Chapter 3 ⛧光ある場所へ
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死を予感させる静寂が、小さな脱出艇を支配していた。 計器盤の灯りはほとんどが消え失せ、残された非常用の赤色灯が、狭い船室内を血のような色で不気味に染めている。窓の外には、命の鼓動を拒絶する絶対零度の虚空が広がり、遠くの星々が皮肉なほど美しく瞬いていた。
「……はぁ、……っ、……」
ナマエの呼吸が、次第に浅く、速くなっていく。 生命維持装置が吐き出す酸素は、すでに生存限界を下回っていた。船内の温度は急激に下がり、吐き出す息は白く凍りつく。薄い軍服越しに伝わる冷気が、じわじわと体温を奪い、意識の輪郭をぼやかしていく。
「ナマエ……しっかりしろ。眠るな」
すぐ隣で、彼女の身体を壊れ物を扱うように抱きしめているエルヴィンの声も、心なしか掠れていた。 彼は自身の体温でナマエを温めようと、大きな掌で彼女の肩を絶え間なく擦っている。その碧眼には、かつてないほどの激しい焦燥と、悲痛な決意が宿っていた。
「エルヴィン……さん。私、は……大丈夫、ですから……」
ナマエは震える唇で、ようやくそれだけの言葉を紡ぎ出した。 二人きりの、逃げ場のない密室。 上司としての「艦長」ではなく、愛しい一人の男として彼を呼ぶ。その響きは、冷え切った船室に唯一残った熱源のようだった。
「嘘を言うな。君の指先が、こんなに冷たい……」
エルヴィンは、ナマエの細い手を自分の両手で包み込み、温かな吐息を吹きかけた。 彼はふと、背後のコンソールに目をやった。酸素残量表示が「3%」を切り、警告音が弱々しく鳴り響いている。このままでは、あと十分も持たずに二人とも意識を失い、宇宙の塵となるだろう。
エルヴィンは静かに、しかし迷いのない手つきで、予備の小型酸素ボンベを手に取った。それは一人分、それも数十分を繋ぎ止めるだけの微量なものだった。
「これを着けるんだ、ナマエ」
「……えっ? でも、それは……一つしか、ないんじゃ……」
「いいから。これは命令だ」
エルヴィンは有無を言わせぬ力強さで、ナマエの口元にマスクを押し当てた。ナマエは必死に首を振った。彼が何をしようとしているのか、その鋭い感受性が瞬時に理解してしまったからだ。
「ダメ、です……! エルヴィンさんも、吸わなきゃ……死んじゃいます……!」
「私はいい。……私はこれまで、多くの部下を『進め』という言葉で死地へ送り込んできた。……だが、君だけは。君だけは、何があっても光のある場所へ帰さなければならない」
エルヴィンの声は、穏やかだった。 まるで、明日の航路を語るかのように静謐で、揺るぎない。
「君は、私の暗い人生に初めて灯った太陽だ。その太陽を、こんな冷たい場所で消させるわけにはいかない。……私の残りの酸素も、命も、すべて君に捧げる。それが、私の選んだ最後の『進路』だ」
「そんなの……嫌です! エルヴィンさんと一緒じゃなきゃ、意味がない……!」
ナマエの目から、熱い涙が溢れ出した。それは零れた瞬間に冷たくなって頬を伝う。 エルヴィンは愛おしそうにその涙を指で拭うと、マスクのバンドを彼女の頭に固定した。純度の高い酸素がナマエの肺に流れ込み、遠のきかけていた意識を強制的に引き戻す。
代わりに、エルヴィンの顔から急速に血の気が引いていく。 彼は呼吸を整えようと深く息を吐くが、肺に入るのは薄い、汚れた空気だけだ。 それでも、彼は微笑んでいた。ナマエの瞳に、再び生命の光が戻るのを確認して、心底満足そうに。
「……エルヴィンさん! お願い、やめて……! 苦しそうな顔、しないで……!」
ナマエはマスクをずらし、彼の喉元に顔を埋めた。 死への恐怖よりも、彼を失うことへの絶望が勝っていた。ナマエは、彼の軍服の襟元に手をかけ、ボタンを指先で震えながら外した。露わになった彼の鎖骨に、祈るように唇を寄せる。
「……何をしている。酸素を吸え、と言っただろう……」
「……あなたの酸素が足りないなら、私の口から分けさせてください」
ナマエは、自分に装着されたマスクから肺いっぱいに酸素を溜め込むと、それを外した。 そして、朦朧とするエルヴィンの唇を、自らの唇で塞いだ。
「――っ!?」
エルヴィンの碧眼が驚愕に見開かれる。ナマエの柔らかな唇から、生命の源である酸素が、彼の熱い口内へと流し込まれていく。 それは、死の淵で行われる、もっとも官能的で切実な儀式だった。
一度、二度。 酸素を分けるたび、二人の舌が絡み合い、互いの唾液の甘みと、死への焦燥が混ざり合う。 エルヴィンの理性が、音を立てて崩壊するのが分かった。 彼はナマエの腰を抱き寄せ、折れんばかりの力で彼女を自分へと押し付けた。
「……あ……、エルヴィンさん……っ」
「……ああ、ナマエ……。愛している。君を、誰にも渡したくない……。たとえここで朽ち果てることになっても、君を離したくないんだ……」
彼の低い囁きが、ナマエの耳腔を熱く、淫らに震わせる。 エルヴィンの熱い手が、ナマエの細い背中を這い、肌を直接なぞる。 非常灯の赤が、二人の混じり合うシルエットを壁に刻む。 酸素の欠乏による眩暈なのか、それとも彼が与える愛の重圧のせいなのか。ナマエは、彼の腕の中で溶けていくような感覚に襲われていた。
「……君だけは……必ず、生きてくれ……」
エルヴィンは、ナマエの額に、瞼に、そして最後に深くその唇に、魂を吸い出すような口づけを落とした。 やがて、彼の大きな掌から力が抜け、頭がナマエの肩にゆっくりと預けられる。
「エルヴィンさん……! エルヴィンさん!!」
ナマエの叫びが、狭い船内に虚しく響く。 彼女は必死に、微弱な救難信号を送り続けた。彼から託された酸素で、一秒でも長く生き延びて、彼を救うために。 エルヴィンの心拍が、抱きしめた胸越しに少しずつ、しかし確実に弱まっていくのを感じながら。
(お願い……誰か! 彼を助けて……!)
意識が朦朧とする中、ナマエは宇宙の深淵に向かって祈り続けた。 そして、どれほどの時間が過ぎたろうか。
暗黒の窓の外に、突如として眩い光が差し込んだ。 サーチライトの光軸が、漂流するポッドを捉える。 続いて、船体に「ガツン」という激しい衝撃。ドッキング・マーズが連結される振動。
「――おい、生きてるか!お前ら!!」
通信機から割れんばかりに響いたのは、怒声に近い、しかし震えるほどに安堵したリヴァイの声だった。 ハッチが外側からこじ開けられ、溢れ出す光と共に、防護服を着たリヴァイたちがなだれ込んでくる。
「……艦長!! 通信士!!」
救助隊の手によって、エルヴィンの身体が運び出される。ナマエもまた、抱きかかえられながら、必死に彼の名を呼び続けた。
母艦『ウィングス・オブ・リバティ号』の医療センター。 集中治療室のベッドで、エルヴィンはゆっくりと意識を取り戻した。 鼻に当てられた酸素吸入器の音。清潔なシーツの感触。そして、何よりも――。
「……あ……」
すぐ隣で、自分の手を握りしめたまま、疲れ果てて眠っているナマエの姿があった。 彼女の頬にはまだ、あのポッドの中で流した涙の跡が白く残っている。
エルヴィンは、震える手で彼女の頭を撫でた。 その温もり。柔らかな髪の感触。 生きている。 自分が、彼女をこの光の世界に繋ぎ止めることができた。
その瞬間、鉄の規律を誇り、何があっても表情を崩さなかった「名艦長」の目から、熱いものが溢れ出した。 それは、声にならない慟哭のような、激しい感情の奔流だった。 彼はナマエを起こさないように、しかし堪えきれずに、彼女の小さな手を自分の顔に押し当てて泣いた。
死の淵で思い知ったのは、己の無力さではなく、彼女を愛しすぎてしまったという、どうしようもない事実。
「……よかった……。君が、無事で……本当によかった……」
掠れた声で何度も繰り返される、愛の告白。 救助の瞬間にリヴァイが見たのは、人類の希望として立つ男の背中ではなく、ただ一人の女性の生存を神に感謝し、子供のように涙を流す、剥き出しの魂を持った男の姿だった。
銀河の荒波を越え、二人の命は再び一つに重なった。 冷徹な指揮官の瞳に宿ったその露は、どんな星の輝きよりも眩しく、そして重く、ナマエとの絆を永遠のものへと変えていった。
「……はぁ、……っ、……」
ナマエの呼吸が、次第に浅く、速くなっていく。 生命維持装置が吐き出す酸素は、すでに生存限界を下回っていた。船内の温度は急激に下がり、吐き出す息は白く凍りつく。薄い軍服越しに伝わる冷気が、じわじわと体温を奪い、意識の輪郭をぼやかしていく。
「ナマエ……しっかりしろ。眠るな」
すぐ隣で、彼女の身体を壊れ物を扱うように抱きしめているエルヴィンの声も、心なしか掠れていた。 彼は自身の体温でナマエを温めようと、大きな掌で彼女の肩を絶え間なく擦っている。その碧眼には、かつてないほどの激しい焦燥と、悲痛な決意が宿っていた。
「エルヴィン……さん。私、は……大丈夫、ですから……」
ナマエは震える唇で、ようやくそれだけの言葉を紡ぎ出した。 二人きりの、逃げ場のない密室。 上司としての「艦長」ではなく、愛しい一人の男として彼を呼ぶ。その響きは、冷え切った船室に唯一残った熱源のようだった。
「嘘を言うな。君の指先が、こんなに冷たい……」
エルヴィンは、ナマエの細い手を自分の両手で包み込み、温かな吐息を吹きかけた。 彼はふと、背後のコンソールに目をやった。酸素残量表示が「3%」を切り、警告音が弱々しく鳴り響いている。このままでは、あと十分も持たずに二人とも意識を失い、宇宙の塵となるだろう。
エルヴィンは静かに、しかし迷いのない手つきで、予備の小型酸素ボンベを手に取った。それは一人分、それも数十分を繋ぎ止めるだけの微量なものだった。
「これを着けるんだ、ナマエ」
「……えっ? でも、それは……一つしか、ないんじゃ……」
「いいから。これは命令だ」
エルヴィンは有無を言わせぬ力強さで、ナマエの口元にマスクを押し当てた。ナマエは必死に首を振った。彼が何をしようとしているのか、その鋭い感受性が瞬時に理解してしまったからだ。
「ダメ、です……! エルヴィンさんも、吸わなきゃ……死んじゃいます……!」
「私はいい。……私はこれまで、多くの部下を『進め』という言葉で死地へ送り込んできた。……だが、君だけは。君だけは、何があっても光のある場所へ帰さなければならない」
エルヴィンの声は、穏やかだった。 まるで、明日の航路を語るかのように静謐で、揺るぎない。
「君は、私の暗い人生に初めて灯った太陽だ。その太陽を、こんな冷たい場所で消させるわけにはいかない。……私の残りの酸素も、命も、すべて君に捧げる。それが、私の選んだ最後の『進路』だ」
「そんなの……嫌です! エルヴィンさんと一緒じゃなきゃ、意味がない……!」
ナマエの目から、熱い涙が溢れ出した。それは零れた瞬間に冷たくなって頬を伝う。 エルヴィンは愛おしそうにその涙を指で拭うと、マスクのバンドを彼女の頭に固定した。純度の高い酸素がナマエの肺に流れ込み、遠のきかけていた意識を強制的に引き戻す。
代わりに、エルヴィンの顔から急速に血の気が引いていく。 彼は呼吸を整えようと深く息を吐くが、肺に入るのは薄い、汚れた空気だけだ。 それでも、彼は微笑んでいた。ナマエの瞳に、再び生命の光が戻るのを確認して、心底満足そうに。
「……エルヴィンさん! お願い、やめて……! 苦しそうな顔、しないで……!」
ナマエはマスクをずらし、彼の喉元に顔を埋めた。 死への恐怖よりも、彼を失うことへの絶望が勝っていた。ナマエは、彼の軍服の襟元に手をかけ、ボタンを指先で震えながら外した。露わになった彼の鎖骨に、祈るように唇を寄せる。
「……何をしている。酸素を吸え、と言っただろう……」
「……あなたの酸素が足りないなら、私の口から分けさせてください」
ナマエは、自分に装着されたマスクから肺いっぱいに酸素を溜め込むと、それを外した。 そして、朦朧とするエルヴィンの唇を、自らの唇で塞いだ。
「――っ!?」
エルヴィンの碧眼が驚愕に見開かれる。ナマエの柔らかな唇から、生命の源である酸素が、彼の熱い口内へと流し込まれていく。 それは、死の淵で行われる、もっとも官能的で切実な儀式だった。
一度、二度。 酸素を分けるたび、二人の舌が絡み合い、互いの唾液の甘みと、死への焦燥が混ざり合う。 エルヴィンの理性が、音を立てて崩壊するのが分かった。 彼はナマエの腰を抱き寄せ、折れんばかりの力で彼女を自分へと押し付けた。
「……あ……、エルヴィンさん……っ」
「……ああ、ナマエ……。愛している。君を、誰にも渡したくない……。たとえここで朽ち果てることになっても、君を離したくないんだ……」
彼の低い囁きが、ナマエの耳腔を熱く、淫らに震わせる。 エルヴィンの熱い手が、ナマエの細い背中を這い、肌を直接なぞる。 非常灯の赤が、二人の混じり合うシルエットを壁に刻む。 酸素の欠乏による眩暈なのか、それとも彼が与える愛の重圧のせいなのか。ナマエは、彼の腕の中で溶けていくような感覚に襲われていた。
「……君だけは……必ず、生きてくれ……」
エルヴィンは、ナマエの額に、瞼に、そして最後に深くその唇に、魂を吸い出すような口づけを落とした。 やがて、彼の大きな掌から力が抜け、頭がナマエの肩にゆっくりと預けられる。
「エルヴィンさん……! エルヴィンさん!!」
ナマエの叫びが、狭い船内に虚しく響く。 彼女は必死に、微弱な救難信号を送り続けた。彼から託された酸素で、一秒でも長く生き延びて、彼を救うために。 エルヴィンの心拍が、抱きしめた胸越しに少しずつ、しかし確実に弱まっていくのを感じながら。
(お願い……誰か! 彼を助けて……!)
意識が朦朧とする中、ナマエは宇宙の深淵に向かって祈り続けた。 そして、どれほどの時間が過ぎたろうか。
暗黒の窓の外に、突如として眩い光が差し込んだ。 サーチライトの光軸が、漂流するポッドを捉える。 続いて、船体に「ガツン」という激しい衝撃。ドッキング・マーズが連結される振動。
「――おい、生きてるか!お前ら!!」
通信機から割れんばかりに響いたのは、怒声に近い、しかし震えるほどに安堵したリヴァイの声だった。 ハッチが外側からこじ開けられ、溢れ出す光と共に、防護服を着たリヴァイたちがなだれ込んでくる。
「……艦長!! 通信士!!」
救助隊の手によって、エルヴィンの身体が運び出される。ナマエもまた、抱きかかえられながら、必死に彼の名を呼び続けた。
母艦『ウィングス・オブ・リバティ号』の医療センター。 集中治療室のベッドで、エルヴィンはゆっくりと意識を取り戻した。 鼻に当てられた酸素吸入器の音。清潔なシーツの感触。そして、何よりも――。
「……あ……」
すぐ隣で、自分の手を握りしめたまま、疲れ果てて眠っているナマエの姿があった。 彼女の頬にはまだ、あのポッドの中で流した涙の跡が白く残っている。
エルヴィンは、震える手で彼女の頭を撫でた。 その温もり。柔らかな髪の感触。 生きている。 自分が、彼女をこの光の世界に繋ぎ止めることができた。
その瞬間、鉄の規律を誇り、何があっても表情を崩さなかった「名艦長」の目から、熱いものが溢れ出した。 それは、声にならない慟哭のような、激しい感情の奔流だった。 彼はナマエを起こさないように、しかし堪えきれずに、彼女の小さな手を自分の顔に押し当てて泣いた。
死の淵で思い知ったのは、己の無力さではなく、彼女を愛しすぎてしまったという、どうしようもない事実。
「……よかった……。君が、無事で……本当によかった……」
掠れた声で何度も繰り返される、愛の告白。 救助の瞬間にリヴァイが見たのは、人類の希望として立つ男の背中ではなく、ただ一人の女性の生存を神に感謝し、子供のように涙を流す、剥き出しの魂を持った男の姿だった。
銀河の荒波を越え、二人の命は再び一つに重なった。 冷徹な指揮官の瞳に宿ったその露は、どんな星の輝きよりも眩しく、そして重く、ナマエとの絆を永遠のものへと変えていった。
