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『恋愛禁止条例』

第28話:恋愛禁止条例

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―優子side―

「私から“もう一つ話”がある……」

 秋元先生の言葉に、今度こそ自分への“審判”が降されるのだと直感で感じた。
“女の勘”というのだろうけど、こういうときに限って当たるから厄介だ。

「改めて“恋愛禁止条例”について話そうと思う……」

 やっぱり……。
秋元先生から出たのは予想通りで覚悟もしていたはずの言葉。
それでも秋元先生と目を合わせることが出来そうになくて、私は膝に埋めた顔を上げられないまま掴んでいた服の裾をより強く握った。

ザワザワ……

 一方で事情を知らないメンバーからは大きな響めきが上がる。
それは、そうかもしれない。
アイドルにとって最も禁止事項タブーなことについて、プロデューサー自ら話そうとしているんだから。

「この中には将来、女優を目指している者が多いと思う……突然だが、女優とアイドルの違いとは何だ?……前田」

「……」

 問いかけられた当のあっちゃんの声は聞こえなかったけど、真剣に考え込んでいるだろうと私には思えた。
それは“女優”という夢を抱くあっちゃんからすれば真剣に答えるべき問いで、同じ“女優”を目指す私もこんな状況なのに彼女がどう考えているのか気になり聞き耳を立てた。

「……役柄のイメージに自分を近付けつつ自分らしさ加えるのが女優で……自身の持つ個性をキャラクターとして活かせるのがアイドルだと思います……」

「そうか。 では、前田が言うようにアイドルは自身のキャラクターが重要だとして、ファンが“前田 敦子”に持っているイメージと自分自身が思う“前田 敦子”は同じか?」

「……違うと思います」

「前田たちが道端でチケットを配っているときから知っているファンも居るはずなのに、何故そんなことが起きる?」

「それは……想像でと言うか……」

「ファンは“前田 敦子”はこんな人間なんだと勝手に妄想し押しつけるか?」

「……」

 あっちゃんは無言で、明言は避けたけど肯定なのだろう。
でも、それはあっちゃんに限らず、アイドルをしている娘なら誰しも一度は感じたことがあるんじゃないのかな……。

 ファンの人たちの中には理想のアイドル像があって、あたかもそれが私たちの普段の姿かのように思っている人がいる。
そういう人たちの中で私たちは、恋愛は疎か男性の友達さえいない純粋無垢な娘ということになっているのかもしれない。
でも、現実はそうじゃない……。
私たちだって学校に通えば男友達だって出来るし、異性を好きになることだってある。
そして手を繋ぎキスしたり……私たちだってアイドルである前に普通の女の子なんだ。

 だけど……それがまるで許されないことだと言うように事件が起き、新城君が私の身代わりとなって刺されてしまった……。
どうして、そんなにアイドルは純粋じゃないといけないの?
私はいつの間にか理不尽な理由で起きた事件のことを思い出していた。

「前田、それに皆は、常にアイドルでいることを強要されているようで“理不尽”さを感じているかもしれないが、それがアイドルというものだ。 ファンは劇場での公演やコンサート、そして握手会にアイドルと“恋愛”をしに足を運んでいる。 前田、それは分かるな?」

「えっ、あっ、はい……」

 声だけでも分かるほど、あっちゃんは動揺していた。
それはAKBに入り何かある度に言われ続けてきたことで、あっちゃんも私たちも何十回、何百回と聞かされてきた言葉だったからだ。
何でこんな沢山メンバーがいる中で、この話題を自分に秋元先生が振るのかと戸惑ってるんだろうな。
だって、あっちゃんも私たちも、その後に秋元先生が“アイドルもファンと疑似恋愛をしなければならない”と続けるのを知っているから。

 でも、次に秋元先生が口にした言葉は、私たちが思っていたものと違っていた。

「では、女優に対してはどうだ? ファンは女優に対し恋愛するのだろうか、どうだ前田?」

「えっ……それは……」

 予想とは違う言葉に戸惑うあっちゃん。
それはそうだろう。
私だって今問われたら何て答えれば良いのか分からない。
一体何を言いたいんですか秋元先生?

「答えは……“NO”だ。例え女優に恋をしたとしても、彼女たちが微笑む先に自分が居ないことをファンは知っている。 だから、彼女たちが演じる役の相手たる俳優に感情移入することはあっても、それは決して恋ではない。 だが、アイドルは違う。 劇場公演、コンサート、握手会、その至る所でファンは恋する相手メンバーに迎えられ、見つめ合い、触れあいながら恋をしていく。 女優のようにモニター越しではなく、そこに血の通った相手が居るからこそ、ファンは皆を全身全霊をかけ応援し続ける。 だからこそ、そんなファンの“想い”を真正面から受け止めるため、私はアイドルにはファンと疑似恋愛をしろと言ってきた。 それが例え偶像を求められているとしてもだ……そして、今の話を踏まえ皆にもう一度考えてもらいたい。 皆にとって数万分の1の相手かも知れないが、ファンからすれば唯一の存在。 自分がファンの立場だったとしたら、相手メンバーに異性の存在があったらどう思う? ついさっきまで、自分ファンが一番と言い微笑み手を握っていたアイドルが、終わった途端他の知りもしない者に、その笑顔を独占されていることに我慢できるか? 週刊誌にキスする写真が載っているのを見たいと思うか?」

 確かにそうだ……。
私は秋元先生の言葉にハッとなり顔を上げた。
逆の立場だったらなんて考えたこともなかった。
でも、私は以前の総選挙で『票数というのは皆さんの愛です』とファンの人へ向け言ったことがある。
そう言っておきながら裏で男と一緒に居たとしたら、ファンの人は誰も私の言葉を本心だなんて思ってくれないだろう。
私たちはパーソナリティとキャラクターが渾然一体となっているからこその存在なんだ。

 誰もが秋元先生の言っていることを納得したように、反論するメンバーはいなかった。

「だが、君たちは若い。 恋愛であったり羽目を外したいと思う者が多く居た。 その者の多くが活動辞退になり、このAKBグループを去った……だが、一つだけ言っておく。 恋愛自体を禁止にした事実はない」

『えっ!?』

 今さっき恋愛禁止の理由に納得したばかりだというのに、直ぐさまそれを否定するような言葉が秋元先生から飛び出し一同騒然となる。

ザワザワ……

「ちょっ、ちょっと待ってください秋元先生!! じゃあ何で辞めさせられなければならなかったんですか?」

 メンバーから大きな響めきが上がり、普段からこう言ったことに厳しいたかみなが当然の如く質問する。
その語気は荒く全然納得できないとばかりに立ち上がる。

「高橋、そう興奮するな……私が以前“恋愛”について言ったことを憶えているか?」

 秋元先生の言葉に、まるでその場に居るメンバー全員で思い出そうとするかのように、部屋全体が沈黙に包まれる。

「……あっ!」

 そんな中、私の隣でみんなと同じように考えていた麻里子が声を上げた。
その声に弾かれるかのようにみんな麻里子を注目する。

 声を上げてしまったことが恥ずかしく、そのせいで視線が一斉に集まったことに、どうしたものかと視線を彷徨わせる麻里子に秋元先生が助け船を出す。

「篠田は私の言った言葉を覚えていたようだな」

「はい……」

「私は何と言っていた?」

「……“本気でアイドルを目指す者は、恋愛をすることの意味をよく考えなさい”と……その時は恋愛自体を否定しているんだと思ってましたけど、違ったんですか?」

「では、仮に篠田に恋人が居るとして、その男性と何をする?」

「えっ……とりあえず一緒に出掛けたり、食事したりとか……」

「2人でもっと一緒に居たいとは思わないか?」

「恋人ですし、それは勿論……あっ……」

「そうだ。 夜を共にすることもあるだろう。 それに思い出にとプリクラや写真を撮ることもあるだろう。 二十歳を過ぎている者であれば合コンなどのお酒の席での飲酒や喫煙だって法律的に問題はない。 だがな、どれもアイドルにとってはNG行為タブーだ。 普通の恋愛をするどころか、友人であったとしても相手が男性となれば気を遣わなければならないのがアイドルなのだ。 高橋の言う活動辞退者たちは、誰もが写真の流出や週刊誌に撮られるなど証拠を残してしまった。 そこにアイドルとしての“覚悟”はあるのか? アイドルの恋愛は正に“命懸け”だということだ。 それでも恋愛ができるのかと言ったのだよ」

シーン……

 その場は刻が止まったように静まりかえった。

 “恋愛禁止条例”それは私たちにとってパンドラの箱。
それ自体存在しているかもあやふやで、誰も中身を正確に知ることのないものだった。
だけど、活動辞退者が出ている“事実”が存在を確かなものにしていた。
だから、私たちの中で“恋愛禁止条例”は開けてはならないものとしてAKBの中で不文律として存在し続けていた。
でも、蓋を開けると、そこには“アイドル”という存在に対する、私たちの甘えを許さない現実が詰まっていただけだった……。

 誰もが言葉を発しようとせず、たかみなさえも黙ってしまった。
そんな私たちを普段と変わらぬ表情で暫く見ていた秋元先生が、人差し指で眼鏡を直すと沈黙を破った。

「……これを聞いてアイドルの恋愛が生半可な気持ちでは出来ないし、もし何かあったときにはそれ相応の処分が降される理由が理解できたと思う……この中でそれでもアイドルと恋愛を天秤に掛けて交際したいと思う者はいるか? 珠理奈はどうだ?」

「えっ……ありま……せん……」

 珠理奈は秋元先生の問いに、迷うように視線を外すと途切れ途切れに答える。
普段から想像も出来ない絞り出すような声に、珠理奈はきっと新城君のことを考えたんだろうけどアイドルを選んだんだと私は感じた。

 決してそれは間違いなんかじゃない。
“好き”と思える男性はまた現れるかもしれない。
でも“アイドル”は今しか出来ない“経験”。
例えその先にもっと大きな夢があったとしても、AKBという大きく有名なグループに所属することで他では得難い経験とチャンスが得られる。
それを、男性との交際で棒に振るなど、普通の感覚であればあり得ないだろう。
だから……珠理奈の判断は正しいと思う……。

「そうか……だが、昨晩のことだ。 私に命懸けの恋愛を許して欲しいと直談判する者がいた。 そして今日は、その者の処遇を発表するために君たちにも集まってもらった」

ザワザワ……

 客席が俄にざわつく。

『私のことだ……』

 自分のことを指しているのが分かった。
『来るべきものが来た』そう思うとさっきまで自分が嘘のように、気持ちが妙に落ち着いていく。
後戻り出来ない状況で、踏ん切りがついたのかも知れない。
隣に居た麻里子が心配そうにこちらを見るけど、落ち着いていた私は小さく微笑みを返すことができた。

 決して、いつものように“全然平気!”そんな風に大手を振って言えない。
ずっと一緒だったみんなと離れるのも辛いし、今の私の実力では女優の夢だって諦めざる終えないかもしれない。
けれど、全て自分で考え、決めたこと。
週刊誌にバレた訳でも写真が流出して仕方なく辞めるわけでもない。
私自らが新城君と一緒に居ることを選んでのことなのだ。
だから、悲しい顔だけはするのを止めよう。
私はそう思いながら前を、秋元先生を真っ直ぐ見据えた――。


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