ペリドットとアンバー短編集
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雨の水曜日だった。
サカモトビル火災後、りおが工藤邸を出てアパートに戻ってから2週間が過ぎた。
昴は手元の資料から視線を上げ、部屋を見回す。
二人での生活が2ヶ月ほど続いていたので、自分しかいないリビングは、色を無くしたように寂しくなった。
特にこうやって雨の日は、雨音しか聞こえない事が無性に寂しくなる。
りおは失声症で声が出なかった時期もあったが、パタパタと早足で歩く足音や、本のページをめくる音、ソファーの軋む音…。彼女の気配はここかしこにあったのに。
ジョディから送られてきた、読みかけの捜査資料をテーブルに置くと、昴はリビングの窓へ近づき、そこから外を見た。
二人で植えた花壇の花たちが、雨の雫が当たるたびに揺れているのが見える。
昴は大きなため息をつく。
ひとりの時間がこんなに味気なく寂しいと思うなんて、りおと出会う前は知らなかった。
いや…ひとりの時間というよりは、りおの居ない時間というのが正しいか。
少年探偵団の子どもたちや博士が、時々訪ねてきてくれる。だが、その寂しさを埋めることは無かった。

自分はこんなにも彼女を恋しいと思うのに今日はメール一つ、彼女は送ってこない。
女々しい自分に嫌気がさすし、自分だけが惚れているみたいでそれも気に入らない。
せめて雨が止んでくれれば、もう少し気持ちが晴れるだろうに…。そんなことを考える。
だが、雨足は強くなる一方だった。
コーヒーでも入れて気分を変えよう。
そう思って窓に背を向けようとした時、雨で煙る景色に一際鮮やかな赤い傘が、工藤邸に向かってくるのが見えた。
赤い傘は工藤邸の門の前で立ち止まった。
しばらくそのままインターホンを押すでもなく、立ち去るでもなく、立ち尽くしていた。
数分して傘の人物はインターホンを鳴らした。
昴は受話器のもとへと行き、『はい』と返事をする。
『さくらです』
聴き慣れた声が受話器から聞こえた。
昴は慌てて玄関まで行き、傘もささずに門まで走っていった。
門扉を開けると、赤い傘をさしたりおが立っている。
「りお! どうして…」
と言いかけたところで、赤い傘が差し出される。
「昴さん! 濡れちゃいますよ」
「え? ああ…」
「家の中に入れてもらっても?」
「も、もちろんだ」
昴は傘を受け取り、二人でさして玄関に向かう。
傘立てに傘を入れ、玄関のドアがバタンと閉まると昴はそのままりおを抱きしめた。
「会いたかった」
そうつぶやいたのはりおだった。
驚いて一瞬昴の動きが止まる。
「ごめんなさい。ここを出たのは私なのに。こんなこと言って…」
りおは下を向いたまま謝った。
「い、いや。お前の気持ちも分かっているつもりだ。謝ることは無い」
りおの口から『会いたかった』と言われて、先程までの苛立ちがスーッと消えた。
愛おしさで頬に触れるとだいぶ冷たかった。
「温かい飲み物でも飲みましょう。ちょうどコーヒーを入れようと思っていたので」
二人でダイニングへ入った。
りおにはカフェオレ、自分にはブラックコーヒーを入れる。
りおは持っていた紙袋から、カフェでテイクアウトしたケーキを出した。
「これ、昴さんと初めて一緒に入った、大学近くのカフェのケーキよ」
「ええ。覚えていますよ。スーパーで哀さんを助けた時、すぐにあなたがラスティーだと分かりました。その時バッグの中に森教授の資料が入っているのが見えたんです。手がかりを得ようと大学の図書館に行ったら、あなたを見つけたんですよ」
テーブルにお皿を出しながら、その時の事を思い出す。
「じゃあ、図書館で会ったのは偶然だったのね」
「ええ。お茶をしようなんて古典的な誘いにあなたが乗るかはイチかバチかでしたが」
普段の自分では考えられないほど行き当たりばったりだったことに、思わず笑った。
「普段だったらそんなお誘い乗らないわ。でも、直感的に懐かしさを感じたの。私自身もあなたともう少し話がしたいと思ってしまった」
「まあ結局カフェではロクにお茶も話もできなかったですけどね…」
昴が微笑みながら言った。
カフェでPTSDの発作を起こしたりおは、そのまま昴によって阿笠邸へと運ばれたのだった。
「だから! 今日は仕切り直しに買ってきました」
「ふふふ。気にしていたのですか?」
ちょっぴりむくれているりおがカワイイ。
「ですが、仕事は? 今日は森教授のところだったのでしょう?」
いつもなら仕事をしている時間だ。なぜここに来れたのだろう。今更ながら心配になった。
「米花町はまだ良い方だけど、都心は雨で交通機関に影響が出ているの。学校に来れない学生や教授もいてね。急きょ休講になったわ。
私たち職員も自宅待機になったんだけど、部屋に帰ってもなんだか寂しくて…」
そう言ってりおは下を向く。
「自分からここを出た手前、行こうか行くまいか迷って…。メールも、どう送って良いか分からなくて…。でもすごく会いたくて。
ここに来る言い訳を考えて、カフェでケーキ買って来たのに。全部本音を伝えてしまって。バカよね、私」
りおは昴の顔を見上げると恥ずかしそうに笑う。
「そんなことは無い。俺も同じことを思っていた」
りおの本音を聞いて、昴も本来の『赤井』の口調で気持ちを伝えた。
「「こんな雨の日は…一人じゃ寂しい」」
二人の声が重なる。
「「プッ…! あははは」」
思わず二人で吹き出した。
色の無かったリビングが、ほんのり灯りがともったように明るくなった。