このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

『恋愛禁止条例』

第15話:優子とまゆゆとセンターと:後編

design


―優子side―

 私は身体がまるでふわふわと宙に浮いている、そんな不思議な感覚を覚え目を開けた。

 あれ? ここ何処なんだろ……。
目の前にある世界は朧気で、霞む視界には左右へ流れていく光だけが映っていた。

 寝惚けて夢でも見てるのかな……。
自分が何処に居て、どういう状態なのか、はっきりとしない意識で考えるけど見当も付かないし、手足を動かそうにも金縛りにあったように動かすことすらできない。

 それなのに不思議と、焦りとか怖さを感じない自分がいた。

 寧ろ、安心感さえ感じる……。
まるで、大好きな人に抱かれているような感覚に包まれ“無条件に愛されている”そんな風に感じられた。

 ……何だかまた意識が……。
AKBに入ってから久しくなかった安らいだ感覚に、私は再び眠りへと誘われるように意識が遠退いていく。

 意識の途切れかかった私の視界に、それまでの光とは別のものが映る。

 誰かが私を見てる……。
ぼやけたままの視界で、それが誰なのか分からない。

「もう少し……」

 この声、聞き覚えがある……。
でも、誰なのか思い出せず、その間にも意識が徐々に遠のいていく。

「もう少しだけ辛抱して大島……」

 あぁ……。
意識を失う瞬間、声と愛しく包みこんでくれる相手が誰なのか分かった。

 そっか、新城君だったんだ……。
そこで私は意識を手放した。


―隼人side―

「失礼します! 先生、大島さんが!……って、誰も居ない!?」

 医務室に大島を抱えながら挨拶もそこそこに入ると、部屋には誰も居なかった。
あっ、正確には前田さんが部屋の奥のベッドで寝ている姿はあったけど……。

 俺は前田さんの手前に空いていたベッドに大島をゆっくりと寝かせた。

「すぅ……すぅ……」

 いつの間にか大島の荒かった呼吸は収まり静かな寝息を立てている。

「良かった……」

 呼吸だけでも安定している様子に一先ず安堵したけど、額や首筋などに汗が張り付いているのを見て、少しでも高くなっている体温を下げなければならない。
そう思った俺は腰に引っかけていたタオルと水を取り出すと、それを零さないように慎重に濡らしていく。

「ごめんな大島。 俺が使っていたタオルで……我慢して」

 そう言いながら俺は大島の首だけを少し浮かせると首に濡れタオルを巻くようにする。
次に取り出したのはポケットにあったハンカチで、それにも程よく水を含ませていく。

「こっちは今日使っていない奴だから……」

 寝息を立てている大島が聞いているはずもないだろうに、それでも俺は彼女に語りかけながら前髪を優しく分けると露わになった額に濡れたハンカチを乗せる。

「ん、んぅ……すぅ……すぅ……」

 大島は、額に充てられたものが冷たかったのか一瞬身動ぎするけど、すぐに規則正しい寝息に戻った。

 様子が安定したことにホッとしながら、俺は大島の寝顔を見つめていた。

 アイドルでありクラスメイトでもある大島の顔は見慣れていた。
でも、今目の前にあるのはどれでもなく、素で無防備なほど安心仕切った“大島 優子”の寝顔。

 普段見ることのない表情に出会えたことに、胸は高鳴り大島への恋心を加速させた。

 頬に掛かる髪の毛に気付き、払おうと手を伸ばしかける。

「……みんな……」

 けど、頬に触れるか触れないかの所で大島が呟いた言葉に、俺は静かに手を引っ込めた。

 ……そうだよな。
大島にとって俺はスタッフ兼クラスメイト、ただ“それだけ”の関係。
“恋愛禁止条例”があるからとか、そんなことじゃない。

 ……大島の瞳に映るのは俺じゃない。
綺麗で意志と決意を湛えたブラウンの瞳も、八の字気味に下がる眉が愛らしい困り顔も、笑窪のできる眩しい笑顔も……そして目の前にある無防備な寝顔も俺に向けられることはない。

 ……全部AKBとその先にある夢に向けられているから。

「つぅ……」

 今更ながら打ち付けた背中が思い出したように痛み出す。
腕に残る大島の重みも触れた肌の感触も、痛みが全てを消し去っていく。

 ……分かっていたのにな。
最初から想いが成就することはない。
そう分かっていて俺はスタッフになったはずなのに、いつの間にか一線を超えようとしていた。

 ……裏方に徹しろ隼人。
そう自分に言い聞かせ、感情を心の奥底へと押し込めた。


―優子side―

〈大島の……は、どうな……〉

 ん……何か聞こえる。
微かに聞こえる誰かの声で、私は手放していた意識を手繰り寄せるように目を覚ました。

「大島さんは、今眠って……」

 私のこと?
朧気な意識の中、自分の名が呼ばれていることに気付くと自然と目が開く。
目映い光が目に飛び込み、私の世界を黒から白へと染め上げていく。

「ん……」

 あまりに目映さに私は小さな吐息を漏らし目を細めた。
するとぼやけた視界の端に薄らと誰かの背中が映る。

「……部屋にいなかったので診察はまだしてもらっていないですが……」

 ぼやけたシルエットでも、誰かと話しているその声で私には不思議とそれが新城君だと分かった。

 でも、ここ何処?
ぼーっとしたまま働かない頭で、それだけ考え付いた私は周りを見渡した。

 白い天井には目映く光る蛍光灯と私を取り囲むように設置されたカーテンレール。
汚れのない白い壁や、蓋付きのビーカーのような入れ物が並んだ棚。
目線を下に移すとどうやら私は衣装を着たままのベッドに寝かされている。
目に映る物、そして部屋に充満する独特な匂いに自分が何処に居るのか朧気に理解した。

 ……ここ病室? でも何で?
その答えは直ぐに見つかった。
ふと視線を左隣に移すと隣にもベッドがあって、その上にあっちゃんの姿と傍らには点滴があった。

 その光景に自分がここに運ばれる前の記憶が蘇り、段々と意識がはっきりとしてくる。

 ……そうだ、チームKの曲が終わって……私倒れたんだ……。
バックステージに続く階段を体力の限界でフラフラしながら降りていた私を、才加や佐江が心配してくれていた。
でも、私はセンターから降りる訳にはいかなくて、それを突っぱねていたら新城君に呼ばれた。
何故だか彼の顔を見てホッとしたのを憶えている。
ただ、その後の記憶がなかった。

「立ち眩みをしていましたし、軽い熱中症の症状もありました」

〈続行は不可能だということだな?〉

 ……え?
傍らで行われていた新城君と誰かの会話に耳を疑う。

「……大島さんのためにも、今は別の人を立てるべきだと……思います」

〈そうか……分かった。 医師が戻り次第、隼人もこっちに戻ってこい。 以上だ〉

 ……何言ってるの? 勝手に決めないでよ!
私の知らないところで勝手に進んでいく話に、私はベッドから勢いよく起き上がり叫んだ。

「ふざけないでよ!」

 起き上がった勢いで首にあった冷たい物や、おでこに載せられていた物が落ちるけど、そんなものに構っている余裕はなく矢継ぎ早に叫ぶ。

「勝手に決めないでよ! 私ならまだ出来る!」

 話が終わっていたのだろう私がそう叫ぶと、無線を腰のホルダーへ戻す新城君の動きが止まる。
こちらを窺う様にゆっくり、本当にゆっくりと振り向く新城君。

「大島さん……」

 私が起きて聞いているとは思ってもみなかったんだろう、困惑したような表情で新城君は見つめてくる。

「私はまだ踊れる」

 そう言ってベッドから立ち上がろうと床に足を着く。

 フラッ……
立ち上がった瞬間視界が歪み、私は全身の力がスッと抜け崩れ落ちそうになった。

 そんな私を新城君は支えようと咄嗟に手を伸ばしてくる。

「触らないで! 私が頑張らないと……AKBは……」

 拒むように身体を捩るけど、身体が重く足下が覚束ない私は結局ベッドに尻餅を着くように腰を下ろしてしまった。

 何で言うこと聞いてくれないの……。
自由の利かない自分の身体が疎ましくて俯いた。

 こんな大事なときに……。
あっちゃんが倒れ、彼女からの後押しがあったとは言えセンターを任された身。
なのに、私は満足にセンターとしての役目も果たせず終わるのかと思うと悔しくて、手を着いていたベッドの端を強く握った。

 このまま終わりたくない……。
この西武ドームコンサートは私にとって、それにAKBにとっても初めてのドームコンサート。
だから、私はこの日のために忙しい仕事の合間を縫って、寝る間も惜しんで練習を重ねてきた。
勿論、他のメンバーも同じだと思う。

 私たちだけを見に来てくれている何万人ものファンの人たちのために、こんな所で止まっていられない……。

 ベッドの端に手を着きながら気怠く重い身体を無理矢理起こす。

「待って大島さん」

 立ち上がろうとする私を、新城君は慌てたように両肩に手を置き押し戻しベッドに座らされた。

 早く戻らなきゃ……。
でも、焦る気持ちが私を突き動かし、彼を睨むようにその手を振り払う。

「邪魔しないで」

「みんなが……メンバーが居るんです。コンサートは大丈夫ですから、無理し「分かったようなこと言わないでよ!!」……」

 新城君にとっては私にこれ以上無理をさせないようにっていう気遣いのつもりだったのかも知れない。
でも、その言葉はとても現実的で“夢”を叶えようとしている今の私には辛く残酷な言葉と言えた。
それを認めたくなくて気付いたら私は、彼の言葉を遮るように叫けびながら立ち上がっていた。

「やっとこんな大きな舞台に立てるようになったのよ! バイトの貴方なんかに何がわかるっていうのよ!」

パシッ!

 言葉と共に振った手が勢い余り、中腰だった新城君の頬に当たってしまった。

「あっ……」

 自分でも不意の出来事に私は驚き思わず両手で口を押さえた。
それまであった苛立ち興奮していた気持ちは一気に冷め、叩いてしまった新城君の様子を恐る恐る窺うけど、彼の瞳は俯きはらりと垂れた前髪で隠れて見えない。

「大島さん……」

 ビクッ。
静かに、そして何も感情を含んでいない言葉と共に立ち上がる新城君に、私は思わず肩を震わすと自然と身体が後ろへと下がり思わずベッドに尻餅を着いた。

 “怖い”事故とは言え男性に手を上げてしまったこと、そして何より普段の新城君からは考えられない感情の籠もっていない声に私はそんな気持ちを抱いた。

 でも次の瞬間、私は彼と見つめ合うとそれまでと全く異なる感情を抱くことになる。

「すみません……」

 そう言って私を見る瞳は悲しそうだった。
叩かれた頬を摩ることもなく……怒ることもなく……ただ、その瞳に悲しみという感情だけが込められていた。

「大島さんたちAKBのみなさんが、ここまで来るのにどれだけ大変な思いをされたのかを、碌に知りもしないバイトの俺が言う資格なんてありませんでした……。 だけど、ファンの方たちは違う。 AKBの、大島さんのこれまでの努力や想いをちゃんと見て知っています……。 だから、今こうして大舞台でコンサートできるまでになった大島さんたちのことを、自分のことのように喜んでいると思うんです……。 でも、無理を押して辛そうにしている大島さんや前田さんの姿を見たらどうでしょう。 心配でコンサートどころじゃなくなってしまわないですか? まだ、コンサートは始まったばかりです。 どうか、ファンのみなさんに元気な姿を見せられるように、今は……今だけはメンバーを信じて休んでください。 お願いします!」

 そう言って大きく頭を下げる新城君の姿に、私は何も言えず俯いた。

 AKBのことを考えていないのは私の方だ……。
意気込みも練習量も誰にも負けない自信があった。
だから、大舞台で運良く巡って来たセンターとしてのチャンスを逃すまいと、無理してもステージで踊り続けようとした。
でも、それは決してAKBのためになっていなかったんだと気付かされた。

 ただ“センターで居たい”そう思う私のエゴ。
あのまま踊り続けステージの上でもし倒れていたら、コンサートはその時点で中止になり全ての人に迷惑がかかっていた。
メンバー1人ひとりの頑張り、スタッフさんたちの努力、そして私たちの晴れ舞台を一目見ようと遠くから来てくれている数万人のファン。
その人たちの想いを踏みにじっていたかもしれないと思うと、私は情けなくてスカートの端をギュッっと掴む。
それでも抑えきれない感情が溢れ出し、見つめていた自分のシューズが涙で歪んでいった。

 そんな私の歪んだ視界にスッと新城君の足が映る。
なぜか片膝を突き、私と目線を合わせるようにすると話し始めた。

「……AKBはチームです。 互いをカバーし合うのは当然のこと……でも、メンバーはそれぞれ誰にも譲れない“夢”を持っている。 AKBにいればその夢を実現するためのチャンスが降ってくるけど、決して多くはない。 それは研究生でも選抜でも、況してやセンターでも同じこと。 だから数少ない流れ星のように降ってくるチャンスを掴もうと手を伸ばすんですよね。 もう一度掴めますようにって……だから、大島さんは間違っていません……」

 流した涙の分だけ私の心に新城君の言葉が染み渡る。
ふと、顔を上げるとそこには新城君の優しい笑みがあって、同じ目線だからこそ伝わってくる気持ちがあることを知る。
彼の言葉で自分のした事実が変わる訳ではないけど、私の心はふっと軽くなったような気がした。

 何故だろう。
怒ったり、落ち込んだり、辛くて泣いたり、それまでは一人で抱え込んでいたことも、彼が居ると全て私の中から消え何処かへ行ってしまう。
残るのは胸に残る暖かさと、背中を押してくれる言葉。

 考え事をしながら不意にベッドに手を着くと何かが触れる。
手に取るとそれは濡れた男性物のハンカチで、寝ている時に感じていた冷たい感触を思い出し枕元を見るとやっぱりタオルも落ちていた。
私が意識を失っている間に、こんなことまで新城君はしてくれたんだろうか?

 もしそうなら私は何も貴方に返していないよ……。

「ねぇ、新城く「待たせてすまなかった」」

 私が新城君に訪ねようとすると、丁度タイミング良く医師と看護師の方が医務室に入って来た。
それからの私は看護師の方にベッドに寝るように促され検温や血圧などの簡単な診察を、新城君は医師の方へ私が倒れた時の状況を説明することに忙しく話す機会を失った。

………………

…………

……

「倒れたのは過呼吸と熱中症が原因だね。初期の処置が良かったから熱中症は軽度で済んだよ。1時間も点滴すればステージに戻れるだろう」

「本当ですか! 良かった……先生ありがとうございます!」

 診察が終わり医師の言った言葉に、自分ごとのように喜び御辞儀をする新城君。

 どうしてそんな風に笑えるのかな。

 私にも笑顔で「良かったですね」って言うから「うん」と答えたけど、掴めそうなほどの距離で笑う彼の笑顔に内心ドキドキしていた。

〈戸賀崎だが、隼人まだ戻れないのか?〉

「あっ、しまった……新城です。 すみません」

〈どういう状況だ? 医師は戻ったのか?〉

「はい。 大島さんの診察も終わり、1時間ほど点滴をすればステージに戻れるそうです」

〈そうか。 なら早く戻ってくれ。 次に誰がセンターをするかで揉めていて、お前の意見を聞きたい〉

「俺のですか? わかりまし……ん?」

 新城君が無線で戸賀崎さんと話しているのを暫く大人しく聞いていた。
でも“センター”という言葉を聞き、私は点滴している左手を気にしながら逆の手で新城君の服を掴むと引っ張った。

 新城君はそんな私の行動にビックリしたように見てくる。

〈どうした隼人?〉

「いいえ。 直ぐ戻ります」

 でも、何か言いたそうな顔していると、何事もなかったように会話を終わらせ私を見た。

「大島さんは誰をセンターに指名しますか?」

さっきまでと打って変わって真剣な表情で聞いてくる新城君。

 あぁ、言いたいことなんかお見通しなんだね……。
新城君に任せれば大丈夫なんだって思え、私は目を瞑った。

 目を瞑り次のセンターを思い浮かべると、一人のメンバーの顔が浮かぶ。
私やあっちゃんとは違って、アイドルになるために生まれてきたような彼女。
でも内に秘めた想いとか情熱、何より負けず嫌いな所はあっちゃんに似ているのを私は知っている。
それに、私も練習量については誰にも負けない自信があるけど、彼女もそれに匹敵する練習をしていることも知っている。
センターに対する想いも決して私やあっちゃんに負けていない。
ただ、センターに立つための“自信”がまだないんだと思う。

 だったら……。

「麻友を……麻友なら絶対大丈夫だから……麻友をセンターにしてと伝えて新城君」

 私は再び目を開けると新城君にそう告げた。

「やっぱり」

「え?」

 今、新城君何か言わなかった?
微かに聞こえたような気がしたけど、何を言っていたのか聞き取れなかった。
それに何だか新城君嬉しそうな顔をしているように見える。

 私がそんなことを考えていると新城君は「わかりました。そう伝えます」と言い残し部屋を出ようとしていた。

「し、新城君!」

「はい」

 振り向く彼へ咄嗟に声を掛けたけど、彼の顔を見ると喉まで出かかった続きを飲み込んでしまった。

「……ま、麻友にね……“いつも通りやれば大丈夫だから”って……」

「わかりました。 “二人とも”安静にしていてくださいね」

 新城君はそう言って微笑むと部屋を出て行った。

 大事なんだけど結局違うことを口にし、本当に伝えたかった言葉を言えなかった。
昨日に続き、また今日も素直になれないまま機会を逃した。
人見知りでもないし、見送る彼の背中になら躊躇せず言えるのに。

「ありがとう……」

 ほらね……。
でも、彼の瞳を見ると普段の私が形を潜め、素直になれなくなってしまう。

 何で素直になれないんだろ……。

「素直じゃないね優子も。 本人に直接言わないと伝わらないよ?」

 すると、左隣からまるで自分の気持ちを代弁するような言葉が聞こえる。
あまりに自然な流れのせいで隣にメンバーが居ることを忘れ、私は自然と相槌を打つとそっちを向いた。

「そうなんだけど……ん?……」

 違和感に気付いた時には既に遅く、視線の先にはベッドの上でこっちを向き笑いを堪えるあっちゃんの姿があった。

「お、起きてたのあっちゃん!?」

「ふふ、あんな大騒ぎしてたら誰でも起きちゃうって」

「ぜ、全部……聞いちゃった?」

「うん。 パシッて優子が新城君を叩くのも見ちゃったし」

 そう言ってニヤリと笑うあっちゃんに、私は顔を真っ赤にしあたふたしながら布団を頭から被る。

 だって、新城君との一連のやり取りをあっちゃんに聞かれただけじゃなく、事故とは言え叩いてしまったところも見られていたなんて、目の前に穴があったら入りたいと思うほど恥ずかしかった。

 布団の中で恥ずかしさのあまり私が「う~」と唸っていると、不意にあっちゃんの声色が変わる。

「冗談……歓声がずっと聞こえるみたいで寝てられなかったんだ……」

 その変化に私が布団から顔をだすと、まるでステージに立っている時のように真剣な表情のあっちゃんがいた。

「あっちゃん……」

 実際ここまで歓声が聞こえたりはしない。
でも、あっちゃんには聞こえるんだ、ファンの人たちの声援が。
その声援にあっちゃんはステージに戻りたくて居ても立っても居られない、そんな表情を浮かべている。

 センターとしてのオーラを身に纏うあっちゃんに、私の負けず嫌いな性格が触発されステージへ戻りたいと思う気持ちが強くなっていく。

「優子ごめんね。 無理させて」

 あっちゃんのその労いの言葉も、今の私には“センターは優子に譲れない”と言われているように聞こえ想いは更に膨れ上がっていく。

 あっちゃんに負けてられない……。
そんな想いが私に挑発するような言葉を言わせた。

「残念。 全曲センターを奪えるチャンスだったのに悔しいな~」

「何それ。 私だってまだ優子に負けるつもりはないよ」

 わざと残念そうに私が言うと最初あっちゃんは目を丸くしていたけど、直ぐに真顔になり言い返してきた。

 私たちは互いを牽制するように見つめ合う。
そこに険悪なムードはないけど、それぞれAKBを担うセンターとしての意地があり、将来の夢も二人共同じ“女優”の私たちだから、やっぱり仲間というよりもライバルなんだと改めて思った。

「「……ぷっ」」

 暫く私たちは見つめ合っていたけど、どちらかともなく笑いが漏れ、それまであった空気が一変する。

「二人とも倒れてるのに何言ってるんだろうね」

「確かに、あ~ 早くステージに戻りたい」

「そうそう。 優子は新城君に早く元気な姿見せてあげないとね」

「どうして、そこで新城君が出てくるの?」

「だって、新城君って優子にだけ特別優しい気がするもん」

「そんなことないって……スタッフだし、彼とはクラスメイトだからじゃない?」

「そうかな~ わざわざさ自分のハンカチ濡らして優子のおでこに乗せる? 私の時とは大違いだったけどな~」

「えっ!?」

 やっぱり、これって新城君のハンカチなんだ……。
誰にでも優しく気を配れる人だから、あっちゃんが言うような私だけ特別扱いしてくれたとは考え難い。
昨日のこともあるからきっとスタッフとしての行為だと思う。
だけど、それでも私が意識を失っている間に新城君が色々してくれていたんだと思うと嬉しかった。

「優子嬉しそ~」

 ニヤニヤするあっちゃんから逃れるように再び私は布団を被った。


―隼人side―

 目的の部屋の前まで来ると既視感デジャビュさえ感じる言葉が、扉の開け放たれた部屋の中から聞こえてきた。

「大島まで倒れたとなると、今度こそ無理では……」

「いや、もう少しで前田が戻れるはず、それまで何とか……」

 部屋の中では前田さんが倒れた時にもあった“センターポジション”についての議論が繰り広げられていた。
ただ、さっきと違うのは叔父さんだけでなく戸賀崎さんも議論の中に加わっておらず、黙って腕組みしながら椅子に座っていることと、高橋さんの姿がなかった。

コンコン。

「失礼します。 遅くなりました」

 俺は開け放たれたままの扉をノックすると部屋に入る。

 すると、これもまたさっきと同じように全員の視線が一気に俺に集まる。

「新城君。 聞いての通り議論は平行線だ。 君ならどうするかね?」

「俺だったらですか……」

 それまで戸賀崎さんと同じように黙っていた叔父さんが、俺に問い掛けてくる。
叔父さんは他人の振りを装いつつ何と無茶な質問をするんだろうか。
頭に浮かぶメンバーはいるけど、プロの前で選んだ理由を語れるほど大層な理由もない。

 俺が「うーん」と唸っていると、戸賀崎さんが俺を見据え言った。

「隼人。 お前はバイトを始めて日は浅い。 だが、メンバーの多くはお前に心を許し信頼している。 それはお前が誰よりもメンバー1人ひとりの置かれた状況やポテンシャルを把握し、的確なアドバイスや行動をしているからに他ならないと俺も秋元先生も思っている。 だから、前田と大島の居ないAKB、お前なら誰をセンターに着ける?」

 “買い被り過ぎ”それが率直な意見だった。
俺はそんな審美眼なんか持ってはいないし、何より大島に嫌われてだっているんだからメンバーに信頼されているなんて思ったこともない。
だから、戸賀崎さんの言葉に俺は思わず溜息を吐いてしまう。

「はぁ……戸賀崎さんそれは買い被り過ぎです。 俺はただ自分の仕事をこなすので精一杯のバイトですよ。 それよりも大島さんからの伝言です。 “次のセンターは麻友で”だそうです」

「ほぉ、大島は渡辺を指名か……戸賀崎、渡辺を呼んでくれ」

「分かりました」

………………

…………

……

 暫くすると戸賀崎さんに呼ばれた渡辺さんが部屋にやって来た。

「し、失礼します……」

 いきなり呼ばれ、何が起きるのかとオロオロしている渡辺さん。
部屋の外では、そんな彼女を心配してか柏木さんが中の様子をそっと窺っていた。

「渡辺、急に呼び出してすまんな」

「い、いえ……」

 叔父さんの言葉に呟くように答えると下を向いてしまう。

 ステージ衣装に身を包む渡辺さんの立ち振る舞いや仕草は正にアイドルで、その持ち前のアイドル性はセンターの前田さんや大島でさえ霞んでしまうほどだ。
でも、部屋に入ってきた渡辺さんにその面影はなく、彼女の様子を見た戸賀崎さんも他のスタッフさんも大丈夫なのかと眉を顰めている。

 一方、叔父さんはそんなことを気にする様子もなく渡辺さんに問い掛けた。

「渡辺、先ほど大島が倒れたのは聞いて知っているな?」

「……はい」

 渡辺さんは叔父さんの問い掛けにと答えるとき何故かちらっと俺を見た。

『?』

 直ぐに視線を戻してしまう渡辺さんに俺は真意を掴みかね疑問符が浮かんでいたけど、そんな俺のことなど置いて話はどんどん進んでいく。

「症状は重くないが、大島も前田と同じように暫くステージに戻れない」

「そんな……」

「そこでセンターを渡辺、お前にやってもらいたい。 できるな渡辺?」

「え……えっ!? む、無理です!!」

 叔父さんの言葉に最初意味が分からなかったのか渡辺さんは口をポカンと開け聞いていた。
暫くして意味が分かったのだろう、目を見開くと必死に首を横に振る渡辺さん。

 首だけでは足りず両手を胸の前で振って、絶対に無理だと言わんばかりの渡辺さんだったけど俺はそう思わなかった。

 何故なら彼女に足りないのは努力ではないのだから……。
普段から劇場に誰よりも早く入り一人黙々と練習し、誰も居なくなった劇場で再び一人残り練習する姿。
そして、今朝もホテルの敷地内で一人イヤホンをしながら振り付けを確認する渡辺さんの姿を偶然見てしまった。
普段、人前ではお気に入りの髪型を崩すことを嫌っているようだったけど、そんなことも構わず額に汗しながら何度も納得するまで練習を続ける後ろ姿に、前田さんや大島がダブって見えた。

 そんな姿を目の当たりにしていた俺は渡辺さんに微笑みながら言った。

「渡辺さんなら大丈夫ですよ」

「そんなことないです……」

 俺の言葉に俯き小さく呟く渡辺さんの姿は今朝見たそれとはほど遠いけど、彼女の内から滲み出るオーラのようなものを俺は見た気がし安心した。

 そして、俺は彼女に“欠けた”ものに気付いて欲しくて口を開いた。

「ねぇ、渡辺さん……」


―麻友side―

 優子ちゃんを抱え必死に走る新城さんに声を掛けられずを見送り、私は佐江ちゃんたちと楽屋に戻っていた。
次の曲用の衣装に着替えながら私の頭には、新城さんの見たことのないような表情がずっと離れることなく浮かび続けていた。

 あんな表情を見せるのは優子ちゃんだから?
昨日も優子ちゃんを元気づける新城さんの表情は、普段私たちに向けられるものと違って見えた。
優子ちゃんは太陽の様に明るくて誰にでも好かれ、何よりもAKBのセンターだ。
それに比べ私は根暗で人見知りだし、センターでもない。

 きっと、私が倒れてもあんな表情見せてくれないだろうな……。

「ゆ……ねぇ、麻友って!」

 そんなことを考えていたら、隣のゆきりんの顔が急に私の視界一杯に広がった。

「わっ!? ゆきりん!?」

「もう、さっきから呼んでるのに」

「ご、ごめん。 考え事してたから……どうしたの?」

「もう!」っていつものようにオーバーリアクションで、呆れ気味に怒るゆきりんがお母さんに見えたのは内緒。
そんな失礼なことを考えていたことも含め謝る私に、ゆきりんが楽屋の入り口の方を指差すのでそっちを見るとスタッフさんが居た。

「渡辺、秋元先生がお呼びだ……」

 廊下をスタッフさんに着いて歩きながら、自分が呼ばれた理由を考える。
でも、思い付くのは優子ちゃんが倒れたことで、それを思うと不安になるし新城さんのことも思い出すから自然と落ち込んだ。

「大丈夫だって麻友……」

 一緒に着いてきてくれたゆきりんが、隣で励ますように私の顔を見た。

「うん……」

 ゆきりんの優しさを感じ頷いてみたものの、部屋に近づくにつれ不安は一層増していく。

「ここだよ」

 そう言われ通された部屋には秋元先生、戸賀崎さんを含め多くの偉いスタッフさんと、何故か新城さんも居た。

「し、失礼します……」

 一斉に集まる視線に私は針の筵に居るようでオロオロすることしかできない。

「渡辺、急に呼び出してすまんな」

「い、いえ……」

 秋元先生の言葉に何て答えて良いかも分からず下を向く。
そんな私に戸賀崎さんやスタッフさんの溜息が聞こえたような気がして余計に身が縮こまる。

「渡辺、先ほど大島が倒れたのは聞いて知っているな?」

「……はい」

 秋元先生の言葉に、さっき見た必死な表情で走る新城さんの姿を思い出し、私はチラリと彼を見た。
“?”マークを浮かべる新城さんが普段と変わらないので少しホッとする。

「症状は重くないが、大島も前田と同じように暫くステージに戻れない」

「そんな……」

 運ばれる姿や佐江ちゃんから容態を聞いていたから覚悟はしていた。
それでも、私たちもそうだけど今回のコンサートは、特に優子ちゃんが並々ならぬ意気込みを掛けていたことを知っているから、秋元先生から改めて言われるとやっぱりショックだった。

 それに加え、あっちゃんが既に倒れているんだから、代わりにセンターは誰がするんだろうと心配になった。
でも、何処かセンターというポジションは自分からは遠く、代わりの代役だって珠理奈か誰かがやるんだろうと雲の上の話に聞こえるのも確かだった。
だから、次の秋元先生の言葉は予想だにできない完全に不意討ちになった。

「そこでセンターを渡辺、お前にやってもらいたい。できるな渡辺?」

「え……」

 一瞬、秋元先生が何を言っているのか分からず『センター? 誰が?……私!?』と頭の中で反芻する。
それはまるで痛みを感じるまで数秒を要したと言われる恐竜のようだった。

「えっ!? む、無理です!!」

 恐竜宜しく、やっと言葉の意味が分かり事の重大さを認識した私は必死に首を横に振った。

 センターなんて大役務まる訳ない……。
私の脳裏にあっちゃんや優子ちゃんがセンターに立つ姿は想像できても、自分がその場所にいるイメージなど浮かんでこない。
だって、あっちゃんは暗闇を静かに淡く照らす月で、優子ちゃんは力強く爛々と輝く太陽。
AKBにとってあっちゃんは心の支柱で、優子ちゃんはAKBにとって前へ進むための原動力。
その二人に支えられて来たからこそAKBも、そして私もこんな大舞台でコンサートができるんだって思ってる。

 それに比べ次世代のエースだと言われていてもCGと揶揄されたり根暗で人見知りの私なんかじゃ敵う訳がない。
何よりセンターとしての重圧で倒れるほどの気概もなく、寧ろ今の秋元先生の言葉で卒倒しそうなぐらいだ。

 そんな私があの場所センターに立つ自信なんてないよ……。

「渡辺さんなら大丈夫ですよ」

 重圧に耐えきれなくなりそうになっている私を見兼ねてか、新城さんが微笑み優しい言葉をかけてくれる。

「そんなことないです……」

 新城さんの優しい言葉でも、自分の中に自信が見いだせず私は首を横に振ると俯いた。

「ねぇ、渡辺さん……」

 きっと新城さんをがっかりさせた、そう思いながら私は自分を呼ぶ新城さんの顔を見た。
でも、そこにあったのは予想に反し何処までも優しい微笑みだった。

「今“二人のようなセンターになれない”そう思っていないですか?」

「それは……」

 図星だ……。
口にこそ出さなかったけど、新城さんの言う通りそう思っていたのは事実。
二人の存在は私にとって大き過ぎて、今の私がセンターを務めても二人のように輝ける自信なんてない。
そればかりか、私がセンターとしてコンサートに立ったら駄目になってしまう、そんな気がして恐い。
でも、そんなこと思っているなんて“次世代のエース”だと言ってくれている秋元先生の前で言える訳もなく、私は黙って俯くことしかできなかった。

「前田さんや大島さんは確かに名実ともにセンターかもしれない。
でも、渡辺さんだってもう立派に中心センターとして踊っているんですよ」

 新城さんが何を言っているのか分からず思わず顔を上げるとキョトンとしてしまった。

「ファンの人たちってとても目が良いんです。 自分の推しメンが劇場公演で後列端でも、こんな大きなステージで米粒サイズだったとしても探し当てちゃうんです……そして、その人たちの瞳の中では、夢に向かい直向きに踊る推しメンがいつも中心センターに映っているんです」

「ファンにとって私が中心センター……」

 その言葉を反芻しながら、私は目を閉じる。
そこに浮かぶのは……。

 劇場公演――。
『まゆゆ!』掛け声と共にサイリウムを振って応援してくれる姿。

 握手会――。
『まゆゆ、これからも応援しているからね!』そういって、長時間待ち冷えたであろう手を、私が冷たくならないようにと服で擦り暖めてから握り笑顔を向けてくれる姿。

 沢山のファンの人たちの顔が浮かんでは消え、どの瞳にも私だけが映っていた……。

 いつの間にかステージの袖に立つ私。
そして客席には数万のファンがサイリウムを振り歓声を上げながら出番を待っていた。
いよいよ私の出番だ。
ステージに勢いよく飛び出す。

 でも、それまであった歓声は一瞬にして静まり、その瞳に映っていた私の姿が消えた……。

「!」

 私は驚きのあまり目を開ける。
“夢”だろうか。
あまりに現実的リアルなイメージに、やはり自分はセンターに相応しくないそう思った。

「やっぱり、私じゃセンターになっても「渡辺さんをセンターに指名したのは大島さんです」えっ! 優子ちゃんが!?」

 私の弱気な発言を遮った新城さんの言葉に大きく目を見開いて驚いた。
てっきり秋元先生からだとばかり思っていた私にとって、優子ちゃんから指名されたと言う事実は彼女に憧れこの世界に足を踏み入れた者として嬉しくもあり、そして期待に応えなければという新たなプレッシャーを生んだ。

 認められたい。
認めてもらえれば自信に繋がるとずっと思っていた。

 でも、認められると言うことは、肩に掛かるセンターとしての責任が比例し増えることをも意味している。
いつの間にか、私の頭の内ではセンターに指名された喜びの気持ちよりも、どうすれば優子ちゃんやあっちゃんのようなパフォーマンスができるのか、そればかりが頭に浮かんでは消えていく。

 次第に焦る気持ちが表情に出てくるのが自分でも分かる。
それなのに、新城さんはまるで私の気持ちをなど知らないかのように、ニコニコとしていた。

「あぁ、それから渡辺さんへ大島さんから伝言です……」

 やっぱり、優しいのは優子ちゃんに対してだけなんだ。
そう思っていた私は新城さんの言葉でニコニコしていた理由を知る。

「いつも通りやれば大丈夫だから」

「……」

「それが大島さんからの伝言です。そして、これは俺からの一言。 メンバー、そして俺たちスタッフが全力でサポートします。 だから、渡辺さんは渡辺さんが思うようにパフォーマンスをしてください」

 優子ちゃんは私の気持ちなんかお見通しだったんだ。
それに新城さんも……。

 私は目を閉じた。

 瞼の裏に映るのは、大人しくて自分の意見を言えず、虐められても一人になるよりはって思って我慢するような少女が一人。

 ある日、その少女はネットサーフィンで偶々見つけた“秋葉原48”に惹かれ、反対する母を拝み倒しオーディションを受けた。

 見事2度目にして合格し、晴れてアイドルとなった彼女の世界は一変する。

 一度目のオーディションに落ちた後、Team Kの劇場公演を見たとき憧れを持った大島 優子と同じ世界でいられることが嬉しかった。

 秋元 康に次世代エースと呼ばれることも、くすぐったいけど嬉しかった。

 少女は願う。
大島 優子や前田 敦子と肩を並べて踊りたいと。

 その一心で歌も踊りも頑張り、Team Bではエースの座に上り詰めた。

 でも、前を見るといつもセンター二人の背中があって、抜いたつもりでもいつの間にか彼女たちの背中を見ていた。
それでも追いつきたいと我武者羅に走り続け、ふと立ち返ると一人で走っている自分に気付く。

 どんどんと先を行ってしまう大島 優子と前田 敦子。
手を伸ばしてみても届かなかった。

 少女は走るのを止め蹲った。
何が足りないのか、どうしたらいいのかと考えながら……。

 ふと、何かに包まれるのを感じ顔を上げる。
すると、前を走っていたはずの大島 優子が少女を抱きしめていた。
傍らには前田 敦子やメンバー、そしてスタッフたちの姿があった。

 そして、一様に指を差す。
そこにあったのは光。
ライトに照らされ、多くのファンが待つステージがあった。

 大島 優子が少女を立たせると光の方へと背中を押す。

 大島 優子の傍らには宮澤 佐江や秋元 才加の姿。
前田 敦子の傍らには高橋 みなみや峯岸 みなみの姿。

 見送られるようにし光へと一歩一歩歩む少女。
しかし、不安に駆られた少女の足は程なくして止まった。

 すると不意に少女の手が誰かに握られる。
その手を握るのは柏木 由紀だった。

 また、空いた方の手を握られる。
そこには指原 莉乃がいた。

 それだけではない。
少女の後ろには大島 優子や前田 敦子の周りに居たはずのメンバーやスタッフの姿があった。

 誰もが笑顔で少女を見つめていた。
そして少女は知る。
自分は一人などではないのだと……。

 再び歩き出した少女の足取りは力強かった。

 一歩一歩光へ歩き、とうとう光へと到達した。

 光に包まれていく少女。

 その瞬間、声が聞こえた。

「渡辺さんは渡辺さんが思うようにパフォーマンスをしてください」と。

『ありがとう新城さん。 私にしかできないパフォーマンスをしてみます』

………………

…………

……

 私が再び目を開けると、さっきまでと世界が違って見えた。
今まで何を恐がっていたのだろうと思うほど、フッと気持ちが軽くなっていた。

 そして、自然と口から言葉が出た。

「やります。 私にセンターをやらせてください!」

 秋元先生を見据え私が言うと、先生は眼鏡をかけ直しながらフッと笑った。

「聞いての通りだ。 センターは渡辺で行く」

「はい。 おい、直ぐ他の者にも連絡しろ」

 秋元先生の一言で部屋の中は一気に慌ただしくなり、戸賀崎さんもその他のスタッフさんも部屋を出て行った。

「麻友!」

 そう言って後ろから抱き付かれた。
振り向くとゆきりんが私に抱き付いていた。

「ゆきりん!?」

 私は驚いていた。
それは突然のことに対してではなく、抱き付くゆきりんの笑顔がさっき手を握ってくれたゆきりんと同じだったから。

「私、頑張るね」

「うん、精一杯サポートするから。 ね、新城さん?」

 ゆきりんはそう言って新城さんに話題を振ると、新城さんは変わらない笑顔で「えぇ」と答えてくれた。

「そろそろ準備お願いします!」

 そうしていると、スタッフさんが私たちを呼びに来た。

「はーい!」

 スタッフさんに呼ばれた私とゆきりんは、秋元先生に会釈をし部屋を出ようとした。
すると「渡辺さん」と新城さんに呼び止められたので振り返った。

 いつの間にか近くに来ていた新城さんが私だけに聞こえるように耳元で囁く。

「今朝、練習していたときみたいにやれば大丈夫ですよ。 大島さんパートも前田さんパートも振り付けやタイミングは、俺が見ている限りでは完璧でしたから」

 そう言ってニコッとする。

「な、な、なんで知ってるんですか!?」

 私は真っ赤な顔をしながらパニックになっていた。
だって、今朝自分のパートだけでなく優子ちゃんやあっちゃんのパートまで練習をしていたのを、新城さんに見られているなんて思いもしなかったから恥ずかしかった。

「努力する姿は、誰かが必ず見ているんですよ」

 そう言って微笑む新城さん。

 その笑顔が不意にある言葉を思い出させる。

 アイドルは自分一人で生きてはいけない。
誰かが水をやり光を与えないと、あっと言う間に枯れてしまう。

 優子ちゃんがいつか言っていた言葉だ。

 きっと水はファンの人たち、じゃあ光は?
そこで思い浮かぶのは只一人。

 私は目の前で微笑む彼を見ながら心の内で呟いた。

 『私を光で照らしてくれますか?』と……。


―隼人side―

「やります。 私にセンターをやらせてください!」

 そう言った渡辺さんの表情に迷いはなくセンターに相応しいものだった。

 そしてステージに立った渡辺さんはみんなの期待に応え、センターでのパフォーマンスを見事やり遂げた。
コンサートはあたかも最初から前田さん、大島、そして渡辺さんのセンター三人がローテーションを組んでいたかのようで、ファンの人たちも裏でメンバーだけでなくセンターまでもが次々と倒れる事態になっていたとは想像も付かなかっただろう。

 コンサート後半では大島も前田さんもステージに復帰し、歓声に包まれながら無事一日目を終えることができた。

 満身創痍に近いメンバーばかりで普通ならば限界を超え、もう無理だと思うかも知れない。

 しかし、そこがAKBの凄いところ。

 様々な困難と失敗を乗り越え一回り成長した彼女たちは、残りのコンサートも無事乗り越え大成功を納めてしまったんだから。

…………………………

……………………

………………

…………

……

 コンサートも終わり、今日はAKB劇場では公演が行われていた。

 最悪な状況を乗り越え絆が深まり成長もしたメンバーたちは、それまでよりも活き活きとしたパフォーマンスをステージ上で見せていた。

 その中でも一際目立つのは、今回の事でセンターへの自覚に目覚めた渡辺さんだろう。
未だに、俺と話すときに目を合わせてくれないときがあるけど、ステージ上では正にアイドル渡辺 麻友へと成長していた。

 そんな彼女を俺は仕事の合間に、客席の一番後ろから見学をしていた。

 曲が終わり、MCトークが始まる。

 端から、順番に自己紹介をするメンバーたち。
それぞれの個性ある自己紹介を、俺はファンの人たちに混ざり楽しみながら聞いていた。

 渡辺さんの番になったとき、不意にステージの渡辺さんが俺を見た。
それまでなら目を逸らされてしまう場面でも、ステージ上の渡辺さんは違った。

 真っ直ぐな視線で俺を見つめニッコリと微笑む。

「貴方の視線を~ いただきまゆゆ~」

 不覚にも俺はドキッとした――。


15/38ページ
スキ