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『恋愛禁止条例』

第09話:お兄ちゃん:後編

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―珠理奈side―

「この問題を解くにはね……」

 そう言って隼人さんはマーカーで教科書の大事なところにラインを引いていく。

『隼人さんの指、細くて長い……ピアノとかやったら似合いそう』

 せっかく隼人さんが休憩時間などを使って勉強を教えてくれているというのに、私はそのしなやかな指先についつい目が行ってしまう。
いや、指だけじゃないかも……。
横顔だったり、声だったり、とにかく隼人さんの仕草一つ一つが気になってしまい、最近は一緒に居るだけで勉強が頭に入らないでいた。

『駄目、頭に入らない……』

 これも隼人さんが全部いけないんだ……と、勉強に集中出来ない言い訳を隼人さんのせいにした。

………………

…………

……

 でも、それは本当に隼人さんのせい。
きっかけは他のお仕事が忙しく劇場になかなか足を運べない私に、隼人さんが“宿題”と言って渡してくれた問題の採点してもらったときのこと。

「よし、採点終わり!」

「ど、どうですか?」

「うん、良く出来てる……何と5教科平均92点!」

「本当!? やった!」

 結果を今か今かとドキドキしながら待っていた私は、隼人さんの言葉が嬉しくてピョンピョンと跳ね喜んだ。
SKEに入ってからレッスンやお仕事が続き、最近ではAKBも兼任させてもらっていて、お世辞にも成績が良いとは言えなかった私にとって、全教科で平均90点以上だったのだから飛び跳ねずにはいられなかった。

「クスクス。 仕事も大変なのに、よく松井は頑張ったね」

 私の子供じみた行動に苦笑していた隼人さんだったけど、ニッコリと微笑むと小さい子供にするように私の頭を撫でた。
何だか恥ずかしい気持ちもあったけど、隼人さんの手は温かくて何より優しい。
私はその心地よさと不意に湧いてくるドキドキした気持ちに思わず目を閉じていた。

 しっかり者だとか大人びているとか言われるように、私自身何となく子供心にしっかりしなくちゃって思っていた。
それは異性に対しては特にそうで、実際こんな風にされることなんてなかった。
だから、その時は初めてに近い体験をしたからドキドキするんだと思っていた。

『でも、違ったみたい……』

 それからというもの隼人さんをこうやって見る度にドキドキするし、隼人さんの何気ない言動が気になって仕方ない。

『この気持ちってなんなんだろう……』

 今まで感じたことのない正体が分からない気持ちに私は戸惑いを感じた。
その一方で隼人さんと“もっと仲良くなりたい”そう思う気持ちは更に強くなるばかりだった。

………………

…………

……

「……い……おーい、松井聞いているかい?」

「えっ!? ひゃぁっ! ごめんなさい」

 気付くといつの間にか隼人さんの心配そうな顔が目の前にあって、私は盛大に声を上げ驚いていた。
考え事をしていたからって、まさか隼人さんの顔がこんな近くにあるのに気付かないなんて思わなかった私は、赤面し顔が熱くなる。

「疲れた? そろそろ休憩にしよっか」

「あっ、はい……」

 隼人さんは立ち上がると「ちょっと待っててね」と言い残し部屋を出て行った。
驚き混乱した私の頭ではただ頷くことしか出来なかった。

『うー、びっくりした』

 部屋に独りとなった私は恥ずかしさのあまり机に突っ伏す。
どうして最近こんなんばっかりなんだろう……。

ブッブ―ブッブ―……

 すると、机の上に置いていた私のスマートフォンが震える。
何だろうと画面を見ると、玲奈ちゃんに『バラエティに出るなら、お話のネタにニュース見た方が良いよ』って言われ入れたニュースアプリの定期配信の通知だった。

『なんだニュースか……ん?』

 ニュースを見る気にもなれず、画面を消そうとボタンに伸ばしかけた指が止まる。
そこには“せっかくの夏! あの人との距離を縮める方法!”と書かれている記事を見つけ、気になった私は思わず画面をタッチしていた。

………………

…………

……

コンコン、ガチャッ

「お待たせ松井。はいどうぞ」

 暫くして部屋に戻ってきた隼人さんは、そう言うと私に何かを差し出す。

「あっ、チョコレートアイス!」

「松井はチョコレート好きって聞いたんだけど?」

「うん! 大好きです!」

「良かった。夏だからアイスにしてみました」

「わーい。 ありがとう隼人さん。 いっただきまーす!」

 大好きなチョコレート、しかも今の季節にぴったりのアイスに、私は早速手を伸ばすと一口頬張った。

「ん~ 冷たくておいひぃ~」

 普段、自分では買わないだろう高級アイスの味に思わず顔が綻ぶけど、こんなに美味しいのはきっと隼人さんが私の好みを知って選んでくれたからだと思う。

「ん、松井の言う通り美味しいね。 これにして正解だったな」

 隼人さんも同じアイスを隣で美味しそうに食べている。

『……』

 “アイドルになったからには全力で”それが自分の原動力で、それで良いとこれまでずっと全力で駆け抜けてきた。
でも、今はこんな風に何気ない光景とゆったり過ぎていく時間が心地良く、背伸びをせずにいられる一時が私にとって大事なものとなっていた。
そしてそれは“隼人さん”が居るからで、きっと他の人じゃこんな風に思えない。
何をどうしたいとか、こうなりたいとか具体的なことは分からない……。
けど、隼人さんの内にいる“松井 珠理奈”という存在が、少しでも大きくなって欲しかった。

………………

…………

……

「そろそろ、勉強再開しようか?」

 暫くアイスを食べながら楽しい時間を過ごしていた私たちは、隼人さんの一言でスプーンをペンに持ち替える。

「さてと、まつ「隼人さん」ん? 何だい?」

 教科書をペラペラ捲る隼人さんの言葉を遮った私は、さっきニュースアプリの記事に書いてあった“2人の距離を縮める”方法を試してみることにした。

「隼人さんはAKBに“松井”が何人居るか知ってます?」

「えっと……“松井 咲子”さんが居るね。それがどうしたの?」

「もう、鈍感……私と咲子さんが、この前一緒に居るときに何て呼びました?」

「あっ……」

「2人して“はい”って答えちゃって、結局呼ばれたの咲子さんだったから、私凄く恥ずかしかったんですよ?」

「うっ、そんなこともあったね……でも、あの後ちゃんと謝ったじゃないか」

「駄目です! ここは一つ白黒させましょう」

「白黒って……」

「咲子さんのことはこれまで通り“松井さん”でいいですけど、私のことは“珠理奈”って呼んでください!」

「そ、それは前にも言ったけど「じゃあなんで麻里子様は下の名前で呼んでるんですか! ズルい!」うっ……」

 言い訳をしようとするから私が駄目出しの一言を言うと、ばつが悪そうな顔をする隼人さん。
でも、前から麻里子様だけは下の名前で呼ばれていたから羨ましかったのは事実。
それに記事には“まずは名前でお互いを呼べるようになりましょう”と書いてあったから、ここはどうしても呼んでもらいたかった。

「と言う訳で、隼人さんが“珠理奈”って呼んでくれるまで、私は一切返事しません!」

「えっ、ちょっと松井……」

「……」

「本気?」

「……」

「おーい、松井さ~ん」

「……」

 あっ、隼人さんが机に突っ伏して頭抱えてる……。


―隼人side―

「良く出来たね珠理奈」

 松井さんはあの後折れることはなく、俺は結局彼女を“珠理奈”と呼ぶようになった。
まぁ、本人がそれで嬉しそうにしてくれるから、俺が大島とか周りの目さえ気にしなければいいんだって思っていた。
だけど、それで終わらなかったから問題なんだ。

「“お兄ちゃん”の教え方が上手だからだよ♪」

 そう言って屈託無く笑う珠理奈。
そう……いつの間にか珠理奈が俺を“お兄ちゃん”と呼ぶようになっていたこと。

 初めて“お兄ちゃん”そう呼ばれとき、妹が出来たようで嬉しいと感じた。
それが観察眼の鋭い珠理奈には分かってしまったようで、それから当たり前のように俺をそう呼ぶようになった。

 確かにスタッフとアイドルの間で、こんな呼び方は良くないかもしれない。
でも、そんな風に呼び合える“人”“場所”があることが、俺には嬉しかった――。


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