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『世界がいくつあったとしても』

第22話:“スタートライン”

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コンコン

 互いの気持ちを通わせ合う2人の時間を別つように、突然個室のドアがノックされる。

「「ッ!?」」

 やましいことなどしてはいない2人だったが、突然の来訪者へ驚かずにはおられずお互いを見合った。

「次の料理をお持ちいたしました」

 すると部屋の外からこのレストランのウエイターが、次の料理を運んできたことを告げる。
それを聞き咄嗟に重ねていた手を離すと、椅子に座り直し別に乱れてもいない身なりを直す2人。
芸能人も利用する店だけあり声をかけ間も開けず個室へ入ることはなく、2人が身なりを直す時間を十分与えてくれた。

ガチャッ

「失礼致します……こちら――」
 
 十分な間を置き部屋に入ってきた男性のウエイターは、手にした皿とそれまであった物を交換しようとするが、2人の料理がまだ半分ほど残っていることに気付く。

「――お下げして宜しいですか?」

 ウエイターは気遣うように隼人の方に申し出る。
料理間の時間は十分に開けられており、それでも残っているということは口に合わなかったのだと判断したようだった。

 七瀬は自分たちが随分と長い間話していたことに気付くと共に、冷めているであろう皿を見て何だか悪い気持ちになっていた。
このレストランを選んだのは芸能人御用達で個室が在るからという理由もあったが、何よりも料理が美味しく特別な日に特別な人と訪れたかったのだ。
それに折角想いが通じ合ったと言うのに、その途端食べられない訳でもない料理を残す事に抵抗を感じたのだ。
だが、こう言ったレストランであるから冷めた料理をこのままにはしないだろうし、何より隼人が冷めたものを食べるなんて嫌がるかも知れないと何も言わず視線を目の前の移した。

 すると目の前の隼人と目が合った。
七瀬の表情を見て何か思う所があったのか隼人は彼女へ微笑む。

「?」

 隼人は傍らの三分の一程残ったグラスの中の葡萄ジュースを飲み干すと、それをウエイターへと差し出す。

「話に夢中で喉が渇いてしまったので……同じ物を“至急”いただけませんか?」

「……かしこまりました。 こちら次のお料理となります。 ご説明はお飲み物をお持ちした際にさせてください」

 ウエイターは次の料理を手早く2人のテーブルの空いた場所へ置くと部屋を出ていく。
何も下げずに部屋を後にするウエイターと、それに何も言わない隼人に違和感を憶えそれを横目で見ていた七瀬。
やがてウエイターは七瀬の視界後方へと姿が消え気配が遠ざかるのを感じる。

ガチャッ

 そして扉が閉まる音と共に部屋から気配が消えると、七瀬は違和感の正体を知るためテーブルの方へ向きなおる。

「えっ?」

 すると目の前では隼人が残っていた料理を口に運んでいた。

「ん? 七瀬も食べる? 美味しいよ」

 さも当たり前にパクパクと、それも美味しそうに食べる姿に七瀬は彼がこちらを見て微笑んだ意味、そして違和感の正体を理解した。
隼人は自分が料理を残すことに罪悪感を抱いていることを察していて、料理を運んでくれたウエイターの男性も同様に気遣いをしてくれたのだ。

「隼人……」

 人は向き合ったとき見つめ返したままでは“今”を見ることしかできない。
だが、隼人は見つめ合うのではなく七瀬の隣に立ち、隣で“同じ方向(みらい)”を見てくれようとしていた。
他人には冷めた料理を食べた位で大袈裟なと言われそうだが、そんな些細なことを言葉も交わさずともやれてしまう男性だということを知れたことは、七瀬にとっては決して小さな出来事ではなかった。
嬉しく、そして愛おしく、だから七瀬は隼人を微笑みながら見つめてしまう。

「?」

 七瀬の視線に気付いたのか料理を口に運ぶ手を止める隼人。
首を傾げ“どうしたの?”と言わんばかりの表情を七瀬へ返してくる。

「何もないよ。 ななも食べよ――」

 そう言いながら隼人にほほ笑みを返すと、自分の残った料理にフォークを延ばした。

「――おいしい」

 口にした料理の予想外な美味しさに小さな驚きの声を漏らす七瀬。
その美味しさは冷めた料理自体が理由ではなく、きっとこの男性(ひと)と一緒に居るからなのだろうと目の前で微笑む隼人を見て納得する七瀬。

 それは2人の既に始まっている恋が、やっとスタートラインに着いた瞬間であった――。


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