自由な空に、君と愛を。
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
数日後。
ナマエは医務室のベッドで、生死の境を彷徨っていた。 意識の混濁の中で、誰かが自分の手を握り、何度も名前を呼んでいる。その声は、かつて地下室で聞いたものよりも、ずっと、ずっと震えていた。
深い霧の底に沈んでいるような感覚だった。
意識の糸は細く、頼りなく、暗闇の中を彷徨っている。時折、焼けるような痛みが左脇腹に走り、その度にナマエは自分の肉体がまだ現世に繋ぎ止められていることを思い知らされた。
「……ナマエ、聞こえるか……? 頼む、目を開けてくれ」
耳元で響く、掠れた声。それはかつて地下室で聞いた冷徹な指揮官のものではなく、今にも壊れてしまいそうなほど震えている、一人の男の祈りだった。
ナマエは重い瞼を、ゆっくりと、一枚ずつ剥がすように持ち上げた。 視界は白く濁り、輪郭が定まらない。けれど、枕元で自分の手を壊れ物を扱うように握りしめている男の姿だけは、真っ先に網膜に焼き付いた。
「……エル、ヴィン……団、長……」
「ナマエ! 気がついたか!」
視界が明瞭になると、そこにはやつれ果てた顔をしたエルヴィンがいた。金髪は乱れ、碧い瞳には幾夜も眠っていないことを物語る濃い隈が刻まれている。ナマエが声を出すと、彼は弾かれたように立ち上がり、彼女の手を自身の額に押し当てた。その大きな掌が、微かに震えているのが伝わってくる。
「私……生きて……ますか?」
「ああ。ひどい出血だったが、リヴァイが君をすぐに見つけ出してくれた。……本当になんという無茶を。」
エルヴィンの声は次第に湿り気を帯び、彼は言葉を詰まらせた。冷静沈着で、何万という兵士を死地へ送ってきたあの男が、今はただの、最愛の人を失う恐怖に打ち震える一人の男としてそこにいた。ナマエは痛む体に鞭打ち、微かな力で彼の指を握り返した。
「……団長。私、未来を……変えられましたか?」
「ああ、変えた。君が俺を壁の上に留めたおかげで、俺はこうして生きている。……君が、俺を地獄へ一人で行かせてはくれなかった」
エルヴィンは椅子に座り直すと、愛おしげにナマエの頬を撫でた。その指先からは、彼が抱えていた絶望と、それを塗り替えた感謝の情が溢れ出していた。 窓の外では、シガンシナ区の空が静かに夜明けを迎えている。壁の内外に渦巻いていた死の気配は、ひとまず遠のいていた。
「ナマエ。君に、伝えなければならないことがある」
エルヴィンは居住まいを正し、懐から一つの封書を取り出した。
「俺は、調査兵団の団長を辞めることにした。後はハンジに託す」
「えっ……!? でも、地下室は……世界の真実はどうなったんですか?」
驚きで声を上げたナマエを、エルヴィンは優しく制した。
「地下室の報告は受けたよ。リヴァイたちが、父の、そして俺の悲願だった『答え』を持ち帰ってくれた。……真実はわかった。だが、それ以上に大切なことに、俺は気づかされたんだ」
彼はベッドの脇に跪き、ナマエの目線を真っ直ぐに見据えた。
「俺はこれまで、人類の勝利のため、そして自分の夢のために多くの命を切り捨ててきた。……だが、君という『未来』が消えかかったあの瞬間、俺は初めて、自分の夢などどうでもいいと思った。……俺は、君を失う恐怖に、もう耐えられない。一人の男として、君を守り、君と共に歩む人生を歩みたい」
エルヴィンは自身の胸元を探り、残された左手で、ナマエの指先にそっと口づけた。
「……ナマエ。君を、一人の女性として心から愛している。……俺の妻になってくれないか。これからの長い時間を、戦場ではない場所で、俺に捧げてほしい」
誠実で、少し不器用な、けれど何よりも重いプロポーズ。ナマエの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。自分がこの世界に来た意味。死ぬ気で彼を救おうとした代償。そのすべてが、この瞬間のためにあったのだと確信した。
「はい……っ、喜んで……! 私を、あなたの隣に置いてください……!」
二人は深く、深く口づけを交わした。
消毒液の匂いが漂う医務室で、世界が祝福しているかのように朝日が差し込む。それは、血塗られた戦いの終わりと、二人の新しい人生の始まりを告げる光だった。
一ヶ月後。 壁内の小さな教会で、慎ましい結婚式が行われた。 白いドレスに身を包んだナマエの隣には、軍服ではなく落ち着いた正装を纏ったエルヴィンが立っている。右袖は空いたままだが、その佇まいはかつてないほど穏やかで、誇らしげだった。
「おい、エルヴィン。そんなにニヤついてると、威厳が台無しだぞ」
呆れたように言いながらも、リヴァイは彼なりの祝福を込めて、上質な紅茶の葉を手渡した。
「いいじゃないか、リヴァイ! 今日くらいは彼を解放してあげよう。……ナマエ、本当におめでとう。彼を救ってくれて、ありがとうね」
ハンジが涙を拭いながら、ナマエの手を強く握った。
ミカサやエレン、アルミン、そして生き残った仲間たちに囲まれ、ナマエは人生で最高の幸せを感じていた。
披露宴の夜、エルヴィンはナマエを抱き寄せ、耳元で静かに囁いた。
「……愛している、ナマエ。君との未来が、何よりも楽しみだ」
二人は寄り添い、眠りについた。明日の朝になれば、また彼の優しい声で目覚め、共に朝食を摂る。そんな、当たり前の幸福が永遠に続くと信じて――。
しかし。
不意に、視界が真っ白な光に包まれた。
「………ナマエ、起きなさい! もう遅刻するわよ!」
耳慣れた、けれどこの数年間一度も聞かなかった母親の声。 ナマエは弾かれたように跳ね起きた。 目の前にあったのは、石造りの壁でも、エルヴィンの穏やかな寝顔でもなかった。 パステルカラーの壁紙、学習机の上に置かれた参考書、そして窓の外から聞こえる通学路の喧騒。
「……え?」
呆然としながら、ナマエは自分の体を見下ろした。 左脇腹の傷跡も、彼に抱きしめられた熱も、すべてが蜃気楼のように消えていた。 慌てて枕元を探る。けれど、そこにあったはずの、深い緑色の石が嵌められたループタイは、どこにもなかった。
「うそ……、待って……。そんなの、嫌……!」
ナマエは狂ったように部屋の中を探し回った。けれど、彼が実在した証拠は、どこにも見つからない。 ふとカレンダーに目をやると、あの日アンティークショップに入る直前の「高校三年生の朝」に戻っていることに気づいた。
あの数年間は、すべて夢だったというのか。あの熱い口づけも、誓い合った言葉も、彼という存在そのものも。
ナマエは床に崩れ落ち、声を上げて泣いた。 太陽が残酷なほど明るく、彼女の自室を照らしている。 あの日々に戻りたい。あの人のいる地獄へ、もう一度だけ。 止まっていたはずの、現代の時計が再び時を刻み始めた。
けれど、彼女はまだ知らない。 この世界のどこかで、同じように「碧い瞳」が自分を探していることを。
ナマエは医務室のベッドで、生死の境を彷徨っていた。 意識の混濁の中で、誰かが自分の手を握り、何度も名前を呼んでいる。その声は、かつて地下室で聞いたものよりも、ずっと、ずっと震えていた。
深い霧の底に沈んでいるような感覚だった。
意識の糸は細く、頼りなく、暗闇の中を彷徨っている。時折、焼けるような痛みが左脇腹に走り、その度にナマエは自分の肉体がまだ現世に繋ぎ止められていることを思い知らされた。
「……ナマエ、聞こえるか……? 頼む、目を開けてくれ」
耳元で響く、掠れた声。それはかつて地下室で聞いた冷徹な指揮官のものではなく、今にも壊れてしまいそうなほど震えている、一人の男の祈りだった。
ナマエは重い瞼を、ゆっくりと、一枚ずつ剥がすように持ち上げた。 視界は白く濁り、輪郭が定まらない。けれど、枕元で自分の手を壊れ物を扱うように握りしめている男の姿だけは、真っ先に網膜に焼き付いた。
「……エル、ヴィン……団、長……」
「ナマエ! 気がついたか!」
視界が明瞭になると、そこにはやつれ果てた顔をしたエルヴィンがいた。金髪は乱れ、碧い瞳には幾夜も眠っていないことを物語る濃い隈が刻まれている。ナマエが声を出すと、彼は弾かれたように立ち上がり、彼女の手を自身の額に押し当てた。その大きな掌が、微かに震えているのが伝わってくる。
「私……生きて……ますか?」
「ああ。ひどい出血だったが、リヴァイが君をすぐに見つけ出してくれた。……本当になんという無茶を。」
エルヴィンの声は次第に湿り気を帯び、彼は言葉を詰まらせた。冷静沈着で、何万という兵士を死地へ送ってきたあの男が、今はただの、最愛の人を失う恐怖に打ち震える一人の男としてそこにいた。ナマエは痛む体に鞭打ち、微かな力で彼の指を握り返した。
「……団長。私、未来を……変えられましたか?」
「ああ、変えた。君が俺を壁の上に留めたおかげで、俺はこうして生きている。……君が、俺を地獄へ一人で行かせてはくれなかった」
エルヴィンは椅子に座り直すと、愛おしげにナマエの頬を撫でた。その指先からは、彼が抱えていた絶望と、それを塗り替えた感謝の情が溢れ出していた。 窓の外では、シガンシナ区の空が静かに夜明けを迎えている。壁の内外に渦巻いていた死の気配は、ひとまず遠のいていた。
「ナマエ。君に、伝えなければならないことがある」
エルヴィンは居住まいを正し、懐から一つの封書を取り出した。
「俺は、調査兵団の団長を辞めることにした。後はハンジに託す」
「えっ……!? でも、地下室は……世界の真実はどうなったんですか?」
驚きで声を上げたナマエを、エルヴィンは優しく制した。
「地下室の報告は受けたよ。リヴァイたちが、父の、そして俺の悲願だった『答え』を持ち帰ってくれた。……真実はわかった。だが、それ以上に大切なことに、俺は気づかされたんだ」
彼はベッドの脇に跪き、ナマエの目線を真っ直ぐに見据えた。
「俺はこれまで、人類の勝利のため、そして自分の夢のために多くの命を切り捨ててきた。……だが、君という『未来』が消えかかったあの瞬間、俺は初めて、自分の夢などどうでもいいと思った。……俺は、君を失う恐怖に、もう耐えられない。一人の男として、君を守り、君と共に歩む人生を歩みたい」
エルヴィンは自身の胸元を探り、残された左手で、ナマエの指先にそっと口づけた。
「……ナマエ。君を、一人の女性として心から愛している。……俺の妻になってくれないか。これからの長い時間を、戦場ではない場所で、俺に捧げてほしい」
誠実で、少し不器用な、けれど何よりも重いプロポーズ。ナマエの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。自分がこの世界に来た意味。死ぬ気で彼を救おうとした代償。そのすべてが、この瞬間のためにあったのだと確信した。
「はい……っ、喜んで……! 私を、あなたの隣に置いてください……!」
二人は深く、深く口づけを交わした。
消毒液の匂いが漂う医務室で、世界が祝福しているかのように朝日が差し込む。それは、血塗られた戦いの終わりと、二人の新しい人生の始まりを告げる光だった。
一ヶ月後。 壁内の小さな教会で、慎ましい結婚式が行われた。 白いドレスに身を包んだナマエの隣には、軍服ではなく落ち着いた正装を纏ったエルヴィンが立っている。右袖は空いたままだが、その佇まいはかつてないほど穏やかで、誇らしげだった。
「おい、エルヴィン。そんなにニヤついてると、威厳が台無しだぞ」
呆れたように言いながらも、リヴァイは彼なりの祝福を込めて、上質な紅茶の葉を手渡した。
「いいじゃないか、リヴァイ! 今日くらいは彼を解放してあげよう。……ナマエ、本当におめでとう。彼を救ってくれて、ありがとうね」
ハンジが涙を拭いながら、ナマエの手を強く握った。
ミカサやエレン、アルミン、そして生き残った仲間たちに囲まれ、ナマエは人生で最高の幸せを感じていた。
披露宴の夜、エルヴィンはナマエを抱き寄せ、耳元で静かに囁いた。
「……愛している、ナマエ。君との未来が、何よりも楽しみだ」
二人は寄り添い、眠りについた。明日の朝になれば、また彼の優しい声で目覚め、共に朝食を摂る。そんな、当たり前の幸福が永遠に続くと信じて――。
しかし。
不意に、視界が真っ白な光に包まれた。
「………ナマエ、起きなさい! もう遅刻するわよ!」
耳慣れた、けれどこの数年間一度も聞かなかった母親の声。 ナマエは弾かれたように跳ね起きた。 目の前にあったのは、石造りの壁でも、エルヴィンの穏やかな寝顔でもなかった。 パステルカラーの壁紙、学習机の上に置かれた参考書、そして窓の外から聞こえる通学路の喧騒。
「……え?」
呆然としながら、ナマエは自分の体を見下ろした。 左脇腹の傷跡も、彼に抱きしめられた熱も、すべてが蜃気楼のように消えていた。 慌てて枕元を探る。けれど、そこにあったはずの、深い緑色の石が嵌められたループタイは、どこにもなかった。
「うそ……、待って……。そんなの、嫌……!」
ナマエは狂ったように部屋の中を探し回った。けれど、彼が実在した証拠は、どこにも見つからない。 ふとカレンダーに目をやると、あの日アンティークショップに入る直前の「高校三年生の朝」に戻っていることに気づいた。
あの数年間は、すべて夢だったというのか。あの熱い口づけも、誓い合った言葉も、彼という存在そのものも。
ナマエは床に崩れ落ち、声を上げて泣いた。 太陽が残酷なほど明るく、彼女の自室を照らしている。 あの日々に戻りたい。あの人のいる地獄へ、もう一度だけ。 止まっていたはずの、現代の時計が再び時を刻み始めた。
けれど、彼女はまだ知らない。 この世界のどこかで、同じように「碧い瞳」が自分を探していることを。
