推しの心臓、我が家の1LDKにあり
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都会の喧騒を地上30階の高さまで遠ざけた、隠れ家のような鉄板焼きレストラン。 磨き抜かれたカウンター越しに、シェフが繊細な手つきで旬の食材を扱っている。
ミョウジオトウトは、白衣を脱ぎ捨てたカジュアルなジャケット姿で、目の前に座る「義兄(になる予定の男)」を、冷めた、けれどどこか感慨深い目で見つめていた。
「……相変わらず、隙がないな。そのスーツ、姉貴のプロデュースだろ?」
オトウトの皮肉めいた言葉に、エルヴィンは静かにワイングラスを置いた。
「ああ。君の姉の審美眼は、俺の軍服を選んでいた兵站部よりも遥かに鋭い。おかげで、ビジネスの戦場では外見だけで勝利を確信されることも多いよ」
エルヴィンはそう言って、少しだけ口角を上げた。 かつて病院のベッドで、死の匂いを纏い、右腕があることに愕然としていた男の面影は、今やその端正な顔立ちの奥に深く仕舞い込まれている。今の彼は、誰もが認める敏腕コンサルタントであり、ミョウジナマエという女性を、世界で最も甘やかす男だ。
「……オトウト、そんな言い方しないで。エルヴィンだって、今日はオトウトに感謝を伝えたくてこの席を設けたんだから」
隣でナマエが苦笑しながら、オトウトのグラスにシャンパンを注ぐ。 ナマエの表情は、一年前よりもずっと艶やかで、内側から発光するような幸福感に満ちていた。オトウトはそれを見て、内心で小さく安堵のため息をつく。
救急医として、数多の生と死の境界線を見てきたオトウトにとって、エルヴィン・スミスという男は、当初「医療的・倫理的なイレギュラー」でしかなかった。姉が夢中になっている漫画の主人公が、五体満足で現世に現れる。そんなオカルトじみた事態を、オトウトは医者としての客観性と、姉への深い情愛だけで受け入れてきた。
「感謝、ね。……まあ、偽造パスポート一歩手前の戸籍整理やら、特殊な予防接種の履歴捏造やら、僕がどれだけリスクを冒したか分かってるならいいけど」
「ああ。君の協力がなければ、俺は今頃、研究施設か収容所の中で、現代の解剖技術の進歩を身をもって体験していただろう」
エルヴィンの冗談は、笑えないほどに現実味があった。ナマエが中座して席を立った瞬間、カウンターには男二人の、濃密で静かな時間が流れた。
オトウトは、目の前の鉄板で焼かれる肉を見つめたまま、声を潜めて切り出した。
「……エルヴィンさん。単刀直入に聞くけど。……あんた、本当にこの世界で幸せか?」
エルヴィンの手が、わずかに止まる。
「あんたは『選ぶ』側の人だ。目的のためなら、自分自身の幸福すら切り捨てられる。……今の生活は、あんたにとって、ただの『上手くいっている戦略』なんじゃないのか? 姉貴を幸せにすることも、この世界に馴染むことも、全部、生き残るための高度なシミュレーションなんじゃないのかって、僕は時々疑ってしまうんだ」
オトウトの鋭い視線が、エルヴィンの碧い瞳を射抜く。 医者としての冷静な観察眼。そして、姉を唯一無二の身内として守ろうとする弟の独占欲。
エルヴィンは、ナマエが座っていた空席を一度見つめ、それからオトウトに向き直った。
「……オトウト。君は、救急の現場で、絶望的な重傷者が奇跡的に一命を取り留めた瞬間を見たことがあるだろう」
「……ああ。何度かな」
「その患者が、リハビリを経て初めて自分の足で歩き、風の心地よさを感じたとき。……それは『戦略』だと思うか?」
エルヴィンは、自らの右手をそっとテーブルに乗せた。
「俺にとって、この世界でナマエの隣にいることは、生き延びるための手段ではない。……失ったはずの魂が、再び息を吹き返すための『奇跡』そのものなんだ」
彼の声は、かつて何万もの兵士を鼓舞した時のような力強さではなく、熱病に冒された者が吐露するような、切実な真実味を帯びていた。
「俺はかつて、夢のためにすべてを捧げた。……だが、ここでは、夢を見る必要がない。目の前にある、君の姉が焼くトーストの香りが、彼女の笑い声が、俺にとっての完成された真実だ。……オトウト。俺は、生まれて初めて、自分自身のために生きる喜びを知った。それを『シミュレーション』と呼ぶには、俺の心はあまりに熱すぎる」
エルヴィンは一人の男としての剥き出しの感情を見せた。 オトウトは、その碧い瞳の奥に宿る、隠しきれない執着と愛着を見て、ようやく肩の力を抜いた。
「……ちっ。……合格だよ。これ以上聞くと、独身の僕には毒だ」
オトウトは不貞腐れたようにシャンパンを飲み干した。
「姉貴は、あんたが漫画の中の英雄だから選んだんじゃない。……あんたという、どうしようもなく不器用で、一途な男を、放っておけなかっただけだ。……幸せにしてやってくれ。いや、二人で勝手に幸せになってくれ」
「ああ。約束しよう」
そこへ、ナマエが戻ってきた。
「二人で何を話してたの? 何か悪い相談?」
「いや。……君の弟がいかに優秀な医師であるかという話と、今夜のデザートを何にするかという会議をしていたところだ」
エルヴィンが、ナマエのために椅子を引く。その動作には、一点の曇りもない慈愛が満ちていた。 オトウトは、それを見て苦笑し、手元のメニューを眺めた。
「姉貴、ここのフォンダンショコラ、エルヴィンさんの誕生日祝いで追加しといたから。……それと、今度の健康診断、僕の病院で予約取っておいたよ。英雄も、現代の病気には勝てないからね」
「……ふ。それは、俺にとって最大の難敵になりそうだな」
エルヴィンの快活な笑い声が、豪華なレストランの一角に響く。 かつて人類の命運を背負った男は、今、親愛なる義弟と、愛する妻と共に、何でもない、けれどかけがえのない夜の時間を享受していた。
窓の外の夜景は、どこまでも明るく、平和だった。 かつて彼が夢見た「壁の向こう側」は、今、この食卓の上にこそ存在していた。
ミョウジオトウトは、白衣を脱ぎ捨てたカジュアルなジャケット姿で、目の前に座る「義兄(になる予定の男)」を、冷めた、けれどどこか感慨深い目で見つめていた。
「……相変わらず、隙がないな。そのスーツ、姉貴のプロデュースだろ?」
オトウトの皮肉めいた言葉に、エルヴィンは静かにワイングラスを置いた。
「ああ。君の姉の審美眼は、俺の軍服を選んでいた兵站部よりも遥かに鋭い。おかげで、ビジネスの戦場では外見だけで勝利を確信されることも多いよ」
エルヴィンはそう言って、少しだけ口角を上げた。 かつて病院のベッドで、死の匂いを纏い、右腕があることに愕然としていた男の面影は、今やその端正な顔立ちの奥に深く仕舞い込まれている。今の彼は、誰もが認める敏腕コンサルタントであり、ミョウジナマエという女性を、世界で最も甘やかす男だ。
「……オトウト、そんな言い方しないで。エルヴィンだって、今日はオトウトに感謝を伝えたくてこの席を設けたんだから」
隣でナマエが苦笑しながら、オトウトのグラスにシャンパンを注ぐ。 ナマエの表情は、一年前よりもずっと艶やかで、内側から発光するような幸福感に満ちていた。オトウトはそれを見て、内心で小さく安堵のため息をつく。
救急医として、数多の生と死の境界線を見てきたオトウトにとって、エルヴィン・スミスという男は、当初「医療的・倫理的なイレギュラー」でしかなかった。姉が夢中になっている漫画の主人公が、五体満足で現世に現れる。そんなオカルトじみた事態を、オトウトは医者としての客観性と、姉への深い情愛だけで受け入れてきた。
「感謝、ね。……まあ、偽造パスポート一歩手前の戸籍整理やら、特殊な予防接種の履歴捏造やら、僕がどれだけリスクを冒したか分かってるならいいけど」
「ああ。君の協力がなければ、俺は今頃、研究施設か収容所の中で、現代の解剖技術の進歩を身をもって体験していただろう」
エルヴィンの冗談は、笑えないほどに現実味があった。ナマエが中座して席を立った瞬間、カウンターには男二人の、濃密で静かな時間が流れた。
オトウトは、目の前の鉄板で焼かれる肉を見つめたまま、声を潜めて切り出した。
「……エルヴィンさん。単刀直入に聞くけど。……あんた、本当にこの世界で幸せか?」
エルヴィンの手が、わずかに止まる。
「あんたは『選ぶ』側の人だ。目的のためなら、自分自身の幸福すら切り捨てられる。……今の生活は、あんたにとって、ただの『上手くいっている戦略』なんじゃないのか? 姉貴を幸せにすることも、この世界に馴染むことも、全部、生き残るための高度なシミュレーションなんじゃないのかって、僕は時々疑ってしまうんだ」
オトウトの鋭い視線が、エルヴィンの碧い瞳を射抜く。 医者としての冷静な観察眼。そして、姉を唯一無二の身内として守ろうとする弟の独占欲。
エルヴィンは、ナマエが座っていた空席を一度見つめ、それからオトウトに向き直った。
「……オトウト。君は、救急の現場で、絶望的な重傷者が奇跡的に一命を取り留めた瞬間を見たことがあるだろう」
「……ああ。何度かな」
「その患者が、リハビリを経て初めて自分の足で歩き、風の心地よさを感じたとき。……それは『戦略』だと思うか?」
エルヴィンは、自らの右手をそっとテーブルに乗せた。
「俺にとって、この世界でナマエの隣にいることは、生き延びるための手段ではない。……失ったはずの魂が、再び息を吹き返すための『奇跡』そのものなんだ」
彼の声は、かつて何万もの兵士を鼓舞した時のような力強さではなく、熱病に冒された者が吐露するような、切実な真実味を帯びていた。
「俺はかつて、夢のためにすべてを捧げた。……だが、ここでは、夢を見る必要がない。目の前にある、君の姉が焼くトーストの香りが、彼女の笑い声が、俺にとっての完成された真実だ。……オトウト。俺は、生まれて初めて、自分自身のために生きる喜びを知った。それを『シミュレーション』と呼ぶには、俺の心はあまりに熱すぎる」
エルヴィンは一人の男としての剥き出しの感情を見せた。 オトウトは、その碧い瞳の奥に宿る、隠しきれない執着と愛着を見て、ようやく肩の力を抜いた。
「……ちっ。……合格だよ。これ以上聞くと、独身の僕には毒だ」
オトウトは不貞腐れたようにシャンパンを飲み干した。
「姉貴は、あんたが漫画の中の英雄だから選んだんじゃない。……あんたという、どうしようもなく不器用で、一途な男を、放っておけなかっただけだ。……幸せにしてやってくれ。いや、二人で勝手に幸せになってくれ」
「ああ。約束しよう」
そこへ、ナマエが戻ってきた。
「二人で何を話してたの? 何か悪い相談?」
「いや。……君の弟がいかに優秀な医師であるかという話と、今夜のデザートを何にするかという会議をしていたところだ」
エルヴィンが、ナマエのために椅子を引く。その動作には、一点の曇りもない慈愛が満ちていた。 オトウトは、それを見て苦笑し、手元のメニューを眺めた。
「姉貴、ここのフォンダンショコラ、エルヴィンさんの誕生日祝いで追加しといたから。……それと、今度の健康診断、僕の病院で予約取っておいたよ。英雄も、現代の病気には勝てないからね」
「……ふ。それは、俺にとって最大の難敵になりそうだな」
エルヴィンの快活な笑い声が、豪華なレストランの一角に響く。 かつて人類の命運を背負った男は、今、親愛なる義弟と、愛する妻と共に、何でもない、けれどかけがえのない夜の時間を享受していた。
窓の外の夜景は、どこまでも明るく、平和だった。 かつて彼が夢見た「壁の向こう側」は、今、この食卓の上にこそ存在していた。
