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『恋愛禁止条例』

第32話:納得なんてできない:渡辺 美優紀編

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 あかん、勝てる気がしない……。

 それは優子さんがみんなの前で“彼”への想いをゆうたとき、私が最初に思ったことやった。

 あんな淀みない言葉で語られたら、自分の明け透けな考えが恥ずかしくて仕方がなかった。

 だって、私は今までアイドルを辞めてまで、一人の男の子と付き合いたいなんて思えへんかった。
寧ろ、バレへんよう隠れて付き合えばえぇやんって思ってたから、ウチどんだけ中途半端なんって自分に一人ツッコミを入れていた。

 まぁ、私は周りから“釣り師”とか“わるきー”とか言われるくらいの女やもん。
そんくらいしてても誰も驚かんやろ?

 でもな……。
そんな私でも彼のことだけは“みるきー”でも“釣り師”とか“わるきー”でもなく“渡辺 美優紀”として、他の男の子とはちごうた目で見とったんよ。

「シンちゃん……」

 誰に聞かせるでもなく、私は想い人を思い出しながらその名を呟いた。
言葉は誰の耳に届くこともなく何処か遠くへ消え、彼の笑顔とキュッと胸を締め付ける感覚だけが残った。
不快ではない、寧ろ心地よいとさえ思える感覚は、やっぱり私が“シンちゃん”を好きなんだからやと思う。

 最初はAKB48劇場のスタッフさんに、えらく若くて真面目な男の子が入って来たんやなって位の印象やった。

 だって、始めの頃のシンちゃんのお仕事って、夜遅う来ては劇場の清掃して帰るだけやったみたいで、顔を合わすことなんて殆どなかった。
会っても笑顔こそ向けてくれるんやけど、何処かメンバーとの壁を作っているような気がしていた。
現に他のメンバーも同じ印象やったらしく、この時のシンちゃんが話題に上ることなんて皆無やった。

 それでも何故か、篠田さんはシンちゃんのことを何かと気に掛けていたみたいやし、優子さんは逆にメッチャ嫌っているようやった。
だから、変にシンちゃんへ絡んで選抜メンバーさんたちに嫌われたくなかった私は、だんまりを決め近寄らんようにしていた。

 まぁホンマのとこは、シンちゃんが特別イケメンでもないし、凄いお洒落でもない、えらく普通やったから私が興味を持てへんかっただけなんやけどね。

 だけど、人生って分からんもんで、暫くして何が切っ掛けなんかは知らんのやけど、昼間からのお仕事もするようになってからは、シンちゃんの様子が大きく変わった。
何事にも積極的に関わるようになったかと思うたら、劇場公演のための裏方仕事だけやのうてメンバーの身の回りの世話や、普通一人ではしないやろってぐらいの仕事量を率先してやるようになった。

 それでも新人さんやから失敗を沢山してスタッフさんからメッチャ怒られることもあり、私も実際怒られてるんとこ何回か見かけたことがあった。
普通やったら言い訳とかするんやろうけど、弁解はおろか愚痴や不満一つ零さんとシンちゃんは頑張り続けていた。

 次第に仕事も出来るようになり、スタッフさんたちにもその頑張りが届いたんやろうね。
何時しかシンちゃんは“隼人”と呼ばれ、まるで“息子”や“弟”のように可愛がられるようになっていた。

 変化はスタッフさんたちとの関係に留まらず、メンバーとの関係にも現れてくる。
それまでは話題に上ることさえなかったシンちゃんの名を、メンバーの誰もが口にするようになった。

 切っ掛けは、メンバーの身の回りの世話をするようになり、みんなと接する機会が増えたからなんやと思うねん。
でも、一番の理由は仕事で忙しそうにしているシンちゃんへ、私たちがどんな些細なお願いをしても、嫌な顔を見せるどころか笑顔と真摯な応対をしてくれるところなんやと思う。

 人間って忙しいときほど本来の姿がでてくるもんやけど、いつも変わらんと笑顔を向け気さくに接してくれるから、メンバーも次第に打ち解けいった。
何より年齢や入った時期、運営推しとか関係なくメンバー全員を平等に扱ってくれるから、誰もがシンちゃんに信頼を寄せスタッフとしてなくてはならない存在になっていった。

 まぁ、それでも若干名……優子さんだけは不愉快そうな顔をしたまんまやってんけど、そんときはシンちゃんとは馬が合わん相手なんやなって思った位やった。

 次第に彼を中心にメンバーの輪ができるようになり、みんなと一緒に笑うシンちゃんの姿に、私は初めて“興味程度”やけど関心を持ったのを憶えている。

 なんで劇場でバイトしてるんやろ……?
最初に浮かんだのは、何となく気になった程度のとりとめもない疑問。

 どんな男の子なんやろ……?

 彼女さん居るんかな……?

 ……。

 それから彼と接する度、それまで気にも留めへんかったことが気になりだし、優子さんの視線を窺いながら少しずつ少しずつ仲良くなろうと、私から話し掛けるようにした。
いつしかメンバーの中には“お兄ちゃん”と呼ぶ娘もおる程人気者になっていて、私も彼を“シンちゃん”と呼べる位には仲良うなった。

 因みに私は普段は男の子を下の名前で呼ぶんやけど、篠田さんを除き周囲は殆ど“新城さん(くん)”やった。
やから、あんまり目立って角が立ってもと思うた私は『“シン”ジョウ ハヤト』=“シンちゃん”と呼ぶようにした。

 やけど、私が出来たんはそこまでで、シンちゃんを囲む輪の中に入れへんかったし、聞きたいことも聞けへんで他愛もない会話をするだけの関係のままやった。
いつもやったら“釣り師”って言われている私やから、その輪の中に自然と入って行ってるんやろうけど、この時の私にはそれが出来ひんかった。

 “みるきー”“わるきー”。
ファンのみならず周囲のメンバー、スタッフさんも含め、多くの人が私をそう呼ぶ。
それは所謂それぞれの個性キャラクターであってアイドルに求められる資質の一つ。
私にとって、それが“みるきー”と“わるきー”やっただけのこと。
やから“釣ってる”とか言われることや、そう言ったキャラを求められ、自分がその期待に応え演じることに苦痛を感じたことはないねん。

 けどな……。
段々と、自分“渡辺 美優紀”がホンマはどんなんなんか分らなくなっていた。
表が“みるきー”なんやったら裏は“わるきー”。
どっちも私やのに、みんなが見たいんはそっちやの?

 “渡辺 美優紀”じゃあかんの?
そんな思いがあって、私はメンバーの輪の中で笑うシンちゃんを、一歩引いて眺めることしかできひんかった。

 自分の中のモヤモヤとしたものが解決せんまま、いつの間にか夏が過ぎ去ろうとしていた。

 だけどな、人生ってホンマわからん。
あの夏の夜、AKB48劇場での出来事が私の全てを変えたんやと思う。
その夜、ママから貰ったピアスの片方を無くし困っとった私は、AKB48劇場ステージを一人で掃除するシンちゃんを偶然見つけた。

 最初は単なる掃除風景にしか見えていなかったんやけど、何度もステージの床と客席を行ったり来たりする姿が不思議で、バレへんようにソロソロと近づいていった。
近づいた私が見たんはバミリを貼り直しているところやった。

 狭く暗いステージの上で、唯一の道標ならぬ立ち位置を教えてくれる大事な目印となるテープ、それがバミリ。

 私たちにとっては大事なバミリやけど、スタッフさんにとってはただのテープ。
それを貼り直すために何度も何度もステージと客席を行ったり来たりする背中に、私は思わず後ろから声を掛けていた。

 でも、何で声を掛けたんやろ……。
そのときシンちゃんには戯けてもっともらしいこと言ったけど、何で声を掛けたんか自分でも理由が分らへんかった。

 こんときはまだ、自分のことが解決せんとモヤモヤとしたまんまやったのに、頭で考えるよりも早く声を掛けた自分自身に驚いた。

 ただ、ピアス探しをシンちゃんにお願いし快く引き受けてくれたとき、彼が見せた笑顔に私の心がざわついたんだけは理解出来た。

 それから楽屋で一緒にピアスを探しながら、私はさっき感じた心のざわつき誤魔化すように、みんなが居るときは聞けへんかった色々な疑問をぶつける。

 シンちゃんは相変わらず一つ一つ丁寧に答えてくれるから質問責めにしてしまったり、途中見舞われたアクシデントと相まって、私はすっかりと本来の目的も忘れ舞い上がっていた。

 だから“家族”について私が聞いたとき、シンちゃんの見せた苦笑いの意味に気づけへんかった。
今思えば、私の不用意な言葉がシンちゃんを傷付けていたんかもしれへんのやから心が痛む。
同時に、そこに気づけへんような女やから、今彼の隣に居られへんのやと自答した。

 やけど、そんときの私はそんなこと思うこともなく、もっとお話したくてピアスのお礼だって言うて、シンちゃんを強引に食事へと誘っていた。

 シンちゃんは嫌なんて言わんかったけど、それやってきっと私に気をつこうてくれたんやって、今なら分かる。

 でもな……。
あんとき、無理にでもシンちゃんをご飯に誘って良かったと思うてんねん。
だって、そこでシンちゃんが言うた言葉が、私を悩みから救ってくれたんやもん。

『たとえ他の人からは釣っていると言われたとしても、それで笑顔になる人がいるのなら、それは誇れることだし何よりも渡辺さんの大事な魅力だからなくさないで欲しいです……』

 その言葉を聞いたとき、自分の中でつかえていたものがスッと落ちた。

 いつの間にか、私は“みるきー”や“わるきー”を、自分ではない他人のような存在にしてしまっていたんやと思う、こんなんが私な訳がないってね。

 現に人によっては私のことをあざといと嫌う人もおって、みんなに笑っていて欲しくてやっていたことやのに、知らんうち自分でも心の何処かで恥ずかしいことをしているんやって後ろめたい気持ちになっていた。

 きっと、そんな状況に押し潰されるようにひしゃげていくん私の心を、真っ直ぐな瞳をしたシンちゃんに見られるんが恐くて、輪の中に入らへんかったのかも知れない。
それでも“渡辺 美優紀”はここに居るんやって、心の何処かで気づいて欲しくて無意識にシンちゃんに声を掛けたんやと思う。

 だから、シンちゃんが私のことを嫌う人たちと同じ反応するどころか、それを誇ってもええ“渡辺 美優紀”の魅力なんだと言うてくれたんは“自分が誰かの役に立っている”そう言われているようで嬉しかった。

 そして、何より嬉しかったんは……。

『笑顔で居続けることって大変だし立ち止まって休みたい日もあると思うんです。 そんなときは俺たちスタッフを頼ってください。 俺たちはそのためにいると思うし、年上ばかりで言いづらいことがあるかもしれないですけど、俺でもいいので何でも言ってください』

 誰にも届いていないと思っていた心の声が、シンちゃんには届いていたこと。
“素”の“渡辺 美優紀”の存在を、誰よりも見てくれていたシンちゃんに私は自然と涙が零れた。

 私はシンちゃんの言葉に救われ、そして……彼に恋をした。

 涙が瞳から溢れる度、心もそれに連動するようにシンちゃんへの想いが溢れる。
その思いは他の男の子に求めるようなチヤホヤされたいとかそんな浮かれたものやなく、ただ……ただ私の隣に居って欲しい、それだけやった。

 それからの私はことある毎に、自分をアピールするため“釣り”の練習と称してはシンちゃんを誘惑した。

 他の男の子に求めているものとは違うんやなかったのかって?

 勿論、気持ちが変わった訳やない。
それにな、こんなことしたってシンちゃんの気持ちを掴めへんのは分ってるんよ。

 ただ、私たちのアイドルの前には“恋愛禁止条例”があって、メンバーの誰もがシンちゃんへの気持ちを表に出さんと我慢しとるんが見えていた。
だから、来るべき時のため私はシンちゃんの記憶の中に少しでも“渡辺 美優紀”を刻み込もうと、自分らしいやり方でアピールしたんよ。

 時には、自分自身でも恥ずかしくて顔を紅くしながらしたこともあった。
そうでもせんとシンちゃんを好きなメンバーは選抜さん含め沢山おる中で、私なんて埋もれてしまうんは目に見えっとったから。

 それでも、本気で“釣る”気概でおったから、昨日までは上手くいってると思っとった……。

 なのに……。
昨日まで空席やったシンちゃんの隣に、今日になったら優子さんが居った。
よりによって、シンちゃんと馬が合わへんと思っとった優子さんが居ったからショックは大きかった。

「暫く事務所探しで休業となるだろうが、AKBに籍を置くことに変更はない……話は以上だ」

 そして、優子さんとシンちゃんの交際を認める秋元先生の言葉は、正に私にとって“死の宣告”やった。

 事の成り行きをAKB48劇場の客席で見ていた私の身体から、思わずフッと力が抜けていくんが分った。

「優子さんなら仕方ないな……」

 そんな私に追い打ちをするかのように、隣に座っていたさや姉の言葉が胸に突き刺さる。

 私がシンちゃんを好きなのを知ってるはずやのに、顔色一つ変えんと冷静に言うチームメイトに「どっちの味方やの……」と言ったものの、自分でも強く否定することが出来ひんで尻すぼみしていた。

 確かに、さや姉の言うように、優子さんなんかに勝てへんよ。
総選挙でもシングルでも前田さんと1位センターを争うAKBさんのエースに、私なんかが勝てる訳ないのは自分でも分ってんねん。

 けどな……。
シンちゃんの表情が脳裏を掠める。

 笑った顔……。

 仕事をしている時の真剣な顔……。

 恥ずかしそうに真っ赤になっている顔……。

 シンちゃんの顔が浮かぶ度、他の男の子には感じたことのない気持ちが胸に湧く。

「……ありがとうございます……」

 目の前では優子さんが、立ち去ろうとしていた秋元先生に頭を下げていた。
シンちゃんとの交際を名実ともに認められ、優子さんが涙しながら、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 ギュッ。
それまで放心状態やった私の手に力が入る。
確かに優子さんには勝たれへんけど……それでも自分の気持ちに嘘は吐けんかった。

「ちょっ、みるきー、何処行くねん!? 」

「シンちゃんのことだけは本気やねん!!」

 急に立ち上がった私をさや姉が血相を変えて止めようとしたけど、このまま中途半端な気持ちのまんま終わりとうなくて私は優子さんの元へと向かった――。


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