推しの心臓、我が家の1LDKにあり
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独立から半年。
都心の端にある、古いけれど手入れの行き届いたビルのワンフロアに、エルヴィンとナマエが設立した「スミスコンサルティング」のオフィスはあった。 かつての巨艦のような大企業に比べれば、それは小舟のような組織だ。けれど、そこには「誰に命じられることもなく、自分の意志で進む」という、清冽な風が吹き抜けていた。
「……これで、すべての署名が揃いました」
ナマエは、手元のタブレットを閉じ、深い安堵と共に息を吐いた。 窓の外には、夕闇に沈む街の灯りがポツポツと灯り始めている。 目の前のクライアント――かつて倒産寸前だった地方の老舗メーカーの社長が、震える手でエルヴィンの手を握りしめていた。
「エルヴィン先生、本当に……ありがとうございます。従業員を一人も解雇せず、この会社を守り抜けるなんて、夢のようです」
「感謝には及びません。私はただ、勝てる道を示しただけだ。それを歩む決断をしたのは、あなた自身だ」
エルヴィンは静かに微笑み、その大きな手で社長の手を包み込んだ。 その仕草は、かつて絶望する兵士に「進め」と命じた冷徹な指揮官のそれではなく、共に荒波を越える仲間を労う、慈愛に満ちたものだった。
クライアントが去り、静まり返ったオフィス。ナマエは、デスクの椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げた。
「……終わったね。誰も、一人も欠けることなく、みんなが笑って終われた」
「ああ。……不思議な感覚だ」
エルヴィンは窓際に立ち、夜の街を見下ろしていた。 チャコールグレーのジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げたその背中は、半年間の激務を感じさせないほどに堂々としている。
「かつての私は、勝利を掴むたびに、それに見合う……あるいはそれ以上の対価を支払ってきた。私の足元には常に、私が選ばなかった道に倒れた者たちの影があった」
エルヴィンはゆっくりと振り返った。 碧い瞳が、デスクランプの光を受けて、宝石のように深く、澄んだ色でナマエを射抜く。
「だが、今回は違う。私はもう、誰かの犠牲の上には立たない。……ナマエ、君が教えてくれたんだ。誰も死なず、誰も傷つかない勝利が、この世界には存在するということを」
「エルヴィン……」
ナマエは立ち上がり、彼の元へ歩み寄った。 彼の大きな掌が、ナマエの頬にそっと触れる。 その指先は、冷たく引き締まった冬の空気とは対照的に、驚くほど熱く、脈打っていた。
「私は今まで、目的のために手段を選ばない自分を、それが唯一の正解だと信じて生きてきた。だが……君という隣人を得て、初めて知ったよ。幸福とは、目的の果てにあるものではなく、こうして誰かの手を取り、共に歩む過程そのものにあるのだと」
「……私も、あなたと一緒にこの景色が見られて、本当に幸せ」
ナマエが彼の胸に顔を埋めると、エルヴィンは彼女を壊れ物を扱うような優しさで抱き寄せた。 彼の心臓の音が、厚い胸板越しに、力強く、規則正しく伝わってくる。 かつて戦場で、死を覚悟した時にだけ感じていたあの激しい鼓動とは違う。これは、明日を生きるために刻まれる、希望の音だ。
「……帰ろう、ナマエ。今夜は、君が以前から飲みたがっていた、あのヴィンテージのワインを開けよう」
「あ、それ……結構高いやつだよね? 独立成功のお祝い?」
「いや。……君が今日も、私の隣にいてくれたことへのお祝いだ」
エルヴィンの少しだけ悪戯っぽく、けれど真っ直ぐな言葉に、ナマエは顔を赤らめた。 英雄は、この世界で「甘い言葉」という名の戦術すら完璧にマスターしてしまったらしい。
1LDKの自宅へ戻ると、部屋の中は暖房の柔らかな熱気に満ちていた。 エルヴィンは慣れた手つきでエプロンを締め、キッチンに立つ。 高級レストランのフルコースも用意できる財力は今の彼らにはある。けれど、二人が選んだのは、二人でキッチンに立ち、野菜を刻み、他愛のない話をしながら作る「普通の夕食」だった。
「……エルヴィン、ワインのコルク、開けられる?」
「私を誰だと思っている。この程度の抜栓、戦略を立てるまでもない」
エルヴィンは鮮やかな手つきでコルクを抜き、クリスタルグラスに深紅の液体を注いだ。 部屋の中に、芳醇なブドウの香りと、少しだけスパイシーな樽の香りが広がる。
「乾杯、エルヴィン。……私たちの、新しい未来に」
「乾杯、ナマエ。……私の、ただ一人の理解者に」
グラスが触れ合い、清らかな音が響く。 ワインの味は、驚くほど深みがあり、けれど後味はどこまでも澄んでいた。
夕食を終え、ソファで二人並んで座る。 テレビは消え、部屋を照らしているのは、ナマエが気に入っているアロマキャンドルの揺れる炎だけだ。 エルヴィンは、ナマエの肩に腕を回し、彼女を自分の体に引き寄せた。
「ナマエ。……私は時折、怖くなることがある」
「……何が?」
「この幸せが、すべて私の見た夢ではないかと。あるいは、あの日、礫に打たれた瞬間に脳が見せた、都合の良い幻覚ではないかと」
エルヴィンの声が、わずかに震えていた。 強大な敵を前にしても、一度として揺らがなかったその声が。ナマエは彼の大きな手を、自分の両手でぎゅっと握りしめた。
「幻覚なんかじゃないよ。ほら、私の手、温かいでしょ? あなたの心臓、こんなに元気に動いてるでしょ?」
ナマエは彼の手を引き、自分の胸の上に置いた。
「私はここにいる。あなたはここにいる。……そして、私たちは明日も、この部屋で目を覚ます。それは絶対に揺るがない、この世界の真実だよ」
エルヴィンは、ナマエの瞳の中に宿る確固たる光を見つめ、やがて、深く、憑き物が落ちたような溜息をついた。
「……ああ。そうだな。……君がいるから、私はここが現実だと信じられる」
彼は、ナマエの額に、まぶたに、そして唇に、羽毛のような軽いキスを落とした。 それは、かつて彼が背負ってきたすべての呪縛を解き放つような、慈愛に満ちた口づけ。
「私はもう、誰の犠牲も望まない。……ただ、君を守り、君に愛される。そのために、この命を使おう」
窓の外、都会の夜景はいつまでも輝き続けていた。 けれど、エルヴィン・スミスにとっての世界は、今、この腕の中に収まるほどに小さく、そして、宇宙のすべてよりも尊いものになっていた。
選ばれた未来。 それは、英雄が「ただの男」として生きることを許された、奇跡のような日々。 二人の夜は、穏やかに、そして熱を持って、深まっていく。
都心の端にある、古いけれど手入れの行き届いたビルのワンフロアに、エルヴィンとナマエが設立した「スミスコンサルティング」のオフィスはあった。 かつての巨艦のような大企業に比べれば、それは小舟のような組織だ。けれど、そこには「誰に命じられることもなく、自分の意志で進む」という、清冽な風が吹き抜けていた。
「……これで、すべての署名が揃いました」
ナマエは、手元のタブレットを閉じ、深い安堵と共に息を吐いた。 窓の外には、夕闇に沈む街の灯りがポツポツと灯り始めている。 目の前のクライアント――かつて倒産寸前だった地方の老舗メーカーの社長が、震える手でエルヴィンの手を握りしめていた。
「エルヴィン先生、本当に……ありがとうございます。従業員を一人も解雇せず、この会社を守り抜けるなんて、夢のようです」
「感謝には及びません。私はただ、勝てる道を示しただけだ。それを歩む決断をしたのは、あなた自身だ」
エルヴィンは静かに微笑み、その大きな手で社長の手を包み込んだ。 その仕草は、かつて絶望する兵士に「進め」と命じた冷徹な指揮官のそれではなく、共に荒波を越える仲間を労う、慈愛に満ちたものだった。
クライアントが去り、静まり返ったオフィス。ナマエは、デスクの椅子に深く腰を下ろし、天井を見上げた。
「……終わったね。誰も、一人も欠けることなく、みんなが笑って終われた」
「ああ。……不思議な感覚だ」
エルヴィンは窓際に立ち、夜の街を見下ろしていた。 チャコールグレーのジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲り上げたその背中は、半年間の激務を感じさせないほどに堂々としている。
「かつての私は、勝利を掴むたびに、それに見合う……あるいはそれ以上の対価を支払ってきた。私の足元には常に、私が選ばなかった道に倒れた者たちの影があった」
エルヴィンはゆっくりと振り返った。 碧い瞳が、デスクランプの光を受けて、宝石のように深く、澄んだ色でナマエを射抜く。
「だが、今回は違う。私はもう、誰かの犠牲の上には立たない。……ナマエ、君が教えてくれたんだ。誰も死なず、誰も傷つかない勝利が、この世界には存在するということを」
「エルヴィン……」
ナマエは立ち上がり、彼の元へ歩み寄った。 彼の大きな掌が、ナマエの頬にそっと触れる。 その指先は、冷たく引き締まった冬の空気とは対照的に、驚くほど熱く、脈打っていた。
「私は今まで、目的のために手段を選ばない自分を、それが唯一の正解だと信じて生きてきた。だが……君という隣人を得て、初めて知ったよ。幸福とは、目的の果てにあるものではなく、こうして誰かの手を取り、共に歩む過程そのものにあるのだと」
「……私も、あなたと一緒にこの景色が見られて、本当に幸せ」
ナマエが彼の胸に顔を埋めると、エルヴィンは彼女を壊れ物を扱うような優しさで抱き寄せた。 彼の心臓の音が、厚い胸板越しに、力強く、規則正しく伝わってくる。 かつて戦場で、死を覚悟した時にだけ感じていたあの激しい鼓動とは違う。これは、明日を生きるために刻まれる、希望の音だ。
「……帰ろう、ナマエ。今夜は、君が以前から飲みたがっていた、あのヴィンテージのワインを開けよう」
「あ、それ……結構高いやつだよね? 独立成功のお祝い?」
「いや。……君が今日も、私の隣にいてくれたことへのお祝いだ」
エルヴィンの少しだけ悪戯っぽく、けれど真っ直ぐな言葉に、ナマエは顔を赤らめた。 英雄は、この世界で「甘い言葉」という名の戦術すら完璧にマスターしてしまったらしい。
1LDKの自宅へ戻ると、部屋の中は暖房の柔らかな熱気に満ちていた。 エルヴィンは慣れた手つきでエプロンを締め、キッチンに立つ。 高級レストランのフルコースも用意できる財力は今の彼らにはある。けれど、二人が選んだのは、二人でキッチンに立ち、野菜を刻み、他愛のない話をしながら作る「普通の夕食」だった。
「……エルヴィン、ワインのコルク、開けられる?」
「私を誰だと思っている。この程度の抜栓、戦略を立てるまでもない」
エルヴィンは鮮やかな手つきでコルクを抜き、クリスタルグラスに深紅の液体を注いだ。 部屋の中に、芳醇なブドウの香りと、少しだけスパイシーな樽の香りが広がる。
「乾杯、エルヴィン。……私たちの、新しい未来に」
「乾杯、ナマエ。……私の、ただ一人の理解者に」
グラスが触れ合い、清らかな音が響く。 ワインの味は、驚くほど深みがあり、けれど後味はどこまでも澄んでいた。
夕食を終え、ソファで二人並んで座る。 テレビは消え、部屋を照らしているのは、ナマエが気に入っているアロマキャンドルの揺れる炎だけだ。 エルヴィンは、ナマエの肩に腕を回し、彼女を自分の体に引き寄せた。
「ナマエ。……私は時折、怖くなることがある」
「……何が?」
「この幸せが、すべて私の見た夢ではないかと。あるいは、あの日、礫に打たれた瞬間に脳が見せた、都合の良い幻覚ではないかと」
エルヴィンの声が、わずかに震えていた。 強大な敵を前にしても、一度として揺らがなかったその声が。ナマエは彼の大きな手を、自分の両手でぎゅっと握りしめた。
「幻覚なんかじゃないよ。ほら、私の手、温かいでしょ? あなたの心臓、こんなに元気に動いてるでしょ?」
ナマエは彼の手を引き、自分の胸の上に置いた。
「私はここにいる。あなたはここにいる。……そして、私たちは明日も、この部屋で目を覚ます。それは絶対に揺るがない、この世界の真実だよ」
エルヴィンは、ナマエの瞳の中に宿る確固たる光を見つめ、やがて、深く、憑き物が落ちたような溜息をついた。
「……ああ。そうだな。……君がいるから、私はここが現実だと信じられる」
彼は、ナマエの額に、まぶたに、そして唇に、羽毛のような軽いキスを落とした。 それは、かつて彼が背負ってきたすべての呪縛を解き放つような、慈愛に満ちた口づけ。
「私はもう、誰の犠牲も望まない。……ただ、君を守り、君に愛される。そのために、この命を使おう」
窓の外、都会の夜景はいつまでも輝き続けていた。 けれど、エルヴィン・スミスにとっての世界は、今、この腕の中に収まるほどに小さく、そして、宇宙のすべてよりも尊いものになっていた。
選ばれた未来。 それは、英雄が「ただの男」として生きることを許された、奇跡のような日々。 二人の夜は、穏やかに、そして熱を持って、深まっていく。
