【短編】リヴァイ・アッカーマン
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午後の光は、古い石造りの執務室に穏やかな時間をもたらしていた。窓から差し込む斜光が、空気中に漂う微細な塵を黄金色の星屑のように輝かせている。
リヴァイは、ナマエが丁寧に淹れた紅茶を口に運んでいた。
芳醇な茶葉の香りが、戦場での荒んだ神経を静かに解きほぐしていく。向かい側では、ナマエが少しだけ開けた窓から入る秋の風に目を細めていた。
「……少し、風が冷たくなってきたね」
そう言って、ナマエが何気なくひと房の髪をかき上げた、その瞬間だった。
彼女の白く細い首筋に、一点。鮮やかで、ひどく不躾な紅い点が露わになる。
リヴァイの手元で、ティーカップがピタリと止まった。
磁器の縁が唇に触れたまま、彼の瞳が、獲物を射抜くような鋭利な光を宿して据わる。周囲の温度が、一気に五度以上も急降下したかのような錯覚を覚えるほどの、凄まじい威圧感。
「おい……ナマエ。その首の痕は何だ」
リヴァイの声は、低く、地を這うような重圧を孕んでいた。
ナマエは不思議そうに瞬きをし、自分の首筋を指先でなぞる。
「えっ、首? ああ……これ、朝起きたらついてたの。鏡を見てびっくりしたんだけど」
「朝起きたらついていた……だと?」
リヴァイの脳内で、瞬時に最悪のシミュレーションが展開される。
(朝起きたらついていた = 寝込みを襲われた = 警備の目を盗んで侵入した不届き者がいる = 俺の女に、誰かが触れた)
その思考は、理性の堤防を一瞬で決壊させた。怒りとも嫉妬ともつかぬ、苛烈で黒い熱が、彼の内側で渦を巻く。
「……あ、でもこれ、痒いからたぶん虫刺され……」
(……誰だ。どこの馬鹿だ)
リヴァイの脳内を埋め尽くす激しい殺意のノイズが、ナマエの後半の言葉を完膚なきまでに掻き消した。
彼はカップを音も立てずに机に置き、立ち上がった。その背中からは、絶望的な殺気が立ち昇っていた。
その後の訓練場は、地獄の様相を呈していた。
リヴァイのしごきは通常の三倍。いや、物理的な質量さえ伴っているかのような圧迫感があった。
「おい、エレン。動きが鈍いぞ。……昨夜、てめぇはどこで何をしていた」
「えっ!? 兵舎で寝てましたけど……うわっ!」
容赦のない一蹴がエレンの腹部を捉える。
さらに、不運にもリヴァイの視界に入ってしまったジャンに対しても、その苛烈さは留まることを知らなかった。
「ジャン。お前のその締まりのない面を見ていると、無性に削ぎたくなってくる。……昨夜、不審な動きをした覚えはないか」
「何なんですか、さっきから! 俺は何もしてませんよ!」
「てめぇか? 昨夜、ナマエの部屋に忍び込んだのは」と言わんばかりの形相で、リヴァイは次々と兵士たちをなぎ倒していく。
ナマエは、訓練場の端で呆然とその光景を眺めていた。
「……今日のリヴァイ、何かに取り憑かれてない? さっきからみんなを睨みつけて、どうしたんだろう。……昨夜、何か悪いものでも食べたのかな」
彼女の能天気な呟きが届くことはなく、リヴァイの犯人捜しという名の粛清は、日が暮れるまで続いた。
その日の深夜。
ナマエが自室で寝ようとすると、奇妙な違和感が彼女を襲った。
窓の外で、木の葉が擦れる音ではないカサッという規則的な音がし続けている。さらに、ドアの向こう側でも、時折、硬いものが床に置かれるような物音が聞こえてくる。
(……えっ、怖い。泥棒か何か……?)
昼間のリヴァイの殺気が乗り移ったかのような不気味な気配に、ナマエは耐えかねて扉を勢いよく開けた。
「……リヴァイ!? 何してるの、こんなところで。怖いよ」
そこには、どこから持ってきたのか椅子に座り込み、抜身の刃を月明かりに反射させて待機しているリヴァイの姿があった。その瞳は、一睡もしていないというのに、不気味なほど冴え渡っている。
「……気にするな。害虫を駆除しに来ただけだ。お前はさっさと寝ろ。俺がここで一睡もせずに見張ってやる」
「見張るって……誰から? 鍵は閉めてるし、大丈夫だよ。あなたも休まないと体が持たないよ、リヴァイ」
ナマエは呆れたように溜息をつき、彼を説得しようと一歩歩み寄った。
「もしかして、お昼のアレ、勘違いしてる? この痕は虫刺されだから! ほら、よく見て」
ナマエは、自分の潔白を証明しようと、無防備に髪をかき上げ、紅い点が残る首筋をリヴァイの目の前に差し出した。
だが、それが決定的な失策であったことに、彼女はまだ気づいていなかった。
リヴァイの目には、その白い首筋を晒す仕草が、誘惑か、あるいは自分への無防備な信頼という名の甘い告白にしか見えなかった。
昼間の嫉妬に焼かれた独占欲が、夜の静寂の中で、牙を剥く。
「……寝ている間に他人に触れられるような隙を作るな。……その不潔な痕、俺が消してやる」
「ちょっと……待って、リヴァイ! ……んっ」
リヴァイは立ち上がり、逃げようとしたナマエの肩を掴んで、冷たい石壁へと押し付けた。
彼の熱い体温が、薄い寝間着越しに伝わってくる。
逃げ場を失ったナマエの視界で、彼の瞳が、夜の闇を溶かしたような深い情熱に染まった。
リヴァイは、虫刺されの痕のすぐ隣。
まだ誰の温度も触れていない白磁のような肌に、深く、情熱的な本物の痕を刻みつけた。
「……いたっ。……今、何したの?」
ナマエの声は、驚きと、それ以上に彼から与えられた痺れるような熱に、微かに震えていた。
リヴァイはゆっくりと顔を上げ、自らの印が刻まれた彼女の首筋を、征服者のような眼差しで眺めた。
「……俺の印だ。これで、どこのどいつが来ようが、手出しはさせねぇ」
翌朝。
ナマエの部屋の床に、一匹の異様に巨大な蚊が転がっていた。リヴァイが夜通しの監視の末、明け方に仕留めた“真犯人”である。
「ほら、やっぱり蚊だったじゃん。リヴァイの勘違いだよ」
ナマエは、鏡に映る二つの紅い点を見つめながら、困ったように笑った。
一つは虫による小さな痕。そしてそのすぐ隣にあるのは、リヴァイが刻んだ、ひどく熱く、独占的な本物の痕だ。
リヴァイは、床に転がった蚊を忌々しそうに見下ろして、鼻で笑った。
「……フン。どっちにしろ、お前の肌を汚した罪は重い。今日からこの部屋の鍵は俺が持つ」
「なんでそうなるの!? それじゃ私が監禁されてるみたい」
「嫌なら、今日から俺の部屋に来い」
リヴァイは、ナマエの首筋に残った自分の印を見て、満足げに唇を綻ばせた。
「あそこなら虫一匹通さない完璧な環境だ。……不潔な害虫も、下劣な野郎共も、一切寄せ付けねぇ」
ナマエは、彼の不器用で、けれどあまりにも激しい独占欲に、降参したように溜息をついた。
彼女の言葉は、呆れを含みながらも、隠しきれない愛情を帯びている。
「……あなたは、本当に心配性なんだから」
「……心配じゃねぇ。これは、規律だ。俺という規律から、お前を逃がさないためのな」
リヴァイは再び彼女を引き寄せ、今度は唇の上に、甘い拘束を上書きした。
朝日が差し込む部屋で、監禁という名の至福の時間が、静かに始まろうとしていた。
その夜。
ガチャリ、と。
重厚な鉄の鍵が回る音が、静まり返った廊下に冷たく、けれど決定的な終止符のように響いた。
ナマエは、その音を背中で聞きながら、リヴァイの私室の真ん中で立ち尽くしていた。
調査兵団本部の中で最も清潔であり、そして最も侵しがたいとされるこの部屋。そこは、石鹸の清廉な匂いと、上質な茶葉の渋い香りが地層のように積み重なった聖域だった。
「……今日から、ここがお前の居場所だ。一歩も外へ出るなとは言わんが、俺の同伴なしでの外出は一切禁じる」
リヴァイは、鍵を無造作にポケットへねじ込むと、窓際の机に向かった。
夕暮れの残光が、彼の鋭い横顔を焦がすようなオレンジ色に染め上げている。
「……リヴァイ。それ、やっぱり監禁じゃない? 鍵まで閉めるなんて、過保護が過ぎるよ」
ナマエは、呆れ半分、けれど胸の奥で高鳴る不規則な鼓動を隠すように、凛とした声で応えた。
「……過保護だぁ? お前のその無防備な首筋を見てから言え。……不潔な害虫や、それ以上にタチの悪い野郎共からお前を守るには、物理的な壁が必要なんだよ」
リヴァイが、椅子を回してこちらを向く。
その瞳は、かつてないほど濃密な独占欲を孕み、ナマエの全身を舐めるように捉えた。
彼は立ち上がり、獲物を追い詰めるような無駄のない足取りで、ナマエとの距離をゼロにする。
「……っ」
鼻先が触れ合うほどの至近距離。
ナマエの鼻腔を突くのは、リヴァイ自身の濃厚な、けれど落ち着く独特の匂い。
彼は大きな掌を伸ばすと、ナマエの髪を優しくかき上げ、昨夜自らが刻みつけた紅い痕を指先でなぞった。
「……まだ、消えてねぇな」
「……当たり前だよ。あんなに深く、一生懸命付けてたし。……まだ、少し熱いんだから」
ナマエは、熱を帯びた視線を逸らすことなく、彼を見上げた。その芯の強さが、リヴァイの独占欲を、さらに深く刺激する。
彼の指先が、首筋から鎖骨へ、そして喉元へとゆっくりと降りていく。触れられた場所が、じりじりと焼けるように熱い。
「……熱いのは、俺の印がお前の血に混ざり合っている証拠だ。……不満か?」
「……不満じゃないよ。ただ、心臓が持ちそうにないだけ。……こんなに近くにあなたがずっといるなんて、想定外だったから」
ナマエの声は、微かに震えていた。
リヴァイは、その震えを愉しむように、彼女の腰を引き寄せ、自身の強靭な体躯に密着させた。
薄い制服の生地越しに伝わる、彼の驚くほど高い体温。
そして、トクトクと刻まれる、自分と同じくらい速い彼の心臓の音。
「……想定外だろうが何だろうが、もう遅い。……お前をここに招き入れた時点で、俺の自制心はとうにゴミ箱へ捨てた」
リヴァイの低い囁きが、ナマエの耳元で熱く爆ぜる。
彼はそのまま、彼女を抱き上げるようにして、部屋の奥にある整然としたベッドへと誘った。
ベッドに沈み込む感触は、驚くほど柔らかく、そしてリヴァイの匂いに完璧に支配されていた。
ナマエが仰向けに横たわると、その上を覆うようにして、リヴァイが両手をつく。
ランプの灯火が背後から彼を照らし、ナマエの視界は、彼の影と、射抜くような銀灰色の眼差しだけで埋め尽くされた。
「……リヴァイ」
「……何だ」
「……鍵を閉める必要なんて、本当はなかったんだよ。……私、あなた以外の人のところへ行くつもりなんて、最初からないんだから」
ナマエは、精一杯の勇気を振り絞り、彼の首筋に腕を回した。自分を監禁しているのは、この部屋の壁でも、鉄の鍵でもない。目の前の男が放つ、抗いようのないほど激しく、狂おしいまでの愛情なのだ。
リヴァイは一瞬、目を見開いた。
けれどすぐに、獲物を仕留めた後のような、ひどく美しく、そして残酷なほどに甘い微笑を浮かべた。
「……そうか。なら、その言葉に偽りがないか……一晩中かけて、じっくりと検分してやる」
彼の手が、ナマエの寝間着のボタンにかけられる。
指先から伝わる彼の情熱は、もはや規律という言葉では縛りきれないほどに、荒々しく、そして切実だった。
「……待って。まだ、心の準備が……」
「……寝ている間に虫に食われる隙があるなら、俺に食われる覚悟もできているはずだ。……逃がさねぇぞ、ナマエ」
重なり合う唇。
それは、昨夜のそれよりもずっと深く、肺の中の空気さえも全て奪い去るような、情熱的な略奪だった。
外界の時間は止まり、この檻の中だけが、世界の全てになる。
静寂の中で、二人の呼吸は一つに混ざり合い、甘い沈殿物となって部屋の隅々まで満たしていく。
監禁という名の至福。
ナマエは、自分を閉じ込める彼の腕の中で、これまで感じたことのないほど深い自由と、溺れるような幸福感に、ゆっくりと意識を委ねていった。
翌朝、誰かが扉をノックするまで。
この禁域から出ることを、彼女自身も、もはや望んではいなかった。
リヴァイは、ナマエが丁寧に淹れた紅茶を口に運んでいた。
芳醇な茶葉の香りが、戦場での荒んだ神経を静かに解きほぐしていく。向かい側では、ナマエが少しだけ開けた窓から入る秋の風に目を細めていた。
「……少し、風が冷たくなってきたね」
そう言って、ナマエが何気なくひと房の髪をかき上げた、その瞬間だった。
彼女の白く細い首筋に、一点。鮮やかで、ひどく不躾な紅い点が露わになる。
リヴァイの手元で、ティーカップがピタリと止まった。
磁器の縁が唇に触れたまま、彼の瞳が、獲物を射抜くような鋭利な光を宿して据わる。周囲の温度が、一気に五度以上も急降下したかのような錯覚を覚えるほどの、凄まじい威圧感。
「おい……ナマエ。その首の痕は何だ」
リヴァイの声は、低く、地を這うような重圧を孕んでいた。
ナマエは不思議そうに瞬きをし、自分の首筋を指先でなぞる。
「えっ、首? ああ……これ、朝起きたらついてたの。鏡を見てびっくりしたんだけど」
「朝起きたらついていた……だと?」
リヴァイの脳内で、瞬時に最悪のシミュレーションが展開される。
(朝起きたらついていた = 寝込みを襲われた = 警備の目を盗んで侵入した不届き者がいる = 俺の女に、誰かが触れた)
その思考は、理性の堤防を一瞬で決壊させた。怒りとも嫉妬ともつかぬ、苛烈で黒い熱が、彼の内側で渦を巻く。
「……あ、でもこれ、痒いからたぶん虫刺され……」
(……誰だ。どこの馬鹿だ)
リヴァイの脳内を埋め尽くす激しい殺意のノイズが、ナマエの後半の言葉を完膚なきまでに掻き消した。
彼はカップを音も立てずに机に置き、立ち上がった。その背中からは、絶望的な殺気が立ち昇っていた。
その後の訓練場は、地獄の様相を呈していた。
リヴァイのしごきは通常の三倍。いや、物理的な質量さえ伴っているかのような圧迫感があった。
「おい、エレン。動きが鈍いぞ。……昨夜、てめぇはどこで何をしていた」
「えっ!? 兵舎で寝てましたけど……うわっ!」
容赦のない一蹴がエレンの腹部を捉える。
さらに、不運にもリヴァイの視界に入ってしまったジャンに対しても、その苛烈さは留まることを知らなかった。
「ジャン。お前のその締まりのない面を見ていると、無性に削ぎたくなってくる。……昨夜、不審な動きをした覚えはないか」
「何なんですか、さっきから! 俺は何もしてませんよ!」
「てめぇか? 昨夜、ナマエの部屋に忍び込んだのは」と言わんばかりの形相で、リヴァイは次々と兵士たちをなぎ倒していく。
ナマエは、訓練場の端で呆然とその光景を眺めていた。
「……今日のリヴァイ、何かに取り憑かれてない? さっきからみんなを睨みつけて、どうしたんだろう。……昨夜、何か悪いものでも食べたのかな」
彼女の能天気な呟きが届くことはなく、リヴァイの犯人捜しという名の粛清は、日が暮れるまで続いた。
その日の深夜。
ナマエが自室で寝ようとすると、奇妙な違和感が彼女を襲った。
窓の外で、木の葉が擦れる音ではないカサッという規則的な音がし続けている。さらに、ドアの向こう側でも、時折、硬いものが床に置かれるような物音が聞こえてくる。
(……えっ、怖い。泥棒か何か……?)
昼間のリヴァイの殺気が乗り移ったかのような不気味な気配に、ナマエは耐えかねて扉を勢いよく開けた。
「……リヴァイ!? 何してるの、こんなところで。怖いよ」
そこには、どこから持ってきたのか椅子に座り込み、抜身の刃を月明かりに反射させて待機しているリヴァイの姿があった。その瞳は、一睡もしていないというのに、不気味なほど冴え渡っている。
「……気にするな。害虫を駆除しに来ただけだ。お前はさっさと寝ろ。俺がここで一睡もせずに見張ってやる」
「見張るって……誰から? 鍵は閉めてるし、大丈夫だよ。あなたも休まないと体が持たないよ、リヴァイ」
ナマエは呆れたように溜息をつき、彼を説得しようと一歩歩み寄った。
「もしかして、お昼のアレ、勘違いしてる? この痕は虫刺されだから! ほら、よく見て」
ナマエは、自分の潔白を証明しようと、無防備に髪をかき上げ、紅い点が残る首筋をリヴァイの目の前に差し出した。
だが、それが決定的な失策であったことに、彼女はまだ気づいていなかった。
リヴァイの目には、その白い首筋を晒す仕草が、誘惑か、あるいは自分への無防備な信頼という名の甘い告白にしか見えなかった。
昼間の嫉妬に焼かれた独占欲が、夜の静寂の中で、牙を剥く。
「……寝ている間に他人に触れられるような隙を作るな。……その不潔な痕、俺が消してやる」
「ちょっと……待って、リヴァイ! ……んっ」
リヴァイは立ち上がり、逃げようとしたナマエの肩を掴んで、冷たい石壁へと押し付けた。
彼の熱い体温が、薄い寝間着越しに伝わってくる。
逃げ場を失ったナマエの視界で、彼の瞳が、夜の闇を溶かしたような深い情熱に染まった。
リヴァイは、虫刺されの痕のすぐ隣。
まだ誰の温度も触れていない白磁のような肌に、深く、情熱的な本物の痕を刻みつけた。
「……いたっ。……今、何したの?」
ナマエの声は、驚きと、それ以上に彼から与えられた痺れるような熱に、微かに震えていた。
リヴァイはゆっくりと顔を上げ、自らの印が刻まれた彼女の首筋を、征服者のような眼差しで眺めた。
「……俺の印だ。これで、どこのどいつが来ようが、手出しはさせねぇ」
翌朝。
ナマエの部屋の床に、一匹の異様に巨大な蚊が転がっていた。リヴァイが夜通しの監視の末、明け方に仕留めた“真犯人”である。
「ほら、やっぱり蚊だったじゃん。リヴァイの勘違いだよ」
ナマエは、鏡に映る二つの紅い点を見つめながら、困ったように笑った。
一つは虫による小さな痕。そしてそのすぐ隣にあるのは、リヴァイが刻んだ、ひどく熱く、独占的な本物の痕だ。
リヴァイは、床に転がった蚊を忌々しそうに見下ろして、鼻で笑った。
「……フン。どっちにしろ、お前の肌を汚した罪は重い。今日からこの部屋の鍵は俺が持つ」
「なんでそうなるの!? それじゃ私が監禁されてるみたい」
「嫌なら、今日から俺の部屋に来い」
リヴァイは、ナマエの首筋に残った自分の印を見て、満足げに唇を綻ばせた。
「あそこなら虫一匹通さない完璧な環境だ。……不潔な害虫も、下劣な野郎共も、一切寄せ付けねぇ」
ナマエは、彼の不器用で、けれどあまりにも激しい独占欲に、降参したように溜息をついた。
彼女の言葉は、呆れを含みながらも、隠しきれない愛情を帯びている。
「……あなたは、本当に心配性なんだから」
「……心配じゃねぇ。これは、規律だ。俺という規律から、お前を逃がさないためのな」
リヴァイは再び彼女を引き寄せ、今度は唇の上に、甘い拘束を上書きした。
朝日が差し込む部屋で、監禁という名の至福の時間が、静かに始まろうとしていた。
その夜。
ガチャリ、と。
重厚な鉄の鍵が回る音が、静まり返った廊下に冷たく、けれど決定的な終止符のように響いた。
ナマエは、その音を背中で聞きながら、リヴァイの私室の真ん中で立ち尽くしていた。
調査兵団本部の中で最も清潔であり、そして最も侵しがたいとされるこの部屋。そこは、石鹸の清廉な匂いと、上質な茶葉の渋い香りが地層のように積み重なった聖域だった。
「……今日から、ここがお前の居場所だ。一歩も外へ出るなとは言わんが、俺の同伴なしでの外出は一切禁じる」
リヴァイは、鍵を無造作にポケットへねじ込むと、窓際の机に向かった。
夕暮れの残光が、彼の鋭い横顔を焦がすようなオレンジ色に染め上げている。
「……リヴァイ。それ、やっぱり監禁じゃない? 鍵まで閉めるなんて、過保護が過ぎるよ」
ナマエは、呆れ半分、けれど胸の奥で高鳴る不規則な鼓動を隠すように、凛とした声で応えた。
「……過保護だぁ? お前のその無防備な首筋を見てから言え。……不潔な害虫や、それ以上にタチの悪い野郎共からお前を守るには、物理的な壁が必要なんだよ」
リヴァイが、椅子を回してこちらを向く。
その瞳は、かつてないほど濃密な独占欲を孕み、ナマエの全身を舐めるように捉えた。
彼は立ち上がり、獲物を追い詰めるような無駄のない足取りで、ナマエとの距離をゼロにする。
「……っ」
鼻先が触れ合うほどの至近距離。
ナマエの鼻腔を突くのは、リヴァイ自身の濃厚な、けれど落ち着く独特の匂い。
彼は大きな掌を伸ばすと、ナマエの髪を優しくかき上げ、昨夜自らが刻みつけた紅い痕を指先でなぞった。
「……まだ、消えてねぇな」
「……当たり前だよ。あんなに深く、一生懸命付けてたし。……まだ、少し熱いんだから」
ナマエは、熱を帯びた視線を逸らすことなく、彼を見上げた。その芯の強さが、リヴァイの独占欲を、さらに深く刺激する。
彼の指先が、首筋から鎖骨へ、そして喉元へとゆっくりと降りていく。触れられた場所が、じりじりと焼けるように熱い。
「……熱いのは、俺の印がお前の血に混ざり合っている証拠だ。……不満か?」
「……不満じゃないよ。ただ、心臓が持ちそうにないだけ。……こんなに近くにあなたがずっといるなんて、想定外だったから」
ナマエの声は、微かに震えていた。
リヴァイは、その震えを愉しむように、彼女の腰を引き寄せ、自身の強靭な体躯に密着させた。
薄い制服の生地越しに伝わる、彼の驚くほど高い体温。
そして、トクトクと刻まれる、自分と同じくらい速い彼の心臓の音。
「……想定外だろうが何だろうが、もう遅い。……お前をここに招き入れた時点で、俺の自制心はとうにゴミ箱へ捨てた」
リヴァイの低い囁きが、ナマエの耳元で熱く爆ぜる。
彼はそのまま、彼女を抱き上げるようにして、部屋の奥にある整然としたベッドへと誘った。
ベッドに沈み込む感触は、驚くほど柔らかく、そしてリヴァイの匂いに完璧に支配されていた。
ナマエが仰向けに横たわると、その上を覆うようにして、リヴァイが両手をつく。
ランプの灯火が背後から彼を照らし、ナマエの視界は、彼の影と、射抜くような銀灰色の眼差しだけで埋め尽くされた。
「……リヴァイ」
「……何だ」
「……鍵を閉める必要なんて、本当はなかったんだよ。……私、あなた以外の人のところへ行くつもりなんて、最初からないんだから」
ナマエは、精一杯の勇気を振り絞り、彼の首筋に腕を回した。自分を監禁しているのは、この部屋の壁でも、鉄の鍵でもない。目の前の男が放つ、抗いようのないほど激しく、狂おしいまでの愛情なのだ。
リヴァイは一瞬、目を見開いた。
けれどすぐに、獲物を仕留めた後のような、ひどく美しく、そして残酷なほどに甘い微笑を浮かべた。
「……そうか。なら、その言葉に偽りがないか……一晩中かけて、じっくりと検分してやる」
彼の手が、ナマエの寝間着のボタンにかけられる。
指先から伝わる彼の情熱は、もはや規律という言葉では縛りきれないほどに、荒々しく、そして切実だった。
「……待って。まだ、心の準備が……」
「……寝ている間に虫に食われる隙があるなら、俺に食われる覚悟もできているはずだ。……逃がさねぇぞ、ナマエ」
重なり合う唇。
それは、昨夜のそれよりもずっと深く、肺の中の空気さえも全て奪い去るような、情熱的な略奪だった。
外界の時間は止まり、この檻の中だけが、世界の全てになる。
静寂の中で、二人の呼吸は一つに混ざり合い、甘い沈殿物となって部屋の隅々まで満たしていく。
監禁という名の至福。
ナマエは、自分を閉じ込める彼の腕の中で、これまで感じたことのないほど深い自由と、溺れるような幸福感に、ゆっくりと意識を委ねていった。
翌朝、誰かが扉をノックするまで。
この禁域から出ることを、彼女自身も、もはや望んではいなかった。
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