Chapter 1 ⛧邂逅と覚醒
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艦内では乗組員たちの精神的疲労を和らげるための「レクリエーション」が催された。 銀河を渡る巨大な旗艦『ウィングス・オブ・リバティ号』の深部には、地球の環境を擬似的に再現した広大なホログラム・デッキが存在する。
そこには、無機質な壁など存在しない。 頭上にはどこまでも高い青空が広がり、足元には柔らかな若草が風にそよいでいる。合成された土の匂い、花の芳香、そして人工の太陽がもたらす穏やかな熱。 軍服を脱ぎ、軽装に着替えた乗組員たちは、ひとときの「人間としての時間」を謳歌していた。
だが、その平和な情景を、一段高い観測テラスから見下ろす男の瞳には、冷ややかな、しかし激しい熱を帯びた火が灯っていた。
エルヴィン・スミスは、手摺りに置いた拳を無意識のうちに固く握りしめていた。 彼の視線の先には、一際明るい笑い声を上げながら、若い操縦士や技術兵たちに囲まれているナマエの姿があった。
今日の彼女は、いつものタイトな軍服ではなく、柔らかな素材の白いブラウスにデニムを合わせている。纏めていた髪は肩へと流され、風が吹くたびに夜のカーテンのように美しく揺れた。
彼女が笑い、誰かの肩を軽く叩き、楽しげに首を傾げる。その一挙手一投足が、周囲の男たちの視線を、そして心を惹きつけているのが、離れた場所にいるエルヴィンにも手に取るように分かった。
「……あんなに、誰に対しても無防備に笑うものなのか、彼女は」
低く、地這うような声がエルヴィンの唇から漏れた。 自分に向けられる彼女の笑顔は、特別だと思っていた。
自分にだけ流してくれた、あの雨音のような音楽。 それらは、自分という「指揮官」に対する慈悲ではなく、もっと特別な感情の産物ではなかったのか。
だが、現実を直視すれば、彼女は誰に対しても太陽のように平等な暖かさを振りまいている。 その事実が、エルヴィンの胸の奥に、澱んだ黒い感情を沈殿させていった。
それは「嫉妬」という、指揮官として、あるいは一人の成熟した男として、最も縁遠いと思っていた醜悪な情動だった。
彼女をこの手の中に閉じ込め、その声を、その笑顔を、自分という閉ざされた深淵の中だけで独占したい。他の誰の耳にも、彼女の清らかな音声を届けたくない。 一度も愛を知らぬまま「人類の未来」という理想に心臓を捧げてきた男の中で、飢えた獣のような独占欲が初めて産声を上げたのだ。
「……酷い臭いだな、エルヴィン」
背後から、静かな、しかし有無を言わせぬ圧を持った声がした。 索敵部隊長のミケ・ザカリアス。彼は音もなくエルヴィンの隣に並び、鼻を微かに動かした。
「ミケか。……何のことだ」
「焦げたような、苦い、鉄の臭いだ。お前の内側から溢れ出している。……これほどまで感情を乱しているお前を見るのは、何年ぶりだろうな」
ミケは表情を変えぬまま、ナマエたちの輪をじっと見つめているエルヴィンの横顔を一瞥した。
「ターゲットを絞った獲物を、横から別の猛獣に掠め取られそうな……そんな焦燥に満ちた臭いがする。お前が今考えていることは、戦術論でも人類の存亡でもないだろう」
エルヴィンは答えなかった。否定する言葉が見つからなかった。 ただ、一人の若い兵士がナマエの黒髪に触れようとした瞬間、彼の碧眼が猛禽類のような鋭さを帯びたのを、ミケは見逃さなかった。
「彼女は、お前の描く『真実』とは違う。捕らえようとすれば指の隙間から溢れ、執着すればするほど、お前自身がその熱に焼かれることになるぞ」
ミケの言葉は、助言というよりは警告に近かった。
「だが、その臭いを消す方法は一つしかない。……手遅れになる前に、自分の陣地に引き込むことだ。お前は、欲しいものを手に入れるために、これまで何度非情な策を練ってきた?」
「……これは戦争ではないんだ、ミケ」
「いや、お前にとっては史上最大の難局だろう。これまでの冷静沈着な『艦長』が、ただの一人の『男』として、彼女という未知の惑星を攻略しようとしているのだからな」
ミケはそれだけ言うと、短く鼻を鳴らして去っていった。 一人残されたエルヴィンは、ふたたび視線を下ろした。
ちょうど、ナマエが周囲の談笑を振り切り、一人で果実水を飲もうとベンチへ向かうところだった。 その無防備な背中を見つめるエルヴィンの脳裏に、黒く塗り潰されたような思考が明滅する。
彼女の声を、自分だけが聴ける場所へ。 彼女の体温を、自分だけが知る密室へ。 たとえ、それが艦長という地位を盾にした卑怯な振る舞いであったとしても。
「……ナマエ」
唇が、彼女の名前を音もなく紡いだ。 その響きには、もはや慈しみだけではなく、逃れられぬ運命へと彼女を引きずり込もうとする、暗く、重い執着が混じっていた。
翌日、艦内放送が静かに、しかし抗いがたい重みを伴って流れることになる。
「通信士、ナマエは、直ちに艦長室へ出頭せよ。――繰り返し……」
それは、銀河の翼を駆る王が、自らの太陽を捕らえるために放った、最初の簒奪の一手であった。
そこには、無機質な壁など存在しない。 頭上にはどこまでも高い青空が広がり、足元には柔らかな若草が風にそよいでいる。合成された土の匂い、花の芳香、そして人工の太陽がもたらす穏やかな熱。 軍服を脱ぎ、軽装に着替えた乗組員たちは、ひとときの「人間としての時間」を謳歌していた。
だが、その平和な情景を、一段高い観測テラスから見下ろす男の瞳には、冷ややかな、しかし激しい熱を帯びた火が灯っていた。
エルヴィン・スミスは、手摺りに置いた拳を無意識のうちに固く握りしめていた。 彼の視線の先には、一際明るい笑い声を上げながら、若い操縦士や技術兵たちに囲まれているナマエの姿があった。
今日の彼女は、いつものタイトな軍服ではなく、柔らかな素材の白いブラウスにデニムを合わせている。纏めていた髪は肩へと流され、風が吹くたびに夜のカーテンのように美しく揺れた。
彼女が笑い、誰かの肩を軽く叩き、楽しげに首を傾げる。その一挙手一投足が、周囲の男たちの視線を、そして心を惹きつけているのが、離れた場所にいるエルヴィンにも手に取るように分かった。
「……あんなに、誰に対しても無防備に笑うものなのか、彼女は」
低く、地這うような声がエルヴィンの唇から漏れた。 自分に向けられる彼女の笑顔は、特別だと思っていた。
自分にだけ流してくれた、あの雨音のような音楽。 それらは、自分という「指揮官」に対する慈悲ではなく、もっと特別な感情の産物ではなかったのか。
だが、現実を直視すれば、彼女は誰に対しても太陽のように平等な暖かさを振りまいている。 その事実が、エルヴィンの胸の奥に、澱んだ黒い感情を沈殿させていった。
それは「嫉妬」という、指揮官として、あるいは一人の成熟した男として、最も縁遠いと思っていた醜悪な情動だった。
彼女をこの手の中に閉じ込め、その声を、その笑顔を、自分という閉ざされた深淵の中だけで独占したい。他の誰の耳にも、彼女の清らかな音声を届けたくない。 一度も愛を知らぬまま「人類の未来」という理想に心臓を捧げてきた男の中で、飢えた獣のような独占欲が初めて産声を上げたのだ。
「……酷い臭いだな、エルヴィン」
背後から、静かな、しかし有無を言わせぬ圧を持った声がした。 索敵部隊長のミケ・ザカリアス。彼は音もなくエルヴィンの隣に並び、鼻を微かに動かした。
「ミケか。……何のことだ」
「焦げたような、苦い、鉄の臭いだ。お前の内側から溢れ出している。……これほどまで感情を乱しているお前を見るのは、何年ぶりだろうな」
ミケは表情を変えぬまま、ナマエたちの輪をじっと見つめているエルヴィンの横顔を一瞥した。
「ターゲットを絞った獲物を、横から別の猛獣に掠め取られそうな……そんな焦燥に満ちた臭いがする。お前が今考えていることは、戦術論でも人類の存亡でもないだろう」
エルヴィンは答えなかった。否定する言葉が見つからなかった。 ただ、一人の若い兵士がナマエの黒髪に触れようとした瞬間、彼の碧眼が猛禽類のような鋭さを帯びたのを、ミケは見逃さなかった。
「彼女は、お前の描く『真実』とは違う。捕らえようとすれば指の隙間から溢れ、執着すればするほど、お前自身がその熱に焼かれることになるぞ」
ミケの言葉は、助言というよりは警告に近かった。
「だが、その臭いを消す方法は一つしかない。……手遅れになる前に、自分の陣地に引き込むことだ。お前は、欲しいものを手に入れるために、これまで何度非情な策を練ってきた?」
「……これは戦争ではないんだ、ミケ」
「いや、お前にとっては史上最大の難局だろう。これまでの冷静沈着な『艦長』が、ただの一人の『男』として、彼女という未知の惑星を攻略しようとしているのだからな」
ミケはそれだけ言うと、短く鼻を鳴らして去っていった。 一人残されたエルヴィンは、ふたたび視線を下ろした。
ちょうど、ナマエが周囲の談笑を振り切り、一人で果実水を飲もうとベンチへ向かうところだった。 その無防備な背中を見つめるエルヴィンの脳裏に、黒く塗り潰されたような思考が明滅する。
彼女の声を、自分だけが聴ける場所へ。 彼女の体温を、自分だけが知る密室へ。 たとえ、それが艦長という地位を盾にした卑怯な振る舞いであったとしても。
「……ナマエ」
唇が、彼女の名前を音もなく紡いだ。 その響きには、もはや慈しみだけではなく、逃れられぬ運命へと彼女を引きずり込もうとする、暗く、重い執着が混じっていた。
翌日、艦内放送が静かに、しかし抗いがたい重みを伴って流れることになる。
「通信士、ナマエは、直ちに艦長室へ出頭せよ。――繰り返し……」
それは、銀河の翼を駆る王が、自らの太陽を捕らえるために放った、最初の簒奪の一手であった。
