推しの心臓、我が家の1LDKにあり
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窓の外には、雲ひとつない秋の青空が広がっていた。 十月の空気は凛としていて、それでいて陽光は、熟した果実のように柔らかな黄金色を帯びている。
十月十四日。 エルヴィン・スミスがこの世界で迎える、二度目の誕生日。
「……ん」
隣で眠るナマエの穏やかな寝息を聞きながら、エルヴィンは静かに目を開けた。 かつての彼は、夜明けと共に跳ね起き、すぐさま地図を広げるか、積み上げられた報告書に目を通すのが常だった。朝は、生存を確認するための「点呼」の時間であり、幸福を感じるための時間ではなかったからだ。
だが今は、カーテンの隙間から差し込む光がシーツを白く染めるのを、ただぼんやりと眺めている。 腕の中に収まる、ナマエの温もり。彼女の黒髪が枕に広がり、微かなシャンプーの香りが鼻をくすぐる。 この平穏な数分間こそが、今の彼にとって最も重要な戦果だった。
(……ああ。俺は、生きているな)
エルヴィンは、ナマエを起こさないようにベッドを抜け出し、リビングへと向かった。 一年前、初めてこの1LDKに来たときは、あまりに狭く、あまりに無機質に思えたこの空間が、今では世界で最も安らげる聖域となっていた。
キッチンに立ち、手慣れた動作でコーヒー豆を挽く。 カリカリという規則的な音。 かつての壁の中で、コーヒーは一部の特権階級にしか許されない贅沢品であり、それもどこか土の匂いが混じったような代物だった。だが、現代のそれは、驚くほど芳醇で、鼻腔を抜ける香りは知性を穏やかに覚醒させてくれる。
「……おはよう、エルヴィン。早いね」
背後から、眠そうな、けれど弾んだ声が聞こえた。 ナマエが、お揃いのグレーのスウェットを纏って、目を擦りながら現れる。
「おはよう、ナマエ。……昨夜は遅くまで起きていたから、もう少し眠っていても良かったのに」
「だって、今日はあなたの誕生日だよ。主役に朝ごはんを作らせるわけにいかないでしょ」
ナマエはそう言って笑い、エルヴィンの隣に並んだ。 二人の身長差は相変わらず大きい。けれど、今では並んでキッチンに立つその距離感は、パズルのピースが噛み合うように完璧だった。
「メニューはどうしたい?」
「いや、今朝は“普通の”朝食がいい。君と並んで作る、何でもない食卓が、俺には何よりの贈り物だ」
エルヴィンはそう言うと、冷蔵庫から卵を取り出した。 ナマエは野菜を洗い、彼はパンを焼く。 かつて人類の命運を左右する戦略を練っていた手で、彼は今、トーストの焼き加減を完璧に見極めようとしている。 フライパンで目玉焼きが焼けるパチパチという音。 トースターから立ち上がる香ばしい香り。
「ねえ、エルヴィン。……一年前の今日、あなたがここで目覚めるなんて、誰が想像したかな」
ナマエがサラダをボウルに盛り付けながら、ふと呟いた。 彼女の瞳には、まだ「知っている罪」の影がわずかに残っている。けれど、それを上書きするように、今の彼への愛おしさが溢れていた。
「……想像などできなかった。……いや、望むことすら許されないと思っていた」
エルヴィンは手を止め、窓の外に視線を向けた。
「俺は、死ぬことでしか償えないと思っていた。だが、君と過ごしたこの一年で、俺は学んだよ。……人は、誰かのために生きることで、過去の自分を赦すことができるのだと」
彼はナマエの方を向き、その細い肩をそっと抱き寄せた。
「ナマエ。君が俺を見つけてくれたから。君が俺を、一人の男として、この世界に繋ぎ止めてくれたから。……今の俺がある」
「エルヴィン……」
「……今日は、自分自身に誓おう」
エルヴィンは、彼女の額に優しく口づけをした。
「俺はもう、進まない。……いや、君と一緒に歩むこと以外、何も望まない。ここが俺の、生涯をかけて守るべき拠点だ」
食卓には、湯気を立てるコーヒーと、シンプルな朝食が並んだ。 窓から差し込む光が、エルヴィンの碧い瞳をキラキラと輝かせている。 かつての鋭い、冷徹なまでの眼光はそこにはない。 そこにあるのは、愛する人と共に生きることを選んだ、一人の男の穏やかな光だ。
「……うん。美味しいね、エルヴィン」
「ああ。最高だ、ナマエ」
二人は微笑み合い、静かに食事を楽しんだ。 都会の喧騒はすぐ外まで迫っている。 スミスコンサルティングの仕事も、明日になればまた忙しく始まるだろう。 戦略家としての彼は、これからもこの複雑な現代社会という戦場を、鮮やかに切り拓いていくに違いない。
けれど、夕暮れになれば、彼は必ずこの場所へ帰ってくる。 「自由の翼」はもう、彼の背中にはない。 その代わりに、彼はナマエという名の、確かな帰る場所を手に入れたのだ。
「お誕生日おめでとう、エルヴィン」
「ありがとう、ナマエ。……生まれてきて、この世界へ来られて、本当に良かった」
エルヴィンが微笑む。 それは、物語の最後には決して見せることのなかった、心からの、幸福に満ちた微笑み。
英雄が、ただ一人の隣で“普通の幸せ”を学ぶ物語。 その序章は、秋の柔らかな光の中で、静かに、けれど幸福な確信と共に幕を閉じる。 二人の「第二の人生」は、まだ始まったばかりだった。
十月十四日。 エルヴィン・スミスがこの世界で迎える、二度目の誕生日。
「……ん」
隣で眠るナマエの穏やかな寝息を聞きながら、エルヴィンは静かに目を開けた。 かつての彼は、夜明けと共に跳ね起き、すぐさま地図を広げるか、積み上げられた報告書に目を通すのが常だった。朝は、生存を確認するための「点呼」の時間であり、幸福を感じるための時間ではなかったからだ。
だが今は、カーテンの隙間から差し込む光がシーツを白く染めるのを、ただぼんやりと眺めている。 腕の中に収まる、ナマエの温もり。彼女の黒髪が枕に広がり、微かなシャンプーの香りが鼻をくすぐる。 この平穏な数分間こそが、今の彼にとって最も重要な戦果だった。
(……ああ。俺は、生きているな)
エルヴィンは、ナマエを起こさないようにベッドを抜け出し、リビングへと向かった。 一年前、初めてこの1LDKに来たときは、あまりに狭く、あまりに無機質に思えたこの空間が、今では世界で最も安らげる聖域となっていた。
キッチンに立ち、手慣れた動作でコーヒー豆を挽く。 カリカリという規則的な音。 かつての壁の中で、コーヒーは一部の特権階級にしか許されない贅沢品であり、それもどこか土の匂いが混じったような代物だった。だが、現代のそれは、驚くほど芳醇で、鼻腔を抜ける香りは知性を穏やかに覚醒させてくれる。
「……おはよう、エルヴィン。早いね」
背後から、眠そうな、けれど弾んだ声が聞こえた。 ナマエが、お揃いのグレーのスウェットを纏って、目を擦りながら現れる。
「おはよう、ナマエ。……昨夜は遅くまで起きていたから、もう少し眠っていても良かったのに」
「だって、今日はあなたの誕生日だよ。主役に朝ごはんを作らせるわけにいかないでしょ」
ナマエはそう言って笑い、エルヴィンの隣に並んだ。 二人の身長差は相変わらず大きい。けれど、今では並んでキッチンに立つその距離感は、パズルのピースが噛み合うように完璧だった。
「メニューはどうしたい?」
「いや、今朝は“普通の”朝食がいい。君と並んで作る、何でもない食卓が、俺には何よりの贈り物だ」
エルヴィンはそう言うと、冷蔵庫から卵を取り出した。 ナマエは野菜を洗い、彼はパンを焼く。 かつて人類の命運を左右する戦略を練っていた手で、彼は今、トーストの焼き加減を完璧に見極めようとしている。 フライパンで目玉焼きが焼けるパチパチという音。 トースターから立ち上がる香ばしい香り。
「ねえ、エルヴィン。……一年前の今日、あなたがここで目覚めるなんて、誰が想像したかな」
ナマエがサラダをボウルに盛り付けながら、ふと呟いた。 彼女の瞳には、まだ「知っている罪」の影がわずかに残っている。けれど、それを上書きするように、今の彼への愛おしさが溢れていた。
「……想像などできなかった。……いや、望むことすら許されないと思っていた」
エルヴィンは手を止め、窓の外に視線を向けた。
「俺は、死ぬことでしか償えないと思っていた。だが、君と過ごしたこの一年で、俺は学んだよ。……人は、誰かのために生きることで、過去の自分を赦すことができるのだと」
彼はナマエの方を向き、その細い肩をそっと抱き寄せた。
「ナマエ。君が俺を見つけてくれたから。君が俺を、一人の男として、この世界に繋ぎ止めてくれたから。……今の俺がある」
「エルヴィン……」
「……今日は、自分自身に誓おう」
エルヴィンは、彼女の額に優しく口づけをした。
「俺はもう、進まない。……いや、君と一緒に歩むこと以外、何も望まない。ここが俺の、生涯をかけて守るべき拠点だ」
食卓には、湯気を立てるコーヒーと、シンプルな朝食が並んだ。 窓から差し込む光が、エルヴィンの碧い瞳をキラキラと輝かせている。 かつての鋭い、冷徹なまでの眼光はそこにはない。 そこにあるのは、愛する人と共に生きることを選んだ、一人の男の穏やかな光だ。
「……うん。美味しいね、エルヴィン」
「ああ。最高だ、ナマエ」
二人は微笑み合い、静かに食事を楽しんだ。 都会の喧騒はすぐ外まで迫っている。 スミスコンサルティングの仕事も、明日になればまた忙しく始まるだろう。 戦略家としての彼は、これからもこの複雑な現代社会という戦場を、鮮やかに切り拓いていくに違いない。
けれど、夕暮れになれば、彼は必ずこの場所へ帰ってくる。 「自由の翼」はもう、彼の背中にはない。 その代わりに、彼はナマエという名の、確かな帰る場所を手に入れたのだ。
「お誕生日おめでとう、エルヴィン」
「ありがとう、ナマエ。……生まれてきて、この世界へ来られて、本当に良かった」
エルヴィンが微笑む。 それは、物語の最後には決して見せることのなかった、心からの、幸福に満ちた微笑み。
英雄が、ただ一人の隣で“普通の幸せ”を学ぶ物語。 その序章は、秋の柔らかな光の中で、静かに、けれど幸福な確信と共に幕を閉じる。 二人の「第二の人生」は、まだ始まったばかりだった。
