開けて、周りを見回した。
「あのまま寝てしまったか…」
夕べと何も変わらない部屋。赤井はベッドから起き上がり、リビングへと向かった。
リビングに入ると、まず目についたのがりおの荷物。部屋の隅に置かれたままだった。
ソファーはりおを押し倒した際に動いたのか、位置がだいぶずれている。
テーブルの上には昨日確認した、成田のお土産がそのまま置かれていた。
どこを見ても何をしていても、りおの涙を思い出させる。
思わず目を背けてリビングを出た。
赤井はダイニングへ行き、コーヒーを淹れた。食パンを1枚トースターに放り込む。
タバコを咥え、卵とベーコンを冷蔵庫から出し、フライパンへ順に入れる。火が通るのを待つ間、皿にレタスとミニトマトを乗せた。
10分程で朝食が出来た。
りおと暮らした2か月で、すっかり朝食を食べる習慣がついた。それはりおが工藤邸を出てからも変わらない。
ただ一人で食べる食事は味気ない。
週末、りおと食べる食事が何より楽しみになっていた。
今回もようやく任務を終え、一緒に食べられると思っていたのに。
今日はいつも以上に味気なく、なかなか喉を通らなかった。
片付けをして変装をし、とりあえず家を出た。
りおの行きそうな場所を考え、思いつく限り足を運ぶ。
だが結局りおの姿を見つけることは出来なかった。
今日もメールの既読は付かないまま。
電話もつながらない。
いよいよ別の意味で心配になってくる。
彼女の身に何かあったのでは…と。
あと彼女がいる可能性があるのはアジト。確認するには安室に連絡するよりほかに手立てはない。分かっているが躊躇していた。
(もし…りおが安室くんのところに居たら…)
そう思うと正直怖かった。自分に愛想が尽きて、他の男の元へ行ってしまったとしたら——。
ゾクリと背筋が寒くなる。
しかしすでにりおが家を出て丸二日。そんなことも言っていられない。
覚悟を決めて安室に連絡した。
そして——安室とのやり取りから約2時間後。
彼からメールが来た。
この2日間アジトに居たと分かってホッと胸をなでおろす。どこかに拉致されているのではと本気で心配していたからだ。
続く彼のメールを読んで赤井は言葉を失った。
「なに?! エミリーの命が?!」
りおの事だ。藤枝に過去の自分を重ね合わせたに違いない。その藤枝の命を守るため、決して救えない命を【救える可能性がある】とウソをつく。
「辛かったろう……」
りおが戻ってきたあの日——。
自分がすべきことは、ただ黙ってりおを抱きしめる事だった。
胸がギュッと締め付けられるように痛む。
そしてメールに書かれた最後の言葉を読んだ時、昴は眉根を寄せ、グッと奥歯を噛みしめた。
『さくらさんの心の中はあなたでいっぱいだった。僕の入る余地なんて、これっぽっちも無いくらいに——』
「安室君…どうして君にはりおの気持ちが分かるんだ? 俺は…君にこうして教えてもらうまで…」
分からなかったというのに——。
自分の不甲斐なさに余計切なくなる。
(りお……会いたい。会って謝りたい…)
後悔の念が何度も押し寄せた。
「ふ~~」
昴(赤井)は大きく息を吐いて気持ちを切り替えた。
どんなに後悔しても何も変わらない。
自分が今、何をすべきか…。目を閉じ考える。
「安室君のメールには『スコッチに会いに行ったのかもしれない』と書かれていた。ならば、おそらく行き先は……」
昴は上着を手に取ると工藤邸を後にした。
1時間半後——。
昴はスコッチと最後に言葉を交わした、あのビルの前にいた。
非常階段に足を踏み入れ、ゆっくり昇っていく。
カン、カン、カン…
階段を昇る足音が響く。
屋上に近づくたび、あの時の情景が脳裏に見え隠れした。
階段を昇り切ると視界が開けた。
人の気配は無い。
ふと足元に転がる、血の付いたナイフが目に入った。
「ッ?!」
悪い予感がした。
視線を上げると手すりに血が付いているのが見える。ゆっくり警戒しながら進むと、スコッチが事切れた場所にさくらが倒れていた。
「さくら!」
名を呼びながら近づいた。
あたりを見回し、不審者がいないか確認する。幸いさくらと自分以外誰もいない。
血の付いた手すりから下を覗くと、無残な死体が見えた。
「これを見たのか……」
膝をつき、さくらを抱き起こす。さくらの体に触れた時、ぬるりと手に何かが触れた。良く知るその感触——。
昴はハッとして、その手をさくらから放し、自分の方へ向けた。
真っ赤になった自分の手を見て息を飲む。
視線を変えれば、さくらが横たわっていたところは血の海が広がっていた。
「さくら! さくら!」
昴が何度も名を呼ぶが、その目は閉じられたまま。顔は蒼白で生気がまるで感じられない。昴の顔色がサッと変わる。
(まさか…そんな…)
血まみれの震える手でさくらの首筋に触れる。祈るようにその手を押し当てた。
トゥ……ク……
僅かだが確かに脈を感じる。
「ッ!」
昴は血まみれの手をさくらの頬に当て、声をかけた。
「死ぬな! 死ぬなよ!! 俺を残して…死なないでくれ!!」
昴はポケットからスマホを取り出すと119をタップした。
それから3時間後——。
さくらの無事を確認した哀と博士は、自宅へと引き上げて行った。
昴は一人残り、病室でさくらの手を握っている。
手術直後、哀からさくらが空を眺める理由を聞いた。
会えなかったあの日。
辛い気持ちを昇華しきれず、さくらは空を見上げてずっと赤井を想っていた。
安室からのメールの意味が分かって、昴は…いや赤井は涙が止まらなかった。
(空を見上げて風を感じて。ずっと俺を…)
さくらの想いを知り、赤井は涙と共にようやく謝罪の言葉を、さくらに伝えることが出来たのだった。
再び眠ってしまったさくらの顔を、昴(赤井)はジッと見つめる。
「この2日間…お前の事ばかり考えていた…。
最後はケンカ別れをしたまま…永遠に会えなくなるのかと…。肝を冷やしたよ」
りおの顔にかかった髪をそっと直し、頭を撫でる。
「俺の事を想ってくれてありがとう。
俺のところに帰ってきてくれて…生きていてくれて…ありがとう…」
穏やかに眠るさくらの頬に、昴はそっとキスをした。
病室のドアの向こうでは、二人の着替えをもって、再び病院に顔を出した哀と博士が立ち尽くす。完全に入るタイミングを失ってしまっていた。
「ふぅ……。あの二人が揉めると、ホント面倒くさいわね」
言葉とは裏腹に、哀の顔は笑顔だった。