『恋愛禁止条例』
第37話:思いと想い:中編
新城くんは2年の1学期が始まって数日という時期に突然、私のクラスに転校してきた。
「新城 隼人です。 ○○から引っ越してきました。 東京は初めてで友達もいないので、良かったら仲良くしてください。 よろしく」
変わった時期に転校してきたこの男子を、クラスメイトは最初こそ珍しいものを見るようにしていた。
でも、頭を下げ挨拶をする彼の少し緊張気味だけど柔らかく人当たりの良さそうな人柄に、クラスの様子はそれまでとは打って変わって受け入れるような雰囲気へと変わっていた。
そんなクラスの中で、私は彼を関心無くボーッと見ていた。
勿論、アイドルだから関心ありませんなんて顔はしないけど、久しぶりに朝から登校したクラスが転校生の話題で持ちきりだったり、教室の離れた場所で“みいちゃん”と“にゃんにゃん”が“イケメンじゃないね~”といった感じで首を竦めている様子とは温度差があった。
子役の頃から芸能界にいた私。
沢山の人との出会いが、いつの間にか相手がどんな人間かを少し見るだけで私に分かるようにさせていた。
直感にも似た感覚を、私は最初こそ人を見る目があるんだと喜んでいたけど、次第にそれは自分にとって相手が有益か否かを知るためのものに変わっていた。
イケメンで“スポーツ万能”
イケメンで“成績優秀”
イケメンで“お金持ち”
そんな風に付き合う相手を不純にしか選ばなくなっていた私が、人当たりが良くても“普通”な印象しか感じられなかった新城くんに興味を持つことは当然なかった。
それに何より今の私は“アイドル”。
アイドルは恋愛禁止であり、ファンが望む清純なイメージを大事にしなければならず、子役のときのように特定の男性と付き合うどころか、関心を寄せることも許されない。
たとえ恋愛禁止ではなかったとしても、子役の頃よりも厳しい環境で生き残ってきた私たちにとって同年代は幼く、何より容姿やステータスなんか比較にならないのだから、意識なんてするはずもなかった。
言ってしまえば学校へ通っているのだって、別に学園生活を謳歌したいからじゃない。
仮に行事に出たいと思ったって、実際は仕事で殆ど参加なんてできない。
はなから高校に通うのは卒業の資格を得るためだと割りきっていた。
それにクラスメイトにニコニコとしているのだって、仲良くなりたいなんて思ってはいなくて、あくまでも好感度を高めるため。
そうでなければ、しつこくてウンザリするクラスメイトの男子たちに、笑顔や愛想なんて振りまいたりなんかしない。
そんな私生活でさえ自由にならない私にとって“普通”という印象しか持てなかった“転校生”は、他のクラスメイト同様の存在にしかならない。
そう、思っていたはずなのに……。
自己紹介で下げていた頭を上げ新城くんが見せた笑顔に、私は無関心ではいられない程の“違和感”のようなものを感じた。
『なんだろう……』
“違和感”と言っても、それが実際何なのかなんてその時は全然分からなかったけど、私の直感は確かに“何か”を訴えかけてくる。
私が違和感の正体に考えを巡らせているうち、担任の先生が挨拶を終えた新城くんに席の場所を告げていた。
「それじゃあ、新城くんの席は一番後ろの空いている席だから」
「はい。 分かりました」
先生が指を差し告げたのはいくつか空いている席の中の一つで、偶然にも私の隣の座席だった。
「「「「「!!」」」」」
私の隣だと先生が告げた途端、それまで受け入れるような雰囲気だった教室内のあちらこちらから、突き刺さるような視線が新城くんへ飛ぶ。
そんな視線に気付いてかいないか、新城くんは平然とした様子でこちらに歩いてくる。
席まで来た新城くんは、学生鞄を自分の机横のフックに掛けながら、私ではない隣の女の子に「よろしく」と挨拶を交わすと席に腰を下ろす。
「今日からよろしく」
「……え、あっ、うん。 よろしくね、新城くん」
席に着いた新城くんはこちらの方を向くと、別の女の子にしたように私にも声を掛けてくる。
特段気負った様子もなく普通に挨拶をしてきているというのに、私は彼の間近にあった瞳に言葉が上手く出てこなかった。
勿論、机を付けた隣同士なのだから、顔が近くにあるのは当然なこと。
だけど、それが理由なのではなく、それまで新城くんに感じていた不明瞭な“違和感”とは違う感情を、真っ直ぐとこちらを見る瞳の奥に見たような気がして私は戸惑いを感じていた。
『なんで、そんな表情ができるの?』
“喪失感”“孤独感”“後悔”
こんな幾つもの綯い交ぜとなった負の感情を同年代から感じたことはなかったし、何より誰にもそれを分からせないように裏腹とも言える言葉や表情を見せる新城くんの姿は、私の心を確実に捉えて離さなかった。
「……えっと、名前教えてもらえるかな?」
「……あっ、私は「級長、ホームルーム終わるから挨拶」」
意識しないと思っていたのが、嘘かのように心をわしづかまれた私は、彼から目を離せずにいた。
だから、名前を尋ねられても直ぐに反応出来ず、気付いた時には担任の先生の声に遮られていた。
完全にタイミングを失った私を余所に、先生に促された級長の号令でホームルームが終わる。
「ねぇ、新城くん――」
先生が教室を出るのが早いかフレンドリーなクラスメートたちが数人、新城くんと私を取り囲む様に集まって来て、転校生への恒例行事“質問タイム”が始まろうとしていた。
わっと押し寄せて来たクラスメイトは皆興味津々といった感じだったけど、誰一人として新城くんの内に隠れた感情に気付いている様子はなかった。
『今さら割って入れないよね……』
こうなってしまうと私がアイドルである以上、気に掛けているなんて素振りは新城くんがクラスメイトであっても不用意に見せることなんて出来る訳もなく、聞かれたことに対する返事さえ躊躇わせた。
すると、新城くんの名前を呼んだクラスメイトが、続きを言うのを遮るように別の所から声がした。
「おい、新城。 “大島”さんを知らないって
皆の視線がそちらに集まると、そこには何人かの男子たちが新城くんへ厳しい視線を向けていた。
“前住んでいた所ってどんなとこ?”
“方言ってどんな感じなんだ?”
“部活入ってた?”
てっきり、そんな質問が聞こえてくるとばかり思っていたから、明らかに新城くんを非難するような口ぶりに、私はさっきまでの自分を棚に上げ内心ムッとなった。
彼らはこのクラスにいる“AKB48ファン”で、その中でも私を“推しメン”にしている男の子たちだった。
見た目や普段の言動は普通で、私やメンバーに対してはとても気を遣ってくれたりしている。
劇場公演や握手会なんかのイベントにも来てくれていて、ファンとしてはとてもありがたい存在。
だけど、AKBのこととなると私とクラスメイトだということに優越感を感じているのか、それをひけらかしたり語り出したりと人が変わってしまう。
ファンだから無下にする訳にいかないけど、正直面倒なことにならないよう大人しくしていて欲しい存在だった。
「大島さん?」
でも、私の心配を余所に当の本人は“なんのこと?”とでも言うように、平然とした様子を彼らに向けていた。
「お前、
「そんなこと言われても……今日来たばかりだから誰が誰なのか普通分からないと思うけど?」
何を言っても彼らから返ってくるのは「知らないのか?」と逆に責め立てるような言葉ばかりで、それまで平然としていた新城くんも困った様な表情をみせる。
「いやいや、お前の隣にいるのが誰なのか知らないのかって聞いてるんだよ」
「ん? 隣?」
だけど、彼らの一人が“お前の隣”とこちらを見ながら言うものだから、釣られるように新城くんも私の方を見る。
「……あっ、そうか。 君が“大島さん”なんだね?」
私を見て言葉の意味を理解したのか、新城くんから困った様な表情が抜けていく。
純粋に疑問が解消されたように、混じりっけのない表情を見せる新城くん。
『こんな顔もできるんだ』
そんなことを思うと同時に、純粋になりきれない私は彼の様子に“ある疑問”が浮かぶ。
「うん、私、大島 優子って言うの。 宜しくね、新城くん」
「宜しくね。 大島さん」
「新城くんさ、私のこと知らない?」
「えっ……ごめん、何処かで会ったことあるのかな?」
もしかしてと思い“疑問”を投げかけてみると、新城くんからは予想していた通りの返答が返ってきた。
その答えを聞いて『どおりでAKBファンの男の子たちと会話が噛み合わない訳だ』と、私は一人納得した。
新城くんは私が“AKB48”の“大島 優子”だと知らないんだ。
ひょっとしたら、AKB48っていうアイドルグループさえ知らないのかも知れない。
「そっか……」
新城くんの返答に、私は俯き加減に返事をした。
「おい、新城! お前の隣はアイドルグループ“AKB48”のセンター“大島 優子”さんなんだぞ。 分かってんのか?」
するとファンの男の子たちがショックを受けたんだと思ったのか正体を明かすように説明した。
「アイドル? えーけーびー?」
それでも当の本人は、声だけでも分かるぐらい“?”を浮かべている。
確定。
新城くんはAKB48を知らない。
だから、私がそのメンバーで、アイドルだなんてことも知らない。
彼にとって私は単なる“クラスメート”でしかない。
アイドルグループとして連日テレビに出ない日はない程人気が出ていたから、知らない人が居ることに私は衝撃を受けた。
勿論、知らない人がいないなんて傲慢なことは思ってないけど、まさか自分の隣に座る人がそうだなんて想像もしてなかった。
それは周囲にいたクラスメートも同じようで、私を知らないというこの学校では考えも及ばない事実に教室全体が驚きに包まれ、その場がシーンと静まり返る。
聞こえなかった外の喧騒が聞こえてきて、それまでいかに教室が五月蠅かったのかを物語っていた。
さっきまで、私のことで新城くんを問い詰めていた男子たちも“口撃理由”を失い、寧ろ一方的な言いがかりを付けていただけとなり、すっかりと黙り込んでしまった。
それでも諦めが悪く自分たちが上だとマウンティングしたいのか、私の存在を知らないことを非難するような視線を新城くんに送っていた。
『……私のこと何も知らないくせに』
私は端から見れば滑稽とも言える彼らの行動に、心の内でツッコミを入れた。
きっと、彼らは“人間”としての“私”に興味なんてないと思う。
そうでなければ、新城くんを非難などする前に、私が人として何を思うのかに関心を持つはず。
でも、彼らがそれをしなかったのは、私には“アイドル”という都合の良い
“アイドル”なのだからファンの理想とするように振る舞えと、笑うこと、泣くこと、怒ること、全ての感情をコントロールされる感覚は、自分であって自分でないような気持ち悪さを感じていた。
それでも、芸能界、その先にある“女優”としての夢を捨てきれず“人間らしさ”と引き換えに、誰もが自分を知る世界を手に入れた。
だから、私は学校というプライベートが入り交じった場所でも“アイドル”という存在を演じ続け、いつしか自分を知っていることが“前提”となった世界に馴れきっていた。
ところが、新城くんの登場で、私を取り巻く環境が実は異常なこと。
同時にアイドルという存在を演じていたつもりが、いつの間にかそれに飲まれ自分自身が何者なのか見失っていたことに気付かされた。
『宜しくね。 大島さん』この
だけど、新城くんは大島 優子という“個”へ向けて言ってくれていたんだと思うと、忘れていた“人”としての気持ちが呼び起こされるのを感じた。
そして自分が“アイドル”である前に個である“大島 優子”だという大事なことを、関心などなかった転校生に気付かされたのだから、何だか可笑しくてつい笑いが漏れてしまった。
「……クスクス」
「「「「「えっ」」」」」
シーンとした教室で、アイドルとして知名度を脅かされたというのに、私が急に笑ったものだから困惑する周囲のクラスメートたち。
新城くんも、突然のことに虚を突かれたような表情を浮かべ私を見ていた。
「ごめんね、新城くん。 いきなり笑ったりして」
「いや、俺の方こそ大島さんのこと知らなくてごめん」
「ううん。 私こそ知ってもらえるように頑張らないとだね」
こっちが戯けて謝ると、新城くんの方はもっとすまなさそうにするから、私は再び微笑えんで見せた。
きっと、周囲も言われた新城くん本人も、もっと“アイドル”として有名にならなければというニュアンスで、私の言葉を捉えただろう。
勿論、アイドルとして新城くんに認知されることは“営業”として大事なことなんだろうけど、何だかそれだけでは嫌だと思う自分がいた。
それは“アイドル”という影に隠れ“個”としての自分を見失っていた私を、あっと言う間に引き出した新城くんに興味を引かれたっていう理由もある。
まぁ、彼が事実を知らなかったからこそ、私も警戒せずに済んだからではあるんだけどね。
それでも無意識な中でも私の琴線に触れたからこそ、新城くんを受け入れられたんだと自分では思っていた。
でも、自分が新城くんに興味を引かれた本当の