『恋愛禁止条例』
第12話:嵐の前の静けさ
夏休みも終わったというのに太陽は衰えることを知らないのか、まだまだ夏の陽気が続く9月初めの頃。
俺は学校が終わると、その足でいつものように劇場に来ていた。
「隼人君、ありがとうね。 コンサートの衣装作り手伝ってもらっちゃって」
「何言ってるんです。俺もスタッフなんだから当然じゃないですか。 それに初めての“ドームコンサート”ですよね? 頑張らない訳にはいかないですよ」
「ふふふ、そうね。 メンバーのため、あたしたちも頑張んないとね!」
「「「おぉ~!!」」」
今月後半に予定されているAKB48グループ初のドーム公演に向けた衣装作りが佳境を迎え、俺は衣装制作のスタッフさんたちに混じってそれを手伝っていた。
“茅野 しのぶ”さんを中心とした衣装スタッフさんたちは全グループ分の衣装を作らなければならず、もの凄くタイトなスケジュールの中で大変そうではあったけど、娘や妹たちのような存在のメンバーたちの晴れ舞台とあって気合いがはいっていた。
俺も慣れないなりに衣装に埋もれながら、かれこれ2時間程ラインストーンを貼り付ける作業をしていた。
ガチャッ
「しのぶさん、隼人見なかったですか?」
「あぁ、隼人君ならそこよ?」
「えっ、呼びました?」
俺は衣装の山の中からピンセット片手に顔を出す。
すると、いつもだったら事務の仕事をしているスタッフさんが部屋にいた。
「あっ、いた。 隼人、戸賀崎さんが支配人室に来いって」
「えっ、俺ですか? それも支配人室?」
「そうなんだよ。 隼人なんかしたのか?」
「まさかぁ……毎日大人しく真面目に仕事してますって」
「そうそう、隼人君は今も衣装製作手伝ってくれてるんだから。 隼人君、戸賀崎さんに変なこと言われたら私に言いなよ。文句言ってやるんだから」
「あはは、そのときはお願いします。
ちょっと行ってきます。 戻ったら続きやるんで」
「「「はい、いってらっしゃい」」」
俺はしのぶさんたちに見送られながら、支配人室へと向かった。
『それにしても俺何かしたかな?』
歩いている最中、自分が何か怒られるようなことをしたのかと考えてみたけど、何も思い浮かばないまま支配人室の前に着いてしまった。
コンコン
「新城です」
控え目にノックをすると中から「どうぞ」という声が聞こえ、俺は扉を開けた。
ガチャッ
「失礼しま……あっ……」
「やぁ、隼人頑張ってるかい?」
俺は言葉を飲み込むとそそくさと部屋に入り扉を閉めた。
扉を急いで閉めたのは目の前でニコニコしながら、ソファーに座る叔父さん“秋元 康”を見たから。
それも、周りには俺たちの関係を言っていないのに叔父さんが俺の名をさらっと呼ぶもんだから、無礼を承知での行動だった。
「お、叔父さん、どうしたんですか?」
「隼人が真面目に働いているかを戸賀崎に聞いていた所なんだよ」
普段劇場に来ることの少ない人がいることと、その答えに俺が目を丸くすると、叔父さんは「冗談」と笑って戯けた。
「本当のところは9月の終わりに行われるコンサートのことで、戸賀崎に用事があったんだ」
「でしたら、俺出直しましょうか?」
「いや、もうその話は終わったから大丈夫。 ところで仕事は慣れたかい?」
「はい。 スタッフさんもいい人ばかりですし、メンバーのみなさんとも上手くやれていると思います」
まぁ、大島とは表面上だけど……と心の中で付け加える俺。
「そうか、そうか。戸賀崎に聞いたんだが、松井に勉強を教えているそうじゃないか?」
「あれは……そうだ戸賀崎さん!」
「な、何だ隼人?」
「珠理奈に俺なら勉強教えられるなんて変なこと言わないでくださいよ!」
「ほぉ……隼人は、松井のこと“珠理奈”と呼んでいるのか?」
「あっ……」
つい口を滑らせ、普段の呼び方をしてしまったことに気付いたときには遅かった。
俺の言葉を聞いた叔父さんはいつもの眼鏡を掛け直す仕草をする。
いくら仲良くなったからってまずいよな……。
「松井は隼人のことを“お兄ちゃん”と呼んでいるようです」
「と、戸賀崎さん……」
ニヤニヤしながら火に油注がないで!
キラリと眼鏡のレンズが蛍光灯で光り、叔父さんの表情が見えない。
「うんうん。 安心したよ。これなら任せられるな」
安心した? 任せられる? 何のことだ?
てっきり、怒られるものだとばかり思っていた俺は間抜けな顔をしていたと思う。
「まぁ、取りあえず座りなさい。 呼んだ理由を話すから」
………………
…………
……
「……という訳だ。 どうだ隼人?」
叔父さんの説明によると、メンバーやスタッフとも上手く打ち解けているようなので、9月後半に行われるAKB48グループ初のドームコンサートのスタッフをしてみないかとのことだった。
スタッフさんは別として、メンバー……それも主力メンバーである大島と仲が良いとは言い難い。
未だに、劇場では会話らしい会話をしたことがないし……。
だけど、叔父さんや戸賀崎さんに大島との間にあったことは話していないし、大島やクラスメイトのメンバーを除けば仲良くなったのは事実だったので、コンサートのスタッフの件を受けることにした。
「俺の担当はステージの設営とかですか?」
「いや、隼人にはメンバーの身の回りの世話や連絡係などをやってもらおうと思っている」
何を具体的するんだろう?と思い聞くと、叔父さんに代わって戸賀崎さんが答えてくれた。
「普段と同じですね」
普段と変わらない仕事内容に、俺は安心というか少し気が抜けたのかもしれない。
そんな気の緩みが態度に現れていたのか、俺の言葉に戸賀崎さんが少し眉を寄せる。
「隼人、仕事の内容自体は変わらないかもしれんが、メンバーにとって初めてのドームコンサートだ。 何が起こるか分からないんだぞ。 気を抜かずやってくれ。 秋元先生も俺も隼人だから任せるんだ。 分かったか?」
「は、はい……」
“何が起こるか分からない”いつになく真剣な戸賀崎さんの表情に気圧されるように返事をした俺。
でも、心の中で『普段通りやれば大丈夫』そう思っていた。
だけど、それが甘かったと後悔することになるのをこの時の俺が知る由もなかった。
………………
…………
……
「……ということで、今回のコンサートにうちの劇場スタッフから新たに隼人を同行させることになった」
「みなさんの晴れ舞台に、スタッフとして立ち会えるとあり、嬉しい気持ちで一杯です。 全力で頑張りますので、宜しくお願いします!」
パチパチパチ。
俺はバイト初日の時と同じようにステージ上で戸賀崎さんに紹介され、メンバーやスタッフを前に挨拶をしていた。
あの日と違うのは、メンバーもスタッフもみんな知った顔で、その表情に笑顔があり拍手も大きかったこと。
でも、一番違っているのは大島や小嶋さん、峯岸さんなんかのクラスメイトが居なかったことかもしれない。
偶々、今日は大島たちの休演日で居ないだけなんだけど、内心ホッとしている自分がいた。
それは、彼女たちが居たとしたら、きっと嫌そうな顔をされるに決まっているから……。
「それから現時点でのコンサート関連の進捗状況だが……」
俺は戸賀崎さんがみんなに連絡事項を伝えている横で別のことを考えていた。
『やっぱり大島はコンサートのスタッフになったって聞いたら嫌がるんだろうな……』
“恋愛禁止条例”があろうがなかろうが、大島が俺を好きじゃないことに変わりはない。
望みがないことは悲しいが、それよりも好きな女性に嫌われることほど辛いことはなく、バイトをしている内に少しは状況が変わるかもと淡い期待をしていたのだけど、劇場での大島は学校に居るときのように“猫を被る”ことをしない。
だから、2人の関係が改善されるどころか悪化しているようにさえ俺には思えていた。
『ん?』
そんなことを考えていると、不意に誰かに見られている気がし俺は現実に引き戻される。
「……連絡事項は以上だ。 解散」
タイミング良く戸賀崎さんの話も終わり、俺は視線を感じた方に目を向けた。
すると、退出する人の中に、俺の方を向いている1人のメンバーと目が合う。
「!?」
目が合うとは思っていなかったのだろう、驚いたように華奢な肩がステージからでも分かるぐらいビクッと跳ね上がる。
『そんなに驚かなくてもいいのに……』
俺は彼女に声を掛けようとステージを降り近づこうとした。
「はーやと!」
すると、俺を呼ぶ声がしたかと思うと、突然誰かの手が俺の髪をクシャクシャにする。
「うわっ、麻里子さん!?」
「コンサートのスタッフなんて、隼人も成長したもんだ」
そう言って俺の髪に手を伸ばしていたのは“篠田 麻里子”さんだった。
ケラケラと笑い嬉しそうな表情を浮かべる麻里子さんを余所に、気になっていた“彼女”の方に再び視線を向けた。
だけど、先程まで居た場所に“渡辺 麻友”さんの姿は既になかった。
『俺、何かしたかな?』
みんなに“まゆゆ”と呼ばれ正に王道アイドルといった感じの渡辺(麻友)さん。
アニメが好きで、その話題で他のメンバーと楽しそうに話しているのを見かけたことはあったけど、実は彼女と未だに業務連絡的なことしか喋ったことがなかった。
人見知り? 引っ込み思案? どんな性格をしているのだろうか?
少なくとも自主練をしている姿をよく見かけるから、努力家であることは間違いないんだろうけど……。
「ん? どうしたの隼人?」
見つめられるようなことなどした覚えがない俺は首を傾げると、それを見ていた麻里子さんが不思議そうな顔をする。
「あっ、ううん。 何でもないです」
「ふーん」
俺は何でもないと手を振るけど、麻里子さんは訝しげに俺を見つめてくる。
麻里子さんは相変わらず鋭いな。
麻里子さんとの出会いは、俺が劇場スタッフとして働き始め、最初に声をかけてくれたメンバー、それが彼女だった。
それだけに留まらず、仕事についてはスタッフさんが教えてくれたけど、大島や叔父さんのいる芸能界のことについては全くの無知だった俺に業界の理(ことわり)を教えてくれたのも麻里子さんだった。
時には辛口な意見をもらうこともあったけど、俺を弟のようだと可愛がってくれた。
俺も一人っ子だったから、麻里子さんを姉のように感じていた。
俺がアイドルグループのスタッフとして、こうして居られるのも麻里子さんのお陰といって良く、一生頭が上がらないなと思う人間の一人だ。
麻里子さんは自分でクシャクシャにした俺の髪を、今度は手櫛で整えながら嬉しそうにしている。
「隼人は何の担当なの? さっき戸賀崎さん言ってなかったけど」
「えっと、劇場での立ち位置と同じで、メンバーのみなさんのお世話と連絡係です」
「それなら私たちは安心だけど……隼人はいつもと同じだと思わない方がいいわよ」
「それって「シンちゃん!(お兄ちゃん!)」」
戸賀崎さんと同じようなことを言う麻里子さんに、どういう意味なのかと尋ねようとしたらタイミング良く、渡辺(美優紀)さんと珠理奈がやって来てしまった。
「コンサートのスタッフなんて大出世やね!」
「凄いお兄ちゃん!」
「あっ、いや、そんなことないですよ……」
凄いとはしゃぎ喜ぶ2人に、俺は曖昧な態度をとってしまう。
それというのも……。
ポンッ
「ほぉ~、いつの間に隼人はみるきーや珠理奈と仲良くなったのかな? それもシンちゃん? お兄ちゃん? 私が劇場に居ない間に何があったのかな~?」
案の定、細くしなやかな手を俺の肩に置く麻里子さんの満面の笑みに、顔が思わず引き攣った……。
その後、麻里子さんに自分の知らないところで彼女たちと仲良くなっていたことをネタに散々弄られ、結局、俺は渡辺(麻友)さんと話すことが出来ず終いとなってしまった――。