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『世界がいくつあったとしても』

第23話:「にぶちん」

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 食事を終え店を後にする七瀬と隼人の2人。
空は暗闇に沈んでいるだろう時間を迎えていたが、イルミネーションがクリスマスの街を煌々と照らしている。
それでも外の空気はすっかりと冷え込み、夜それも冬真っ只中であることを2人に教えていた。

「さむ、外めっちゃ寒いやん」

「あっ、ほんとだ」

 七瀬は冬を感じさせる外気に触れ、その寒さに思わず巻いたマフラーに口元を深く埋める。
一方の隼人は七瀬に口では同意しているものの、北国育ちで寒さに耐性があるからか白い息を吐いていても、全く堪えている様子も見せず平然と歩いていた。

「もう、そんなこと言っても全然寒そうやないやん」

「まぁ、北海道だとまだ暖かい方だからね」

「それズルい」

「あはは」

「むぅ……」

 自分とは対照的に平然とした様子で隣を歩く隼人に、ズルいと七瀬は口を尖らせた。
勿論、それが本気でないことを隼人も十分に分かっている。
其ればかりか帽子や眼鏡にマスクそれにマフラーで表情の殆どが隠れてしまっていても、その声の調子や身振りで隼人は七瀬が口を尖らせ戯けているのが分かっていた。
そんな彼女の様子に隼人は思わず笑ってしまい、七瀬はより口を尖らせ彼を睨む。

「「……ぷっ」」

 対照的な表情でお互いを見つめ合う2人だったが、いつの間にかどちらともなく吹き出し笑い合う。
まるで子供のような他愛もないことではしゃぐ2人。
芸能人アイドルと一般人という、決して交わることの多くない世界で生きてきた2人にとって、今こんな他愛ないやり取りが楽しく何よりも幸せなのだ。

 そうしたやり取りをしながら2人はクリスマスの街を駅へ向け歩みを進める。
街はクリスマス一色で、通りは多くの人で賑わい、七瀬と隼人の2人もそんな中を歩いていた。

 軽やかな足取りで隼人の少し前へ出ると七瀬がクルリと身を翻す。
彼女の動きに合わせコートのプリーツがフワッと広がる様は、まるで七瀬がステージで踊っているかのようで魅入られる隼人。

「でも、ほんま美味しかったなぁ。 また行こな?」

「う、うん……」

 そんな隼人に七瀬は翻り上機嫌な様子で笑顔を向ける。
だが、七瀬の上機嫌さとは対照的に、それまで見惚れていた隼人は彼女の言葉に何故か少し困ったような素振りを見せた。
 
「どないしたん。 ほんまは口に合わなかったん?」

「美味しかったよ。 だけどホントに良いの?」

「何が?」

「何って……食事代。 払える位は俺も――」

「ストップ。 さっきも言うたやん、そないな心配せんでえぇって」

 何を言わんとしているのか理解した七瀬は、隼人の言葉を遮った。

「でも――」

 隼人はそれでもと口にしようとした時だった。
2人が歩いていたのは人通りの多い場所であったため、後ろを向きながら歩いていた七瀬が後ろから迫るカップルに気付かないまま接触しそうになるのが見え、隼人は咄嗟に彼女の手を取ると引き寄せた。

「あっ」

 七瀬は不意に手を引かれた事に驚き声を小さくあげるが、直後後ろを通り過ぎる気配を感じ、自分が人とぶつかりそうになっていたことを知る。
同時に周りを歩く人達がいつの間にか増えていたことに、今更ながら気付く七瀬。

「ごめん。 ぶつかりそうだったから」

 突然手を引いたことを謝りつつ隼人は掴んでいた七瀬の手を離した。

「ううん、ありがとう。 せやけど……」

 一方、七瀬はありがとうと言いつつ何か納得いかないのか不満げな様子。
視線は周りを歩く家族やカップルと自分たちを見比べ、そして隼人の手に視線が注がれていた。

「?」

 だが、七瀬が何を不満なのかさっぱり分からない隼人は“?”マークを浮かべるしかなかった。

「……もう、にぶちん」

 そんな隼人の様子に溜息を1つ吐いた七瀬は、プイッとそっぽを向くと再び歩き始めた。
2人の周りを行き交う人々の楽しげな表情とは裏腹に、七瀬の表情は曇っていた。

「七瀬待って」

 何故急に不機嫌になったのか隼人でもこの時ばかりは皆目見当もついていなかった。
だが、何処かへ行ってしまいそうな勢いの七瀬の手を取る隼人。

「なん?」

 先程にも増して鋭い視線を向けられた隼人だったが、そんな七瀬に臆する様子もなく取った手を自然と“恋人繋ぎ”に握り替えした。

「逸れたら嫌だよ?」

 そう言って困ったように微笑む隼人に、七瀬は思わず先程とは違った意味で視線を逸らした。
そして心の中で『ズルい』と漏らし、自分の顔が真っ赤になっていくのを自覚する。
先程まであった不機嫌さは何処へやら、七瀬の表情は晴れ隠れた口元は緩む。

 というのも、七瀬が不機嫌だった理由は隼人が“手”を離したことにあった。
周りの家族連れやカップルが皆手を繋いでいる様子が羨ましく、自分だけ手を解かれたのが悲しく不満で仕方なかったのだ。
なのに、隼人はその事実に気づく素振りすら見せないことに、子供じみていると自覚しつつあのような態度をとってしまっていた。

 ところが望みが叶えば叶ったで隼人の様子から彼が無意識にしているのだと分かり、自分だけ意識している事に気付かれるのもそれはそれで恥ずかしことだと感じ、七瀬はまともに相手の顔を見られないでいた。

 手を繋ぎ七瀬の隣に並んだ隼人が彼女の表情を伺おうとする。
しかし耳まで真っ赤になっているところなど恥ずかしく見せられないのか七瀬に顔を背けられてしまう。
手を繋いだ時点で問題は解決されていたが、照れ隠しでまともに顔さえ見られないでは隼人本人がそれを知る由もなく困り果てていた。

 暫く人並みの中を無言で、それでも手を繋いだまま歩く2人。
身長差のある2人だから歩く速度も異なる。
通常であれば七瀬が置いてきぼりになりそうだが、隼人は彼女の歩く速度に合わせてゆっくり歩き、前から道を譲ろうとしない者が来れば前に出ては彼女の歩きやすいように気を遣っていた。

 そんな気遣いに気付いた七瀬は、隼人のちらちらと自分を窺う視線から逃れるようにそっぽを向いたまま小さく呟く。

「……ありがとう」

「ん? 何か言った?」

 恥ずかしさの中で小さく呟いた言葉が隼人へ届くことはなく、七瀬はその言葉をもう一度口にすることはしなかった。

「ううん、 なんでもあらへん……なぁ、隼人」

「なに、七瀬?」

 その代わり埋めたマフラーから顔を上げた七瀬は、マスク越しでも分かるようにとびっきりの笑顔を隼人へ向ける。

「この手離したらあかんで!」

 そして気持ちを伝えるように絡めた指をほんの少し握り返した――。


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