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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第064話

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「はい、新城です……」

 隼人は少し窺うように知らない番号からの電話にでると、知った声が聞こえてきた。

「お世話になっています。 私、大島 優子のマネージャーの山本です。 新城さん、今お時間平気ですか?」

 電話の相手は優子のマネージャー山本 学であった。

 そういえば、優子のメールに学からチケットのことで連絡が来ると書いてあったことを思い出した隼人。

「お世話になっています。 大丈夫です。 もしかして、優子が言っていたチケットの件ですか?」

「そうです。 優子から連絡行っているみたいで安心しました。 チケットをお渡ししたいのと諸々の注意事項などもあるので、今日これからお会い出来ますか?」

 時刻は既にもう少しで10時を指そうとしていたが芸能界もデザイン業界も時間感覚が似ているのか、これからと言われても隼人は時計を見ることなく快諾し学と待ち合わせすることになった。

………………

…………

……

 それから30分程し隼人は、学の指定した目黒の山手通り沿いにある店の前に居た。
タクシーがこの店の前で止まったときには少し驚いた。
何しろ、彼の話ではオーセンティックバーだと聞いていたのに、お洒落なガラス張りをしたオープンテラスのあるカフェ風の佇まいの店が目の前にあったのだから驚くのも無理はなかった。
随分と聞いていた雰囲気と違うので、間違っているのではないかと店名を2度も確認してしまった程だ。
だが、よく見ると外観こそカフェ風ではあったが、ガラスの一部が磨り硝子で店内の様子が一目では分かり難い造りや、店内から漏れる出るイエローゴールドの明かりがカフェではないことを窺わせていた。
店名も聞いていたものと同じだったので、隼人はようやく納得したように店に入っていた。

 店に入ると外の様子から一転、イエローゴールドに照らされた店内は外の喧噪が嘘のように静まり、バックにはゆったりJAZZが流れていた。
10人程入れば満席になる小さな店であったが、無垢の一枚板で作られた重厚なバーカウンターと、その背後に備え付けられた棚には所狭しと酒が並べられ、店内の様相は正にオーセンティックバーそのものであった。
カウンターの中には、茶色に染めショートで爽やかな風貌と、黒髪でウルフショートながら何処か愛嬌のある顔立ちをした2人の男性バーテンダーが居た。

 愛嬌のある方でネームプレートに“大森”と書かれたバーテンダーが、隼人の存在に気付き容姿通りの物腰の柔らかさで対応をしてくれた。

「いらっしゃいませ」

「待ち合わせなんですが」

 そう彼に伝えた隼人が店内を見渡すと、奥の方から自分を呼ぶ声がした。

「新城さんこっちです」

 声のする方へ目をやると、カウンターの一番奥で手招きする学の姿があった。

「お待たせしました。 随分と中と外にギャップがあるお店で驚きました」

「確かに。 ショットバーか何かと勘違いして入るとオーセンティックな雰囲気に驚くし、逆も然りなんですよね」

 隼人が学の隣の席に座り、軽く会話をしているとネームプレートに“福田”と書かれた先程応対した者とは別のバーテンダーが、爽やかな笑顔でおしぼりを持ってきた。

「いらっしゃいませ。 何かお飲みになりますか?」

 「ありがとうございます」そう言いながらおしぼりを受け取ると、オーダーを考える隼人。

「じゃあ折角バーに来たので……バンブーをお願いします」

「かしこまりました」

 爽やかな笑顔でオーダーを受けた福田は、その場を離れて行った。

 すると隼人は徐ろに上着の内ポケットから、何やら小さなケースのような物を取り出す。

 その様子を何だろうと学が窺っていると、隼人が取り出したのは革製の名刺入れだった。
ブランド品ではなさそうで、シンプルだが派手さを抑えたボルドーレッドの革で丁寧に作られたであろうそれから、隼人は一枚名刺取り出すと学の前へとそっと差し出した。

「ちゃんとご挨拶していなかったですよね。 改めまして、新城 隼人です」

「ご丁寧にどうも。 頂戴します……本来は私の方からご挨拶しなければならないのに申し訳ありません。 山本 学と申します」

 微笑みとも真顔とも違う、どちらかと言うとビジネス寄りの表情をする隼人から、学は名刺を受け取る。
本来であれば迷惑を掛けた側である自分の方から挨拶をしなければならないのだが、そう出来なかったことを、詫びながら学も名刺を用意すると差し出す。

「頂戴します」

 隼人は両手でそれを受け取ると「それについてはお気に為さらずに」と言って、先ほどまで顔にあった業務的な表情を崩し朗らかに微笑む。

 優子ではないが、学も芸能人のマネージャーをしていると相手の嘘を大抵見抜くことができる。
だから、表面では微笑んでいても裏ではどう思っているかなど分かったものではないと普段ならば思う学だが、隼人の表情に偽ろうなどという気持ちなど微塵も感じない。

『不思議な男だ』

 そんなことを考えながら、受け取った名刺に視線を落とす。
そこにはグリーンとグレーで彩られたロゴ、役職であろう“エクゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター”の表記、そして“新城 隼人”と名や住所や電話番号、メールアドレスなどが書かれていた。
裏返すとそこには同じ内容の英語表記のものが印刷されていて、デザインはシンプルだが紙の質が良いのか手触りが良かった。

 学の目が役職の部分で止まる。
“エクゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター”あまり普段見慣れない表記だったが、それでもディレクターと言えば立場としては上の方の役職。
年齢は自分よりも若かく20代であったと記憶していた学。
これに少し驚くが、今までの彼の言動や優子から聞かされた話を思い出し、何となく彼に感じていた落ち着きの理由が分った気がした。
それに自分から仕事のことなど個人的なことを開示するあたり、やましいことがないのだろう。
だから、学は根掘り葉掘り身辺調査のようなことをせず、本題に入ることにした。

「すみません。 お呼び立てしてしまって」

「いえ、こちらこそギリギリのタイミングでチケットを手配していただいたみたいで、ありがとうございます」

 すると、場所を指定し呼びつけたことに対し頭を下げる学と、チケットの手配のことで頭を下げる隼人。
何故か互いに頭を下げ合う男性2人の姿は、端から見ればシュールな光景だった。
それに気付いたのか互いに顔を見合わせ苦笑していると、福田がカクテルを運んできた。

「お待たせいたしました。 バンブーでございます」

 少し黄色みがかった液体の注がれたグラスを隼人の前に置き「ごゆっくり」そう言い残し離れていった。

 2人は「お疲れ様です」と自然にグラスを軽く挙げ、グラスを合わせないバー流の乾杯をする。

 隼人はカクテルを一口くちにする。
ワインベースのバンブーのきりっとドライな味わいが口の中に広がる。
辛口ながら元々は食前酒として考案されただけあり、空腹の隼人にも優しいカクテルだった。
ステアした酒をグラスに注ぎ、仕上げにオレンジピールの香油を飛ばしかけるだけのシンプルなレシピ。
それだけにカクテル・グラスに注ぐ際にミキシング・グラスの氷が入り薄まらないようにしたり、オレンジピールの香油に苦みが交じらないようにするなどの細やかな配慮が必要となる。
そして、このバンブーはそれが完璧に守られていた。

「へぇ、ここのバーテンダーは腕が良いんですね」

「そうなんです。 それに、このバーならオーナーがちゃんとした方でプライバシーがしっかりしているので、今日は態々お呼びだてしてしまったんです……それでなんですが……」

 学がこの店に自分を呼んだ理由に納得しつつ彼が本題に入ろうとしていることに気付いた隼人は真剣な面持ちでゆっくりとグラスを置きながら、学が次の言葉を言う前に口を開く。

「あの、山本さんちょっといいですか?……」

「えっ、えぇ。 どうぞ……」

 本題に入ろうと足下に置いていた鞄からチケットを出そうとしていた学は、隼人に続きを言うのを遮られ何事かと思う。
だが、隼人の表情が先程までグラスを見つめていた時とは異なることに気付き、その真剣な面持ちに気押されるように話すのを譲る。

「チケットの件の前に、山本さんにお話しておかなければならないことがありまして」

 そう、隼人がこの場を訪れた理由(わけ)は、チケットを受け取るためではなかった。
ましてやカクテルに舌鼓を打つために来た訳でもない。
学に、そして最終的には優子にも告げなければならない重要なことがあるからなのだ。

「話しておかなければならないことですか……何でしょう?」

 隼人の神妙な表情と声色に、学も事の性質を理解したのか真剣なものになる。

 隼人はもう一度自分の言おうとしていることを頭の中で咀嚼すると、学を見ながらゆっくりとした口調で語り始めた。

 隼人の視線が重大さを物語るようで学は内心身構えた。

「山本さんは、私が最近までアメリカに居たことはご存じですよね?」

「えぇ、4年程行ってらしたとか?」

 学は今朝、散々車の中で優子に隼人の話を聞かされたことを思い出し相槌を打つ。

「そうです……それで、これは4年前、まだ私が日本に居たときの話になります。 私にはアメリカに渡る直前まで交際していた女性がいました……当時、その女性と本気で交際していたのですがある事情があって別れることになり、その直後、私は会社からの辞令でアメリカに渡りました。 そして4年あちらに居た後、半年前帰国。 その後は、山本さんもご存じのように優子と付き合うことになりました……山本さんは驚かれますよね? 私がつい昨日まで優子がアイドルだってことや、AKB自体を知らなかったと言ったら……」

「そうですね……正直今朝、優子から新城さんのことを色々聞かされるまでは、もう“AKB48”も“大島 優子”も知らない日本人はいないだろうと、思っていたところはありました……」

 学の回答に隼人は苦笑する。
自分でも身の回りにあれだけ“AKB48”関連の情報が氾濫していながら、優子と付き合うまで“目に入らなかった”のが不思議……そこまで考え、それは違うなと隼人は思った。
“目に入らなかった”のではなく自分が自ら“目にしようとしなかった”のだと気付き自嘲すると続きを口にした。

「そうですよね。 自分でも仕事が忙しかったし、テレビも殆ど観ないからだって思っていたんですが、どうも違ったみたいです……正直、アイドルという存在が自分の中では少し疎ましく、無意識に避けていたのかもしれません」

「疎ましい? 無意識に避ける?」

 学は隼人がアイドルを、避ける理由が分からず聞き返した。

「えぇ……なるべく情報を手に入れたくなかったんだと思います。 でも、今日、優子と付き合うならAKBのことを知っておくべきだろうと思ってネットで調べたんです……」

「はぁ……」

 ここまで話を聞いていた学だったが、隼人の言わんとしていることが今ひとつ分からずに頭には“?”マークが浮かんでいた。
隼人はそれを理解していたが、そのまま話を続けた。

「AKBのチームAに“高橋 みなみ”さんってメンバーがいると思いますが、彼女って優子よりこれくらい背丈低くて……将来は歌手目指していませんか?」

 そう言いながら隼人は、優子とみなみそれぞれの背丈を表すように手を上下に動かす。
それを見ていて今朝まで一緒に居た優子はともかく、みなみの背丈をそれも優子との対比まで正確に知っている隼人に違和感を感じる学。

「……えぇ、確かに“たかみな”はそれ位の背丈でAKBで一番小さいですし、将来は“歌手”を目指しています……」

「彼女“まだ”トマト食べられませんか?」

「トマト嫌いだって言ってましたね……」

「やっぱり……そうですか……」

 学の言葉を聞いた隼人の様子は明らかに落胆していた。
学にとっては全くもって不可解な言動の隼人であったが、次の言葉で彼の真意が分かり学を大いに驚かせた。

「たかみなって呼ばれているんですね……今の山本さんのお話で確信が持てました。 実は……昔交際していた女性が“高橋 みなみ”さんです」

「えっ!? 新城さんと、たかみながですか?」

 隼人の一言に、普段冷静な学も驚きの余り飲んでいた酒を溢し、バーだというのに大声を上げていた。
事の大きさが大きさなだけに無理はないことだったが、他の人間に聞かれてはまずい内容だけに学は慌てて店内を見渡すと、幸い店内には客は居らず安堵した。

「すみません……」

 学はばつが悪そうに隼人に謝りながら、慌てておしぼりで溢れた酒を拭こうとする。

「山本様こちらでやりますので。 こちらをどうぞ」

 そこに福田が新しいおしぼり差し出してきた。
学は「ありがとう」と言っておしぼりを受け取ると溢したときに濡れた手を拭う。
福田は慣れた手付きでカウンターの溢れた酒を拭くと、学のグラスが空になっていることを確認しオーダーがないか尋ねてきた。

「何かお作りしましょうか?」

「同じ物を」

「かしこまりました」

 福田は学から注文を受けると、その場を離れていった。

「お騒がせして申し訳ないです」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。 突然こんなことを言って驚かれるのは当然ですよね。 自分もAKBのWebサイトで、彼女を見つけたときは本当に驚きましたから……」

「そうでしたか。 あの……」

 そう学が言いかけたとき、福田が代わりの酒を2人の会話を邪魔しないよう、学の前に黙って置くと再び離れていった。

 学は驚き乱れた心を落ち着かせようと運ばれて来た酒を一口飲む。
口の中にウィスキーの甘く華やかな熟成香とまろやかで厚みとコクのある芳醇な味が広がり、学の心を落ち着かせた。
それでも酒に流されることなく、ある疑問が学の中に残っていた。

「すみません。 それで、疑問なんですが“たかみな”じゃなかった……“高橋 みなみ”さんとは4年前に別れたと仰っていましたが、その時既に彼女はAKBで活動していたはずですが……」

 愛称とはいえ、かつての恋人の前で呼ぶのを悪いと感じたのか学はみなみの名前を言い直すと、思っていた疑問を口にした。

 一方、聞かれるであろうと予想していた質問を学からされたのだが、隼人は何処まで答えるべきか悩んでいた。
別れた理由の真相は、みなみしか知らない。
それなのにも関わらず、自分が勝手な想像で答えることはフェアではないと隼人は思ったのだ。

「お恥ずかしい話ですが……彼女がAKBで活動していることを知りませんでした。 彼女からはいくつかオーディションを受けて、何処かのアイドルグループに所属したことまでは聞いていました。 でも、私自身就職したばかりで彼女を気遣う余裕がありませんでしたから、何処に所属しているかなど聞かなかったんです……」

 そこまで言うと自分の行為が言葉で端的に表すと、何と薄情なんだと恥じ後悔の念を感じる。
隼人は残っていたグラスの中身を一気に飲み干し、気持ちを落ち着けようとするが、既に冷たさを失ったカクテルは気持ちを落ち着けるどころか、自分とみなみの過去を思い出させるように後味の悪い苦さだけが際立っていた。

 一方、学は2人の別れの理由など聞きたいことは山程あったが、それは自分が踏み込むべき部分ではない男女の問題なので聞かずにいた。
しかし、2人が交際していたのが事実で、これから優子と隼人が付き合っていくならば確認しなければならないことが1つあった。

「新城さん、もし高橋さんと再会されたらどうなさるおつもりですか?」

 自分でも考えていた事だったが、改めて他人から言われると難しい問題だと隼人は頭を悩ませた。
当初、優子と付き合うことになったときは、みなみと再会する可能性など限りなく0ゼロに近いことだろうと考えていた。
しかし、渡辺 杏の件や、みなみが優子と同じグループに所属しているのが分かった今となっては、みなみと自分が再会するのは時間の問題だろうと隼人も考えていた。
勿論、みなみと再会したとしても優子を裏切るつもりなど毛頭なかったが、自分の内でみなみの存在は未だに大きく簡単に割り切れるとは思っていなかった。
寧ろ『みなみやその家族が困っているのならば力になりたい』とさえ思っていた。

 それは理屈などではなく“自分が信頼した人がそこに居るとしたら不幸にさせたくない”という隼人の純粋な想いだった。
人は思いがけないところで繋がっていて、その鎖が断ち切られても別の場所で不思議と繋がっている。
そうだとしたら、いつまでもみなみの存在を心に刺さった棘のままにしていたくなかった。
出来ることならば新しい関係を築きたかったのだ。
それは、決して隼人が万能な人間だからではない。
逆に隼人の内でそうでもしなければ、みなみとの恋に本当の意味で終止符ピリオドを打てない気がしていたのだ。
だが、それは端からすれば身勝手以外の何物でもないことも重々承知していた。
言葉ではなかなか伝わらない通じあえないことに悩みこがれ、それでも結局は心を映した不完全な言葉を勇気をもって相手に差しだす他はなく、相手が受け止めてくれるよう願いながら隼人は学へ自分の気持ちを伝えた。

「みなみとどうなるとか、優子との関係が変わるとかはありません。 私の恋人は優子ですから。 でも、以前に交際していたのは事実で、みなみとはケジメのためにも1度話をしたいと思っています。 勿論、その前に優子にはこの事実を伝えるつもりです。 それと……」

「……それと?」

 隼人は何か思うところがあるのか、途中までで言い淀むので、学は不思議に思い続きを促すように聞き返した。

「身勝手なことだし、私の思い違いなのかもしれないのですが……今のみなみは無理をしているようにしか見えないんです。 何より私の知る彼女の笑顔はもっと輝いていた……私自身、みなみやそのご家族には大変お世話になりました。 もし、今彼女が困っていて私が力になれるなら、なってやりたいんです」

「……高橋さんをどう思っていらっしゃるのですか。 私には未練があるように聞こえるのですが?」

「“戦友”でしょうか……お互い袂を分かち別々の道を進んでいて恋人は勿論、もう友人という関係にもなれないと思うんです。 でも、1度切れた鎖が再びこうやって繋がったのなら、その関係は大事にしたい。 そうしたとき、優子の仲間でありライバルでもある彼女は、きっと私にとっては戦友なんだと思います……」

「……」

 学は言葉にならなかった。
優子もみなみもお互いを“戦友”だと言っている。
まさかその言葉が目の前の男性の口からでるとは思ってもみなかったのだ。
ネットで調べれば出てくる情報ではあったし、隼人が望むみなみとの関係も確かに身勝手なように感じる。
だが、それ以上に隼人の瞳に宿る“想い”のようなものを見てしまうと、何故か不思議と信用することができた。
そこで車の中で聞いた優子の言葉を思い出す。

『隼人に見つめられたら何故か信用できるし、隼人に大丈夫と言われたら本当に大丈夫な気がするの』

 惚れた弱みだろうとそのときは話半分で聞いていたが、実際に目の当たりにすると優子が目の前の男性を好きになった理由わけが理解できる気がし、それ以上深く追及することを止めた。
それでも隼人とみなみの関係を優子が知れば、影響は避けられないだろうと思った学は隼人に尋ねる。

「新城さんがそこまで仰るのなら、高橋さんとのことはお任せします。 ただ、明日からのコンサートへの影響を考えると、優子に伝えるのは終わるまで待って頂けますか? それと新城さんには申し訳ないと思いますが、併せてコンサートも遠慮して頂くのが良いかと……」

 みなみとのことは反対されるとばかり思っていた隼人にとって学の言葉は驚きであったが、優子への影響について言われると表情が曇る。
コンサートの招待を断ることは、学から連絡が来たときから決めていたことだった。
ただ、優子のことを誰よりも考えるべきはずの自分が、あろうことか彼女を悲しませるようなこと、それも如何なる理由があったにせよ嘘を吐こうとしていることに心が痛んだ。
その反面、何処かホッとしている自分に気付いた。

「そうですね……優子には仕事が入ったと私から連絡します。 山本さん此からもフォローをお願いします」

 そう言って頭を下げる隼人の表面上の変化に気付かなかった学は、逆に隼人に頭を下げられたことで恐縮してしまう。

「いえ、此方こそ優子を宜しくお願いします」

 その後、2人は暫く優子のことについて話すと、学は隼人の変化に気付くことなく店先で別れお互い帰路についた。

 だが、学の前で和やかに話していた隼人だったが、その間も内心ではずっと何故大事な女性ひとに嘘を吐こうとしているというのに、安堵感を感じたのか自分が理解出来ず悩み続けていた。

………………

…………

……

 時刻は午後12時を過ぎ、学と別れ隼人はタクシーで帰宅した。

 ドサッ
隼人は家に帰るなり鞄をソファに放り出すと、スーツのままベッドに倒れ込んだ。
隼人は優子の寝室があるであろう壁の方へ身体を向けながら目を閉じ、今日のことを思い返す。

『今日は色んなことがあり過ぎだ……』

 優子との交際を学へ認めてもらうことから始まり、杏と優子の関係、そして昔の恋人“高橋 みなみ”がまさか優子と同じAKBに居るというのだ。
隼人でなくとも思いたくなる状況であった。
それに加え、自分の薄情とも思える気持ちの存在が、帰りのタクシーの中に留まらず今でも隼人を悩ませ続けていた。
優子に嘘を吐けば裏切りであるだけで、決して状況が好転するようなことなどないのにだ。

 しかしいくら悩もうと、その気持ちの理由わけを隼人が知ることは困難なことだった。
何故ならば、隼人自身が窺い知ることの出来ない深層心理からくるもので、それも優子に会わないことに対し安堵したものでもなかった。
本当の理由わけは、会場で偶然でもみなみと再会し、もし万が一彼女が自分の事など気にも留めていなかったとしたら……自分だけが4年もの間気に掛けていたとしたら、それは道化でしかない。
そう心の何処か、それも無意識の部分で生まれた不安が原因であった。
それは同時に隼人の内に巣くう“闇”の部分が首をもたげた瞬間でもあった。
優子が誰にも明かすことのなかった“過去という闇”があるように、隼人にも“みなみとの別れ”という闇が存在した。

 元々、隼人は人を惹きつける天性の“魅力“のようなものや、相手への“心遣い”を出来る人間であった。
そこに今のような、相手の気持ちを見抜く“観察眼”が加わったのは、隼人がみなみと別れてからのことだった。
そこには、隼人のみなみへの後悔の気持ちがあった。
『アイドルに集中したい』みなみのその言葉や、仕事の重圧で普段の自分でいることが出来なかったにせよ、彼女の苦しみを理解せず気遣うこともしなかった自分に原因があると、ずっと隼人は自らを責めていた。
その結果、隼人の内で“別れる”などの否定的なことに対する異常な拒否感がトラウマとして生まれた。
相手の言動などの振る舞いから気持ちを読み解く“観察眼”や、過剰ともとれる“気遣い”も全てそこから始まった。
処世術として見れば、その力は殊にビジネスでは隼人の成功に貢献し、プライベートでも細やかな気遣いの出来る隼人には多くの友人をもたらしていた。
だが一方で、嫌われることを極端に畏れるがあまりの過剰な優しさは、時として相手のみならず自身を傷付ける諸刃の剣であることに気付いていなかった。

『何を喜んでいるんだ俺は……』

 結局、考えても気持ちの正体が分からぬまま、隼人は目を閉じぼんやりとしていた。

ブッブーブッブー

 すると、ポケットの中でスマートフォンが震え、差出人を確認すると優子からであった。
嬉しいはずの優子からのメールも、今は少し開くのを躊躇ってしまう隼人。
それでも『ごめんなさい』と書かれた件名が隼人にメールを開かせていた。

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■差出人:
大島 優子

■件名:
ごめんなさい

■本文:
メンバーと御飯食べていたらつい盛り上がり過ぎて、
いつの間にかこんな時間になってしまいました。
メールするって言ったのにごめんなさい。

それともう一つ、今日からコンサートが終わるまで、
メンバー全員が会場近くのホテルに泊まることに、
なっているのを言い忘れていました。

色々ごめんなさい。
隼人に甘えっぱなしだね。

でもね……
貴方が応援してくれると思うと、私いつも以上に頑張れるんだよ。
感謝しています。

あと隼人がコンサートへ来てくれるのを楽しみにしています。

おやすみなさい……
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 文面は前のメールに比べ内容に謝罪が含まれているからか真面目なものだった。

『良かった……』

 だが、幸いにして隼人が思うような深刻な内容ではなく、逆に優子の自分への想いがストレートな言葉で綴られ、それは隼人の今の気持ちや面持ちさえも綻ばせた。
それでも、心の底から彼女を愛おしいと思っているのに、隼人は自分がこれから彼女に対し嘘を吐かなければならないことが堪らなく心苦しく辛かった。

 だが、隼人の気持ちなど時間は無視するように刻々と時間は過ぎ、明日のコンサートの開演が迫っている。
そんな中で隼人がやるべきことは、一刻も早く自分がコンサートへ行けないことを伝え、いち早くコンサートへ集中するように気持ちを切り替えてもらうことだった。
隼人は電話帳から優子の番号を呼び出す。

『ごめん優子……』

 期待を裏切る結果になることを謝りながら優子に電話を掛ける。
隼人がメールではなく電話を選んだには、直接謝りたいという彼らしい実直さだけでなく、
もう一つの理由があった。

トゥルルル、トゥル、ガチャッ

《はい、優子です!》

 2コール目が鳴り終わる前に優子が電話にでた。
その声はまるで、隼人からの電話を待ち望んでいたかのように弾んでいる。
もう一つの理由とは、メールの文面から電話を片手に着信を待つ優子の姿が目に浮かんだことにあった。
浮かんだ光景通りの優子の様子が隼人の苦笑を誘うが、それでも気持ちを晴れさせる迄には至らなかった。

「こんばんは。 隼人です。 今電話大丈夫?」

《全然大丈夫!って、何かあったの?》

「えっ?」

 自分では努めて普通に話したつもりだった隼人は、どうして優子が自分を心配するのか分からなかった。

《だって、声が沈んでいるから……あっ! もしかして私に会えないのがそんなに寂しいかったとか?》

 そう言って冗談っぽく笑う優子だが、その笑いの裏には電話口の想い人を、少しでも元気づけようとする優子の優しさが込められていた。
優子の“想い”それに気付いてしまうような隼人だから、余計にそれを重く受け止めてしまう。

「優子……ごめん」

《隼人!?》

 突然とも言える隼人の謝罪に、電話越しの優子は目を丸くさせ驚いた。
その様子は電話口の隼人には分かりようがなかったが、優子の動揺が伝わる。

『しまった』

 言ってから隼人は自分の失態に気付く。
なるべく波風を立てず優子にコンサートのことを告げるはずであったのが、優子の想いに思わず謝ってしまっていた。
こうなっては穏便に済ませられる訳はないと考えた隼人は、そのままの勢いで謝ることにした。

「ごめん優子。 実はコンサートに行けなくなってしまって……それで直接謝りたくて電話したんだ」

 隼人は言い終わると優子の様子を電話口に窺う。

《……お仕事?》

 暫しの沈黙の後、抑揚のない声で優子が理由を尋ねてくる。

「うん……どうしても抜けられない仕事が“土日両方”入ってしまったんだ。 本当にごめん」

 優子が明らかに落胆しているのを感じながら、事前に学にも伝えていた嘘の口実を口にする隼人。
恋人に嘘を吐いている自分が堪らなく情けなく嫌だったが、AKBの中心メンバーである優子が明日からのコンサートの成功の鍵を握っている1人なのだから仕方ないと自分に言い聞かせながら嘘を言う。
勿論、嘘を吐けばいつか周り回って罰が下ることもあるだろうが、その時は甘んじて受ける覚悟をしていた。

《……そっかぁ! 仕事か。 うん、仕事なら仕方ないね》

 また暫しの沈黙が流れた後、優子は納得したとあっけらかんとした口調で言う。
それが彼女なりの強がりで、自分のために敢えてそんな風に振る舞っているのが分かり、自分の罪深さを感じる。

「優子、コンサートには行けないけど、終わったら一緒に何処か行こう」

 真実を話せば優子との関係がどうなるかなど分からない。
それでも“優子のために何かしたい”その想いが口を衝いて出た。

《それってデートのお誘い?》

 優子の声は先程とは違う素直な喜びに満ちていた。

「うん。 桜がそろそろ咲くだろうから、お花見なんてどうかな?」

《それ良い! マンション前の公園って桜の名所で、屋台とかも沢山出るんだって。 そこ行こう!》

 マンションのベランダから見える大きな公園は確かに桜の名所だと不動産屋から聞いた気がしていたが、引っ越してきたのが夏頃だったので隼人も実際に見たことはなかった。

「そんな近くでいいの?」

《引っ越してきた時から楽しみにしていたの》

 折角の初デートがそんな近場で良いのかと思ったが、優子が前から行きたがっていた場所で嬉しそうなので納得した。
どちらにしても“何処”に行くのかではなく“誰”と行くのかが大事だと思っている隼人だから、優子と一緒ならば何処でも良かった。

《それに……》

「それに?」

 言葉途中で優子が黙ってしまうので、隼人は聞き返すように様子を窺う。

《そ、その方が、あ、朝とかゆっくり一緒に居られるかなって……》

「う、うん。 そうだね」

 恥ずかしそうな優子の様子で、その真意が分かったのか隼人も彼女同様紅くなる。

「「……」」

 そこで2人の会話が途切れると暫く無言の時間(とき)が続く。
出会ったばかりの2人に話すことがない訳はない。
それぞれ言いたいことも聞きたいことも沢山あった。
それでも2人は無言のまま、互いの聞こえるはずもない鼓動を聞くように、目を閉じたまま電話口に耳を傾け続ける。
2人の間に流れる空気は穏やかで、そこに言葉など必要ないかのように閉じられた瞳の奥に、遠く離れた互いの存在を感じ合っていた。

“ピッ! カチャッ”

《優子ぉ~ 久しぶりに一緒にお風呂行こ!……あっ、電話中だったんだ》

 電話口で何か物音がした後、突然女性の声が聞こえた。

《佳代ちゃん!?》

 優子は女性の名前を驚いた様子で呼んでいるので、どうも突然の来客のようだった。
隼人は優子の呼んだ名前に聞き覚えがなかったが、優子の声の調子から仲の良い相手なのだろうと察する。

《ごめんごめん。 出直そうか?》

 “佳代”と呼ばれた女性は電話中の優子を気遣ってか、出直す旨を優子に伝えているのが聞こえ隼人は口を開いた。

「優子、お風呂行ってきなよ。 明日から大事なコンサートなんだし、ゆっくりお湯に浸かってくるといいよ」

《……ごめんね。 折角電話くれたのに》

「俺の方こそ観に行けなくてごめん。 でも、優子が最高のパフォーマンス出来るように応援してるから」

《うん、頑張るから。 おやすみなさい》

「好きだよ優子。 おやすみ」

《私も……それじゃあね》

ツーツーツー……

 電話が切れ終話を知らせる無機質な機械音が聞こえる。

 一瞬訪れた沈黙の中に『好きだよ』と聞こえたような気がするのは、優子の心の声だろうか、それとも隼人の都合の良すぎる妄想だろうか。

「ごめん、優子……」

 どちらにせよ、隼人は優子に嘘を吐いた身、本当は浮かれられる状況にはないと自分の言動を反省した。
隼人はスマートフォンをベッドに無造作に放り出すと、ベッドに大の字に寝転がる。

「ふぅ……」

 その溜め息は優子に嘘を吐いてしまった後悔と、1日の中で色々あった疲れ、そしてそれが何も解決出来ずスッキリしないままの気持ちが形になって出たものだった。
それでも今日できることは何もないと思うと、身体中にどっと疲労感を感じ目を閉じる隼人。

 スゥスゥ……
暫くそのまま目を閉じていた隼人から、いつの間にか寝息が聞こえ始める。
本人も気付かなぬ内に眠りに落ちてしまっていた。

 このとき隼人が優子に吐いた嘘によって、隼人と優子の運命が思いも寄らぬ方向へと動き出したことを、眠りに落ちた彼は知る由もなかった――。


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