推しの心臓、我が家の1LDKにあり
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春の空は、どこまでも高く、突き抜けるように青かった。 かつてエルヴィン・スミスが見上げた、壁に切り取られた狭い空ではない。視界を遮るものは何もなく、柔らかな黄金色の陽光が、丘の上に建つ古い石造りのチャペルを祝福するように包み込んでいる。
控室の鏡の前で、エルヴィンは自身の姿を映し出していた。 深みのあるミッドナイトブルーのタキシード。白のボウタイ。 かつて、彼が袖を通す正装といえば、死を覚悟するための軍服しかなかった。だが今日、彼が纏っているのは、未来を誓うための鎧だ。
「……不思議なものだな」
エルヴィンは、カフスボタンを留めながら独りごちた。指先が、微かに震えている。巨人の群れを前にしても、王政の重鎮たちを前にしても、決して揺らぐことのなかった彼の指が。
「まさか、この俺が『緊張』という感情を味わう日が来るとは」
コンコン、と控えめなノックの音がして、ミョウジオトウトの顔が覗いた。今日の彼は、新婦の弟であり、唯一の立会人でもある。
「……時間ですよ、義兄さん。姉貴、準備できたって」
オトウトは、完璧に仕上がったエルヴィンの姿を見て、少しだけ憎らしげに、けれど祝福の色を滲ませて笑った。
「まったく。漫画の中から出てきたって言われても、誰も疑わないな。……頼むから、世界中の男のハードルを上げるのはやめてくれないか」
「善処しよう。……だが、今日の俺は、ただ一人の女性を待つ、一介の男に過ぎない」
エルヴィンは深く息を吐き、オトウトに向き直った。
「行こう。……俺の、新しい人生の幕開けだ」
チャペルの扉が開け放たれ、春の風が吹き抜ける。 参列者は、オトウトと、二人が独立してから世話になった少数の信頼できるビジネスパートナーたち、そして、ナマエの古くからの友人たちだけ。 彼らが選んだのは、誰に見せるためでもない、自分たちのための小さな、けれど本物の式だった。
祭壇の前に立つエルヴィンの耳に、チェロとヴァイオリンの穏やかな旋律が届く。 そして。
ヴァージンロードの向こう側から、光に包まれるようにして、ナマエが現れた。
「…………」
エルヴィンの碧い瞳が、一瞬、大きく見開かれた。 彼女が纏っているのは、純白のウェディングドレス。だが、それはただの白ではない。繊細なレースの隙間から、まるで森の木漏れ日のような、淡く深いグリーンの刺繍が施されていた。 かつて彼が背負った「自由の翼」の色を、彼女は最も美しい形で、この日の装いに取り入れていたのだ。
ナマエが一歩ずつ、彼のもとへ歩み寄ってくる。 その瞳が、ヴェール越しにエルヴィンを真っ直ぐに見つめている。 彼女が近づくたびに、エルヴィンの胸の奥で、かつて凍りついていた感情の最後の欠片が、音を立てて溶けていくのが分かった。
祭壇の前で、オトウトがナマエの手を取り、それをエルヴィンの大きな掌へと託した。
「……エルヴィンさん。返品は不可だからね」
「ああ。……生涯、大切にする」
エルヴィンがナマエの手をしっかりと握りしめる。その温かさが、彼に今、ここが現実であることを強く認識させた。
誓いの言葉。 二人は、既存の言葉を使わず、自分たち自身の言葉で誓いを立てることを選んだ。
エルヴィンは、ナマエの瞳を深く見つめ、ゆっくりと口を開いた。 その声は、かつて何万もの兵士を死地へと導いた、あのカリスマ性に満ちたバリトンではない。一人の人間としての、静かで、切実な声だった。
「ナマエ。……俺はかつて、多くの命を犠牲にし、その屍の上に立ってきた男だ。俺の手は、決して綺麗ではない。俺の魂には、消えることのない罪の影が焼き付いている」
チャペルの中が、しんと静まり返る。
「だが、君はそんな俺の全てを知りながら、その手を差し伸べてくれた。君が俺を見つけてくれたあの瞬間から、俺の止まっていた時間は再び動き出したのだ」
エルヴィンは、握りしめたナマエの手に、力を込めた。
「俺は誓う。……これからの俺の人生は、もう誰の犠牲も生まない。俺の持つ全ての知性、全ての力は、君の笑顔を守るためだけに使おう。……君が、俺の生きる意味だ」
ナマエの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。彼女は、震える声で、けれど毅然と彼に応えた。
「エルヴィン。……私は、物語の中のあなたに恋をして、そして今、目の前にいるあなたを愛しています。あなたの背負っている過去も、痛みも、全部ひっくるめて、私が受け止める」
ナマエは一歩、彼に近づいた。
「あなたがもう、一人で重い決断をしなくていいように。私があなたの隣で、一緒に悩み、一緒に考え、一緒に進みます。……ここが、私たちの帰る場所だよ」
二人は、シンプルなゴールドの指輪を交換した。 そして、誓いのキス。 それは、これまでのどんな情熱的な口づけよりも深く、長く、互いの魂を刻印し合うような、神聖な儀式だった。
チャペルの外に出ると、参列者たちからの温かい拍手と、フラワーシャワーが二人を包み込んだ。舞い上がる白い花びらが、青空に吸い込まれていく。
「おめでとう、エルヴィン! ナマエ!」
笑顔で手を振る人々。 そこには、悲壮な覚悟も、絶望的な叫びもない。ただ、純粋な祝福の「音」だけが満ちていた。 エルヴィンは、隣で幸せそうに笑うナマエの横顔を見つめ、眩しそうに目を細めた。
(……ああ。これが、人間が本来享受すべき『幸福』の形なのか)
彼は、自分がこの光景の中にいることが、奇跡のように思えた。
夕暮れ時。 パーティーが終わり、ゲストたちが去った後。 エルヴィンとナマエは、二人きりで丘の上に立ち、オレンジ色に染まる地平線を眺めていた。 風が、ナマエのヴェールと、エルヴィンのジャケットの裾を優しく揺らす。
「……終わっちゃったね」
ナマエが、夢心地のような声で呟いた。 エルヴィンは、彼女の肩を抱き寄せ、その温もりを確かめるように引き寄せた。
「いや。……ここからが始まりだ、ナマエ」
彼は、広大な空を見上げた。壁のない、どこまでも続く自由な空。
「俺はかつて、この世界の真実を知ることを夢見ていた。だが、地下室に何があろうと、壁の外に何が広がっていようと……。今、君が俺の隣にいて、同じ景色を見ている。この事実以上の真実は、俺には必要ない」
エルヴィンは、ナマエの方を向き直った。 夕陽が、彼の金髪と碧い瞳を、燃えるような橙色に染め上げている。
「ナマエ。……ありがとう。俺を選んでくれて」
「……ううん。私の方こそ、見つけてくれてありがとう。エルヴィン」
二人は、言葉なく見つめ合った。 エルヴィンは、ゆっくりと右手の拳を胸に当てた。 それは、かつて「心臓を捧げよ」と叫んだ、あの敬礼の形。 だが今、彼がその仕草に込めた意味は、全く異なるものだった。
「……俺の心臓は、今この瞬間から、永遠に君だけのものだ」
彼は、静かに、けれど力強く告げた。ナマエは涙で潤んだ瞳で微笑み、同じように自分の胸に拳を当てた。
「……私も。私の全てを、あなたに捧げます」
二人の影が、夕陽の中で一つに重なる。 風が吹き抜け、遠くで一番星が瞬き始めた。
英雄の長い戦いは終わり、一人の男としての、愛おしい日々が始まる。 自由の翼は、もう彼の背中にはない。 けれど、二人の心は、これまでのどんな時よりも高く、自由に、この広い空を舞っていた。
控室の鏡の前で、エルヴィンは自身の姿を映し出していた。 深みのあるミッドナイトブルーのタキシード。白のボウタイ。 かつて、彼が袖を通す正装といえば、死を覚悟するための軍服しかなかった。だが今日、彼が纏っているのは、未来を誓うための鎧だ。
「……不思議なものだな」
エルヴィンは、カフスボタンを留めながら独りごちた。指先が、微かに震えている。巨人の群れを前にしても、王政の重鎮たちを前にしても、決して揺らぐことのなかった彼の指が。
「まさか、この俺が『緊張』という感情を味わう日が来るとは」
コンコン、と控えめなノックの音がして、ミョウジオトウトの顔が覗いた。今日の彼は、新婦の弟であり、唯一の立会人でもある。
「……時間ですよ、義兄さん。姉貴、準備できたって」
オトウトは、完璧に仕上がったエルヴィンの姿を見て、少しだけ憎らしげに、けれど祝福の色を滲ませて笑った。
「まったく。漫画の中から出てきたって言われても、誰も疑わないな。……頼むから、世界中の男のハードルを上げるのはやめてくれないか」
「善処しよう。……だが、今日の俺は、ただ一人の女性を待つ、一介の男に過ぎない」
エルヴィンは深く息を吐き、オトウトに向き直った。
「行こう。……俺の、新しい人生の幕開けだ」
チャペルの扉が開け放たれ、春の風が吹き抜ける。 参列者は、オトウトと、二人が独立してから世話になった少数の信頼できるビジネスパートナーたち、そして、ナマエの古くからの友人たちだけ。 彼らが選んだのは、誰に見せるためでもない、自分たちのための小さな、けれど本物の式だった。
祭壇の前に立つエルヴィンの耳に、チェロとヴァイオリンの穏やかな旋律が届く。 そして。
ヴァージンロードの向こう側から、光に包まれるようにして、ナマエが現れた。
「…………」
エルヴィンの碧い瞳が、一瞬、大きく見開かれた。 彼女が纏っているのは、純白のウェディングドレス。だが、それはただの白ではない。繊細なレースの隙間から、まるで森の木漏れ日のような、淡く深いグリーンの刺繍が施されていた。 かつて彼が背負った「自由の翼」の色を、彼女は最も美しい形で、この日の装いに取り入れていたのだ。
ナマエが一歩ずつ、彼のもとへ歩み寄ってくる。 その瞳が、ヴェール越しにエルヴィンを真っ直ぐに見つめている。 彼女が近づくたびに、エルヴィンの胸の奥で、かつて凍りついていた感情の最後の欠片が、音を立てて溶けていくのが分かった。
祭壇の前で、オトウトがナマエの手を取り、それをエルヴィンの大きな掌へと託した。
「……エルヴィンさん。返品は不可だからね」
「ああ。……生涯、大切にする」
エルヴィンがナマエの手をしっかりと握りしめる。その温かさが、彼に今、ここが現実であることを強く認識させた。
誓いの言葉。 二人は、既存の言葉を使わず、自分たち自身の言葉で誓いを立てることを選んだ。
エルヴィンは、ナマエの瞳を深く見つめ、ゆっくりと口を開いた。 その声は、かつて何万もの兵士を死地へと導いた、あのカリスマ性に満ちたバリトンではない。一人の人間としての、静かで、切実な声だった。
「ナマエ。……俺はかつて、多くの命を犠牲にし、その屍の上に立ってきた男だ。俺の手は、決して綺麗ではない。俺の魂には、消えることのない罪の影が焼き付いている」
チャペルの中が、しんと静まり返る。
「だが、君はそんな俺の全てを知りながら、その手を差し伸べてくれた。君が俺を見つけてくれたあの瞬間から、俺の止まっていた時間は再び動き出したのだ」
エルヴィンは、握りしめたナマエの手に、力を込めた。
「俺は誓う。……これからの俺の人生は、もう誰の犠牲も生まない。俺の持つ全ての知性、全ての力は、君の笑顔を守るためだけに使おう。……君が、俺の生きる意味だ」
ナマエの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。彼女は、震える声で、けれど毅然と彼に応えた。
「エルヴィン。……私は、物語の中のあなたに恋をして、そして今、目の前にいるあなたを愛しています。あなたの背負っている過去も、痛みも、全部ひっくるめて、私が受け止める」
ナマエは一歩、彼に近づいた。
「あなたがもう、一人で重い決断をしなくていいように。私があなたの隣で、一緒に悩み、一緒に考え、一緒に進みます。……ここが、私たちの帰る場所だよ」
二人は、シンプルなゴールドの指輪を交換した。 そして、誓いのキス。 それは、これまでのどんな情熱的な口づけよりも深く、長く、互いの魂を刻印し合うような、神聖な儀式だった。
チャペルの外に出ると、参列者たちからの温かい拍手と、フラワーシャワーが二人を包み込んだ。舞い上がる白い花びらが、青空に吸い込まれていく。
「おめでとう、エルヴィン! ナマエ!」
笑顔で手を振る人々。 そこには、悲壮な覚悟も、絶望的な叫びもない。ただ、純粋な祝福の「音」だけが満ちていた。 エルヴィンは、隣で幸せそうに笑うナマエの横顔を見つめ、眩しそうに目を細めた。
(……ああ。これが、人間が本来享受すべき『幸福』の形なのか)
彼は、自分がこの光景の中にいることが、奇跡のように思えた。
夕暮れ時。 パーティーが終わり、ゲストたちが去った後。 エルヴィンとナマエは、二人きりで丘の上に立ち、オレンジ色に染まる地平線を眺めていた。 風が、ナマエのヴェールと、エルヴィンのジャケットの裾を優しく揺らす。
「……終わっちゃったね」
ナマエが、夢心地のような声で呟いた。 エルヴィンは、彼女の肩を抱き寄せ、その温もりを確かめるように引き寄せた。
「いや。……ここからが始まりだ、ナマエ」
彼は、広大な空を見上げた。壁のない、どこまでも続く自由な空。
「俺はかつて、この世界の真実を知ることを夢見ていた。だが、地下室に何があろうと、壁の外に何が広がっていようと……。今、君が俺の隣にいて、同じ景色を見ている。この事実以上の真実は、俺には必要ない」
エルヴィンは、ナマエの方を向き直った。 夕陽が、彼の金髪と碧い瞳を、燃えるような橙色に染め上げている。
「ナマエ。……ありがとう。俺を選んでくれて」
「……ううん。私の方こそ、見つけてくれてありがとう。エルヴィン」
二人は、言葉なく見つめ合った。 エルヴィンは、ゆっくりと右手の拳を胸に当てた。 それは、かつて「心臓を捧げよ」と叫んだ、あの敬礼の形。 だが今、彼がその仕草に込めた意味は、全く異なるものだった。
「……俺の心臓は、今この瞬間から、永遠に君だけのものだ」
彼は、静かに、けれど力強く告げた。ナマエは涙で潤んだ瞳で微笑み、同じように自分の胸に拳を当てた。
「……私も。私の全てを、あなたに捧げます」
二人の影が、夕陽の中で一つに重なる。 風が吹き抜け、遠くで一番星が瞬き始めた。
英雄の長い戦いは終わり、一人の男としての、愛おしい日々が始まる。 自由の翼は、もう彼の背中にはない。 けれど、二人の心は、これまでのどんな時よりも高く、自由に、この広い空を舞っていた。
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