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『勘違いから始まる恋』第四章『それぞれの想い』

第057話

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ガタンガタンッ、ガタンガタンッ……

 レールの継ぎ目の上を通る音が規則正しく車内に響く。

 その規則正しい音は日本人の物作りの正確さを表しているように隼人は感じていた。
鉄道の歴史は古く、18世紀初頭にはイギリスで営業が開始されていた。
時代の変化と共に燃料は石炭から電気へ、材質は鋼鉄からステンレスやアルミへ変わったが“人員の大量輸送”という役目は変わらず、今もその主役で有り続けている。
ラッシュ時には“人員の大量輸送”という役目を遺憾なく果たしたが、隼人が出勤に利用する時間ともなるとだいぶそれも落ち着き座席もちらほら空き始めていた。
そんな車内で隼人は座ることなく扉脇に立ち窓から見える景色を見ている。
そこから見える景色は何の変哲もない街並だったが、隼人はその光景が気に入っていた。
いつも席が空いていても、敢えてその場所から外を眺めながらスマートフォンでスケジュールや海外のニュースを確認するのが日課となっていた。

 そんな隼人だったが、今日は少し様子が違い、車内の中吊り広告をしきりに見ていた。
日本では明治11年に初めて中吊り広告が鉄道の社内に掲載された。
広告は紙、ラジオ、テレビ、インターネットと時代と共に媒体を変えたが、車内の中吊りだけは何時の時代も強い影響力を持っていた。
殊に週刊誌の中吊りは人気のバロメーターと言っても過言ではなく、週刊誌に取り上げられるということは良くも悪くも、その時の旬の話題だという事であった。

 そんな週刊誌の中刷りだが、驚く事に何処も彼処も“AKB48”の名が載っていた。
今まで中刷りなど意識したことのなかった隼人だったので、自分の生活圏内に此ほどの数の“AKB48”という言葉があることを知り、改めて優子が“AKB48”という国民的アイドルであることを実感した。
そして同時に“人目の多いところで会わない”“外では名前を呼ばない”“何か言われてもしらを切る”2人の間で交わした約束事を思い出し、当たり前のことを当たり前にできないのだと思うと優子と交際する事が簡単ではないのだと痛感した。
そう思いながら、ふと見ていた週刊誌の見出しに目を惹かれた。

『あっ……』

 見出しにあった“DV”という言葉に何かを思い出したのかメールを打ち始めた。

ブッブッーブッブッー……

 ダイニングテーブルに置いた優子の電話が振動し着信を告げる。
優子は何か期待するように携帯電話の液晶ディスプレイを見た。
だが、震えていたのは隣に置いてあったiPhoneの方で、画面には“山本 学”とあった。

『学か……』

 声にこそ出さなかったが、一瞬落胆ともとれる表情を浮かべる優子。
隼人からでないことにガッカリしている自分に、どれだけ彼を好きなんだろうと優子は苦笑しながら電話にでる。

「あっ、学? おはよう」

「おはよう。 今下に着いたから、準備出来てたら出てきてくれ」

「今出るからちょっと待ってね」

 そう言うと、優子は電話を切った。

 そして、ソファーに置いてあったビビアンウエストウッドのお気に入りリュックを肩に掛け、ちらりと後ろを振り返る。
そこにはヒップのケージがあり、ヒップは寝ているのか姿が見えなかった。

 『隼人の時は毎回顔見せてたのに、薄情だな』などと、冗談で思いつつペレットと水が十分か確認すると、優子は「行ってきます」と言い残し部屋を後にした。

 部屋を後にする優子の足取りは軽く、廊下、エレベーターと終始にこやかだった。
その様子は、ここ数日の恐怖や悲しみに苛まれ、そして昨晩は後悔し涙していたのが嘘のようだった。
それは彼女の外側の変化だけでなく、内面にも及んでいた。

 一度はアイドルとして自分の全てをAKBに捧げると意気込んでいた。
事実、ウエンツ 瑛士と別れた後はがむしゃらに仕事に打ち込んだ。
しかし、今の自分はその禁を破り隼人と交際し始めた。
それでも、後悔や迷いは一切ない。
それは、責任を放棄したのでもなく、開き直った訳でもなかった。
寧ろアイドルとしてAKBを、夢として女優道を今まで以上に全力でやっていこうと意欲に溢れていた。
掛け替えのない恋人ひとができ、その恋人ひとは自分の犯した過去の過ちを含め自分を選んでくれたのだから怖いものなどなかった。
今までと同じ世界がまるで違って見え、感じることも変わっていた。

『早く練習したい。 もっと上手くなりたい』

 隼人がライブに来るということもあったが、それ以上にパフォーマンスを極めたいと思う気持ちが内からとめどなく沸き上がり、優子はリハーサルが楽しみで仕方なかった。

 エレベーターを降りると、玄関のロータリーにシルバーのカローラが1台停まっていた。
それを見つけた優子は足早に近付くと助手席の窓ノックするように叩いた。
するとドアロックを解除する音が聞こえ、優子はドアを開け車内に滑り込むように乗り込んだ。

「学、お待たせ!」

「お、おはよう。 何か朝から元気だな?」

「ん? そう?」

 乗り込んでくるなりハイテンションな優子に疑問を投げた学だったが、いつも通りと言わんばかりの返答が笑顔と共に返ってくる。
昨日劇場で佐江に好意を寄せる男性のことを打ち明けてから、優子はストーカー事件以前の“ポジティブ”な彼女に戻っていた。
喜ばしいことなのだが、その元気な様子に学は何処か今までの優子とは違う何かを感じ取っていた。

 優子は学とそんなやり取りをしながら、リュックからセットリストの書かれた紙を出すと目を通し始めた。

 その様子を見た学は、走りながらでも聞けるかと思いながらサイドブレーキに手を伸ばす。
ハザードランプが消え、車は静かに走り出すとロータリーを後にした。
ライブの会場であり今日のリハーサルの場所でもある“さいたまスーパーアリーナ”へ向け車を走らせながら、学は時折ちらりと隣の優子を盗み見する。
優子はカーステレオから流れるセットリストのデモを聞きながらイメージトレーニングをし、時折指で小さくリズムをとったり歌のフレーズを口ずさんだりしている。
その光景は向上心と捉えれば良いのだが、周囲との関係性を重要だと考えている優子は普段からコミュニケーションを取ろうと心掛けていた。
それはたとえマネージャーの学に対しても同様で、今のような状況でも積極的に会話をするのが常だったのが、今日は会話を早々に切り上げイメージトレーニングを始めたのだから学が不思議がるのも仕方なかった。
しかし、集中している優子の邪魔をすることも出来ず、学は静かに運転を続けていた。

♪♪♪

 静寂を破るように携帯電話の呼び出し音が車内の何処かで鳴るが、音は直ぐ鳴り止む。
優子はジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと画面を確認した。
メールが一件届いており、送り主の欄に“新城 隼人”と表示されるのを見るや、先程までの真剣だった優子の表情が笑顔に変わる。

 隼人からのメールを開くと朝食のお礼などと共に『今少し話せますか?』という文面が添えられていた。

『なんだろう?』

 意味ありげな言葉と敬語なのが気になり『大丈夫です』と優子も真面目に返信した。

♩~ ♬~ ♪~……

 暫く優子は携帯電話の画面を見ていると先程とは違う音楽が鳴り“新城 隼人”からの着信を知らせる画面が表示されていた。

ピッ

「はい、優子です……」

 通話ボタンを押すと、電話の内容に不安があったのか、初めての隼人からの電話に緊張したのか尻すぼみな声になってしまった。
横ではその受け答えが気になったのか、学が横目で優子を見ていた。

《突然でごめん……あっ、もしかしてリハ、じゃなかった仕事中?》

 カーステレオから流れる音楽をリハーサル中だと勘違いし“リハーサル”という言葉を言いかけたが、優子との約束を思い出したのか“仕事”と言い直す隼人に優子は微笑む。
そのお陰なのか緊張が解けた優子は普通に喋り始めた。

「ううん。 マネージャーの車で移動中だから平気。 音はね、ライブで歌う曲を流してイメージトレーニングしていただけなの。 ちょっと待ってて」

 そういうとカーステレオのボリュームを下げ再び話始める。

「それで、どうしたの。 仕事は?」

《今会社に向かっている所。 あっ、周りに人気のない所だから安心して。 ところでマネージャーって “山本さん”だっけ? 電話して大丈夫なの? 》

「うん。 まだ私たちのことは話していないけど、これが終わったらちゃんと話すよ。 私達の味方にきっとなってくれるから心配しないで」

《そうなんだ……それなら良いんだけど。 今度、マネージャーさんに挨拶させて》

「うん、わかった。 ところでどうしたの?」

《それなんだけど……君に謝りたいことがあって》

「謝りたいこと?」

《うん……昨日は叩いてしまったことを謝りたくて。 ごめん!》

 電話越しにきっと頭を下げているだろうと想像できる隼人の声。

「えっ?……それで電話してきたの?」

 まさかそんなことを言うために電話してくるとは思ってもみなかった優子は、その言葉に思わず怪訝そうな聞き方をしてしまう。
そのニュアンスが電話越しの隼人にも伝わったのかより一層申し訳なさそうに答える。

《あんなことしておいて謝っていなかったから、どうしても謝りたくて。 それと今朝見たとき頬腫れていなかったけど口の中切っていたりしないか心配で……》

 確かに女性に暴力を振るうような男性を好きな女性はいないし、優子もそのような男性と付き合いたくはなかった。
しかし、昨晩の隼人の行動を優子は“暴力”だとは思っていなかった。
もし、あの場面で頬を叩かれていなければ、あのまま隼人だけでなく自分さえも傷付け、卑下し続けていただろう。
だから、隼人が自分に手を上げたのは、行き過ぎた言動を戒める行為だったと優子は理解していた。

 それまで付き合ってきた男性は、隼人ほど1人の人間として自分に真剣に向き合い、そして扱ってなどくれはしなかった。
優子の気持ちを探り探りに気を遣い、何処か“アイドルとして”“女性として”という表面的な気遣いをされていた気がしていた。
しかし、隼人は肩書きや性別を越えた“人間ひと”としての部分に、踏み込んで考えてくれているようで嬉しかった。
結果的に“あの出来事”が優子の中で“新城 隼人”という人間ひとを、人生のパートナーとして明確に認めた瞬間でもあった。
だから、隼人には今回のことで気に病んでほしくはなかった。

「大丈夫なんともないよ。 心配してくれてありがとう。 それに昨日、隼人がああやって止めてくれなかったら、今私たちはこうやって話せていなかったと思う」

《そういってもらえると気が楽になるよ。 でも、叩いたことは事実だから、もう二度と同じ事がないようにするよ》

 それでも律儀な返答をする隼人に優子は微笑む。

「もう、本当に真面目だなぁ……じゃあ1つ約束して」

《何?》

「ずっと、私を大事にしてください」


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