【短編】エルヴィン・スミス
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ストヘス区、憲兵団支部の応接室。
重厚なマホガニーの机の上には、使い込まれた書類の山と、冷めかけたお茶から立ち上る僅かな湯気が漂っていた。
「……それで、わざわざ俺に聞きに来たというのか。エルヴィンの、訓練兵時代の話を」
憲兵団師団長のナイルは、深い隈の刻まれた瞼をさらに重そうに閉じ、椅子の背もたれに深く体重を預けた。彼の向かいに座るナマエは、姿勢を正し、一点の曇りもない誠実な瞳で彼を見つめている。
「はい。団長はいつも完璧で、隙がありませんから。……かつての友であったナイルさんなら、もっと人間らしい、温かな思い出話を知っているのではないかと思いまして」
ナマエの声は、涼やかな鈴の音のように室内に響いた。彼女が放つ、春の陽光のような純粋な期待。それは、ナイルにとっては何よりも毒に近い、眩しすぎる光だった。
ナイルは、窓の外を流れる鈍色の雲を見つめ、遠い日の残響を拾い集めるように、ゆっくりと口を開いた。
「温かな思い出、か。……あいつの金髪を夕陽の反射と見間違えているんじゃないのか。……いいだろう、教えてやる。あれは、俺たちが進路に思い悩み、将来の不安という名の泥濘の中でもがいていた頃の話だ」
ナイルの瞳が、僅かに細められる。セピア色に染まった記憶の扉が開かれた。
訓練兵団の食堂。
煤けた天井から吊るされたオイルランプの火は、兵士たちの飢えを象徴するように激しく爆ぜていた。粗末な木製テーブルには、泥の匂いのする根菜のスープと、石のように硬い黒パンが並んでいる。
若き日のナイルは、その日、奇跡的に配給された一切れの肉を前に、震える手でフォークを握っていた。それは、過酷な演習を耐え抜いた彼への、神からの唯一の慈悲のように思えた。
「……これを食べれば、俺はまた、憲兵への道を歩める」
ナイルが、その脂の乗った肉に唇を寄せようとした、その刹那だった。
隣から伸びてきた、容赦のない略奪の影があった。
「いい肉だ、ナイル。お前の決意の重さがよく表れている」
「あ」
ナイルの視界から、至宝(にく)が消えた。
横に座っていたのは、爽やかな――あまりに爽やかすぎて不気味なほどの笑みを浮かべたエルヴィン・スミスだった。彼はナイルのフォークから鮮やかに肉を奪い取ると、それを自身の口へと放り込み、優雅に咀嚼したのである。
「……エルヴィン、お前、今……何をした……」
「栄養の再分配だよ。将来、憲兵として私服を肥やす予定のお前には、今のうちに飢えを知っておいてもらいたいと思ってね」
エルヴィンは、ナイルの絶望を無視して、蒼色の瞳を爛々と輝かせた。そして、あろうことか、打ちひしがれる友人の顔を覗き込み、低く、しかし驚くほど通る声で笑ったのである。
「ナイル。今のお前の顔は、地獄の底から這い出てきた、怨嗟に満ちた殺人鬼のようだ。……いやあ、素晴らしい。実に人間らしい、醜悪で美しい顔だ」
「……っ、お前……!」
「そんな顔ができるなら、お前はどこへだって行ける。自分の欲求に正直になれ、ナイル。マリーと、安泰な生活を、そしてこの肉の恨みを忘れるな。……その『悪意』こそが、お前を憲兵団の頂点へと押し上げる燃料になる」
エルヴィンは、立ち上がるとナイルの肩を力強く叩いた。その衝撃で、ナイルの喉に詰まっていた悲鳴が、嗚咽となって漏れ出す。
それは、友人の背中を押すというよりは、崖っぷちに立っている友人をより深い深淵へと蹴り落とすような、あまりに非情で、しかし抗いがたい力を持った激励だった。
「……と、まあ、そんなところだ」
ナイルは、お茶を一口飲み、苦虫を噛み潰したような顔で話を結んだ。
「あいつは昔からそうだ。人の一番触れられたくない部分を、笑顔で抉り取って、それを『希望』だと言い張る。……あいつが『真実』を語る時、そこには必ず、誰かの犠牲(肉)が伴っているんだよ」
ナマエは、あまりに予想外の友情話に、口を半開きにして固まっていた。
彼女が想像していた、白馬に跨る若き日の王子様像が、音を立てて崩れ去っていく。
「そ、そんな……。団長が、肉を奪って笑うなんて……。でも、ナイルさんの背中を押したことは、事実なのですね?」
「背中を押されたというか、呪いをかけられた気分だったよ。……まったく、あいつの側にいると、いつか魂まで略奪されるぞ、君も」
ナイルが深いため息を吐いた、その時。
応接室の温度が、物理的に数度下がったような錯覚が走った。
カツ、カツ、と。廊下から響いてくるのは、あまりに規則正しく、あまりに重厚な軍靴の音。
扉が、音もなく開かれた。
逆光の中に立つ巨躯。眩いばかりの金髪が、夕闇の室内にあってなお、神々しいまでの光を放っている。
「話の続きを聞かせてもらおうか、ナイル。……俺がお前の肉を奪ったのは、お前の痛風を心配してのことだったと記憶しているが」
エルヴィン・スミス本人が、そこに立っていた。
その顔には、ナイルの話に出てきた略奪者のそれと同じ、完璧に整えられた、しかし瞳の奥が一切笑っていない、美しい微笑みが張り付いている。
「……ッ、エルヴィン!? お前、なぜここに……」
ナイルは、椅子から転げ落ちんばかりに仰け反った。ナマエもまた、背筋を凍りつかせ、椅子の上で直立不動になる。
エルヴィンは優雅な所作で室内に足を踏み入れると、ナマエの隣に立ち、彼女の肩に大きな掌をそっと置いた。その掌の熱が、彼女の薄い制服越しに、逃げ場のない制圧として伝わってくる。
「ナマエ。……私の過去に興味を持ってくれるのは嬉しいが、ナイルの主観には歪みがある。……続きは、兵舎に戻ってから、二人きりでじっくりと話そう。……君の言う『人間らしい』思い出を、一つずつ精査する必要がありそうだ」
「あ、は、はい……団長……」
ナマエの声は、もはや消え入りそうだった。
彼女は、ナイルの「魂を略奪されるぞ」という警告を、今、この瞬間に身をもって理解していた。
エルヴィンは、顔を青ざめさせたナイルを一瞥し、低く、重厚な声を上げた。
「ナイル。近いうちに肉料理を奢ろう。……今のお前の『殺人鬼の顔』が、どれほど磨かれたか、確かめさせてもらうよ」
夕闇に染まるストヘス区。
ナマエは、美しき略奪者の影に引かれるようにして、兵舎への帰路についた。
ストヘス区からの帰路、馬車の揺れに合わせて、エルヴィンの纏う空気はどこまでも静謐で、かつ底知れない重圧を湛えていた。
兵舎へと戻り、執務室の重厚な扉が閉まった瞬間、カチリと鍵の回る音が室内の沈黙を決定的なものにする。ナマエは、窓から差し込む月光が、エルヴィンの金髪を冷ややかに縁取るのを見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。
室内には、使い込まれたインクの鋭い香りと、エルヴィンが愛用するサンダルウッドの、どこか官能的ですらある重厚な香りが満ちている。
「さて、ナマエ。……座りなさい」
エルヴィンは、自身のデスクではなく、応接用のソファを指し示した。彼は外套を脱ぎ捨て、シャツの袖を無造作に捲り上げると、ナマエのすぐ隣に腰を下ろした。
普段の団長としての距離感ではない。彼の逞しい体躯から発せられる熱が、制服越しにナマエの肌をじりじりと焼く。
「ナイルは、随分と饒舌だったようだが。……肉の話以外に、彼は私について何を語ったのかな?」
エルヴィンの低い声が、至近距離でナマエの鼓膜を震わせる。
彼は、逃げ道を塞ぐようにして、ナマエの背後の背もたれに長い腕を回した。その蒼い瞳は、獲物を追い詰める冷徹な指揮官の輝きと、年若き恋人を慈しむような、どす黒い熱情の間で危うく揺れている。
「そ、その……大したことではありません。……ただ、少し、団長の人間らしい一面についてお聞きしただけで……」
ナマエは、胸の鼓動が早鐘を打つのを感じながら、視線を泳がせた。
エルヴィンの指先が、ナマエの顎をそっと掬い上げた。彼の指は、驚くほどに熱く、滑らかな官能を伴って彼女の肌をなぞる。
「ほう。人間らしい一面、か。……例えば、私が訓練兵時代、深夜に食糧庫へ忍び込むための緻密な作戦計画を立案していたことだろうか。あるいは、ナイルの恋文を添削して、余計に事態を悪化させた件かな?」
「……添削、したのですか?」
ナマエは思わず問い返した。エルヴィンは、至って真面目な顔で、しかし口角を僅かに吊り上げて頷く。
「戦略的観点から言えば、彼の文章は情緒に欠け、目的が不明瞭だったからね。……だが、君がナイルから吹き込まれたのは、そんな些細なことではないはずだ。……白状したまえ。ナイルは私の『何』を、君に教えた?」
エルヴィンは、さらに顔を近づけた。鼻先が触れそうなほどの距離。
ナマエは、彼の湛える圧倒的な美と、そこから滲み出る支配欲に、思考が白く染まっていくのを感じた。
「……ナイルさんは、団長のことを……『魂の略奪者』だって言っていました。……笑顔で一番大切なものを奪っていく、恐ろしい人だって」
ナマエの声は、微かに震えていた。彼女の、凛とした、けれど湿り気を帯びた言葉。
エルヴィンは、その答えを聞くと、満足げに目を細めた。
「略奪者、か。……ナイルにしては、的確な表現だ」
エルヴィンは、掬い上げたナマエの顎をそのままに、彼女の耳元に唇を寄せた。
熱い吐息が首筋を撫で、ナマエは反射的に身を竦める。
「ならば、略奪者としての私の本分を、君にも知ってもらう必要があるようだね。……ナイルの話を聞いた『お仕置き』として。……そして、君の好奇心を満たすための『報酬』として」
「……お仕置き、ですか?」
「ああ。……今夜は、君を寝かせるつもりはない。……ナイルが語り漏らした、私の『非人道的な執着』について、君の体と心に、一つずつ刻み込んであげよう」
エルヴィンの大きな掌が、ナマエの腰を強引に引き寄せた。
逃げ場のない腕の中。
ナマエは、彼という名の巨大な深淵に、自ら足を踏み入れたことを悟った。だが、その瞳には、恐怖よりも深い、彼への抗い難い愛着が灯っている。
「……団長のやり方は、本当に強引ですね」
「知っているはずだ。私は、目的のためなら手段を選ばない。……そして今の私の目的は、君のすべてを私というインクで塗り潰すことだ」
エルヴィンは、奪うような、そして慈しむような深い口づけを、ナマエの唇に落とした。
二人の吐息が混ざり合い、静寂に包まれた執務室の中で、新たな略奪の幕が切って落とされた。
翌朝、ひどく寝不足そうな顔で執務室から出てきたナマエを見て、リヴァイが「……あの野郎、また余計な『演習』でもさせやがったか」と毒を吐いたのは、言うまでもない。
重厚なマホガニーの机の上には、使い込まれた書類の山と、冷めかけたお茶から立ち上る僅かな湯気が漂っていた。
「……それで、わざわざ俺に聞きに来たというのか。エルヴィンの、訓練兵時代の話を」
憲兵団師団長のナイルは、深い隈の刻まれた瞼をさらに重そうに閉じ、椅子の背もたれに深く体重を預けた。彼の向かいに座るナマエは、姿勢を正し、一点の曇りもない誠実な瞳で彼を見つめている。
「はい。団長はいつも完璧で、隙がありませんから。……かつての友であったナイルさんなら、もっと人間らしい、温かな思い出話を知っているのではないかと思いまして」
ナマエの声は、涼やかな鈴の音のように室内に響いた。彼女が放つ、春の陽光のような純粋な期待。それは、ナイルにとっては何よりも毒に近い、眩しすぎる光だった。
ナイルは、窓の外を流れる鈍色の雲を見つめ、遠い日の残響を拾い集めるように、ゆっくりと口を開いた。
「温かな思い出、か。……あいつの金髪を夕陽の反射と見間違えているんじゃないのか。……いいだろう、教えてやる。あれは、俺たちが進路に思い悩み、将来の不安という名の泥濘の中でもがいていた頃の話だ」
ナイルの瞳が、僅かに細められる。セピア色に染まった記憶の扉が開かれた。
訓練兵団の食堂。
煤けた天井から吊るされたオイルランプの火は、兵士たちの飢えを象徴するように激しく爆ぜていた。粗末な木製テーブルには、泥の匂いのする根菜のスープと、石のように硬い黒パンが並んでいる。
若き日のナイルは、その日、奇跡的に配給された一切れの肉を前に、震える手でフォークを握っていた。それは、過酷な演習を耐え抜いた彼への、神からの唯一の慈悲のように思えた。
「……これを食べれば、俺はまた、憲兵への道を歩める」
ナイルが、その脂の乗った肉に唇を寄せようとした、その刹那だった。
隣から伸びてきた、容赦のない略奪の影があった。
「いい肉だ、ナイル。お前の決意の重さがよく表れている」
「あ」
ナイルの視界から、至宝(にく)が消えた。
横に座っていたのは、爽やかな――あまりに爽やかすぎて不気味なほどの笑みを浮かべたエルヴィン・スミスだった。彼はナイルのフォークから鮮やかに肉を奪い取ると、それを自身の口へと放り込み、優雅に咀嚼したのである。
「……エルヴィン、お前、今……何をした……」
「栄養の再分配だよ。将来、憲兵として私服を肥やす予定のお前には、今のうちに飢えを知っておいてもらいたいと思ってね」
エルヴィンは、ナイルの絶望を無視して、蒼色の瞳を爛々と輝かせた。そして、あろうことか、打ちひしがれる友人の顔を覗き込み、低く、しかし驚くほど通る声で笑ったのである。
「ナイル。今のお前の顔は、地獄の底から這い出てきた、怨嗟に満ちた殺人鬼のようだ。……いやあ、素晴らしい。実に人間らしい、醜悪で美しい顔だ」
「……っ、お前……!」
「そんな顔ができるなら、お前はどこへだって行ける。自分の欲求に正直になれ、ナイル。マリーと、安泰な生活を、そしてこの肉の恨みを忘れるな。……その『悪意』こそが、お前を憲兵団の頂点へと押し上げる燃料になる」
エルヴィンは、立ち上がるとナイルの肩を力強く叩いた。その衝撃で、ナイルの喉に詰まっていた悲鳴が、嗚咽となって漏れ出す。
それは、友人の背中を押すというよりは、崖っぷちに立っている友人をより深い深淵へと蹴り落とすような、あまりに非情で、しかし抗いがたい力を持った激励だった。
「……と、まあ、そんなところだ」
ナイルは、お茶を一口飲み、苦虫を噛み潰したような顔で話を結んだ。
「あいつは昔からそうだ。人の一番触れられたくない部分を、笑顔で抉り取って、それを『希望』だと言い張る。……あいつが『真実』を語る時、そこには必ず、誰かの犠牲(肉)が伴っているんだよ」
ナマエは、あまりに予想外の友情話に、口を半開きにして固まっていた。
彼女が想像していた、白馬に跨る若き日の王子様像が、音を立てて崩れ去っていく。
「そ、そんな……。団長が、肉を奪って笑うなんて……。でも、ナイルさんの背中を押したことは、事実なのですね?」
「背中を押されたというか、呪いをかけられた気分だったよ。……まったく、あいつの側にいると、いつか魂まで略奪されるぞ、君も」
ナイルが深いため息を吐いた、その時。
応接室の温度が、物理的に数度下がったような錯覚が走った。
カツ、カツ、と。廊下から響いてくるのは、あまりに規則正しく、あまりに重厚な軍靴の音。
扉が、音もなく開かれた。
逆光の中に立つ巨躯。眩いばかりの金髪が、夕闇の室内にあってなお、神々しいまでの光を放っている。
「話の続きを聞かせてもらおうか、ナイル。……俺がお前の肉を奪ったのは、お前の痛風を心配してのことだったと記憶しているが」
エルヴィン・スミス本人が、そこに立っていた。
その顔には、ナイルの話に出てきた略奪者のそれと同じ、完璧に整えられた、しかし瞳の奥が一切笑っていない、美しい微笑みが張り付いている。
「……ッ、エルヴィン!? お前、なぜここに……」
ナイルは、椅子から転げ落ちんばかりに仰け反った。ナマエもまた、背筋を凍りつかせ、椅子の上で直立不動になる。
エルヴィンは優雅な所作で室内に足を踏み入れると、ナマエの隣に立ち、彼女の肩に大きな掌をそっと置いた。その掌の熱が、彼女の薄い制服越しに、逃げ場のない制圧として伝わってくる。
「ナマエ。……私の過去に興味を持ってくれるのは嬉しいが、ナイルの主観には歪みがある。……続きは、兵舎に戻ってから、二人きりでじっくりと話そう。……君の言う『人間らしい』思い出を、一つずつ精査する必要がありそうだ」
「あ、は、はい……団長……」
ナマエの声は、もはや消え入りそうだった。
彼女は、ナイルの「魂を略奪されるぞ」という警告を、今、この瞬間に身をもって理解していた。
エルヴィンは、顔を青ざめさせたナイルを一瞥し、低く、重厚な声を上げた。
「ナイル。近いうちに肉料理を奢ろう。……今のお前の『殺人鬼の顔』が、どれほど磨かれたか、確かめさせてもらうよ」
夕闇に染まるストヘス区。
ナマエは、美しき略奪者の影に引かれるようにして、兵舎への帰路についた。
ストヘス区からの帰路、馬車の揺れに合わせて、エルヴィンの纏う空気はどこまでも静謐で、かつ底知れない重圧を湛えていた。
兵舎へと戻り、執務室の重厚な扉が閉まった瞬間、カチリと鍵の回る音が室内の沈黙を決定的なものにする。ナマエは、窓から差し込む月光が、エルヴィンの金髪を冷ややかに縁取るのを見つめ、ゴクリと唾を呑み込んだ。
室内には、使い込まれたインクの鋭い香りと、エルヴィンが愛用するサンダルウッドの、どこか官能的ですらある重厚な香りが満ちている。
「さて、ナマエ。……座りなさい」
エルヴィンは、自身のデスクではなく、応接用のソファを指し示した。彼は外套を脱ぎ捨て、シャツの袖を無造作に捲り上げると、ナマエのすぐ隣に腰を下ろした。
普段の団長としての距離感ではない。彼の逞しい体躯から発せられる熱が、制服越しにナマエの肌をじりじりと焼く。
「ナイルは、随分と饒舌だったようだが。……肉の話以外に、彼は私について何を語ったのかな?」
エルヴィンの低い声が、至近距離でナマエの鼓膜を震わせる。
彼は、逃げ道を塞ぐようにして、ナマエの背後の背もたれに長い腕を回した。その蒼い瞳は、獲物を追い詰める冷徹な指揮官の輝きと、年若き恋人を慈しむような、どす黒い熱情の間で危うく揺れている。
「そ、その……大したことではありません。……ただ、少し、団長の人間らしい一面についてお聞きしただけで……」
ナマエは、胸の鼓動が早鐘を打つのを感じながら、視線を泳がせた。
エルヴィンの指先が、ナマエの顎をそっと掬い上げた。彼の指は、驚くほどに熱く、滑らかな官能を伴って彼女の肌をなぞる。
「ほう。人間らしい一面、か。……例えば、私が訓練兵時代、深夜に食糧庫へ忍び込むための緻密な作戦計画を立案していたことだろうか。あるいは、ナイルの恋文を添削して、余計に事態を悪化させた件かな?」
「……添削、したのですか?」
ナマエは思わず問い返した。エルヴィンは、至って真面目な顔で、しかし口角を僅かに吊り上げて頷く。
「戦略的観点から言えば、彼の文章は情緒に欠け、目的が不明瞭だったからね。……だが、君がナイルから吹き込まれたのは、そんな些細なことではないはずだ。……白状したまえ。ナイルは私の『何』を、君に教えた?」
エルヴィンは、さらに顔を近づけた。鼻先が触れそうなほどの距離。
ナマエは、彼の湛える圧倒的な美と、そこから滲み出る支配欲に、思考が白く染まっていくのを感じた。
「……ナイルさんは、団長のことを……『魂の略奪者』だって言っていました。……笑顔で一番大切なものを奪っていく、恐ろしい人だって」
ナマエの声は、微かに震えていた。彼女の、凛とした、けれど湿り気を帯びた言葉。
エルヴィンは、その答えを聞くと、満足げに目を細めた。
「略奪者、か。……ナイルにしては、的確な表現だ」
エルヴィンは、掬い上げたナマエの顎をそのままに、彼女の耳元に唇を寄せた。
熱い吐息が首筋を撫で、ナマエは反射的に身を竦める。
「ならば、略奪者としての私の本分を、君にも知ってもらう必要があるようだね。……ナイルの話を聞いた『お仕置き』として。……そして、君の好奇心を満たすための『報酬』として」
「……お仕置き、ですか?」
「ああ。……今夜は、君を寝かせるつもりはない。……ナイルが語り漏らした、私の『非人道的な執着』について、君の体と心に、一つずつ刻み込んであげよう」
エルヴィンの大きな掌が、ナマエの腰を強引に引き寄せた。
逃げ場のない腕の中。
ナマエは、彼という名の巨大な深淵に、自ら足を踏み入れたことを悟った。だが、その瞳には、恐怖よりも深い、彼への抗い難い愛着が灯っている。
「……団長のやり方は、本当に強引ですね」
「知っているはずだ。私は、目的のためなら手段を選ばない。……そして今の私の目的は、君のすべてを私というインクで塗り潰すことだ」
エルヴィンは、奪うような、そして慈しむような深い口づけを、ナマエの唇に落とした。
二人の吐息が混ざり合い、静寂に包まれた執務室の中で、新たな略奪の幕が切って落とされた。
翌朝、ひどく寝不足そうな顔で執務室から出てきたナマエを見て、リヴァイが「……あの野郎、また余計な『演習』でもさせやがったか」と毒を吐いたのは、言うまでもない。
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