『恋愛禁止条例』
第17話:苛々
―優子side―
その日、私は楽屋で“にゃんにゃん”と一つの椅子、しかも彼女と背もたれの間に挟まり後ろから抱き付くようにして座っていた。
私たちの周囲には空いた椅子が沢山あって、別に座る場所がない訳じゃない。
そればかりか、にゃんにゃんはスマホでゲームを、私は私で彼女の肩に顎を乗せながら小説を読んでいる。
こんな状態ならば一緒に居なくてもいいし、互いに邪魔だと思いそうなものだけど慣れというのは恐ろしい。
時折、一言二言会話をしながらお互い好き勝手にやっているし、メンバーも見慣れた光景だからか誰一人気にする様子もなかった。
コンコン
そうしているとノックする音が聞こえ、新城君が沢山のおやつを持って楽屋に現れた。
いつもながら時間に正確なんだなと、私は時計とテーブルにお菓子を並べる新城君を見て思っていた。
お菓子が目当ての“きたりえ”が真っ先に目を輝かせながら彼……というかお菓子の元に向かい、他のメンバーもそれを合図にテーブルへと集まって行く。
「優ちゃんはおかし取りに行かないの?」
「私が今ダイエット中だって、にゃんにゃんは知ってるでしょ」
これもお約束の会話。
今日も今日とて同じやり取りを繰り返した私は、再び読みかけていた小説へと視線を戻した。
こんな落ち着いた時間を過ごしているのは別に暇だからじゃない。
現に数時間したら公演が始まるし、撮影やテレビの収録など忙しい日々を私やメンバーは送っている。
ドームコンサートを終えてからは、今まで以上にメディアへの露出が増え、私たちに対する周囲の目や状況は日々変化していた。
だからこそ劇場で毎度繰り返されるこの他愛もない光景とやり取りは心地良く、私やメンバーにとってホームグラウンドに帰ってきたという安心感に包まれる癒やしの一時だった。
そして、今日もそれまでと同じように時間が流れるのものだと信じて疑わなかった……。
………………
…………
……
「何でよ。 珠理奈だけずるい!」
イラ……
「そうだ、そうだ」
イライラ……
「ぜーったいダメ! そうだよね、お兄ちゃん!」
ブチッ!
“珠理奈”が新城君を“お兄ちゃん”と呼ぶ声に、私の中で何かが切れる。
パタン
それまで開いていた小説に“栞”を挟み“黄色いブックカバー”に包まれたそれを、やや乱暴にバッグの中に放り込むと私は椅子から抜け出した。
にゃんにゃんから生誕祭のときプレゼントにと貰い、私自身お気に入りのブックカバーと栞。
普段は大事にしているのに、何故か今日に限って八つ当たりするように扱ってしまう。
「優ちゃんどうしたの?」
「トイレ……」
ふつふつと心に湧いた感情を押し殺し平静を装って私は答えたつもりだったけど「ふ~ん。“新城くん”ってモテるよね~」と意味深な笑みを浮かべるにゃんにゃんに見送られてしまう。
『最悪……』
こうなったのも新城君のせいだ! とばかりに彼へ近づいていくけど、私のことなんて気付きもしない。
何なの珠理奈や“麻友”たちに囲まれて嬉しそうにしちゃってさ。
別に新城君が誰と仲良くしようと関係なんかない……そう思っていても苛々は増していく。
だから、珠理奈たちに囲まれてオロオロしている彼に「モテる男は大変だ」なんて嫌みを言ってしまった。
新城君は本気で困ってたけど、なんだか余計にむしゃくしゃした私は、彼に一言いって楽屋を出た。
それでも、感情の治まらない私は誰もいないと思って廊下で思わず叫んでいた。
「関係ある訳ないじゃん!」
「あれ、ゆっぴー叫んだりしてどうしたの?」
「ま、麻里子! いつの間に……」
誰もいないと思って叫んだつもりだったけど、運が悪いことに麻里子にその姿を見られてしまった。
「今さっきだけど……それより、どうしたのかな~ そんな叫んだりして。そんなんじゃ愛しの王子様に嫌われちゃうよぉ~」
麻里子は私に近づき、ニヤニヤ顔で私をからかってくる。
こういうときの麻里子は本当に楽しそうな顔をするから“ドS”だって言われるんだよ。
自分の痴態を見られたことよりも、麻里子にお見通しなうえ図星を突かれたことの方が恥ずかしく思わず叫んだ。
「う、うっさい! 誰も新城君のことなんて、な……」
「ほうほう、ゆっぴーの王子様は“隼人”なんだ?」
言いかけた言葉を飲み込むが、時既に遅く麻里子の顔には満面の笑みが浮かんでいる。
騙された自分が馬鹿なんだけど、元はといえば新城君が珠理奈や麻友と仲良くしてるからいけないんだ。
何よ“珠理奈”って、私のことは“大島さん”って呼ぶくせに。
それまで溜まっていた想いが昂ぶった感情と混ざり合い抑えきれなくなると、私の瞳から涙が溢れ出してきた。
「う、ぐすっ、うぇ~ん」
「う、嘘ッ! 優子、泣かないで。 からかってごめんて」
麻里子はそう言ってなだめようとするが、私がからかわれて泣いているのではないと分かると、私をそっと抱きしめ、その胸で泣かせてくれた。
いつからだろう……。
新城君が忙しく働く姿とか、学校で誰からも相手にされなくても挨拶をしたり、本を読むときだけ楽しそうにする姿を目で追うようになったのは。
いつからだろう……。
珠理奈が彼を“お兄ちゃん”と親しげに呼ぶのを嫉妬するようになったのは。
いつからだろう……。
他のメンバーが新城君に“好意”を持っていることに焦るようになったのは。
どれも、いつからだったか憶えてなどいないけど、目で追ってしまうほど、嫉妬するほど、そして泣いてしまうほど彼が“好き”なんだ。
でも、気付いたときにはもう遅かった。
だって、彼を最初に振ったのは私で、彼が学校で無視され辛い思いをしているのも私が原因なのだから、今更、付き合ってなんて言えない。
もう、これ以上、彼に最低な女だと思われたくない。
だから、せめて今のままでいたかった。
なのに彼に嫌味を言ったうえ、感情を抑えられず麻里子の胸で泣いている自分は、本当に馬鹿な女だと我ながら思う。
そう思えば思うほど涙が止まらない。
ガチャ
そうしていると楽屋のドアが開く音がし、今の顔を誰にも見られたくなかった私は咄嗟に麻里子の背中に隠れた。
「あれっ、麻理子さんこんな所でどうしたんですか?」
「隼人こそ、どうしたの?」
新城君の声がし、私の体がビクッとなるが、彼は麻里子の後ろにいる私の存在に気付いていないみたいだった。
「あっ、いや、大島さんが出て行ったのが気になったもので」
「あらっ、ゆっぴー良かったね♪ 隼人が心配してくれてるよ?」
麻里子の一言で私も新城君も凍りつく。
「あっ、えっ?」
「ほら、ここに優子ならいるよ?」
そう言って私を体ごと新城君の前に押し出す麻里子。
私は涙を流し、彼はその光景に驚いているという何とも言えない状態で対面することになる。
「「……」」
互いに無言で見つめ合う2人を楽しそうに見ていた麻里子が口を開く。
「優子が悩みがあるんだって、隼人聞いてあげてよ」
「な、何言ってるの麻里子」
麻里子の突然の言葉に私は唖然となる。
最悪な振り方をした相手の相談なんてのりたいと思う人なんている訳……。
「えっ……あ、俺で良ければ……でも、その前にこれ」
……ここにいた。
それもハンカチを私に差し出すくらいお人好しが。
「んじゃ、隼人。あとは宜しくね~」
そんな私たちを残し麻里子は楽屋に入っていった。
私がハンカチを受け取るのも忘れ呆然としていると、新城君が話しかけてくれた。
「えっと、とりあえず別の場所いきますか?」
廊下で2人きりになった私たちだったけど、新城君の口調はあくまでもスタッフとしてのもの。
私のしたことの代償が大きいことに改めて気付き、それだけで挫けそうになる。
「うん……」
でも、いつか言わなきゃ爆発しそうなこの気持ち。
麻里子がくれた折角のチャンスの今しかないと自分に言い聞かせる。
私が意を決して喋ろうとすると新城君が止めた。
「ちょっと待ってください」
そう言って新城君は少し屈むと、持っていたハンカチで私の涙を優しく拭ってくれる。
「うん、これで良し。 美人が台無しですよ?」
そう言ってハンカチをポケットにしまってしまった。
「あっ……」
「ん?」
「私ので汚れたから洗って返すよ」
「あぁ、気にしないでください。 それより屋上行きましょうか。 あそこなら誰もいないし」
新城君はそう言って歩き出し、私も大人しく彼に付いていった――。