『恋愛禁止条例』誕生記念
誕生日:前編
“誕生日”
それは子が親から与えられる最初の
幼い頃は年を重ねる意味よりもプレゼントやケーキが嬉しく、逆に年齢を重ねていくと重ねた年月の重さで素直に喜ぶことができなくなってくる。
やっと1年経ったのかと思う人もいれば、1年があっと言う間だったと思う人。
誕生日に対する感じ方は千差万別だけど、誰もが毎年当然のように訪れるありふれたイベントの一つだと思っている。
少し前までは俺も誕生日を、そんな風に思っていた中の一人だった。
でも、両親の事があり“命”に対する考え方が変わると、それと共に誕生日への考えも一変した。
人は毎日いくつもの無数の奇跡を起こしながら生きている。
何故ならば選択肢を一つ間違えただけで、人の命など一瞬で失われてしまうこともあるからだ。
それが自分のした選択でなくとも、他人がした選択一つでも起き得る。
だから、一日一日生きているということは、自分も含め大勢の人たちが起こした、小さな奇跡の集まりなのだ。
ありふれたことのようで実は幾重にも重なった奇跡の結果なんだと思うと、大事な人がその日を多くの人に祝福される姿は、自分のことのように嬉しかった。
たとえそれが遠くから眺めることしかできなかったとしても……。
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……
AKB初のドームコンサートが幕を閉じ暫くした10月初旬のある日のこと。
その日も朝から俺は学校で一人本を読んでいた。
相も変わらず一人なままだけど、以前のように苦痛だと感じなくなっていた。
それは劇場でのバイトが学校では出来ないほどの貴重な体験だったり、メンバーやスタッフさんも含め多くの人たちとの出会いが俺を変えたのかも知れない。
「なぁ、お前何贈るか決めた?」
「何の話?」
「大島さんの誕生日プレゼントに決まってんだろ」
「えっ、でも直接プレゼントしたって、受け取らないだろ?」
「馬鹿だな、それはファンだろ。 俺たちはクラスメイトなんだから平気だって。 それに小嶋さんは受け取ったって聞いたぞ」
不確かな噂でガヤガヤと騒がしくなった大島推しのクラスメイトたちを余所に、俺は壁に貼られたカレンダーを眺めた。
この間“あきちゃ”こと“高城 亜樹”さんの生誕祭をしたから、同じ10月生まれの大島の誕生日が近いことは分かっていた。
10月17日それが大島の誕生日。
因みに、その日はTeam Kの公演日で絶好の生誕祭日和。
ただ、大島ぐらいのメンバーになるとメディアへの出演が優先され、たとえ公演が誕生日当日にあったとしても参加できないことも多い。
大島が当日公演に参加できるかどうか知らないことを思い出し、俺は後でスタッフさんに聞いてみようと思いながらカレンダーを見ていた。
プレゼントのことで盛りあがるクラスメイトを尻目に、そんなことを考えていると「おはよう」という声と共に、半袖から長袖に衣替えした大島たちAKB三人衆が登校してきた。
姿は衣替えしたというのに毎朝繰り広げられる光景は変わらない。
毎朝恒例の行事が教室で始まると、すっかりとその光景に見慣れた俺は再び本へと視線を戻した。
でも、この恒例行事も以前と少しだけ変わったところがある。
それは大島が俺に声を掛けてくることがなくなったのだ。
夏休みが終わり席替えをした結果、俺と大島の席が隣ではなくなったのが理由だった。
これでクラスメイトから何か言われることもないだろうと、席替え初日はホッとしたのを覚えている。
事実、席が離れると大島は俺の所まで態々来ることはなく、自然と会話する機会は消滅すると、男子たちはその状況に満足したのだろう、俺に陰口を叩くことはなくなった。
やっとこの意味のない日々から解放されると喜べるはずだった……。
でも、いざ離れてみるとリップサービスだったとは言え、毎日大島と交わす会話を楽しみにしていた自分がいたことを知る。
だからだろうか、いつの間にか本から視線を上げた俺は、今日も大島が他のクラスメートと話す姿をモヤモヤとした気持ちで見ていた。
そして、このときそんな様子を見ていたクラスメイトがいたことに、俺は気付いていなかった……。
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……
学校が終わり、俺はバイト先である秋葉原へ電車に揺られながら向かっていた。
扉の脇の所にもたれ掛かりながら本を読み、時折車窓からの景色を眺める。
ちなみに、今でこそ車で送り迎えが当たり前になった彼女たちも、メジャーになる前は劇場へは電車で移動していたと言うから驚きだ。
確かに今でも研究生のメンバーとは電車で会うことはあるけど、大島たちも今の俺と同じ景色をちょっと前まで見ていたのかと思うと不思議な気がした。
《次は秋葉原―》
そうこうしていると電車は秋葉原駅のホームへと車体を滑り込ませていた。
プシュッー……
空気圧が抜け電子音と共に扉が開く。
俺は別段意識することもなく、読んでいた頁に栞を挟むと本を閉じると電車を降りる。
そのとき何か手の中で違和感を抱いたけど、気に留めることなく俺はホームを抜け改札へと歩き出した。
ピッ……
定期を改札にタッチし電気街口から駅を出ると、そこには夕日に赤く染まる空と広々としたロータリーがある。
日が落ちるのもだいぶ早くなったなと思いつつ、定期と一緒に持っていた本を鞄に仕舞おうとした。
「あっ……」
そこでさっき感じた違和感の正体を知る。
使い込んで古くなっていたブックカバーが壊れていた。
表紙を差し込む部分が破け本とカバーを固定できなくなり、それが手に持ったとき違和感となって現れていたのだ。
結構気に入っていたんだけどな……。
でも、壊れてしまったものは仕方ない。
今度のバイト休みにでも新しいのを買いに行こう。
そう思いながら、若い人を中心に賑わう秋葉原の街を、縫うようにドンキホーテを目指した。
「おはようございます」
「おはようさん」
「あっ、新城さんおはようございます」
関係者用のエレベーターから劇場に入った俺は、すれ違うスタッフさんやメンバーの方に挨拶を交わしていく。
その足で事務所に向かいタイムカードを押すと、今日一日のスケジュールを確認していく。
するとスケジュールの中に、広報の“西山 恭子”さんの名前と共に“大島生誕祭実行委員長との打ち合わせ”という項目が書かれているのを発見し、生誕祭準備が進んでいることを窺わせた。
「失礼しました」
事務所を後にした俺はスタッフウェアに着替えると劇場での仕事に勤しんだ。
「新城く~ん、私のソックスどこ~?」
「小嶋さん、さっき浮腫むからってシューズの所に脱いでませんでした?」
「あー、あったありがと」
「隼人、私のブラ何処?」
「えーっと……って、分かる訳ないでしょ麻里子さん!!」
「あはは、真っ赤になって可愛いな隼人は~」
「どうにかしてくださいよ~ 高橋さん」
「私には無理ッス……ところで……私のリボン知らないでスか?……」
「ヒドっ!? リボンなら前田さんがさっき……あっ、ほら」
「あっ! あっちゃーん私のリボンいつの間に!」
「ん? 何のこと、テヘペロ♪」
「おーい隼人、ちょっといいか?」
「はーい、今行きます!」
………………
…………
……
メンバーの方の御用聞きやステージの準備をしていると、あっと言う間に開演時間の19時00分を迎えていた。
カタカタカタ……
公演中は手の空く俺はスタッフの休憩室で1人パソコンを広げている。
他のスタッフさんが公演で忙しい中、俺は何をしているかと言うと珠理奈に渡すための問題作りをしていた。
SKE48のエースとして活躍する珠理奈は多忙だ。
それでなくともAKB48とSKE48を兼任し、名古屋と東京を行き来している彼女に勉強をする暇など殆どない。
そんな彼女に勉強を教えることになってから、移動時間でも出来るようにと要点をまとめ渡すようにしていた。
コンコン
扉を叩く音共にドアが開き広報の“西山 恭子”さんが顔を見せた。
「あっ、隼人君お疲れ様。丁度良かった。 これなんだけど戸賀崎さんに渡しておいてくれる?」
「えぇ、分かりました。 ところで大島さんの生誕祭の打ち合わせどうでした?」
西山さんからA4サイズの用紙が入るだろう茶封筒を渡された俺は、事務所で見た“生誕祭実行委員長と打ち合わせ”の相手が目の前の彼女だったのを思い出し、打ち合わせについて聞いてみた。
「今年は運良くチームK公演と優子ちゃんのお誕生日が重なっていて、実行委員の人たちもかなり気合いが入ってたから打ち合わせが延びちゃったの」
「へぇ、じゃあ大島さんも公演に参加するんですね」
「えぇ、よっぽどのことがない限りその予定よ。 あっ、私これから秋元先生の事務所に行かなくちゃならないから、それ戸賀崎さんに宜しくね」
「分かりました」
西山さんは「じゃ!」と言って部屋を出て行った。
俺は問題を切りの良いところで保存すると、パソコンを閉じ立ち上がった。
今の時間なら戸賀崎さんは事務所に居るはずだ。
事務所へと続く廊下は劇場とは隣り合わせとあって公演中は慌ただしい。
スタッフさんが公演で忙しなく動き回る中、バイトの俺は邪魔にならないよう端っこを歩く。
端を歩き忙しなく動き回るスタッフさんを見て、俺は不思議な気持ちでいた。
去年の今頃“AKB48”と俺は何ら関係なくって、失礼ながら存在さえも知らなかった。
そればかりか、数ヶ月前までこんな世界で働くなんて夢にも思っていなかった。
それが今では劇場で働きAKB48という存在も当たり前のように俺の前にあるのだから人生は不思議だ。
事務所に「お疲れ様です」と挨拶をしながら入ると、戸賀崎さんの居る“支配人室”の前まで来た。
コンコン……
ノックをすると中から「どうぞ」という声が聞こえたのでドアを開けた。
「失礼します」
そう言って俺が部屋に入ると、戸賀崎さんが書類に目を通しているところだった。
書類から視線を上げる戸賀崎さん。
「ん、隼人かどうした?」
「あの広報の西山さんから戸賀崎さんに渡すようにと言われたものをお届けに来ました。 どうぞ」
「おぉ、すまないな。 西山は?」
「叔父さんに呼ばれたとかで出て行かれましたよ」
「あの人も忙しいな」
「そうですね。 これを俺に渡したら“じゃ”って言って行っちゃいました」
戸賀崎さんは俺と話しながら、受け取った封筒の中身を確認していた。
「大島の生誕祭の件か……こりゃ大変だな」
「どうしたんですか?」
「いや、実行委員から来てる花の大きさが規格外にでかいんでな。 それでなくとも大島はうちのエース。 取引先や共演者なんかからも来るからロビーが埋まるかもな」
「そんなに……あっ、ところで戸賀崎さん」
「何だ?」
「高城さんの生誕祭の後の打ち上げでメンバーの方はプレゼントとかしていたみたいですけど、スタッフ側って何かしないんですか?」
俺は高城さんの生誕祭の日のこと、そして今日のクラスメイトの話を思い出し、疑問に思っていたことを口にした。
「女子はしているが男からはしていないな。 あったとしても、せいぜい女子のプレゼントにお金だけ出す形になってたと思うが。 スタッフとはいえ男は男だからな。 隼人は大島に何か渡すつもりだったのか?」
「あっ、いえ。そういうつもりではないんですけど……」
戸賀崎さんの一言に俺は言葉を詰まらせる。
図星と言えば図星だった。
好きになってもらうことはできなくても、好きな人にプレゼントは贈りたい。
そんな気持ちは俺もクラスメイトも同じなんだ。
「隼人。 お前は良くやっているし、メンバーにも信頼されている。 だけどな、彼女たちはアイドルだ。 そしてAKBには“恋愛禁止”の掟があるんだ。その一線は越えるなよ」
「はい……」
………………
…………
……
午後11時過ぎ。
「ただいま帰りました」
俺はバイトから帰ると、食事や風呂を済ませ麻巳子さんとの会話もそこそこに、自室へと戻りベッドの上に寝転んだ。
「一線は越えるなよ、か……」
真っ白な天井を見つめながら戸賀崎さんの言葉を思い出し、我ながら不用意な発言だったなと反省する。
クラスメイト兼AKBのバイトである俺。
長いときは一日中一緒に居ることもあり、そんな微妙な距離感に俺はいつの間にか大島との関係を勘違いしていた。
確かに戸賀崎さんの言う通り彼女たちがアイドルである以上、俺から一線を越えようとするなどあってはならないこと。
「そう……だよな……」
そう頭では理解できても、大人に成りきれない心はモヤモヤするばかりで、現実と想いの間で揺れ動く感情をどうにもできない。
だからと言って、誰かに相談できる内容ではなく、俺は自分に『裏方に徹しろ』と言い聞かせながら眠りに就いた。
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……
数日後。
大島の生誕祭が次の日に控えた平日の午後。
劇場が休館日でバイトのない俺は学校帰りに、数日前駄目になってしまったブックカバーを新調するため秋葉原から靖国通りを神田の方へと歩いていた。
夕日でセピア調に染め上げられた街並みを眺め、こうやって街をブラブラとするのも新鮮で偶には良いなと思いながら暫く歩いていると、大きな交差点の角地に建つビルが見えた。
七階建てのそのビルは周囲を近代的な建物に囲まれていたが、重厚な石造りと柱に刻まれた縦書きの屋号は、そこだけ明治や昭和時代にタイムスリップしたようなノスタルジーさをみせ、夕日に染め上げられた建物はまるで当時の写真のようでさえあった。
ここが今日の目的地である文房具店。
初めて訪れたのは俺が東京に来たてだった頃、この街を偶然歩いていて店の独特な佇まいに惹かれ立ち寄ったのを覚えている。
ここは有名なお店らしく数え切れない程の文房具が並び、店を訪れる度に新しい商品との出会いがあるので、俺はいつもこの店で文房具を買うようにしていた。
店に入ると外観通りクラシックな雰囲気と所狭しと画材が陳列されていて、これから絵を始めるのかイーゼルやキャンバスなどを手に取る老夫婦の姿や、棚に陳列された多数のコピックやペン先を選びながら漫画の話を楽しそうにする女子高生たちなど、店内は幅広い客層で賑わっていた。
俺はそんな店内を画材の間を縫うように、今日の目的であるブックカバーの置かれた売り場に足を向けた……。
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…………
……
「ただいま……って、今日は麻巳子さん仕事だったんだっけ……」
帰宅しリビングに入ると、いつもだったら笑顔で出迎えてくれる麻巳子さんの姿が見えなかった。
直ぐに、仕事で今日は麻巳子さんが居ないのを思い出したけど、彼女の居ない家がこんなにも寂しいものなんだと実感する。
ふと、テーブルの上をみると献立と一緒に麻巳子さんからの一言が書かれた紙が置かれていた。
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隼人へ。
今日は仕事で遅くなってしまうので夕飯にハヤシライスとスープにサラダを作っておきました。
簡単な物だけど食べてください。
折角のバイトお休みの日なのにごめんなさいね。
麻巳子より
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麻巳子さんからの伝言を読みながらコンロの上に置かれた二つの鍋の蓋を開けると、ハヤシライスのルーとスープが美味しそうな香りを立てているのを見て苦笑した。
「麻巳子さん、どこが簡単なものなんですか……」
俺は着替え鞄を置くと夕飯の支度……と言っても、温めたりよそったりするだけなんだけど、料理をテーブルに並べていく。
テーブルに並べられた料理からは盛りつけは別として、香りだけでも洋食屋に引けを取らない味だと分かる美味しそうな匂いが湯気にのり俺の鼻腔を擽る。
「いただきます」
仕事をしながら、それでも俺のためにこうやって美味しい夕飯を用意してくれている麻巳子さん。
それは、たとえバイトで俺が遅くなったとしても、必ず夕飯の支度をして待ってくれていた。
叔父さんとの間に子供が居なかったとはいえ、急に俺みたいな大きな子供ができてさぞ苦労しているはずなのに、いつも微笑み俺を見守ってくれている。
きっと麻巳子さんから俺は感謝してもきっとしきれない程の愛情を注いで貰っている。
それは麻巳子さんだけじゃなく叔父さんからもそうだ。
だから、俺はそんな二人に感謝の気持ちを現したくて、自分の手で稼いだお金で何かを贈りたいとバイトを始めた。
『……はずだったのに、俺は一体何をしてるんだろ』
食事を終え食器を洗い自分の部屋に戻った俺はそんなことを考えながら、勉強机の上に置いたブルーのギンガムチェックの包装紙と赤いリボンで綺麗にラッピングされた袋を眺めていた。
袋の中身は、さっき寄った文房具店で買った“ある女性”への
文房具店には自分のブックカバーを買いに言ったはずだったのに、売り場でそれを見つけた俺は気付いたら購入していた。
自分でも何してるんだろうと思う。
だけど、そのとき俺の脳裏にはそれを使う彼女が浮かび、まるで彼女のために作られたと思えるほど似合っている姿に、思わず値段を確認しないばかりか“プレゼント用に”と言って買ってしまったのだ。
それなのに、いざ家に持ち帰えり“現実”に引き戻された俺は、さっきまでの高揚した気持ちが嘘のように消え溜息を吐いた。
「はぁ……」
“現実”に戻された理由、それは贈りたいと思った相手が“大島 優子”だからだ。
戸賀崎さんの言葉にもあったように、スタッフと言えど男性がプレゼントを渡すことはできない。
況してや戸賀崎さんに“一線を越えるな”と釘を刺されているのだから、いくら彼女にぴったりのものだと言っても無駄になることは明かだった。
なのに、俺は戸賀崎さんの忠告を無視するように後先を考えずに買っていた。
そればかりか、バイトは麻巳子さんのプレゼント代を稼ぐためにと始めたのに、蓋を開ければ意味のないものに散財している、そんな自分の意志の弱さに溜息が出た。
ガチャッ
俺が一人部屋で悩んでいると、下の階で玄関の開く音が聞こえる。
きっと麻巳子さんか叔父さんが帰ってきたのだろう、俺は部屋から出ると一言いうため階段を下りていった。
一階に下りると電気を消していたリビングが明るかったので、叔父さんがそこに居るのが分かった。
「……9期の森か……それで本人はどう言っている?」
リビングの扉の前まで来たけど、中からメンバーの名前が聞こえ俺は足を止めた。
ドアのガラスから中を覗くと叔父さんが携帯電話で誰かと話しているようだった。
聞こえてくる叔父さんの口調が仕事モードのときだったのと、会話の中に“9期の森”という単語が聞こえ俺は悪いとは思いながら聞き耳を立てた。
「そうか……事実なんだな……」
扉越しでよく見えなかったが、叔父さんはそう言うと肩を落としたのが見えた。
話の中に出てきている9期の森さんと言えば、Team4のメンバー“森 杏奈”さんのことだろう。
確か最近持病の腰痛で公演に出れずにいた。
その彼女がどうしたのだろうと思っていると、叔父さんの言葉に俺は言葉を失った。
「AKBに加入した後も交際を続けているのが事実ならば、解雇も致し方ないだろう……明日私から直接話そう」
「……」
俺は静かに自分の部屋に戻った。
再び、椅子に座ると勉強机の上に鎮座した袋を見つめた。
叔父さんの言葉が本当であれば、森さんは男性との交際が発覚し解雇ということになるらしい。
それがどういった経緯で発覚したのかなどの詳しいことは何一つ分からないけど“恋愛禁止条例”は、AKBの中で確かに存在することだけは理解出来た。
そして、それが俺が思っている以上に厳格なルールであることも。
これで彼女のAKBでの活動は終わりを告げる。
確かにもう一度オーディションに参加すれば合格できるかもしれないし、AKB以外での芸能活動は続けられる。
でも、スキャンダルで解雇されたアイドルという不名誉な肩書きが今後彼女には付いてまわるだろう。
男女が好き合うことは生物として自然な行為であるはずなのに、アイドルには許されないのだ。
でも、それを引き替えにしても彼女たちは掴み取りたい夢に向かって歩いている。
それがアイドルであり、それが森さん、そして大島たちの置かれた現実。
戸賀崎さんが俺に“一線を越えるな”と言ったのは、俺がほんの軽い気持ちでした行為だったとしても、彼女たちの人生に多大な影響を与えかねないことを指していたんだ。
このとき初めて戸賀崎さんの言葉の意味を理解した……。
今までは偶々、奇跡的とも言える確率で俺が選択した答えが、彼女に影響を与えていなかっただけのこと。
でも、その奇跡がいつまでも続くことなんてあり得ない。
どこかで一度でも選択肢間違えれば大島やAKBが傷付くことになるのなら、俺の取る行動は一つしか残されてはいなかった。
そして、俺は一つの決断をした。
大島への“好き”だという感情を“封印”することを……。
そもそも大島に一度振られた身、学校でも仕事場でも一緒という今の状況がストーカーのようで異常だったんだ。
何より、彼女たちに課せられた“恋愛禁止条例”を“秋元 康”の甥自らが破る訳にはいかない。
きっと、俺がこのまま彼女を好きでいたとしても、誰も幸せになんてなれない。
大事な人たちの笑顔を曇らせる位なら、想いを心の奥に忍ばせ俺は裏方に徹しよう。
大島の夢や想いが実現出来るように手助けしていこう。
好きな
………………
…………
……
コンコン
自分に言い聞かせるように何度か『裏方に徹しろ』と心の内で呟いていると、部屋のドアがノックされ外から叔父さんに声をかけられる。
「隼人。 ちょっといいか?」
「あっ、はい。 ちょっと待ってください」
俺は一度は良いと言ったものの、机の上に大島へのプレゼントを出したままでいたから、慌ててそれを鞄の中に入れた。
ドアの前まで来ると大きく深呼吸をし、心を落ち着かせると俺はドアを開けた。
ドアの前では、さっきリビングで見たときと同じ姿の叔父さんが立っていた。
叔父さんはいつもの温和な雰囲気でニコニコしていた。
「お、おかえりなさい」
その様子に会話を盗み聞きしていたことはバレていないようだったけど、内容が内容だっただけに俺は思わずどもってしまった。
「ただいま。 どうしたそんなに驚いたりして?」
「え? あぁ、イヤホンしながら本を読んでいたんでビックリしちゃって……」
努めて平静を装い、それらしい言い訳をした。
でも、自分は役者に向いていないのだろう、何処か余所余所しくなってしまう。
「なんだ、自分の部屋なんだからスピーカーで聴いて良いんだぞ」
余所余所しさが叔父さんには遠慮に映ったのか、笑っていた。
「それより……」
そう言って叔父さんは人差し指で眼鏡を直す。
眼鏡のレンズが明かりに反射し怪しく光る。
俺はその瞬間、盗み聞きしていたのがバレたと思ったと背筋が凍る。
「お腹が空いたんだが、何か残り物あるかな?」
「へ?」
予想していた状況との落差に俺は思わず、素っ頓狂な声をだしていた……。
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………………
…………
……
10月17日、大島 優子生誕祭当日。
肌寒い朝だというのに、学校の教室は熱気に包まれていた。
それもそのはず、大島の誕生日当日ということもあってプレゼントを渡そうと、他のクラスの奴も含め多くの男子生徒が彼女の登校を今か今かと待っているのだ。
「「「おはよう~」」」
そして、いつもの時間に大島たちAKB三人組が教室に現れると、男子生徒たちはテンションは最高潮に達したのか、一気に彼女たちの……元い大島へと駆け寄っていった。
「大島さん誕生日おめでとう。 これ大島さんが好きだってブログで言ってた……」
「誕生日おめでとう! これテレビで言ってた……」
「優子ちゃん、おめでとう。 これ雑誌の対談で言ってた……」
我先にと争うように祝福の言葉とプレゼントを大島の前に差し出す男子たち。
いつもであればその光景を冷ややかに見ていた俺だったけど、今日は彼らのその行動力が羨ましかった。
彼女への気持ちを封印すると決めたとはいえ“最後”に誕生日プレゼントを渡したい、そんな想いが俺の内にあった。
俺はどさくさに紛れてでもプレゼントを渡せればと思い、鞄から包みを出そうとした。
すると、大島はプレゼントを差し出す男子たちに「ごめんなさい!」と頭を下げた。
「プレゼントは受け取っちゃいけないって言われているの、本当にごめんなさい!」
すまなさそうな表情で謝る大島に、唖然としさっきまでの熱気は何処かへ行ってしまったのか肩を落とし散っていく男子たち。
こうして男子生徒によるプライベートプレゼント作戦は終了を告げ、状況に乗じてと考えていた俺も出しかけた包みを鞄に戻した。
これで唯一と思っていた渡せる機会を失った俺は、男子たちに謝る大島の姿をぼんやりと見つめていた。
これで良いんだよな……裏方がプレゼントを渡そうとすること自体間違ってたんだ。
俺はそう自分に言い聞かせると思考を切り換えようと、顔を洗いに手洗い場へ行くため席を立ち教室を後にした。
そんな俺を見つめていたクラスメイトが居ることに、俺は気付くことはなかった――。
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