推しの心臓、我が家の1LDKにあり
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同居生活が始まって一ヶ月。 季節は巡り、窓の外の街路樹は色を濃くしていた。1LDKの室内は、エルヴィンの手によって完璧に統制されている。クローゼットのシャツは色別に並び、キッチンツールは使用頻度に基づいてミリ単位で配置され、空気は常に清浄に保たれていた。
土曜日の午後。柔らかな陽光がリビングに降り注ぐ中、ナマエはソファで淹れたての紅茶を啜っていた。エルヴィンが淹れる茶は、温度も蒸らし時間も常に最適だ。
しかし、その完璧さが、ナマエの胸に微かなざらつきを与えていた。
ベランダで洗濯物を取り込むエルヴィンの背中は、相変わらず逞しく、美しい。だが、その動作一つひとつが、どこか義務を遂行する兵士のように見えてしまうのだ。
「……エルヴィンさん。そんなに急がなくていいですよ。今日はお休みなんですから」
ナマエの言葉に、エルヴィンは手を止め、ゆっくりと振り返った。
「いや、ルーチンを乱すのは好ましくない。君が平日に戦えるよう、後方を完璧に整えておくのが今の私の役目だ」
「役目……」
ナマエはカップを置き、彼を見つめた。
「ねえ、エルヴィンさん。あなたは、ここにいて楽しいですか? 掃除や洗濯をして、私の帰りを待つだけの毎日が、あなたにとって本当に望んでいたことなんでしょうか?」
エルヴィンは取り込んだシャツを丁寧に畳みながら、しばし沈黙した。碧い瞳に、窓の外の景色が映り込む。
「……楽しいか、と問われれば、穏やかだと答えるだろう。だが、ナマエ」
彼は畳んだシャツを置き、ナマエの対面に座った。
「私は、自分が“役に立っているか”が、時折わからなくなる」
「え?」
「かつての私は、多くの命を捨て駒にし、その屍の上に立って目的を果たしてきた。……ここでは誰も死なない。それは素晴らしいことだ。だが、君に守られ、君の労働の対価で糧を得るだけの存在で、私はいいのか。私はただ、君という善意に寄生しているだけではないのか」
彼の声は静かだったが、その奥底には深い自尊心の揺らぎがあった。 彼は役割がなければ、自分の存在を許せないのだ。何万もの兵士に死を命じてきた男が、一人の女性に守られ、平和を享受することへの、拭いきれない拒絶反応。
ナマエはソファから身を乗り出し、彼の大きな手を握った。
「寄生だなんて、そんなこと一度も思ったことないです! 私は、あなたが元気で、笑って、ここにいてくれるだけで……」
「……それだけでは足りないのだ。ナマエ」
エルヴィンが、彼女の言葉を遮った。
「私は、私自身の意志で、この世界に足跡を残したい。君の隣に並び立つために、私は、私の知性を使いたいのだ」
エルヴィンは、ナマエを真っ直ぐに見据えた。
「それから……もう一つ、お願いがある」
「……なんですか?」
「その……“敬語”をやめてくれないか」
ナマエは驚いて瞬きをした。出会った時から、彼女は彼を「エルヴィンさん」と呼び、丁寧な言葉遣いを崩さなかった。それは彼への敬意であり、同時に、画面の向こうの英雄を神格化していた名残でもあった。
「私はもう、君の遠い世界の団長ではない。君の部屋で、君の作った飯を食い、君の隣で眠る、ただの男だ。……敬語を使われるたびに、君との間に埋まらない壁があるように感じてしまう」
エルヴィンの少しだけ困ったような、寂しそうな微笑み。 その表情に、ナマエの心は震えた。彼女が守ろうとしていたのは団長という虚像で、彼はその中から必死に「一人の人間」として手を伸ばしていたのだ。
「……わかった。……わかったよ、エルヴィン」
ナマエは、慣れない口調で彼の名を呼んだ。 頬が熱くなる。けれど、彼を呼ぶ声が空気に溶けた瞬間、二人の間の距離が、物理的なそれ以上にぐっと縮まった気がした。
「うん。……それでいい」
エルヴィンは満足そうに目を細め、彼女の手を握り返した。その掌は厚く、力強い。
「さて、ナマエ。戦略を立てよう」
エルヴィンの目が、かつての指揮官のそれへと変わった。
「私はいつまでも、この部屋に閉じこもっているつもりはない。君の仕事……コンサルタント、と言ったか。その世界は、私の持てる力を活かせる場所ではないか?」
ナマエは息を呑んだ。 コンサルタント。企業の課題を分析し、戦略を立て、勝利へと導く仕事。 目の前の男は、絶望的な状況下で何度も不可能を可能にしてきた、天性の戦略家だ。現代のビジネスという名の「戦場」に彼が降り立てば、一体どうなるか。
「……エルヴィンの知性と、そのカリスマ性があれば……。ううん、間違いない。あなたは、この世界でもトップを狙える」
ナマエは確信を持って頷いた。
「私の会社、今ちょうど中途採用を強化してるの。私のコネ、全部使っていい?」
「ああ。頼む」
エルヴィンは不敵に、そしてどこか晴れやかに笑った。
「主夫としての修行も継続するが、明日からは、この世界の構造をより深く研究する必要がありそうだ。……ナマエ、君の持っている資料をすべて見せてくれ。今夜から、戦端を開く」
「……ふふ、やっぱり団長だね。……あ、団長じゃない。エルヴィン」
ナマエが言い直すと、エルヴィンは「そうだ」と短く応じ、彼女をそっと抱き寄せた。 胸板の厚さと、彼から漂う石鹸の清潔な香り。 それは、彼がもはや過去の遺物ではなく、この現代で共に生きるパートナーになったことを告げていた。
「君に守られているだけの時期は、もう終わりだ。これからは、二人で進もう」
窓の外、夕暮れ時の街には無数の光が灯り始めていた。 その光の一つひとつが、彼がこれから切り拓く、新しい戦場のようにも見えた。
ナマエは、彼の胸に顔を埋めながら、予感していた。 次に彼が旗を振る時、その隣にいるのは、何万もの兵士ではなく、自分一人なのだということを。
土曜日の午後。柔らかな陽光がリビングに降り注ぐ中、ナマエはソファで淹れたての紅茶を啜っていた。エルヴィンが淹れる茶は、温度も蒸らし時間も常に最適だ。
しかし、その完璧さが、ナマエの胸に微かなざらつきを与えていた。
ベランダで洗濯物を取り込むエルヴィンの背中は、相変わらず逞しく、美しい。だが、その動作一つひとつが、どこか義務を遂行する兵士のように見えてしまうのだ。
「……エルヴィンさん。そんなに急がなくていいですよ。今日はお休みなんですから」
ナマエの言葉に、エルヴィンは手を止め、ゆっくりと振り返った。
「いや、ルーチンを乱すのは好ましくない。君が平日に戦えるよう、後方を完璧に整えておくのが今の私の役目だ」
「役目……」
ナマエはカップを置き、彼を見つめた。
「ねえ、エルヴィンさん。あなたは、ここにいて楽しいですか? 掃除や洗濯をして、私の帰りを待つだけの毎日が、あなたにとって本当に望んでいたことなんでしょうか?」
エルヴィンは取り込んだシャツを丁寧に畳みながら、しばし沈黙した。碧い瞳に、窓の外の景色が映り込む。
「……楽しいか、と問われれば、穏やかだと答えるだろう。だが、ナマエ」
彼は畳んだシャツを置き、ナマエの対面に座った。
「私は、自分が“役に立っているか”が、時折わからなくなる」
「え?」
「かつての私は、多くの命を捨て駒にし、その屍の上に立って目的を果たしてきた。……ここでは誰も死なない。それは素晴らしいことだ。だが、君に守られ、君の労働の対価で糧を得るだけの存在で、私はいいのか。私はただ、君という善意に寄生しているだけではないのか」
彼の声は静かだったが、その奥底には深い自尊心の揺らぎがあった。 彼は役割がなければ、自分の存在を許せないのだ。何万もの兵士に死を命じてきた男が、一人の女性に守られ、平和を享受することへの、拭いきれない拒絶反応。
ナマエはソファから身を乗り出し、彼の大きな手を握った。
「寄生だなんて、そんなこと一度も思ったことないです! 私は、あなたが元気で、笑って、ここにいてくれるだけで……」
「……それだけでは足りないのだ。ナマエ」
エルヴィンが、彼女の言葉を遮った。
「私は、私自身の意志で、この世界に足跡を残したい。君の隣に並び立つために、私は、私の知性を使いたいのだ」
エルヴィンは、ナマエを真っ直ぐに見据えた。
「それから……もう一つ、お願いがある」
「……なんですか?」
「その……“敬語”をやめてくれないか」
ナマエは驚いて瞬きをした。出会った時から、彼女は彼を「エルヴィンさん」と呼び、丁寧な言葉遣いを崩さなかった。それは彼への敬意であり、同時に、画面の向こうの英雄を神格化していた名残でもあった。
「私はもう、君の遠い世界の団長ではない。君の部屋で、君の作った飯を食い、君の隣で眠る、ただの男だ。……敬語を使われるたびに、君との間に埋まらない壁があるように感じてしまう」
エルヴィンの少しだけ困ったような、寂しそうな微笑み。 その表情に、ナマエの心は震えた。彼女が守ろうとしていたのは団長という虚像で、彼はその中から必死に「一人の人間」として手を伸ばしていたのだ。
「……わかった。……わかったよ、エルヴィン」
ナマエは、慣れない口調で彼の名を呼んだ。 頬が熱くなる。けれど、彼を呼ぶ声が空気に溶けた瞬間、二人の間の距離が、物理的なそれ以上にぐっと縮まった気がした。
「うん。……それでいい」
エルヴィンは満足そうに目を細め、彼女の手を握り返した。その掌は厚く、力強い。
「さて、ナマエ。戦略を立てよう」
エルヴィンの目が、かつての指揮官のそれへと変わった。
「私はいつまでも、この部屋に閉じこもっているつもりはない。君の仕事……コンサルタント、と言ったか。その世界は、私の持てる力を活かせる場所ではないか?」
ナマエは息を呑んだ。 コンサルタント。企業の課題を分析し、戦略を立て、勝利へと導く仕事。 目の前の男は、絶望的な状況下で何度も不可能を可能にしてきた、天性の戦略家だ。現代のビジネスという名の「戦場」に彼が降り立てば、一体どうなるか。
「……エルヴィンの知性と、そのカリスマ性があれば……。ううん、間違いない。あなたは、この世界でもトップを狙える」
ナマエは確信を持って頷いた。
「私の会社、今ちょうど中途採用を強化してるの。私のコネ、全部使っていい?」
「ああ。頼む」
エルヴィンは不敵に、そしてどこか晴れやかに笑った。
「主夫としての修行も継続するが、明日からは、この世界の構造をより深く研究する必要がありそうだ。……ナマエ、君の持っている資料をすべて見せてくれ。今夜から、戦端を開く」
「……ふふ、やっぱり団長だね。……あ、団長じゃない。エルヴィン」
ナマエが言い直すと、エルヴィンは「そうだ」と短く応じ、彼女をそっと抱き寄せた。 胸板の厚さと、彼から漂う石鹸の清潔な香り。 それは、彼がもはや過去の遺物ではなく、この現代で共に生きるパートナーになったことを告げていた。
「君に守られているだけの時期は、もう終わりだ。これからは、二人で進もう」
窓の外、夕暮れ時の街には無数の光が灯り始めていた。 その光の一つひとつが、彼がこれから切り拓く、新しい戦場のようにも見えた。
ナマエは、彼の胸に顔を埋めながら、予感していた。 次に彼が旗を振る時、その隣にいるのは、何万もの兵士ではなく、自分一人なのだということを。
