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『恋愛禁止条例』

第33話:納得なんてできない:渡辺 麻友編:前編

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 優子ちゃんらしい……。

 秋元先生に促され優子ちゃんが口にした新城さんへの気持ちに、私は素直にそう感じた。
何よりも、その凜とした姿、何者にも曲げられない意志を秘めた眼差しは、優子ちゃんの想いの強さを現わしていた。

 結果的に秋元先生の計らいもあって、優子ちゃんがAKBを辞めることはなかった。
でも、それで全て問題が解決した訳ではなく、みんなを纏める立場のたかみなさんは納得出来ないといった様子で優子ちゃんへと詰め寄っていた。

 その後ろには、今にも何か言い出しそうな顔をした珠理奈やみるきーの姿。
珠理奈とみるきーの表情から優子ちゃんの言葉を聞いても、なお新城さんへの想いを捨てきれなかったのが読み取れた。

 そんなやり取りと純粋な想いを目の当たりにしても、私の心の中にズルいとか、そんな嫉妬の気持ちが浮かぶことななかった。
その代わり、優子ちゃんと新城さんが並んで笑っている姿が不意に脳裏を掠める。

 お似合いなんだろうな……。
実際、そんな仲の良い光景を見たことはなかったけど、不思議と容易に想像がついてしまうのは、その位二人がお似合いのカップルだということなんだろう。
そんなことを想像している時点で、私は自分が新城さんに不釣り合いな存在なんだと改めて感じてしまう。

 いけないな……。
折角ポジティブに考えられるようにって、新城さんが色々アドバイスくれたのに。

 フルフル
私は頭を小さく振りネガティブな思考を追い出す。

「新城さん……」

 でも、私から飛び出して行ったのは、ネガティブな思考なんかじゃなくて想い人の名で、口を衝いて出たそれは虚しく宙を舞い、彼方へと消えて行く。

 そんな風に私の気持ちも消えてしまえば楽なのに……。
簡単に消せる想いじゃないことは自分が一番知っているのに、そう思わずにはいられなかった。
かと言って、珠理奈やみるきーみたいに行動が出来る訳でもない。

 何より、新城さんが優子ちゃんを選んだ今、私が彼に想いを伝えたところで、只困らせるだけなんだ。
結局、私に残された選択肢は“忘れる”以外ない。

 だから、私はこの恋を胸に秘めたまま、優子ちゃんと彼を祝福すれば良いんだと、自分を無理矢理納得させようとした。

 これでいいんだ……。

 だって、私は新城さんに掛け替えのないものを沢山貰ったんだから……。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 新城さんと私が初めて出会ったのは、Team Bの公演前の楽屋。

 公演前の楽屋はメンバーみんなのテンションが上がって騒がしい。
そんな所に、戸賀崎さんが一人の若い男性を連れ、急にやって来たかと思ったら唐突に一言。

「今度、バイトとして入った新城君だ。 仲良くしてやってくれ」

 何とも突然で大雑把な戸賀崎さんの一言に、楽屋に居たメンバーの視線が一気に集まる。
後から聞いた話だと、この時既に私たちTeam Bのメンバーを除いた関係者には紹介済みで、戸賀崎さんも何度目かのことに少し億劫だったんだと思う。

 そんな事情を知らない私たちが“?”を浮かべているのを余所に、戸賀崎さんが隣に居た“新城”と呼んだ若い男性に一言挨拶しろと言うように目配せをした。
その“新城”と呼ばれた男性は戸賀崎さんに一つ頷き返すと、一歩前に出て挨拶を始めた。

「突然、楽屋にお邪魔してすみません。 戸賀崎さんから紹介のあったバイトの“新城 隼人”です――」

 戸賀崎さんの大雑把な説明に苦笑しつつ、丁寧な補足を加えながら自己紹介をする新城さんの表情は明るい。

 優しそうな新城さんの雰囲気に、人見知りでゆきりんの後ろに隠れていた私も安堵し半歩前に出た。

 そこに丁度メンバーを見渡しながら喋っていた新城さんと不意に目が合った。

「!?」

 トクンッ
一瞬、ほんの一瞬、自分を見る新城さんの笑みが増したような気がした。
その微笑みは何処までも優しく、まるで自分をふわりと包み込んでくれているような錯覚さえ感じられ、初めての感覚に私の心臓は一つ大きく鼓動した。

『えっ、なに?』

 アイドルをしていれば公演やLive、握手会などで、異性と目が合うことは多く、普段なら私が微笑んで相手をドキリとさせる側。
だから、 自分がそんな表情を向けられるなんて想像していなかった私は、完全な不意打ちを受けビックリしてしまう。

 驚きのあまりゆきりんの後ろに隠れ、彼女の背中越しに再び新城さんを見るけど、既に視線は他のメンバーに向けられていた。
その後、再び視線が合うことはなく、挨拶を済ませた新城さんは何事もなかった様に、戸賀崎さんと共に楽屋から出て行ってしまった。

 新城さんの何事もなかったような態度に、さっきあったことは自分の見間違いだったんじゃないかと、そのまま彼の背中を見送る私。
だけど、妙に現実的リアルな感覚が忘れられず、私の胸は暫くの間ドキドキし続けていた。

 これが、私と新城さんの初めての出会い。

 何だか、いきなりドキドキさせられたけど、その後は同じ劇場に居ても働いている時間が違うせいか、顔を合わせることのないまま日々が過ぎていった。

 大きく膨らんだ風船も、何もしないままではやがて空気が抜け小さく萎み落ちてしまう。
それと同じように、時間が過ぎメンバーからも話題を聞くこともなくなる頃には、私の中でドキドキしていた感情も萎み、新城さんに対する興味も失われていた。

 それは、そのまま何事もなく消えていくものだとばかり私は思っていた。

 ところが、それから暫く経った頃。
新城さんの存在がAKB48の中、そして私の中で大きく変わることになる。

 それは新城さんが深夜の劇場を清掃するだけの仕事から、日中の仕事もするようになってからのこと。
スタッフとして仕事の飲み込みや要領も良く、任された以上の事をテキパキとこなす新城さん。
元々の人柄もあって、あっと言う間に新城さんはスタッフさんから信頼を得るようになる。
それからは劇場公演、ひいては運営になくてはならない存在となっていた。

 それはメンバーにとっても同様で、その働きぶりが話題に上がるようになる。
劇場をはじめテレビの収録、Liveなどメンバーが集まれば何処かで、新城さんの名が聞こえてくるようになっていた。

 “めちゃくちゃ働き者がいる”初めはそんな面白話のような感じだった。
だけど、実際に新城さんがスタッフとして私たちと直接仕事をするようになると、スタッフさんに続きあっと言う間にメンバーからも信頼を集めてしまう。

 ただ、その信頼とは単にスタッフとして優秀という意味でのものではなく、もっと深い部分で繋がる理由が秘められていた。

 それは“ある”エピソードが物語っていた。

 とある研究生が公演に参加するため、劇場にやって来た時のこと。
エレベーターホールを抜け廊下を、その研究生が歩いていると段ボールを抱えたスタッフさんが、通路の反対側からやって来るのが見えた。

 それを見て、相手は段ボールを抱え、どうせ自分の事など見えていないだろうと思う研究生。
とは言え、芸能界で挨拶は基本中の基本と厳しく言われていたから、仕方なくすれ違うタイミングで彼女は一言声を掛けた。

「おはようございます……」

 彼女がしたのは何かを期待してのものではなく、マナーとしての挨拶。
だから、返事だって別に期待していた訳じゃなかった。

 “期待”。
寧ろ、それを言ったら自分こそどうなのか。
これから出る公演だって本来出演する正規メンバーが急遽来られなかったから、代わりのアンダーとして呼ばれただけ。
自分こそ期待なんてされている訳じゃないし、この人だって別に私になんて興味ないはず。

 そんな風に、彼女は思っていた……。

「あ、おはようございます、森川さん」

「!?」

 でも、現実は……ううん、そのスタッフさんは違った。
挨拶を受けたスタッフさんは、抱えていた段ボールをひょいとずらし彼女の方へと顔を向けると、和やかな表情を向け返事を返してくれた。

 それは彼女“あーやん”こと“森川 彩香”を驚かせるには十分だった。

 端から見ればAKB48劇場で、スタッフとメンバーがすれ違いざまに挨拶を交わした。
ただ“それだけ”のこと。

 でも、そのスタッフさん……新城さんは彼女に“魔法”をかけた。
その魔法はとっても簡単で、彼女の“名前”を呼ぶ、ただそれだけ。

 でも、あーやんからすれば自分はまだ研究生で、名前を覚えてもらっているとは思ってなどいなかった。

「今日のアンダー楽しみにしてます」

「はい!!」

 そして、新城さんの言葉に初めこそ目を丸くして驚いていたけど、直ぐにパァッとあーやんの顔には笑顔が咲き、嬉しそうに挨拶を返していた。
アンダーで公演に出ることさえも知っていてくれている新城さんの言葉に、さっきまで暗かった気持ちは何処かへ吹き飛んでいた。

 “おはよう”。
そんな普通の言葉でも、その後にたった一言自分の名前が付くだけで、呼ばれた相手は嬉しい。
運営から推されているメンバーならいざ知らず、多くのメンバーを抱えるグループであれば名前を呼ばれないことなんて日常茶飯事のこと。
だけど、アイドルだって一人の人間。
一緒の空間に居ながら名前を覚えてもらえていないのは、そこに居ないのも同然。

 だけど、新城さんはメンバー全員の名前と顔を覚えていて、挨拶の時でも必ずメンバーの名を呼び、自分たちの存在を認めてくれる。

 そして、段ボールを抱え額に汗し忙しなくしていても、立ち止まりいつでも自分たちに優しい笑顔を向けてくれる。
悩みを抱えるメンバーがいればその大小に関わらず、本当に親身になって相談に乗ってくれる。

 そればかりか、悪いことだったり間違っていれば、たとえそれが選抜メンバーでも、スタッフさんや戸賀崎さんであっても注意や指摘をする。

 アイドルという無情な世界でも、選抜も研究生も関係なく公正に見てくれる存在。
だから、メンバーにとって新城さんはAKB48にとってなくてはならない人になっていた。

 それからは毎日と言って良い程、メンバーの間から新城さんの話題が出るようになる。

 そして、いつの間に仲良くなったのか、麻里子様は彼を“隼人”と呼んだり、珠理奈は“お兄ちゃん”と呼ぶようになっていた。
しかも、新城さんも麻里子様や珠理奈を、下の名前で呼んでいたからビックリした。

 だって、マネージャーさんだったりメンバー同士が下の名前で呼び合うのは普通だけど、スタッフさんが私たちを下の名で呼ぶことは少ない。
ましてや、プライドの高い麻里子様や、あの珠理奈なら尚更のこと。
それを許しているのは麻里子様も珠理奈も、新城さんに心を許している証なのだろう。

 新城さんはずっと前からみんなとそうだったみたいに、あっという間にメンバー、スタッフさんの中に溶け込んでいた。

 でも……。
何故か優子ちゃんだけは新城さんに対し当たりが強く、流石の新城さんも苦笑していた。

 優子ちゃんに直接理由を聞いても「別に彼のこと嫌ってなんかないよ。麻友の考え過ぎだって」と笑っていたけど、目がそれ以上聞くなと言っていた。

 後に優子ちゃんが新城さんへとった態度の理由が分かるのだけど、その時の私には思い当たる節もなく首を傾げるばかりだった。

 だって、優子ちゃんは男女関係なく大抵の人と仲良くなれ、苦手な相手でも笑顔を絶やすことなんてない。
それなのに新城さんに対する優子ちゃんの態度はあからさまで、やっぱり私はその様子が気になって仕方がなかった。

 何が優子ちゃん気に入らないの?
だって、新城さんは……あれ?

 そして、私は気付く。
何か原因なるようなことを思い当たることもない程に、私は新城さん個人的プライベートなことを何も知らなかった。

 考えて僅かに思いつくのが……。

 優子ちゃんやこじはる、みいちゃんなんかと同じ学校で、その三人とはクラスメイトとか……。

 読書が好きで、休憩時間にコーヒー片手に本を真剣な表情で読んでいるとか……。

 ……私、何にも知らないんだ。
新城さんは私たちのこと良く知ってくれているというのに、些細なことしか知らない自分が何だか薄情に思えてならない。

 もっと知りたい……。
そんな思いが私の中に芽生え、新城さんを目で追いかける自分がいた。

 それからかな公演があれば楽屋をこっそり抜け出したり、レッスン場で見かけたらストレッチをしながら横目で盗み見るようになり、新城さんの働きぶりを知ったのは。

 楽屋の片付けに始まり、それが終わればメンバーのために買い出しに走り、帰ってきたと思えば鏡や床磨き。
それ以外にもポスターの張り替えや、衣装の数や痛みのチェックなど、みんながやりたがらないような裏方中の裏方仕事をしていた。

 大変そう……。
見かける度、誰からか何か頼まれずっと働きっぱなしの新城さんの背中に、私はそう思わずにいられなかった。

 初めは興味本位から始まったことだったけど、決して誰よりも頑張っていることや大変なことを、態度はおろか表情にも出さない新城さんに、次第に私は興味以外の感情を持つようになっていた。

 だけど、それが何なのかを理解するには、私の持つパズルのピースでは足りなかった……。

 そんなある日、劇場で私がいつものように新城さんを探していると、非常階段に通じる倉庫部屋に入って行く姿を見かけた。
私は何となく気になって開けっ放しの扉から中を覗いて見る。

 普段入ることのない部屋は、段ボールが所狭しと高く積み上げられていた。
その上、段ボールが窓からの陽を遮り、部屋は薄暗く何となく怖々とした雰囲気を感じさせた。

 私は恐る恐る部屋の奥へと入っていく。
部屋は思っていたよりも広くはなく、直ぐに新城さんの背中を見つけることができた。

『何してるんだろ……暗くてよく見えないや』

 暗い上に背中越しとあって、新城さんが何をしているのか分からず、私は心の中で不満を溢した。
すると、そんな気持ちが通じたみたいに新城さんが振り返る。

 暗がりの中、手にしていたボードか何かに書き込みながら振り返った新城さんは、当然ながら後ろにいた私の存在に気付く。

「ん?……あっ、渡辺さん? どうかしましたか?」

 最初こそ、暗がりで誰なのか判別がつかず目を細めていたけど、私だと分かるといつもの笑顔になる。

「えっ!? あっ、な、何でもないです!!」

 一方の私は振り返った新城さんに驚き、慌てて誤魔化す様に手の平を振った。

 無意識の内に近づき過ぎてしまったこと、後ろでコソコソしていたのを気付かれたことに、私は内心恥ずかしさのあまり小さなパニックを起こしていた。

 穴が開いていたら入りたい、そう思うくらい恥ずかしくて私は思わず後ずさる。

 ところが、後ろを見ることなく後ずさった私の体が、高く積まれた段ボールの一つに触れてしまう。

ガタッ、バタバタバタッ

 所狭しと積まれた段ボールのタワーは不安定で、当然接触すればバランスは崩れ一番上にあった段ボールが私目掛け落ちて来る。

「きゃっ!」

「あぶない!!」

 私は迫ってくる段ボールに為す術もなく、目を背け悲鳴を上げることしか出来なかった。

 暗闇に支配された世界に新城さんの叫び声が聞こえ、その直後誰かに覆い被さられるように弾かれ、私は床へと押し倒された。

 押し倒されお尻に衝撃と軽い痛みが走った瞬間、それまで私が居た場所でグシャリと重い物が落ちる鈍い音がした。

 ビクッ
その重く鈍い音が落ちてきた箱のものだと思うと体が強ばる。

「大丈夫ですか、渡辺さん?」

 すると、強ばったままいる私のことを気遣う声が耳に届く。

 その声に、自然と強ばっていた体から力と、私の心を支配していた恐怖が一緒に抜けていく。

 私はゆっくりと瞼を開き声の主を見た。

 最初に目に飛び込んできたのは、見覚えのあるパーカー。

 見覚えがあるのは、それを着た“彼”の姿を視線の先に追い続けていたからに他ならない。

 そして、彼なら私がこうやって何も言わないでいたら、きっと心配して声を掛けてくれることも知っている。

「大丈夫でしたか?」

 ほらね。

 そう、ここまではいつも彼を見てきた私にとって想定内のこと。
だから何となく分かってしまう。

 顔を上げたら、彼……新城さんが私を心配そうに見つめているだろうことも。

 そう思いながら、私が見上げると……。

 やっぱり、そこには新城さんの心配そうに私を見つめる顔があった。

 ……そう、目の前に。

「!?」

 今更ながら、私はその距離の近さに自分の置かれている状況を理解する。

 腰に手を回され抱き竦められたようになっている自分の状況を。

 助けるために寸での所で私を抱き留めた新城さんの手。

 それはそのまま倒れる事のないよう支え、私を守ってくれた。

 決して大きくはないけれど力強く温かいその手に、私は“守られている”そんな気持ちにさせられた。

 それまで、何処か新城さんが私の知る男性像とは違っていたから意識するなんてなかった。

 でも、その手は新城さんが“男の人”なのだということを私に改めて教えた。

 足りなかった“男”というピースがパズルを埋め、私が新城さんへ感じていた謎の感情の正体教えた。

 “好き”。
その感情に気付いた途端、私の顔はきっと真っ赤だろうと分かるくらい熱くなり、自分を見据える新城さんの瞳のせいで鼓動が加速度的に増えていく。

 やびゃっ!!
そればかりか、二人の体勢が憧れの漫画やアニメで見る主人公とヒロインみたいなシチュエーションだと思うと、私のテンションはどうしようもないくらい上がった。

 だけど、それはあくまでも誌面や画面越しに見ていた世界での話。

 今まで男性とこんな風に近づくことも触れる事もなかった私が、実際その身で新城さんの手に触れたのだから、否が応でも今の状況が漫画でもアニメでもない三次元リアルなのだと気付かされる。

 ……は、恥ずかしい。
それどころか自分の恋心に気付いた途端、自分にとって“初恋”となる男性ひととキスが出来てしまう距離で抱かれているとなれば、私の乏しい経験ではパニックになるしかなかった。

 そして、そのパニック状態に耐えきれず、私は突飛な行動をとってしまう。

ドンッ!!

「えっ? 渡辺さ――」

 私は新城さんを突き飛ばすと、呆気にとられ驚く彼の声も無視するように、これでもかというダッシュでその場から逃げ出していた。

 無我夢中で走る私。

ガチャッ!! バタンッ!!!

 気付いたら目の前にあるドアを開け、入ると後ろ手で勢いよく閉めていた。

「はぁ~~~~~~~~~っ」

 ドアにもたれながら、私は盛大な溜息を吐く。

 真っ赤にそれもきっと変顔になっていただろう顔を新城さんに見られたと思うと、私は恥ずかしさのあまり顔を手で覆い現実逃避する。
だけど、現実から逃避した暗闇の中、さっき新城さんとあったことが思い浮かび、再び頬に熱を帯びていくのを感じる。

 やびゃあ
それまでの恥ずかしさなど何処へやら。
再び脳内は憧れのアニメのヒロインになった気分になり、高まる気持ちを抑えられずいやんいやんと左右に顔を振る私。
普段なら恥ずかしくてこんな姿見せられないけど、誰も居ないと思っていた私は身体をくねらせながら思う存分妄想を膨らませていた。

「……ゆゆ……たんだろうね……」

『!?』

 ところが、誰も居ないはずの部屋の片隅から微かに誰かの声が耳に入り、安心しきっていた私は思わず身体を強ばらせた。

「……悶えてない?」

「あっ、今度は固まってる」

「なにしてんねん、麻友は?」

「ホンマですね。 どないしたんやろ。 まゆゆさん……」

 そんな私の様子を見てか次第にその声は数を増し、ヒソヒソだった声もハッキリと聞こえてくるようになり思わず顔を上げた。

 顔を上げるとそこは楽屋で、Team Bメンバーは各々自由な時間を過ごしていただろう格好のまま驚いたような表情で私を見ていた。
その視線があまりに変なものを見るような目なので、私の恥ずかしさはMAXを超え耳まで熱くなるのを感じた。

「まぁ~た麻友のことだから妄想でもしてたんでしょ! ホントしょうがないんだから……ほら、みんなもいつものことだから気にしない気にしない」

 すると、それまで何処にいたのか気付かなかったゆきりんが、メンバーと私の間に割ってくるように現れた。
「はい、かいさーん」と言いながらメンバーの視線を散らしていくゆきりん。

 そんなゆきりんの一言に“ゆったん”こと増田 有華ちゃんが「なんやー、いつものか」と言うと、みんなも妙に納得したようにいつもの楽屋の風景に戻っていく。

 “いつも妄想している”と思われていたことに少なからずショックを受けつつ、とりあえず視線から逃れられたこと、何より深く詮索されることもなくなったので胸を撫で下ろした。

「ゆきりん、ありがとう」

「もぉ、麻友! いきなり楽屋に戻ってきたと思ったら、あんなことするから驚いたんだからね」

 私はそれまで凭れていた楽屋のドアから離れると、まだこちらに視線を残したメンバーに散れと言うように手でシッシとやっているゆきりんの背中にお礼を言う。
振り返ったゆきりんにお小言をもらうけど、いつものオーバーリアクション気味な様子に私はどうしてもクスリとしてしまう。

 それを見て「あー、反省してないな」と片頬をプクリと膨らませ腰に手をあてがい“怒ったぞ”のポーズをするゆきりんに、私は笑みを増しながら「反省してるよ~」と表情とは裏腹な言葉を言いつつ抱き付く。

 そんな私を「もう、麻友は……」と呆れ気味に、それでいて優しく抱き留め一緒に笑ってくれるゆきりん。
それが心地良くて、私はさっきあったことなど忘れ抱き付いていた。

 私がこんな風に甘えるのはゆきりんに対してだけ。
オーバーリアクションで弄られキャラの3つ年上のこの女性(ひと)は、いつだってお母さんのように私を包んでくれる。
だから、いつも私は母にするように甘え、無防備な自分を晒してしまう。

 そして、ゆきりんが“母”なら私は“娘”。
父ならいざ知らず、娘の些細な変化もお見通しなのが母親。

「ねぇ、麻友……」

『!?』

 そのまま抱き合っていると、ゆきりんが私に話しかけてくる。
その声色は先程までと違い少し低く、その声に私は内心焦りを感じた。

 何故かって?
だって、こういう時のゆきりんは決まって意地悪なのだ。

 ゆきりんは普段、私がリアクションがオーバーなことを弄ることに対し、表面上気にしている素振りを見せない。
でも、実は虎視眈々と反撃の機会を窺っている節があり、今みたいな少し低い声を出したときは大抵何か見つけ、ブラックな笑みを浮かべている時なのだ。
とは言っても、決して酷いことをされたりはしないのだけど、精神を揺さぶるような言葉が待っていると思うと、一刻も早くこの場から逃げ出したくなる。

 私はこの後起こるであろう災難から逃れるため、ゆきりんの背中に回していた手を解くと離れようとした。

「ん!?」

 でも、その願いは残念ながら叶うことはなかった。
ゆきりんが背中に回した手を強力にホールドしていて、私は離れることができなかったのだ。

「何処に行こうとしているのかな、麻友ちゃんは?」

 その代わり、先程と変わらぬゆきりんの少し低めの声が聞こえる。
それは獲物を狙う獣のようなものを含んでいて、私はその標的の動物にでもなった気分になる。

「えっと……そろそろ、衣装に着替えないとかなって……」

「そうだね。 背中汚れてるから早く着替えないとね。 でも、その前に……どうして汚しちゃったのか聞きたいな~?」

『!?』

 そこまで言われ、初めて私は自分の背中が汚れていることを知る。
たぶん、倉庫で倒れたときに付いてしまったものだろう。

 普通、背中が汚れてなどいたら心配してくれそうなものだけど、ゆきりんはメンバーの中で唯一私が新城さんに興味を持っていることを知っている。
だから、楽屋を出た理由も知っていて、戻ってきたときの私の様子で何かあったことを感じとったようだった。

 す、鋭いんだから……。

「べ、別にな“トントン”……」

 私はゆきりんの勘の良さに心の中で悪態を吐きながら、追及から逃れようと言い訳を口にしようとした。
でも、こういうときは悪いことが続くのか、最高のタイミングで楽屋の扉がノックされ「失礼します」と聞き慣れた声がし、最悪のタイミングで新城さんが楽屋に現れた。

「あの、渡辺さんいらっしゃい……あっ、渡辺さん、さっきはすみません。 何処か怪我されてませんか?」

 今の状況など知らない新城さんは、さっきあった私との事を気にしてか律儀に楽屋を訪れてくれたみたい。
だから、私がゆきりんの胸の中にいるのを見つけ、怪我しているんじゃないかと心配し声を掛けてくれたのだ。
背中を向け表情が見えない状態でも、声色だけで心から心配してくれているのが分かり、内心とても私は嬉しかった。

 でも、今はタイミング悪過ぎます新城さん!

 口にだせない叫びを心の中で呟きながらも、ガシッとロックされたゆきりんの胸の中でどうすることも出来ず、私はあたふたするばかりだった。

 なんせ、新城さんの私への問いは、さっき何かありましたと言っている様なもの。
今のゆきりんが見逃すはずなんてなくて、きっとそれをネタに今以上にからかわれるに決まっている、と心の中で悟りにも似た考えをしていた。

「麻友は何ともないから……ねぇ、新城君。 ちょっといいかな」

「良かった。 何ともなかったんですね……はい、何でしょう?」

 ところが、ゆきりんは突然、私を解放すると新城さんを連れ、楽屋を出て行ってしまう。

 出て行くときのゆきりんの顔が、何時になく真剣なのを見た私は何も言えず、唯々部屋を出て行く二人の後ろ姿見送っていた。

 二人の様子が気にならないと言ったら嘘。
でも、何となく倉庫で新城さんを押し退けたことに気が引けてしまった私は、そのまま扉を見つめていた。

ガチャッ

 それから暫くして扉が開くと、ゆきりんが戻ってきた。
だけど、そこには新城さんの姿はなく、代わりに何故かゆきりんがニコニコしていた。

 その笑みに意味深なものを感じた私は、踵を返しなるべく彼女と目を合わせないように、他のメンバーのいる楽屋の奥へと逃げようとした。

「ねぇ、麻友……」

 でも、私の願いは虚しく肩に置かれたゆきりんの手によって阻止され、耳元で囁かれた言葉に私の耳はこれでもかという程に真っ赤になった。

 “押し倒されちゃったんだって?キスするチャンスだったのにね”その言葉に思わずゆきりんの顔を見ると、そこには私の知る中で一番ブラックな笑みがあった。

………………

…………

……

「また、お話できなかったの? そんなんじゃ他の娘に盗られちゃうよ~」

 それからというもの、私はゆきりんに新城さんとのことをネタに、散々からかわれる羽目になっていた。

 だけど、私は反論も否定もせず、いつも耳を真っ赤にし俯くことしか出来ないでいる。
だって、私が新城さんを好きになったのは本当だから……。

「麻友はさ、可愛いんだから、ガッと行っちゃえば新城君だって落ちるって」

 それに、ゆきりんが私に色々言ってくる理由も分っている・・・。

 何かと考え過ぎて、何もしないまま終わってしまうのがいつもの私。
それでもAKB48に入りたいとオーディションを受けたときは違っていた。
一度落ちても、入りたいと思う気持ちは本物で、あの時母に反対されても最後まで自分の意志を貫いたから私は今ここにいる。

 きっと、ゆきりんはその時のようになって欲しいと発破をかけてくれているんだ。

 わかってる、わかってるけど……。
新城さんと目が合う度、心臓が想いの強さを表しているみたいにドキドキして、勇気を保てないまま逃げ出していた。

 そんな事ばかりしているうち、どんどん話すチャンスもなくなって気まずくなっていた。

 変な娘って思われてないかな……。
前髪を気にするみたいに、私は新城さんにどう見られているか気になって、結局遠くから見ているしか出来なかった。

 だから、夏休みが終わり久しぶりに訪れた楽屋の光景は、私を驚かせるには充分だった――。


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